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2013年6月 8日 (土)

わかると面白い 3

 

短気が出たら出たでいい、臆病が出たら出たでしかたがない。 感情が激する時はしかたがない。 その時はどうしようもないんだから、そういう時に、ああこれは消えてゆく姿だな、ああすべてこの世に現われているものは、みんな変化変滅していく。

常時そのまま変わらないものは一つもない。

みんな変わっていく。

自分はだめだ、だめだと思っているうちは、だめだ、いけないという業がまた入ってくるわけですから、いたずらにだめだだめだと思うより、いけなかったな、しまったな、と思ったら

『あッこれは消えてゆく姿だ、どうか神さま消してください、一日も早く消して下さい、どうかあの人の天命がまっとうされますように、私に天命がまっとうされますように、世界人類が平和でありますように』 順序はどうでもよいから、そういう祈り言にして、神さまのみ心の中へ、想いをどんどん送り込んでしまうのです。

神さまは完全円満なんだし、善なんだし、大光明なんですから、神さまに消せないものはないわけです。

善いものは善いものでそのまま生きるし、悪いものはそのまま消えてゆく。

だから善悪ともども神さまの中に送りこんで、消してもらう。

そういうふうに自然に教わったわけです。

それで消えてゆく姿で世界平和の祈りという教えが出来たわけです。

そこに見ざる聞かざる言わざるもない、こらえるもなければ、我慢するもない。

ああ消えてゆく姿なんだなあ、ありがとうございます、世界人類が平和でありますように、私がますます立派になりますように、愛深き私にならしめたまえ、とか、いろんな言葉で自分の願望をつけ加えてもいいから、みんな神さまの中に入れてしまうわけです。

すると、神さまのほうで、その人に一番適当な生き方をさせるのです。

肉体を持っている人間というものは、罪悪深重(ざいあくじんじゅう)の凡夫でして、親鸞がつくづく、心は蛇蝎(だかつ)の如くなり、罪悪深重の凡夫だ、と嘆いたのがよくわかる。

もう相当悟りすましたような立場にいても、何やかやといろんなことがひっかかってくる。

まして一般の人はひっかかり通りなんです。

何かしら心がとらわれている。

だから肉体を持っている人間というものは罪悪深重の凡夫だ、ダメなものだ、ということがわからないとだめなのです。

いつもいっていることですが、心臓を動かすことも、肺臓を動かすことも、肉体の頭では出来得ない。

心臓の止まった死骸に向かって、心臓よ動けといったって動かない。

肉体から魂がぬけたら、どうしようもない。

自分のことも人のことも何事もなし得ない。

だから、肉体を持った人間というものは無力なものだなあ、ということがハッキリわからないと、悟りにはいかないのです。

自分でなんとか出来るんだ、という想いがあるところからは、本当の悟りも生まれてこないし、安心立命も生れてきません。

肉体は不完全だからです。

不完全なものがいくら力んだって、完全にはなりっこないのです。

だから不完全な肉体というものを、一度、肉体人間じゃどうしようもないんだな、とあきらめる。

さてそれでは、なし得るのはどなたかというと、守護霊さんであり、守護神さんであり、大神さまであるわけです。


   

                  

                つづく
 

      「質問ありませんか?」 五井昌久 白光出版




 

 

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