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2013年8月 7日 (水)

「世界人類が平和でありますように」 はなぜ素晴らしいか 1


 
人間関係には、必ず好き嫌いが出てきて

気の合う、好意的に思っている人には

「幸せになって欲しい」

「善くなって欲しい」

と思えるのですが

嫌いな人には

どうでもいい

どちらかといえば天罰が下ればいいと思ってしまう

しかし、自分の心の奥底は

そこまで残酷ではなく

自分が大嫌いな人も、憎い人も、恨んでも恨んでも恨み足らない人のことも

「平等に深く愛さなければならない」 と思っているのです。

表面の自分の心は悪魔だけれど

心の奥深いところでは、愛に溢れている

いったい

「自分の心の中はどうなっているのだろう?」

「どちらが本心なのだろう?」

と思うのです。

人間とは 性悪説が正しいのか?

性善説が正しいのか?

 

「この人は愛が深い人だなぁ」

と思っていた人が

案外、性悪説を唱えていたりしてびっくりすることがあります。

私の説?とは

人間はたとえどんなに悪が現われていても

それは、悪いものが消えてゆくプロセスであり

やがては(時期を経て)

素晴らしい 神性(神の子の姿)を顕わすものである

と思っているのです。

ただしそのためには人間の意識を変えなければならない

神と悪魔の玉石混交とした姿から

神の姿だけが現われるような

相手の人が神そのもののような人になっていかなければ

性善説は

絵に描いた餅になってしまうのです。

そうならないために

祈りがある

私は、「世界人類が平和でありますように」 という祈り言葉がこれほど素晴らしいものであったと感嘆したことはかつてありませんでした。

今回改めてその素晴らしさに気づいたのです。

それは、どんな人にも幸せになって欲しい

どんな人にも平和な心になって欲しいという

大愛が込められた祈り言葉であったことを知ったからです。

「世界人類が平和でありますように」

の人類の中には宇宙人類も入っているのですが

自分が大嫌いな、名前を聞いただけで虫唾が走るようなどうしようもなく苦手で許せない人もその中に入っているのです。

そして

「○○さんの天命がまっとうされますように」

と祈れたなら

もう最高です。

相手の天命がまっとうされることを祈るとは

「○○さんありがとう、○○さんが幸せになりますように」

と何百回、何千回も繰り返して言うくらい

愛が込められた 言霊 なのです。

相手の天命を祈るとは、地上に生まれてきたことを祝福すると同時に

天から与えられたミッションが達成されることをその人に代わって願うということなのです。

これ以上に深い愛の言葉はないのです。


嘘でも、本心ではないと思いながらでも

祈っていると不思議なのです。

自分の心の中が愛で満たされてきて 

相手への憎悪が薄くなるのです。

そしていつの間にか

相手を赦す気持ちになっている

愛する気持ちにすり換わっている。

それは自分の境地(心境)が変わったのです。

過去が時空を超えて消えてしまったのです。

「世界平和の祈り」 には因果関係を超えて新しい関係をつくり直す力があるのです。



  

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