« 波動ってなんだろう? 3 | トップページ | 業想念と本心を区別せよ 2 »

2013年9月 1日 (日)

業想念と本心を区別せよ 1

 
 
私の心の中っていったいどうなっているのだろう?

と誰でもが思っていると思うのです。

やさしい、愛に溢れた想いがあるのかと思えば、妬みや嫉妬など自己嫌悪に陥ってしまうほど汚い想いもある。

かなりの格差がある。

いったい自分はいい人なのか?

悪い人間なのか?

それは心の中というのは、仏教でいうところの業想念と本心とが入り混じっているからなのです。

本心とは、神界にあるところの自分の本当の心であり、神のみ心とイコールなのです。

だから愛に溢れ、調和し、平和を愛し宇宙神の意識と同じなのです。

そのような崇高な意識と人間が作ってしまったマイナスの業想念が一緒くたになっているのが、心の中なのです。

コップの中に水が入っているとするとその中の水は、きれいな水ばかりではない、前世の汚れた水も、今入ったばかりの自分の想念もいっぱい溜まっているのです。

そしてその想いが次々に湧いてきているのです。

だからそんなことを想いたくもないと思っていても

自分が望むような想いが湧いてこない(そして自分や他人の想いを責めている)

肉体人間の自分では、想いはコントロールすることは至難の業なのです。

このことは大昔から人間を悩ます種でありまして

そのことを解決するために

聖者が進化した星(金星など)から天下って、教えを説いたのです。

それが本来の宗教の姿です。

宗教というのは、宇宙を示す教えという意味であり、次元の違う金星などの高次元の教えでしか地球の人類を救うことは出来なかった。

ということは、人間は、今地球を渦巻いている業想念という3次元の今の意識(肉体意識)では、とうてい救われないということができます。

今、人間は、同レベルの業想念の渦の中で物事を解決しようとしているのです。

そのことは、法然上人がおられた800年前も同じでした。

その頃(鎌倉時代)のたくさんの人々を救ったのは、法然さん親鸞さんという2人のお坊さんだったのです。(あえて2人に限定します)

南無阿弥陀仏は、みなさんがお葬式のときなどに唱えたりする浄土宗の念仏ですが、はっきりとした意味もわからずに唱えていると思うのです。(私もそうでした)

法然さんがはっきりと悟ったのは、人間には業想念と本心があって、この区別がつかないことには、人間は絶対に悟ることができない、安心立命しない、幸せにはなれないということだったのです。

法然さんはその当時、ありとあらゆる学問の勉強し、人間が生きたままの状態で成仏する(幸せになる)にはどうしたらいいか?を徹底的に探究したのですが、最後に辿り着いたのが、「南無阿弥陀仏」をただひたすらに念じることだったのです。

南無阿弥陀仏とは、仏(神・宇宙)と一体となるための祈りだったのです。

宇宙と一体となる祈りを祈ることで意識が波動が宇宙と同体になるのです。

宇宙意識になることで、いつの間にか業想念が消え去り、本心だけがつながり、安心立命し、心が整って、パーフェクトになるのです。

近未来に、たくさんの人が宇宙意識になっていきます。

大昔にも、法然さんや親鸞さんその他の信者の人たちのように僅かの人たちは、正覚を得たのですが、地球が完成(次元上昇)する時期には、その頃には比べようもないくらいの人々が悟りの境地(覚正)に達するのです。

それは、世界平和の祈りが世界に広まることで実現するのですが、そのことが昔の日本の宗教(浄土宗)、法然さん親鸞さんから学ぶことができるのです。

世界平和の祈りは、南無阿弥陀仏をもっとわかりやすく全人類に広めるために生まれた念仏(祈り)なのです。

次の日記からその文章を抜粋しますので、よろしくお付き合いください。


 

 

  

« 波動ってなんだろう? 3 | トップページ | 業想念と本心を区別せよ 2 »

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/160971/53108683

この記事へのトラックバック一覧です: 業想念と本心を区別せよ 1:

« 波動ってなんだろう? 3 | トップページ | 業想念と本心を区別せよ 2 »

最近のトラックバック

2017年9月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
無料ブログはココログ