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2013年6月 3日 (月)

ちょっと難しいけど、読んでみてください。

 

私たちの心の中(心境というのでしょうか?)は不思議なもので、いろんな想いが交錯しているのです。

素晴らしい人や話に感動して、心が洗われて聖者になったような気分になるときもあれば、悪魔のささやきがあって、「なんて自分はくだらないことを想ってしまったんだろう?」自分は悪魔なのか?と自分の境地を嘆くのです。

しかし、悪い想いが出るということは、悪いものが出てしまったのだから、後はきれいな心になるんだとも思えるのです。

言いたいことを言って(相手を責めたり、誹謗中傷などではなく)心の中の膿を出してしまって、「あースッキリした」 ということがあります。

まったく心の中とはどうなっているのか?

そして次から次へと想いが湧いてくる元となっている潜在意識とは一体なにものなのか?

心をコントロールしようとしても得体の知れないモンスターと戦うようで、どうにもつかみどころがない。

これはもしかして、心には幾つかの扉があってそこを探って奥深く入って行かないとわからないように思うのです。

いつも私が申しておりますように、私たちは肉体がすべて肉体界がすべてだと思っている。

しかし真実は肉体の他に幽体、霊体、神体という体も同時に纏っているのであり、それぞれに目にみえない世界、幽界、霊界、神界があるのです。

本当の自分は肉体にあるのではない、神界にいる神体が本当の体なんだ。

今、自分の脳裡を巡っている想いというものも、光輝く本心を覆っている雲みたいなものなんだ。

そういう予備知識を持ってこれからご紹介する五井先生の文章を読んでいただけたら、少しは腑に落ちるのではないか?と思うのです。

という私も完全にわかっているわけではありません。

しかし、心がわからないと自分自身のこともわからない、他人のことも理解出来ないと思うのです。

真理の勉強は奥が深いのであります。

 


「肉体の症状に現われたり、想いに出たりした時は、もうそれは病気が治っている時であり、業想念が消えてしまった時なのです。それを間違えて、雑念が出て来たり、業想念が出ていると、自分はだめだな、と思うけれどそうじゃない。もう消えてしまって、本心はその時光輝いているのですよ」

「ということは先生、現われて来たことに心が動くか動かないかに差がある、ということでしょうか?」「そういう問題とは違うね。人間には肉体の他に、大別すると神体、霊体、幽体という体がある
...

神体、霊体は光り輝いているけれど、幽体にたまっている汚れが、肉体界に完全なる現れの出るのを邪魔しているわけ。この幽体に汚れがあっても、肉体界に今現れていない場合がある。そういう時は、肉体界のほうはなんでもなく感ずる。スッキリしているような気がしているわけですネ。

一方、肉体は苦しみ悩んでいるけれど、幽体の中に汚れが何もない場合もある。幽体にはなくなったけれど、肉体の頭の中には、想いとして残っているのです。そうすると自分はだめだなと思う。ところが、幽体にはもうその根はないのだから、後続部隊がないのだから、消えてしまっている、

もうすでに過去のことですんでしまったこと、悪くなりようがない、というわけですよ。それを私はアッサリと現われて来たものはすべて消えてゆく姿、これからよくなるのだ、と説いているんです」

五井先生ご指導の一駒--青年が来てまじめに問うた。「先生、人生とはなんでしょうか?生きるということはどういうことでしょうか?」「今、あなたにいうことは、頭でそう深刻がって考えるよりも、まず自分の肌で人生とは何かを感じ、

生きるということはどういう価値があるか感じとることです。体ごとぶつかることをすすめたい。くわしい話は講演会でしましょう」と答えられた。そのあとで「私が青年の頃は、頭でいろいろと考えるより肌でじかに人生を感じたものですよ。少年の頃から人の家で奉公してたり

独立して商売をしながら勉強していましたからね。悠長に考えるひまがなかった。それに、知識欲を満足させるということだけでは、私は満足できなかったのでね……」とはたの者にもらされていた。







感想

どうですか? ちんぷんかんぷんでしたか?(笑)

これを説明するには、悪いものを食べて、下痢や嘔吐があって、一番しんどいときとは、もう身体の中がスッキリしているんだという状態に似ていると思うのです。

ただ下痢や嘔吐で体力が落ちている、まだ最後の痛みが残っている、だから最悪の状態だと思う。

しかし、その後には、痛みも嘘のように無くなり、表面に現われていたジンマシンのようなものも跡形もなく消えて、かえって身体が以前よりも浄化されたような、強くなったような気持ちになる。

・・・・・・・・・・・・・・・・・

だから捉われないことが大切だと思うのです。

想いとは相手の心と書く、自分の想っていることのほとんどは、本心ではなく周りの人、縁のある人からの思いが写って来て、それが自分の思い、考えだと思っているのです。

人の想いを背負っている、だから想いは重いのです(笑)。

それから潜在意識に溜まった想いが出てくることもある。

しかしそれも過去世や以前想っていたことが、蓄積されていた想いが出ているだけなのです。

今の自分とは関係がない。

ですからどんな想いが(善い想いも悪い想いも)出て来ても、それに捉われないことが大切なのです。

サラッと流す、想いをつかまえない、大きく広げない、プラスの方向へ想いを向ける、それを自分の理性でやろうとするのだけれど、なかなかできないのです。

それはいろんな想いが湯水のように湧いてくるから・・・・・。

そこで想いをどこかに昇華(消化)させないと消えないんですね。

自分の想いよりもずっと大きくて、一瞬にして消してくれる偉大なもの(宇宙)へ投げ入れることによって、心が洗われるのです。

それが祈りなんですね。

祈りというのは、いのちがのりだすという意味です。

いのちが生き生きとしてくるのです。

仏教でいうと、南無阿弥陀仏がそうだし南無妙法蓮華経もそうなのです。

これらの言霊が想いを浄化していたのです。

もちろんこれらの言霊でもいいのですが

今、一番エネルギーの強い祈り言葉が

世界人類が平和でありますように

なのです。

この言葉を唱えると

天で浄化されて

肉体に還ってくるのです。

綺麗な心になれるのです。

スッキリするのです。

幸せな境地になれるのです。

 

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