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2013年5月 2日 (木)

親の心がまえ

  
私の父は今、80歳、母は78歳で、お陰さまでまだまだ元気なのですが、最近父母の間で小ケンカが絶えなくなり、その仲裁に入ったりしています。

ほとんどがつまらないこと、取るに足らないこと、昔のことが原因で、母が昔父に受けた辛かったことなどを言い出したため(愚痴ですね)に、父が肩身の狭い想いをしているのです。

人間とは時間を持て余すと、未来に意識を向けるのではなく、過去に向かうのでしょうか?

いくつになっても目標を持つことは大事だなぁと反面教師にしています。

ですから、「まあまあお母さんそう言わずにお父さんの良いところを見て行こうよ」とか「お父さんもお母さんの愚痴を真に受けないで」 とかどちらが親か子かわからない状態です。

そしてどちらが親でも子でもどちらでもいいやという気持ちになって来ております。

親はこどもに還り(だから還暦というのですね)、子はそれなりに大人になってゆく。

つくづく親も子もないんだなぁ

人間なんてたいしたことはないんだなぁ

たいしたこともないのにお互いに期待し過ぎているんだなぁ

と思うのです。

だからと言って人間とはつまらないもの、ダメなものだと言い切ってしまっては

そこで成長は止まってしまうのです。

人間神の子ではなくなってしまうのです。

私は親子関係から、人間とはなんぞやという気づきを得ることが多いので、いつものようにここにみなさんに私が敬愛する五井先生の文章をご紹介したいと思うのであります。


 
 

親の心がまえ

  

神は人間の根本であり、人間そのものである霊の親であって、永劫に離れ得ぬものであり、人間の親子は、生命の親ではなく、生命の器である肉体における親子であって、肉体的における生命の活動が子自身においてなし得るようになれば、親とは全く別個の肉体人間となり得るのであります。

この相違をよく考えないと、親はつねに不幸になるのであります。

子は自分のものであると親が思っている以上は、子に対して執着が出るのは当然であり、子に対して自分の要望をかぶせ、自己の意思を強いようとする態度に出がちなのであります。

この執着を逃れる道は、親も子も生命においては兄弟姉妹であって、真実の親は神の他にはないのである、という真理を知ることなのであります。

 


子への執愛をこえる道

 
 

自分も子供も直霊から生まれてきた分霊(わけみたま)であり、一つの分霊の自分が、祖先の霊の分霊であるいいかえれば、ある祖先の魂の子である生命体を、自分の家に一時あずかって育てているのであって、それをうまく育てさせているのは、眼には見えぬが、その子の魂の親、ある祖先、つまり守護霊様がなさっているのであるので、自分がとやかくいわなくとも、その守護霊さんにお願いしてさえいれば、子の守護霊さんが、子のためにも自分のためにも、万事都合のよいように導いて下さるのだ、と信じることなのです。

そして自分の天命と子供の天命のまっとうされることを、守護霊守護神に感謝の想いで祈りつづけてゆけばよいのです。



       「日々の祈り」 五井昌久 白光出版




  

 

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