霊力と霊能力の違いについて教えてください。 2
答
霊力と霊能力とを間違える人がいますが、人の心がわかったり、当てものをしたり、運命の予言をしたりするのを、霊力と解釈していますけれど、それは霊能力なのです。
一つの能力なのです。
霊能力がすぐれている人が人格が高いかというと、そうでないのです。
ところが霊力のすぐれた人は人格が高いのです。
霊力というのはいいかえれば、霊の光、根源の光です。
神のみ心の光が強い人がやっぱり人格が高いのです。
たとえあてものをしたりすることがうまくたって、それが偉いということにはならない。
そんじょそこらの行者はみんな当てものがうまいですよ。
財布の中にいくら持っているか、なんてチャンとわかるんです。
なぜわかるかというと、肉体波動のそばにいる幽界の生物が、幽界と肉体界と波動が近いから、透して見えるのです。
ところがズーッと高い所にいる神さまは、わざわざそんな低い所を見ない。
その人がいかに生きるべきか、どうしたらその人を立派に出来るかということを見るわけです。
わざわざ降りれば見えますよ。 けれどそんなことは必要ないから、高いところからその人に光を当ててやる。
そしてその人に力をつけてやる。
ところが低級の霊能者というのは、力をつけてあげるのではなく、その人に出来ないことをチョコチョコと教えて、相手を屈服させて、自分の支配下におく、子分にしているのです。
霊力が強くて、霊能力の素晴らしい人もあります。
霊力が強くても当てものなどわからない人もあります。
ですからこういうことがいえるのです。
信者が一杯いる教祖があながち偉いとはいえない。
普通の人でいい影響を社会的に或いは周囲に与えている人がいます。
その人は霊力があるわけです。
霊力というのは要するに人格の立派なということで、そういう人が偉いのです。
いくら当てものがうまく、これをこうやれば儲かるといって当たって儲かったとしても、それを教えた人は神さまでもなんでもない、偉いのでもない、勿論そういう当てものようなことが出来て偉い人があります。
祈りつづけていて、霊能力が出て、人の心が分かったり、予感、予知力が出来たりする人があるとします。
そうした神秘力が得られたといって、いばってしまってはだめなのです。
そういうことではない。
人間の立派さというのは何かというと、人格が立派になることなのです。
いつもいいますが、おのずから和んでくる。
おのずから人の心が優しくなってくる。
その人と一緒にいると、おのずから勇気が湧いてくる。
何か親しい懐かしい気持ちが出てくる。
そういう力を持つことが霊力が強いということなのです。
人に与える好影響が強ければ強い程霊力が強いんです。
「お前の息子さん、三年先に大病するよ、気をつけろ」 といわれて、二年たった、あと一年だ、どうしようどうしようと私にききにくる人が随分います。
これはいい影響を与えていません。
三年間脅しつづけたんだから、悪い影響しか与えません。
わかっていたって、いわないで知らん顔していて、しらないうちに霊力で光を与えていて、大病でなくなるようにやっておいて、やがて現われた時に救ってあげる、という人のほうがいちいち予言して、おどかして自分の力を示そうなんていう人より、ずっと立派ですね。
「神と人間」(五井昌久著 白光出版)には簡単に書いてありますけれど、よくわかるように書いてあります。
皆さんは霊能力のある人よりも、霊力の立派な人格のすぐれた人になることです。
人格がすぐれていると同時に、霊能力があればそれに越したことはないのです。
それを間違えてはいけない。
だから霊能力だけを磨こうとして、統一などしてはいけない。
人格を立派にするために祈るわけです。
人格が立派というのはどういうことかというと、愛が深いこと、調和した人間であること、勇気があること、簡単にいったらそういうことです。
そうなるように全力をもって近づかなければいけませんね。
「質問ありませんか?」 五井昌久 白光出版
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