« 真理とは? 1 | トップページ | 真理とは? 3 »

2013年9月20日 (金)

真理とは? 2

 

それが守護霊守護神の存在がハッキリわかってから、ずっと優しくなった。

「なんだ、自分がやっているのも自分がやっているんじゃなくて、うしろの人(守護霊守護神)がちゃんとやってくれているんだな」 ということがわかったから、自分自分というのがなんだか可笑しくなった。

けれども、只神さまにすがって、自分は何も努力しないで、神さま神さまって神さまにすがっているような人間は愚かなもので、意気地がない者だと思うのです。

やはり自分で努力して、要するに人事をつくすことによって、天命が初めて開く、或いは自分は神の分生命である。

だからこの天命を果さなければこの世を終るわけにはいかないんだ、というように天命を信じてそして一所懸命人事を尽す。

とにかく人事を尽さないことには神のみ心は開かないのです。

神秘力が現われる、或いは奇蹟が現われるということは、ニッチもサッチもいかない、一所懸命やってもどうにもこうにもならない。

絶対絶命だというところまで一所懸命やった時に、パーッと開くのです。

それを安易に苦労もしないでご利益があるというような気持ちだったら、一生ご利益がありません。

何故かというと、この地球の人間として生まれてきている以上は、肉体人間として一所懸命、自分の全力を尽してやることがどんな商売をやってもいいのです。

商売をやろうと芸能をやろうと、何やろうとそこに いのち をかけてやっていることが、やはり尊いことなのです。

“何やろうと” いったって、強盗やスリをやってもいいということではありません。

普通常識でやっていいことは いのち をかけてやってゆくことが大事なのです。

これは当たり前の言葉なのだけれども、宗教をやろうとすると、自分が努力もしないで、只神さま、仏さまとおまいりしたりして、すがってゆく、というようになる。

それなら宗教などないほうがよい。

そうではなくて、自分は一所懸命やっている、しかし弱くてどうにも出来ないとか、何か足りないものがあるなァと足りないものを足して頂こうと、入ってゆく形。

これは本当の神さまに通じていくのです。

自分で精一杯やっても、みんな足りないのです。

肉体人間では何事もなし得ないんだ、けれど一所懸命やっていることが立派なことなのだな、ということがわかると、そこにはじめて神への道が開けるのです。

「ああ肉体人間じゃ何事もなし得ないんだな、神さまがわが内にあって為さしめ給うのだ」 ということなのです。

そこまでくると本当の信仰になるのです。

それを私はすすめているわけなのです。




  

    「質問ありませんか?」 五井昌久 白光出版

 

« 真理とは? 1 | トップページ | 真理とは? 3 »

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/160971/53328460

この記事へのトラックバック一覧です: 真理とは? 2:

« 真理とは? 1 | トップページ | 真理とは? 3 »

最近のトラックバック

2017年11月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30    
無料ブログはココログ