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2013年8月31日 (土)

波動ってなんだろう? 3




悟りはもはや時間の問題


 

その方法を私は、消えてゆく姿で世界平和の祈りとして宣布しているわけなのであります。

自己の想念を光明化させるということが悟りの重要点なのですから、大光明波動に直結している世界平和の祈り言を常にしていれば、誰でも神我一体に成り得るのでありますが、その人その人の消えてゆく姿の量によって、悟りを開く時間の違ってくるのは止むを得ません。

しかし、一度大光明波動の軌道に乗れば、その人はやがて神我一体に成り得ることが確定しているのであります。

人間の唯一の救いというのは、人間は本来、神の分生命であって、完全円満のものである、ということでありまして、瓦を磨いて宝石にするのではなく、本来、宝石であるものの、汚れを取って、宝石である本心を開発してゆくだけなのです。

そうでなければ、人類は永劫に救われることはなく、やがては地球が壊滅してしまうにきまっているのです。

しみじみ有難いものだと思います。

ですから私共は、常日頃から自分の想念を大事にすることを怠ってはいけないのです。

誤った自分の想念波動は、只単に自分を汚すだけではなく、人類そのものを汚してゆくことになるのであります。

自分の出す想念を常に神のみ心(本心)の愛と調和に合わせておくようにすべきなのです。

だがどうもなかなかそうはゆかないでしょうから、私は奥の手の消えてゆく姿をつかうのです。

愛と調和にそむいた想念が出た場合には、ああこれは消えてゆく姿だな、神様どうぞ、一日も早くこういう誤った想いは消し去って下さい、というような気持ちで、世界平和の祈りをするとよいのです。

そうしますと、無理なく気張らず、自分のそうねんが、愛と調和に充ちたものになってゆくのであります。



 

世界人類が平和でありますように

日本が平和でありますように

私たちの天命がまっとうされますように

守護霊様ありがとうございます

守護神様ありがとうございます

 

 
        「生きている念仏」 五井昌久 白光出版





  

 

波動ってなんだろう? 2

 
 

高次元の光明波動に同化させる

 

いつも申しておりますように、この宇宙世界は、すべて波動でできております。

眼には見えぬ光明波動や想念波動もありますし、物質化し固体化している物質波動もあります。

物質が、細胞分子から原子、電子というように微粒子になっていることはすでに科学的な常識でありますし、その電子や中間子、中性子などは、究極は波動になってしまう、ということも定説になっております。

想念の方は勿論波動でありまして、相手の想いがこちらにうつってきたり、こちらの想いを相手にみすかされたりするのは、波動が伝わり合うからなので、一口に雰囲気といわれるのは、それぞれの人々が常時発している想念波動の気なのであります。

この想念波動と物質波動とは、不離密接なる関係がありまして、想念波動は物質波動に影響し、物質波動も想念波動に影響するのであります。

昔のインドの婆羅門(バラモン)や日本修験者たちが、自己の念力で岩を動かしたり、水を湧出させたり、火を起こしたりした例は随分とあるのでありまして、今日の心霊者たちが、物質浮揚現象などを起しているのもその例なのです。

しかしこれは顕著なる例でありますが、このように目立って行われずに、はっきりとその場その時は目立たないが、いつの間にか、影響し合っている、というのが通常なのであります。

その事実を多くの人々が気づかずおるだけなのです。

私はこの想念波動のことをよく知っておりますので、人間の想念波動を、宇宙神の完全円満なる大光明波動と一つのものにしてしまうのが、宗教の奥義であることがよく判るのです。

ですから、その道に進んでゆきさえすれば、何も滝にあたったり、山に籠もったりする、難行苦行をしなくともよいのであります。

どうしたら日常生活をそのままつづけながら、大光明波動と一つになり得るか、ということが問題になってくるだけなのです。

南無阿弥陀仏や南無妙法蓮華経の唱名方法や、様々な呪文というのは、みな一つに波動に同化してゆく為の方法なのであります。

自己の想念波動を、一番高次な光明波動に結びつけてしまって、ついには、高次な光明波動そのものに、自己の波動が成り切ってしまえば、その人は神我一体(悟った、安心立命、感情を超えた状態になる)の人ということになるのです。

  
 
       「生きている念仏」 五井昌久 白光出版



 




 

 

波動ってなんだろう? 1

 
 
私が日々、勉強しているのは調和波動気功法なのですが

さて、波動っていったい何なんだろう?

波の動き? エネルギーのこと? 目にみえない微粒子のこと?

宇宙(神様)の働き? 気のこと?

すべてその通りなのです。

波動とは、ずばり宇宙のエネルギーのことです。

波動がわかるようになれば宇宙のこと、すべてのことがわかるのです。

人間は波動がわかるようになれるのか?

なれるのです。

波動がわかれば、自分のことも相手のことも、地球のことも、宇宙のこともすべてがわかる。

なぜならば、人間は宇宙(小宇宙が人間です)そのものだからです。

波動がわかるようになるためには、大宇宙と波長を合わせることが必要なのです。

南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)も南無妙法蓮華経(なむみょうほうれんげきょう)などのお経(祈り)も宇宙(仏)と一体となるものだったのです。

宇宙と一体となれば、パーフェクトなのです。

人間は不完全だけど、宇宙と一体となれば、神我一体となれば、人間のあらゆる苦しみ(生老病死)を超えるのです。

人間は今こそ、肉体人間意識を超えて、宇宙(神)意識になる時期が来ているのです。

そこで波動とは何かをわかりやすく述べている五井先生の文章をご紹介します。

よろしくお付き合いください。


 

 調和波動気功法とは 


 

http://homepage2.nifty.com/hmwave_goldendoor/



調和波動気功法(ハーモニー)


http://www.harmony-wave.jp/
 

オーラ・オーラ

http://auraaura7.com/


健康になるための気功教室in 大阪


http://orientalwind.info/



 

2013年8月30日 (金)

光輝いている言葉 3

 

・ 人に話しをする時はプラス思考で話すと2倍になって返ってくる。 静かになる、自分をみつめる、プラスのエネルギーを出す。 プラスのエネルギーは2倍になって返ってくるのは宇宙の法則。
 

・ 人と自分が上手に付き合う方法

 自分自身を尊いと思い、相手も尊いと思う。 そしてお互いを向上させる。

 

・ 一日を完全燃焼させる。 今日一日で死んで生まれ変わると思う。 毎日死んで毎日生きる。
 
 
・ 一世一代

 今日は一世一代の日だと思う。 全力投球。

 
・ 来世でも仲良くしようという気持ちで付き合う。

 相手の中に神様のひびきを見るとその人が良く見えてくる。 いいアドバイスができる。
 
 
・ 動作を美しく、 言葉を美しく。
 

・ 自分で調和のエネルギーを創っていく。

 無限の言葉(光明思想の言葉)を10回以上唱える。(近々にお伝えします)
 

・ 人のせい、物のせいにしない。

 自分自身の反省、感謝に切り替える。
 

・ 幸せになりたいなら、苦しみから逃げない。

 根本的に自分が変わらないと自分が納得しない。
 

・ どんなに苦しくても吹き飛ばす位のエネルギーをつくる。

 印を組んで、祈って強いエネルギーでマイナスを吹き飛ばす。

  
   

     「無限次元への誘い」 于寿明 星湖舎




 

 

光輝いている言葉 2

 
 
・ 何か達成する度に自分に満足することを覚えると成長する。
 
 

・ 自分を含め全てを客観的に、全体的にみる。
 
 

・ 迷いは良くない。 悩むことは良い。 何故ならば悩みは目的意識を持っているから。 悩んで解らない時は、時を待つ。 他の方法を考える。
 
 

・ 気がついた時は即、行動すること。 後だと時期を逃す。
 

・ 無言の力は凄い。 自分の考えていることをすぐに人に言わない。 黙っていると力が湧いてくる。
 

・ 自分の人生は日々の想念で決まる。
 

・ 焦らない。 諦めない。
 

・ 反省、努力、勇気 過去は過去、未来に生きること。
 

・ 目的、希望、趣味を持つ人生であれ。
 

・ 愛深く、心清く、知恵深く、謙虚であり、不動心が大切である。
 

・ 静か、穏やか、明るく、すっきり、爽やかな生活。
 

・ 全てのものに感謝を忘れないこと。
 

・ 人に頼るよりも、人に頼られる人であれ。
 
 
・ その人の前にいくとスーッとする、楽になる。 そういう人になる。
 

・ 人に優しくする。 優しいだけではいけない。 相手に必要なら厳しいことを言うことも必要。
 

・ 自分を癒せる人は他人をも癒せる。
 

・ 自分を許せない人は他人をも許せない。
 

・ 愛は相手を解放すること。
 

・ 自分の心が喜ぶことを意識して生きる。平凡の中にある幸せを感じることが大切。
 
  

・ 人に元気、感動を与えることにより自分が元気、感動を得る。 自分を喜ばさないと人を喜ばすことはできない。

 

    「無限次元への誘い」 于寿明 星湖舎




 

 

光輝いている言葉 1

 

短い文章でも、ズシンと心に響いて感動することがあります。

私は言葉は、エネルギーだと思うのです。

エネルギーが言葉になった

エネルギー(目にみえない)が先で、言葉や文字、文章(目にみえるもの)が後から出来た

だから感動する言葉や文章には、素晴らしいエネルギーがこもっているのだと思います。

そして、真理の言葉は、光輝いています。

真理とは、本当の世界(宇宙、神界)からの摂理です。

宇宙や神界は光輝いているので、そこから直で降りて来た真理の言葉は

キラキラと眩いばかりの光を放っているのです。

そこで私のメンター(人生の師匠)である于先生のお言葉をご紹介します。(無限次元への誘いより)

読んでいると心が浄化されたようになって、そこからパワーが湧いて来るのです。

よろしければ、お付き合いください。



 

・ 明るく、笑顔で、優しい言葉、礼儀正しく、謙虚で思いやりを。
 

・ ふんわり、ゆったり、やわらかく。
 

・ 穏やかで、明るいということが一番。
 

・ 子どもは20歳までの預かりもの。
 

・ 身体をほぐすより、心をほぐす。
 

・ 祈り、印で無条件に癒される。
 

・ 陰徳を積むのに最適なのが、印を組み、祈ることです。
 

・ 自然体で生きる。
 

・ 自分のすることに責任を持つ。
 

・ 自分の置かれた環境で精一杯頑張る。
 

・ 自分の響きを素晴らしくするという目的意識。
 

・ 自分に抑圧をかけない。
 

・ 何事にもとらわれない。 魂が進化することを一番に考え、祈っていくと、すべてうまくいく。
 

・ 仕事を通して、いろいろな人に会い、喜び、悲しみに出会い、人として磨かれていく。
 

・ 人に好かれる事を考えるより、人を好きになる。
 

・ 幸せ、健康、能力、若さ等、自己限定しない。 自己否定しない。限界を超えていると思うことをしてみるとパワフルになる。
 

・ 人と自分を 分析 ・ 分別 しない。 他人と比較しない、自分は自分で良い。

・ 自分を大切にする。
 
 

・ 自分に厳しくする事により、楽しく生きやすくなり、人に優しくなれる。
 

・ 身体と心がとらわれると不自由になる。 良いことにも悪いことにもとらわれない。 気持ちを切り替えることが大事。
 

・ 目標、目的を探す。 祈っていたら与えられる。
 

・ 自分が光の発行体になる。自分独自の力を発揮する。
 

・ 無意識でも人に頼っている間は発信体になっていない。
 

・ 自分の感情をコントロールする。




 

        「無限次元への誘い」 于寿明 星湖舎

2013年8月29日 (木)

自分は素晴らしい! 3

 

皆様方の意識が自分の人生すべてを創る。

「あなたはダメだ」 と人が言った言葉をあなた方は受け取るでしょう。

最初から 「自分はダメだ」 と思っている人はいません。

しかし、先生とか両親とか友達とか意地悪な人たちが 「ダメだ」 というと、それを掴んでしまう。

そして自分はダメだダメだと自己限定してしまう。

その限定がダメなのです。

いいではないですか。 人はどんなことを言ってもそれはその人の自由です。

人に対して怒ることはない。

自分で掴んで、自分で四六時中言い聞かせているのです。

私はダメなのだ。 私は出来ないのだ。 私は頭が悪いのだ。 私はお金がないのだ。 自分で言い聞かせているから、自分の言い聞かせたものが意識になって、それが自分の人生を創っているのです!

皆様方は五井先生につながって、我即神也、すべて成就! というポジティブな真理の言霊を授かった。

それによって消えてゆく姿を掴まなくなった。

掴んでもそれは出ていく。

どんな人も過去世はいろいろなことをしています。

強盗だったかもしれない。 私だってテロリストだったかもしれないし、前世はいろいろありました。

でも今はこうやって人のために尽せる人間に変わってきている。

それなのに過去のものを掴んで、自分は人を導く資格がないという部分を捉えたら今、ここにいないでしょう。

それはそれです。

その代わりにいいことをするのです。

今日、「人間と真実の生き方」を一回唱えただけでも全人類の意識が変わっていったのです。

光明思想、大地さん有難う。水さん有難う。そのように祈っている人のことを、どんな大波が来ようとも水は救います。

大波が来たら、99パーセントの人は呑み込まれるに決まっていると思うでしょう。

しかし皆様方は違います。

仮に呑み込まれても、一本の木のところや家、陸地のところへ連れていかれるのです。

なぜならば、すべてはつながっているからです。

今までずっと祈り、神様とつながっている、大地もわかっているからです。

皆様はこれだけ感謝行をしている、印を組んでいる・・・・・そのような人を死の世界に連れて行ったらもったいないことが石にも水にもわかるから、津波があっても、地震があっても、噴火があっても、祈っている皆様は救われるのです。

今日は大成功、大成就です。





          
西園寺昌美さん 白光誌 9月号より




 

 

 

自分は素晴らしい! 2

 
素晴らしい神事(祈り、印、マンダラ)を行なってきた人に対して 「個人的なこともイメージしたことが成就するのです」 と西園寺昌美さんはおっしゃっているのですが、まだ自分を信じ切れていない人たちに言っておられる言葉です。
 

 

なんでもいい。一つのものをイメージするのです。イメージ出来ないものをイメージしても、それは可能になりません。達成できるイメージをはっきり捉えて、それを成就するのだ、とここで今日、宣言することによって、ガラッと自分の意識が変わるのです。

なぜこれを私が何回も説明しますかと言いますと、人類は自己価値観が低いからです。

「昌美先生はそうおっしゃるけれど、自分はまだこれを受け取る資格がない。自分はまだいい人ではない。光明思想だけで生きられる人間ではない。陰ではしょっちゅう悪口を言っている。批判も怒りも憎しみも抱いてしまう。歯ぎしりしてストレスが回るほど、否定的なことを考えている」

それらはすべて過去のものです! いいですか、よく聞いてください。

我々の生命、私の生命、あなた方の生命は神(創造主)の生命なのです。 神の生命です。

神の生命そのものを受け取っている自分が、出来ないなどということはない。

ダメなことはない。誰がそれを制限しているのか。

自分自身です。 自分自身がそれを制限して、四六時中ダメだダメだと語りつづけている。

自分の生命は神の生命、その原点は我即神也。

それを思った時に、出来ないことはないのです。

過去の自分は誰でもあります。 私にだって今もあります。

しかし、過去に犯した罪、過去に犯した何々というふうには引きずっていません。

いい行いをし、いい言葉を世界に放つことに比べたら、過去にしてしまったことは、水蒸気の一滴にも値しないほど微々たる否定的なカスです。

そのカスを掴まえて、

「自分は受け取る資格がない」 と思ってしまう。 しかし、ここにいらっしゃる方は誰もが神事を行なってきて、世の中を平和にしたい、人類を変えたい、自分も含め、生きている人たちすべてを幸せにしたい、貢献したいと思っている人たちばかりです。

自分の過去の罪や、出来なかった不安や、人に言われた言葉・・・・そうしたものが神事をするのではない。

神の生命がさせているのです。

我即神也=神の生命、自分の生命=神の生命です。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



 

自分は素晴らしい! 1

 
 
「あなたは素晴らしい!」 と心から絶賛することは出来ても

いざ自分のこととなると “私は素晴らしいんだ” と思えることは難しい、いや自分のことをそんなふうに思うなんて傲慢だ! 恥ずかしいことだと思ってしまう。

しかし、自分の素晴らしさがわかり、認めなければ、本当は相手の素晴らしさなんてわからないのです。

あくまでもベースは自分なのです。

自分のことを過大評価でも過小評価でもなく等身大に客観的に観れてこそ、外の(自分以外)ものをキチンと判断できるようになる。

ベースになる自分がわからないので他のものがあやふやになってしまうのです。

では、本当の自分とはなにか? 何者なのか? というと創造主そのもの、宇宙そのもの、神性そのもの、神そのもの

ただ今はそれが顕われていないだけ

今までに散々自分を卑下し、間違えて評価し、ジャッジし、自分はダメなんだと想ってきた、その過去世、過去の想いが今、自分の心の中に現われてきているので余計に自分を正当に評価することが出来なくなっている。

過去のことや自分の今の心境に把われて、自分に自信を失っている。 無限なる光!

だから自分に自信を持てない、しかし自信を取り戻したい!

だから、他人に素晴らしさを見出して、満足しようとしている

しかし他人の素晴らしさを認めるように自分の素晴らしさを認めてあげないといつまでたっても “自信がない” という状態が続くのです。

それでは楽しくないし、幸せではないのです。

西園寺昌美さんは、世界平和の祈りを祈り続けてきた人たちを絶賛しています。

自分の今の状況がとても世界の平和なんて祈れない状態なのにそれでも一生懸命に祈りつづけた人たちを励ましておられるのです。

「あなたたちは素晴らしい! だからもっと自分に自信と誇りを持ってください」

今の地球が滅亡せずになんとか持ちこたえているのは間違いなく

何十年も前からずっと祈りつづけ、地球(宇宙)にプラスのエネルギーを放ちつづけてきた結果なのです。

なんの根拠もなく、ただ

「自信を持て!」 と言っても それは無理です。

しかし自信を持っていい言動行為、祈りをしてきた人は、誰に遠慮することもなく

自分を 「素晴らしい!」 と認めてあげるべきなのです。

祈って、プラスの波動を発している人は、プラスの波動としか共鳴しなくなる。

だから悪い現象が起こりようがないのです。(宇宙はすべて波動で出来ているから)

反対にマイナスの言葉や波動を発している人はマイナスの現象と共鳴します。

この世(あの世も)は天国も地獄もない

天国と共鳴する人、地獄と共鳴する人がいるだけです。

祈っている人は救われる、善いことしか起こらないのは宇宙の法則であり、真理なのです。

次の日記でそのことを西園寺昌美さんが述べておられます。

白光誌9月号の中から抜粋してご紹介します。



 

 

魅力を感じる人 2

 

● 魅力的な人とは 1

自分の考えをしっかり持ち、それでいて押しつけがましくなく、当たり前のことが当たり前にできる人。

多くを語らずとも、その人が醸し出す雰囲気が、周囲の人をほっとさせ、その人の何気ない一言が、人の心を解きほぐし和ませる人。

ただそこにいるだけで、その人の周囲は自然と調和し、穏やかに変わっていきます・・・。

 

●魅力的な人とは 2

魅力のある人は、立ち振舞いが優雅で上品な人。

落ち着きがあり、きれいな言葉でわかりやすく話す人。

まなざしが柔らかく、あたたかく、愛に満ちた人。

いつまでもその人のそばにいたいと思える人。
 

● マイナスの感情がない

たった一瞬で印象に残る人は、そうでない人とどこが違うのでしょうか?

容姿の美しさではなく、普通だけど素敵な人、透明な印象。

それは大人にありがちな羨望や自己嫌悪、苦悩、欲望といったマイナスの感情が極めて少ない人。

● 癒しの魔法

平和な心からうまれる穏やかな目。

人柄がにじみでるような、周りを一瞬でなごませるような笑顔。

 

● 歳を重ねても美しい人

毎日丁寧に暮らしているのがわかります。

背筋を伸ばし、凛としている女性。

華美でなく、品のある女性。

 

● 笑う門には福来る!

笑顔の多い人は周りを明るくし、相手も思わず笑顔に変わります。

笑うことは、暗い波を引き寄せず、明るさを呼び込みます。

笑い声の絶えない家には自然と幸運がやって来ます。


 

     「無限次元への誘い」 于寿明 星湖舎




 

 

魅力を感じる人  1



「目的を持て!」 「目的意識が大事なんだ!」

「目的がハッキリしていないからダメなんだ」

今、誰と話をしていてもこの目的という言葉がついてまわるのです。

たしかに目的、目標は持った方がいい

だけど、そう言っている本人に

「あなたの目的とはなんですか?」

「なにを目的に生きているのですか?」

「それをすることの目的は何なのですか?」

と質問すると

「うーん・・・・・・・・」

と言ったっきり答が返ってこないのです。



それは、目的を自分がどうなりたいか?に設定してしまうからです。

どうなりたいか、になると

お金持ちになりたい、大きな家に住みたい、尊敬されたい、地位や名誉も欲しい・・・など欲望が絡んでくるのです。

しかし、本心、本当の自分はそんなちっぽけな自分になることを望んではいない

だから

目的を具体的に考えれば考えるほど、明確にしようとすればするほど

「???????・・・・・」

自分の本心が求めているものが何なのかがわからなくなる


それは願望(欲望)と本心の求めているものとが違うからです。

私は本当の目的とは自分がどうなりたいか(欲望)ではなく

どんな人になりたいかが正解だと思うのです。

優しい人になりたい、愛深い人になりたい、人に慕われる人になりたい、人に頼られる人になりたい・・・・

心はすべてのすべて、心が主でそれ以外のものはすべて従なのです。

心がすべてを決めるのです。


どんな自分になりたいかを目的にすることはどんな大きな目的よりも、大きな偉大な目的を持つことになるのです。

これ以上の目的意識はないと思うのです。

どんな人になりたいかが決まれば、そうなるためには自分はどうしたらいいかが、すぐにわかります。

すぐに行動出来ます。

自分の心をそこに設定することができるのです。


では、

どんな人にも共通する目的ってあるのでしょうか?

