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2013年10月29日 (火)

基礎学力は大切なのです。

 

基礎体力がなければ、歩いて自分の行きたい所へも行けません。

身体に基礎的な力があってこそ、それをベースに走ったり、スポーツをしたり、山に登ったりいろんな可能性が拡がってゆくのです。

私は、偏差値重視の教育は好きではありませんが

基礎学力は必要だと思うのです。

勉強が出来なくても、あるいはしなくても社会で生きていける、現に小学校しか出ていなくても、田中角栄さんや松下幸之助さんのように立派になった人がいるではないか?

というのは違うと思うのです。

それらの人たちは、学校で学問を学ばなくても、自分で独学で基礎的な学力を身に付け、そこに自分にしかない哲学を付加していったのです。

もの凄い勉強量だったと思います。

“教育を受けられる人や大学に行っている人に負けたくない”

という反骨精神が強かったのです。

そして、その人たちもきっと言うと思うのです。

人として生きて行く為には、学問が大切だ、読み取る力が大切だ、世の中のしくみを知ることが大切だ、人と話すのでも一般常識と同じように学力がいるんだ

そのためには、中学卒業程度の学力って必要だと思うのです。

「勉強が嫌いだ」 というのならしなくていい

勉強以外のことで頑張ればいいんだ

一芸に秀でたならば、それはすべてに通じる

たしかにそうかもしれません。

しかしそう言っていた人たちも、どこかでは勉強の大切さを感じ

途中からでもやり始めるような人が

立派になっていっているような気がするのです。

“ 人生は一生勉強 ”

人生を豊かに送ってゆくためのメソッドの一つが基礎学力なのです。

どうすれば、子どもたちはやる気になるのか?

勉強の大切さがわかるのか?

進学校で有名な灘高校の名物先生である橋本先生は、宇宙の話をされたそうです。

そして、グローバルなお話しと共に興味深い話をされた、そこから奥深く入ってゆく面白さを伝えたのです。

奥深く入ってゆくとそこには無限大の宇宙があるのです。

興味深いこと、面白いことがわかれば生徒たちは勝手に動き出します。

そしてそこから生まれた目標があれば

東大に入ることは、プロセスになるのです。

目標に行く途中で東大がある

したいことをしようと思ったら東大に入ることが一番近道だった

結果的にそんな道が出来ていたのではないでしょうか?

もちろん橋本先生は、生徒たちを東大に入れようなんてこれっぽちも思っていない。

これが本当の教育だと思うのです。

大切なこと、人生の奥深さを伝えること・・・・・・

そこから興味深いことや面白いことを自分で発見させる

指導者という人は、そのきっかけをつくるだけ・・・・・

基礎学力と共に

教育ってなんだろう? と思ったのでした。

下記に橋本先生の授業の様子を記載します。

なにかのヒントになれば幸いです。

尚、文中の橋本先生は、今月10月11日にご逝去されました。

101歳でした。合掌!


 

-子供たちの学力低下が深刻な今こそ、橋本先生の教育手法に学ぶべし-

 今年6月10日の、灘校の橋本武先生による「銀の匙教室」紹介文の続編です。『確か3ページ目に良い事が書いてあったのになぁ』と残念に思っていましたが、その『週刊ポスト』(昨年3月某日号)関係記事の3ページ目のコピーが最近見つかったのです。
 そこで今回は、同ページの内容を中心に紹介していきたいと思います。

 戦後間もなくの荒廃した世情を憂えた橋本先生は、「こんな時代に生徒たちに夢と希望を与える授業とは何か?」と思い悩み、たどり着いたのが、中勘助の名作『銀の匙』を3年間かけて読み進めていく授業法なのでした。
 テキストとして『銀の匙』を採用した理由を、橋本先生は次のように語っています。
 「主人公の成長と重ねて読めるし、美しい日本語があった。新聞連載されていたので一章が短く、数字が振ってあるだけで章名も付いていない。各章に生徒に表題を付けさせれば、親しみある自分の作品に変わっていく。授業にぴったりだと。」

