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2013年8月28日 (水)

生きるということ 

 

最近、著名人の人の自殺が増えているように思います。

私は生まれてこのかた(55年)死にたいと思ったことは一度もなく、そういう意味では幸せな人生を送っているのかな? と思うのです。

ですから

「死にたい」という人の心境がよくわからなのではありますが、その人たちは死後の世界のことであるとか、死ぬとはどういうことであるのか? 死後はどうなるのか? 魂(心)はどこへ行くんだろう? だとか少しは興味を持って調べていたのか?とかそんな余裕もなかったのだろうか?とかおおよそ憶測でしかわからないのです。

わけもわからずにただ現実から逃避したいと思っていたのが大半で

簡単に命を捨てているようにも思います。

しかし、生と死が隣りあわせであることだけは確かです。


有名な武士が

「武士道とは死ぬことと見つけたり」

と言っているのですが

真剣に生きていれば、死も生もないのだと思います。



五井先生の 生きること(「生きている念仏」) から抜粋しますが

死ぬことがなんの解決にもなっていない、そして肉体界にいる方が楽であることを知って、無闇に死ぬことを避けていただけたら幸いに思うのであります。

 

 

生きるということ

生命がそこに生きていること

この地球界には、30数億(昭和43年頃)の人が生活しているのですが、真実に自分の生命を生き切っている人がどのくらいあるでしょうか、又生きるということの真実の意味はどういうことなのでしょうか、生きるということ生かされていることなどについてお話したいと思います。

普通言われている、生きるということは、赤ん坊として生まれ出たその日からはじまっているわけで、その人が病気になり、或いは老衰して、只単にわずかに息づいているだけでも、息ある限りは生命がそこに生きているということになっているわけです。

そして息の根が止まった時が死んだ、ということになるのです。

ですから、如何なる聖者も、如何なる健康な人でも、いつかは、死の時期を迎えて、生きるということに終止符を打つことになっているのです。

ところが実は、生きるということは、50年や100年のそんな短い生命の働きの期間をいうのではないのであります。

肉体が息づいているということが、そのまま生命が生きているということではないのです。

肉体が息していようといまいと、存在しようとしまいと、その人の生命が生きているということには、変りはないのです。

但し、生き方が変化したということはいえるのであります。

この人変なことをいうな、肉体が滅びれば、その人は死んだにきまっている、と私の著書などをはじめて読む人は、私の話していることを不審に思って、そんなつぶやきを漏らすことでありましょう。

しかし、そういう人は生命というものの本質をあまりよく知らないからそういうだけで、私のいうことは真実の言葉なのです。


 

人間の本質

しかしながら、こういうようないい方をはじめからしていますと、戸惑う人が非常に多いと思いますので、最初に人間の本質というものから説いてゆきたいと思います。

私が毎回のように申しておりますが、人間というのは、肉体を纏った、こうした肉体身だけではないのです。

肉体身は人間生命の纏っている一つの衣であって、人間そのものではありません。

不幸な境遇の人たちが、よくいう言葉ですが、こんなにいつも不幸なら、死んでしまった方が余程増しだ、という言葉です。

死んでしまう、つまり肉体身を滅ぼしてしまえば、それで自分の不幸な境遇が消え去ってしまうと思っているそうした人の考えこそ、より不幸な考えなのであります。

死んでしまう、肉体を滅してしまえば、それで自己の意識が無くなり、自分というものの存在がすっかり無くなってしまう、と思っている唯物的な考え程、愚かしいものはありません。

どのような方法で、肉体を死なせたとしても、その人自体が死ぬわけでもその人の自己意識が無くなるわけでもありません。

その人は、或る期間は眠りと同じように、意識を失っていることはありますが、やがて時間がたつと、失った意識が復活してくるのです。

そして再び自分の存在をはっきり認識してくるのです。

そして、肉体界にいた頃の想念の渦の中に巻き込まれてゆくのであります。

しかしながらその人には、最早、肉体身はありませんので、肉体身よりも微妙な波動の幽身の中で、その人の想念が循環し、行為となってゆくのです。

ところが幽身は肉体身のように循環のしかたが遅くはありませんので、非常なスピードで、その人の想念行為が、その人自身に還ってきて、自己の出している想念波動の通りの世界を、自己の環境に繰りひろげてゆくのです。

神を認めていない人は、神のない光のない世界、闇の世界を経巡ぐり、不幸の想いに把われていた人は、不幸の想念波動の世界で、翻弄されつづけるのです。

私たちはその原理をよく知っておりますので、この世の不幸や災難は、すべて消えてゆく姿と思って、自分の不幸を嘆く想念の中にいつまでも把われていずに、世界平和の祈りの中に、そうした想念ごと入りきってしまいなさい。

そうすれば、救世の大光明の慈愛の光が、あなたの不幸災難の起こってくる過去世からの業因縁をすっかり消し去ってくれますよ、と説いているのです。

 

       「生きている念仏」 五井昌久 白光出版




  

 

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