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2013年6月 5日 (水)

私のブログによく出てくる五井先生とは?


 
タイトルにあるように、私のブログは、五井先生と昌美先生の回し者か?(言葉が悪いですね)、宣伝マン(この方がいい)なのか?と思われるほど、頻繁に登場しています。

グッドムーンのブログは興味深くて、面白い?んだけど、どうも宗教臭い? 説教じみている、個人を崇拝し過ぎている、そこのところがひっかかって時々読むのが嫌になる?

そうではないでしょうか?(笑)

そこで五井先生の説明をさせていただきます。

あくまでも私の私見ですので、そのつもりで読んでください。

私は、地球上で悟った人というのは、イエス・キリスト、お釈迦様、老子様、それから五井先生だと思っているのです。

他にもおられるかもしれませんが、宇宙には霊位といって神様の位があるのです。

この4人の方は並外れた覚者です。

その4大覚者のうちの一人が日本におられた、それも1980年まで肉体界に生きておられた五井先生です。

14年前(1999年)まで、私も五井先生の存在を知りませんでした。

しかし、ある人の縁で五井先生のご著書を読んでびっくり、私の本心にビンビンとその文章(言霊)が響いてくるのです。

こんな経験は初めてでした。

「五井先生って一体何者なんだろう?」

その疑問は徐々に溶けていったのです。

五井先生は、33歳で神我一体になられたのですが、神我一体というのは、我(欲望)というものが一切無くなって、お釈迦様のいう 完全 空 になってそのまま五井昌久という器に神様(宇宙神)が降りて来たのです。

ですから五井先生の体は個人のものではなく、神さまが人間に真理を語る媒体となったのです。

問題は本物か偽物かですよね。

世の中には、神我一体ではなく、幽界のおばけちゃんと一体になっている宗教者がたくさんいます。

だから宗教というものが乱れているし、信用していない人も多い。

私も宗教は嫌いでした。

どの宗教も信じていなかった。

それはその宗教をしている人が胡散臭かったからです。

その人=宗教 ですよね。

私は宗教(真理)があるとしたら自分の心の中にそれはあると思っていたのです。

答は外にあるのではなく、内にある。

ただ、五井先生のご著書には、私の内にある答が書いてあったのです。

直観で

「五井先生は本物である」

と思いました。

そして、それ以後、?????? は一切ありませんでした。

「言っていること、書いてあることがわからない理解できない」

とか・・・・。

今までに、疑いを一切持たなかったわけではありません。

しかし、すべてが腑に落ちるのです。

私の本心とつながるのです。

そして、言葉、文章よりも五井先生の行ない、言動行為に一切の不純なものがないのです。

行ないがご立派なのです。(生意気ですいません)

光そのもの、愛そのものなのです。

私は、五井先生のユーモアが大好きなのです。

五井先生のお人柄、ご人格を下記の文章からくみ取っていただけたら幸いです。

 


五井先生は、東京は下町の浅草にお生まれになったチャキチャキの江戸っ子でした。話し方は歯切れよく、しかも早口でしたので、話のテンポも軽快で、話の内容の素晴らしさもありますが、長時間うかがっていても決して飽きるとか退屈するということはありませんでした。

特に下町特有の地口(じぐち)が随所に出てくるので、江戸っ子にはたまらない魅力です。渥美清が演じたフーテンの寅さんこと、車寅次郎の口上などはまさにその典型と言えるでしょう。

私も江戸っ子で、若き日の五井先生の住んでおられた浅草区の隣の下谷(したや)区の生まれでしたから懐かしさも一入(ひとしお)です。(現在は浅草と下谷が一つになって台東区になりました)

 その上、時折でる冗談が見事に決まって皆を笑わせ、心を和(なご)ませるその...
話術は絶妙としか言いようがありません。人間技(わざ)ではなく、まさに神技です。

 このたび白光真宏会の本部に定められた富士聖地(静岡県富士宮市人穴)は、五井先生在世中に取得された土地です。この世的にいえば会の土地ですが、波動を変えて神霊波動で見ると、聖地一帯は仙人の修業の場だと聞きました。

 私はさっそく先生にお訊ねいたしました。「何人ぐらい修行しているんですか?」
 五井先生のお答えは、「千人(仙人)くらいかな」
 私もかなり冗談を口にするタイプですが、五井先生には全く歯がたちません。

 五井先生が冗談をおっしゃる時は、冗談専門の神様がいらして、その神様が五井先生を通して冗談をおっしゃるのだそうです。「その神様は多くの神々の一番上段(じょうだん)(冗談)にいるんだよ」

 このことについて五井先生講話集4『明るい心』で次のようにお話しなさっておられます。
 「先生の話には冗談がありますが、あれは神様でしょうか、と聞いた人がいますが、冗談の神様というのもあるんですよ(笑) 神様といっても多うございますよ(笑)

大神様というのは、在りてあるまま、そのままなのです。光なのです。大生命なのです。大智慧、絶対者なんです。それが働きに現われる時には、守護神としてあらわれるんですよ。だから守護神はたくさんいるのです・・・・」

 五井先生という器は空ですから、神様が自由自在にお使いになれます。
 「わたしはスピーカーみたいなもんよ。神様が入れ替わり立ち代わりわたしの身体の中に入ってきて働かれる。今度はわたしの番だよって、次の神様が入って来られて話しをされる。

例えばキリスト教についての質問があると、キリスト教関係の神様がわたしの身体を使って答えてくださる。仏教についての質問だと仏教関係の神様がちゃんと答えてくださる。わたしは気楽なもんよ」とおっしゃいました。



           

               
五井昌久






 

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