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2013年7月28日 (日)

人が自分と同じであるはずがない




人が自分と同じであるはずがない
 
 



どうしてこの人は変われないのか、と相手を責めたくなるとき、多くの場合で基本的な原則が欠落している、と語っていたのは、あるコンサルタントでした。

そもそも人が全員が違う。

自分と同じではない、ということです。

それなのに、多くの人は、 「きっとこの人も同じはずだ」 と 「自分ならこうする」 を押しつけてしまう。

それが結果的に受け入れられずに、あれ? ということになる。

相手がどんな考え方を持っている人なのか。 本来は、それを聞き出すことからスタートしなければなりません。

そうでなければ、相手のことはわからないから。

自分とは何が違うのか、も聞かなければわからないのです。

「思いやり」 とよく言いますが、一方通行で 「思う」 だけより、相手に 「聞いてしまう」 というのもひとつの方法です。

「そもそも人間と人間の関係は、想像しているよりも、はるかに難しいものだ」 と語る人は少なくありません。

ところが、人間関係はあまりに身近にあるものだけに、特別なものでは決してない、と甘く認識されてきた。

それが、人間関係をより難しくさせている最大の原因である、と。

しかも、この十数年で周囲の環境は一変してしまっています。

携帯電話やスマートフォンの登場で、コミュニケーションも大きく変わってしまった。

それこそ、ITツールが人間関係にどんな影響をもたらすのか、極めて慎重に見定めながら行動しなければいけないはずなのです。

さらに会社組織においても、年功序列を終身雇用といった枠組みが事実上、崩壊している。

かつて同じコミュニケーションのやり方を教えられても、うまくいくはずがありません。

何より前提が違ってしまっているわけですから。

こうすれば人間関係はうまくいく、とうたったマニュアルや書籍もたくさんありますが、

何より忘れていけないのは、人間関係はそもそも極めて難しいものだ、大変なものだ、という前提であり、基本原則なのです。

 

  ━ 人間関係は極めて難しい、という認識がありますか?
 

     「成功者3000人の言葉」 上阪 徹 飛鳥新社





 

感想
 

この世の中で一番難しいものと言えば、私は間違いなく人間関係だと思っています。

あらゆる事件は、人間関係のもつれから起こる。

それだけナーバスなものなのに、慎重に、大切に、愛を持って取り扱わなければならないのに

ここに書いてあるように、身近にあり過ぎて、当り前過ぎて軽く扱われてきたのです。

原理原則は単純でシンプルなのに扱い方が雑なために

複雑にしてしまっているのです。

私は人間は一つの大生命からわかれた小生命だと思っています。

太陽の光が一つで、その光は様々なものを照らします。

元は一つであるが、別々なものを照らしている

その別々に照らされた先が

海であったり、木々であったり、動物、鉱物、もちろん人間も照らしてくれている

しかし

そこで与えられたミッションをまっとうするのはみな、同じである。

ただ海や樹木や動物、鉱物は役割りが違う

それを同じように考え、同じだと思い、みんな自分と同じでなければならないというのは違うのです。

みんな個性がある

それぞれに与えられたミッションは違うのだ

だけど元は一つなんだ

兄弟姉妹なんだ というところにいけば

海が

「山さんご苦労さまです、私は自分のことしかわかりません、どうか山さんのお考えを教えてくださいますか?」

とコミュニケーションが取れると思うのです。

だから自分は海(名前が海野)だけど、相手の人は山(山田さん)なんだと思えばいいと思うのです。



 

 

  

「キャリアプラン」はいらない

 

「キャリアプラン」はいらない
 



「キャリアプラン」 という言葉が出てきたのは、いつ頃からだったのでしょうか。 今は、自らのキャリアを自らで構築することが推奨されているようです。

ゴールを決め、そのためのステップを綿密に考えていく。

しかし、私が取材した多くの人たちが、実はキャリアステップなどほとんど考えていませんでした。

ビジネスの世界に生きる人も、スポーツの世界に生きる人も、芸能界の人も、例えば、将来は会社を経営してみたい、海外に行ってみたい、日本一を争えるようになりたい、といった漠然としたイメージは持っていたとしても、そこからブレイクダウンして “計算” するようなことはしていない。

日本の老舗企業からスタートし、誰もがうらやむようなキャリアを歩んで、40代前半で外資系企業に上り詰めた人はこう言っていました。

「キャリアについて、事前にしっかりと計画を立てる人がいるようだが、自分は違った。実際、行き当たりばったりだった」

外資系トップというと、キャリア志向の最たるものに思えます。

ところが、私が取材した有名外資系トップのほとんどがキャリアについてほとんど考えていなかった、と語りました。

では、どうしていたのか。 偶然に身を任せていたのです。

ある別の経営者は、こうも言いました。

キャリアプランだ、人生設計だ、なんて、やるべきではない。

そんな傲慢な話はない。

人生は自分でコントロールできるほど簡単なものではない。 思ってもいないことが起きるのが、人生の醍醐味。 それを、とことん楽しんだらいい」

先の外資系トップの提言も似たものでした。 いわく、とにかく目の前のことにのめり込め、情熱を持って取り組めば、自然に道は開けてくるものだ、と。

先のことよりも今のことに目を向ける。

目の前のことに必死になる。

何度も繰り返していますが、むしろこの大切さが、今は忘れ去られている気がしてなりません。

  ━ 未来ばかりを気にしていませんか?

   「成功者3000人の言葉」 上阪 徹

 

感想

テレビをつけると「年金がどうのこうの」 「老後までにいくら貯める」 「あなたの将来は大丈夫?」 なんてことをやっているから人は不安になり、お金の計算ばかりをするようになる。

そして足らないとわかると、高利で増やす投資などに興味を持つようになる。

しかし不安なままプロの投資家たちの中に入っていって勝てるはずもなく、持ち金を減らし、益々焦ることになる。

そんなところにエネルギーを注ぐなんて ホント もったいないですよね。

それと同じように自分の将来のキャリアについても、ビジョンを持つことはいいことだけど、目標やイメージすることは大切だけれど、それを夏休みの宿題のように、綿密に計画を立ててその通りに進めようとすることに、かなり無理があるのです。

一番大切なことを忘れてしまっているからです。

それはここにも書いてありましたが、今を一生懸命に生きるということ

今の現状と将来のイメージした姿がかけ離れていると、計画通りに進んでいないと、不安なネガティブな気持ちになることにエネルギー(力)が注がれるからです。

そして不安なエネルギー(マイナスのエネルギー)は益々力を持ち始め、“今やらねばならないこと” に意識は向かなくなる。

すると目の前の小さな、だけど大切なことを処理することが出来なくなって

焦りや、いらだちに変わってしまうのです。(本末転倒)

成功へのゴールまでにはいろいろなことが起きることが当たり前なので、計画とおりに行くことの方がめずらしい
 

そもそも計画を立てることそのものが違うような気がするのです。

だが、しかし学校(先生)でも家(親)でも書店に行っても

誰もが同じことを言う、書いてある。
 

「計画をしっかり立てて、その通りに進みなさい」 と。


でもたくさんの人が

「待てよ、ちょっとおかしいのではないか?」

と疑問に思っていたと思うのです。


「今やるべきことだけに集中せよ」

答はたったこれだけなんだけど

これで終わっては、本は売れない(笑)

世の中をわざとややこしくしてお金儲けをしている人たちが困る(笑)

だって成功している人たちはみんな計画なんて立てていなかった・・・・。

成功されては困るから 嘘を書いていた(もちろんほんとうのことも書いてある、しかし肝心なことは書かない)

なんて書いたら言い過ぎかもしれませんが

そういうことって随分あると思うのです。

これからは自分と対話して、自分の中から答を見つける時代に入っていきます。

答は中にあるのです。

外にはないのです。

世の中の常識をすべて信じず、惑わされず

自分の中の 答え を信じてみる (成功者はみんなそうしてきた)

違っていたら そこからまた引き返せばいいではないか?(決して無駄にはならない)

それくらいで いいと思うのです。(若い頃は特に)

 

2013年7月27日 (土)

他人は変えられない

 

他人は変えられない

 



人生でも、仕事でも、人との関係は必ずついてまわる問題です。

取材でも、いろいろな状況での人との付き合い方について話を聞き、ハッとさせられることがありました。

強烈な印象として残っているのが、この言葉です。

「他人は変えられない。 自分で変えられるのは、自分のことだけだ」

20年近く連続で増収増益を記録していた経営者への取材でした。

たしか上司とうまくいかない人の例を出して質問したのではないかと思います。

こうやって書いてみると、至極当たり前の話なのです。

しかし、人間関係においては、知らず知らずのうちに、自分の思い通りにならない人に対して、イライラするものです。

どうしてこの人は、もっとこうなれないのか。

もっとこんなふうならいいのに。

こういうことに、どうして気が回らないのか・・・・・。

しかし、どんなに相手のことを思ったところで、相手は変わってくれません。

直接こうすべきだ、と話しかけて交渉する方法もあるかもしれませんが、それで相手が変わってくれるとは限らない。

ましてや、お互いの人間関係がうまくいっていないのであれば、なおさら。 さらに上司ともなれば・・・・・。

というわけで、円滑な人間関係に持っていく方法は、実はシンプル。

自分が変わればいい、ということになるのです。

相手とぶつかって、うまくいかないところを変えていく。

それだけの話です。

後に多くの経営者が、この考え方を持っていることに気づきました。

相手を変えるのは難しい。

そこで、自分が変幻自在に変化していく。 ちょっとしたことでいいのです。

相手に合わせて対応する。 

それだけで、人間関係がうまくいく。

まずは、自分が変わる。

意外に気づけないことです。

 

 ━ 自分から変わろうとしていますか?
 

  「成功者3000人の言葉」 上阪 徹 飛鳥新社








感想


「他人は変えられない。 自分で変えられるのは、自分のことだけだ」 今までに何回も何回も耳にタコができるくらいにあちこちで聞いた言葉です。

確かにそうだし、頭ではわかっていても、でもすぐに忘れてしまうんですよね(笑)。

そしてまた人間関係に悩みモンモンとする・・・・・。

それはその後のことをやっていないからです。

他人を変えれないことはわかった、そこで止まってしまっているのです。

自分が変わることをちゃんと実践していない

やっていないのです。

自分が変わるとは

「もうあなたは変わりませんよね、では私は自分を変えます、自分の考え方を変えます、あなたは頑固なんだから私は柔軟になって、あなたが石ならば私は水になってどのようにも変化します。水から、氷にもなり、気体にもなります。そして自由自在に対応していきます」

と何かがある度に臨機応変に自分を変えていくのです。

やり方はみなそれぞれ自分のやり方があるはずです。

斎藤一人さんの本に書いていたのですが

ある人は嫌な上司が近づいてきたら

ゴジラのテーマソング♪ を心の中で流して

楽しんでいたそうです。

なーんだそんなことでいいのか?

わかってしまえば実にシンプルですよね。

自分が変わること

案外、簡単に出来そうです(笑)。

 

身体と心のバランスが取れた人がお医者様になるのです。

 
 
いつも送っていだいている(私の携帯に)「今日のおたより」 の中から、素晴らしい文章、内容なので是非みなさんと共有したくて抜粋しました。
  

病気になるといっても、単純なことではない、身体と心のバランスが崩れたときに病気になるのです。

身体(物質)のことはある程度わかったとしても、心の問題は複雑です。

病は気からというように、気(エネルギー)が痛んだときに病気になる

では、気とは一体何かというと私は心だと思っています。

手術などをして、一時的に治ったとしても、また再発したり、違う病気になったりするのは、根本から治っていないということ。

いくらなんでも心の病いまでお医者さんには治せない

たしかにそうなのですが、一番肝心なところ(心の部分)を避けて、真の医療はないのです。

それは人間とは、心(魂)が主で、肉体が従だからです。

心がご主人様なのです。

しかし、医療の真髄をすべての医者がわかっていなかったわけではない、昔の日本医学やチベット医学、インド医学・・・などはトータルで病気を診ていた、今でもバランスの取れた立派なお医者様はいらっしゃると思うのです。

これからご紹介する文章から、病気って一体なんなんだろう?

どんな心の状態のときに病気になるのだろう?

素晴らしいお医者様ってどんな人なんだろう? 

と考えてみてはどうでしょうか?





「人間のできた医者」 とは何か



医者が人格者だとは言いませんが、すぐれた医者は人格者であるべきだというのが、私の持論です。

このことを考える際にいつも頭に思い浮かぶのはチベット医学の医者です。

日本では基本的に成績が優秀であれば誰でも大学の医学部に入学して、医者になれます。対して、チベットでは人格もすぐれていなければ、いくら頭がよくても医者にはなれないそうです。

では、一体どのようにして人格がすぐれた人を選んでいるのか。たいへんおもしろい問題だと思いませんか。

聞くに、それには宗教が関わっているようです。チベットでは子どもを小さいうちから密教のお寺に入れて、その子にどんな素質があるかを日々の行や鍛錬のなかで見きわめ、本当にすぐれた人格と知性を持ち合わせている子どもだけを医学の道へ進ませるとのこと。

近年はチベット医学の医学校ができて変わりつつあるようですが、それが古くからのしきたりであるそうです。(中略)

チベット医学では、病気は三つの無知と三種類の体液で説明されるそうです。

つまり、人間の体をめぐっている三種類の体液のバランスが崩れ、「貪ること」「怒ること」「愚かであること」の三つの無知があらわれた時、もしくは三つの無知が生じ体液のバランスが崩れた時、病になるとされているのです。

ですから、健康な状態を保つには、無明をあらため、煩悩を断ち、精神的な安定を保つことがもっとも大切とされます。

要するに「健康であること」と「人間として善を行うこと」がイコールの関係と考えられているわけです。

現に、チベット医学では最高とされる医者を「一切を知る人」と呼びます。

患者さんのために自分を犠牲にして全力を尽くす。

そのことによって、医者自身が善を行い徳を積む。

そして、高徳の医者は仏と同じ境地に達して、輪廻の苦しみから解き放たれる。

そんなふうに医療を受ける側も、医療を施す側も、人格を磨く仕組みになっているのです。

(渥美和彦『医者の世話にならない生きかた』より)






「人間の身体は魂と肉体でできているから、
どっちかが欠けていたら生きていけない。
両方に栄養がちゃんととれてなかったら、
栄養失調になっちゃいます。
心の問題、肉体の問題、仕事の問題、お金の問題。
これらの問題を解決しないと、人ってしあわせになれない。」(=^ω^=)♪ by 斎藤ひとりさん




  

 



 

2013年7月26日 (金)

悲観的に準備し、楽観的に対処する

 
  
毎日を楽観的にお気楽に過ごしたいと思う気持ちは悪いことでないと思うのです。

果因説は、未来に善い結果をイメージし、そこにエネルギーを注いでいく

するとイメージした通りの完成された未来が、現在に降りて来る。

時間は過去から現在、未来に向かっているのではなく

未来から現在へと流れているんだ

これであると過去や過去世で善い想念を持っていなかったとか、散々悪いことをしてしまった、だからその報いを今、受けているんだという、悲観論をくつがえすことができるのです。