私はあると思います。

それは “魅力のある人” なのです。

みんな自分が魅力のある人になりたいと思っているのです。

 


魅力を感じる人

● 明るいエネルギーを放つ

その人はいつも明るく、にこやかで、どんな状況も楽しむ才能を持った人でした。

その人は、新しく起こってくること(変化)をおもしろいと思える日でした。

楽しむことによって、それがますます楽しくおもしろくなっていくことを、その人がよく知っているからです。

エネルギーは周囲の人へと波及します。

ある日のこと、毎日愚痴ばかり言っている人が、その人と一緒にいたときのことです。

魔法にでもかかったかのように、2人に口から出るのは楽しいことばかり。


 

● 魅力は内面から

綺麗な顔立ちで、お洒落やお化粧をしていてもエネルギーが老化していると魅力は感じられません。

なぜエネルギーが老化するのでしょう? ほとんどの人が嫌々仕事をしているか、ただボーっと毎日をすごしているからです。

マイナスの意識の中にいるのです。 マイナスの意識はエネルギーを老化させます。

エネルギーが老化すると身体も老化します。

目的を持ちましょう! 小さな目的でいいのです。

目的を持って生きている人は活き活きとしています。


 

● さわやかな挨拶

さわやかな挨拶は、まるで楽しい音楽のようです。

「おはようございます」 というたった一言で、周りの人たちを幸せな気分にできる人がいます。 さわやかな挨拶は、誰もが交換し合えるプレゼント。

そんな挨拶に出会うと、今日も一日がんばろうという気持ちになります。

そして、私もさわやかな挨拶で、周りの人たちに幸せな波動を届けてみたいと願うのです。

さわやかな空気は人から人へと伝わっていきます。 心からの愛のエネルギーを贈る挨拶は、自分も人も幸せにできる言葉なのです。



 

● どんな経験も糧にする

あらゆる経験を自分の成長の糧にできる人は、魅力にあふれています。

“ピンチはチャンス” とばかりに発想を転換させ、自分の成功と幸福をひたむきに信じ、逆境を切り開いていく人は、大きな感動とともに、勇気と希望を与えてくれます。

人は自分が信じたとおりの自分になっていくものです。

 

● 素直に謝れる人

自分をかばうことなく、素直に謝れる人は我とプライドを卒業した人です。

 


● 自分の気持ちをコントロールできる

周りの感情、自分の感情に振り回されない、平常心。

 

 

  「無限次元への誘い」 于寿明 星湖舎

 関連おススメ図書 「思いをカタチに変えよ!」 渡邊美樹 PHP

「思考のすごい力」 ブルース・リプトン PHP

 

 

2013年8月28日 (水)

生きるということ 

 

最近、著名人の人の自殺が増えているように思います。

私は生まれてこのかた(55年)死にたいと思ったことは一度もなく、そういう意味では幸せな人生を送っているのかな? と思うのです。

ですから

「死にたい」という人の心境がよくわからなのではありますが、その人たちは死後の世界のことであるとか、死ぬとはどういうことであるのか? 死後はどうなるのか? 魂(心)はどこへ行くんだろう? だとか少しは興味を持って調べていたのか?とかそんな余裕もなかったのだろうか?とかおおよそ憶測でしかわからないのです。

わけもわからずにただ現実から逃避したいと思っていたのが大半で

簡単に命を捨てているようにも思います。

しかし、生と死が隣りあわせであることだけは確かです。


有名な武士が

「武士道とは死ぬことと見つけたり」

と言っているのですが

真剣に生きていれば、死も生もないのだと思います。



五井先生の 生きること(「生きている念仏」) から抜粋しますが

死ぬことがなんの解決にもなっていない、そして肉体界にいる方が楽であることを知って、無闇に死ぬことを避けていただけたら幸いに思うのであります。

 

 

生きるということ

生命がそこに生きていること

この地球界には、30数億(昭和43年頃)の人が生活しているのですが、真実に自分の生命を生き切っている人がどのくらいあるでしょうか、又生きるということの真実の意味はどういうことなのでしょうか、生きるということ生かされていることなどについてお話したいと思います。

普通言われている、生きるということは、赤ん坊として生まれ出たその日からはじまっているわけで、その人が病気になり、或いは老衰して、只単にわずかに息づいているだけでも、息ある限りは生命がそこに生きているということになっているわけです。

そして息の根が止まった時が死んだ、ということになるのです。

ですから、如何なる聖者も、如何なる健康な人でも、いつかは、死の時期を迎えて、生きるということに終止符を打つことになっているのです。

ところが実は、生きるということは、50年や100年のそんな短い生命の働きの期間をいうのではないのであります。

肉体が息づいているということが、そのまま生命が生きているということではないのです。

肉体が息していようといまいと、存在しようとしまいと、その人の生命が生きているということには、変りはないのです。

但し、生き方が変化したということはいえるのであります。

この人変なことをいうな、肉体が滅びれば、その人は死んだにきまっている、と私の著書などをはじめて読む人は、私の話していることを不審に思って、そんなつぶやきを漏らすことでありましょう。

しかし、そういう人は生命というものの本質をあまりよく知らないからそういうだけで、私のいうことは真実の言葉なのです。


 

人間の本質

しかしながら、こういうようないい方をはじめからしていますと、戸惑う人が非常に多いと思いますので、最初に人間の本質というものから説いてゆきたいと思います。

私が毎回のように申しておりますが、人間というのは、肉体を纏った、こうした肉体身だけではないのです。

肉体身は人間生命の纏っている一つの衣であって、人間そのものではありません。

不幸な境遇の人たちが、よくいう言葉ですが、こんなにいつも不幸なら、死んでしまった方が余程増しだ、という言葉です。

死んでしまう、つまり肉体身を滅ぼしてしまえば、それで自分の不幸な境遇が消え去ってしまうと思っているそうした人の考えこそ、より不幸な考えなのであります。

死んでしまう、肉体を滅してしまえば、それで自己の意識が無くなり、自分というものの存在がすっかり無くなってしまう、と思っている唯物的な考え程、愚かしいものはありません。

どのような方法で、肉体を死なせたとしても、その人自体が死ぬわけでもその人の自己意識が無くなるわけでもありません。

その人は、或る期間は眠りと同じように、意識を失っていることはありますが、やがて時間がたつと、失った意識が復活してくるのです。

そして再び自分の存在をはっきり認識してくるのです。

そして、肉体界にいた頃の想念の渦の中に巻き込まれてゆくのであります。

しかしながらその人には、最早、肉体身はありませんので、肉体身よりも微妙な波動の幽身の中で、その人の想念が循環し、行為となってゆくのです。

ところが幽身は肉体身のように循環のしかたが遅くはありませんので、非常なスピードで、その人の想念行為が、その人自身に還ってきて、自己の出している想念波動の通りの世界を、自己の環境に繰りひろげてゆくのです。

神を認めていない人は、神のない光のない世界、闇の世界を経巡ぐり、不幸の想いに把われていた人は、不幸の想念波動の世界で、翻弄されつづけるのです。

私たちはその原理をよく知っておりますので、この世の不幸や災難は、すべて消えてゆく姿と思って、自分の不幸を嘆く想念の中にいつまでも把われていずに、世界平和の祈りの中に、そうした想念ごと入りきってしまいなさい。

そうすれば、救世の大光明の慈愛の光が、あなたの不幸災難の起こってくる過去世からの業因縁をすっかり消し去ってくれますよ、と説いているのです。

 

       「生きている念仏」 五井昌久 白光出版




  

 

大切なのは何をするか?ではなく、心の中がどうなっているか?なのです。

 

「1000人の人にパンを配るよりほんの一瞬でいいから冷静でいなさい」


これはイエス・キリストの私が大好きなお言葉なのですが


このことは、

目に見えること(現象、行い)よりも目にみえない心が大切なんだ

心のエネルギーは絶大なんだ

宇宙もあの世もこの世もすべては波動(エネルギー)で出来ているんだ

ということを表わしているのです。

例えばお金持ちの人が貧しい国に行って

「オレはお金をたくさん持っている、ほらお前らにパンをめぐんでやる、ありがたいと思え」

という言葉や気持ちでパンを配ったとします。

それによって飢えをしのいで命が助かった人がいるとします。

しかしそのパン(物質)を与えたエネルギーよりもお金持ちの傲慢なマイナスのエネルギーの方が宇宙的見地(神様の目)からすると、ずっとずっと低いエネルギーなのです。

もっとはっきり言えばトータルで観ると、お金持ちのやった行動と心とのかい離があるとそれはやらなかった方がましなのです。

宇宙の進化を妨げる、進化を遅らせる、軌道を狂わせる行いなのです。

神は愛(か~あ み~い)であるから、人間の愛のない言動は、神の、宇宙の法則から外れているのです。(だから地球は幼い星なのです)

そして、心を乱すこと(感情的になること)、愛から外れた行為を行うことは宇宙全体の波動(エネルギー)を混乱させることになり、修復が大変なのです。(宇宙天使たちが修復に走り回っているそうです)

だから天変地変などでみんなが大騒ぎしているときにたった一人でも冷静でいられる(祈っている)人がいると、その人は宇宙にとってどれだけ “ありがたい存在” であるかということになります。

私たちはもういい加減で感情に振り回されることの愚かさを知り、目にみえないエネルギー(心の中)を大切にすることに気づく時期にきていると思うのです。


そして私は、今ご自分がどんな状況にあったとしても世界平和の祈りを祈ることがどれほど宇宙のエネルギーに好影響を与えているか を知っていただきたいと思うのです。

例えば今、病気で仕事が出来なくて、家族や周りに迷惑をかけている人がいます。

「ああ自分は役に立っていないどころかみんなに迷惑ばかりをかけている、死んだ方がましだ」

と思っているとします。

しかし、世界平和の祈りの素晴らしさを知って

ベッドに寝ていながらもずっとずっと世界平和の祈りを祈り続けていたとしたら

3次元的に仕事をバリバリしてお金を稼いで寄附をしたり偽善的ことをしている人よりもずっとずっと宇宙に徳(宝)を積んでいることになるのです。


そしてその徳(プラスのエネルギー)は必ず自分へも還って来て

病気や事態が好転するようになるのです。(神は宇宙に貢献している人を決して放ってはおかないのです)


私たちはつい目の前のことに惑わされてしまいます。

翻弄されてしまいます。

目の前に現われることが整っていないと焦ってしまうのです。

すぐに結果を出そうとするのです。

しかし目にみえないエネルギーを整えることの方が先なのです。

現象は後なのです。

心を整えるためには、祈りが必要なのです、印が不可欠なのです。

これらは、人間が幸せになるためのツールなのです。

 

「例えば、二人の人が同じような病気で、病床に臥していたとしても、一人が世界平和の祈りを祈り、守護の神霊に感謝しており、一人は病気の不幸をぐちりながら臥せっていたとしたら、前者は身は病みながら、神霊の世界に住み、地球人類の救済に一役を買っていることになり、後者は、肉身に在りながら、死んでいる生活をしている、ということになるのです」。          


  

      「生きている念仏」 五井昌久 白光出版



  

 

働いている人は尊敬に値するのです。





● 働くことは、はた(周り)をラクにすること。

仕事をする前に声に出して言ってみましょう。

・ この仕事がうまくいきますように。

・ この仕事を通して人類が平和へと転換されますように。

・ 自分がこの仕事に全エネルギーを注ぎ込めますように。

・ この仕事を与えられたことを感謝いたします。

・ この仕事に自分を使っていただけることに感謝いたします。





 
感想

前の日記で働くことについて書いた文章なのですが、このように祈りと感謝の気持ちで仕事に臨めば、ほとんどの仕事に関する問題点は解決されると思うのです。


要は、心の中が感謝の気持ちや祈りの無限のプラスのエネルギーで満たされていれば、他人からの有限のマイナスの言葉(トゲのある言葉)や嫌な出来事などは、ほんの些細なことに思えるようになるのです。


だから祈りや感謝のない仕事場は、殺伐としていると思うのです。

そして


仕事の問題点の大部分を占めるのは、人間関係ではないでしょうか?

私は、巷や周囲で見かける、我儘な人や癖の多そうな人を見るにつけ

「この人と一緒に仕事をしている人は大変だろうなぁ」

「どうやって会社の調和(バランス)を保っているんだろう?」

などと想像しているのです。

仕事場にはいろんな人がいます。

すぐに感情的になる人 (こんな人がなぜ上司になれたんだろう?)

自分のことしか考えていない人(我儘な人)

すぐにサボろうとする人

仕事の出来ない人を非難する人(悪口を言う人)

調和を乱す人

自分のことを露骨に嫌って来る人・・・・



仕事場とは、人間関係を保ちながらもそれとは別に業績を上げていかなくてはならないという気持ちの切り替えをしなければ務まらない場なのです。

しかし結果を出す前に解決しなければならない大切なことがある

それは、どうやって人とうまくコミュニケーションをとっていくかということです。(これが一番難しい)

自分と波長の合わない人たちがいる中でいくら生活のため、お金のため、家族を養っていく為だとはいえ、嫌な人たち、苦手な人がいる中で長時間、時を共にするのは、余程達観していないと苦痛以外のなにものでもないと思うのです。

「なんとかしなくてはいけない」

「このままではいけない」

と考えたり、本の中からヒントを得ようとしたり、気持ちを切り替えようとしたり、誰かに相談したりしながらも、仕事は淡々と進めていかなければならない

これは相当、忍耐強くなるか、寛容になるか、割り切れるようになるか

つまり、自分が強くならなくては仕事はやってはいけないのです。

私は強くなることと、愛深くなることは同じことだと思うのです。

強くなると、寛容になれます。

寛容とは相手を許すことが出来るようになるということです。

許すとは愛です。

嫌な人がいても仕事以外であれば、避けることも出来ます。

偶然に会ってしまったとしても

会っているときだけ辛抱すればいいからです。

息を止めておけばいい

しかし仕事は毎日やってくる

嫌だとか向こうへ行ってくれ なんて言えない

仕事とは自分の気持ちを変えることが出来た人だけが

楽しくやっていけるものであって

出来ない人にとっては

やっぱり修行なのです。

毎日毎日、心の修行(忍耐)を続けていける人って

凄い、素晴らしいと思うのです。

忍耐なしではやっていけない (忍とは心の上に刃物を置くという意味です)


“愛は忍耐” です。 

 
あなただからその職場に居ることができるのです。

他の人ではとてもじゃないが務まらない。

あなたは今の職場になくてはならない存在なのです。


 

「出来たら心穏やかに楽しく仕事をしていきたい・・・・・」
 

そんな人たちに是非、伝えたいことがあります。

上記に書いた仕事をする前の言葉を声に出して言ってみてください。(小さくても声を出した方がいいです)

マイナスの渦の中でいくら戦っても

心の中は平穏、平和にはなりません。

心の中をプラスの光で一杯にすることしか

マイナスに勝てる方法はないのです。

この世の中はすべて波動、エネルギーで出来ている(波動説)

目にみえるものも

目にみえないものも

目に見えるものは粗い波動です。

目にみえない心などは細かい波動(エネルギー)です。

細かい波動を強くしてやさしくして、柔らかく柔軟にして、プラスのエネルギーで満たしてやると

目に見える世界(肉体界)はおのずと整ってくるのです。

目にみえない世界を整えるためにするのが

祈りであり、印であり、マンダラなのです。(祈りや印は過去を消し、未来に光を送るのです)

これらはツールなのです。

ツール(魔法の杖)があってはじめて3次元は乗り越えられるのです。

周りの世界(外)を変えようとしたら、まず自分の中、心、内を変えることです。

このツールとは神様からの贈り物なのです。



「無限次元への誘い」 于寿明著 星湖舎 には、生きていくための真理がたくさん書かれています。

真理は光っているので、瞬間目覚めるのです。

自分が光の元になること

次元(3次元)を超えて、自分が高次元へ行くこと

それしか解決の方法はないのです。


 

 

 

無限なる魅力を自分のものに

 

● 自分も人も大事にする
 

この世の中は、様々な人たちが様々な役割りを担いながら成り立っています。

一人一人の役割りの違いを尊重し、分け隔てなくつき合うことが大切です。

自分だけが幸せになろうとしても、けっして幸せにはなれません。

すべてが平和で調和していなければ、本当の平和はないのですから。

 

● 感謝

嬉しいことばかりでなく、何事にも感謝できる。 いやだと感じることも、苦手だと感じる人も自分にとって全部必要なんだと思える人は素晴らしい!

 

● 働くことは、はた(周り)をラクにすること。

仕事をする前に声に出して言ってみましょう。

・ この仕事がうまくいきますように。

・ この仕事を通して人類が平和へと転換されますように。

・ 自分がこの仕事に全エネルギーを注ぎ込めますように。

・ この仕事を与えられたことを感謝いたします。

・ この仕事に自分を使っていただけることに感謝いたします。

 

● 歌うように話す

旋律、リズムを意識し、歌うような気持ちで話してみましょう。

 

● 人を明るくする言葉

愛、調和、平和、ありがとう、絶対大丈夫などプラスの言葉には運を呼び込む力があります。

心をこめてたくさん使って幸せになりましょう。

 

● 嬉しい奇跡

印を組み、祈りで気を静めるとプラスのエネルギーに満たされます。 すると、健康面や人間関係、能力的なこと(できないと思っていたことがこなせる)など、いろいろな嬉しい奇跡が起こります。無限のエネルギーの中で絶対大丈夫!と納得している自分を発見しましょう。

 

● 怠惰の波に一度呑みこまれると、なかなか抜けられない

怠惰な人は言い訳をし、口先ばかりでなかなか行動しない。

自分がそうなっていないか、時々チェックしてみましょう。 もしなっていたら、即!切り替えましょう。 この切り替えが大切です。

 

●客観視する

今、自分は何処にいるのか、何処に向っているのか。

自分の少し上から見守る気持ちで、心の動き、行動を冷静に観察してみるのです。

 



● 全ての人に天命がある

自分の天命を知りたいなら、祈り、印を組みましょう。

自然に解ってくるものです。

 

● 内面が磨かれると

人は見た目ではないといいますが、内面が変われば自ずと見た目も変わってきます。顔立ちまで変わらなければ、本当に成長したとは言えないのです。

       
                 「無限次元への誘い」 于寿明 星湖舎




  

2013年8月24日 (土)

無限次元への誘い 3

 

● 宇宙の法則

してもらうことを考えないで、まず自分がしてあげる。

相手を喜ばすと自分も嬉しくなります。 相手を活かすことをすると自分が活かされます。

自分が発したエネルギーが返ってきます。 これが宇宙の法則です。

ある指揮者が言っていました。 「演奏する音楽と人を尊敬すると、それが自分に還ってくる。」

 

● 喜び

感情を喜ばせるのではなく、魂が喜ぶことをしましょう。

それは魂が浄まること、魂が進化することです。

 

● 気分を切り換える

気分が冴えないとき、瞬時に明るい気持ちに切り換えるには、祈り、印、呼吸法が最適です。 無条件に癒されます。

 

● 幸せにエネルギーを追いかける

物や感情を追いかけないことです。 お金があって素晴らしい家に住み、何不自由のない生活を送っていても、幸せとは限りません。

本当の幸せは魂が浄まり、そのエネルギーがわかることです。

 

● やさしさを発信する

満員電車や都会の雑踏の中にあっても、 「ありがとう」 「すいません」 という言葉が自然と口から出るようにしたいものです。 その一言があるだけで、心がフワッとあたたかくなります。

やさしさは人から人へと伝わっていくものです。 一人一人がやさしさの発信源になれば、世の中はどんなに平和になることでしょう。

 

● 美しいエネルギーを持つ

その人がいるだけで不思議とホッとでき、誰もがあたたかく明るい気持ちになれる。 その人がいる空間は、なぜか空気が澄み渡り、とても気持ちがいい・・・。そんな人が身近にいれば、まちがいなく幸せな人生を送ることができるでしょう。 もし、そんな人が身近にいなければ、自分がそういう人になりましょう。

美しいエネルギーだけを自分の中に持つことができれば、人は誰でもそのような魅力あふれる人になれるのです。

 

● 自分が好き

自分を喜ばせましょう。 自分を笑わせ、楽しませましょう。 自分を大切にしましょう。 自分を卑下することをやめましょう。

自分の魅力をよく知り、その魅力をまわりの幸せのために使えるようになることです。

もし、才能や特技に恵まれているのであれば、それは自分ひとりの所有物ではありません。

世の中に役立てるために、天から与えられた才能であり特技なのです。

 



● 平凡であることを肯定する

無名の平凡な人間であることを誇りに持てる人は魅力的です。

名声を得ることや財産を築くことよりも、家族や身近な人たちを大切に、日々平凡に生活しながら謙虚に世界平和を祈れる人を、天は必ず認めてくれるのです。

 

      「無限次元への誘い」 于寿明 星湖舎





 

 

無限次元への誘い 2

 

無限なる魅力を自分のものに

 

● 真理との出会い
 

真理に初めて触れたときは、奥深く感じますが、一歩一歩近づくにつれて、それがシンプルな法則であることがわかります。

真理の言葉は一つ一つが魅力的です。

真理は一筋の光となって、感情想念、業想念の渦の中にいるこの体を貫きます。

垂れ込めた暗雲が晴れていくように、気も心も肉体も軽くなるのです。

人と人との出会いも、物との出会いも、自分の天命をまっとうさせるために、すべて意味があると信じられるようになります。

時には涙があふれ、感謝を抱かずにはいられないほどに。

真理との出会いが、自分にどれほど安心感と勇気、幸福を与えてくれるものか、計り知れないほどです。


 


● 世界を洗濯


坂本龍馬は、姉に送った手紙に 「日本を今一度せんたくいたし申候」 と書いています。

私たちは、世界平和の祈りで 「世界を今一度せんたくいたし申候」 と宣言します。

 

● 人の長所を探し、長所とつき合う
 

人の短所を探さないようにしましょう。 もし、その人の短所を見つけてしまっても、そこに注目しないのです。 良いところを見て、つき合いましょう。 プラスのみを見つめ続けることです。

 

● 自然体でいる

自分を良く見せようとしないことです。

誰に対しても謙虚さを忘れないことです。


 

● 自分をアピールするより人の話を聴く

最初は特に相手を知ることが大事です。 相手を理解しようと、よく話を聴きましょう。

自分のことはほんの少し話すだけで充分です。
 

● 目的意識をはっきり持つ

何のために生まれてきたかをはっきり答えられる人は少ないですが、すべての人は魂の進化を目的に生まれてきています。 魂の進化を意識して日常生活を送りましょう。

 

● 人を楽しませることを考える

人を楽しませることを考えると、自然に自分が元気になります。

 

● 焦らない

焦ると、心が焦げます。 人と自分を比べないこと、努力してもすぐに結果を求めないことです。


 

● 人と比べてばかりいるとブスになる?

