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2013年12月22日 (日)

立場をかえてみる

 

たくさんの人がブログを書いていますが、人間は創造主(神)である、どんなことも自分の心によって自由自在に自分の人生を創り上げていける素晴らしい存在なのだ ということをズバリ書いている人は少ないと思うのです。

想いのエネルギーは凄い、イメージをすればその通りになるということは、知られています。

しかしそれは創造主で神そのものだからとは、言ってはいません。

つまり、人間というのは、念力はあるけれども神ではないという見解です。

神から造くられた被造物・・・・つまり動物と変りはない、ただちょっと動物よりも脳が発達しているくらいなのだとほとんどの人が思っています。

でも動物は感情はあるけれど、感動することはありません。

心を一つにして愛を顕わすことは出来ないのです。

明らかに動物とは違う

だとしたら

いったい自分とは人間とはどういう存在なのか?

何者なのか?

自分というもの人間というものをハッキリとはつかみ切れていないのです。

わかっていないのです。

この中途半端な、どっちつかずの意識が、自分を人間を迷わすものにしているのです。

自信をなくさせているのです。

寓話にある こうもりの話に似ています。

こうもりは、ある時は自分を鳥だと言い、またあるときには獣だと言い、周りを騙そうとします。

そして最後は自分でもどちらなのかがわからなくなってしまったのです。

そのつど立場を変えたのです。

人間もあるときは、自分を感情の動物だと自分を卑下し

またあるときは、愛深い荘厳な素晴らしい存在なのだと思うことがある

いったいどちらなのか?

立場をはっきりとしなければ、これから胸を張って堂々と生きてはいけない

と思うのです。

いったい自分はなにものなのか?

自分(人間)は動物と同等なのか?

いや神そのもの神性そのものなのか?

どちらかを選ぶのはその人の自由なのです。

そしてそのどちらにもなれるのです。


 


立場をかえてみる

 



肉体身としての被造物的人間が、いかにあがきもがいてみようとも、自己の定まった運命を変化せしめることはできないし、まして宇宙の運行を変えることなどできるはずもない。

ところが人間というものは、肉体としては被造物の側にあるのであるが、霊性としては、造物主の側にあるのである。

そして霊性の側の人間というものは、内面的には直霊、分霊、外面的には守護霊、守護神として宇宙の運行にもたずさわっているのである。

であるから、人間が、肉体人間としての側から、霊性の人としての立場に自己をおくことによって、いかようにも自己の運命を変化せしめることができるようになるのである。


    「日々の祈り」 五井昌久 白光出版




 

 

 

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