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2013年9月20日 (金)

真理とは? 1




真理とは何か、簡単にいうと、人間の神の分け生命である、しかし想念の世界において生まれかわり死にかわりするけれども、本心は光り輝き自由自在なものなのだ、ということです。

それを信ずれば、信じただけで永遠の生命を覚得したことになるのです。

というけれど、信じることがむずかしい。

“見ずして信ずるは幸なり” という言葉がありますが、私は見ずして信じたほうです。

私は大体、二十何才まで、霊界があるとか幽界があるとか全然思わなかった。

霊媒には随分会いましたが、くだらない感じがするのですね。

暗い変な妖しげな顔をした人が多いのです。

私は知性的であり、直感的なのです。

両方がうまくまざっているのです。

ですから変な霊媒のお婆さんでも馬鹿にしない。

人のいうことは素直にきくのです。

素直にきくけれども信じはしないのです。

大体妖気のただよったようなお婆さんだったから信じなかったのでしょう。

やっぱり人格が高潔で立派な人がいえば信じましょう。

湯川秀樹がいったら本当だろう、小泉信三がいったら本当だろうというようになる。

ですから人格というものが大事なのですね。

いつも明るい正しいあの人がいうのだから本当だろう、という人間にならなければ信じないわけです。

少年から青年期にかけて私が会った人たちというのは、あまり上等でなかったのかもしれないけれど、幽界のことも霊界のことも信じなかった。

そんなことに関係なく、神の存在は子供の頃から信じていた。

宇宙大自然の不可思議なる動きは、何か叡智ある存在が動かしているにきまっている、ということは信ずるとか信じないとかいう言葉でなく、信じていた、思いこんでいたのです。

ここに人間が生きていることは神さまによって生かされている、と思っていたし、神さまから生命を与えられているということを、何んの不思議も、なんの疑問もなく思っていました。

そういうように思っている人は随分います。

けれども反面そう思えない人が随分います。

神を信じているというのにも二通りありますネ。

青年時代の私は、神さまは人類に力を下さり、生命を下さっている。

しかしあとは関係ないんだ、という信じ方。

つまり、神は完全なる理想像であって、神さまから生命が来たことは間違いない、万物は神によって成っていることも間違いないけれども、この人類を、自分自身を立派にするには自分の努力以外にない、と思っていたのです。

自分が一所懸命努力し、自分が一所懸命勉強することによって、神さまみ心をここに現わすことが出来るのであって、神さま神さまとすがっていれば神さまが助けてくれる、なんて私は全然思っていなかった。

だから自分でなんでもかんでも一所懸命にやらなければ、と思って、実行していました。

それだけでは足りないのだけれど、それが非常によかった。

その考え方に加えて、いざとなれば、神さまは絶対に正しいものの味方をして助けてくれるんだということが加わり、法則にのりさえすれば神のみ心そのままを現わすことが出来るんだ、ということが加われば、なおよかったけれど、なかった。

だから、若い時は随分けんかもしました。

自分が正しいと信ずることは、上役であろうがなんだろうが、ぶつかっていって、くびになるのを覚悟でもって、刺し違いするくらいな気持ちでぶつかっていった。

そういう激しいものがありました。






      
「質問なりませんか?」 五井昌久 白光出版



 

 

 

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