人と比べて自分のことを卑下していませんか? 人は想像力で良くも悪くもここまで進化してきました。 自分の想像力の結果が今の自分であり、人類の想像力の結果が今の地球です。

最高の自分、なりたい自分をイメージしましょう!

 

● イチローの対談

「50歳で4割を打って引退すること・・・それが夢!」 

「今の自分に自信がある。」

そう言い切る彼には並大抵でない努力と勇気が伺える。 彼は打率とか試合に勝つという無形のものを達成するために、できるだけ具体的にイメージし脳にたたきこむそうです。

自分をプロデュースする天才!

 

● みえないものを信じる力

于先生にお会いして間もない頃 「守護霊が2体、守護神が1体、誰にでもいて守ってくれているんですよ。 今日は守護霊、守護神が大変喜んでおられます。」 とおっしゃいました。 自然にそうなんだ! と思えました。

ある女優さんが雑誌のエッセイで (きっと私がここまでやってこれたのは、神の導きというか、守護霊に感謝しないとね。)と書いてありました。

彼女の強さはここにあると思いました。 彼女は40代半ば過ぎにして、綺麗で、第一線で活躍し続けている。目に見えない存在が、いつも守ってくれる・・・・なんて素敵で心強いことでしょう。

 

● 祈りのエネルギー

祈っていると若くなります。

祈っていると美しくなります。

その祈りは個人の願望成就ではなく、世界平和を祈る大きな祈り。

 

     「無限次元への誘い」 于寿明 星湖舎



 




 

 

無限次元への誘い 1

 

最近、私は、私のメンター(人生の師匠)である于寿明先生のご著書を読んでいるのですが、私がみなさんにお伝えしたいことが、そっくりそのまま書かれていることに気づいたのです。

私は、五井先生、西園寺昌美先生の他にも一般的な本も随分読んできました。

良書もたくさんありました。

感動してためになった本も数知れずあります。

しかし読み終わった後で、糖質0(ゼロ)の清涼飲料水のように

すっきり爽やか、飲んだ後に、なんの残量感もない本というのは、この3者方(五井先生、昌美先生、于先生)以外には、見つけることはありませんでした。

一点の曇りもないのです。

魂が洗われたような、なんともいえない高揚感があるのです。

自分の中に何かひっかかることがあるとする

腑に落ちない、納得できないことがある

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

そのときに私は本から答を探すのです。

以前読んだ本をひも解いて探すこともあります。

しかし、真理の本以外には、しっくりした答が見つからないのです。

真理の本とは、天からそのまま降りてきた指南書なのです。

「天の神様はこうおっしゃっているんだよ」

という宇宙の摂理なのです。

これ以上の答はないのです。

そして

「人間よ、この本を参考にして正しく迷わずに生きていきなさい」

とおっしゃっておられるように思うのです。

私が次におススメする本は

「無限次元への誘い」 です。

私たち人間は毎日を半信半疑で生きています。

しっかりとした考えもなく

確かな確信もなく

あやふやな中で、自信もなく

みんながしているのを真似をしながら

手探りで生きている

だから面白くない

生きているという実感がない

そしていつも燻(くすぶ)っているのです。 無限なる光!


充実感のない生活なんて

まっぴらだ!

手ごたえのある歯応えのある

生き方をしたい!

真実(真理)を知りたい!


自分は何者で

どこから来て

これからどこへ行こうとしているんだろう?

そう思っておられる人は是非、読んでみられてください。

この本はきっとあなたを真理の道へ誘ってくれると思うのです。

それは、宇宙天使からの贈り物だからです。

本の中から私がしびれた文章を抜粋します。

宇宙の真理に是非、触れてみてください

心の琴線に触れてください。



 


 

 

2013年8月23日 (金)

お金は後からついてくる(お金は楽しむためのツールなのです)

  


幸福を大きく左右すると世の中で考えられているものに、お金があります。

もちろん、お金はあるにこしたことはありません。

しかし、ではお金が人を幸せにしてくれるのかというと、これまた必ずしもそうではない。

そう語っていた人が大勢いました。

私自身、20代は猛烈な上昇志向と成功願望があって、ギラギラしていたと思っています。

お金がたくさん欲しいと思っていましたし、お金があれば幸せ度は大いにアップすると思っていました。

だからこそ、お金とどう向き合うかは極めて興味深いことであり、取材に行っても、お金についてよく質問していました。

まず意外だったのは、成功してお金をたくさん持っている人たちの多くが、ほとんどお金に関心を持っていなかったことです。

少なくとも、それが頑張る主目的だという人はいない印象でした。

そうではなく、お金は後からついてくるもの、それはこちらから追いかけるものではない、という声が多く聞こえてきました。

面白いことを言っていたのは、ある起業家でした。

「お金は楽しいところが好き。 だから、楽しんでいないところには、お金は来ない。楽しむ姿勢が大事」

考えてみれば、お金はツールなのです。

何かを楽しむための道具です。

お金それ自体があったところで、楽しもうとすることがなければ役には立たないことになります。

つまり、自分のしたい楽しいライフスタイルがあって、そこに必要になるのが、自分が求めるべきお金であるということ。

そういえば、こんなことを言っている起業家もいました。

こんな暮らしがしたい、と頭の中でずっとイメージし続けた。

だから、そうした暮らしが手に入れられたのかもしれない、と。

まずは、楽しく暮らすことを考えてみる。

どんな暮らしが理想なのかイメージしてみる、そこから頭を巡らせてみるのも、お金と付き合うひとつの方法です。

 

━ 理想のライフスタイルが描けていますか?

 「成功者3000人の言葉」 上阪 徹 飛鳥新社





感想


文章の中で

こんな暮らしがしたい、と頭の中でずっとイメージし続けた。


とあるのですが、私は、こんな暮らし というのが自分の我であってはいけないと思うのです。

何をイメージするかが大切だと思うのです。

「何を綺麗ごとを言っているんだ、欲望や野心がなければやる気も湧いて来ない、大きな家に住みたい、かっこいい車に乗りたい、女性にモテたいがあっていいんだ」

というかもしれない

しかし、そんな目標、目的意識でほんとうにいいのでしょうか?

それが本心(本当の自分の心)が求めていることでしょうか?

ハッキリ言って違うと思うのです。

本心とは、神界にある神様のみ心なのです。

本心とは神様の考えなのです。

神様がそんな野望を持つでしょうか?

人間が働く意味をそんなところに求めさせるでしょうか?

愛でも最低の部類(ランク)の、自己愛に走らせるでしょうか?

楽しむというのは、感情を喜ばせることも楽しみの一つです。

また、相手の魂を喜ばせること、成長させることも楽しみの一つかもしれません。

とするとイメージすることも、楽しむことも

雲泥の差があるのです。

神様だったらどんなことをイメージするのかな?

神様だったらどんなことが楽しいと感じるのかな?

そこが原点だと思うのです。

お金が楽しむためのツールであることは、私も同感です。

しかし、何をもって楽しいかは人それぞれ違うと思うのです。

だからものごとの本質とは何か?

を考えることが

お金とはなにかを知る方法だと思うのです。

ただ感情を喜ばせることだけが、楽しみになり、イメージし、目標になってしまうと人間は益々、神(本質)から離れていくのです。

 

 

指針

 

2年ほど前に、私のメンターである于先生がくださった指針です。

最近、ふとこの中の文章が心の中に浮かんでくることがあるのです。

そして、家の部屋に貼ってあるこの文章を読み返しては、納得しているのです。(自信が湧いてきます、自分が誇らしくなります、自分が尊い存在であることがわかります、自分を愛せるようになります)

世界平和の祈りを祈っている人に対するお言葉なのですが、祈ることの素晴らしさ、尊さが書かれています。

何かを感じて頂ければ幸いです。

 

1.  限りなく照らし守り続けて下さる守護の神霊に深く感謝の祈りを捧げよう。

2.     あなたの祈りは魂の叫びとなって世界中を駆け巡っている。

あなたの日頃の尊い祈りは、あなたの陰徳を積み重ね、もはやあなたの人生に対して、何も苦しみをもたらせるものは無い。

3.     生死は神の御心にある、人はただ、いかに良く生きるかということに気を使うべきだ。

4.     運命に素直になれ。

5.     消えてゆく姿の行、マイナスの想念の否定に慣れてくると、30秒で直ぐに神に戻れる。

6.     暗いトンネルも必ず出口がある。あなたには今年光明に輝く年となる。神の愛を信ぜよ。そして祈り続けよ。

7.     心は強く持たなければならない。

8.     あなたの命には自分の運命を左右する智恵も力も含まれているのである。是を知れ。

9.     今日は昨日の続きでは無い、あなたには世界平和の祈りにより全く新しい未来に輝くあなたに甦ったのだ。

10.  人類の救済の悲願に燃える者よ、祈りの菩薩よ、あなたの命は尊い。

11.  自分のことを語るより、先ず相手の話を聞くがよい、必ず自分の役に立つものだ。

  

人の名前の前に感情を付けるな!

  

人間関係で悩んだときに、私はいろんな本を読んで解消しようとしました。

なにを解消しようとしていたかというと

自分がどんな相手に対しても平常心でいられるかどうかなのです。

常識のない人、仕事をサボる人、真面目(誠実)でない人、お金に汚い人、自分をよくみせようとする人、人前で平気でタバコを吸う人、ルールを守らない人、人の嫌がることを平気で言う人、電車で足を組んでいる人、大声で電話で話している人・・・・・、そして私のことを嫌いだと思っている人

要は、自分が静かに穏やかに平和な心境で過ごしたいのに、それを邪魔をする人たちが嫌いなのです。

これは原因は外(人)にあるように思えるけれど

自分の心の中に原因があることがわかります。(同じ状況でも平気な人もいるからです)

しかし、なかなか自分の心の中を正面から見つめようとはしないのです。

そしてその目は内に向かずに外ばかりにいく

そして他人のせいにばかりする(あいつが悪いんだ)

またはそんな自分に嫌気がさす(自己嫌悪)

自己嫌悪は自分に意識が向いたようにみえるのだけれど

本当に自分の心を見つめているわけではないのです。(内省しているわけではない)

そして

犯人捜しをしているわけでもないのに

「自分か相手のどちらかが悪いんだ」 と決めつけなければ解決しないと思っている

そして結論はというと

自分を嫌いになるか相手を嫌いになるかどちらか なのです。

変ですよね

どうして嫌いにならなくちゃいけないのか?(笑)

白黒つけなくちゃいけないのか?

それは相手にも自分にも感情という名称を付けてしまっているからです。

「無神経で常識のない○○さん」

「感情的でいつも怒っている△△さん」

「理不尽なことを言ってしまう××さん」

「誰も注意しないことをいいことにサボってばかりいる□□」

「電車の中でお年寄りに席を譲らず平気でいる若者」

「当り前のルールさえ守れない大人たち」

○○さん △△さん □□ 若者 大人たち・・・・名前は知らなくてもその人たちの頭には自分の感情を入れた人たちがいるのです。

自分が感情をつかんでその感情をその人たちにつけている

嫌いな○○さんと名称を付けてしまっているのです。

相手が感情のおばけちゃんになっている

つまり自分の心の中の感情に自分が振り回されているのです。


赤ちゃんはどんな相手に対しても無邪気に笑っています。泣いています。

それは赤ちゃんは誰に対しても一切の感情を入れていない、肩がきも名称も付けていない、どんな人だとも思っていない



こんなことがありました。

ヘビースモーカーだった友人と久しぶりに会うことになり、食事で喫煙席に付き合わされることを覚悟していたのですが

その友人が

「オレ、タバコ辞めたんだ」

と言った時

その友人が天使に見えました(笑)

「君は素晴らしい!」 「凄いぞ!」 「よくやった!」

人が嫌がっているのに平気で喫煙席に誘いタバコを吸う○○君

タバコを辞めることが出来た意思の強い素晴らしい○○君

に変わったのです(笑)。

いかに自分が感情に振り回されていたかがわかります。

タバコの煙が苦手でない人にとっては

どうでもいいことです。

人間は日々生まれ変わっている

“日々新生” です。

人間は日々進化し生まれ変わっているのです。

だから

昨日までの自分の感情を捨てて

あらゆる人に付けてきた過去からの名称(感情)を外して

そして

毎日のように会っている人でも

まったくその人と初対面で会ったような新鮮な出会いを

毎日、毎日繰り返してゆく

一期一会のように大切に接していく

それが人とうまく付き合ってゆく

コツのような気がするのです。

 

誰かに対して、「この人とはどうしても合わない」と思ったことはありませんか?そんなときは、この世には自分と合わない存在があることを認めてしまうことです。好き嫌いの感情には、理屈では解明できない部分があります。
してはいけないのは、気に入らないからといって、いじめたり、差別したり、攻撃を加えたりすることです。
といって、無理に合わせる必要もありません。この人とは性格が合わないということを受け止め、自分も相手もひとつの生命だと認めればいいのです。「自分は自分、他人は他人」のスタンスでかまいません。こう考えると、嫌いな気持ちが少しずつ治まります。
「嫌い」という気持ちを外して淡々と接すると、相手も歩み寄ってきます。合わない同士だからこそ注意深く接するので、パズルのヒースをはめていくように関係がうまく進み始めます。
あらゆる生命を平等に見れば、人間関係で苦しむこともなくなります。いままでよりずっと楽に生きられるのです。

 


(アルボムッレ・スマナサーラ『こころを清らかにする言葉』より)



 

2013年8月22日 (木)

世界平和の祈りはただの願い言葉ではないのです。 2

 
 
さて世界人類が平和でありますようにという祈り言には、さらにもう一つの奥義があります。

それは、人間というものの全体に向って、祈り言をしているということであります。

人間というものは、この肉体だけではありません。

幽・霊・神・大きく分けて、肉体以外にさらに三つの世界に生きているものであります。

この人間の本質、本体と申しましょうか、それぞれの世界に呼びかけ、霊界神界から光の放射をしやすくする働きを、自然と持っているのが、世界人類が平和でありますようにという祈り言なのであります。

個人と人類の同時救済という性質を、この祈りは持っております。

さらにこの祈りは、人間の本体である光に向って愛と調和を放っている祈りなのであります。

ですから、心の中に 「世界」 と思い浮かべただけで、直ちにそれは、宇宙と人間の本体である光につながり、大光明を発揮することとなるのであります。

ちなみに宇宙人達は、こうした光体が自己の本質であることを熟知して、日々我々を助けてくれているのであります。

こうした世界平和の祈りを我々はたゆみなく祈って、宇宙人類と光と愛の世界建設のために邁進致しましょう。

 

      「無限なる幸せを体得する方法」 于寿明 星湖舎






感想

私たちは、肉体(物質)が本体なのではなく、光の波動体(エネルギー体)であることを知らねばなりません。

そして光の光子を浴びることで、魂が喜び、進化してゆくのです。

そして、「印と祈りはこの地上最高のエネルギー」 なのです。

今、人知れず隠れたところで密かに印を組み、祈っている人たちがいるのですが、最高の陰徳を積んでいるのです。

汚れた人が千人集まっても一人の浄まった人の救済力にかなわない。(五井昌久)

一人の人が聖者(世界平和の祈りを祈ると)になると九族(九代)救われると言われています。

それくらい人間が光を放つというのは素晴らしいことなのです。

祈っている人たち、印を組んでいる人たちはもっと誇りを持ちましょう

今自分が人のことをかまっている状況ではない

人は人、自分は自分という人たちがほとんどの中で

自分以外のどんな人たちのことも、地球人類だけではなく宇宙人類全体の幸せを祈ることの出来る器なのです。

とてつもなく素晴らしいことをしているのです。

自分を尊敬し、誇りに思い、自分を大好きになってください

大げさではなく 世界平和の祈りを祈ることは人間のミッション(使命)、天命だったのです。

自分の素晴らしさを実感したならば、他人からのどんな誹謗中傷にも動じなくなります。

マイナスのエネルギーよりも自分を愛する無限のプラスのエネルギーの方がずっとずっと勝るからです。

真に自分を愛し誇りに思えないと、他人を愛すること、称えることは出来ないのです。

世界平和の祈りは、自分を愛し、人を愛することが出来る最高の祈りなのです。


 


 

 

 

世界平和の祈りはただの願い言葉ではないのです。 1

 
言葉というのはエネルギーであり、言霊とも言われていることはみなさんご存知のことと思います。

だから言葉によって光が強いもの、弱いものがあることも理解出来ます。

感謝の言葉を心から語ると相手の人の心が熱くなるのは、感謝の言葉にはエネルギーがあるからです。

では、世界平和の祈りはどの程度のエネルギーがあるのでしょう。

「世界人類が平和でありますように」

ただ聞いているだけだと

「うんいい言葉だね、平和であればいいよね」

くらいのもので、普通は、一般の人は、余程世界で戦争のような紛争が起こり悲惨な状況をメディア等で見ないことには浮かんでは来ないのではないでしょうか?

地球人類みんなが望んでいることなのに

それが言霊という大きなエネルギーになっていない

そこに地球が素晴らしい星になり切れていない様に思うのです。 無限なる光!

ただそれも時期があって

これからたくさんの人が、世界平和の祈りを祈るようになるのです。

そのためには、祈りの根源、原点、奥義を知っておかなければなりません。

世界平和の祈りを祈ればどうなるのか?

個人的にはどうなり、地球や宇宙にどのくらいの影響を与えるものなのか?

それを于先生のご著書 「無限なる幸せを体得する方法」から抜粋致します。

 

世界平和の祈りについて

 

私どもが唱えております世界平和の祈り、特に最初の世界人類が平和でありますようにという祈り言について述べてみたいと思います。

世界人類が平和でありますようにという祈り言を心に思い浮かべた時、その人は神様のチャンネルをひねったのと同じであります。

人類すべての悲願が結集し、祈り言となったこの言葉には、どんな人間の個我をも消してしまう大きな光がこめられ、放射されているのでありまして、この祈り言を、思い浮かべるだけで私どもは大光明霊団の中に参加しているのであります。

ところで、この祈りの世界人類とは、どの程度の世界でありましょうか。勿論直接的には、私どもが住んでおりますこの地球を指しているのであります。

我々人間のいのちを細かくみて参りますと、それは光子という宇宙子から成っており、いのちの源はすべて波動から複雑に構成されているのであります。

宇宙に浮かんだ小さな星、この地球人類達は、こうしたいのちの成り立ち、いのちの仕組みというものにまだ気がついておりませんので、そのために宇宙人達から 「幼い兄弟達」 と呼ばれているのであります。

私は今、宇宙人と申しましたが、実際この地球以上に、心も科学も数百倍も進んだ星々と人類が存在することは、事実でありますし、それのみならず、我々はこうした宇宙のすぐれた兄弟達から様々な援助を得て、一日一日を無事に過ごしているのであります。

世界平和の祈りはここに至って、地球人類のみならず、宇宙に生きるすべての我々の仲間、兄弟、宇宙人類が平和であるようにという、宇宙の大調和をも目指した祈りであることが理解されるのであります。

この地球上には多くの国々があり、そのそれぞれの国は国交を結んでおります。

これからの政治家は、世界平和を根底に据えてかかなければ、一日たりとも政治がとれなくなってくるでありましょう。

しかし、もっと真理を見極める眼を持ちますなら、単に地球という星の地上の国々との交わりというばかりではなく、星と星との交わり、星交というところまで進まなければ本当の宇宙全体の調和というものは完成されないのであります。

そして現在、我々にコンタクトを求めてきております宇宙の兄弟達は、この宇宙の大調和の中に、我々地球人類が一日も早く溶け込むよう、最大の助力を日々行ってくれているのであります。

世界人類が平和でありますようにという祈り言は、宇宙神のみ心、愛の中に溶け入り、宇宙人類の一人として、全宇宙と宇宙人類全員の平和を祈り、又その愛念を彼らに送って、我々が日々彼らから受けております援助にも、応える形となっているものであります。

宇宙は玄妙であります。

そしてその玄妙な宇宙の運行を支えているものは、一点のわたくしなき、宇宙神の愛であります。


                    つづく



    「無限なる幸せを体得する方法」 于寿明 星湖舎


 

 

 

2013年8月21日 (水)

日々の指針(果因説)

 
 
1.あなたは今、何を感じて何を見つめて生きているのであろうか?

そして何を感じて生きているいるのであろうか? 明日のこと? それとも将来のこと? あるいは過ぎ去った過去の出来事? 人それぞれにあらゆる生き方を考えているに違いない。

自分の前に現われてきた目先のことばかりのみに想いや考えをむけないで、つねに二年三年後の近い将来の楽しい出来事を設計し、夢見、心に描いて生活してゆくと、本当にその夢が思ってもみなかったように実現する。

心がつねに楽しい将来のことを想い描くため、今、目の前に現実として覆いかぶさってきている種々の苦しみや悩みや悲しみに、心が把われることがなくなると、その悩みは自然と通りすぎて消えていってしまう。

常に心を転換させることが、生きてゆく一つのコツである。



         


        「日々の指針」 西園寺昌美  白光出版







感想
 

今日一日どんな日にしようか?と思っていたときに「日々の指針」をひも解くと ハッと気づいたことがあるのです。

それは、今の私は過ぎ去ったことに意識がいっていたのです。

さきほど仕事でつまらないミスをしたのですが、そのことがまだ脳裡に残っていて

「バカだなぁ」 と反省していた。

“あのときにこうしておけばよかった” “なんでそんな簡単なことに気づかなかったんだろう”

もう済んでしまった、今となってはどうでもいいことのことを考えていた、もったいない時間の使い方をしていた

そこで気づいたのです。

「ああそうか、過去にエネルギーを注いでいたから自分の描いている未来がやって来ないんだ」

「それも描いているイメージが漠然としている、もっと強くイメージしなくては・・・」

思いが未来を創っているのです。

思いの見えないエネルギーが見える世界を具現化させるのです。(果因説)

反省の省は少な目って書く

そのとき、その瞬間だけに反省して

「次からは気をつけて失敗しないようにしよう」

それだけでいいのです。

そして切り換えた後は

未来の自分の姿をイメージし

そこにエネルギーを注いでゆく

そうすれば過ぎ去った過去は

もうなかったことに等しくなるのです。

消えるのです。

過去にエネルギーを与えているから

輝かしい未来がやって来るのが遅れるのです。

みなさん

過去にエネルギーを注ぐのはやめましょう

そしてまだ来てもいない未来を想像して不安視するような取り越し苦労をすることもやめましょう(これも本当に無駄なことです)



時間は過去→現在→未来に流れているのではなく

未来から現在へやって来るのです。

それが新しいこれからの(21世紀の)考え方なのです。


   「果因説」  西園寺昌美  白光出版



 

 

 

 

2013年8月19日 (月)

世界平和の祈りは過去を消し光輝いた未来を創る

  

進化した星の中で世界人類(宇宙人類)の祈りを祈っていないのは、地球人だけなのだそうです。

地球も文化的にはもう他の星に遅れをとっていない。

しかし、精神的には、金星等の進化した星から

「幼い兄弟たち」 と呼ばれているのだそうです。

私は、最近、祈っていないと苦しくてしかたがないようになってきました。

それはまるで酸素の少ない高い山にいるような心境なのです。

酸素ボンベが世界平和の祈りです。

この祈りだけが生きてゆく上で必要不可欠になっているのです。

だから祈っていない人(ほとんどの人がそうですが)を見ると

「この祈りを祈ると楽になるよ」

「自分が活き活きとしてくるよ」

「自由自在に生きることができるようになるよ」

「幸せになれるよ」

と言いたいのですが、誰かれかまわず言う勇気はないのです。 無限なる勇気!