人間を救うための、神様の大智慧 だと思うのです。

その “素晴らしい果因説” から言えば

タイトルの

悲観的に準備し、楽観的に対処する

は少し違うような気がします。

しかしここでのポイントとは、悲観的に準備しの 準備 のところです。

将来において、未来において善くなっていくプロセス(過程)においては

いろいろな現象が起きるのです。

いきなり善くなるとは限らない

いや、むしろ善くなるためには、悪いものが出ないと善くなってはいかないのです。

身体の中に悪いものが入ってしまった

それを出してしまうには、下痢や吹き出物などのデトックスが必要なのです。

好転するには、一見、悪いものが現われるように見える

しかし、それはプラスから出たマイナスであり

決してそのままマイナスではないのです。

それが悲観的(マイナスに見える現象)に準備し

なのです。

私たちは想定外のことがあると慌てます。

「こんなはずじゃなかった」 と思います。

しかし、想定外は、実は “想定内” なのです。

私は

「想定外は想定内」 「想定外は想定内」 と一日に何回かつぶやくようにしています。

そうすると少々のことがあったとしても

慌てないからです。

平常心でいられるからです。


起こることすべてを善くなるためのプロセスとしてポジティブに受け取る(受け取り直す)ことができるからです。

 




悲観的に準備し、楽観的に対処する





リスクや不安とどう向き合うか。 もうひとつの見方を教えてくれたのは、危機管理の専門家でした。

彼はこう強調していました。

「基本は、悲観的に準備し、楽観的に対処すること」

不安がある、リスクが心配だ、と言いながら、まったく準備ができていない人があまりに多すぎるのではないか。

心配だと言っている人ほど何もしていないのではないか。

この言葉には、私もドキリとしました。

必要なことは、平時において、最悪の状況を常に想定しておく、ということだと彼は言いました。

どれだけの人が、それをイメージできているでしょうか。

これができていれば、日常の捉え方が変わります。

たとえ、何かひどいことが起きたとしても、「最悪の状況から考えれば、この程度で良かった」と思うことができる。

ネガティブなことが起きているのに、それをポジティブに捉えることができるわけです。

何も起きなければ、最悪の状況が理解できているだけに、平穏に感謝できる。

それが、ありがたいことであると理解できる。

彼はまた、こうも言いました。

「逆に最悪なのは、平時は楽観していて、いざというときに悲観することだ」

ネガティブなことをことさらネガティブに受け止め、もっとネガティブになりうる、と心の余裕を失ってしまっている状況。

これでは、なかなか危機的状況からは脱け出せないでしょう。

最悪の状態とはどういうことか、紙に書き出しておくことです。

そうすれば、何をやるべきか、どう防ぐべきか、ということも頭に浮かぶ。

リスクへの対処は、そうした準備があってはじめてできること、なのです。

 

━ 自分にとって最悪を、イメージしたことがありますか?

 

   「成功者3000人の言葉」 上阪 徹 飛鳥新社


    おススメ本 「果因説」 西園寺昌美 白光出版







 

できるかできないか、ではなく、やるかやらないか


 

物事がうまくいっているときというのは、全然考えていなくて、後から思い返してみると、ほとんど直観で進んでいたことがわかるのです。

それは、多分、考えすぎるとマイナスが入ってそこに感情(勘定=計算)が入るからだと思うのです。

「自分にできるだろうか? いやできないかもしれない、できなかったらどうしよう、できなかったら笑われる、失敗したら恰好悪いしやっぱりやめておいたほうが無難だ」

そうやってどんどん自分を窮屈に縛りつけて心をがんじがらめにする。

可能性を自ら摘み取ってしまう

 だから

「よく考えて返事をしよう」 なんて考えてはダメなんです。

その間にチャンス(好機)、タイミングはどんどんずれていく

いや、 ヒラメイタ(面白そうだ! ビビッと来た!など) そのときだけが絶好のタイミングなのです。

私は直観だけを使って生きています(笑)。

ただし、なにもしなくて、ただ降りてくるのを待っているだけではない

神頼みだけではない

直観とは、自分でやれるだけのことをやった後でしか使えないのです。

価値がないのです。

普段から人事を尽して、相手にも誠意を尽すことをしていて、手を抜かずに小さなヒラメキを疎かにせず、善いと思ったことを積み重ねていく・・・・・

そこで降りて来る直観(チャンス)に値打ちがあるのです。

3次元的なことを 横のライン ━ とします。

直観は 天からの縦のライン ┃ 

3次元的な ━ のラインがしっかりと出来ていないと

大きな プラス 十 にはならないのです。

地に足が着いた大きな十字架(成果)、本物にはならないのです。
 

できるかできないか、ではなく、やるかやらないか

 

大企業のエース級社員にインタビューをしていて、意外な言葉に出会いました。

どうして、このような実績を挙げることができたのか、という私の問いに、彼はさらりとこう答えたのでした。

「できるかできないか、は関係がないですね。結局、やるかやらないか、なんですよ」

人は何か新しい仕事を振られたとき、まずそれができるかどうかを考えます。

フリーランスの私もそうです。 できないことをできると言ってしまったら、もしかしたら取り返しがつかなくなるかもしれない。

しかし、まったく違う仕事観を持っている人もいます。

起業家やスポーツ選手などからも同じようなコメントをもらったことが少なからずあるのですが、

「できるかできないかを考える前に、まずはやってみる」 と言うのです。

できるかできないか、で判断してしまったら、できることしかやらなくなってしまう。

しかし、とりあえずやってみるのだ、と決めてしまえば、できなくてもやるしかなくなる。

こうやって自分を追い込んでいく、というわけです。

これが、大きな成果をもたらすのです。

もしかすると、考え方の回路の違い、なのかもしれません。

「今できるかどうか」 という発想ではなく、

「これを機会に、できないことができるようになるかもしれない」 という発想です。

自分にはできないから、といって、新しいことになかなかチャレンジしない人がいます。

しかし、その発想を続けていたら、いつまでたっても前には進めません。

やってみないと、できるようにはならないのですから。

もし私が上司だったら、やってみる部下に仕事を振るはずです。

もし、誰かリーダーを担ぐとしたら、やってみるリーダーについていきたいと考える人が多いはずです。

やってみる人になったほうがいいのです。

 

━ できるできないか、から考えていませんか?

 「成功者3000人の言葉」 上阪 徹 飛鳥新社




 

2013年7月25日 (木)

予習しすぎない

 

そろそろ携帯からスマートフォンに移行しようかな?

と思ってから随分経つのですが、全然まったくそうしようという気になれないのです。

NHKで、スマートフォンの魅力をわかりやすく説明してくれる番組があって録画しているのですが、どうも観る気になれません。

それは今のままで十分だと思っているから

そしてまた、今しきりに本を出しませんか?という広告がネットに出てるけど、これもまた全く興味がないのです。

本を出した時点でそれはもう古い情報になっている、昨日の新聞はもう読む気がしないとのと同じように永遠不滅的な普遍的(つまり真理)な文章を書いているもの以外は、情報物は特に、もうただの屍(しかばね)だと思うのです。

魅力がないから売れるわけがない。(出版業界をいたずらに儲けさせるだけです)

それよりもリアルタイムで自分の思っていることが即、世界中に流れるブログの方がずっとずっと魅力的です。

それだけのツール(道具)がありながら、なにをまた求めるのか?

またインターネットでの情報は、99%はいらないものが多いと思っています。(ほんものは1%しかない)

そこに時間を取られる(ネットサーフィンなどをして)のは、それこそ時間の無駄です。

必要なものは、必要性を感じるときだけ利用すればいい

それで充分です。

持ち歩かなくたって、帰って調べればいい

進化した星の宇宙天使たちは地球人を見て笑っていると思うのです。

「おいおい今度はまた変なものを持ち歩き始めたぞ」 って。




 

予習しすぎない

 

今やネットで何でも調べられる時代。 しかし知識を得ることが、すなわち理解をすることとは限りません。 外資系企業のトップが、こんな話をしていました。

あるとき学生に集まってもらい、日本企業についてディスカッションしてもらった。

すると、出てきたのは、ネガティブなコメントの嵐だったと言うのです。

「日本の会社は体質が古くて魅力がない」

「年功序列、終身雇用では国際社会に取り残される」

「だから、行きたい会社がない」・・・・・。

彼は話を聞いていて、呆れてしまったと言います。

まるで海外のジャーナリストによる紋切り型の日本企業論をそのまま鵜呑みにしてしゃべっているみたいだった、と。

実際には、日本の大半の企業は大きな変革をしているのに、学生はそれを知らなかった。

あるいは友人の情報や就職情報を見て、すべてわかったような気になってしまっていたのではないか、と。

それを彼は、 「予習文化の弊害」 と呼んでいました。

事前に予習しすぎるために、経験の幅を狭め、自らの可能性を閉ざしてしまう。

なまじっか知識がある人は、実は危険と隣り合わせです。

その危険とは、実際とは違っているのに、そうだと思い込んでしまうこと。

これは、多くの場面でも起こりえます。

だからこそ、持っておかなければいけないのが、 「常に自分の頭で考える」 という姿勢です。

情報や知識は溢れているけれど、あくまで自分の頭で考えて結論を出す。

これは正しいのか、と疑ってかかる、自分の頭で考えて、判断する。

考えた末の結論が、間違ってもいいと思うのです。

この外資系トップも言いました。

自分でしっかり考えたことであれば、あらゆる経験が自分にとって糧になる、と。

逆に自分でちゃんと考えていないことで足元をすくわれたら、何ら得るものはない。

残るのは、激しいショックだけです。

 

  ━ 情報を鵜呑みにしたりしていませんか?



 情報において大切なのは、その量ではなく、情報に振り回されないことである(西園寺昌美)
 

 

     「成功者3000人の言葉」 上阪 徹 飛鳥新社



 

 

思いを文字にしていますか?

 
 
病気の人がいるとします。

自分では元気になりたい、元気になって自立したいと言っているのですが

どうしたらそうなれるか? というヒントやアドバイスを与えても本気でやろうとしない

石にかじりついてもやろうという意思が大切なのに、ここぞという手前でテンションが下がってしまう。

これはきつい言い方かもしれませんが、自分では病気であった方が都合がいいのです。

みんなが病気だからしかたがないんだと大目に見てくれる、同情してくれる、自分のために一生懸命に尽してくれる

甘やかしてくれる、ラクをさせてくれる・・・・

それはほんとうは、決して楽しくはないんだけれど、自分にとってラクなのです。

頑張って、元気になるよりも病気でいる方が居心地がいい
 

一方、病気になったことを “居心地がいい” と思っていない人は

自分をどんどん追いこんでいく(追求する)

なぜ自分は病気になったんだろう?

と真剣に考える

そして医者から

「これ以上無茶をしたら死にますよ」

と言われても

こんな状態(病気の状態)は嫌だ(いっそ死んだ方がましだ)と思う人は医者の言うことを聞かずに薬も飲まず、病院を脱け出し

自由を得ようとする・・・・

こんな人はそのうちに病気の方から逃げていって

もうほとんど健康になっているのです(笑)。

病気であること、悩んでいること、納得できないこと、心に引っ掛かってスッキリしないことが大嫌いなのです。

そんな人は自分の中でモヤモヤしたものを吐き出そうとする

自分でモヤモヤとしたものが何であるかをチャンと掴んでおきたいと思っているのです。

そしてその方法とは 「紙に書き出すことだ」 ということを知るに至り、実践しているのです。

相手の人が精神的に強くなるようにさりげなく持っていくこと、それがほんとうの愛だと思うのです。

 
 

弱ったら文字にする

 
 

不安をぼんやり、漠然としたものにしない方法は、他にもありました。

そのひとつが、文字にすることだ、と語っていたのは、著名なコラムニストでした。

メモにしてもいい。 日記にしてもいい、他人に見せるものではありませんから、できればパソコンで書くのではなく、手書きで書いてみるといい、と言っていたカウンセラーもいました。

思っていることを書いていくと、なんとなく頭の中でもやもやしていたことが、すっと晴れていくのです。

どうしてなのか、ある作家がこう言っていました。

人間は弱い生き物なのだ。

だから、いろんなものを、実はもやもやした状態に置いておきたい。

曖昧にしておきたい。 そうすれば、覚悟して、行動しなくてもいいから。

ところが、書いてしまうとそうはいかなくなる。

何が問題なのか、はっきりと気づけるようになる。 その代わり、覚悟も反省もしなければいけなくなる。

行動もしなければならなくなる。

ただぼんやりとした不安は消えていく。

不安に押しつぶられるようなことはなくなっていくのだ、と。

昔から続いてきた日記の効用は、これだったのかもしれません。

書くことによって、頭の中を整理し、不安や悩みもぼんやりさせないのです。

インターネット、メールが当り前の時代になり、今や書く機会自体は決して少なくありません。

しかし、自分についてよく考えて書く機会というのは、ほとんどないのではないでしょうか。

SNSやブログなどで、自分の体験や感想を書いていても、それはあくまで人に読んでもらうための文章です。

そこに本心を吐露できるかどうか。

不安や苦しい思いを書き綴ることができるかどうか。

それができなければ、自分の中のもやもやをクリアにするのは難しいのです。

思っていることを文字にする時間、というのは、実はなかなかありません。

だからこそ、あえて意識して時間を取る意味があるのです。

━ 思いを文字にしていますか?
 

  「成功者3000人の言葉」 上阪 徹 飛鳥新社

  超おススメ図書 「スマートノート」 岡田斗司夫 文藝春秋
 

 追伸
 

きついことを書いてしまいましたが、私も病気だった時期が長かったので、病気の人の気持ちはよくわかるのです。

しかし、いつまでも甘えていては、益々苦しくなるのです。

ラクをしているつもりでも実は魂(本心)は苦しんでいるのです。

それは病気の人が一番わかっていると思うのです。

ほんとうはハッキリ、スッキリさせた方がずっとずっと楽なのです。

そしてほんとうに強くなれるのです。

 




  




誰かのために仕事をすれば、結果が変わる

 
 
人のために仕事をする、誰かのために仕事をする

正確に言うと、人が、誰かが喜んでくれるのを自分の喜びとするために、仕事をするんだ。

になると思うのですが、私には少しトラウマがあったようなのです。

と言いますのは

私は幼い頃、ちょっとませていたというかひねくれていたようです。

私が物ごころがついた頃、母親がしきりに

「お父さんはあなたたち兄弟(私は弟)のために一生懸命に働いているのよ、だから感謝しなさい」

と言っていたのです。

そのとき、私は恐ろしいことに

「なにを恩着せがましく言っているんだよ、仕事は自分のためにするもんだろう、うっとうしいんだよ」 (我ながら怖い! かあちゃんゴメン)

これは私の本心ではないと思うのですが(笑)

とにかく母親のこの言葉を聞くのが嫌で嫌でたまらなかったのです。

だからいつの間にか

「仕事は自分のためにするもんだ」

という言葉が強くインプット(刷り込み)されていたのかもしれない

だからなんでしょうが

「もっと早く気がついていれば」 ・・・と今思っています。(ちょっと口惜しい)

自分視点から相手視点に変える

このことで随分楽になります。

自分が嫌だったこと、苦手な人が居たこと、人間関係とかが一挙に解決されるからです。

だって意識を自分から外して相手の視点にすればいいのですから

そうすれば嫌だったこと、苦手だった人のことがすべて視点から消えるのです。

それは相手の人からは、私の環境はどうでもいいからです。

視点に入っていないからです。

無視をするのではないのです。

今まで嫌なことや、自分の人間関係に意識を向けていたのを、相手の視点に変えるだけです。

要は、どこに意識を置くかなのです。


たったそれだけでいいのです。


これってなにか応用出来そうですよね

例えば、結婚してずっと夫の動向が気になってしかたがなかった

「浮気をしているのではないか?」

「自分は愛されていないのではないか?」

ところが子どもを授かって育児に追われているうちに

どうでもよくなった

気にならなくなった

それどころではなくなった・・・・

それは視点を変えたからですね

自分視点から

子ども視点(相手視点)に変わった

子どもがなにを望んでいるか?

