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2013年8月13日 (火)

親の心がまえ

 
肉体界の親は、真の親子ではなく、肉体界限定の目にみえる世界だけの関係なのです。

子とは肉体界で仮に預かっているだけ、20歳を過ぎれば、世間にお返しする、かぐや姫のような存在なのです。

だから20歳を過ぎれば、兄弟姉妹のような関係になればいいと思うのです。

そう思えば、自分の思い通りに育っていなくても出来の悪い弟や妹である、年の離れた兄弟なんだと思えば、客観的に観れるし、余裕を持って接することが出来るように思うのです。

兄弟姉妹だから、そんなに責任を感じることもない

「ちゃんと育てなければ」

「親子とは、親とは子とは、こうでなければならない」

というねばならないという執着が消えます。

でも、忘れてはならないのは

ほんとうの親は、その人を常に見守っている守護霊さんなんだということです。

肉体の親は、子どもの心の中まで入っていくことができない

何を考え何をしようとしているのか、わかることができない(しかし守護霊さんはわかっているのです)

だからフォローもできないし、それどころか子どもの表面的なことだけを見てしまい、かえって余計な心配しかできないのです。

「親はなくとも子は育つ」 の言葉のように

子に対して執着むき出しの親ならば

肉体の親なんぞはいない方がいい場合も随分とあるのです。

20歳を過ぎれば、子は自分で自立しようとします。

親から離れて、一人で生きていこうとします。

それを邪魔をしてはいけないのです。

兄弟姉妹のような関係が良いからと言って

「兄弟は他人の始まり」

という言葉があるように

まったく無関心で他人のようであってもいけないけれど

仲はいいけど、お互いに干渉し合わない

ちょうどいいくらい距離の離れた

兄弟のような関係・・・・・

息子とはそんな距離感で付き合っていきたいと思っています。



 

親の心がまえ
 



神は人間の根本であり、人間そのものである霊であって、永劫に離れ得ぬものであり、人間の親子は、生命の親子ではなく、生命の器である肉体における親子であって、肉体的における生命の活動が子自身においてなし得るようになれば、親とは全く別個の肉体人間となり得るのであります。

この相違をよく考えないと、親はつねに不幸になるのであります。

子は自分のものであると親が思っている以上は、子に対して執着が出るのは当然であり、子に対して自分の要望をかぶせ、自己の意思を強いようとする態度に出がちなのであります。

この執着を逃れる道は、親も子も生命においては兄弟姉妹であって、真実の親は神の他にはないのである、という真理を知ることなのであります。



        
「日々の祈り」 五井昌久 白光出版


 

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