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2013年8月 7日 (水)

無心の中に神様はいるのです。

 
・・・・・マラソンをするにしても、心の中にモタモタしたものがあって走っていたのでは、うまく走れません。

でも無心の状態でやっていると力が出てくる。

スポーツを見ていると一番よく判ります。

野球なんかでも、打たなきゃ、打たなきゃと思うと、力んでしまって打てなくなってしまう。

無心でバットを出すとどんどん当たる。

そういうように無心になることがいいのです。

無心になるためには、祈り言葉の中に、祈りの中に入っていればいいんです。

無心の中には神様のみ心があります。

神様そのままの、生命を下さって人間を生んでくださったもとの心は無心の中にあるわけです。

無心ということは自分の心がないということ、想念がないということです。

しかし、想念がなくなるわけにはいきませんから、神様の中に入れてしまって、神様のみ心とすり換えてしまえばいいわけです。(いつの間にか肉体意識を神意識に入れ換えるのです)

そこに日頃の修練が生きるわけです。

いくら日頃修練していても、例えば野球の練習をしたって、試合で打てやしません。何も思わない時には成績がよく上がる。

それはスポーツばかりでなくて、すべてがそうなのです。

そこで老子は、無為にして為せ、コチョコチョ小智才覚で思うのではないのだ、みんなおまかせして神のみ心のままに行け、と言うんですね。

それには、やっぱり祈り言葉というものがないと、なかなか出来るものではない。

そこで世界平和の祈りというものが生まれているのです。

だから祈りに住して祈りに把われず、祈りながらしかもそれに把われないで、日常茶飯事のことを一生懸命やる。

祈っているから私は何もしない、なんてただボンヤリしていたって、それではどうしようもない。

祈り心で、しかも家庭の主婦は一生懸命家庭の仕事をし、学生は一生懸命勉強をし、サラリーマンは会社で一生懸命働く。

そうすると祈りの心がそこに生きて来て、すべてがうまくゆくわけです。

神様におまかせしていると、自然に気力が充実してきて、自然に動いて何かしなければいられなくなる、それでいい仕事が出来るようになるのです。」 ( 白光出版 『天の心かく在り』 )




 


 

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