どうすればこどもが喜ぶか満足するかだけを考えるようになった

このときのおかあさんはきっと人生で一番幸せな頃なのだと思うのです。

自分がない、無私の愛(最高の愛)でいっぱいだからです。

幸せとは環境ではないのです。

相手(人)は関係ないのです。

自分の心が愛でいっぱいであることが幸せなのです。

 
 

 
誰かのために仕事をすれば、結果が変わる
 

 


思えば私自身が、20代は働くことのなんたるかが、まったくわかっていませんでした。

思いだけはギラギラして、いわゆる社会的な成功や、お金を稼ぐことに対して強い憧れを持っていました。

大学時代、目指していたのは広告業界でした。 きっかけは、テレビCFの制作現場を舞台にした映画を見たこと。

それから、大学の先輩に広告会社の存在を教わったことでした。

もし、目指す会社に入れれば、華やかな世界に身を置けて、きっと自分にたくさんいいことがあるに違いない、と思っていたのです。

そんな自分勝手な動機が見透かされてしまったのか、私は就職活動に失敗します。

結果的にアパレル業界に身を置くのですが、どうしてもあきらめ切れず、リクルートが新しく立ち上げた広告制作会社に転職を決め、広告制作の仕事に就きました。

20代だった私は、実績を挙げ、評価を得て、少しでも成功に近づきたい、とガムシャラに働きました。

例えば、社内の広告賞表彰で上位を狙おうと仕事をしていたのだと思うのです。

自分のために働いていた。 それが、評価する側に伝わってしまっていた。

極めて自分勝手な動機が、仕事に出てしまっていた。

その後フリーになって、思いがけない経験をすることになります。

仕事は広告から編集系の記事に移っていましたが、次々に賞をもらうことになったのです。

いったい何が変わったのか。 これこそが、「誰のために仕事をしていたか」 でした。

私は自分のためではなく、読者のために仕事をしていました。

読者にとって、いかに役立つ面白い原稿が作れるか。

とにかくそれを意識する。

だから、評価を受けられたのだと思うのです。

以後、私は幸運な仕事に次々に出会うことになります。

自分でも、思ってもみなかったキャリアを切り開いていくことになるのです。

  

 ━ 自分のために仕事をしていませんか?

 



  「成功者3000人の言葉」 上阪 徹 飛鳥新社

誰かの役に立つことを、仕事と言う

 

仕事に関する本はたくさん出ています。

紀伊国屋さんなどの大きな書店に並んでいる約半数近くは仕事関連ではないかと思うくらいありとあらゆる人がたくさん書いている。

私も自慢ではありませんが、仕事とは何か? という真髄を知りたくて随分読み漁ったものです。

で、結論はというと

仕事とは楽しさややりがいを自分で見い出していくものである

いや、楽しいわけがない、嫌な上司や同僚とも一緒にやらなければならないし、体調が多少悪くても休めないし迷惑はかけられない、自分の思い通りにはいかない、我慢料が給料なのだ、仕事とは修行である

情けない話ですが、これくらいの境地にしかいっていないのです。


そして今気がついたのですが、自分の視点でしか見えていないのです。

だからその景色は、自分から相手の人や物(商品など)を見ているだけです。

しかし、相手の視点から見れば、景色は全然違いますよね。

相手からは私も映っているし、考えていることも私とは全然違う

よくお客様目線なんて言いますが

客観視とはまた違うようです。

客観的に観るとは、自分の肉体から意識を外し、少し離れて全体や自分を観てみるということです。

そうすれば自分を冷静な目で観ることができます。(客観視することはとても大切なことです)

しかし客観視もやはり自分主導です。

相手の視点から見るとは、この上の意識になるのではないか?

今、ふとそう思いました。

ほんとうの相手視点とは、自分という者が居て、相手の立場になるのではなく

自分という我を捨てて、相手と一体となることだと思うのです。

それは愛が深くなくては出来ないことだと思います。

自分の気配を消さなければ本当の相手視点にはならないからです。

そこには自分の都合(利益)は入っていないのです。

それができる人って素晴らしいですね!

尊敬します。









誰かの役に立つことを、仕事と言う

 
 


そもそも仕事とは何なのか。

幸運にも、仕事やキャリアをテーマにした取材を長く続けてきたことで、そんな素朴な疑問に私は何度も向き合うことになりました。

私自身が就職活動で失敗していたり、転職していたこともあって、 「仕事の捉え方」 への興味は、俄然大きなものになったのでした。

成功者の仕事観を聞いて思ったのは、根本的なスタートラインが違うのではないか、ということでした。

ほとんどの人にとって、仕事は生活に必要なお金を稼ぐ場であり、自分の能力を発揮する場であり、自己実現を果す場であり、社会的に所属する場。

もちろんそういう要素が彼らにもないわけではないのですが、それ以上に大きいのは、次の視点だったのです。

「誰かのために役に立てるか」

多くの人が自分視点で考えているのに対して、成功者の多くは相手視点で考えていたということです。

つまり、仕事の受け手から発想している。

この仕事はどんな人の役に立てるのか。 その人たちは、どんなことを考えているのか。 どんなことを課題としているのか。 どんなことに悩み、困っているのか。

それに対して、自分は何ができるのか。 何をすれば、最も役に立てるのか。 最も喜ばれるのか。

常に仕事の受け手を第一義に考える。 その仕事が誰のためのものなのかを強く意識する。

自分のためではなく、その誰かのために仕事をしようとする。

だから、結果が出せるのです。

結果をもたらすのは、仕事の相手にほかならないからです。

仕事とは何か。 シンプルにこう表現する経営者もいました。

「誰かの役に立つことを仕事と言う」

受け手がいるから、仕事はある。

誰かの役に立てるから、報酬は得られる。

自分のためだけの仕事はないのです。

 ━ 第一に、仕事の受け手のことを考えていますか?

 

  「成功者3000人の言葉」 上阪 徹 飛鳥新社

 

2013年7月24日 (水)

クールであり、ウォーム、ですか?

  
 
いったいこの人(上阪 徹さん)の感性ってどうなっているんだろう?

ほとんどすべての文章が私の琴線に触れて、感動するのです。

それは、上阪さんが常に真剣に心を働かせて生きておられるからだと思うのです。

普通一冊の本を読んでも後で使えるフレーズというのは、一つから2つもあればいいほうです。

その一つや二つを大事にして、ある時役立てることになる。

そのためにたくさんの本を読んでいるのです。

自分の肥やしにするために

豊かに生きるために

それがこの本には宝石箱のようにたくさん凝縮されている散りばめられている。

即、役立ち、使えるものが多い(今は、ボクシングのボディーブローのように後からじわりと効いてくるものは時代遅れのように思います)

だからどの文章もご紹介したくなる

書かない方がもったいないような気持ちになるのです。

最近、マインドが大切だとしきりに言われるようになってきました。

目の前に現われていることは、心の投影であることにみんなが気づきはじめたようです。

心の持ちようが大切

自分がどのような境地にあるかですべてが決まってくる

心がすべてのすべてである・・・・・

素晴らしい時代への突入が始まったように思うのです。

 

 

Cool Head  Warm Heart
 



あるとき、ハッとしました。

もしかすると、うまくいく人たちが毎日過ごすメンタリティとはこういうものかもしれない、それに最もぴったり来るのはこれではないか、という言葉に出会えたからです。

経済学者ケインズの師、アルフレッド・マーシャルが残した言葉です。


“Cool Head  Warm Heart” 

私が勝手に判断するとこんな意味でしょうか。

世の中や人間、起きている現実は、極めて冷静に見る。

もっといえば、醒めた見方をする。 クールに、冷徹に考える。 過大な期待をしたり、過大な評価をしたり、勘違いをしたりしない。

厳しい状況に直面しても、それを当り前に起こりえるものとして、悲嘆したりネガティブ思考に陥らない・・・・・。

一方で、心は常に前向きに、上向きに、熱く保つ。

知識やロジックだけで行動しない。 誰かのためを意識し、誰かのために仕事をする。

自分の幸運さ、幸せ加減を噛みしめる。

その場の損得で考えない。 ご縁や偶然の意味を理解しようとする。 与えられた使命を自覚して、運命に身を委ねる。

正しく生きようとする。 一生懸命に生きることを常に考えている・・・・・・。

大事なことは、 “Cool Head” だけでもないし、 “Warm Heart” だけでもないということ。

 “Cool Head” と “Warm Heart” が両方、いつもきちんと自分の中で働いているということです。

シンプルな言葉です。

しかし簡単に聞こえても、実践するのは極めて難しい。

だからこそ、いつも頭に入れておいては、と思います。

  ━ クールであり、ウォーム、ですか?


 


      「成功者3000人の言葉」 上阪 徹 飛鳥新社



 

 

“五感” で選べ

私ごとですが、私の息子は大学4回生、今就活の真っ最中です。

お陰さまで内定を2ついただいたそうです。

「どっちにするんだ?」 と聞いたのですが

「まだ決めていない、10月までに返事をすればいいからゆっくり考えるよ」

と言っていたのですが、これはじっくり考えて結論が出るようなことではないのです。

A社は、そんなに大きな会社ではないけれど、自分の好きな企画の仕事をやらせてもらえる、B社はかなり大きな企業ですが、小さな歯車になりかねない、しかし実力さえあれば組織力を生かして小さいところでは出来ないグローバルな仕事をやれる可能性がある

考えれば考えるほど、迷うと思うのです。

最終的には、自分が決めることだけど、後になって

「あーあ、やっぱりあっちにしておけばよかったかなぁ」

と後悔だけはするなよとは言っておいたのです。

しかしほんとうは、そんなことを言いたかったわけでない。

私もかなり転職を繰り返してきましたが

決め手となったのは

ここに書いてあるように

“五感” もしくは六感で決めていたのです。

転職先を探していたとき

ある会社に内定をもらっていたのですが

ふと職安の近くを通りかかって

ひやかしで(その気もないのに)求人欄を見ていた

すると

“風通しのいい爽やかな会社です” という会社案内の一言が目に飛び込んできたのです。

そして、面接だけでも受けたくなって、そのままそこに決めてしまいました。

先に決まっていた内定先の人事の人は

「なにがあったんですか?」

とかなり執拗に聴かれたのですが(私も行く気になっていましたから)、理屈ではないのです。

しいていえば

そこで働いている自分がイメージできたからでしょうか?


早速、今回の文章(下記の)を息子に送ってやろうと思っています。


息子が参考にしてくれるかどうかはわかりませんが(笑)。








“五感で選べ”


就職や転職を応援する仕事をしていた、と先に書きました。

その仕事で勉強になったのは、どうやって自分にぴったりの会社を探すことができるのか、いろいろな識者から、いろいろな角度で、いろいろなお話しを聞けたことです。

その中で一番、私が納得できたのは、フランス人のキャリアデザイナーのアドバイスでした。

「会社は、“五感” で選ぶのがいい」

事業の将来性、仕事の醍醐味、自分の趣味など、いろいろな切り口がある会社選びですが、何より忘れてはならないのは、おそらく家庭よりも長い時間を過ごす場所が会社だ、ということです。

にもかかわらず、居心地の悪い会社、窮屈に感じる会社を選んでしまったとするなら・・・・・。

どんなに大きな夢を描ける事業でも、面白い仕事でも、まったくウマの合わない同僚や上司と一緒に仕事をするとなると、どうでしょうか。

逆に、仕事の魅力はもうひとつわからないし、将来性もはっきりとは見えないが、なんだかものすごく自分に合っているような気がする、という会社があったらどうか。

端的にいえば、後者を選べ、というわけですが、このときに重要になるのが、 「五感」 だというのです。

評判よりも目で見たオフィスの印象を重視する。

ホームページの紹介文ではなく、面接官の言葉や話し方から会社の 「正体」 を探る。

ところが、この五感が日本人はびっくりするくらいダメになっている、と彼は言いました。

五感が死んでしまっている。 みんな意識もしていない。

本能としての緊張感がない。 ジャングルに放り込まれたら、瞬時に動物に襲われるだろう、と。

五感を目覚めさせ鋭敏にする。

その最良の方法は、季節を感じ、自然を感じることだそうです。

コンクリートを離れ、森や公園に出掛ける。

深呼吸し、風を感じ、鳥の声に耳を傾け、旬の物を食べる。

そんな時間を、持っていますか。

 

━ 季節や自然を、ちゃんと感じていますか?

 

  「成功者3000人の言葉」 上阪 徹 飛鳥新社



 

普段気の利かない人間は、本番でも気は利かない

 
 

先日、友人のお宅に急に立ち寄ることがあって、その時に、友人が「ご飯食べて行けよ」と言ってくれて、友人の家族(奥さんと息子さん)3人と一緒に食事をすることになりました。

奥さんとも息子さん(大学生)ともお会いしたのはまだ3回目ですが、すぐに親しくなっていました。

出てきたのは、骨付きチキン、私が手に取って食べた後にチキンの油を拭きたいと思っていると、その瞬間、息子さんが私の目の前に  スッ っと ティッシュを差しのべてくれたのです。

そのタイミングが絶妙だったで、今でもそのことが印象に残っているのです。

その行為だけで、息子さんが普段どんなことを考えているかがわかるのです。

周囲に目を配り、相手が何を望んでいるかをすぐにキャッチできる人

なかなかできることではありません。

それは人は、たいがい自分中心に考え動いているからです。

私が友人に

「おまえの息子さん善い子だなぁ」 (生意気ですが)

と褒めたのはいうまでもありません。

人は、そんな小さなことで心が動かされるのです。

時間は瞬間瞬間過ぎ去り、その間には 間 というものが存在するのです。

その間をいかに手を抜かずに埋めていくか

それもプラスのエネルギーを注いでいくか

思い遣りの愛のエネルギーを注いでいくかが大切だと思うのです。




 

普段、気の利かない人間は、本番でも気は利かない
 

私がインタビューする相手は著名人に限りません。

中には新入社員や、就職活動をしている、あるいはこれからしようとしている大学生もいます。

あるとき大学生が、就職活動をめぐるインタビューでこんなことを言っていました。

自分は本番に強いタイプだ、本番の面接になればちゃんと気が利くから、まったく心配していない。 本番さえ、うまく乗り切れば大丈夫だ、と。

私は話を聞く役ですからこのときは黙っていましたが、やっぱり言ってあげたほうがよかった、と後悔しました。

普段、気の利かない人間は、本番でも気は利かない。

そういうものですよ、と。

だから、牛丼店などのテーブル席で、食事が終わっているのに、ペチャクチャとおしゃべりをしながらお昼の時間を占領しているリクルートスーツ姿の学生を見ると、思わず声をかけたくなってしまいます。

そんなところにいつまでも座っているようでは、就職活動はうまくいかないよ、と。

ファストフード店は、いかに客を回転させることができるか、で収益を上げています。

なのに、いつまでも居座っている客がどのくらい迷惑か。

これから就職して社会に出ようとする学生なら、そのくらいのことは想像し、わかってしかるべきだと思うのです。

そういう想像もせず、傍若無人に過ごしているとすれば、あまりに心配です。

もっとも、そういう気の利かない先輩社会人が多いのも大きな問題ですが。

本当に気が利く人とは、そうした日頃の小さな場面でも、常に気を利かせられる人です。

小さな場面で気か利かない人は、大概の場面で気か利かない。

気くばりのアンテナは、日頃から感度を高めておかないと、いざというとき使い物にならないのです。



 

  ━ 日頃から、気を利かせていますか?
 

