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2013年9月12日 (木)

人間の目的とは? 2

  
問  私は二度大学受験に失敗し、三度目に目的の大学に入りました。大学で勉強してゆくうちに、人間の生きる目的がなんであるかということがわからなくなってしまったんです。

それで結局、無我の境地になることが目的だ、ということがわかって来たんですが、そうなると、こんどは、自分が学校で勉強していることが何の為にしているのか、わからなくなって来たんです。どうしたらよろしいでしょうか?

 
 

答  それは無我でもなんでもないんだね。 無我であるならば、自分の環境が学校へ入って学問をする環境にあれば、それをそのままそれを生かして学問してゆくものです。

無我というのは、自分の我が無くなることなんだから、これがどうだ、ああだって考えるうちは無我でもなんでもないわけね。

人間の目的は何かというと、置かれた環境は神さまが置いてくださったんだと信じて、その場で一所懸命やるということが人間の目的です。

それをもっと詳しくいえば、神さまのみ心をお互い二十何億に分かれて、この地上界に花咲かせる、神さまのみ心を現わすために、自分は生まれてきているんです。

神さまのみ心を現わすためには、その場に置かれたら一所懸命、真剣にやらなければだめなのです。

便所掃除の役に当ったとする。

こんなつまらないことっていうけども、やる事柄がつまってつまらなくてもいいんです。

生命を一所懸命に生かす、一所懸命働くというのが、神さまの目的を達成する第一段階なんですね。

それがわからないと、どんな理屈をいってもだめです。

学問の殿堂、大学に入ったら、学校の勉強を一所懸命やる。 商売をしているなら商売を一所懸命やる、家庭の主婦なら主婦の仕事を一所懸命やる。 そうすることが神さまのみ心なんです。

神さまのみ心というのは、観念の意味で頭でもって、あっちこっちと、とやかくするんではなくて、頭も体も一緒です。

一緒に一つのことにぶつかってゆくわけですよ。

ぶつかってゆくのに手の届かないところにぶつかってゆくのではなくて、自分の置かれた環境をそのまま一所懸命やる。 それ以外にないですね。

そうすると、知らない間に、たとえば誰かに会って “君そんなことをしているのか。こっちへいらっしゃい” って引っ張られたり、或いは誰かから “それは駄目だから、こっちにしろ” っていわれ心が動いて、そちらへ行ったり、その場その場で心が動いてゆく。 それでやってゆくわけですね。

置かれた環境がどんなに悪かろうと、又心が動いて行ったところが悪かろうと、そこで一所懸命やるんです。

一所懸命さえやっていれば、必ずその環境を突破して、目的にだんだん近づいてゆくんです。

一所懸命やらないで理屈ばっかりいっている人が、一番愚かですね。

理屈ばかり頭でこねまわしていて、ちっともその与えられた環境で一所懸命にならない人、そんな人ほど愚かなものはない。 神さまはそれを一番嫌います。・・・・・・・・・・・


      「質問ありませんか?」 五井昌久 白光出版

 

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