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2013年12月16日 (月)

12月17日のつぶやき(心ここにあらざれば)

 
 
私がAさんという人と話をしていて、Aさんにとって興味がある話だと真剣に聞いてくれてい

るという波動(エネルギー)がこちらに伝わってくるのですが、Aさんがつまらない話になっ

たと思って集中力がなくなってきたとしたのなら、やっぱりその波動はこちらに伝わってくる

のです。

態度では、「ふんふん、なるほど」 と聞いているように見えても 心ここにあらず はすぐに

わかってしまうのです。

ということは、私もそのような波動を出していたとしたのなら、相手の人にもわかってしまっ

ているということですよね。

反省点としましては、私も確かに相手の人が私にとって嫌な話であったり、聞きたくない内

容だったら、聞いているふりをしていることがあるのです。

そのときは、「嫌だなぁ」 とか 「早く終わらないかなぁ」 とか 「その話は嫌だから他の話

に話題を代えてやろうかな」 などと思っているのです。

つまり相手の話に集中しないで、自分の感情(嫌だという)に集中してしまっている

まさに 心ここにあらず です。

どんなに聞いているふりをしても、話題に合わせていても、態度に出していなくても

ひびきでわかってしまうのです。

その時点で相手の心は離れていきます。

「この人は 私の話を聞いていない 私を理解しようとしていない 失礼な奴だ!」 と

愛とは合い、相と同意語であり、2つや複数の魂が合一することであり、愛の反対は離反

していくことなのです。

人を愛し、人に愛してもらおうとしたのなら

相手の話に体を傾けるのではなく、心を傾け

集中して真剣に聞くようにすることが大切だと思うのです。

コミュニケーションの基本はそこにあると思います。

今、コミュニケーション力が必要だといわれていますが

それは、プレゼンテーション力や伝える力ではなく

聞く力のことではないでしょうか?

聞く力があってこそ、コミュニケーションが生きてくる。

伝えようとする前に、受取ることが大切です。

相手が何を求めているのか?

どうすれば相手の魂が喜ぶのか?

それがわからないと伝えようがないのです。

伝えても意味がないのです。

 

人間の存在というものは、その場所に肉体がいなければ、その人が存在しない、というも

のではなく、またその人の肉体身がそこにあるから、存在しているというものではなく、そこ

にその人の心のひびきが伝わってきているか、きていないかによって、その人がそこに存

在するかしないか、ということになるのです。

その人の心がそこになければ、肉体身がそこにあっても、その人がそこにいないのです。

大勢の人が同じ部屋にいたとして、その各自がお互いの家人や知人のことを思いつめて

いる時に、その人の心はその家人や知人の所にいるのであって、その部屋には単に形だ

けが存在しているだけで、その人の実体は、家人や知人の所にいることになるのです。

      

          「日々の祈り」 五井昌久  白光出版



  

 

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