     「成功者3000人の言葉」 上阪 徹 飛鳥新社



 

 

2013年7月23日 (火)

人は挨拶でわかる


  
挨拶というのは、いったいなんなのか?

子どもに

「なんで挨拶って必要なの?」 と聞かれて即答出来ないくらい当り前過ぎて説明は難しのです。

「う~んそれはなんだ、ほら人としての基本だろ」

「挨拶からコミュニケーションは始まるんだよ」

「挨拶とは心を開くことだ」

「とにかく挨拶ができないと社会人としても人間としても失格なんだ」

もっともらしい言葉を並べてみましたが

いまいちしっくりこないのです。

私の考えは2番目に近いのかもしれません。

人というのは、ほとんどの人が別々だと思っています。

肉体が離れて存在しているから心も別だと思っている。

あなたと私は別の人間です。だからいろんな考え方があってもいいし、判り合えないこともあるでしょう。

だから喧嘩にもなる、だから無理をして仲良くする必要もない

そうやって、段々とコミュニケーション(対話)も出来なくなっていく・・・・・

私は 挨拶とは 「あなたのの懐に入りますよ」 という相手への宣言だと思うのです。

これからあなたと同じ磁場のところでエネルギーを共有します。

磁場へ入らせていただきます。

「どうかよろしくお願いします」

という宣言なのです。

私も大していいエネルギーを出しているわけではありません。未熟者なので、変な嫌なエネルギー(雰囲気)を出すかもしれません。

でもなんとかプラスの心地良いエネルギーを出すように心がけますからどうかよろしくお願いしますという最初の言葉なのです。

いきなり相手のテリトリー(縄張り)に入って行っては失礼なのです。

そして同じ共磁場に入って「気持ちをひとつにしましょう」 という相手への愛の表現なのだと思うのです。



人は挨拶でわかる


著名な方々にたくさん取材をしていると、いくつも共通点を感じますが、そのひとつに挨拶があります。

挨拶がとてもちゃんとしている人が多いのです。

テレビで見ていた有名な方が、頭をぺこりと下げて、今日はよろしくお願いします、と謙虚に挨拶をされる。

思わずファンになってしまったことも少なくありません。

人の第一印象というのは、最初の挨拶ひとつで決まってしまうことがほとんどです。

そして第一印象がよくない人と、また仕事をしたいと思う人は少ないでしょう。

逆に気持ちよく挨拶されれば、極めて印象は良くなります。

これだけでも、得点は大きくアップする。

それこそ子どもの躾の基本のひとつが挨拶ですが、大いに意味があったのだと改めて気づかされました。

相手にいい印象を与えることは、人間関係において極めて重要なのですから。

きちんと挨拶ができなかったせいで、敵と間違えられて命を落としてしまった時代もあったのです。

挨拶は命にも関わるということです。

ある外資系企業のトップが面白い話をしていました。

昇進の判断材料のひとつとして、きちんと元気よく挨拶ができるか、を重視していたというのです。

「外資系企業の昇進の判断材料に挨拶?」 と思ったのですが、彼は大まじめでした。

朝のリーダーの挨拶ひとつで職場の雰囲気はがらりと変わる。

元気な挨拶ができないようなリーダーを持ってしまったら、そのフロアのメンバーは不幸になる。

だから、元気な挨拶ができるかどうかを、しっかりチェックしていたのだ、と。

たかが挨拶くらいで、と思われるかもしれません。 でも、こういう小さなところでこそ、実は人は大きなチャンスを手にしたり、失ったりしているのです。

それを私は取材でよく感じました。

挨拶はその典型例です。

きちんと挨拶ができない人に、成功者はいない。 それくらい言い切ってもいいと思っています。



 

  ━ 元気よく挨拶をしていますか?


   「成功者3000人の言葉」 上阪 徹 飛鳥新社



 



充実させるべきは今日

  

私のブログを 「毎朝、電車の中で読んでいます」 というありがたい読者の方がおられるのですが、まさしく今日の 「成功者3000人の言葉」 は、「いい話を聞いたなぁ」 だと思うのです。

成功する、成功しないは人それぞれ考え方尺度があります。

別に起業して、自分で社長にならなくったって、サラリーマンでも家庭の主婦でも充実した毎日を送っているのなら、それはもう立派な “成功者” です。

ただし、充実させるにはあんまりのんびりともしていられない、充電時期(自己形成のための)というのも確かに必要ではあるけれど今は同時進行でいかないと時間の流れは速くなっているのです。

メリハリをつけるということですよね。

一週間のうち、火、木、土は人に会うなどして精力的に動き回る、しかし月、水、金、日曜日は、本を読む、スポーツジムに行くなどして充電、リラックスする時間に充てる(私はそうしています)

だからといって月、水、金、日曜日は充実していないかというとそうではなく、エネルギーを蓄える、火、木、土をより良き日にするために備えるという準備の時間として使っているのです。

だから 「あー今日はなんだか無駄な一日を過ごしてしまったなぁ」 と後悔する日はほとんどないのです。(と振り返ってみて気づきました)

今日を充実させるって、そんなに難しいことではないと思うのです。

自分が何かしたこと、言ったことで誰かが喜んでくれた、「ありがとう」 と言ってくれただけでも心がほっこり温かくなりますよね。

一日中ずっと温かいままのときもあります。

それが充実だと思うのです。

私は、人と人との心が一つになることが奇跡(合い、愛)だと思っています。

化学反応ですよね。

そして、それが感動です。

人は感動するために生きている・・・・

一日一回でも感動という奇跡を起こせば、それが一年も経つとなんらかのカタチで結果として、何かが必ず現われていると思うのです。

もしかしたら、それが その人にとっての “成功” なのかもしれませんね。

 
 

充実させるべきは今日

 


40代の起業家にインタビューしていたときでした。 彼がこんなことを言い出したのです。

「人生はいつまでも続くと思っている人が、多すぎるんじゃないかと思うんですよ。 例えば、お正月はあと何回、味わえるのか。 数えられてしまうわけです。 今日の夕食だって同じですよ。 人生が終わるまでに、あと何回、夕食が食べられるのか。 実は数千回しかないわけです。 数千回も、ではないですよ。 数千回しかない。 それがイメージできれば、一食一食を大事にしようと考える。 誰とご飯を食べるのかを、真剣に考えるようになる」

うまくいっている人たちに話を聞いていて強く感じたことのひとつに

「毎日を大切にしている」 があります。

もちろん中長期でびっしりスケジュールが入っている人がほとんどですから、先のことを頭に入れているのは当然ですが、それだけではない。

その日その日を大事にしているのです。

こんなことを言っていた、女性の起業家がいました。

「人生を充実させたい、と考える人はたくさんいますよね。 だから、人生について、いろんなことを考える。 でも、今日を充実させよう、と考える人は意外に少ないんです。 実際には、人生は今日の積み重ねですよね。 今日が充実していなかったら、人生は充実しないのに、といつも思うんです」

今日という一日を充実させるのは、心がけひとつでできそうだと思いませんか?

しかも、充実した今日の積み重ねが、トータルとしての人生の充実につながるのかもしれない。

年輩の大学教授の、同じ言葉もよく覚えています。

「人生はあっという間だよ。 ボォーッとしていると、あっという間に過ぎてしまう。いつかの充実じゃなくて、今日の充実だよ。 それなら誰にでもできるんじゃないか」

 

  ━ 今日を充実させようと考えていますか?

 

 「成功者3000人の言葉」 上阪 徹 飛鳥新社




  

2013年7月22日 (月)

人間は、愚かで弱い生き物だ

 

自分がダメなのはわかっている、弱いのはわかっている、もっと強くならなければならないのはわかっている、このままではいけないこともわかっている

わかっているからこそ、自覚しているからこそ努力をするのです。

だから弱いのがダメなのではなくて、そのままでいいんだと止まってしまうことがダメなのです。

人間が持っていい唯一の欲とは

向上欲、向上心だそうです。

努力しているときの人間、向上しようとしている姿ほど美しいものはないと思うのです。

最近、向上心を強く持った人と出逢うことが多くなっているのです。

これはほんとうにありがたいことです。

嬉しいことです。

その人たちと語り合うことほど至福の瞬間(とき)はないのです。

私は最高の幸せ者だと思います。

 
 

人間は、愚かで弱い生き物だ


 

こんな職業に就いている人の口から、こんな言葉が出てくるなんて。

そんな思いも寄らない経験をするのも、取材の醍醐味のひとつです。

そもそも世の中の人が

「きっとこういう職業の人はこんなことを言うだろうな」 と思えることばかりが書かれたインタビュー記事では、ちっとも面白くありません。

したがって私にとっては、「こんな人がこんなことを言うなんて」 という意外性を引き出すことが、取材の主眼のひとつだったりもします。

それがうまくいった実例が、この言葉です。

「人間は愚かで弱い生き物である」

哲学者や生物学者が言いそうですが、そうではありません。

これは、数多くの企業再生を手がけた著名なコンサルタントの言葉です。

ガチンコのビジネス現場を数多く見てきた彼の人間観が、結実したものなのです。

倒産や破綻の現場をはじめ、人生の修羅場を迎えたとき、人間はその本性を現す。

そう彼は言っていました。

どんなに高い社会的地位にあろうが、屈強そうに見えようが、体力があろうが、異性にモテようが、超一流大学を出ていようが、出世が早かろうが、口がうまかろうが、結局のところ、人間は愚かで弱い生き物に過ぎないのだ、と。

ただし、愚かで弱いことに問題があるのではない、とも彼は言いました。

大事なことは、それをしっかり認識することだ、と。

そうすれば、愚かで弱いという前提で、自分自身を考える。

そして、愚かで弱いなりに努力をせねば、と思える。

何かで常に律しておく。

誘惑に打ち勝つために精神力を培う。

思わぬ落とし穴に落ちる可能性も認識する。

追い詰められると危険なので、時にはガス抜きもする。

愚かさから少しでも脱却するために、強くなるために、努力を続ける・・・・・

愚かでも弱くても、いいのです。

それを自覚さえ、できていれば。

 

  ━ 自分の弱さや愚かさを自覚できていますか?

 

  「成功者3000人の言葉」 上阪 徹 飛鳥新社





  

 

世の中に絶対はない

  

前日にこの本(成功者3000人の言葉)を読んでから、今日2回目に入り、同時にこのブログを書いています。

そしてこれが3つ目になるのですが、ほとんどすべての文章が身に沁みるのです。

心に響くのです。

そして今回は、「世の中に絶対はない」 がテーマです。

基本的に絶対という言葉を使う人というのは、自信のない人だと思うのです。

そして無責任な人・・・・・

自分の発する “絶対” という言葉で相手に信用させて、相手をコントロールしようとしている。

しかし思惑とは反対に相手からは、距離を置かれます。

それは人の心を縛りつけるからです。

自由を失う言葉だからです。

人は自分に生きていきたい!

だからそれを邪魔するものは、自然と排除しようとする

使えば使うほど

力を失う言葉

それが “絶対” だと思うのです。

しかし、その絶対が絶対でない、中途半端な絶対の場合はマイナスの言葉ではあるけれど

100%絶対なことであればもの凄いパワーをもっている言葉でもあるのです。

「あなたは絶対に大丈夫だよ!」

「絶対に乗り越えられるよ」

という絶対には愛がたくさん溢れているのです。

相手を勇気づける 絶対

相手を縛りつける 絶対

言葉って不思議ですね

使う人の精神、使い方によって全然違うパワーになる

心の中を整えること(波動調整)がいかに大切かがわかります。




 
 

世の中に「絶対」はない

 

「絶対そうだよ。そうなるに決まってんじゃん」

「違うよ、絶対にそれは間違っているよ」

「絶対、面白いってば。絶対だよ」

特に職業病というわけではないと思いますが、人に話を聞く仕事を始めてから、電車、バスに乗ると周囲の人の話についつい耳が向いてしまいます。

その中で、よく聞くフレーズべスト3に入るのが 「絶対」 です。

しかし、この言葉を 「絶対」 に使うな、という話を取材で聞いたのは、実は一度や二度ではありません。

よく覚えているのは、あるベンチャー経営者の話です。

「絶対という言葉を使う人間を信用しない。そもそも世の中をちゃんとわかっている人間は、絶対なんて使わない。 なぜなら、絶対なんてないとわかっているから。 人の話の聞きかじりを吹聴したり、受け売りをする人間に限って絶対という言葉を使いたがる。

だから、どうして絶対なのか、その理由をとことん聞くことにしている。

絶対に答えられませんけどね(笑)」

「絶対」 を辞書で引けば、 「他に対立するものがないこと」 があります。

しかし、あらゆる選択肢をチェックした上で、本当に 「これしかない」 などと言えるはずはありません。

だから、慎重な人はこんな言葉は使いません。

世の中のことをしっかり知ろうとしている人や、誠実に生きていこうとする人、広くアンテナを立てている人が使う言葉ではないのです。

そんな小さな言葉ひとつで、と思われるかもしれません。

しかし、実は小さな言葉ひとつにこそ、人間は現われるものです。

言葉ひとつの使い方が自分を貶める可能性があることに、気づいておく必要があります。


 

 

 ━ 安易な言葉を使っていませんか?

 

      「成功者3000人の言葉」 上阪 徹 飛鳥新社




 

自分の出すエネルギーを整えることが大切なのです。
 

調和波動気功法とは

http://homepage2.nifty.com/hmwave_goldendoor/



調和波動気功法(ハーモニー)


http://www.harmony-wave.jp/
 

オーラ・オーラ

http://auraaura7.com/


健康になるための気功教室in 大阪


http://orientalwind.info/



   

 

人に聞くな


 
「何か質問ありませんか?」 と聞かれたときに

私は、自分の中(心の中)から答が必ず出てくると確信できるとき、そしてこれは自分の中から出さなくては意味がない、値打ちがないんだと思う時、聞いてしまってその人の言ったことが捉われとなって自分の心が自由で無くなると感じたときは、どんなに知りたい内容であったとしても聞かないようにしています。

だから会話がはずむようにしようとするとき、相手を知りたいと思うとき、コミュニケーション(仲良くなるために)が必要だと感じたときにしか質問はしていないように思います。(私の場合は)

質問をすればするほど、答を聞けば聞くほど、自分の中の力が弱まっていくように感じるのです。

答は、一つではない

もしかしたら自分の中から出てきたものだけが本当の正解なのかもしれない

だから他人から出る 答? とは本当の答ではないのです。

人は、質問をされてそれに真面目に答えて

相手の人がそれをほとんど参考にもしてくれなかったら 怒ります。

「人に聞いといて、なんなんだそれは!」

だけどそれでいいと思うのです。

その人は自分の中から答をだそうとしてるのだから・・・・・・・






  人に聞くな

 


 
70代、80代の人生の大先輩のみなさんに取材するときには、聞いてはいけないことがあると知りました。

それは、 「これからどうすればいいか」 という質問です。

これを聞けば、ほとんどの場合で叱られるのです。

今もよく覚えているのは、200万部を超える大べストセラーを出した著名な学者への取材です。

それまでは機嫌よくお話しをされていたのですが

「若い人はこれからどんなふうにすればいいでしょうか」 という私の問いかけに、表情が一変したのでした。

「どうすればいいかなんて、人に聞くな」

一喝されました。

そして、その理由を彼は語り始めました。

なんといっても、彼らの中に強い衝撃を残しているのは、第二次世界大戦後のことです。

終戦の日の翌日から昨日まで教えられていたことはすべて間違っていた、と否定されたのです。

誰もが、予想もしえなかったことが起きた。

彼がそのとき学んだこと。

それは 「明日のことは誰にもわからない」 ということでした。

明日、何が起るかなんて誰にもわからない。

にもかかわらず、人は明日、もっといえば、来月や来年や10年後を知ろうとする。

しかし、その行為そのものに意味がないと気づかねばなりません。

そうはいっても 「どうすればいいですか」 は聞きたい、ですね。

私もそうでした。

答は極めてシンプルでした。

「明日のことなんて考えない。 とにかく目の前にあることを一生懸命やる」

これは30代以降の私の行動原理のひとつになりました。

わからない未来にばかり目を向けて、目の前の今に一生懸命になれない人が山ほどいるのです。

実はこれこそが、問題、年輩の方々からの強烈なメッセージでした。


 

  ━ 明日のことを、知ろうとしていませんか?


