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2013年4月29日 (月)

本心そのままで生きている人

 
 
突然ではありますが、人間とは何を目指して生きているのかと申しますと、というより私自身が今、何をしようとしているのかを申しますと、本来の姿である自分を現わそうとしているのです。

どういうことかといいますと、今の自分は、未だ本当の自分を顕わしてはいないのです。

今の自分とは、肉体界にいる肉体想念を持った自分です。

いつも申しておりますように、本当の自分とは肉体界にはいないのです。

本当の自分は神界にいる。

神界とは、天界であり、仏界(仏教でいうと)であり、また宇宙でもあります。

目に見える世界が肉体界であるわけなのですが、宇宙には目にみえない幽界もあり霊界も神界もあるのです。(本当はもっと多くの無数の世界がある)

自分はどこからやって来たかといいますと、目に見えない世界、神界からやって来たのです。

しかし長い間、肉体をまとっている(着ている)と肉体世界にどっぷりと浸かってしまって、自分は肉体界にしか生きていないと思い込んでしまう。

だから肉体だけの知恵、想念、そして力しか出てこない

肉体だけの知恵、力なんてたかがしれているから、大したことも出来ないし、すぐに行き詰まってしまう。

そして、「自分にはもっと凄い素晴らしい力があるはずだ!」 と叫ばずにはいられないのです。

だがしかし、自分が肉体界だけではなく、幽界、霊界、神界にも同時に住んでいて、幽体、霊体、神体も同時にまとっていることを知らないので、宝の持ち腐れをしてしまっているのです。

私たちの本心は、神界から

「本当のお前はここにいるんだよ、ここの意識を合わせてごらん、素晴らしい叡智(神智、インスピレーション)がやって来るよ」

とささやいてくれているのです。

本心とつながると素晴らしいことになるのです。

どうなるのかって?

それはこの後の文章を読んでください(笑)

 

本心そのままで生きている人
 
  
 

悟りとは、自己の本心を光輝かせること。生命をさわりなく生かしきれる状態をいうのです。

悟りといっても、種々と段階のあることで瞬間的に、自己の本心を現わしたり、生命を生かし切ったりすることも悟りでありますが、常に変わりなく、本心そのままで生きぬいている人があるとすれば、その人は釈尊(お釈迦様)と同じような正覚を得た人というべきでしょう。

本心そのままで生きている人の状態は、どのようかと申しますと、

慈悲深く、喜怒哀楽に迷わされず、すべての恐怖なく、他人と本心の想念をも、はっきり区別してわかり、おのずと人々の想念を浄めている、といってような人になるわけです。

神は光であるので、本心そのままで生きている人は光り輝いている人であります。



 

悟りとは

悟りとは、本心と自分とが全く一つになるということなのであります。

迷ったり、怒ったり、恨んだり、妬んだり、哀しんだり、恐れたり、執着したりする想念というものを、ハッキリ、自分ではない、と思い定めることなのです。

自分とは、神と一つである本心そのものであり、もろもろの想念は、過去における自分の迷いの足跡が、今現われて消えてゆく姿である、と思い定めることなのであります。

自分が自分の創造主であることを知ること。

つまり自分が神の使命達成の一員として、神の世界から天降って、この地上界に神の生命をはな咲かせつつある者であることを知ることなのです。

 
       「日々の祈り」 五井昌久  白光出版



  

 

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