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2013年4月12日 (金)

学校教育はこれでいいのだろうか? 2

 

 

生命の教育

 

人がこの世に生まれてきて、十五歳になり二十歳になり三十歳になり四十歳になる。

食べて着て遊んで、そして学問をして就職する。

やがて結婚をして、親となり祖父となり祖母となり死んでゆく。

人によってその生活環境はそれぞれ異なっていても、生まれてきて死んでゆくということにおいては何人たりとも変わりはない人生なのであります。

この地球世界にいったい人類は何をしにきたのでしょう。

何の目的もなく意思もなく、肉体人間という生命体が、突然に生まれ、そして、増加してきたのでしょうか。

自分自分がそれぞれ勝手な生活をして、百歳にも満たずに死んでゆく。

それで一人一人の人生は全部終了してしまう。

それだけの生活にいったい何の意義があるのでしょうか。

善いことをした、悪いことをした。

そうした一人一人の人間の行為も、死んでしまえばそれまでであって、その人自身が悔むことも喜ぶことも、死を境にしてすべて無くなってしまう、ということで、人間は真実の満足が得られるものでしょうか。

現代の世相をみていますと、幼稚園から大学まで、入試入試で親子共々追いまくられ、ただただ学校へ入れるだけで、幼年期から青年期までの一番大事な期間を、その時々の試験問題を頭で覚えこもうという、永遠の生命からみてなんの関係もない、その時ばったりの記憶力の練習で過ごしてしまっている状態です。

そして大学へ入ると、ひと先ずほっとして、何か解放感を覚えて、今まで遊べなかった分を一斉に取りかえそうとする。

破目をはずして遊びたい気分になる。

しかし期末期末のテストがあるから、その時だけはまたまた、頭にだけ積め込む勉強をはじめる。

人間にとって最も大事な問題である、人間は如何に生きねばならぬものか、ということも、人類とはいったいなんのためにこの地球世界に生まれ出たものなのか、という大切なことも、学校では一切教えてくれないのであります。

学校で教えることは、生活の技術的なことであり、生徒のほう一日も早くこのつまらない学問の縛りから脱け出たい、という気持ちで一杯なのです。

これはもちろん一般論で例外はいくらでもあることですが、一般的にみると、こういう工合いになっております。

人間はいったいなんのために学問をするのか、学問知識をつけて、よい就職をし、この世でのより高い地位を獲得する為にするのでしょうか。

それも確かに必要ではあるでしょう、しかしそれだけでよいのしょうか。

そこがはっきりしていないことが、人類が真実の平和生活をつくりあげられない、大きな原因なのであります。

人間にとっても人類全体にとっても、一番大事な問題を何も教えないで、枝葉のことばかり教えこむことより、根本問題を先ず教えて、その根本問題を中心にして、枝葉末節的な学問技芸を教えこむようにしない限りは、立派な人間はそう育まれてゆくわけはないし、従って人類が真の目的にそった生き方をしてゆけるわけでもないのです。

     


             「人類の未来」 五井昌久  白光出版





  

 

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