 

   「成功者3000人の言葉」 上阪 徹  飛鳥新社



  

 

成功者の多くは謙虚な人なのだそうです。

 

成功している人の多くとは、目がギラギラしていて、どこかに儲け話があると目ざとく見つけてお金を愛し、いつも美味しいものを食べている(笑)という印象があるのですが、ほんとうは全然違っているようです。

成功するということは、みんなが応援してくれるような人であること、愛される人だから人もお金も近づいていったのだ。

だから成功するって難しいことではない、人に好かれたらいいんだ

ということがわかったのです。

なぜわかったのか?って

それは、ある本を読んで腑に落ちたのです。

昨日、調和波動気功法のセミナーがあって、于先生におススメ本として紹介していただきました。

セミナーが終わってすぐに紀伊国屋に駆けつけ、家に帰るのも待てずに電車の中で読み出し、3時間程で読破してしまいました。

それほど、興味深い、人生のエキスが書いてある、素晴らしい本でした。

これからしばらくは書くことに困らなくなりそうです(笑)

この本に書いてある素晴らしい “言葉” をみなさんにご紹介したくてウズウズしているからです。

この本には、“人生を開く99の基本” が書かれています。

99全部はご紹介出来ないですが、その中でも特に響いた文章を抜粋します。

みなさ~ん、くれぐれも、「グッドムーンが感想を書いているから本を買って読まなくてもいいや」 って思わないでくださいね(笑)。

それは人それぞれ個人にとって響くところが違うからです。

もしかしたら書いていないところであなたにとってとても大切な箇所があるかもしれない。

あなただけの大切な “生き方” を是非、見つけてください。

では、いきなり最初の頁(ページ)から心に響いた文章(言葉)をご紹介します。

この本の内容は著者である、上阪 徹さんが成功したたくさんの人にインタビューして心に響いたものをまとめたものです。

成功者には、共通点があるようです。

そしてそこには大切なこと(真理)がちりばめられているようです。

 

 

そもそも世の中は理不尽で不平等である




文学専攻の著名な大学教授に取材をしているときでした。 

次々に質問を繰り出していた私に対して、彼が突然こう聞いてきたのです。

「上阪さん、ドストエフスキーを読まなければならない理由を知っていますか」

私がキョトンとしていると、彼は訥々(とつとつ)と語り始めました。

「ドストエフスキーの小説には、人間というもののすべてが詰まっているんですよ。

 特に、人間が生きる世界が、いかに理不尽で、無慈悲で、不平等で、不合理で、残酷なものであるかが語られている。

それを理解して生きるのと、まったく理解しないで生きるのとでは、人生は大きく変わっていくんです」

たとえば、何か苦しいことがあったとき、人は思ってしがちです。

「どうして自分だけ、こんな目に遭わなければいけないのか。こんな努力をしているのに、どうして結果が出ないのか・・・・・・」

しかし、もし 「そもそも人生は不公平で不平等で極めて厳しいもので、ラクな道など、もともとない、ありえない」 と認識していたとしたら、どうでしょうか。

取材した多くの方に感じたことがありました。

みなさん大変な努力や苦労をしている。

だからこそ、大きな成功を手にしているわけですが、本人たちはそれを大した努力や苦労と思っていないのです。

思えば私自身20代の頃は、何かに期待し、幸運を待ち望み、努力が結果につながらないことに怒り、自分を責め続けていました。

ひどい20代でした。

ところが、苦しさは当たり前なのだ、と思えるようになった30代から、人生は一変しました。

その最大の要因は、生きる前提が変わったことだと私は思っています。

生きていくのは、そもそも大変、ラクをして生きられるなんてありえない、努力が必ずしも報われるとは限らない・・・・・。

そう思うようになれば、そのつもりで行動するようになる。

自分に納得できるようになる。

認識が言動を変え、結果をも大きく変えるのです。

世の中に期待しない。 

その覚悟だけでも、人生は変わります。

 

    ━ 人生や世の中に、過度に期待していませんか?

 

   「成功者3000人の言葉」 上阪 徹 飛鳥新社




 


追伸・・・タイトルの成功者の多くは謙虚なのだ と文章の内容がマッチしていないので補足します(笑)

于先生は、人に好かれるにはどうしたらいいのでしょうか?とある人に質問されました。

ある人は、「笑顔でいることですか?」 と答えられたのですが、ずっとどんな時でも感情を表に出さずに笑っていることは至難の業のようです。

では、どのような人になればいいのか?

ところで

お年寄りに好かれる第一条件とは、謙虚であることなのだそうです。

いつも控え目でいる、出しゃばらない、それでいてちゃんと気配りが出来る・・・・

お年寄りに限らず、どんな人にでも好かれる人とは謙虚な人なのです。(そばに居て楽だからなんでしょうね)

ずっと笑顔で居続けることよりも、謙虚で居つづけること

「その方が自分には出来そうだな」

そう思ったのでした。

そして、本当の成功者とは、みなさん謙虚な人なのだそうです。


 
   


 

 







 

 

2013年7月20日 (土)

愛することを止めるな

 

斎藤一人さんの本を読んでいてわかったのですが、愛とはそんなに難しいものではなく、大げさなものでもなく、自分の思い遣り(愛)をただ表現していけばいいのだと思ったのです。

ある先生がいた、その先生は勉強を教えるのがうまいわけでもなく、個性が強くて生徒の心を掴んでぐいぐい引っ張っていくわけでもなく、ただ淡々と生徒たちと接していた。

そして生徒の卒業後もどこかで見守っていて気にかけていた。

元生徒の誰かがお花屋さんを開いたと聞くと、遠くでも買いに行った。

教え子が電気屋さんをやっていたら、よその店よりも千円高くたって買いに行った。

教え子の心には

「あー先生は自分のことを忘れずに覚えていてくれたんだなぁ、ありがたいなぁ」 という感謝の気持ちが残るのです。

そこに温かいエネルギーが流れ、先生と教え子の気持ちが一つになる。

それが 愛(合い) なのです。

大切なことは、思い遣り(愛すること)を止めないことだと思うのです。

人に理不尽なことを言われても、自分の愛がわかってくれなくても、恩を仇で返されても・・・・・たとえどんなことがあっても、愛することを止めたらそこで自分というものがなくなってしまう。

それは人間は愛するために生まれてきたからなのです。

相手が愛してくれるから自分も愛する

波長(気)が合うから好きになった

一緒に居て、心地良いし、癒されるから好き!

というのは本当の愛ではないのです。

我を満たすための、自分の感情を満足させるだけの低いレベルの愛なのです。

だから愛することって生易しいものではない

「愛は忍耐」 

忍という字は心の上に刃物と書くのです。

相手がどうであっても、わかってくれなくても耐え忍び、自分の心の中にある愛のエネルギーを発して(表現)してゆく

小さなことを疎かにしないで、隙間という間に愛を注いでゆく

だから理屈ではないんですね。

愛することを止めないで続けること

それが本物の愛だと思うのです。






 

愛することを止めるな

 

妻や夫や子供たちが、いつでも素直に自分の愛を受け入れてくれるものではありません。

愛されていると知りながら、かえってその愛を裏切るような行為をしてしまうことがよくあるものです。

愛されれば愛されるほど、どこまで愛してくれるか試してみたいなどと思う、恋人や子供がよくあるものです。

愛しても愛しても、自分の心を素直に受けてくれない時などは、全く愛することの悲哀を感じるのは誰しものことです。

しかしそれだからといって、愛することを止めてしまったり、相手を憎んでしまったりしたら、せっかくの神のみ心が現わせぬことになってしまいます。

愛することが哀しい時があっても、やはり愛しつづけることが大事なのです。

愛することそのことが神の光なのです。

    


           
「日々の祈り」  五井昌久  白光出版





 

 

2013年7月19日 (金)

自分を正当化するために人を傷つけてもいいのか?

  

NHKの朝ドラを観ているといろんなことに気づかされるのです。

もしかしたらみんなが知っていることなのに私だけが気づいていないこともあります。

真理を勉強しているのに、かなり人間がわかっているつもりなのに

実は、全然わかっていなかったことってあるのです。


ユイちゃんは、アイドルになることへの道が閉ざされて自暴自棄になった。

そして、自分がグレることで自分を保とうとした。

それが悪いことであるとか、人からどう思われるかなんて考える余裕もなく

今までの自分を壊すことで心の帳尻を合わせようとしていた

しかしそれは、魂が満足することではなく、感情を抑えている、紛らわせているだけだったのです。

昨日放映されていた春子の言葉が印象的だった。

「今の自分を正当化するために過去の自分を否定するしかなかったのよ」

「どんなに辛いことも全部親のせいにして乗り越えてきた」

人は今の自分に満足出来なかったら

その言い訳を探すんですね。

そしてそれを自分に向けずに人に向ける

自分が傷つくのが嫌だから

人に当たる、人のせいにする (ここが私が一番理解出来なかったところです)

矛先を向けられた方はたまったものではなく

それに抵抗し、反抗し、激怒し

そこから醜い争いが始まる

人間関係がおかしくなる原点って

そこにあるように思うのです。

自分の内(心の中)で解決しようとしない

外(家族、他人、知人、友人)に向けて

そのどうしようもないジレンマをぶつける

人間ってつくづくバカだなぁ

弱いんだなぁ

どうしようもない生き物なんだなぁ

と思うのです。

しかしそこで終わってしまっては

人間性悪説になってしまう。

先がなくなってしまう

しかし、人間とはそんな単純なものではない

性格は単純でシンプルな方がいいけど

奥が深いのです。

悪のみに見えるけど

その奥には光輝いている

素晴らしい魂(善・美・愛)があるのです。

でないと

やってられないのです。

先に、ほんのちょっとでも光が見えていないと

生きる希望が見えてこない

なんのために生きているのか

わからなくなってしまう

人間とはいったい何者なのか?

人間とは本質的になんなのか?

どうすれば本来の美しい姿が顕われるのか?

どうすれば本当の幸せを体得することができるのか?

それを追求していくことが

人間が生まれて来た目的(ミッション)だと思うのです。



 

 





 

 

2013年7月18日 (木)

自分と未来は変えられる

 

朝ドラの「あまちゃん」で、アキの親友のユイちゃんが眉毛を剃って、髪を脱色してグレてしまった姿を見て

アキの母親の春は、ユイに言った。

「まあ、どっちでもいいけど、一つだけ約束して。お母さんの事、恨んじゃ駄目だよ。お母さんの家出とあんたの脱色は無関係。

行きたきゃ行けばいいじゃん!東京に!

どうせ学校行ってないんでしょ?お父さんの世話もしてないんでしょ?そんで昼間ブラブラして万引きして夜は先輩の車でスピード違反してんでしょ?だったら行きゃいいじゃん。こんな田舎でくすぶってないでさ。親のせいで夢諦めたとか誰も同情しないからね!」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

人間には試練は必ずやってくるのです。 いつも順風満帆に自分の思い通りにいくとは限らない、いやいかない方がずっと多い。

そんなときに自分の心をどうコントロールしていくか?

心の処理をどうしていくかでその後の運命が変わってくるのです。

私たちはつい、コントロール出来ないことを人のせいにする。

周りのせいにする、環境のせいにする

しかし、それは違っていたんだということが、最近わかってきました。(遅いですよね)

今、私に毎朝、気づきの文章をメールで送ってくれる人がいるんですが

そこに書いてあった、斎藤一人さんの言葉を引用します。

読んでいたら

「他人と過去は変えれない、変えれるのは自分と未来だ」

という誰かが言っていた言葉が浮かんできました。



 

 

自分は天国言葉言ったりいいこと言ってるのに、会社に行くと暗い話ばっかりで嫌になっちゃうとかって人がいるんです。なんで嫌になるのって。周りがやらないと、なんで嫌になるのって。

学校に行ってたときに、自分だけ100点取って、周りの子が100点取らなかったら、あなたは嫌になったんですかって。
嫌にならなかったでしょ、自慢してたでしょって。自分が正しいことをして、周りがやらないと嫌になるの?
私は、朝、会う人会う人に「おはようございます」って言うんです。「おはようございます」 返ってくるのは、10人に1人です。ほとんどの人はあいさつもしないんです。
だけど、私は、誰にも言われないのに、みんなにあいさつしてるんです。嫌になるんじゃないんです。わかるかい?誰もやらないことをやってるんです。
人と同じことをやってるから人と同じ人生なんです。
誰もやらないことをやるから、人生が変わるんです。

(『斎藤一人 幸せを配達する「ふくろうの絵」』より)

「楽しい事って、必ず困難がついてくるんです。
富士山に行ってご来光拝んで、なんであんなに感激するかって言ったら、下から登ったからです。
ご来光って言っても、ただの朝日なんです。どこで見たって朝日なんです。
ところが、たいへんな思いをして一生懸命上までのぼってご来光を見るから感激するんです。
みんなが否定的なこと言ってる中で、明るく生きるのは大変だと思うよ。
でも、大変だからおもしろいんです。
やりがいがあるんです。」(=^ω^=)♪ by ひとりさん




  

2013年7月16日 (火)

蕾のエナジー

 

最近、私はブログを書くことをかなりサボっています。

それは書くこと、感動することがないからではなく、反対に感動することは増えているのです。

しかし感動は文章にすることがまどろっこしいからです。

自分の心の中だけに置いておきたいのに

それを引き出す作業が面倒臭いという気持ちも正直あるのです。

「心の中は、文字にはできない」

「文字にすると違ったものになってしまう」

そう思ったりもします。

でもそれは言い訳であって、いかに感じたこと感動したことを活字にするかが、ライターの腕の見せどころであり、やりがいでもあるはずです。

なのに

人の書いた文章を読んで

「うまいなぁ」 「素晴らしいなぁ」 と絶賛しております(笑)。

うまく書けないうちは書けることだけ、そして人のをまる写しでもいいではないか

そう開き直って、サボっていた自分をなだめている次第です。

さぁ、今日のタイトルは 「蕾のエナジー」 です。

エナジーとはエネルギーのことですよね。

私は、コブクロの歌う 「蕾」 という歌が大好きです。

自分への応援歌に聞える

この歌から

せつなくも、一生懸命に生きているいのちの息吹きを感じるのです。

そして蕾という字になんの不思議も感じることなく日々は過ぎていました。

そんなある日、ある人(ご本人ですが)から手書きの冊子をいただきました。

「ことのは」 という月間の通信誌で林和也さんという方が書かれています。

そこに書かれていた蕾という文字の本当の意味を知った時、私の心の中にまさしく電流が走ったのです。

大自然の凄さ、ハーモニー(調和)の素晴らしさ、そして神様の愛を感じたのです。

私も大自然(神)と一体となってこのような体験をしてみたい

感動してみたいと思ったのでした。

 

