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2013年11月14日 (木)

自分にとって悪い人とは自分の中の悪を取ってくれている人なのです。

 

この世的に不可解なことは、自分がドラマの主役を演じていると思えばわかりやすいのです。

自分が役者をやっていて、「今度のドラマでいい人役を演じてもらえませんか?」 とオファーが来た。

自分的にはイメージも良くなるし、家族や周りからの評判もいいし、断る理由もなく引き受けた。

しかし、「自分はこんなにいい人ではない、いくら役がらだとはいえウソっぱいなぁ」

それに比べて意地悪な悪いやつの脇役の人のほうが気持ちがわかるし、やってみたい役柄だ。

ずっと “いい人” ばかりを演じている人は私生活でもそれを続けなければいけないし、ときには破目を外して、暴れてみたいこともある、しかしそれはなかなか難しいのです。

そして何年か経って “悪役” が舞い込んできたとき

そのオファーを喜んで引き受けたりする。

自分は知らず知らずのうちに自分がイメージした役がらを演じています。

いい人なのか? 悪い人なのか? ある人にとってはいい人だけど、別の人には悪い人なのか? 家庭ではいいパパだけど、外では怖い人なのか?

自分の中で “自分とはこういう奴だ、だからこの路線で行こう!” とはっきりとした確信もないまま 見切り発車 しているのです。(あまり自信がありません)

でも絶えず、自分はこの役柄でいいのか? もっと違う自分がほんとうの自分ではないのか?

もしもう一人、自分がいるとしたのなら、全然違うキャラクターをやってみたい!(ドラマでも私生活でも)

だれもが持っている願望だと思うのです。

だからもしかして、「こいつ最低だな」 「こんなやつ絶対に友達になりたくない」 「この人のような生き方は死んでも嫌だ」

と毛嫌いしている人に対しても、自分の中ではその要素は少なからず、持っているものなのです。

しかし、自分が演じたくても(私生活において)、やるほどの勇気はない、今まで蓄積してきたものを壊すこともしたくない、人格が変わったとも言われたくない

その人がその役を買って出て、引き受けてくれるのなら、あえて自分は、嫌われる役がらを演じる必要はない。

その人を見ているだけで、「ああよかった、今生での自分の役柄で無くて」 と胸をなでおろしているのです。

それが本音なのです。

もしかしたらその役がらを演じなければいけなかったのに、その人が引き受けてくれて自分の中の業(過去世から溜まったマイナスの想念エネルギー)を肩代わりして、全部背負ってくれているんだ、相手の人は自分の鏡なんだ。

そして見せてくれているんだ

ごめんなさい、悪役をやってくれて、ご苦労さま、ありがとう!

自分にとって会う人すべてに感謝し、自分の神性が顕われるために、魂が成長するために脇役に徹してくれている人たちに

「この人たちの天命がまっとうされますように」

「悪いものが早く消えて、その人が一日も早くいい人になりますように」

と祈れる自分は、ありがたいのです。

幸せ者なのです。

  


よくあるんですよ、「先生、この人はどういう人でしょう」 と名刺など持ってくる。

それで私が観ると、悪い人なんですね。 悪い人なんだけれども、その人には都合がいい人なんです。

それで私は 「この人は一般的から見ればとても悪い人で、いろんな悪いこともしてますよ。しかし、あなたにとっては、この人都合のいい人ですよ」 と教えるんです。

そうじゃないと間違えますからね。

たとえば、その人を 「ああこれはいい人ですよ」 と言いますね。

そうするとその人がまた他の人に紹介する場合もあるでしょ。 他の人とは悪い場合があるんですからね。 他の人は損しちゃうでしょ。

そうすると 「先生はいいと言ったけども、悪かった」 ということになってくる。

だから私は 「あなたにとってはいい人だけれども、他の人にとっては悪い人ですよ」 と、ちゃんと念を押しておくんです。

因縁の合う人はとてもいいんですが、因縁が合わなくなりゃ悪い人になるんですね。

何故かというと、因縁が業想念の結び合わせだからです。

ところがそれを超えちゃって、神さまの世界へ入って、自分が光体になっちゃっていると、肉体に仮に現われるだけです。

自分が光だということはわかっていながら、わざわざ肉体に現われて菩薩行をしているような人は、誰をも悪くみないです。

どんな悪い人を見ても 「ああ あれは悪いな、しかしあれは消えてゆく姿として悪いんだ」 というふうにあっさり見ちゃうんですよ。

ちょっとは思いますよ。 たとえば強盗殺人をした人がいたとする。

「あいつ悪いやつだな」 と思うでしょ。 その想いは勝手な想いで、この世の想いですから、それは消えてゆく姿なんですね。

そのようにたとえどんな人に会っても 「あ、その人は業想念が消えてゆく姿なんだ。 あの人が悪いんじゃないんだ。 人間は神の子なんだ」 「あ、それは業想念が消えてゆく姿なんだ」 と思えるようになると、自分のために都合が悪い人であっても、それは都合が悪い人ではないんです。

自分に都合が悪いように現われるのは、自分の業想念というものをその人がとってくれているんです。

 

      「自由解脱への道」 五井昌久 白光出版

 

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