12月7日のつぶやき
私たち人間は、人に評価されようとします。 自分のこと、自分のしていることが理解され、称賛され、拍手されることを望んでいるのです。
しかしこれまでの歴史がそうであったように、理想が高ければ高いほど、目的が大きければ大きいほど理解されがたくしばしば孤独になるのです。
それはすぐには達成できない目的だからです。
私の場合は、世界人類(地球人類だけではなく宇宙人類)の平和を達成させることですから、普通であれば、常軌を逸しています。 現実離れしているかもしれません。
普通は、自分の目の前に現われていることが良くなることしか考えません。
お金が入ってくること、地位、名誉、評価を得ること、病気が治ること、人間関係がうまくいくこと・・・・・・・
ただし、私も生身の人間ですから、宇宙的なグローバルな祈りの中に、同時に私個人の願望、希望幸せも勿論入っているのです。
世界人類が幸せ、平和になるということは、私自身も幸せ、平和になるということです。
ただ、自分だけが幸せであればいい、自分や家族だけがいい思いをすればいいというのではなく、全体の幸せがなければ個人の幸せもないということなのです。
自分のことばかりが脳裡にあって自分の欲望、願望、希望を達成するため、感情を満たすためだけに生きているのではあまりにも小さいではありませんか?
そんな自分勝手な我ままな生き方では、いつかはみんなに愛想を尽かされてしまい、友達を無くし仲間を無くし、一番大切にしていた家族までもが離れていってしまいます。
だがしかし
意識を宇宙大(世界平和の祈りで)に拡げると、すべてのものが自分の中に入ってくるのです。
宇宙の中には、自分の周りの人も入っている、日本の人たちも入っている、地球人類も、宇宙人類もすべてが入っている
まさしく自分の中に宇宙があるのです。
宇宙の中に自分がいるのではなく
自分の中に宇宙(すべて)があるのです。
そして
意識を宇宙まで拡げると(宇宙とつながると)
人間は、どこまでも進化向上出来るのです。
宇宙(神・本心)と一体となるとは
なんと素晴らしいことではありませんか?
だから私は、今は人に受け入れられなくても、何度も何度も真理を繰り返し述べ続けるつもりなのです。
人に笑われてもいいではありませんか
わかってもらえなくてもいいではありませんか
それが私のミッション(使命)だと思っているからです。
漢文
上士は道を聞いては、勤めて之を行わんとし、中士は道を聞いては、存するがごとく亡きがごとく、下士は道を聞いては、大いに之を笑う。 笑わざれば、以て道と為すに足らず。
上士というのは勿論上等の人、上位の心の人という意味ですが、そういう人は、道を聞くと、どのようなむずかしい行為でも、勤めてこれを自己の行為に現わそうとするが、中士は道を聞いても、判らないところでも、判ったような顔をしてみたり、頭では理解しながらも、なかなか行為に現わそうとする努力をしなかったりする。それは道に対する信というものがあまり深くないからで、この人たちにとっては、道というものが、自分の都合次第では存在するようにも思えたり、存在しないものに思えたりするのである。
ところで下位の人になると、道を聞いては、そんな道などというものが存在するものかというように大笑いに笑いとばしてしまう、というのであります。
そして老子は、そういう下級の人に大笑いされないようでは、道というには足りない、といっているのです。
こういうところは、老子の時代も今日の時代でも少しも変わっていません。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「老子講義」 五井昌久 白光出版
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