 


  
蕾のエナジー ~芽吹きの音~

芽吹きの音って聞いたことがありますか? 私の知人で名古屋の方からこんな話を聞いたことがあります。 

その人は自然が大好きで、3月下旬のある日、いつものコースでお気に入りの公園を散歩していた時のことです。 何かあまりのその異様な静けさに不思議に思っていたその瞬間、 「パシィ!」 とすごい音が轟いたそうです。

そして、一斉に桜の蕾が開くのを感じたということです。 鳥がさえずり出したのはその後だそうです。

少しずつ開花すると鳥たちに食べられてしまうといいます。

一斉に開くことでその樹の命を守ろうとする大自然の知恵。

本当に見事です。

その人の体験談に感動した私は、あらためて “蕾” という字を見てさらに驚きました。

なんと、その中に “雷” という字が入っているのです。

静寂を一瞬にして破る あの 「パシィ!」 という音が重なりました。

厳しい冬の寒さの中で蓄えられた凝縮された莫大なエナジー。

その時から、蕾を観る目が変わりました。

わたしもいつの日か “芽吹きの音” をこの耳で聞いてみたい。(つづく)

 

            

          元小学校教諭 林 和也さん(ワードサイエンス兵庫)


 




 

  
   

2013年7月10日 (水)

神のみを見つづけよ

 

ブログは出来るだけ毎日書きつづけた方がいいに決まっているのですが、特に書きたいことがない場合は、最近は、西園寺昌美さんの「日々の指針」を見開くようにしています。

何も考えずに、パッと頁を開くとそこに自分が今、抱えている問題点の答が載っているのです。

だけどこれをブログの題材にするのかどうかは別問題で、読んでいる人がどうなのか?求めているものなのか? 面白い、興味深いものなのか?明るく楽しくなるものなのか?役に立つのか?そんなことも一瞬頭をよぎるのですが、そんなことを考えていたら、自分主導ではなく、読んで下さっているみなさんに意識を合わせることになる。

それって善いことのようで、外(みなさん)に意識を合わせてしまうと自分を見失ってしまいそうになるんですよね。

相手のことを思い遣る、おもんばかる気持ちはもちろん大切なのです。

ただ、相手の中に入っていくのでも、自分という 「芯」 がしっかりとあった上で本心はちゃんと天と地を貫いている状態で、相手の中に入っていくことが大切なのです。

今の私はこの繰り返しをしています。

自分に合わせる、人(相手)に合わせる、自分(本心)に合わせる、人(相手)に合わせる、自分(天)に合わせる、人(相手)に合わせる・・・・・・・・

これを人(相手)に合わせる、人(相手)に合わせる、人(相手)に合わせる、そして自分に合わせるとしてしまうとブレてしまうのです。

芯から外れてしまう。

だから一日一回はどんなに忙しくても、自分(本心)に帰ることが大切なのです。

自分に帰ることを疎かにしていると、いつの間にかとんでもない人(本心から外れた)になってしまうからです。

私はそうならないために「世界平和の祈り」 を祈り、印を組み、統一をしているのです。

自分が自分であるために・・・・・・。


 
 

1.陰気な人はつとめて明るくしようと心がけなければ、ますます陰湿になり、折角出来た友も離れていってしまう。 陰気な人には一人よがりで自分勝手な人が案外多い。 自分の感情をそのままいささかの修正もなしに表現するからである。 明るい人は、天性全く明るい人と、つとめて明るく振舞おうとしている人にわかれる。 後者の生き方は人を中心に物事を推し量ってゆくやり方で、こういった人達は決して自分中心に物事を考えない。他人のことを考えれば考える人ほど、人はついてくるし、たとえ自分に不愉快なことや心配事、いやなことがあったにせよ、心の中にしまい、つとめて明るく振る舞うのである。陰気な人は、その心がけを真似るとよい。

 

1.自分の周囲で何が起ろうと、その渦にまきこまれることなく、自分の歩む道をはっきり示していける人は大したものである。 自分自身に余程自信がない限り出来るものではない。心弱き人はつい周囲の人と同じ道を歩まなければ、一人だけ孤立したような不安感にかられるものである。 神のみを見つめ求めつづけている人にはそれが出来る。

 

1.なんの理由にせよ、この世に生まれたからには、生きなければならない。 生きるためには幸せにならなければならない。 幸せになるためには、誰からも愛されなければならない。 愛されるためには、まずはじめに自分が人を愛することである。 積極的に愛の働きかけを行うことによって、始めて愛されるという形を生むのである。 それが言葉でも行為でもなんでもよい、無言でさえかまわない、心の底に変らず流れている思いやりさえあれば。

  

          「日々の指針」 西園寺昌美  白光出版





 

  

2013年7月 9日 (火)

一波が万波を起こす

 

地球はこのまま行くと、滅亡すると、かなりの科学者が言っているようなのですが、私は決して楽観視はしていないものの、悲観しては観ていないのです。

人間の欲望というものは、衰えを知らず、どこまでも貪欲で地球を滅亡させるまで続くと思われていますが、それは性悪説であって、人間とはどうしようもない動物なのだ。

救いようがないのだ、で終わっているのです。

しかし私は人間とは、確かにどうしようもない罪悪深重の凡夫でもあるけれどもそれは、まだ神性(神さまの部分)が顕われていないだけでやがては目覚めて(覚醒)いくものなのだ、今はそのプロセスなんだ。

と信じておりますので、不安にはなっていないのです。

今最も大切なことは、人間の悪の部分(マイナス)を見るのではなく、プラスのみを見つづけていくことです。

自分の中のマイナスや相手の人のマイナスを見て、それを掴んでしまうとそのマイナスは増幅し始めるのです。

そしてマイナスのスパイラルの中に入ってしまい、そこからなかなか抜けられなくなる。

人間が完全(パーフェクト)になるまでには、地球が完成(次元上昇)するためには、マイナスが噴き出て、出来切ってしまってから(後)でないと本当のプラスは現われないのです。

だからマイナスを掴んではいけないのです。

マイナスは現われては消えてゆく、消えてゆく姿なのです。

「ああ消えてゆくんだなぁ」 と傍観者になっていればいい。

それを 「大変だ、えらいことになったぞ」 と慌てて掴んではいけなのです。

そして消えてゆく中で必ずプラスが見え隠れしています。

その小さなプラスを掴むのです。

それが地球の、そして人間の神性(素晴らしいところ)なのです。

「あんな奴最低だ!」

と思ってしまっては

悪い部分しか見えなくなってしまうのです。

そうではなく

その人の善いところを徹底して探すのです。

ないと思っても必ずあるのです。

そしてそこを大きく拡げて

「あなたは素晴らしい!」

と絶賛するところまで引き上げていくのです。

相手の人は光を見つけてもらって、魂が喜びます。

そして魂は力を得るのです。


人間一人の魂の力は絶大です。

一つの波が大きな万波になって

波が海になって

世界が変わってゆくのです。

地道な日頃の努力(光明思想を徹底させる)が大きな力になるのです。



 
 
 



1. 知識はあくまでも知識だ。 いくら知識を人よりもたくさん蓄えたとしても、それを身に修め、自分自身の人格や行いに現わしてゆかなければ、何ら意味がない。 只の肥満児と同じことだ。 肥満児がたくさん食べて食べて食べまくっても、それを完全に自分自身で消化し切れなかったならば、食べた分だけ全く無駄になる。 食べた分だけ輝くような健康体と美しいプロポーションにエネルギーを変えていかなければ、不完全燃焼に終ってしまう。 肉のかたまりや脂肪のかたまりが身体のあちこちにつき、醜い身体と化してしまう。 知識もそれと全く同じで、スマートにこなしてゆかないと知識のみを鼻にかけた醜い人物に化してしまう。

 

1. 大国が貧しい国々へ破壊兵器を大量に与えているこの事実。表面では世界平和を唱えつつも、隠れて戦争を引き起こしているこの現実。 戦争をしかけることによって、自国が富み栄えていくこの矛盾。 一体、世界はどうなっているのか。 すべては国のエゴから起きていることなのだ。 この解決策はもはや我々が祈る世界平和の祈りしか他にない。世界平和実現の道は、完全に我々一人一人が無心に祈る祈りにかかっている。
 

1. 人の心というものはそんなにもろいわけでもなく、弱いものでもない。 心が天に一直線につながっていると、神の叡知がそのまま流れ入り、どんな不可能なことも可能にしてしまう力が湧いて出る。

人間本来はみなこうあるべき筈である。 心がもろく弱そうにみえる人は、それだけ神に一直線につながっておらず、心の先端がどこかでずれてしまっているのだ。

それはあたかも水道の蛇口にホースを真直ぐに差し込むのと、ずれてさしこむのとの違いである。 ずれてさしこんだ場合、水道の蛇口とホースとの間から水が漏れ、ほとばしり、流れてしまい、全部が全部、肉体に届かないため心の力が弱ってしまうのである。
 


1.われわれはいつもこう心がけて生きてゆこうではないか。 今日という日を全力一杯生かし、そして善と愛と思いやりの言葉のみを語り、いかなる悪しき言葉も一切語らないようにする。 もし悪しき言葉を口にした場合、咄嗟にその話題を変えてゆくくらいの機転をもとう。

 
 

     
          「日々の指針」 西園寺昌美 白光出版



 

2013年7月 7日 (日)

果因説の考え方

 
 



現代人にとって一番大切なことは自分の心、想念をいかにポジティブに明るく、そして前向きに持ってゆくかだと思うのです。

今、自分の想っていることが未来の自分をつくる。

これはほとんどの人が気がついていることだと思うのですが、どうしても過去の出来事、過去の自分の想念行為が気になるのです。

無視できないのです。

だからエネルギーを未来にだけ向けることが出来ない。

しかし今までの因果律が間違っている、本当は想いを未来だけに向ける果因説が正しいのだということがはっきりとわかり、それを強く主張してくれる人がいるとそれにみんな従いたいのだと思うのです。

過去のことは忘れましょう。

水に流してしまいましょう。

そして川上(未来)に向かって希望のエネルギーを投げ入れていきましょう。
 




因果律と果因説の違い━過去→現在→未来か、 未来→現在→過去か



次にあげる因果律と果因説の違いは、「過去→現在→未来」という因果律の流れに対して、果因説の流れでは、 「未来→現在→過去」であるということです。

因果律では、現在起こることは過去の因が決めている、つまり 「過去→現在」という全体の流れがあります。

病気に例えると、「過去にしてきたさまざまなことによって、現在病気になることがすでに決まっていた」 というように、過去に起こった一つのことが原因となり、次々と玉突き式に結

果となって、現在の病気が現われる。

そして現在の病気がまた新たな因となり、「現在→未来」 という流れに乗って、未来の結果となってゆく。

これが因果律の流れです。

この考え方でゆきますと、過去からやってくる病気に対して、現在や未来では何一つ打つ手がなく、ただ黙って受け入れるしかないということになります。

現在も未来も過去に起こったことから生じる必然であって、もし過去に別の選択をしていれば今病気にならなかったかもしれないが、過去に戻って過去の選択を変えることが出来ない以上今も変わらない、今が変わらなければ未来も変わらないということになります。

これでは、人間には全く自由意思がないということになってしまいます。

しかし果因説では、「未来→現在」という流れに乗って、未来の結果を先に創り出すことが出来るのです。

例えば、川は川上から川下へと流れています。

今現在自分は川の中にいて、傍に落ちていた葉っぱに希望や夢を、現実に現われるように書き込むとします。

それを放り投げます。

川下のほうに放り投げたら、その希望の葉は永遠に自分のところへは戻ってきません。

自分の手から放たれた瞬間からどんどんと川下のほう(即ち過去)へと流れ去っていってしまいます。

結果、その希望は自分の手には戻りません。

だからこそ投げる時には、必ず川上に向って(即ち未来の希望のビジョンを見て)、投げるのです。

その希望の葉は川上のほう、即ち未来へと放たれて、そこから次第に川下へと流れてゆきます。

そして今、ついに現地点の自分のところに、何年か、何ヶ月か、何日か前に投げ込んだその希望の葉が戻ってきて、自分の前を通り過ぎようとしています。

それを自分がキャッチすることにより、希望していたことが現実に顕現されるのです。

時間は未来から現在へとやってくるのです。

そして毎日のように、思い出すたびに繰り返し繰り返し希望の葉を何十枚、何百枚、何千枚、何万枚と未来に投げ込みつづけると、いつの日か、宝くじのようにそのうちの数枚が、必ず自分の前に現われ、現実となるのです。

従って、まさに今の瞬間、自分の未来に対する希望や輝かしい人生の設計図を強く思い描き、

「絶対大丈夫!」 「必ず出来る!」 「すべては可能である!」 「すべては完璧!」

 「欠けたるものなし!」 「必ず成就する!」・・・・・・などという想いや言葉を繰り返すことにより、それが現実となって現われるのであります。

時間は未来から現在、現在から過去へと流れているのですから、今この瞬間、未来について思ったこと、考えたこと、語ったことの成就は、いずれ現在にやってくるのです。

ですから今現在、この瞬間、未来の希望を繰り返し、繰り返しインプットすることにより、それが次々に現在へと流れてくるのです。

そしてそのうちの数枚の葉(未来に投げかけた希望のビジョン)を、自分がキャッチする瞬間が必ず来るのです。

これが果因説です。

今までのような、過去の原因を突き止め、悪い種を一つ一つ暴き出し、それを排除しつつ上り詰めてゆくやり方は、過去のマイナス(川下)に意識が集中するため、目的達成が容易ではありません。

しかし、過去の因縁に由来する果因律に心縛られず、憂えず、今の瞬間、未来(川上)に向って自らの意識を高めるという果因説に切り換えると、自らに内在する素晴らしい資質が目覚め、人生は好転するのです。

    

         「果因説」 西園寺昌美 白光出版





   

無限なる勇気!

 

今日、7月7日、朝日新聞の朝刊に『無限なる勇気』の広告が掲載されています。私のメンター(人生の師匠)である于寿明先生のご著書です。よかったらご覧になってください。この本には私も投稿しています。




調和波動気功法 于寿明 三晃書房 

無限なる癒し  于寿明著 星湖舎

無限次元への誘い 于寿明 星湖舎

無限なる幸せを体得する方法  于寿明 星湖舎

無限なる勇気 于寿明 星湖舎




どの本も宇宙天使からの贈り物でご自分の本心とつながるための指南書です。

是非、素晴らしい宇宙の波動(エネルギー)に触れてください。




電子書籍もあります。

http://utoshiaki.wook.jp/detail.html?id=207092


調和波動気功法とは

http://homepage2.nifty.com/hmwave_goldendoor/



調和波動気功法(ハーモニー)


http://www.harmony-wave.jp/
 

オーラ・オーラ

http://auraaura7.com/


健康になるための気功教室in 大阪


http://orientalwind.info/


 


  

聖者とは?