 『銀の匙』は(明治10年代頃の)東京下町が舞台です。関西にある灘校の生徒にはなじみのない言葉や方言がそこここに出てきます。そこで物語を読み解く手助けとして、ガリ版刷りの手書きのプリントを用意して生徒たちに配りながら、橋本先生は文庫本を手にしてその部分を朗読し、ポイントとなる箇所を丹念に説明していくという授業スタイルを取ったのです。

 橋本先生は生徒たちが退屈しないように、脱線できる仕掛けも用意していました。前編でも紹介した、教え子の一人の現日弁連事務総長の海渡雄一氏は回想しています。
 「『銀の匙』の中に寿司屋のシーンが出てくるんだけど、そこで先生が『魚偏の漢字は678あります。集めてみましょう』という課題を与えた。で、図書館に行って調べたり、寿司屋で包み紙をもらったりしてね、魚偏のノートを作って。」

 また文中に「ねずみ算」という言葉が出れば、橋本先生は黒板にねずみの絵を描きながら、次のように続けました。
 「正月に夫婦のねずみが子を12匹生む。2月にはその子どもが12匹ずつ子を生む。では合わせて?」と訊ねます。生徒が「98匹」と答えると、「では、このペースでいくと、12月には?」。
 考え込む生徒たちに先生はしたり顔で教えます。「276億8257万4402匹。正解の人は?」

 時には紙袋から取り出した、赤や青や色とりどりの駄菓子を全員に配って、主人公の心情を追体験させました。橋本先生は配り終わると、ざわつく教室を制するように、「もういっぺんこの部分を読みます。食べながらでいいので聞いてください。」といいます。

のは、主人公が駄菓子屋で飴を食べる場面でした。
 
 「飴のなかのおたさんは泣いたり笑ったりしていろいろな向きに顔をみせる。青や赤の縞になったのをこっきり噛み折って吸ってみると鬆(す)のなかから甘い風が出る。」 (『銀の匙』前編 十三)

 私立である灘校は中高6年一貫校で、6年間の教育方針が教師の裁量に任されているといいます。自由である反面、「結果が出なければ責任を取らなければならない」(橋本先生)という厳しさがあります。

 しかし「銀の匙教室」を始めた昭和25年入学組の生徒たちは6年後、15名東京大学に合格し、見事な結果を示したのです。昭和24年は、東大合格ゼロだったことを考えると大躍進です。
 そして3代目の昭和37年入学組は、私立校として初めて東大合格者数日本一の132名合格の快挙を成し遂げたのです。
 だが橋本先生は、「私の力なんか何も関係ない。東大を意識した進路指導をしたこともない」と控え目です。

 では、橋本先生が生徒たちに植え付けた一番の財産とは何だったのでしょうか?
 「“学ぶ力の背骨”です。国語力のあるなしで、他の教科の理解度も違う。数学でも物理でも、深く踏み込んで、テーマの神髄に近づていこうとする力こそ国語力です。それは、“生きる力”と置き換えてもいい。」

 まさにこれですよね、国語力とは。そして教育の神髄とは。英語で教育を「education」(エデュケーション)といいますが、語源は「educate」という動詞にあり、この言葉には「引き出す」という意味があります。
 橋本先生の「銀の匙教室」を体験した生徒は千人余にも上るそうです。先生は、彼ら生徒たちが潜在的に有していた「学ぶ力」「生きる力」をうまく引き出し、有為の人材として世に送り出したのです。
 橋本武先生こそは、「日本一の教育者」と言っていいのではないでしょうか。

 その橋本先生は、今年百歳を迎えられました。先生の近況を最近のNHKが番組で取り上げたようです。
 橋本先生は現在でも、朝5時に起床し、午前中は家事をこなし午後には文化教室の教壇に立ち、夜7時に夕飯を食べた後は、深夜1時まで勉学に励んでいるというのです。先生は、「人間には寿命とか年齢による限界というものはないのだ」ということを、身をもって示しておられるようです。

 橋本武先生の益々のご健勝とさらなるご長寿、心よりお祈り申し上げます。

 (大場光太郎・記)

参考・引用
『週刊ポスト』(昨年3月某日号)<教育再考>伝説の灘校教師の「奇跡の教室」
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『「銀の匙」と灘校名物国語教師』




  

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