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2013年9月 1日 (日)

本心と業想念を区別せよ 3

 
現代に生きる親鸞の心

 

人類が、肉体人間の想念行為をもってして、世界が平和になり得ると思っていたら、これはとんでもない思い上がりです。

自分は物質にも恵まれ、その上善いことをしているのだから、何も殊更に神仏にすがる必要はない、と思っている個人と同じように、自分の国は世界平和実現のために軍備による力をつくっているのだ、といっている国があったら、これは実に思い上がった考え方です。

世界平和と軍備とは全くなんらの関係もありません。

個人にしても国家民族にしても、神のみ心を中心にしての活動でない限り、一時はその個人、その国家民族が栄えているように見えましょうとも、やがてはその反対の現象が必ず起るものです。

それは世界の歴史をみていれば自ずから判ります。

自己や自国家の力を過信していると、やがては谷底の運命がその個人その国家の前に待っていることになるのです。

それは業生世界の必然性だから仕方がないのです。

しかしそれを人類全般に及ぼしてしまってはたまりません。

そのたまらない運命が今や全人類が謙虚な心で、自己や自国の在り方をはっきりみつめ、神のみ心にそむいていないか、人類愛の政策に反しはしないかを考えてみなければならないのですが、なかなかその実行はでき得そうもありません。

眼の前の出来事や、政策のやりくりに追われてしまうからです。





         

          
「生きている念仏」 五井昌久 白光出版





 

 

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