 

地球上に現われた聖者でみなさんがご存知なのは、お釈迦様、キリスト様だと思うのですが、意識の高さによって霊位というものがあるのです。

どの星から天下って来たかにもよるのですが、お釈迦様は金星の魂の人(霊止)です。

キリスト様もそうなのだそうですが、同じ金星の人たちでも霊位が違うのです。

金星の人たちはみなさん素晴らしいのですが、お釈迦様は別格なのです。

あの波動の粗い、想念エネルギーが凄まじく汚れた地球に降りて金星の教えを広めた人・・・・金星の人が誰でも出来ることではないのです。

だから金星の人たちからも一目も二目も置かれている。

それがお釈迦さまやキリスト様です。

老子様というのは、お釈迦さまやキリスト様とはまた別格も別格で

おそらく、金星よりももっともっと進化した星から来られた魂の方だと私は思っています。

それは、「老子講義」 五井昌久著 白光出版を読まれたらわかると思うのですが、宇宙の奥深くへ入っていかないとわからない教えなのです。(金星よりも深い)

そして私の考えの中で、五井先生というのは、老子様の意識がわかる魂の人(霊止)なのです。

日本の中に、それもつい最近まで肉体界にいらっしゃった、そんな人が居たのか?

とみなさんは不思議がられると思いますが、事実なのです。

そして五井先生が神界に逝かれた後に、その教えを引き継いだのが西園寺昌美さんです。(本当は昌美先生なのですがみなさんが違和感を持たれると思うので)

とてつもなく高い魂(霊位の高い)の方であるとわかっていただけると思います。

そして五井先生は、真理をわかりやすく面白く、楽しく、ユーモアを交えて語っておられました。

しかし昌美先生は、かなり厳しいです。

今の時代にマッチしていないようにも思えます。

だがしかし、ぬるま湯に浸かった現代人には、優しい言葉では通じないのです。

「これでいいのだ」 と妥協して生きている人が多い中で

目覚めさせるためには、ハンマーでガツンといかないと気づかないのです。

だから私は五井先生は男性ですがお母さん、昌美先生はお父さんだと思っています。

役割としてそうなのです。

肉体人間にもお父さん(役)とお母さん(役)が必要なように、聖者にも役割があるのです。

そして私はあくまでも五井先生や昌美先生の教えをつたえるメッセンジャーなのですが、最近の私は昌美先生よりに傾いていると思っています。

だから、厳しいから(難しいのもあるかな?)アクセス数も少しずつ減っているんですね。(笑)

「これもしかたがないか」 と思っています。

みんな核心を突かれることは嫌です。(私も同じです)

でもここらで、自分を変えないと自分も世の中も善くなっていかないと思うのです。

これからも厳しいことを書いていくと思いますが
(自分にも言い聞かせているのです)

よろしかったらこれからもお付き合いください。

                               グッドムーン



 

  

2013年7月 6日 (土)

本来は健康食品はいらないのです。

 
 

健康食品だけではなく、薬も、お医者さん(救急の外科医は別として)も、自分の身体に関するすべてのことは、他に依存することはなく、自分で自分をコントロール出来るのです。

人間の細胞、遺伝子には完璧(パーフェクト)なものが備わっている

だがしかし、肉体界の生活を何の不調和なもの(病気など)が出ずに終えることは難しいのです。

それは何故か?

自分が何者であるかがわかっていないからです。

完璧な存在であることを忘れ去って、外(他のもの)に依存して

自分の本来の力を出さずにいるからです。

心と身体は表裏一体であり、心が整えば身体は自ずと整っていき

心のバランスが崩れれば、身体に変調をきたす

だがしかし、ほとんどの人の意識は身体の方にばかりいっている

口の中に入れるものさえいいものであれば健康になれると思っている

いいお医者さんにかかれば、病気は治ると思っている

精神(心)はひとまず置いておいて、他のことばかりに意識がいっている

これでは、治るものも治らないのです。

本末転倒になっているからです。

なぜもっと心を強くしようとはしないのか?

なぜ、少し行き詰まっただけですぐに他人に相談をするのか?

他人に相談しても何の解決にもならないことがわかっているのに・・・・・

相手を巻き込んで無駄な時間を過ごさせていることに薄々気づいているはずなのに・・・・

自分の本心が納得しなければどれだけ議論しても同じだとわかっているのに・・・・・

もっと強くなれ!

いつまでも甘えるな!

そのうち誰も同情してくれなくなるのです。

面倒臭くなるからです。

人は自立した人が好きなのです。

接していて楽だからです。

楽しいからです。

重たくないからです。

救われたい人と一緒にいるより

救える人といる方が魂が成長出来るからです。

自分が高められるからです。

もう他人に甘える時期は終わったのです。

とっくに終わっているのです。

ただ依存されてそこで儲けようとしている商売がはびこっているために

気づいていないだけです。

あなたの持っているお金だけが目当てなのです。

いつまでお人よしを続けているのですか?

いつまで貢ぐつもりですか?

自分の身体は自分でコントロール出来るのです。

お金なんて一銭も使わなくて健康になれるのです。

人間だけです。

健康をお金で買おうとしているのは・・・・・。

今日は、思いのたけをぶつけてみました。(笑)

ちょっと過激だったかな?

でも、本当にそう思うのです。


 

薬も、運動も、食事療法も、鍼も、灸も、マッサージも健康を維持してゆく為には、ある程度必要かもしれない。 が一度び不安や恐怖心が湧き上って来たら、果たして今まで続けて来た健康療法で乗り越えることが出来るであろうか。

身体を鍛える前に、心や精神を鍛える訓練をするほうが先決である。 つねに小さな些細な事、取るに足らないことにさえ、いちいち自分の心が傷つき、イライラさせられ、心配や不安にかられていたならば、健康療法などなんの意味もなさない。

まず、どんなことが身のまわりに起っても、自分の心を痛めず、傷つけず、それに対して常に適切な対処が出来るように、心を養う必要がある。

心が常に一定し、明るく光明に輝いていさえすれば、身体はいつもなにもしなくても健康そのものなのである。

肉体のコンディションまず、心に起因しているものだということを知ることが大事である。






      
        
「日々の指針」 西園寺昌美 白光出版





  

2013年7月 5日 (金)

今日のツイート

  


今日久々にツイッターに投稿して、自分では 「なかなかいい出来だ」 (笑)と思ったので、ブログの方に転記してみたいと思います。

よろしければ、お付き合いください。 






 
1.「あの人はわかってくれる」「あの人は動いてくれる」 と人に期待するな!人は余程のことがない限り自分の思う通りには動いてはくれない。期待する暇があるのなら自分で動け! そして動きながら考えろ!

 
 


2. フ、付加価値を付ける ナ、無ければ創れ!の発想と意識、ケン、建設的な考えによる行動 舟橋 健さんという方から戴いたおハガキに書かれていました。素晴らしいお考えだと思います。これからの時代は論理性、ひらめき、創造(想像)力が大切なのだそうです。

 



3.いま、メーカーでも小売りでも、成功している企業は、高度成長時のビジネスモデルのほうが異常であることを自覚している。製品やサービスが売れないのは、不況とデフレのせいではなく、需要が少ないからだというはっきりとした認識を持っている。淘汰の時代には、成功より、まず生き残ることを優先すべきである(村上龍)

 



4.一番大切なのは『芯』がブレないということ。芯とは神、心、信、真と同意語だと思う。あなたはブレない生活を送っていますか? ブレない芯を持っていますか?

 



5.挨拶の出来ない大人が増えている。簿記の資格を取りに来ている社会人を対象とした教室で、講師の先生だけが「よろしくお願いします」「ありがとうございました」と言っているそうです。みんなはお金を払っているのだから挨拶はしなくていいと思っているのかな?

 



6.大人の意識を変えるには、子どもをしっかりと挨拶の出来る人にする方にエネルギーを向ける方がいいと思うのです。子どもの姿を見て「ああ、自分は恥ずかしい行為をしていたんだな」と気づく。だから私は、道徳(人の道を説く)の授業は必要だと思うのです。本格的に動こうと思っています。

 



7.知りたいことがあって検索をして説明を読んでると、長い文章でああでもないこうでもないと同じようなことをくり返して、結局、要領を得ないことがある。それは回答者の人が本質をつかんでいないからなのだ。物事はもっとシンプルなのです。簡単に考えると答はすぐに見つかるのです。

 



8.幸せになるための近道は、毎日毎日を小さな幸せ、喜びを見つけることにある。小さな幸せの積み重ねが大きな幸せ、感動に結びついてゆく。そのためにはそれを習慣にしなければならない。クセをつけるのです。見つける習慣を身に付けるのです。

 



9.ツイッターでもブログでも自分の感情の処理(はけ口)のために、書くのなら意味がないと思う。言葉が言霊と言われ魂が宿っているように、文章にも魂が入っている。だからどうでもいいことは書いてもしょうがないでしょ。何年後かに自分で読んでも恥ずかしくないことを書いておきたい!と私は思うのです。

 



10.facebookでもツイッターでもブログでも9割以上は、自分の感情を満たすために書かれている。どうでもいいこと、自分の食べたものばかりを書いている人がいる、もっと元気になる人の為になる、プラスにポジティブになれるようなことをみんなが書くようになれば世の中は良くなるのにね。

 



11.答は外にあるのではない。自分の内(心)にあるのだ。だからいくらいい講演やセミナーに行ったところで自分を見つめなければなんの意味もなさない。外に出るより家で静かに本を読む時間を大切にしたい。外に出るのはその後でいいのだ。ピンと来たとき(心が動かされたとき)だけでいいのだ。

 



12.いつもと同じだけ食べて痩せることなんて絶対にないのです。おにぎり一個を食べなかったことにするのに(身につけない)どれだけの運動量がいるか、明らかに食べ過ぎなのです。3食もいらないのです。ほとんど食べない(朝)、少し食べる(昼)、しっかり食べる(夜)このサイクルが正解だと思います。

 



13.朝食とは、英語でbreak fast(断食)を破るという意味です。せっかくお腹が空っぽになって体が喜んでいるのをぶち壊すという意味です。朝は食べない方がいい。お腹が空くのは脳が糖分を欲しているから、だから黒糖をなめればいい。エネルギーを消化する方に使っては、直観は鈍るのです。

 



14.チャクラが開いて、直観で動くようになって来ると霊要素(宇宙からのエネルギー)がたくさん入って来て、食べ物を食べなくてもお腹が空かなくなるのです。仙人が霞を食べていたのはそういうことです。人間はこれからどんどんと少食になります。みんなスマート(賢く?)になっていきます。(笑)

 



15.動物が病気になって食べなくなるのは、腸を休めてエネルギーを治す方に使っていると云う事。だから人間も弱っているときに無理に食べさせてはいけない。食べるのは回復(治ってから)してからでいいのです。みんな食べると治るという間違った考えを持っているのです。(お医者さんも)

 



16.人間は今、宇宙の摂理からかなり外れた生き方、考え方をしている。だからスカタンばかりを繰り返しているのです。世間一般の常識や知識に惑わされず、人がどう言おうと直観に従って生きてみると常識とやらがいかに間違いだらけであるかがわかる。意識を天に合わせると自由自在の生き方が出来るようになる。


 




  

生かされて生きているのだ

 

西園寺昌美さんは厳しい人です。(笑)

痛いところばかりを突いてこられます。

そして読んでいると言っておられることがわからなくなることがある。

「人に頼るな、自分に頼れ、神に頼れ」

と言っていたかと思うと

「神に頼るな(甘えるな)人事を尽せ!」

と書いてある。

人は、どこかで逃げ道を求めているもの

そんなに緊張ばかりしていては疲れてしまう

それも又事実なのです。

神に頼れ!というのは、自分に頼れ、自分の本心に頼れ、本当の自分に頼れという意味なのです。

神に頼るのと自分自身に頼るのは同じことなのです。

神に頼るとは、他力本願のように思うけどそうではない・・・・

この理屈?がわからないと混同してしまうのです。

で結局は、リラックスすること、力まないということは大切だけど(神の力が出ないから)

あまり休んでいる暇はないようです。(笑)

一生懸命に生きていないとすぐに落とし穴に落ちるからです。

宇宙は進化しつづけている

だから小宇宙である私たちは、止まることは出来ないことなのです。

ただ自分で何もかもやるのではない

肉体人間としてやれることをとことんやったのならば

後は目にみえない自分(神)が肉体界の自分を助けてくれる

肉体の自分と神(本当の自分)の共同作業で物事は成就される

そのことがわかると自分のやるべきこと(役割分担)がみえてくるのです。




1.一波の背後に広大な海が潜んでいるように、あなたの背後には守護霊様守護神様の絶大なる守りと導きがあり、又更にその背後には、大宇宙に偏満する大エネルギーが充満し、つねにあなたのバックアップとなっている。

何をするにも自分自身の力だけではしれたもの。 常に背後の存在を認識して事に当たれば、必ず成就するものである。


 



1.芸術界、医学界、学界、政界、財界など、各社会において、あなたの希望を充たすためには、まずあなたは力強くあらねばならない。 この世のすべてが力づくで、金づくで物事が一応は解決してしまうからである。 本当の実力を発揮出来るのは、全く至難のわざである。

実力のある人が世に出ようとしても、強い人達によって力づくで潰されてしまう。

全く愚かな世の中である。 だがあなた一人であらゆる社会に抜きん出ようとしたいのならば、あなたの背後の守護霊、守護神に祈らなければいけない。 背後に神がついていることを確信したならば、何も恐れるものは無い。 必ず実力で世の中を動かすことが出来る。

人に頼るな、神に頼れ。


 




1.打ちよせる波のバックには大海が控えている。一枚の木の葉のバックには大樹がそびえたっている。 一人の人間の背後には、偉大なる守護霊守護神が見守っていて下さる。 波と海、木の葉と樹とは一つのものであって、決して切り離して考えられるものではないと同じように、人間と守護霊様守護神様との関係もまったく同じことで、つねに我々が想像もつかないエネルギーでもって、我々をバックアップして下さっている。

1.安易に人の助けを求め、人の助言を乞おうとするから、いつまでも自分に自信がつかず、自分のことは何一つ自分で決定することが出来ない。 人に頼ろうとしている時にこそ、神に頼むのである。 神にたよるのである。 神に祈るのである。 神が一番適切な方法を必ず与えてくれる。 人智ほどあてにならぬものはない。 みんな自分の都合のよい方にしか考えないからである。 神はただ与えるのみである。



  



1.神の全き愛、絶対なる愛を信じているからといって、この世における自分のなすべき道、なすべきことをおろそかにし、何事も中途で投げ出し、あとは必ず神さまが助けてくださる、必ず導いて下さるといって、安易に神頼みするのは本当の信仰ではない。 それは自分勝手な信仰である。 神の全き愛を信じつつ、自分の持てる力を充分に発揮し、全力を尽して何事にも処していかないと、本当の道は開けない。



 



  

         「日々の指針」 西園寺昌美 白光出版


 


 







 

 

天命がある

 

天命とは、天から受けたミッション(使命)のことであり、人はただ単に、ボウフラのようにふらふらと食べて寝て起きてなど、それだけ繰り返して生きていればいいというものではないのです。

「自分の天命とはいったいなんなのか?」

「なんのために生まれてきたのか?」

「どうすれば自分の生命が活かされるのか?」

などを真剣に考えることが当たり前であり

考えないのがどうかしているのであります。(と私は思うのですが)

