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2013年12月31日 (火)

「沈黙」を恐れない


 
フェイスブックを観ていると、結構私と同年代のおじさんおばさんが一人旅に出ていたり、青春切符で自由気ままな旅を楽しんでいるのです。

それに比べて若い人は、インターネットの世界でほとんど生きているので、自分と向き合う時間というものがどれだけ貴重で素晴らしいものであるかがわからないと思うのです。

私たちが若い頃は、インターネットは存在しておらず、現実世界と自分の中の脳内世界しか存在していませんでした。

そして頭で考えたこと想ったことをどう現実世界に現わしていくかだけを考えていればよかったのです。

その2つのバランスをうまく取ろうとしていたのです。

しかし今はその二つの世界に、電脳(インターネット)世界が入ってきた、それも他の2つの世界よりもずっと幅を利かせています。

それが証拠にほとんどの若い人は、電車に乗っていても注意深く、興味を持って車内を見渡すこともせず、移りゆく外の景色を車窓から見ることもせず、ただ何かに取り憑かれたようにスマートフォンに向き合っています。

心を亡くしているように見える

その様子が異様に見えるのは私だけでしょうか?

2つの世界を生きてきた私たち中年は、何かが違う、どこかバランスを崩していると察知して元の世界に戻ろうとしているのです。

2つの世界のうちの脳内世界、そこは自分と対話できる場所なのです。

脳と意識、心はつながっています。

肉体と心はつながっているのです。

静かな場所に行って、肉体の脳を静めることによって心が洗練され、魂が光ってくる

落ち着いてくる

そして

本当の自分とつながって、自分が今何をすればいいのか?

何が大切なことなのかがわかるようになるのです。

私たちは、いろんな経験を積んだり本を読んだり、ネットで知識を詰め込むことによって一端(いっぱし)の人間になったような気になっています。

知らないことはスマートフォンですぐにわかってしまうと思っている

だから持っていれば何も怖くない、大丈夫だ

だって必要な情報はすべてここ(スマートフォン)にあるのだからと思っている

しかし、私たちの知っている知識なんて宇宙から観ればほんの極僅かのことなのです。

サハラ砂漠にある無数の砂の一粒にも匹敵しないのです。

それなのに自分は、大概のことはわかっている、と錯覚しているのです。

思い違いも甚だしい

最近、人のことは、客観的に観れるので比較的よくわかるのだけれど

自分のことってほんとにわかっていないなぁ と実感しているのです(笑)

今の私の課題は

「どうすれば自分を客観視できるか?」

ということなのです。

それには、自分のことを客観的に観てくれている

周りの人に聞いてみるのもいいかもしれません

きっとあなたの守護霊守護神に代わって

いいアドバイスを頂けると思います。

しかし自分のために真剣にアドバイスをしてくれる人はそうはいません

だから 日頃の人とのコミュニケーションが大切ですよね!








「沈黙」を恐れない

 

 


最近、話をしたある学生さんとの会話の中で、印象に残っているものがあります。

私が、 「就職すると忙しくてなかなか旅ができないから、時間がある学生時代に、一人旅や長い旅に行くといいよ」 という話をしたら、一人旅は嫌だというのです。

「一人だと、ずっと沈黙で、なんだか間があり過ぎるって感じてしまうんです」

「間があり過ぎる」 という表現を面白く思うと同時に、「もったいない」 と思いました。

というのも、人間というのは、自分ではいろいろなことに精通しているつもりでも、実際には、それは微々たるものでしかありません。

「すべすべした小石やきれいな貝殻を見つけて夢中になってきたが、私の目の前には真理の大海が、依然として発見されることもなく横たわっていた」

こう語ったのはアイザック・ニュートンですが、いくらたくさんのことを知っていると思っていても、実際にはそれは海岸の一握りの石や貝でしかない。

知らないことの方が圧倒的に多いということでしょう。

旅に行き、実際にその土地を見て、そこにいる人々と話してみると、自分が持っていた先入観や聞いていた評判とは違う印象を持つ、ということは少なくありません、実際にいろいろな土地に行き、自分の目で多くのものを見て、そこにいる人たちと生の言葉を交わすと、それまで知らなかったことを知ることができます。

それでもなお知らないことの方が断然多いのですが

実際に自分の目で見、聞き、話すというコミュニケーションを通じて、自分の知らないことを吸収していく ことが、社会的な生き物として生まれてきた以上、幸せに近づける一番の道ではないかと思うのです。

もちろん仲間との旅もいろいろな意味で意義深く、行けるときにたくさん行っておいた方がいいと思いますが、ときには一人でじっくりその土地を味わい、その土地から得られるものを楽しむことも、非常に意義深いものです。

あり余る 「間」 を使って、行った先々の人々と接し、多くのものを吸い込んで再び自分と向き合う ━ それは自分の成長にとって貴重な機会になると思うのです。

考えてみますと、会話の中でも 「沈黙」 や 「間」 を嫌がる人は多いようです。

たとえば、人と話をしているときに、ふと会話が途切れてしまうことがあります。

特に相手がそれほど親密でない人とか、上司や先輩などの場合、とたんに不安になって矢継ぎ早に質問したり、急いで話題を変えようとする人がいます。

でも、沈黙は必要以上に怖がることはないのです。

相手の沈黙にも、たぶん何かの意味があるのでしょう。

相手が考えているときは、じっくり待ってあげる のも、一つのコミュニケーション方法です。

大事なのは、相手との阿吽(あうん)の呼吸です。

相手が何か考えているなと思ったら、沈黙を恐れずに、ゆったりとした心持でしばらく待ってみましょう。

矢継ぎ早に質問を重ねたり、イライラしないこと。

また相手が話したいと思えるような雰囲気を作ることです。

会話は、相手とのキャッチボールです。

キャッチボールで相手が受けやすい所にボールを投げ返すのと同じように、相手が考えたら待ち、相手に話したい様子があれば、興味深く聞く姿勢を見せる。

無理に話を盛り上げようとか、話を途切れさせないようにつなごうとは思わず、相手に呼吸を合わせていく ということが、会話のうえでは非常に大事なことだと思うのです。



 

・沈黙を恐れない。相手が考えているときは、じっくり待つ

・会話は相手とのキャッチボール。無理に話を盛り上げようとするのではなく、相手のと呼吸を合わせることが大事

     「話す力」  草野 仁  小学館新書






 

 

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