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2013年11月26日 (火)

肉体の自分、他人に期待をするな

 

まず、第一のポイントは自分が今どんな世界に住んでいるか? なのです。

ほんとうは幽界(潜在意識、迷いの世界)、霊界(霊界にも段階があるが下は少し汚れているが上部は浄まっている)、神界(浄まった世界天国ともいう)にも同時に住んでいるのだけれど、ほとんどの人が肉体界しかないと想っているので、肉体界だけが現実のようになってしまっているのです。

その肉体界はどんな世界かというと、まず、天(神界)があって地(肉体界)があります。

地は地獄なのです。ただし地獄だけではなく、神界や霊界や幽界が玉石混交した、つまり肉体界とは、神界の美しさもあるし、地獄のような醜い部分もあるのです。

私たちは心から感動したときなどは、自分が天使のように清らかに思えたり、人を憎んだり妬んだりしたときは、「私は悪魔の子か」 とがっかりするのです。

それは、肉体界だけに意識があり、肉体界の美しいところや醜いところに波長が合っているからです。

だから私たちはまず、自分も含めた肉体界の人間とはどんな人種、性格、人格を持ったものなのか?をハッキリと知らなければなりません。

肉体人間とは、潜在意識の中に、神の子から離れた醜い心(業想念)を持っており、過去世からそれが録音されていて、今流れてきているのです。

「こんなこと想っちゃいけない」 と思っても思ってしまったり、憎んだり、妬んだりしてはいけないと想ってもその気持ちが抑え切れないのは今ではなく、すべて過去からの蓄積なのです。(だから今の心境を嘆いてもしかたがない)

それがまた録音されて潜在意識となり、想いの世界が幽界となり、その幽界が汚れているから、その幽界にくっついている肉体界が壊滅状態寸前まで来ている。

今肉体界は、幽界がそのまま写って来ているのです。

幽界は肉体界と同じく不完全です。

そして肉体界に住んでいる肉体人間も当然不完全なのです。

だがしかし、私たちは人間神の子を信じないのに、自分や相手の人には神の子を求めるのです、期待するのです。

厳しいのです。

「あの人は私のことをわかってくれない」

「ついこの間まで私の味方だったのに・・・・」

「これだけ私が尽しているのに・・・・」

「裏切られた」

「傷つけられた」

「悪口を言われた」

「手の平を返された」

「理不尽なことを言われた」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

これは相手に対してだけでなく、自分にも浄らかな自分を期待するのです。

「自分は去年よりも成長した、だからこれくらいの苦難は乗り越えられるはずだ」

「自分は愛深い人間だ、だから人の悲しい姿を見ると放っておけない、他人事を我事のように思える」

そうやって自分を美化し他人を美化し、無理をする

しかし心が伴っていないので、ショックが大きいのです。

いっそのこと、自他共になにも期待しなければどれだけ楽になるか?(笑)

これまで地球上に現われた聖者賢者は、肉体人間に一切の期待などしなかったのです。

キリストさまが一番弟子に裏切られて磔になり殺されても、お釈迦さまが逆恨みされて何度も命を狙われても

肉体人間を一切相手にしなかった、恨まなかった、期待しなかった

それは肉体人間が不完全であることを知っていたからです。

最初から期待していなければ、感情的になって怒ることもありません。

「しかたがないなぁ」 しかないからです。

しかし、ただ一つ期待するものがあった

それは肉体人間に付いている守護霊守護神だったのです。

肉体人間はバカだけどなんの期待も出来ないけれど、その後ろ(上)に居る、守護霊は、悟っているなんでもわかっている、そしてその上の守護神は守護霊をサポートし守りを万全のものとしている。

肉体人間がその存在に気づき、一体となれば、肉体人間は途端に覚醒し、悟り、すべてを知り、文字通り、“神の子”になる。

今はそのプロセスなのだ。

守護霊守護神の存在(パーフェクト)を知らないから無理もないんだ。

不完全で当たり前なのだ

だからそのプロセスの不完全を見て、不完全さを嘆いてもなんの意味もないのだ。

ということなのです。

真理がわかれば、どんなことにも寛容になれるのです。

自分も他人も許せるようになるのです。

真理を知ること、守護霊、守護神と一体となることは、人間が真の幸福を掴むことなのです。



   

私などずいぶんいろいろな経験をしています。 先生のためなら命もいらない、なんて言ったって、なんかで都合が悪くなれば離れてしまい、どこかへ行っちゃったりする。

それでまたやがて都合がよくなって 「先生、どうもご無沙汰いたしまして!」 とやって来ます。

私は肉体人間など、悪いけれども、何にも信用していない。私が信用しているのは、守護霊だけですよ。 皆さんの本心と守護霊守護神は信用していますけれど、肉体の人間というのは業想念だからね、悪いことを言われてもなんとも思わない。 さんざん恩を着せた人が他で悪口を言ったとしても、それは当たり前、消えてゆく姿だと思っています。

別になんとも思わない。 あのヤロウこのヤロウ、くやしいなんて思わない。 もう始めから諦めているから。

あんまり肉体人間に期待しちゃダメですよ。友だちにも親にでも、なんでも期待しすぎると、しっぺ返しされますよ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

自分に対しても、他人に対しても、肉体人間は業想念の人間だから、肉体人間には、一切期待してはならないのです。



 


   
「自分も光る人類も光る」 五井昌久 白光出版



 

 

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