人間は、天命に向かって生きていないと楽しくないように遺伝子に組み込まれているのです。

天命をまっとうしないと肉体界を簡単に去ることも出来なくなっているのです。

天命から逃れようとしても、天(本心)は許してくれないのです。

こんなことを書いていると

私(グッドムーン)のことを随分、難しそうな人だなぁ、厳しそうな、怖そうな人だなぁと思われるかもしれませんが

私はいたってノーマル(普通)なのです(笑)。

今の、世の中の “生き方” が至って アブノーマル(普通でない)だけなのです。

世の中を真剣に生きている人は

「そうだその通りだ」

とわかってくださると思います。

この世の中(この世もあの世もですが)は真剣に生きていかないと面白くないのです。

全然楽しくないのです。

天命をまっとうさせることが人間にとって最高の幸せです。

そして相手の天命を祈ることができるのは、最高の愛の行為なのです。

 

 

1.人はみな頼りにはならない。 頼りになるのは神と自分のみである。 人に裏切られたと嘆き悲しむ人があるけれど、人にすべてを託し頼む方が悪い。 頼まれた方も又、大いに迷惑なことである。 人事を尽して天命をまつ心境こそ、すべてがうまくゆくコツである。 安易に人に頼む前に、人事を出来る限り尽すことである。 すると自分自身が頼もしく思えて来、自分自身の力で乗り切れる自信がついてくるものである。
 

1.人の優劣は、その人がどれだけ精一杯努力してきたかによって決まる。 どんな分野でも、目標をめざして精一杯努力したならば、あとはすべて天に任せればよい。 必ず道は開けてくる。 なんの努力もせずして、すべてを天に任せたといっても、それは土台無理である。

 

1.あなたは何らかの使命を神から与えられ、この世に誕生してきた。 今現在置かれている環境そのものが、今のあなたの尊い使命なのであるということを忘れてはならない。 それはあなたにとって、ほんのとるに足らない些細な使命であるかもしれない。

だがその小さな使命遂行の積み重ねによって、大なる使命に至るのである。 どのような環境をも決しておろそかにしてはならない。

 

 

      「日々の指針」 西園寺 昌美   白光出版





  

2013年7月 3日 (水)

大自然に感謝

 
 
「あの人は自然体だ」 とかいうけれど

本当に自然と一体になっている人とは、そんな上辺だけが天然だというだけではなく、自分という我がまったくなく、我で主張することも、物を欲したりすることのない、居ることの気配すらも感じさせない、そんな人なのです。

だからそんな人はめったにいないことになります。

自然体になるということは宇宙法則に乗るということ

人間は宇宙の一部なのです。

小宇宙なのです。

地球そのものなのです。

地球という星は、3分の2は水で出来ています。

人間の3分の2も水で占められている。

地球上の河川の長さと人間の血管の長さはほぼ同じだそうです。

私たちは自分が地球そのものであることを忘れている

そして小宇宙であることを忘れてしまっている

大自然がどのようにしているのかを考えてみれば

私たち人間がどのように暮らしていけばいいのか自ずと答は出るはずなのです。







1.宇宙の波動と自己に宿る生命のエネルギーを共鳴させることにより、肉体の緊張や疲れをやわらげると同時に、物事に集中させる力が湧き上がってくるものである。 自然に帰れ。
自然とともに生きよ。 自然の中に神は宿っている。






1.自然がわれわれに働きかけてくる。 太陽が、水がわれわれに惜しみなく無限のエネルギーを注ぎこんでくる。 われわれは一体何を、自然に、太陽に、水に返えし、与えているのか? 自然と一つにとけあい、調和してゆくことが大事であるのに、今は全くその逆を行っている状態である。 自然を破壊し、傍若無人に自然を征服しようとしている。

それでも自然は黙っている。 なすがまま、されるがままにじっと堪えている。

果してそれですむものだろうか? 一旦自然が爆発すると、人間の持っているどんな英知を駆使しても手に負えなくなる。 天変地変ほど恐ろしいものはない。 天変地変を起こさせるものは他でもない。 われわれ人間の想念行為そのものである。

 



1.あなた方は、この宇宙がある秩序に従って運行されている、ということをすでに知っているであろう。 またあなた方自身も目に見えない糸によって導かれ、大宇宙の運行に従って生きているのを知っているであろう。 また一度、宇宙の法則からはずれれば、忽ちあなた方は亡びてしまうことも知っているであろう。

また大自然と共にあり、生きとし生けるものすべてと調和し、共存共栄していることも既に知っているであろう。

だがしかし、今日は次第にその法則が軌道からはずれる人が多くなった。

霊や神秘的パワーをはっきり自覚しないかぎり、やがてすべてが亡び去る時がくるであろう。





1.タンポポを見よ。 どんな辺ぴなところでも見事に花を咲かせている。 すべてを風に任せ、吹かれ飛ばされるままに辿り着いた地に根をおろす。 湿地帯であろうが、不毛の地であろうが、そんなことは一切関係ない。 天の啓を受けて、種の保存法則のもとに己の生涯を貫き通すのである。 神はたとえどんなところであろうとも、見事に天命をまっとう出来る力を授けている。 素直に天に従っていれば、必ず目に見えない力が我々に与えられているのに気づくであろう。

  

 
       
「日々の指針」 西園寺昌美 白光出版






 

 

 

自信と勇気

 

小さな喜びを増やしてゆく、積み重ねてゆくことが本当の幸せにつながってゆくように、小さな努力を積み重ねてゆくと、小さな花がポツポツと咲き始めるのです。

それはだいたい期待していないときにやって来る

忘れた頃にやって来ます。

それは努力に対するご褒美を神さまがくださっているのです。

このご褒美は、形のあるもの、お金なのかもしれません

感動というカタチのないものなのかもしれません

そしてこのご褒美が自信になるのです。

そしてその自信が勇気につながってゆくのだそうです。


  

 

 

本当の幸せとは?

 
 
なんでもないようなことに感動したり、感謝出来る人が本当に幸せな人なのだと思います。

道端に咲いている花を見つけて

「かわいい!」 「美しい!」

と思えること

青空を見て

「素晴らしい!」

と感動出来る人・・・・・。


以前、私が仕事に疲れて精神的に余裕を失っているときに

楽しそうに洗濯物を干している妻に聞いたことがありました。

「ねぇ おかあさんはどんなときに幸せを感じる?」

すると妻はこうこたえました。

「そうやねぇ 晴れた日に 洗濯物がカラッと乾いたときかな~」


私は衝撃を受けました。

しばらく妻を宇宙人を見るように、めずらしいものを見るように

ながめていたのを覚えています。

そのときの妻は、スッキリと乾いた洗濯物のように輝いていたのです。

そしてそれは尊敬に変わりました。

「この人は凄い!」 って(笑)

常日頃の小さな喜びを増やすこと、積み重ねていくことが


本当の幸せにつながってゆくのです。

先日のセミナーで、于先生がそのようなお話しをされたのだそうです。

http://www.harmony-wave.jp/



 

 

「あおいくま」 2

 
プロローグ


 

 僕には母と姉がいる。
 物心ついたときから、父親はいない。母子家庭である。
 当然、生活は楽ではなかった。おかずが三食、もやしだったことがある。そのうち、もやしも出なくなって、ごはんだけになり、やがてごはんもなくなり、米のかわりにあられが食卓に出たこともある。
 そんなとき、母は、
「今日のごはんは、あられたい!」
 と明るく言い、僕と姉も喜んで食べた。
 貧乏だなぁ……とか、惨めだなぁ……と思ったことはない。
 当時の近所の人たちも、僕ら家族がそれほど貧乏だとは思っていなかったという。
 なぜか?
 母が無類のきれい好きで、僕たちを毎日、必ず銭湯に行かせたからだ。お金がないときは、
「持ってくっとば忘れました」
 と言わせて入らせた。
 たとえ着ている服がボロボロでも、清潔にしていれば大丈夫──母の知恵だ。
 人の悪口は言わない。別れた夫(僕の父)への文句や愚痴も言わない。たとえ身内でも金の無心はしない。
 そして、あいさつや片付け、食事のマナーなど、しつけにもうるさかった。幼少の頃は、とにかくよく怒られていた。
 でも、僕がいじめにあっていると知ると、小さい体で相手の家や学校に、何度も乗り込んでいってくれた。
 僕と姉のためには、文字通り、体を張ってくれていたと思う。
 こう書くと、行い正しき理想の母のように思えてくるのだが、僕が今やっているものまね。そのルーツも、実は母にあるといってもいい。
 とにかく「笑い」のツボがズレているというか、独特なのだ。なんでそういう発想をするのだろう、と思うことばかり。
 おかげで僕の家にはいつも、笑いがあった。笑い声がしない日なんてなかった。
 反抗期もなかった僕が、人生で一度だけ、母の言うことに逆らったのは「芸能人になる」といって東京へ出て行ったとき。
 母が言ったように、芸能界は決して楽な世界ではなかった。楽しいこともあるけれど、つらいことやいやなこともたくさんあった。
 そんなとき、僕にはいつも思い出す言葉があった。
「あおいくま」
 母に教えられ、小さい頃からつねに僕の胸の中にある言葉だ。

 あせるな
 おこるな
 いばるな
 くさるな
 まけるな

 この五つの言葉の頭の文字をとって、「あおいくま」。
 母はいつも言っていた。
 「人生は、この五つの言葉たい」
 いったいどんな母親だったのか、それはこの本を読んで知ってもらいたい。とにかく、いろいろな意味で「すごい」人だ。

 おかげさまで僕も、二〇一〇年に芸能生活三十周年を迎えることができた。
 デビューこそ順調だったが、決して順風満帆な日々だったわけではない。特に人間関係ではいろんなことがあった。
 そんなとき、何度も思い出したのが「あおいくま」だった。そしてそのつど、「あおいくま」に助けられてきた。
 東日本大震災や長引く不況も重なり、新聞やテレビのニュースでは何かと暗い話題ばかりが先行している。
 仕事場の人間関係で悩んでいる人。
 親子や家族の関係で悩んでいる人。
 友だちとうまくいかなくて悩んでいる人。
 こんな時代だからこそ、ポジティブに、そして明るく前を向いて進めるように、ひとりでも多くの人に、この「あおいくま」を知ってもらえたらうれしい。





 二〇一二年一月

コロッケ


「おおいくま」 1

 

「あおいくま」 なんのこっちゃ?

先日行なわれた調和波動気功法のセミナーで于先生が講演の中でおっしゃっておられたそうです。(私は高校の同窓会で欠席していました)

この言葉は、モノマネ芸人のコロッケさんがお母さんに教えてもらい、人間関係で行き詰ったときに想い出し、乗り越えて来たのだそうです。

 

あ は 焦るな!

お は おごるな!

い は いばるな!

く は くさるな!

ま は まけるな!



単品で読むとそうでもないのですが、5つ重なるとかなりインパクトがある。

人間はなんとかしようとしてどうしても焦ってしまう

しかし焦っているときは平常心ではないので思わぬ落とし穴があり、焦ると焦げつき、取り返しのつかないことになってしまう

おごるな!

調子のいいときには、人間は天狗になる、周りの人が注意してくれないといつの間にか自分の周りには人がいなくなっていることに気づく

いばるな!も おごるな!に似ているようだけど2つ続けていることに戒めの強さを感じる

くさるな! 善くなるためには必ず試練がある、その試練にめげていては平坦な道はやって来ない

まけるな! あらゆる感情に勝って乗り越えた人にだけ、心の平安、つまり幸せは訪れる、最後は根性、精神力なのかもしれない・・・・・・・

一日に何度も

「あおいくま」 「あおいくま」 「あおいくま」 って繰り返し自分に言い聞かせると、きっと人間関係は良くなっていくのだと思う。

そんな単純な! と思われるかもしれないが

この言葉(魔法の言葉)には、愛が詰まっていると思うのです。

愛の言葉は伝わるのです。

そして、言葉は人間の原点なのです。

「言葉はすなわち神なりき」 (イエス・キリスト)

コロッケさんのお母さんがつくった言葉なのか?

他の誰かがつくったのか?

それは知りませんが

コロッケさんのお母さんの息子に対する愛が

言葉にエネルギーを与えたのだと思うのです。

そしてこの言葉は誰にでも使えます。

コロッケさんがみんなに開放してくださったのです。

私も早速使ってみようと思っています。 happy01


 




  

 

2013年7月 1日 (月)

人は磨けば輝くダイヤモンドである

 

ほとんどの人は自分を何者であるかをしらない

そして相手の人が何者であるかもしらない

この真理を知らないからこそ不幸は起っているのである。

たとえば、先生が生徒に対し

「この子は神の子であり、ただ今は神性が顕われていないだけなんだ、だから本人が自分の神性(素晴らしさ)に気づくように引き出してあげよう」

と思うのと

「この子はどうしようもないバカだ、どんなに言ってもわからないしわかろうともしない、こんな子は放っておいて、やる気のある子供だけを育てよう」

と投げやりになるのとでは天と地ほどの差があるのです。

それは、人間というものの本質、正体がわかっていないことからはじまるのです。

人間は、もうそろそろ自分の本当の姿を知る時期にきていると思うのです。

 
 
 

1.本来、瓦礫(がれき)はいくら磨いても瓦礫であって、決して宝石にはならない。宝石のみ磨けば宝石になる。 人間神の子であって、心身を磨いていけば必ず神になれる。

 光り輝く本心を現わすことが出来る。 動物にはそれが無理なのである。


 
 


1.どんなに叱られても、どんなに咎(とが)められても、向っ腹を立てずに素直に自分の非を認めよ。 そして笑顔で応えよ。 叱っている相手も決していい気持ちはしていない。

だからたったその一つの笑みによって、両方が救われるのである。 そして二人の関係は今まで以上の強い信頼の絆によって固く結ばれてゆくのである。
 

 

1.気の小さな人間は少し批判されただけでも、すぐ立腹する。生真面目な人間は、少しの過ちでも人をとがめ、許そうと思ってもなかなか人を許すことが出来ない。 ましてやそれが自分の過ちとでもなれば、自分を一生責め裁き、救われることはない。 いずれも小さな善人の典型的なる姿である。 だが大きな人物は、自分を批判した者も、自分に背いた者もすべて許し、よしとし、すべてを受け入れてゆく度量がある。 そういう人間になりたいものだ。




 

1.たえず目の前の危険や困難を恐れて、小手先の調整ばかり行っている人は、決して大物にはなれない。 たった一回の勇気が出せなかったばかりに、一生取り返しのつかないつまらない人生を送っている人達を、私はいやという程みてきている。

そればかりか、そういう人達は必ずといっていい程、不平不満の多い人生を送っている。   一生に一度は思い切り飛びこんで、全力を尽して事にあたることが必要である。
 

 

1.空虚さは、目的の何もない人生から生まれてくる。 人は誰しも人の為に役立ちたい、人の為に尽したいと望んでいる。 だが実際はそれどころではなく、自分の生活だけで手いっぱいといった状態がほとんどである。 その為に一所懸命努力して家族が幸せなったとしても、心の方すみに何か満足出来ない充たされないものが残る。

それが虚しさである。 どんなに忙しくても、どんなに苦しい状態でも、人の為に尽す方法はいくらでもある。 その最大なるものは世界各国の平和を祈る祈りである。



 

1.突然、不安や息苦しさや虚しさがあなたを襲って来たとしても、何もあなたはそれに対して気にとめることはない。 恐れることもない。 まして抵抗するなんてナンセンスである。

ただ素直に過去の消えてゆく姿として、サラッと受け流してしまいなさい。 一瞬心の中を通過してゆく、過去の出来事のカスにすぎないのである。 それに対してまともに真剣に取り組もうとするから、事は大きく複雑化してしまうのである。 消えてゆく姿と世界平和の祈りが本当にわかった人は、心から幸せな人である。

 

 
       「日々の指針」 西園寺昌美 白光出版




 

 

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