そこで、自由に書けるブログにそれをぶつけているのです。

あと数年もすると祈るのが当たり前になります。

祈っていないと苦しくて生きていけなくなるからです。(今現在もそうですが)

だがしかしまだ祈っていない人のほうが圧倒的に多い。

みなさん時代に先駆けて

祈りませんか?

10万人の神人の中の一人になりませんか?

地球という星を救う、救世主になりませんか?

みなさんの守護霊・守護神様たち、宇宙天使たちは

きっと喜んでくれると思うのです。

それは絶対なのです。

 





1.人間は誰でも等しく、20年前、10年前、数年前に為してきた行動にたいしては、今日もまたその責任を持たねばならない。

時がすでに過ぎ去ったとしても、過去のその行動は、決して消え去ったわけではない。

がもうすでに過ぎ去ってしまった過去の行動に対して、一体どのようにして責任を持てばよいのであろうか。

タイムトンネルの如く、過去の時代にもどり、そこで改めて犯した言葉や行動を悔い改め、反省し、新しく作り変えて現在にもどって来られれば一番よい方法なのではあるが、今の時代ではそうもゆかない。

それでは本当に過去の罪を消し去る方法がこの世にあるものだろうか?

それはある。 それは祈ることである。 過去の消えてゆく姿として世界平和の祈りの中に、すべてを投げ入れ、徹底的に祈れば、タイムトンネルで過去にもどり、自らの手で罪を消し、新しく出発出来ると同じように、祈りの力で、祈りの光で、祈りのエネルギーで過去の罪や行動はすべて消すことが可能なのである。

その効果は絶大である。 驚くほどである。 知らなければ永遠に過去の罪や行動は消えず、現在、未来までもなおその尾は引きつづいてゆく。

世界平和の祈りはすべてのすべてである。




1.あなたの内部に潜んでいる怒り、敵意に支配されてはならない。その怒りや敵意が表面意識に現われる以前に、それを消してゆかねばならない。

その為にはそういった暗い激しい、否定的な考え方をより建設的、光明思想に変えてゆくことが必要である。

無理でも心がけて光明思考に変えてゆくのである。

そのためには徹底的に祈ることである。

するといつの間にか、否定的な感情が自分の心から消え去る。


    
      「日々の指針」 西園寺昌美著 白光出版

 

世界人類が平和でありますように

日本が平和でありますように

私たちの天命がまっとうされますように

守護霊様ありがとうございます

守護神様ありがとうございます

 

人生と選択ダイジェスト 3


P59

しかし、長い間蓄積されたものが一瞬でなくなったわけですから、これから考え方を新たに光明思想に変えていけば、もう悪いものを引きつけたり悪い現象を起こすことはないのです。

それが五井先生の 「消えてゆく姿で世界平和の祈り」 です。
五井先生のみ教えは、自分の人生に起こる苦しみや悲しみや痛みや辛さや病気は、前世の因縁━前世だけとは言わなくても今生のあらゆる否定的な想念が消えてゆく時に起こる姿である。

その時に 「これで消えたんだ」 と思い、「今からよくなる」 という善念を起こせば、真の救いを体得できるというものであります。


 

P61

執着を手放せば、その時から人生は変わるのです。・・・そのためには、人のために尽せばいいのです。

自分の時間やお金や労力や想念を、出来るだけ人のために与えるようにする。 「私には5分の時間しかない」 と思っても、その5分の時間で 「ちょっと子どもを預かって見てあげるわ」 と言ってみる。 すると人の役に立っている喜びが心に湧いてきて、本心が輝くのです。

執着している時というのは、自分中心の考えに陥っています。 人のことはどうでもよい、自分の病気が治ればよい。 しかしそれは、自分の病気に執着していることになり、病気の波動で自分を覆ってしまいます。

ですから人のために尽すことによって、自分の執着している心から少しずつ離れていくわけです。



 
P63

世界平和の祈りというものは、過去の一切を手放すための方法です。祈った瞬間過去が消えて、大きな人生へと意識が導かれます。

「世界人類が平和でありますように、日本が平和でありますように、世界の人たちが幸せでありますように」 と祈った時に、自分の小さな願望からふっと心が自由になります。

するとその分だけ苦しみや悲しみから解き放たれ、祈りの中で消えてゆくのです。


 

P67

幸せになる秘訣は他に権能の力を与えないこと。 そして人の批判をしないこと。 非難が口から出だ場合、自分の聖なる部分、崇高なる部分、生命の部分を削ってしまっているのです。

その削ってしまったものが他に悪影響を及ぼしてゆく。 何気なく無差別に喋っている不平不満や怒りや嫉妬といった否定的な言葉は、自分から他人へと、次から次へと汚染してゆくわけです。 そして結果的に、その汚染を自分が被(こうむ)るのです。




P69

全人類から見ればほんの少数の人たちが世界を大きく変えようとしています。

その光明の意識を放っているのが皆様方の存在なのです。

ですから私は 「世界人類が平和でありますように」 という祈りを捧げてくださっている方々に感謝しておりますし、会に入る入らないは全く問題なく、どの宗教、どの世界に入っていようとも 「世界人類が平和でありますように」 という祈りを捧げてくださいましたなら、どんなに有難いか分かりません。

その皆様の祈り、存在が必ずや世界を大きく変えていくことでしょう。

   

        「人生と選択」 西園寺昌美  白光出版




  

 

人生と選択ダイジェスト 2

 

P54

・・・苦悩の一番の原因は “執着” です。 これが解けたらどんなに自由になるでしょうか。

一人一人が無執着になったらどんなに素晴らしい人生を生きていかれるでしょう。

お金に執着する人。病気に執着する人。アレルギーに執着する人。自分の子どもに執着する人。 先祖代々の家や土地に執着する人。 そして自分自身への執着・・・・これが一番多いと思います。 執着とは把われです。 いつも自分が自分に把われている。

自分、自分。 何かが起れば心配、心配。 何かが起れば不安、不安。

何かが起こればどうしよう、どうしよう。

その不安や恐怖やイライラは、外から一つのものが現われて、自分の中を通過した時に発生するものです。

つまり外から現われてきた現象のように感じられます。

しかしその原因はあくまでも自分です。


P57

朝は何時に起きて顔を洗って、食事をして会社に行く。子どもの世話をする。ボランティアをする。 昼間になったらお掃除、洗濯をして昼食を摂って、また会社に行って、やっと終わったら同僚と飲みに行ったり、それから子どもが帰って来る、夕食の世話をする。

それで、テレビを見て寝てしまう。刺激も喜びもない同じ状況が、毎日繰り返されていく。

そうしたマンネリの中では、人間というものはだんだん燻(くすぶ)ってしまいます。

「あれもしたい、これもしたい、こういうふうになりたい、こういう勉強もしたい。 でもお金がない。時間がない」。 ないないずくめの中で

「仕方がないのよ、私は。 こういう状況だから。 こういう環境だから」 と諦めて、ますます燻ってしまう。

そうした抑圧されたエネルギーは、自分の中に蓄積されているのです。一瞬一瞬の想いというものは、どんどん蓄積されていきます。

ふっと思って消えたからといって、一瞬にしてなくなると思ったら大間違いです。



 
P58

尤も抑圧されたエネルギーは、いつもはコントロールされています。

「これはやってはいけないことだ、これは避けなければいけないことだ」 と。

しかし、消えたのではなく抑圧されているのですから、いつかそのエネルギーはパーッと爆発してしまうのです。

これが事故を起こしたり、病気を起こしたり、相手と喧嘩になって闘争になって離婚沙汰になったり、子どもを虐待したり・・・・マイナスの想念がマイナスの状況をもたらすのです。

これらは偶然外から起きた状況だと思うかもしれません。

事故も 「相手が悪い、こっちはきちっと信号を守り、速度を守り、自分には悪いところはない」 と思うかもしれません。

でも、それは因縁因果の関係で、相手がぶつかるような原因を自分がつくってしまっていたのです。

自分で自分の知らない内にマイナスのエネルギーが溜まりに溜まって、誰かを通して事故として爆発させたのです。

天変地異も人類一人一人の抑圧されたエネルギーなのです。



 

 

お金はおかっね~

お金に対しては様々な考え方があり、人それぞれであっていいと思うのですが

お金というものに人の想いが憑いているというのは確かだと思うのです。

私は邱永漢(華僑)さんの

「お金は足りないくらいがちょうどいい」

という言葉が好きなのですが

そうはいいながらも

「財布の中身を気にしないで使いたいなぁ」

「自由になるお金、余裕のあるお金がもう少し欲しいなぁ」

と思ってしまうのです。

それで時々

宝くじ売り場でスクラッチというその場で5万から30万当たるというゲームを、月に一回1千円出してやってしまうのです。

しかしそんな宝くじと比べて比較的確率の高いものでも当たったためしはなく

「これは当たらない方がいいということなんだ」

と自分に言い聞かせております(笑)。

そして、今回の五井先生のお言葉を聞いて

腑に落ちた次第です。(もう買うのはやめます)

それから私には連休というものがほとんどありません。(あっても年に2回ほど)

リズム的には、週一の休みがちょうどいいと思っています。

2日もあるとどちらかの日に油断をして怠惰に過ごしてしまいがちだからです。

人間は自分一人になったときにどうやって時間を過ごして行くかで人生は決まると思うのです。

勤務時間が長くて同僚と過ごす時間が多くても、友達や家族と過ごす時間が長くても

そこから離れて、一人になる時間を作ることは大切です。

自分(本心)との対話が重要なのです。

1日一回は自分と向き合う時間を持つようにしましょう。

そうすれば他人の言葉や様々な出来事に振り回されることはなくなるのです。

自分(本心)と対話出来るようになれば、一人暮らしをしたとしても決して孤独にはならないのです。

自分(本心)に勝る親友はいないのです。
 
 

・近頃、週休二日という制度が、各会社において行われる気運にな

っておりますが、その休日を永遠の今とは全く関係のない、無駄な時間として過ごすようであったら、休日も、かえって人類滅亡に一役買うことになってしまいます。


・正当に自分が働いて、自然にもらうのはいいけれど、何か当ったり、まして競馬や競輪で当るのは、必ず当った以上に出ていってしまいます。株式の相場でもうけたのも、必ずとられる。

なぜかというと、そのお金をもらおうという想いが一杯ついてくる。そのみんなの執念をもらうわけだから、せっかく入るけれど、みんなで引っ張るのだから、財布の中にあった元のお金まで、引っ張っていかれてしまう。想いのない、きれいなお金をもらうのが一番です。




  

2013年8月18日 (日)

人生と選択ダイジェスト

今、西園寺昌美著 「人生と選択」 を読んでいるのですが、心が洗われるようなのです。

それも何回も読んでも感動が湧いてくる。

真理を書いている本というのは、真理(本当のこと)に気づくだけではなく、魂が洗われるのです。

そして魂が喜ぶから感動が湧いてくるのです。

巷にはいい本がもちろんたくさんあるのです。

気づきの本も多い、著者の素晴らしい人生を描いたものを読むと自分も同じように疑似体験したようになってその人の人生を自分のものにすることができる(完全ではありませんが)

すると自分の器がその人の人生の分だけ大きくなるのです。

しかしどれだけ素晴らしい本だとしても、次元は3次元の終りで止まっているのです。

書いた人の意識が肉体意識だと3次元から上へはいかないのです。

だから魂が洗われるような高揚感は残念ながらないのです。

だがしかし西園寺昌美さん、五井先生、于先生のご著書は次元を超えた高い高い響きがあるのです。

これから地球が次元上昇していく上で、これらの著書が読まれていくのだと思うのです。

ブームが来ることを確信するのです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

そこで今回は西園寺昌美さんの 「人生と選択」 の中で響いた内容を抜粋してみたいと思います。

真理の言葉(文章)は光っているのです。

断片的であっても、つながっていなくてもみなさんの心に ビビッと響くのではないか?

そんな気がしたのです。

よかったらお付き合いください。

そしてビビッと頻繁にきたのなら、買って読んでください(笑)

よろしくお願いします。

 

P22

しかも守護霊様、守護神様は遠い世界から守っているのではない。自分たちのすぐ近くで守っておられるのです。 私たちは3次元の世界に生きているけれど、3次元と4次元の世界はらせん状になっており、その二つの次元が同時に存在する所に守護の神霊はいらっしゃいます。

そのようにして、常に私たちを見守ってくださっているのですから、私たちが守護の神霊に思いを向ければ、神霊方はさらに守りやすくなり、運命もよいほうへ導かれてゆくわけです。

P31

「世界人類が平和でありますように」、この一言の中には、自分を含め、愛する家族を含め、全人類の幸せが入っているのです。 と同時に、嫌いな人、絶対に自分では 「あんな奴祈ってやらない。俺をここまで追い詰めた奴。 あいつが幸せになるなんてとんでもない。あいつは地獄へ行けばいいんだ」 と憎しみを持っている人も含まれています。・・・・本来の光輝いた自分、どんな想いにも動じない自分は、すべての人の幸せを願っています。

その本来の自分の願いと一つになれる祈り、大真理に基づいた祈りだからこそ、素晴らしいのです。

P35

今現在も人知れず世界を救っている人たちがいます。

「世界人類が平和でありますように」 この祈りは50年前より地球上にプールされて、今は地球を取り巻くように、世界各国各地で鳴り響いています。
この祈りはすごいのです。 自分の人生の選択をする際、この祈りを祈っていれば真理に基づいた選択が出来るので、今までの間違っていた選択が、自然に真理の選択となるのです。

P37

幸せになるための一つの選択の基準を申し上げます。自分の利害損得、欲望や世間体で選ばないこと。

人に悪く思われても、世間が何と言おうと、両親が反対しても、自分の自由なる意見、自由なる意志で自らの信ずるよき選択をすること。 その選択は必ず、素晴らしい結果を生みます。



P42

宗教は本来、この世に必要ではございません。 困難が起きた時に誰かに頼り、縋り、祈って苦しみをクリアしていくのを宗教と言うならば、宗教は全く間違っております。

宗教とは本来、人間がどのように生きていくべきか学ぶものです。

困難があろうとも、苦しい時があろうとも、自らの力を発揮してそれを乗り越えるためのものです。 その時に沸々と湧き上がる “出来た” という喜びは、他の人が自分の困難や苦しみの状況を解決してくれた時とは比べ物にならないほど、何にも代えがたき至福なのであります。 その至福を味わいながら人間は成長していくものであるし、そうでなければならないと思います。

P45 

五井先生は 「自分の幸せを祈ってもいい、でも最後に世界人類が平和でありますようにをつけなさいね」 とおっしゃいました。それにより、私たちの意識は個人的な小さな願望から人類的な願いへと導かれ、その愛の響きによって、いつしか苦悩も消え去っていったのです。

 

P46

・・・・・ただ皆様の心の中にある、自分以外の人のことを思う気持ち ━ 世界を見回してみると、私たちと比較にならないほど虐げられ、差別されている人々がたくさんおられます。その中で何か自分たちに出来ることはないかと思った時に湧いてくるもの、それが本当の祈りであると思います。
 


P48

他と比較して、自分だけが苦しい、自分だけが悲しい、自分だけが駄目なのだというのは正しくございません。 みな人に言わないだけ、人に隠しているだけです。小さなことを大きく言う人もいれば、大きなことを小さく言う人もいて、千差万別、人それぞれ異なっています。それもまた個々の人生です。

ですから他と比較した自分など本来存在しないのです。あくまで徹底して自分を見つめ、自分自身を知ることが大事です。

自分は何のために生まれてきて、何をしたいのか、皆、いろいろな環境に縛られている。その中でいかに自分らしらを発揮し、自分の人生を創造していこうかというのが人生であるわけです。

P50

人生は自分の心次第でいくらでも変わるのです。しっかり目標が定まった人は決して苦しみを苦しみとは思わないのです。 それを知ることが真理を知るということなのです。

真理とはなにかというと、宇宙の法則です。 宇宙の法則を知ることが、苦しみから自らを解放していく道となるのです。

無知という言葉があります。真理から見れば、無知ほど重き罪はございません。

無知ということは、自分はそれを知ろうともしなかった。それに対して努力もしようとも思わなかったということです。

自分自身で作り上げた苦悩を他に解決してもらう。偉い人に教えてもらう。宗教に縋ろう。お祈りをしてもらおう。それによって一瞬、その苦しみから逃れることは出来ます。

けれども本当に自分の意識が変わらなければ、また同じ状況が訪れるのです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

                    つづく




           「人生と選択」 西園寺昌美著 白光出版

 


見る位置をかえて観る

 

  

誰かの言葉に怒ったり、悲しんだり、気分を害したり、把われたり、感情に振り回されたりするのは、そこに意識を合わせてしまっているからです。

相手に意識を合わせるのはいいことなのではないのか?

そう思われるかもしれませんが、相手が情緒不安定であったとしたら、怒りの塊の状態であったとしたら、自分も同じ状態になってしまうということです。

そこで波長が合ってしまい、いさかい、争い、喧嘩、が起きるのです。 あるいは自分がそのエネルギーを抱え込んだままになる(ストレス)

どちらかがまったく冷静沈着であれば、絶対にそのような現象は起きない。

怒っている人、冷静沈着(完璧な状態で)な人はどう違うのか?

それはまったく違う世界(次元)にいるのです。

怒りの世界にいる人は、心が乱れ、地獄のような世界にいる

一方、冷静な人は、天国のような境地にいる

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

だから合わせようとしても

水と油のように絡まないのです。

違うエネルギーは絶対に共鳴しないのが宇宙の法則です。

溶け合わないのです。

私たちは、感情的になっているときは必ず

低次元意識に波長が合ってしまっています。

いつの間にか低次元の想念エネルギーの渦の中に巻き込まれています。

それでいて

自分がどこにいるのか がまったくわかっていないのです。

自覚がないのです。

これは危険な状態なのです。

自分を客観的に観て

「あっこれは危険な状態だな」

と感知することが出来れば

気持ちをリセットすることが出来る

冷静になろうという切り替えも出来る

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

しかし今は、マイナスの想念エネルギーがかなり強くなってしまっているので

自分でコントロールすることが難しいのです。

難しいのは確かなのですが

なんとかしなければいけないのです。

それは

みんながマイナスの想念エネルギーに同調して狂ってしまうからです。


そうならないためにどうしたらいいか?

例えば

幼い子がお母さんと買い物に行って

欲しいものがあると駄々をこねているとします。

地べたに寝転んで

「買って、買ってぇ~」 と叫んでいる

その声は大きくフロアー全体に響き渡っている

周り人は、静かに買い物をしているのにちょっと気分を害している

みんなそこを振り返り

お母さんはどうしているの?

なんとか泣きやましてちょうだいと願っている

しかし冷静なお母さんは

そんな周りや、我子に振り回されることもなく

ちょっと離れたところから我子を見守っている

泣いていようが、癇癪を起していようが、買い物客が幼子に声をかけようが、迷惑がられようが・・・

そしてしばらく放っておくと

幼子はあきらめて

お母さんを捜し出す

見つからないので不安になって

おもちゃのことも忘れて捜し出すのです。

そしてしばらくして現われたお母さんを見て

歓喜の表情を浮かべる・・・・・・・・・・・・

ほんとうの親というのは、木の上に立って見ると書くように

子を離れた場所から客観的に観ているのです。

決して子の感情と一体となっていない

別次元のところにいるのです。

だから泣きわめいていようと波長が合わないのです。

しかし子と波長が合ってしまっているお母さんもいます。

大人であっても、相手の感情に合わせてしまっている人がいます。

というかほとんどの人は多かれ少なかれ

相手と合わせているのです。

しかし相手がいい波動(エネルギー)を放っているときもあり、すべてを合わせてはいけないというのではない

だったら

今は合わせてもいい

今は合わせてはいけない

この人はいい

あの人はいけない

といちいち区別をしなければならないのか?

またそのような選択をしてエネルギーを受けたり受けなかったり出来るのか?

・・・・・・・・・・・・・・・・・

そんな器用なことは出来なのです(笑)

だったらどうしたらいい

それは賢明なお母さんのように

ずっと親であり続けるのです。

次元を変えたところから

一段上の次元から

物事を見

人と接していくのです。

それは肉体意識から意識を外して

別次元の意識に昇格することを言います。

それが宇宙意識であり神意識なのです。

いきなり肉体意識から宇宙意識なのか?

と驚かれるかもしれません

しかし肉体の横には、マイナスの想念エネルギーがたくさん詰まった潜在意識の幽体があり、その先には少し浄まった霊体があり、またその奥まで行かないと浄化されたまったく汚れていない神界まで行かないのです。

神界がすなわち宇宙であり、守護神が住んでおられる、そして本当の自分が居る世界なのです。

今、肉体界は幽界と一体となっています。

ちょっと油断をすると

すぐに幽界のおばけちゃんにもて遊ばれてしまう

自分が自分(ほんとうの)でなくなってしまうのです。

そうならないためにも

昨日、説明しました印を組む、宇宙神と波長の合う「世界平和の祈り」を祈るのです。

自分の本体は神界にいるんだ!

自分は感情の世界(幽界)にいるのではない!

