« 今、私たちの前に現われていることとは? 1 | トップページ | 心を強くする 1 »

2013年9月13日 (金)

今、私たちの前に現われていることとは? 2

 

妙好人因幡の源左の言行


 

妙好人因幡の源左という人は、文字も読めない無学な農民なのですが、その言行は、あたかも名僧智識の如きであったといわれます。

源左が鳥取の紙商竹田屋で金を受取り、これを懐にして山根に帰るさ、いつものごとく

「なんまいだぶなんまんだぶ ようこそようこそ」(ようこそはありがとうございますという意味)

と念仏を称えながら歩いていると、うさんな男に後をつけられた。 彼は出獄したばかりの前科者であったというが、源左が店から金を取ったのを見ていた。

御熊坂の峠にさしかかる頃、いよいよ様子がおかしいのを知って、源左はその男に振り向いて
「おらぁ持っとるむんに、お前にゃあ欲しいものがあって、ついて来よんなはるか。欲しけりゃあげもしようが、まあ如来様のことを話さしてつかんせ」

そう云って連れ立って、法話をしいしい遂に村まで来た。

男は源左の人柄に手の下しようがなかった。

かくも夜になったので源左はその男を自分の家に連れて来た。

早速家内の者に食事を仕度させ、遂にはその晩は泊めてやり、あたり前のようにもてなした。

そうして翌日は弁当をもたせ、幾許(いくばく)かの金をもやり、人目につかぬように朝早く立たせた。 男は源左を拝んだ。━

源左のこれらの逸話を読んでいると、良寛さんやミリエル僧正の姿が、ほうふつとして浮かんでくるようです。 まったく同等の心境のようです。 たいした者だと胸を打たれ、思わず、有難うございますといいたくなってしまいました。
 


                    *

或る日、草を背負って帰ってきた源左は、あやまって川に落ちて血だらけになった。

近くにいた友達が驚いて起してみると、源左は血の出ている片手をかかえ、「ようこそようこそ」 といっている。

友達があまりに不審に思うて、 「おまえだん、傷しとって何が有難いだいのう。」 源左は 「片腕折れても仕方がないに、ようこそようこそ」 と感謝していた。


 
                    *

源左の長男が死に、引き続いて次男が死に、災厄が重なった。 願正寺の住職が 「爺さん、仏のご慈悲に不足が起りはせんかいのう」 と尋ねると、源左は

「有難うござんす、御院家さん、如来さんからのご催促でござんす。之でも往生は出来んか、之でも出来んかと、ご催促でござんすわいなあ。 ようこそようこそなんまいだぶ」

どんなに不幸や災難があっても、自己の宿縁と諦め、私流にいえば、消えてゆく姿として、如来様の慈悲による本心開発のためのものとして感謝しつづけて生きる、この源左さんの心に感涙させられます。

世界平和の祈りの同信にも、この心境に近い人々がでてきていることを私は有難いことに思っています。

    


           「生きている念仏」 五井昌久 白光出版




 

 

« 今、私たちの前に現われていることとは? 1 | トップページ | 心を強くする 1 »

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/160971/53246766

この記事へのトラックバック一覧です: 今、私たちの前に現われていることとは? 2:

« 今、私たちの前に現われていることとは? 1 | トップページ | 心を強くする 1 »

最近のトラックバック

2017年3月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  
無料ブログはココログ