人生と選択ダイジェスト
今、西園寺昌美著 「人生と選択」 を読んでいるのですが、心が洗われるようなのです。
それも何回も読んでも感動が湧いてくる。
真理を書いている本というのは、真理(本当のこと)に気づくだけではなく、魂が洗われるのです。
そして魂が喜ぶから感動が湧いてくるのです。
巷にはいい本がもちろんたくさんあるのです。
気づきの本も多い、著者の素晴らしい人生を描いたものを読むと自分も同じように疑似体験したようになってその人の人生を自分のものにすることができる(完全ではありませんが)
すると自分の器がその人の人生の分だけ大きくなるのです。
しかしどれだけ素晴らしい本だとしても、次元は3次元の終りで止まっているのです。
書いた人の意識が肉体意識だと3次元から上へはいかないのです。
だから魂が洗われるような高揚感は残念ながらないのです。
だがしかし西園寺昌美さん、五井先生、于先生のご著書は次元を超えた高い高い響きがあるのです。
これから地球が次元上昇していく上で、これらの著書が読まれていくのだと思うのです。
ブームが来ることを確信するのです。
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そこで今回は西園寺昌美さんの 「人生と選択」 の中で響いた内容を抜粋してみたいと思います。
真理の言葉(文章)は光っているのです。
断片的であっても、つながっていなくてもみなさんの心に ビビッと響くのではないか?
そんな気がしたのです。
よかったらお付き合いください。
そしてビビッと頻繁にきたのなら、買って読んでください(笑)
よろしくお願いします。
P22
しかも守護霊様、守護神様は遠い世界から守っているのではない。自分たちのすぐ近くで守っておられるのです。 私たちは3次元の世界に生きているけれど、3次元と4次元の世界はらせん状になっており、その二つの次元が同時に存在する所に守護の神霊はいらっしゃいます。
そのようにして、常に私たちを見守ってくださっているのですから、私たちが守護の神霊に思いを向ければ、神霊方はさらに守りやすくなり、運命もよいほうへ導かれてゆくわけです。
P31
「世界人類が平和でありますように」、この一言の中には、自分を含め、愛する家族を含め、全人類の幸せが入っているのです。 と同時に、嫌いな人、絶対に自分では 「あんな奴祈ってやらない。俺をここまで追い詰めた奴。 あいつが幸せになるなんてとんでもない。あいつは地獄へ行けばいいんだ」 と憎しみを持っている人も含まれています。・・・・本来の光輝いた自分、どんな想いにも動じない自分は、すべての人の幸せを願っています。
その本来の自分の願いと一つになれる祈り、大真理に基づいた祈りだからこそ、素晴らしいのです。
P35
今現在も人知れず世界を救っている人たちがいます。
「世界人類が平和でありますように」 この祈りは50年前より地球上にプールされて、今は地球を取り巻くように、世界各国各地で鳴り響いています。
この祈りはすごいのです。 自分の人生の選択をする際、この祈りを祈っていれば真理に基づいた選択が出来るので、今までの間違っていた選択が、自然に真理の選択となるのです。
P37
幸せになるための一つの選択の基準を申し上げます。自分の利害損得、欲望や世間体で選ばないこと。
人に悪く思われても、世間が何と言おうと、両親が反対しても、自分の自由なる意見、自由なる意志で自らの信ずるよき選択をすること。 その選択は必ず、素晴らしい結果を生みます。
P42
宗教は本来、この世に必要ではございません。 困難が起きた時に誰かに頼り、縋り、祈って苦しみをクリアしていくのを宗教と言うならば、宗教は全く間違っております。
宗教とは本来、人間がどのように生きていくべきか学ぶものです。
困難があろうとも、苦しい時があろうとも、自らの力を発揮してそれを乗り越えるためのものです。 その時に沸々と湧き上がる “出来た” という喜びは、他の人が自分の困難や苦しみの状況を解決してくれた時とは比べ物にならないほど、何にも代えがたき至福なのであります。 その至福を味わいながら人間は成長していくものであるし、そうでなければならないと思います。
P45
五井先生は 「自分の幸せを祈ってもいい、でも最後に世界人類が平和でありますようにをつけなさいね」 とおっしゃいました。それにより、私たちの意識は個人的な小さな願望から人類的な願いへと導かれ、その愛の響きによって、いつしか苦悩も消え去っていったのです。
P46
・・・・・ただ皆様の心の中にある、自分以外の人のことを思う気持ち ━ 世界を見回してみると、私たちと比較にならないほど虐げられ、差別されている人々がたくさんおられます。その中で何か自分たちに出来ることはないかと思った時に湧いてくるもの、それが本当の祈りであると思います。
P48
他と比較して、自分だけが苦しい、自分だけが悲しい、自分だけが駄目なのだというのは正しくございません。 みな人に言わないだけ、人に隠しているだけです。小さなことを大きく言う人もいれば、大きなことを小さく言う人もいて、千差万別、人それぞれ異なっています。それもまた個々の人生です。
ですから他と比較した自分など本来存在しないのです。あくまで徹底して自分を見つめ、自分自身を知ることが大事です。
自分は何のために生まれてきて、何をしたいのか、皆、いろいろな環境に縛られている。その中でいかに自分らしらを発揮し、自分の人生を創造していこうかというのが人生であるわけです。
P50
人生は自分の心次第でいくらでも変わるのです。しっかり目標が定まった人は決して苦しみを苦しみとは思わないのです。 それを知ることが真理を知るということなのです。
真理とはなにかというと、宇宙の法則です。 宇宙の法則を知ることが、苦しみから自らを解放していく道となるのです。
無知という言葉があります。真理から見れば、無知ほど重き罪はございません。
無知ということは、自分はそれを知ろうともしなかった。それに対して努力もしようとも思わなかったということです。
自分自身で作り上げた苦悩を他に解決してもらう。偉い人に教えてもらう。宗教に縋ろう。お祈りをしてもらおう。それによって一瞬、その苦しみから逃れることは出来ます。
けれども本当に自分の意識が変わらなければ、また同じ状況が訪れるのです。
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つづく
「人生と選択」 西園寺昌美著 白光出版
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