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2013年9月 1日 (日)

業想念と本心を区別せよ 2

 

神仏だけを相手にする


 

親鸞は、悟りとか救いというものは、業想念の波を相手にして、いいの悪いのといっていたのでは、いつまでたっても、成就するものではない、この業想念波というものを、一切相手にしないことによって、はじめて悟りとか救われの道とかに入り得るのだ、ということが判っていたのです。

業想念波を相手にしなければ、相手にするものは、神仏よりなくなってきます。

神仏だけを相手にしていれば、自分もいつの間にか神仏と等しいものになってくるのは必定です。

そこで、幸いに法然上人という偉大なる師が現われて、自分よりも先に、そうした原理を説いて、念仏一念の生活に大衆を導き入れているのを知り、すっかり感動して、弟子入りして、法然の教えを一歩進め、自己を一般大衆と同じ立場に落して体験としての易行道の教えをひらいたのであります。

法然門下には傑出した人々がかなりいたのですが、親鸞のように、自ら一般人のように妻帯して、俗人と同じ立場に身を置くほどに易行道に徹した人がいなかったようです。

この辺が親鸞をして今日まで不朽の名を残さしめている所以でありましょう。

大衆は身近な行為の人として、親鸞に親しみをおぼえているのであります。







       
「生きている念仏」 五井昌久 白光出版




 

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