今のままの意識(肉体意識)ではどんなにあがいたところで絶対に3次元的なことは解決しないんだ!

答は、目にみえる世界(肉体界、3次元)にあるのではない、目にみえない高い世界(霊界、神界)にあるんだ!


自分の怠惰な意識、マイナス意識(低次元意識)を変えるには、自分のエネルギーを変えるしかないんだ!

次元を上げることで人間は、自分は進化向上していくんだ!

と強く意識をすることが大切なのです。

そして自分の意識を神界、宇宙、本心に合わせることで

自分の意識を次元を変えることが出来るのだと自覚してください。


素晴らしい自分とは、今の肉体の自分ではないのです。

神界にいる自分が肉体界に降りてきて実現するのです。


神界(ほんとうの世界)に意識を合わせる方法が祈りであり、印であり、マンダラなのです。

 

 

 

2013年8月17日 (土)

今こそ自己変革のときなのです。



みんな自分を変えたいと思っている、
今までの自分ではいけないんだと思っている。

妬み深い自分、嫉妬深い自分、怠惰な自分、すぐに落ち込む自分、すぐに投げ出す自分、仕事が出来ない自分、勉強が苦手な自分、人間関係をうまくやっていけない自分、家族と打ち解けられない自分・・・・みんな自分に対して自信を失っている 無限なる光!

しかしなろうとする自分を意識すればするほど、動けなくなってしまう

固まってしまう

そしてなにも行動しない

そしてなにかちょっとは思いつきでやってはみても

「やっぱり無理だ」 とすぐに諦めてしまう

今までに何回かやろうとしたのだけれど、

「今回もきっと駄目なはずだ」 

「うまく行きっこない」

そして駄目でもいいや

その方が楽だし、そのうちまた変えたくなったら、変わればいいし

今絶対に変わらなければいけないこともないんだし・・・

きつい言い方かもしれませんが

こんな人は、切羽詰まって土壇場に来て

にっちもさっちもいかなくなって

死ぬような目に遭わない限り

やろうとはしないのです。

だが、しかし真剣に自分を変えようとしている人がいる

どんなことがあっても変えたいと思っている人がいる

明日からではなく、今即変えたいと思っている人たちがいる

そんな、自分に正直に真剣に生きている人だけが自分を変えることが出来るのです。

自分を変えるにはどうしたらいいか?

それは、自分の意識を変える必要があるのです。

同じ次元で今までと同じ意識のままで、自分を変えることなんてできない

肉体意識のままでいくら自分を変えようとしたって

3次元の意識にはかわりがないからです。

次元を上げるのです。

今ままでの自分を変えるには

まったく違う自分にするには

意識という次元を変えるのです。

上げるのです。

3次元意識を4次元、多次元の意識へ

肉体意識を宇宙意識へ神意識へ

すると今までの、怠惰であった自分、何をやっても駄目だった自分、感情に流されて、怒ったり、哀しんだりしていた自分が、ほんとうの自分でなかったことに気づくのです。

今までの自分を客観的に俯瞰的に観ることができるようになるのです。

もう一人の自分が今までの自分を観れるようになるのです。

すると本来の自分がどれほど素晴らしい自分であったかにも気づくようになるのです。

アンデルセンの童話にある

「みにくいあひるの子」 のように

自分が白鳥(神)であったことに気づくのです。

なにをやっても駄目な醜いアヒルは自分ではなかったのだと気づくときがくるのです。

それがわかるようになるためには

自分でなんとかしよう

意識を変えよう

むりやりに白鳥になろうとしても無駄なのです。

それは意識を変えるツールを使っていないからです。

意識を変えるツールなんてあるのか?

そんな不思議なものがあるのか?

打ち出の小づちのようなものがあるのか?

あるのです。

それが祈りであり、印であり、マンダラなのです。

特に意識を変えるには印が有効なのです。

我即神也の印は、自分を神にまで高める方法です。

この印を組むことによって、宇宙根源エネルギーを受け取ることが出来、自己変革が起ります。そして自分が神であったことを思い出し、自分と人類と、大自然を含めたすべての存在が一つにつながっていることが実感できるようになるのです。

そして、このエネルギーは時空を超えるので、過去世や過去のマイナスの想念行為を消すことが出来て、新しい未来を創り直すことができるのです。

因縁因果を超えることが出来るのです。

そんな素晴らしいツールをただで無料で誰でもが使う事が出来る(笑)。

高いお金を払って自己啓発セミナーに参加しなくてもいい

自分を変えるために苦しい修行をしなくてもいい

辛い思いをして頑張って意識を変える必要はないのです。

本来の素晴らしい自分(神)を思い出すだけでいいのです。

思い出すツールが印なのです。

これから人間は、印を組むようになって

自己変革を遂げていきます。

肉体という鎧を被ったようながんじがらめの意識から

自由自在の無限の可能性を秘めた宇宙意識へと移行していくのです。

印は宇宙天使からの贈り物です。

そんなすごいツールがあったのか?

あったのです。

そして素直な人から世の中は変えられていくのです。

印の組み方は下記の図書から学ぶことが出来ます。
 

無限なる癒し  于寿明 星湖舎

無限次元への誘い  于寿明 星湖舎

無限なる幸せを体得する方法  于寿明 星湖舎

無限なる勇気  于寿明 星湖舎


印の組み方


http://www.byakko.or.jp/4_method/in.html


  


 
 

2013年8月16日 (金)

目的意識ってなぜ必要なんだろう?

 

最近、やたらと自分の中で

「目的意識を持たなければいけない」

「目的意識こそ、人間にとって最も必要なものなのだ」

という心境になっているのです。

今、たくさんの人が目的を失っていると思うのです。

なんのために仕事をしているのか?

なんのために生きているのか?

なんのために学校へ行って勉強をしなければいけないのか?

なんのために結婚をして子どもを育てなければならないのか?

・・・・・・・・

みんながそうしているからなんとなく自分もそれに従っている

同じことをしていれば、楽だし、無難だし、誰に非難されることもない

しかし目的意識もなく

ただ刹那的に生きていると

楽しくないのです。

何事も一生懸命にやらないと面白くないのです。

「生きている」

という実感がないのです。

目的意識がないとなぜ人間は活き活きとしないのか?

それは目的がないと

エネルギーが分散されるからです。

意識があっちへ行ったり、こっちへ行ったり、そっちへ行ったり

心ここにあらず で腑抜けのようになってしまう

生きる屍(しかばね)のようになってしまうのです。

そして何をするにも怠惰になり

心が狭くなり

自分の感情を喜ばせることだけに意識がいってしまう

小さな出来事に幸せを見出せなくなり

いつしか感動することを忘れてしまう

人間とは常に前を向いて進化していかなければ

生きてはいけないものなのです。

それでも生きているというのは

神様の温情であり、神様は人間が目的意識を持つのを待っておられるのです。

だから

生命を活き活きさせるためにも目的意識は持ったほうがいい、絶対に持ったほうがいい

どんな目的でもいいと思うのです。

とるに足らない小さな小さな目標、目的でもいい

探しても探しても、見つからなかったら

むりやりにでも作ったほうがいい

それに向かって意識を集中させて

意識がブレないようにする

意識が集中するようになると

エネルギーがそこに集まっていくので

想像した通りの現象が降りてくるのです。

想像(イメージ)したことが創造(クリエート)される

人間は、どんなものでも創り出すことが出来る

無限の可能性があるのです。

そのことを体現するために生まれてきたのです。

だから目的意識を持つことは

とってもとっても大切なことなのです。

私は孫正義さんの 志(こころざし)が好きです。

会社を大きくするとか、世界一の金持ちになるとか

人から尊敬されるような人間になるんだ とか

そんな物質的なことや名誉とかではなく

ほんとうの幸せとはなにか? を知っていて

自分の幸せを追求するのではなく

他人の幸せを自分の幸せに置き換えることの出来る人

それが自分の喜びとなり幸せになってゆく・・・・・

目的意識とは、幸せが伴っていなければ

モチベーションを持続させることは出来ないと思うのです。

幸せという感動がないとすぐに萎えてしまうと思うのです。

人類愛がなければ

その目的意識はほんとうの目的にはならないと思うのです。


孫 正義の 「志」




地球の反対側の小さな女の子を微笑ませることができればそれに勝る幸せはない。


 


孫正義がブロードバンド事業を開始するはるか以前のインターネットの黎明期から言っている。

志を最も純粋に伝える言葉の一つ。 株主総会などのスピーチの最後をこの言葉で締めくくることも多かった。

この言葉は、孫正義の 「志」 が 「情報革命を通じて、地球の反対側にいる人の思いや、その知恵と知識を一瞬にして共有し、国境や人種を超えて、一人ひとりが新しい可能性に挑戦できる社会を作っていくこと」 であることを示している。

ソフトバンクグループはデジタル情報革命の舞台である情報産業分野事業を行なっているが、デジタル情報革命でただ利益を上げることを目的としているわけではない。

最後の目的は、あくまでも人類の幸福なのだ。

ソフトバンクのソフトウェア流通事業、出版事業、ポータル事業、通信事業など自社として展開する事業だけでなく、2012年に孫正義が社会に投げかけた 「光の道」 や 「デジタル教科書」 などの提言も、究極的にはこの言葉に集約されている。

これらがすべてが 「デジタル情報革命を通じて人類の知恵と知識を共有する」 ということでは共通しているのだ。

 

  「孫正義名語録」  三木雄信 著 ソフトバンククリエイティブ



 

2013年8月15日 (木)

神々の働き(終戦記念日)


 
今日は、終戦記念日

なぜか 「波動がいいなぁ」 と感じたのは

朝からテレビなどで戦争と平和について特集などをやっているためだと思うのです。

みんな8月15日になると襟を正し

戦争の悲惨さを思い起こし

戦争体験のない人でも、平和の尊さ、人類の幸せを願う

だから自然に

「世の中が平和でありますように」

「地球から戦争、争いが無くなりますように」

「人間同士が仲良くなりますように」

という世界平和と同じような言葉で、気持ちで多くの人が祈っているのです。

おそらくもの凄い数の人であると思います。

だから今日の地球上には、宇宙からのプラスのエネルギーが降り立っているのです。

次元がかなり上がっているんでしょうね。

だから終戦の日にもかかわらず

心は暗くはならずに

みんなが穏やかな幸せな気持ちになっているのです。
 

私は、人間が平和を祈る気持ちを終戦記念日だけにせず

毎日祈りつづけて欲しいと思うのです。

そうすれば、地球上にある黒雲、カルマ、マイナスの想念エネルギーは一瞬にして消え去り

地上に神界が訪れるのです。

それは汚れ切った幽界が消え去って、浄まった霊界、神界が肉体界と一体となるからです。

神様は、地上天国を実現させようと、今、人間にしきりに働きかけています。

そしてそのためにはどうしたらいいか?に気づくための

出来事を次々に起こしておられるのです。

それは人間側にとっては都合の悪い、嫌なことなのかもしれません。

神様もほんとうはそんなことをしたいのではないのです。


“出来るだけ傷つかずに気づいて欲しい”

それが神々の願いなのだと思います。
 

世界人類が平和でありますように

 

 

神々の働き

肉体人間になると、大半が現象世界だけに住んでいる感じで生活しているので、自己の本体である神霊界の意識がないのであります。

肉体人間としてこの世に住みながら、はっきり神霊意識をもち、自己の肉体身を自由自在にあつかえる人を覚者というのですが、そういう人は僅かしかおりませんで、大半がこの現象界の自己という想念波動にふりまわされて、神霊の本心を忘れ果てているのです。

そこで守護の神霊のほうでは、この世における幸不幸というより、いち早く生命の実の相(すがた)を人々に知らせたいと思って、種々な環境にこの世の人間をおいて、修行させるわけなのです。

生命は永遠性のものであって、肉体にのみ存在するものでない。






        「日々の祈り」 五井昌久 白光出版



 

 

霊覚者とは

  

最近、私は霊能者とか霊覚者とか

やたらと書いているようですが(笑)

霊能者、霊覚者とは特別な人ではなく

私たち人間全員がそうなのです。

ただ、霊覚者になるまでの途中が霊能者であり

人間はみな霊覚者になることを知らず知らずのうちに目指しているのです。

霊覚者になるために地球上に降り立ったと言っても過言ではないのです。

霊覚者とは、お釈迦様であり、キリスト様であり、老子様であります。

どのような人たちなのかと申しますと

愛が深い、とてつもなく深い人たち、魂たちなのであります。

私たちは愛を学ぶために生まれて来たのです。(いろんな段階の愛があります)

存在しているのです。

愛が深まると宇宙そのものになる

宇宙そのものとは

神そのものであるということ

愛そのものであるということ


私の中では

愛=神=宇宙(神界)なのです。

人間とは、神と動物(感情霊)の間という意味です。

人とは 霊止 という意味です。

私たち人間に霊が宿っていない人など一人もいないのです。

霊そのものなのです。

霊とは神様のこと

神様が宿った(止)魂のことを人というのです。

だから人間と人とは違うのです。

人間(業と本心が入り混じった存在)が霊能者であり

そこから脱して本心のみになった人(悟った人)を霊覚者というのです。

私たち人間は、いずれ

全員が霊覚者になるのです。

アセンション(次元上昇)とは

人間が凡夫から霊覚者になることをいうのです。

しかし、全員が一度になるわけではありません。

人類(宇宙全体)の愛を願い祈った人が

神人になり

その神人の人の数が臨界点(10万人)を超えたときに

光が一斉に降りて

全員が覚正することになるのです。

神人とは

世界平和を祈り、印を組み、マンダラを描いている人たちのことなのです。

 
 

 霊覚者とは

現界での想念を、何重もの現界及び幽界霊界(過去世)の潜在意識層をこえて、まっすぐ宇宙神のみ心の中に融け込ませてしまった人をいうのでありまして、このような人はいかなる過去世からの想念波動(因縁因果)にも、幽界霊界からの想念波動にも把われることなく、自由自在に宇宙神のみ心、み光を宇宙一杯に働かすことができるのであります。

釈迦牟尼仏などはこうした人であったわけです。

こうした霊覚者は、神のみ心のままに自由自在に本心を働かすことができるのですから、神のみ心である、愛と調和の行為に欠けることがなく、愛そのものであり、調和そのものであって、愛の行為にもとったり、調和のひびきを破ったりすることは絶対にないのであります。

      

          
「日々の祈り」 五井昌久 白光出版



  

   

 

本心と業想念

 
 

私たちは、相手の気持ちを確かめるために

「それは、本心で言っているのか?」

と尋ねたり、場合によっては相手を責めたりするのですが

人間の思っていることのほとんどは、集合意識などの人の想いであり(または過去世の想念であり)、本当の心、本心から出た言葉ではないのです。

キリストの言う

「罪を憎んで人を憎まず」 とはこのことを言っているのであり

ひどいことを言ってしまっている(言わされてしまっているといった方がいいかもしれません)

その人本人には

なんら責任はないのです。

本心とは別のものがあって

その別のものにコントロールされてしまっている・・・・・

そうだったとしたら(そうなのですが)

とても相手を責める気持ちにはなれないのです。

本心とつながるとは簡単なことではなく

つながった人を覚者、聖者

悟った人というのです。

本心は、神界にあるのです。

肉体界、幽界、霊界を通り抜けてその先の神界までいかないとたどり着けないのです。

ですから覚者、聖者意外は

みんな罪悪深重の凡夫です。

罪深い人たちなのです。

人間なんて50歩、100歩

たいした違いなんてありはしない

もちろん、そのまま(凡夫)ではいけないのですが(そのために世界平和の祈りがある)

我即神也、人類即神也に至るまでは

そのプロセスとして

どうしようもないくらい馬鹿な人間があるのです。

だから馬鹿のままではいけない

そこから出発して

限りなく神に近づいていこうとする

その努力のプロセスが尊いのです。

美しいのです。







 本心と業想念


普通の人は、心は一つしかないと思っているのですが、私は一つの心、つまり神の直霊分霊として働いている心を本心と呼び、その本心の周囲を何重にも巡っている波動(ひびき)を想念と呼んでいるのです。

たとえば、本心の働きによって生命が滞りなく素直に活動していて、肺臓も心臓も胃腸も丈夫でいたとします。

そこへ癌で死んだ知人があったりすると

 “ああ私も癌になりはしないか” とふいっと思います。

このような本心の働き生命の働きを、ちょっと疑うような心の動き、そうした心の動きを、私は心と呼ばずに業想念と呼んでいるのです。

もっと端的にいえば、神のみ心に素直につながっている心だけを、心と呼び、神のみ心を離れた心の波動は、すべて想念と呼んでいるのです。

     

         「日々の祈り」 五井昌久 白光出版




  

 

想いのすべてを宇宙に投げ入れよう!

  
 
「愛深い自分でありたい」

「いつもやさしい自分でありたい」

「どんなときも穏やかで不動心でありたい」

「世の中が愛に満ちて素晴らしい地球になって欲しい」

・・・・・・・・・

これらは人間なら誰しもが思うことなのですが

愛に満ちた自分がいるかと思えば、嫉妬心や妬み怒りや悲しみが突然湧いてきたりして

自分では気持ちのコントロールが難しいのです。

それは人間というものがどういう仕組み(ボディ)になっているのかを知らなければなりません。

人間には肉体(物質)というボディがあって、そこである程度、他人から受ける想念というエネルギーを防げると思っているのです。(なんという幼稚な考えなんでしょう)

そして防ぐ力の強い人、打たれ強い人を

「精神的に強い人」

防ぐ力の弱い人、打たれ弱い人を

「精神的に弱い人」

と言っている

この程度の知識?

しかないのです。

ところが想念エネルギーとは、電波、音波、光波よりももっと細かい粒子であり、肉体の脳裡にいとも簡単に入っていってしまう。

相手の思いがすぐに自分の想いになってしまう (自分を見失ってしまう)

だから想いとは相手の心と書くのです。

今、自分が思っていることは、天界にある本心から来ている思いなのか?

過去世からの潜在意識(幽体)に溜まったものから来たものなのか?

あるいは、人の想念を受けた想いなのか?

これらをちゃんと区別出来ないことには

人間はいつまでも脳裡を駆け巡るいろんな種類の想念エネルギーに振り回されることになるのです。

だがしかし何かを思うたびに

「これは業想念だ」

「これは本心から来た直観だ」

「これは過去世において自分が思っていたことが今浮かんできたのだ」

「いやこれは、あいつの想いを受け取ってしまったのだ」

「いや待てよ、これは地球人の集合意識だ!」

などと分析してもしかたのないことなのです。

それが当たっていたとしても

自分ではどうしようもない

無防備な状態では

脳裡に入ってくるものを防ぎようはないのです



だったらどうしたらいい?

それは、自分の思いも、他人の想いも、潜在意識に溜まった想いも、幽界のおばけちゃんの想いも、その他いろんな想いも

すべてのすべてを天にお返しするのです。

とてつもなく大きく、それでいて無限に澄んでいる、どんな想いもろ過し、どんなマイナスの想いも溶かしプラスのエネルギーに換えてくれる宇宙に投げ入れてしまうのです。

宇宙は想いのエネルギーを溶かしてくれる溶鉱炉みたいなものなのです。

溶かし(消し)てくれるだけではなく、無限のプラスのエネルギー、光に換えて肉体(肉体界)に返してくれるのです。


分析する必要はないのです。

人間が考え出した心理学がどれだけ人間をややこしくしてしまっているか?

それは真理がわかっていないからです。

理屈ではないのです。

人間の原点にかえってみればわかるのです。

人間はどこからやってきたのか?

それは宇宙であり、神界であり、天界(天国)からやってきたのです。

宗教とは何なのか?

それは宇宙を示す教え というように

宇宙の摂理なのです。

お釈迦さまが何を説いたかといえば

宇宙観だったんですね。(金星の進化した意識、教えを説いた)

それは

「人間よ、故郷へ帰れ」

「宇宙へ還れ」

「原点に還れ」

だったと思うのです。


原点に還り、本来の姿に戻ることですべてが解決するのです。


それを体現するために、私たちは地球に天下ってきたのです。

世界平和の祈りは宇宙(神)と共鳴し

原点に還る(神に還る)ことの出来る祈り言葉なのです。

もうごちゃごちゃ頭で

「どうのこうの」 と頭でこね繰り返すことはやめましょう(笑)。

想いをすべて宇宙(故郷)へ返して

すっきり爽やかになりましょう♪

本来の素晴らしい自分に戻りましょう♪

 

世界人類が平和でありますように

日本が平和でありますように

わたしたちの天命がまっとうされますように

守護霊様ありがとうございます

守護神様ありがとうございます




  

 

人間は誰かに愛されたいのです


 
相談者の人とは、悩みや迷いがあるのではなく、愛が枯渇しているのではないのか?

