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2013年5月25日 (土)

自他を生かすもの

  
 

愛とは、自分の生命をいかすと同時に、他の生命をも生かすものでなければなりません。

愛することによって、自分の生命がいきいきとし、愛されることによって、その人の生命がいきいきとしてくるものでなければなりません。

自他の生命がいきいきとし合うようでなければ、それは真の愛とはいい得ないのであります。

ところが現実は、愛するという名目の下に、相手を縛り、自己の生命の自由をも縛りつけている恋愛や、親子愛が、いかに多いことでありましょう。

自己が楽しむために人を愛そうとしても、それは愛ではありません。

それは自己主義の業想念であります。

自分というものがその人の想いのなかにあることは、もうすでにその人を愛から引離しているのであります。

 

          「日々の祈り」 五井昌久 白光出版



 
 

感想
 

わたしたち人間は、愛というものの本質がわからないうちに恋愛をし、子を愛するとは、どういうことなのかがわからないうちに親になってしまう。

だから恋愛で傷つき、親子関係でいさかいが起こり、人間関係でもぎくしゃくする。

いったい人を愛するとはどういうことなんだろうか?

わたしは、人間が生まれてきた目的とは愛を学ぶことだと思っているのです。

愛とは合いと同意語であり、一体となること、自分の心と相手の心が一つにつながることをいうのです。

自他一体感を得たときに、感動が生まれ、愛が生まれる。

幸せとは、この感動している状態をいうのです。

だがしかし、恋愛をしていてもこの感動という感覚は、一瞬で過ぎ去り、親子関係でも子が親の思い通りに行っているときだけ、親は一体観を観じ、お互いに自我と自我のぶつかり合いの状態になると、かわいさあまって憎さ百倍、とても愛とは言えない心境になるのです。

そして愛とはいったいなんなのか?

愛するとはどういうことなのか?

を思い悩むのです。

愛とは、一体観を得ることではあるのだけれど、相手の心を束縛し、縛りつけるものではない。

相手の心の中に自分という存在が見え隠れするのは、もうそれは愛でない。

五井先生は、そうおっしゃっているのですが、わたしたちが考える愛とは、束縛愛、自分を愛して欲しい、自分だけを見て欲しいという全く逆の偏った愛なのであります。

愛が欲しいといいながら、その反対のことをやっている。

だからいつも苦しんでいる。

愛することに疲れたみたい、嫌いになったわけじゃない♪

松山千春さんの 「恋」 という歌のフレーズなんですが、愛することが苦しみであったり、疲れてしまってはいけないのです。

違うのです。

人間が進化向上するとは、生まれてきたときよりも愛のレベルが上がっていることをいうのです。

最初は、自己愛、我儘なひとりよがりの愛だった、愛とはとても呼べるものではなかった、それが思い遣りの愛に変わり、寛容の愛になり、慈愛に変わっていった。

愛が進化するにつれて自分が益々輝いていった。

自由自在心になっていった

幸せを感じるようになっていった

そして周りも輝き始めた

自分も他人も輝いている

夜空に輝く星のような姿・・・・・。

それが真の愛だと思うのです。


  

 

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