と思うのです。

悩みとは、闇が波のようにやってくることをいうのです。

その人には、光が足りていない、愛が少ないのです。

愛で満たされると、その人は本来の姿になり、勇気や元気が湧いてくる

人間とは肉体(物質)が人間なのではないのです。

想念、心、エネルギー体(波動体)が人間の正体です。

そして光を得ることによって、生命が活き活きとしてくるのです。

光とはなにかといえば

感謝する心であり、愛です。

神は愛なのです。

か~あ

み~い

そして世界平和の祈りは、どんな人も愛するという

大きな大きな愛に溢れた祈り言葉なのです。

この祈りを祈ることによって人間は、本来の素晴らしい自分(神)に還ってゆくのです。

そして、祈り心で接した人も神に還ってゆくのです。


  

世界人類が平和でありますように

日本が平和でありますように

私たちの天命がまっとうされまうように

守護霊様ありがとうございます

守護神様ありがとうございます




 

人間は誰かに愛されたいのです



愛のない説教などは個人指導においては、なんらの効果のないばかりでなく、かえって人の心を傷つけるぐらいなものであります。

私は私のところにくる人々には、声にでる言葉で説くよりは、世界平和の祈りを心の中でしながら、特にその人の天命のまっとうされることを、守護の神霊に祈ってやりなさい、と教えているのです。

人間は愛されたいのです。 人類すべてに愛が必要なのです。

愛とは説教でも小言でもありません。

柔かい温かい明るい光の波であります。

全身全霊から愛の光がほとばしりでますように、愛の光でみちみちている自分になりますように、私たちの祈りは、世界平和の祈りを根底にして、こうした愛の祈りの日常生活でありたいものです。



        
            「日々の祈り」 五井昌久 白光出版



  




 

2013年8月14日 (水)

霊能者と霊覚者とは違う

 
霊能者によって奇跡的に病気が治ったとしても、それが自分の中の心の変化から来るものでなければ、また同じ病気をくり返します。

病気というものは、読んで字のごとく、気(エネルギー)が病んでいる状態なのです。

人間とは光の波動体(エネルギー体)なので、きれいな川の流れのようにエネルギーが滞ることなくスムーズに流れている状態が健康であり正常なのです。

それがなにかに把われて、想いで煩っている(これをストレスという)とエネルギーの流れが悪くなるのです。

ちょうど川の流れの中に大きな石を置くのと同じです。

流れは次第に悪くなり、せき止められた川の水は汚れ腐ってきます。

霊能者はその石を外したり、一時的に流れを良くしたりする(出来る)ので、スッキリした気分になったり、一時的に病気が治ったような状態にもなるのです。

しかし時間が経つと、想いの把われ(根本原因)がなくなったわけではないので、また同じことが繰り返されるわけです。

ここで霊能者の人が

「私に頼ってはいけない、病気は自分の気(エネルギー)で直すものです」

「そのためには、光を放たなければならない、天地を貫く光の波動体にならなければならない、だから祈らなければならないのです」・・・・・と

一時的に症状が治ったことの理由(わけ)を説明し、

後は「自分でやりなさい」 と言えば申し分ないのですが

ほとんどの霊能者は

自分の力を誇示し、自分に頼らせるのです。(そしてお金をむしり取る)

五井先生がご生存のときに

たくさんの人の病気を治したのですが

それは、決して自分に頼らせたのではなく

世界平和の祈りを祈り続けることでやがて不調和な状態(病気)が治っていくことを教えていたはずなのです。

でなければ、病気を治すことは、お医者様の範疇(テリトリー)であり、神様は認めておられないからです。

インターネットの時代になって

「霊能力なんて信じない」 という人がほとんどだと思っていたのですが

案外、霊的なことを信じる人も多いのです。

今を一生懸命に真剣に生きている人は、このようなあやしい霊的なものには興味を示さないのです。

安直に、何でもいいから

「治りさえすればいいんだ」 と考えている人は、ひっかかりやすく

「なにかあやしいな、おかしいな」 と思っても自分に自信がないために

ずるずると通ってしまうのです。

大切なのは目的意識だと思います。

霊能者の人に

「なんの目的があって病気直しをされているのですか?」

と聞いてみればいいのです。

病気とは不調和な原因となっているものに気づくために与えられた

守護霊守護神からのメッセージです。

だから、守護霊守護神の許可がなければ

勝手に無責任に治してはいけないのです。(本心開発、魂の成長が遅れる)

神の意思に反したことをしてしまっているのです。

神の願いとは

「世界平和の祈りを祈ることです」

だから祈り(真理)を教えない病気直しはあくまでも邪道なのです。


  

 

霊能者と霊覚者とは違う
 



霊能者とは一般の人々には見えもしない聞こえもしない姿や声を聞いたり、人の想いがわかったり、運命がわかったり、過去世における状態がわかったり、医薬を使わないで人の病気を治したりする人々をいうのです。

そうした人々はその人の人格の高い低いにかかわらず、霊能者といわれます。

だから運命の予言や病気治しは上手だが、人格としては頂きかねるという人もあるわけです。

人の想いがわかったり、運命の予言ができたり、病気治しが上手だったり、肉眼で見えない世界が見えたり、という能力があったとしても、その能力がかえって相手の本心開発を遅らせる、自我欲望達成の具となるだけだったら、その霊能者も相手の人も不幸であるばかりでなく人類の進歩にもよくないことになるのです。

 

     「日々の祈り」 五井昌久 白光出版



  


 



 

 

2013年8月13日 (火)

秀れた師を求めよ

  

 

お医者さんに見放された人が、「いい霊能者の人がいるよ」 とか 「お医者さんにも治せない病気は、変なものが取り憑いているんだから除霊してもらったらいいのよ」 とか言われて

あやしい霊能者と言われる人のもとへ行っている姿をみかけることがあるのです。

これは大変危険なことであって

そもそも病気になる(不調和な状態)というのは

必ず原因があるのであって自分で発見し自分の内の力(自然治癒力)で解決しなければならないことなのです。

病気は神様が

「気づきなさい」 と与えたものである。

だから気づいて元となるものをしっかりと見つめ、解決していくのは自分自身なのです。

それがたとえ、先祖のさ迷った霊が憑いたものであったとしても、自分で取り除くことができるのです。

それはとり憑いた霊魂たちの天命がまっとうされること(そして世界平和の祈り)を祈ることによってその霊たちを迷いの世界から抜け出すようにしてあげるのです。

するとその霊魂たちは、よそにいってまた悪さをすることがなくなるのです。(除霊ではなく浄霊ですね)

浄霊を自分でやることを教えるのが本ものなのです。

霊能とは神様から来たエネルギーではなく

幽界のおばけちゃんたちによる念力なのです。

邪道なのです。

だからそれで一時的に治ったようにみえたとしても

また再発したり違う病気になったり、違う災難がやってきたりします。

そして

霊能者にも、頼った人にもその邪道のエネルギーは返ってくるのです。

「霊能者ではなく霊覚者になりなさい」

とは五井先生のお言葉ですが

「病気を治します」 などとそれだけを公言して頼らせている人の

ほとんどは、誤った霊能者であるとみていいと思うのです。

 








秀れた師を求めよ
 

霊能者といわれる人は、自己が意識するとしないとにかかわらず、幽界の波動や霊界の波動を受けやすい肉体に生まれついているのであります。

そして、自己の霊能に気づきはじめると、今度はその想念そのものも、幽界や霊界に向かうことが多くなり、本格的に霊能者となってくるわけなのです。

そうした霊能があると気づいた場合、逸早く真の秀れた宗教者のところに行って、自己の想念波動が、常に神霊の世界のみに集中されてゆくような指導を受けることが必要です。

人に見えぬ世界が見えたり、運命の予見や病気直しができたりすることだけで、人格が立派になったように思ったり、神様が自分にのりうつったように思い、高慢になったりする霊能者は、いつかは自分をも人をも傷つけ損ねてしまうのです。

   

          「日々の祈り」 五井昌久 白光出版



親の心がまえ

 
肉体界の親は、真の親子ではなく、肉体界限定の目にみえる世界だけの関係なのです。

子とは肉体界で仮に預かっているだけ、20歳を過ぎれば、世間にお返しする、かぐや姫のような存在なのです。

だから20歳を過ぎれば、兄弟姉妹のような関係になればいいと思うのです。

そう思えば、自分の思い通りに育っていなくても出来の悪い弟や妹である、年の離れた兄弟なんだと思えば、客観的に観れるし、余裕を持って接することが出来るように思うのです。

兄弟姉妹だから、そんなに責任を感じることもない

「ちゃんと育てなければ」

「親子とは、親とは子とは、こうでなければならない」

というねばならないという執着が消えます。

でも、忘れてはならないのは

ほんとうの親は、その人を常に見守っている守護霊さんなんだということです。

肉体の親は、子どもの心の中まで入っていくことができない

何を考え何をしようとしているのか、わかることができない(しかし守護霊さんはわかっているのです)

だからフォローもできないし、それどころか子どもの表面的なことだけを見てしまい、かえって余計な心配しかできないのです。

「親はなくとも子は育つ」 の言葉のように

子に対して執着むき出しの親ならば

肉体の親なんぞはいない方がいい場合も随分とあるのです。

20歳を過ぎれば、子は自分で自立しようとします。

親から離れて、一人で生きていこうとします。

それを邪魔をしてはいけないのです。

兄弟姉妹のような関係が良いからと言って

「兄弟は他人の始まり」

という言葉があるように

まったく無関心で他人のようであってもいけないけれど

仲はいいけど、お互いに干渉し合わない

ちょうどいいくらい距離の離れた

兄弟のような関係・・・・・

息子とはそんな距離感で付き合っていきたいと思っています。



 

親の心がまえ
 



神は人間の根本であり、人間そのものである霊であって、永劫に離れ得ぬものであり、人間の親子は、生命の親子ではなく、生命の器である肉体における親子であって、肉体的における生命の活動が子自身においてなし得るようになれば、親とは全く別個の肉体人間となり得るのであります。

この相違をよく考えないと、親はつねに不幸になるのであります。

子は自分のものであると親が思っている以上は、子に対して執着が出るのは当然であり、子に対して自分の要望をかぶせ、自己の意思を強いようとする態度に出がちなのであります。

この執着を逃れる道は、親も子も生命においては兄弟姉妹であって、真実の親は神の他にはないのである、という真理を知ることなのであります。



        
「日々の祈り」 五井昌久 白光出版


 

2013年8月12日 (月)

過去にエネルギーを注ぐか、明るい未来にエネルギーを注ぐか、なのです。

  

 

過ぎ去った過去や、誰かに言われた一言をずっと覚えていて

「ああだ、こうだ」と想うということは、エネルギーは過去に向けられているのです。

過去をつかんでしまっているから

つかんでしまったものが潜在意識(幽体)に記憶され、また顕在意識(肉体界)に顕われることになる。

私たちはもう過去から、マイナスの想念エネルギーから卒業して、未来の、そして宇宙の無限のプラスのエネルギーに意識を合わせるときに来ているのです。

「果因説」は、宇宙天使からの贈り物です。

「この考え方に変えれば、きっと幸せになれる」

「未来は自分で創造(クリエイト)していくものなんだ」

と宇宙天使たちはおっしゃっておられるにちがいないのです。

 
 


因果律と果因説の違い━過去→現在→未来か、 未来→現在→過去か

次にあげる因果律と果因説の違いは、「過去→現在→未来」という因果律の流れに対して、果因説の流れでは、 「未来→現在→過去」であるということです。

因果律では、現在起こることは過去の因が決めている、つまり 「過去→現在」という全体の流れがあります。

病気に例えると、「過去にしてきたさまざまなことによって、現在病気になることがすでに決まっていた」 というように、過去に起こった一つのことが原因となり、次々と玉突き式に結果となって、現在の病気が現われる。

そして現在の病気がまた新たな因となり、「現在→未来」 という流れに乗って、未来の結果となってゆく。

これが因果律の流れです。

この考え方でゆきますと、過去からやってくる病気に対して、現在や未来では何一つ打つ手がなく、ただ黙って受け入れるしかないということになります。

現在も未来も過去に起こったことから生じる必然であって、もし過去に別の選択をしていれば今病気にならなかったかもしれないが、過去に戻って過去の選択を変えることが出来ない以上今も変わらない、今が変わらなければ未来も変わらないということになります。

これでは、人間には全く自由意思がないということになってしまいます。

しかし果因説では、「未来→現在」という流れに乗って、未来の結果を先に創り出すことが出来るのです。

例えば、川は川上から川下へと流れています。

今現在自分は川の中にいて、傍に落ちていた葉っぱに希望や夢を、現実に現われるように書き込むとします。

それを放り投げます。

川下のほうに放り投げたら、その希望の葉は永遠に自分のところへは戻ってきません。

自分の手から放たれた瞬間からどんどんと川下のほう(即ち過去)へと流れ去っていってしまいます。

結果、その希望は自分の手には戻りません。

だからこそ投げる時には、必ず川上に向って(即ち未来の希望のビジョンを見て)、投げるのです。

その希望の葉は川上のほう、即ち未来へと放たれて、そこから次第に川下へと流れてゆきます。

そして今、ついに現地点の自分のところに、何年か、何ヶ月か、何日か前に投げ込んだその希望の葉が戻ってきて、自分の前を通り過ぎようとしています。

それを自分がキャッチすることにより、希望していたことが現実に顕現されるのです。

時間は未来から現在へとやってくるのです。

そして毎日のように、思い出すたびに繰り返し繰り返し希望の葉を何十枚、何百枚、何千枚、何万枚と未来に投げ込みつづけると、いつの日か、宝くじのようにそのうちの数枚が、必ず自分の前に現われ、現実となるのです。

従って、まさに今の瞬間、自分の未来に対する希望や輝かしい人生の設計図を強く思い描き、

「絶対大丈夫!」 「必ず出来る!」 「すべては可能である!」 「すべては完璧!」 「欠けたるものなし!」 「必ず成就する!」・・・・・・などという想いや言葉を繰り返すことにより、それが現実となって現われるのであります。

時間は未来から現在、現在から過去へと流れているのですから、今この瞬間、未来について思ったこと、考えたこと、語ったことの成就は、いずれ現在にやってくるのです。

ですから今現在、この瞬間、未来の希望を繰り返し、繰り返しインプットすることにより、それが次々に現在へと流れてくるのです。

そしてそのうちの数枚の葉(未来に投げかけた希望のビジョン)を、自分がキャッチする瞬間が必ず来るのです。

これが果因説です。

今までのような、過去の原因を突き止め、悪い種を一つ一つ暴き出し、それを排除しつつ上り詰めてゆくやり方は、過去のマイナス(川下)に意識が集中するため、目的達成が容易ではありません。

しかし、過去の因縁に由来する果因律に心縛られず、憂えず、今の瞬間、未来(川上)に向って自らの意識を高めるという果因説に切り換えると、自らに内在する素晴らしい資質が目覚め、人生は好転するのです。

    

         「果因説」 西園寺昌美 白光出版


2013年8月11日 (日)

幸せになるための方法はこれしかない


 
「幸せになるための方法はこれしかない」 などと物事を断定的に言ってはいけないとも思うのですが、今はスピードの時代です。

幸せとはなんぞや、幸せになるためのノウハウはなんだ、などとのんびりと考えている悠長な時間的余裕ははないのです。

果因説の本を読んで

「ああそうだったのか」 と即納得し、そして即、実行してゆく。

そして自分がとっとと幸せになり、そのメソッド(方法)を他の人にも即行で教え伝えてゆく

そして、周りの人がどんどん幸せになってゆく・・・・。(果因説はシンプルでわかりやすいのです)

そうしないと多くの人を真理を知らないまま、伝えないままにして置くと

神様が描いている(イメージ)地球の進化(計画)と

私たち人間の進化(意識という意味))に大きな隔たりが出来てしまうのです。

そのギャップが不調和な天変地変(異常気象、地震、自然災害)になって現われてしまう。

また、個人の不調和な状態にもかかわってくる。

今がまさしく目覚めの瞬間(とき)なのです。

そのためには、この「果因説」 が絶対に必要だと確信するのです。





因果律と果因説の違い━原因が先か、結果が先か



 

たとえばお金があれば私は幸福になれる。 愛する人にいつも寄り添っていられれば私は一生幸せである。

この場合、因果律でいくと、 「お金があれば」 が原因で、その結果が 「幸せ」 です。

「愛する人にいつも寄り添っていられれば」 が原因で、その結果が 「幸せ」 である、ということになります。

ところが私の説く果因説は、先に結果をイメージし、創り出すことによって、自ずと原因がそれに従ってくるという法則による方法なのです。

この法則でゆくと、結果は自分自身の心の中にあるということになります。

有限なる物質世界に焦点を合わせるのではなく、すでに心の中にある無限なるものに心の焦点を合わせてゆくのです。

私たちにとって、結果を先に創り出すことのほうがずっと簡単なのです。

なぜならそれらは私たちの心の中にすでに自分の素晴らしい資質として存在しているのですから。

私たちが本来持っている無限なる愛、健康、幸福・・・・・それらに心を合わせていれば、自然に原因がそれについてまわってくるのです。

私たちにとって結果が先なのです。

無限なる繁栄が先にあるのです。

無限なる調和によってすでに心の中が満たされているのです。

すると自分の心の焦点に合うように、自然に調和してゆくような環境が現われてくるのです。

まず、自分を認めることです。

今までは 「もう歳だからそんなことは出来ない」 と思うことが習慣になっていたかもしれません。

それを 「まだそんなことが出来なくなるほど歳をとってはいない」 という思いに切り換え、自分の素晴らしい資質に目を向けてゆくことです。

心の中に幸せが呼び覚まされていれば、その心の持つエネルギーによって、幸せになる原因となるすべてのものが、物質も、人間関係も、自然についてくるのです。

すべての結果は自分自身の中にある━因果律から果因説にシフトするには、まず最初にこのことをよくよく知る必要があります。

 
         
          果因説」 西園寺昌美  白光出版



 

2013年8月 9日 (金)

今、自分が想っていることのほとんどは相手(人類)の思いなのです。 2

 
 
心の世界もみなつながっている

 

それはあたかも太平洋の水が、日本と米国とを一つに結んでいるのと同じように、空にお

いても、想念波動の世界においても、世界はまったく一つにつながっているのです。

海の水がつながっていることや、空が一つであることなどは、すぐに理解できるが、想念波

動がつながっているということはどういうことか、という問がでてくると思います。

ところがこの想念波動の問題を知ることこそ、世界平和を実現する最も大事なことなので

あります。

想念波動の伝わりということは、音波や電波や光波によってテレビやラジオやテレフォン

で、お互いの声を聞き、他国の人の姿をみることができるという科学の原理と同じなので

す。

想念波動とは電波や光波や音波よりも、もっと微妙な精神宇宙子の波動なのであります。

これは私たちが現在研究中の宇宙子科学の原理によってよく判ることなのですが、まだ一

般の知識としては、この精神宇宙子のことは判っておりませんので、電波や音波光波より

もっと微妙な波動とだけ思って頂ければよいでしょう。

この微妙な波動が、人類すべての思い思いの波動となって、世界中を空気の波のように

無限の層となって蔽いつくしているのです。

その波動は、争いに充ちたものもあり、妬みに充ちたものもあり、病苦、貧苦に充ちたもの

もあり、恨みや怒りに充ちたものもあります。

またそうした暗い汚れた想念波動でない、明るい愛に充ちた、善意に充ちた光明そのもの

の波動もあるのであります。

こうした想念波動の渦は、それぞれがエネルギーでありまして、そのエネルギーは人間の

肉体に働きかけて、人間にその想念波動の通りの行為をなさしめるのです。

電気的エネルギーが流れ出せば、電流となってモーターを動かし得ると同じように、想念

波動のエネルギーも、人間の肉体を動かし得るのです。

そして、その想念波動が争いや妬みの暗い汚れたものであれば、働きかけられた人間は

そういう行為をするのであり、愛や善意の光明波動であれば、愛の行為になってくるので

あります。

人間の肉体というものは、肉眼で見、肉の手で触れれば固まった一定した形をもったもの

で、口から入らなければ外部のものが中に入ってくることはないようにみえますが、実は常

に外部から眼に見えぬ種々な要素が入ってきているのです。

眼から耳からは、映像として文字として言葉として音として入り、放射能のようなものは体

のいたるところから体内に沁み通ってきます。

そのように、光線よりもっと微妙である想念の波動は、直接に脳髄に入りこんでくるのであ

り、神経系統のあらゆるところにも沁みこんでくるのです。

ですから、人類世界すべての階層のそれぞれの想念波動は、各個人や集団のそれと合致

した想念の渦をもつところに、絶え間なく入りこんできて、その人やその集団は、恨みなら

恨み、怒りなら怒り、争いなら争い、情欲なら情欲の渦中からぬけ出せないようになってし

まうのであります。

たまたまは愛の心や柔和な想いが起ってきても、争いや恨みの暗い想念波動の渦巻きが

烈し過ぎると、そうした善なる想念もたちまち流し去られて、その個人や集団はまた再び暗

黒思想を出しつづけてしまうのであります。




     
「世界平和の祈りの運動精神」 五井昌久 


感想

ここまで読むと、想念波動の原理はわかったものの、どうしたらいいんだ? ということにな

ります。

ですからそのマイナスの想念波動に負けないようにするために、守護霊守護神の強い守り

があることを知り、ご加護を祈り、世界平和の祈りを祈り、自分が常に天と統一している状

態になることによって、幽波動と合致しないようにすることが大切なのです。

肉体界を正しく障りなく、幸せに生きて行くためには、真理を知ることと、守護霊守護神の

助けを借り、自分でプラスの神波動を出していくことがなりよりも必要であることがわかる

のです。

自分の出す想念波動を整えること(波動調整)が調和波動気功法なのであります。




 
調和波動気功法とは 


 

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調和波動気功法(ハーモニー)


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オーラ・オーラ

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今、自分が想っていることのほとんどは相手の思いなのです。 1

 
こんなこと想いたくもないのに

どうしてこんなことを想ってしまうのだろう?

さっきまで、清々しい気持ちだったのに

なぜ急にどんよりとした重たいネガティブな気持ちになってしまうのだろう?

銀行へ行くとなぜ、お金のことが心配になってしまうのだろう?

一日のうちで躁と鬱が繰り返し起こるのはなぜだろう?

情緒が不安定になるのはなぜ?

脳裡をいろんなことが浮かんでは消えてゆくのはどういうこと?

頭の中と心の中は違うの?

そもそも想念ってなんだろう?

想うことってどこから来ているんだろう?

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

想いに関してはわからないことだらけなのです。

いつも言っていますように

想いとは相手の心と書く

自分では自分の本心が今、思っていることだと思っているのだけれど

ほとんどが相手の思い、周辺の人たちの思い、そして人類の思いが自分の脳裡に入って

きて、自分の本心だと錯覚しているのです。

一番影響を受けるのは、肉体にくっついている幽体の波動であって、肉体の大きさは170

センチ、65キロだったとしても幽体はビル一棟分の大きさがあるのです。(自分の身体がビル一棟だと思ってください)

オーラ写真を撮ると肉体を覆っているエネルギーが見えます。

それが幽体なのです。

だからビルの中に非常にネガティブな人がいるとその人のエネルギーをもろに受けるので

す。

そしてその人と同じ波動体(エネルギー体)になってしまう。

想いのエネルギーは非常に細かく、電波や光波や音波よりもずっとずっと微妙なのです。

だからいつ自分の脳裡に入ってくるかわからない。

うっかりすると(しなくても)まったくの別人になってしまうこともあります。(守護霊守護神に

守られているのでなんとか助かっているのです)

想念とは、何なのか?

それは海の水がつながっているように

日本海の海の水と、アメリカの水、アフリカの水がつながっているように想念もつながって

いるのです
。(だから一粒の水を分析するとすべてがわかります)

空も一つです。

空をどこから見ても、違う空がないようにつながっているのです。

想念もまったく同じで

自分の想いも相手の想いも、全人類の想いもすべて一つにつながっているのです。

だから自分が発した想念エネルギーは地球を巡り、宇宙の果てまで行っている。

そして宇宙の果てにまで影響を与えているということです。

そのことをわかって頂いた上で

今、想っていることのほとんどは相手の思いなのです。2 を読んでください。


 

 

縦からのプラスのエネルギーを横に流すことが調和なのです。


大樹が天からの縦 ┃ のエネルギーを受けてそのエネルギーを枝葉まで行き渡らせ、そして枝葉からプラスのエネルギー、つまり酸素を地上(横 ━ )に流している姿は

まさしく縦横十字の、大調和の姿を顕わしているのです。

しかし人間は、ありがたい天からのエネルギーも意識をせずに受け取っており、またプラスのエネルギーどころかマイナスのエネルギー(想念、行為)を流してしまっている。 無限なる光!

それが最近特に増えている天変地変(豪雨、竜巻、地震、台風など)の原因なのです。

人間のマイナス想念が溜まりに溜まったものが天候に顕われているのです。

人間はいいかげんでそのことに気づいて

気づいた人から

自ら大調和になるような器にならなければならない・・・・

今がまさしく “そのとき” なのです。

他人はどうでもいいです。

まずは自分がそうならなくては(大調和の器に)・・・・

と思うのです。


微妙なひびきを持つ、縦の面の神々の働きは、心の働き、つまり精神面として霊魂的な働きとなり、大きな震幅の波動を持つ、横の面の神々の働きは、魄的、つまり物質面の働きとなって現われているのです。

...
今日の人間のほとんどが、この縦横十字の波動の調和がなされていないので、完成された人間としての、安心立命した生活を営めずにいるのです。世にいう大聖とは、縦横十字の波動の調整がなされていた人なのであります。

人間の縦横十字の働きが完全になるために、その交叉の中心に、私が常に説いております、守護の神霊の救済の光明波動が、放射され続けているのでありますが、今日までこの真理は、ほとんどの人が知らないのであります。



・物質は神界にもある。だから神界にも山があったり、美しい木が生えていたりするのです。現われているものは全て物質ですからね。ただし物質といっても、微妙な波動の物質です。


横の流れの多いことを物質というのです。縦の流れの多いことを精神というのです。それで縦横十字になって調和していることが、大調和というのです。

だから神界から肉体界まで全部、横の流れは物質的に流れて、物質が見えるのです。縦の流れが精神的になっていて、縦横十字交叉で、碁盤の目のようになって、この宇宙は出来ているのです。


・妙好人というのは、妙なるみ仏のひびきを身に現わしている人という意味です
。(五井昌久)




 



タイミングが大切なのです。

間というのがありますね。

タイミングともいう

この間やタイミングが大切なのです。

すごく良いことを考えた

しかし相手がそれどころではないときに

声をかけたり、電話をしたりしたら台無しになってしまう

今はメールがあって相手の人が都合のいい時間に見てタイミングを合わせてくれることもあるけれど

“絶好の間”というのは頭で考えてわかるものではないのです。

「今だろうか?」

「いやもう少し後の方がベターだ」

「明日にしようかな?」

「いやもっと機が熟してからのほうがいい」

考えれば考えるほど

わからなくなる・・・・・

でどうしたら一番いいかというと

一番いいタイミングがわかっている人に聞いてみるといい

それが守護霊、守護神さんなんですね。

肉体界とは、幽界、霊界、神界が写って来ているのです。

幽界(潜在意識)で潜んでいるもの(想念・行為)が肉体界(顕在意識)に現われてきているのです。

しかし、幽界に意識を合わせてしまっては、幽界にいるオバケちゃんにもて遊ばれてしまう(ほとんどの人がそうです)

ではなく心を鎮めて、世界平和の祈り(神界の響き)を祈って、霊界の守護霊さん、神界の守護神さんに意識を合わせるのです。

守護霊さん守護神さんは、肉体界で何が起きるのか? 守っている人間に何が起こるのか?

未来のことがわかっておられるのです。

例えば、向こうから車が来ている

そのまま真直ぐに歩いて行けばぶつかることがわかっている

そこで守護霊さんは、

“道を換えた方がいいような気持ちになるように”

メッセージを送るのです。

人間側としては、そのときにメッセージが入りやすいように、キャッチしやすいように

頭を空っぽにスッキリした状態にしておくことがべストなのです。

そのために祈りをする

タイミングも同じです。

絶好の、絶妙のタイミングのときに

守護霊さんが教えてくれるのです。

「今だ!」

って

だから守護霊、守護神さんとつながっていると

安心なのです。

 




私は若い時に、ものすごい短気だったのですよ。そのうちに、神に我が生命を使って下さい、人類のためにお使い下さいと投げ出したら、短気も損気もいつのまにか無くなってしまった。

短気は何に変ったかといったら、気が早くなった。同じようでしょう。気が早いというのと、短気とは違うのですね。気が早いというのは敏しょうという意味です。なんでもパッパッと、ものがやれるようになった。

裏表です。長所が出れば敏しょうになるし、裏が出れば短気になる。だから長所と短所は、裏表になっているわけですね。

裏表をひっくるめて、世界人類が平和でありますように、と大光明の愛の心の中に入れれば、短気も損気も、みんな光の中に消えて、どんどん裏が表に変ってゆくわけ。それで長所がますます、長所になって広がってゆくでしょう。(五井昌久)



 

2013年8月 8日 (木)

人間はバランスが大切なのです。


私は常日頃宗教を信じている人々が信仰に加えてもっと知性が伴えば、どんなに素晴らしいかと考えている一人である。

たとえばここに大変主人思いだった猿の例え話をあげてみよう。

「ある日、主人が木の下で居眠りをしていた。 すると飛んで来た蝿が顔の上に止まり、彼はねながらも顔をしかめた。

それをみた猿は主人の安眠を妨害する蝿を殺さなければと思い、そこらの大きな木の枝を拾い上げ、満身の力をこめて主人の顔めがけて打ちおろした。

蝿は死んだ。 が主人も又決して永遠の眠りから目を覚まさなかった」

猿はなんと誠実で親切で思いやりがあり、そしてなんと愚かであったのであろうか。

猿と同じように善意に満ちあふれながらも、常識が伴わない人間はこの世に多い。

私は盲目的な信仰を好まず、完全な人間性を目ざしてゆきたいと思っている。





       「日々の指針」 西園寺昌美 白光出版




  

 

 

ジャッジ(判断)しない


どういう人が正しい人で、どういう人が間違った人か。

それは人間が決めることではないのです。

神様は、人類一人一人に自由を与えてくださった。

創造力を与えてくださった。

その自由と創造力を駆使して人間は進化創造を果していく、すべてはプロセスです。

人間は自由意志とイマジネーション(想像)を使って人生をクリエイト(創造)しています。

それに対して、あの人のやり方は間違っているわ。

あの人の生き方は正しくないよ。 あの人はおかしいわ・・・・・一瞬現われた一部分を見て正しいか間違いかの判断を下せるかもしれませんが、生まれてから死ぬまでの間に人はどのように変わるか、それは誰にも分かりません。

今正しい人が、数年後には殺人犯になってるかもしれないのです。

どんなに人のために尽し、人類のために捧げた人も、最後には妻が裏切ったと言って殺すかもしれない。

ある時点でもって正しい、間違いという判断は誰にも出来ないのです。

往々にして人間というものは、自分の価値判断で正しい、間違いを決めてしまいます。

しかし、大真理に基づいて見るならば、善悪はないのです。

自然の法則に従って、必ずいつかは真理に目覚める時が来る。

だからいかなる人も赦せるのです。

待てるのです。

間違いだとかいいという判断を下すのではなく、祈るのです。

愛を、赦しを、真理を与えるのが祈りなのです。



 

世界人類が平和でありますように

日本が平和でありますように

私たちの天命がまっとうされますように

守護霊様ありがとうございます

守護神様ありがとうございます

 



   「人生と選択」 西園寺昌美 白光出版


  

身につまされます

 
いつも送ってもらっている 「今日のおたより」 というメールを読んで、ハッとし、確かに自分にはそういうところがあると感じました。後で私の感想を述べますのでお付き合いください。


ある年の博士の来日中、
いっしよに明治神宮の菖蒲園に行ったことがある。
菖蒲の花たちはいろんな種類の紫色を輝かせながら池の中でまっすぐに立っていた。
わたしたちはできるだけゆっくりと、何も言わずに池のまわりを歩いた。その時期だけに咲く菖蒲を見るために、道は多くの人たちで埋め尽くされていた。
わたしたちは、先ほどから後ろにいた長い列の一行が先に行くのを少し待つことにした。その列の中を歩くひとりのおばあさんがわたしの目に入ってきた。彼女は腰がとても曲がっている。小さなからだで一生懸命、列についていこうとしていた。そして次に、彼女のすぐ後ろを歩く女性ふたりの会話がわたしの耳に入ってきた。

「いやねえ、みっともない。腰があんなに曲がっちゃって」
「さっきから地面しか見ていないじやない。ここに何をしにきているのかしらねえ」

その瞬間、わたしの中にどろどろとしたいやな感情があふれた。前を歩くおばあさんの耳に届きませんように。なんでこんないやな言い方をするのだろう。わたしは一瞬のうちに悲しさと怒りでどうしようもない気持ちになってしまった。
すると、博士がわたしに尋ねた。

「今どんな体験してるの?」

わたしが目にしたこと、耳にしたこと、どう思ったかを博士に正直にお話した。(中略)
博士はとても真剣な厳しい表情でこんな話を続けたのだ。

「笑っている人がほんとうに幸せかどうかどうしてわかる?涙を流してうつむいている人がほんとうに悲しみの中にいるかどうかがどうしてわかる?
まず、聞いて欲しいのは、すべてがあなたの目に映っているということ。聞こえているということ。外に悲しみが見えたり聞こえたりするとしたら、その悲しみはあなたの中にあるということだよ。
木を見てごらん。その木を見て、あなたにはその木が嬉しそうに見える?それとも悲しそうに見える?木は涙を流さないよ。木は大声で笑ったりしないよ。木はただ、そのいのち、アイデンティティーのままいるよ。雨の日も、晴れの日も、外側で起きていることが問題ではない、ただ自分のいのちを生きている。
その木を見たときに、あなたが美しいと感じるか、それとも醜いと感じるか。それはその木には関係のないことなんだ。あなたの中で起きていることなんだよ。
このことは人にも言えるよ。あなたが誰かを見て、どんな感情があるか、どんな反応が現れるか、あなたはそのことをまずはクリーニングするんだよ。(中略)」

「彼女は天使だよ。大いなる存在が創り出した完璧な存在だよ。腰が曲がっていても、彼女の目線がどこを追っていようとも、彼女は平和で満たされているかもしれないよ。
あなたがあなたの中で見えたことをクリ―ニングすることで、どれだけの人が自由になれると思う?あなたはものすごい責任を担っているんだ」(中略)

わたしが感じたこと、見たことをクリーニングする責任があるのはこの世で唯一ただひとり、このわたしなのだ。おばさんたちが投げかけたいやな言葉たちは、それを気づかせてくれるためのものだったのかもしれない。

(イハレアカラ・ヒューレン監修/平良アイリーン著『アロハ!』より)








感想

私も同じような光景に出くわしたなら、同じように気分を害し、おばさんたちに憎しみのエネルギーを送り、腰の曲がったおばあさんに憐れみの心を抱き、そのことをしばらく覚えていて、妻や誰かに語って、「ひどい人たちがいるよね」 と話をぶり返し、嫌な体験の一つとして後生大事に持っていたかもしれないのです。

しかし、真理を勉強していると感想が変わってくるのです。

まず、今自分の目の前に現われている光景とは、過去世で起こったことが写し出されているのだ、ということです。(仏教では今生を過去世の写し世といいます)

そして今起こっていることは過去世で自分がやったことが返ってきているので、おばあさんがおばさんたちに言われたことは、過去世において、このおばあさんがおばさんたちに言っていたことなのです。

つまり過去においておばあさんはおばさんたちに辛く当たっていた。そのことをおばさんたちは潜在意識で覚えていて、今生において発散させたのです。(発散させてご破算にしよう、清算させよう、チャラにしようとした)

よほど、おばさんたちは辛く当られていたのでしょう、おばあさんに聞こえるような声で話していた。

もしこのおばあさんが悟って真理をわかっている人であったなら

「過去世では申し訳ないことをしました。私は今あなたたちに言われたことよりも、もっとひどいことを言い、行為してきた、それをこれくらいで済ませてくださってありがとう、あなたたちの天命がまっとうされることを祈ります」

とおばさんたちに祈っていたのかもしれない。

または、耳が遠くて、おばあさんの心の中では何も起こらなかったかもしれない(笑)。

どちらにしても、過去世の因縁性が消えてゆく姿なのです。

これは、おばあさんとおばさんたちの因縁性が今生にて消えていこうとしているのです。

自分には関係のないこと、関知してはいけないこと、つかんではいけないことなのです。

自分はただおばあさんとおばさんたちの消えてゆく姿を見て、おばあさんとおばさんたちの天命を祈り、見たもの想いのすべてを世界平和の祈りの中に入れてしまえばいい。

そうするとその現象や想いは天で浄化されて、肉体界に降りてくるのです。

いけないのは、自分がマイナスをつかんでしまって、心の中に入れてしまうことです。

マイナスを勝手につくってしまうということです。

祈りで天に還すとそれが無限のプラスのエネルギーになってかえって来る。

それはなんの想いもない、爽やかなエネルギーなのです。

それがここで言うクリーニングするということです。

世界平和の祈りは自分を含めたすべての言動行為を光に変えてくれるのです。

過去の因縁因果を素晴らしい光(エネルギー)に変えてくれるのです。

そして自分の器(肉体)を空っぽにしてくれる

リセット(クリーニング)してくれる

すっきり爽やかにしてくれる

人間はただ光の柱、光の器になればいいのです。



世界人類が平和でありますように

日本が平和でありますように

私たちの天命がまっとうされますように 

守護霊様ありがとうございます

守護神様ありがとうございます






自分の出すエネルギーをスッキリ爽やかなものにしていく

自分の出すエネルギーに責任を持つ

それが人として “自立する” ということだと思うのです。

 
 
調和波動気功法とは

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2013年8月 7日 (水)

「世界人類が平和でありますように」 はなぜ素晴らしいか 2

 

悪い言葉や想念。

これは相手に向けるものだけではなく、自分に向けるものもあると思います。

自分は駄目だ。 自分には能力がない。 自分は落ちこぼれだ。

自分は何をしても駄目だ・・・・と思いつづけている人は、そのように自分を創造していっているのです。

瞬間的に思い、平気でそれを言葉にすると、それは自分が忘れてしまってもエネルギーが残っているのです。

それを手放していかなければ。

そのために 「世界人類が平和でありますように」 という祈りがあります。

想いを消さなければそれは実現します。

原因はやがて結果になる。

これはどんな宗教でも言われていることです。

原因は結果になる。

自分が撒いた種は自分で刈り取る。

これは真理です。

では、なぜ 「世界人類が平和でありますように」 という祈りが自分自身と人類の救いになるのか。

祈りというものは、誰でも始めは自分が幸せであるように祈ります。

健康であるように祈ります。

それから自分の愛する家族を祈ります。 夫が幸せであり、子どもたちが幸せであるようにと。

そして自分の好きな人たちも祈ります。

お祖父様やお祖母様も、親戚も。

そうすると、時間がいくらあっても足りません。

朝から晩までずーっと、名前を連ねていかなくてはならなくなります。

「世界人類が平和でありますように」、 この一言の中には、自分を含め、愛する家族を含め、全人類の幸せが入っているのです。 と同時に、嫌いな人、絶対に自分では

「あんな奴祈ってやらない。俺をここまで追い詰めた奴。 あいつが幸せになるなんてとんでもない。 あいつは地獄へ行けばいいんだ」 と憎しみを持っている人も含まれています。

「私の夫を奪った愛人」 など、嫉妬心と怒りでその人の幸せなど到底祈れないと思っている人も含まれています。

自分が絶対に祈れない、許すことも出来ない、認めることも出来ないと思っている人も

「世界人類が平和でありますように」 の中に含まれているのです。

愛する人も愛せない人も、善人も悪人もテロリストも・・・・人類すべてが入っているのです。

本来の光輝いた自分、どんな想いにも動じない自分は、すべての人の幸せを願っています。

その本来の自分の願いと一つになれる祈り、大真理に基づいた祈りだからこそ、素晴らしいのです。
 



    

        
「人生と選択」 西園寺昌美 白光出版



 

 

「世界人類が平和でありますように」 はなぜ素晴らしいか 1


 
人間関係には、必ず好き嫌いが出てきて

気の合う、好意的に思っている人には

「幸せになって欲しい」

「善くなって欲しい」

と思えるのですが

嫌いな人には

どうでもいい

どちらかといえば天罰が下ればいいと思ってしまう

しかし、自分の心の奥底は

そこまで残酷ではなく

自分が大嫌いな人も、憎い人も、恨んでも恨んでも恨み足らない人のことも

「平等に深く愛さなければならない」 と思っているのです。

表面の自分の心は悪魔だけれど

心の奥深いところでは、愛に溢れている

いったい

「自分の心の中はどうなっているのだろう?」

「どちらが本心なのだろう?」

と思うのです。

人間とは 性悪説が正しいのか?

性善説が正しいのか?

 

「この人は愛が深い人だなぁ」

と思っていた人が

案外、性悪説を唱えていたりしてびっくりすることがあります。

私の説?とは

人間はたとえどんなに悪が現われていても

それは、悪いものが消えてゆくプロセスであり

やがては(時期を経て)

素晴らしい 神性(神の子の姿)を顕わすものである

と思っているのです。

ただしそのためには人間の意識を変えなければならない

神と悪魔の玉石混交とした姿から

神の姿だけが現われるような

相手の人が神そのもののような人になっていかなければ

性善説は

絵に描いた餅になってしまうのです。

そうならないために

祈りがある

私は、「世界人類が平和でありますように」 という祈り言葉がこれほど素晴らしいものであったと感嘆したことはかつてありませんでした。

今回改めてその素晴らしさに気づいたのです。

それは、どんな人にも幸せになって欲しい

どんな人にも平和な心になって欲しいという

大愛が込められた祈り言葉であったことを知ったからです。

「世界人類が平和でありますように」

の人類の中には宇宙人類も入っているのですが

自分が大嫌いな、名前を聞いただけで虫唾が走るようなどうしようもなく苦手で許せない人もその中に入っているのです。

そして

「○○さんの天命がまっとうされますように」

と祈れたなら

もう最高です。

相手の天命がまっとうされることを祈るとは

「○○さんありがとう、○○さんが幸せになりますように」

と何百回、何千回も繰り返して言うくらい

愛が込められた 言霊 なのです。

相手の天命を祈るとは、地上に生まれてきたことを祝福すると同時に

天から与えられたミッションが達成されることをその人に代わって願うということなのです。

これ以上に深い愛の言葉はないのです。


嘘でも、本心ではないと思いながらでも

祈っていると不思議なのです。

自分の心の中が愛で満たされてきて 

相手への憎悪が薄くなるのです。

そしていつの間にか

相手を赦す気持ちになっている

愛する気持ちにすり換わっている。

それは自分の境地(心境)が変わったのです。

過去が時空を超えて消えてしまったのです。

「世界平和の祈り」 には因果関係を超えて新しい関係をつくり直す力があるのです。



  

無心の中に神様はいるのです。

 
・・・・・マラソンをするにしても、心の中にモタモタしたものがあって走っていたのでは、うまく走れません。

でも無心の状態でやっていると力が出てくる。

スポーツを見ていると一番よく判ります。

野球なんかでも、打たなきゃ、打たなきゃと思うと、力んでしまって打てなくなってしまう。

無心でバットを出すとどんどん当たる。

そういうように無心になることがいいのです。

無心になるためには、祈り言葉の中に、祈りの中に入っていればいいんです。

無心の中には神様のみ心があります。

神様そのままの、生命を下さって人間を生んでくださったもとの心は無心の中にあるわけです。

無心ということは自分の心がないということ、想念がないということです。

しかし、想念がなくなるわけにはいきませんから、神様の中に入れてしまって、神様のみ心とすり換えてしまえばいいわけです。(いつの間にか肉体意識を神意識に入れ換えるのです)

そこに日頃の修練が生きるわけです。

いくら日頃修練していても、例えば野球の練習をしたって、試合で打てやしません。何も思わない時には成績がよく上がる。

それはスポーツばかりでなくて、すべてがそうなのです。

そこで老子は、無為にして為せ、コチョコチョ小智才覚で思うのではないのだ、みんなおまかせして神のみ心のままに行け、と言うんですね。

それには、やっぱり祈り言葉というものがないと、なかなか出来るものではない。

そこで世界平和の祈りというものが生まれているのです。

だから祈りに住して祈りに把われず、祈りながらしかもそれに把われないで、日常茶飯事のことを一生懸命やる。

祈っているから私は何もしない、なんてただボンヤリしていたって、それではどうしようもない。

祈り心で、しかも家庭の主婦は一生懸命家庭の仕事をし、学生は一生懸命勉強をし、サラリーマンは会社で一生懸命働く。

そうすると祈りの心がそこに生きて来て、すべてがうまくゆくわけです。

神様におまかせしていると、自然に気力が充実してきて、自然に動いて何かしなければいられなくなる、それでいい仕事が出来るようになるのです。」 ( 白光出版 『天の心かく在り』 )




 


 

何も考えていないときが最高の状態なのです。

 
スポーツでも恋愛でも、仕事でも

余計なことを一切考えずに、無念無想の状態のときはすべてが順調にいっているのです。

野球などで

バッターボックスに立ったとき

「次はどんな球が来るのかな?」

とか守備で守っているときに

「バッターの打球は右か左のどちらに飛ぶ可能性があるのだろうか?」

とか

「飛んで来なければいいな、エラーをしたら換えられるかな?」

などと頭でごちゃごちゃ考えていては

とても本来の力など発揮できないのです。

恋愛でもそうです。

お互いに意識せず

同性の友達のように付き合っているときの方が

自然でうまくいっている

しかし頭で異性を意識し出した頃から

おかしくなっているのです。

仕事でも

「この交渉はうまくいきそうだ」

「うまくいけば、出世出来るかもしれない」

「給料も上がるぞ!」

と計算し始めると不思議と駄目になるのです。

これらはなぜそうなるかと申しますと

頭で考えると

肉体界の小さな小さな力しか働かないからなのです。

そして恋愛や交渉ごとでは、相手には自分勝手な “我” の嫌なエネルギー(波動)が届くことになるのです。(だから嫌われる)


うまくいかないのは


目にみえない神様の力が使えないからです。

自分が出てしまうと神様が前に出れないのです。

せっかく応援してやろうとしているのに

自分、自分、自分、自分・・・・・・・

自分のことばっかり、自分に執着をしている。

人間側が自分の都合しか考えていないと守ってくれている神様は働きようがないのです。

目にみえる肉体界の力、肉体人間の念力なんてたかがしれている

だがしかし

目にみえない霊界、神界の力は凄まじいのです。

凄いのです。

それは霊界、神界の守護霊、守護神が応援してくれるから

応援を得るためには

余計なことを考えずに(無念無想)

すべてを神様に預けてしまえばいい

そのために祈りがあるのです。

自分ではなかなか想いを無くすこと

消すことなんて出来ない

だから祈り(印)によって

想いを、考えを

神様(守護霊・守護神)に預けてしまうのです。

すると

守護霊守護神から

一番いい方法をインスピレーション(神智・直観)として送ってもらえる

人間は、余計なことを想わなければ

悟ることが出来るのです。

悟るとは

神界にいるほんとうの自分(本心)

と肉体人間の 吾 が一緒になるということ

神我一体になるということです。

すると

頭で考えているときよりも

何倍、何十倍、・・・何万倍もの叡智が神界から降りてくるのです。

「人間は本来持っている力のほんの数%しか現わしてはいない」


と言われているのはそういうことなのです。

余計な考え、想いが邪魔をしているのです。

何かを想いそうになったら

「世界人類が平和でありますように」

余計なことを考えそうになったら

「世界人類が平和でありますように」

と唱える

「世界人類が平和でありますように」 とは宇宙の言霊なのです。

宇宙神の願いと共鳴する(宇宙の神様は宇宙全体の人類の幸せ、平和を願っている、世界とは宇宙のことです)

宇宙の言葉なのです。

そこに意識を持っていき

唱えると

人間の想い(ほとんどマイナス)が宇宙の無限のプラスのエネルギーと一体となり

マイナスの想いは消され、そして “宇宙の意識(神意識)” が肉体人間の器に入ってくるのです。

無念無想のことを仏教では

“空” といいます。

人間は “空” になって始めて 一人前なのです。

空になっていない人間は

実は、なんにもわかっていない

中途半端な状態(意識が)なのです。

すべては “空” になってから始まるのです。

無念無想になるために

祈りがあるのです。

想いを浄化させるために

祈るのです。

祈ることによって

生命が生き生きするようになる

祈りとは

命がのり出す(いのり)ことをいうのです。


 

世界人類が平和でありますように

日本が平和でありますように

私たちの天命がまっとうされますように

守護霊様ありがとうございます

守護神様ありがとうございます



 

 

2013年8月 6日 (火)

奇跡を自分で起こす


 

奇跡とは自分の内からほとばしる力
 
 

今日は皆様お一人お一人の中にいかに素晴らしいエネルギーが、素晴らしいパワーが、素晴らしい能力が秘められているかをひも解いてみたいと思います。

奇跡というものがございます。

例えばイエスが盲人の目を開かせた奇跡。 歩けなかった者を歩かせた奇跡。

素晴らしいお話しの数々を皆様もご存知のことでしょう。

しかし、90パーセント近くの方はこう思っておられるはずです。

イエスのような特別な方だから起こせたのであって、奇跡は自分では起こせないものだと。
 

本当にそうでしょうか?


当時は大勢の方がイエスの話を聞きに来ていたはずです。

同じ悩み、同じハンディをかかえた方もおられたと思います。

さらにはもっと悪い状況の方も存在しておられたはずです。

では、なぜ彼らだけに奇跡が起きたのでしょうか?

イエスのような光そのものの真理を説かれる方が、なぜそこに集まってきた人に平等に奇跡を起こそうとはなさらなかったのでしょうか?

イエスなら全員に奇跡を起こせたはずです。

しかし、そこにたくさんの証例はなかった。

数人が奇跡を起こしたという記録があるだけです。

それに対して多くの人は何の疑問も抱かず、すごいな、いいなと思っておられます。

フランスにあるルルドの泉もそうです。

医者から余命数か月と宣言され、もはや何の治療法もない。

そんな時、ルルドへ行こう、ルルドへ行けば奇跡が起こるかもしれない。

そして船に乗り、飛行機に乗り、ルルドの泉で病気が癒える。

なぜある人たちには奇跡が起き、ある人たちには何も生じないのでしょうか?

そこには決定的な違いがあるはずです。

しかし、多くの場合は何も疑問を持たず、ああ、治る人は治る。

奇跡を起こした人がすごいんだ。

自分はそんなことは分からない。 信じない。 そう思う方がほとんどです。

盲人の目が開いた。 歩けない人が歩けた。 病気が癒えた。 

それを奇跡と称しますが、私の体験から言わせると当然のこと、当り前のことです。

本人が本当に心の底から治りたい。 自分の目で見て自分の人生を新たに生き直したい、という内なる願望が強いエネルギーとなってほとばしり出た時に治るのです。

イエスによって歩けるようになった人も、実際はその人の歩きたい、もうこれ以上人の世話にならず自分の力で歩きたいというその叫びが、イエスの真理と見事に同調して、自分の力で奇跡を起こしたのです。

他の人たちはなぜ起きなかったのでしょうか?

それは疑いです。

イエスは素晴らしいと人は言うけれど、どこまでが本当なんだろう。

自分は治りたいけれど治るだろうか。

このように疑っている。

奇跡を起こしたいのに自らの力でそれを否定してしまっている。

せっかく奇跡を起こすチャンスを自らの力で断ち切ってしまっている。

本来、奇跡は、誰にでも平等に起こすことが出来るのです。

 

     「人生と選択」 西園寺昌美 白光出版







感想

この話には続きがあって 「奇跡を起こすために、知識や常識は必要ない」 「内なる力を発揮する秘訣」 「過去に把われたエネルギーを、未来に向ける」・・・・など、興味深いそして実践してみたくなる項目がたくさん書かれているのですが、

私は最後まで書き写してしまうことをもう止めようと思ったのです。

それはここに書かれていることと同じで本当に自分で奇跡を起こしたい、真理を実践してみたいと思っている人は、話半ばであったとしても、買って読む人は読む、読まない人は買わない、実践する人は実践する、しない人はしない(当り前か)と気づいたからです。

だから私はきっかけとなる話だけを主に書けばいいし、本から引用すればいいのだ・・・・と。

よってこれからは、ダイジェスト(一番面白そうなこと)を中途半端に書いていきます(笑)。

中途半端に話を終わらせます。


「なんだよ、続きはどうなっているんだよ~」

という方は是非

本を買って読んでくださいね。

そして、ご自分で、自分探し(本心開発)をしてください。


 

 

 

  

2013年8月 5日 (月)

どうしたらいいか? 8


そこで、常に自分を守ってくださっている守護霊守護神、そして救世の大光明とより深くつながり、悪循環から抜け出す 「消えてゆく姿で世界平和の祈り」 という方法が提示されたのです。

常に守護霊守護神に感謝し、世界平和の祈りを祈っていると、その救世の大光明と守護霊守護神とのつながりがより深まり、大難が小難になります

また、現われる前に消される(現象に全く現われないで、因縁が消滅する)場合もあります。

それはテープレコーダー(潜在意識)に大光明が上書きされるからです。

「守護霊守護神につながりなさい、守護霊さん、守護神さん有難うございます、と一瞬一瞬寝ている間でも起きている間でも、常に守りつづけている守護霊守護神に対しての感謝を教えているわけです。

感謝してゆくと、守護霊守護神につながってきます。つながっていけば、たとえば自動車にぶつかっても助かったり、病気が重くなるのも軽くなったり、いろいろと助けてくれるわけです。

一生懸命に思うと、よけいに守護霊守護神との結びつきが強くなって、やがて、知らない間に業の世界を抜けていくのです。

しかし、それだけではまだ足りない。 それは個人だけの想いだから、もっと広く大きくするためにはどうするかというと

守護霊守護神に感謝しながら、世界人類の平和を祈る、みんなが平和でありますように、みんな仲良く行きますように、一日も早く大調和の世界が来ますように、という人類愛の心を言葉に現わして 

「世界人類が平和でありますように」 という祈り言が出たわけです。

ですから世界平和を祈りながら守護霊守護神さんへの感謝をつづけていれば、必ずその人は立派になるに決まっている。

なぜならば、人間というものは想いの世界に生きている。

自分の想いがすべてを決定するのです。

悪を思えば悪が現われ、善を思えば善が現われる。」 (白光出版 『悠々とした生き方』 )




 

どうしたらいいか? 7

 

このように、運命を改善するには、因縁因果をこえた20%の自由性を、つかまなくてはなりません。

そのために大事なのは、守護霊様、守護神様とのつながりを、より深く自覚することです。

「人間が宗教(宗教に拘らず人間として立派になるためには)をやるからには、この現象世界の貧乏を直したい、あるいは病気を治したい、ということだけではなくて

本当の人間に脱皮していく、過去世からの因縁因果の波をこえて神の子の姿を現わす、永遠の生命につながるという道を見出して、その道に励んで努力していくことです。

それが宗教なのです。

ですから外科的に病気を治したって、あるいは貧乏が一度なくなっても、過去世の因縁をたどっていって、過去世の因縁のままでは病気が治ってもまた病気になる。

貧乏の因縁があればまた貧乏になる。

因縁因果を持っていたままでは病気も貧乏も本当になおったことにはなりません。

やがて変化した形でまた出てきます。

痔ろうを外科手術したら肺病になる、肺病をおさえるとたとえば癌になるとか、この現象世界ではぐるぐる廻っているわけです。

だから因縁因果をこえていかなければ病気の原因とか貧乏の原因はなくならないのです。

因縁因果をこえる道は何かというと、守護霊守護神につながる道よりほかにないのです。

守護霊、守護神につながって、因縁因果の波の影響を受ける三界 ━ 肉体界、幽界、霊界の下層 ━ を出てしまわなければだめなわけです。

三界を出ていくと、なんにも把われがなくて、自由自在に生きられるわけです。

それは一人では出られないのです。

人間が分霊(わけみたま)として、分霊魂魄としてここにいる人間自体ではこえることが出来ない。

守護霊守護神に想いを向け、守護霊守護神とつながって、そして助け出されて因縁因果の三界をこえていくわけです。

こえてしまえば、そこには悪も不幸も何もない、自由自在な世界がひらけてくる。

それは肉体界にいても出来るし亡くなってからでも出来るわけです。

そういう世界に導きだすのが宗教(ほんとうの)なのです。 (白光出版 『悠々とした生き方』)




 

* 守護霊守護神・・・・人間の背後にあって、常に運命の修正に尽力している神霊のこと。

守護霊は先祖の悟った霊で、正守護霊と副守護霊がいる。 正守護霊は一人の人間に専属し、その主運を指導している。副守護霊は仕事についての指導を受け持っている。

その上位にあって、各守護霊に力を添えているのが守護神である。




 

どうしたらいいか? 6

 
これまでに5回シリーズで、人間が心に想っていることがどのように作用し、自分の現在や未来をつくっているかを述べてきましたが、人間の想念というものが心なのです。

そして心がエネルギーなのです。

そして自分でつくったエネルギーで自分の人生を創っているのです。

そう考えるとすごくシンプルですよね。

心の中のエネルギーが溢れ出て、外の現実としてのエネルギーに現われる。

だから心がすべてのすべて

心しかない

だがしかし、今まで散々悪いことを想ってしまった(心の中はどす黒い黒雲で覆われている)

過去世においても今生においても取り返しのつかないくらい悪事を重ねてしまった(笑)

だからもう 「自分の未来は真っ暗だ」 無限なる光!

とは想わないでください。

今からでも十分に修正は利くのです。(他力と自力で・・・このことは後で詳しく述べます)

運命を好転させることができるのです。

ただし肉体人間の自分の力だけではどうしようもない・・・・このことだけはわかってください

幽体に溜まった潜在意識を浄めるためには

幽界の上にある浄まった霊界の力を借りなければならないのです。

また、霊界の上にある神界の力も必要なのです。

その力を貸してくれて肉体界の人間を守ってくださるのが

守護霊、守護神様なのです。

霊界と神界から幽界(潜在意識の世界)を浄めてくださるのです。

そうして運命は好転していきます。

これから守護霊守護神様について詳しく述べていきます。

よろしくお付き合いください。



 

 

2013年8月 3日 (土)

どうしたらいいか? 5

 
すでに録音されたことなら、ビクビクしながら再生されるのを待つ以外にないのでしょうか?

そうではありません。 それでは運命は堂々巡りです。

運命はすべて決まっているわけではありません。 改善することが十分に出来ます。

どうして玉石混交した世が現われてくるかというと、仏教的ないい方ですが、過去世の因縁因果によって現われてくるのです。

だから運命は80%決まっているのだ。

父と母の間に赤ん坊として生まれてきた時は、すでにその児の運命は80%決まっている(補足ですが、これが手相やいろんな占いに出ているのです、だから80%は当たるのです)

あとの20%の力でその運命を変えていくんだと私は説いています。

そういいますと、20%ではもうしょうがないじゃないか、もう決まってしまっているのと同じではないか、という考えが出てくる。

その20%というのはどういうことかというと、20%未知の世界がある、これから作り上げていく世界がある、というわけです。

20%の出発点から、100%、千%と、今までの業をこえて、すっかり業を消滅して新しい世界を作る窓口という意味です。

80%まっくらだけど、20%光がさすところがある。

それを窓口として、跳躍台として、無限に自由自在の世界に出る、ということなのです。

つまり、自分の生命体が自由自在になる、そういう窓口が20%開いていて、あとの80%はもう決まっているのだ、というわけです。

その窓口から出ていけば自由自在の世界に出られるわけです。

この80%が決まっているということは何かというと、過去世の因縁因果の波が決まっている、過去世において行なったこと、想ったことが波として決まっている。

ほんとうの宗教というのは、その因縁因果の波に流されて、波の中で生きてゆくのではなくて、因縁因果をこえていく方法を教えるのです。

・・・・・・(中略)・・・・・・・・・・・・・・・・・・その因縁因果の波をこえた自由性の20%のところにつながれば、悪い運命であったとしても、それをこえて自由自在の世界に出られるんだ、ということなのです。」 (白光出版 『悠々とした生き方』 )



 

消えてゆく姿が起るしくみ 4

 
 
こうして、潜在意識(幽体に属する心)に溜まった過去世からの想いは因縁となり、消えてゆくために、現象面に現われます。

そこには、時間差があるため、今悪いことをしていないのに、悪いことばかりが起きることもあります。

では、なぜ今それが起きるのでしょうか?

それは、永遠の生命から見れば、今生(肉体界)で消すのが一番よいからです。

また、過去からの自分が溜め込んでしまった業因縁を、今なら消せるということを神様から認められた、いわば 「成長の証」 ということが出来ます。

一番いい時に、一番いい形で消していただけたならば、それは感謝の想いへとつながっていくことになるでしょう。

「善事をしつづけながらも、なかなか不幸な出来事が消えぬような人もたくさんある。

しかし、これは憂うべきことではなく、その人自身や、一家一族の進歩してゆく姿なのである。 

それは、過去世から蓄積されてある、その人または、祖先の悪因縁が、その人の時になって、表面にはっきり現われ、次々と消え去ってゆく姿だからである。

人間には、肉体の世界以外に、幽界、霊界の世界があるのだから、一番苦しみの軽い肉体界で、過去世の蓄積された業因縁をでき得るかぎり消滅し去っておいたほうが、その人や、その人の祖先、または子孫のためにも幸福である。

従って、善事をなせばなすほど、不幸な出来事が、より多く現われる場合もある。

しかし、それは真の不幸ではなく、潜在していた不幸が、いち早く現われたに過ぎず、その不幸が、より長く潜在していて現われぬと、その人自体が現在味わっている不幸の何層倍かの不幸になって、やがて現われてくるのである。」 ( 白光出版 『神と人間』 )




 

消えてゆく姿が起るしくみ 3

 

消えてゆく姿が起るしくみ (現われては消えるしくみ)




潜在意識のしくみは “テープレコーダー” と似ています。 それも(過去世も含め)、自分が生まれて以来、常に “録音モード” になっている、非常に高精度なレコーダーを想像してください。

そのレコーダーの中のテープには、生まれてから今日に至るまで、自分の発してきた想いが全部、録音されています。

つまり、潜在意識には、自分が発した想いが記録されており、その記録された想いが因縁となって心や言動に現われ(再生され)、そして過ぎ去って(消されて)ゆきます。

これが 「消えてゆく姿」 の原理です。

「この現界は、潜在意識(ひそんでいる心)、と顕在意識(あらわれている心)とがぐるぐる廻っているので、顕在意識(普通でいう心)に想ったことは、すべてそのまま潜在意識(幽体に属する心)に記録され、その記録された想いが、表面の心、顕在意識に記憶として浮かび上がり、ある時は、直接行動として、言動に現われる。

そして、その現われた言動がまた再び潜在意識に録音される。 こうした、ぐるぐる廻りが、その人、その人の運命となって現われている。」 ( 白光出版 『神と人間』 )




 

*幽体に関する五井先生の解説


「肉体界というものがあります。 そのまわりに幽界というのがあるわけ。 幽界というのは汚れた想いが一杯溜まっているところです。

その上に霊界というのがあり神界があるわけです。 霊界神界というのは浄まっていて、神様の光そのものが入っているところで、幽界にくると、今まで過去世から蓄積されていた肉体を守ろうとする想いが、一杯あるわけです。

それが黒雲となって渦まいている。 この幽界の黒雲の波を受けて肉体の生活が行われている。

そしてまた肉体生活の波を受けて幽界が出来ているというように、ぐるぐるぐると肉体界と幽界とを廻っているわけです。

それで幽界にあるものが肉体界に現われてくる。

もっとやさしくいえば、自分が子供の時に親を恨んだ想いが一杯あるとします。

それは自分の幽体に溜まっている。そして幽界をぐるぐる廻って、自分と幽界とをぐるぐる廻っているわけですよ。

それがある時何かの縁にふれると、親と喧嘩したりする。 というふうに現われてくるわけなんです。

過去世で想ったことは何処にあるかというと、幽界に一杯詰まっている。

今想ったことは何処にあるかというと、肉体界で想うけれどもすぐに幽界につながっていく。

幽体がくっついているんだからね。

だから幽界は悪い想いと善い想いがごっちゃにあるわけです。

それが肉体界と幽界をぐるぐる廻っている。

だから肉体界だけのことを考えたのでは、絶対にこの世は幸せにならないんです。

肉体界と幽界とを共に含めて考えて、そこが業想念の場として考えないと駄目なんです。」(白光出版 『魂が大きく開く時』 )





  

因縁性 2

 

「人間は誰でも不幸になりたい人はありません。 貧乏になりたい人もありません。 能力が一杯あって、幸せになりたいと誰でも思っている。

ところが幸せになりたいと思っていていもなかなか幸せにならない。 

例えば女の人で結婚したいしたいと、表面で思っているけれど、いざ見合いの場になると、相手に嫌がらせのようなことをして、ダメにしてしまうようなことが随分あります。

そういうのは、みんな因縁なんです。 潜在意識の中に、何べんも生まれかわった過去世の想いが、いや過去世と言わなくても、今生だけでもいい、昔の想いがあって、溜まっているわけです。」(白光出版 『 質問ありませんか? 2 』



 

因縁性 1

  

因縁性━「消えてゆく姿」のもととなるもの(過去の想い)

 

日々さまざまな出来事がありますが、その中には、「どうしてこんなことが?」 と思うこともあるのではないでしょうか。

不慮の出来事に見舞われたり、おかしな言動をしてしまったり。

またある人は恵まれているのに、ある人は不運だったり・・・・。

なぜこんなことが起きるのでしょう。 それは因縁因果と深い関係があります。

「仏教では善因善果といって因縁因果というものを説きますが、やはり因縁因果の法則というものを知ることが大事です。

自分が貧乏をしていて、オレがいくら働いても貧乏なのは、世間が悪いんだ、社会が悪いんだ、と言う人がいるけれども、実は社会が悪い、世間が悪いんじゃなくて、自分の貧乏の原因は、過去世の自分にあるのです。

過去世といわなくても、今生にもありますが、過去世からずーっ伝わってきた因縁によって、貧乏をし、あるいは病弱に生まれ、才能がなく生まれるんです。

また、なんら偉くもないのに金持ちで威張っている、という人があるかもしれない。

しかしお金持ちになるにはお金持ちになるように、地位が高くなるには地位が高くなるように、過去世において一生懸命やっているわけです。

そういう種をまいているわけです。」 (白光出版 『天の心かく在り』
 


* 因縁因果・・・・結果は原因だけではなく、直接的要因と間接的要因が両方揃ったときに、結果がもたらされるという仏教の教え。

*過去世・・・・現在世に生まれる前に、生きていた世のこと。輪廻転生(生まれ変わり)の考えに基づく。



  

大事なこと

 
3次元的に、いい本はたくさんあります。

紀伊国屋さんにもたくさん積んである

人生とは何か?仕事とは何か?人間関係をどうしていったらいいか?

どれも大切なことだし、勉強をしていかなければいけないことばかりです。

私も最近日記で、それらの本からためになる言葉を引用したりして、感想などを書いてきた。

しかしなにかが違うな と思っていたのです。

3次元的に、この世的に大切なことはみんなが伝えられる

だから私があえて伝えなくてもいいのではないか?

良い本があるのなら、それを紹介するだけでいい

あえて私がご丁寧に感想など書かなくてもいいのではないか?

私にしか出来ないことはなんだったのか?

原点に戻ったんですね

するとそれは、目にみえない世界、本当の世界、神界のこと、宇宙のことを書くことだと気づいたのです。

スピリチュアル(精神世界)のことを書いてある本もたくさんあります。

情報もたくさん流れている

しかし、本物は少ないように思う

話を聞いて、本を読んで、安心立命するよりも

不安になるものも多い

間違っているものも多い(と私は思っています)

だったらその違いを伝えていくのも私の役割りではないか?

そう思ったのです。

これから私なりの真理を書いていきます。

できるだけ自分の言葉で書きたいけれど

五井先生や西園寺昌美さん、そして 于先生のご著書からも応援してもらいながら

自分なりに自立を目指していきます。

これからもよろしくお願い致します。

 

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