« 死んだらどうなるのだろう? 最終章 | トップページ | 勉強は自分のためではなく、世の中のためにするものである 2 »

2013年3月21日 (木)

勉強は自分のためではなく、世の中のためにするものである 1


  
年をとって、老人とよばれるような年齢になったときに

自分は何のために生まれてきたのだろう?

自分は世の中に対し、人に対し何をしてきただろう?

残りの余生をどう過ごしたらいいのだろう?

自分は肉体を離れたときに、どうなってしまうのだろう?

などというような疑問を持ったまま死んでしまうのは

なんとも情けないことだと思うのです。

確かに家族は守った、仕事もそれなりにして会社にも貢献した

友だちも何人かはいる

経済的にもなんとか老後もやっていける

人間としては平均点はいっていると思う

しかし、厳しい言い方かもしれませんが

この人たちが素晴らしい最後(死)を迎えるとは

どうしても思えないのです。

それなりに真剣に生きてきたかもしれない

誰に迷惑をかけることもなく

精神的にも経済的にも自立していたかもしれない

しかし、それだけでは神さまは合格点はくださらないのです。

死後に、霊界、神界(天国)には、導いてはくださるけれど

霊界、神界の光は眩し過ぎて耐えられないのです。

それは、魂が美しいまま移行したわけではないからです。

肉体の死は、まだプロセスだからです。

魂は永遠に生きつづけているので死ぬ直前であっても魂を磨こうという意思がなければ

霊界や神界につながっていかないからです。

3次元的に当り前のことをやっていただけでは

そこで自分の人生が THE End (ジ・エンド) だと思っているだけでは

3次元と4次元、多次元はつながっていかないのです。

3次元と4次元多次元はらせん状につながっています。

3次元の終りは4次元の始まりであり

4次元につながるような “生き方” をした人でないと安らかに移行はできないのです。

それは、死後の世界を知っていなければならないということではありません。

人として、人間として

「この生き方でいいのだろうか?」

「もっと自分のことだけではなく、社会や世界に貢献できることはないだろうか?」

「自分はこの世のこともあの世のこともほとんどわかっちゃいない、もっと知るにはどうしたらいいのだろう?」

こういった自分自身に対する疑問に逃げず避けず

向上心を持って、正面から挑んでゆくことが大切だと思うのです。

目標を持つこともそうですよね。

なんのために勉強をするのか?

なんのために自分は生きているのか?

そのためには自分はどうすればいいのか?

ただ平々凡々に生きていただけでは絶対に魂が満足しない

本心が満足しないようになっているのです。

それまでは、肉体の死は訪れるようにはなっていないのです。

私たち人間は今、真剣に死や “生き方” を考える時期に来ているのではないでしょうか?

ある本を読んでいて

そのことを痛切に感じたのでした。


 
  

 

« 死んだらどうなるのだろう? 最終章 | トップページ | 勉強は自分のためではなく、世の中のためにするものである 2 »

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/160971/50874727

この記事へのトラックバック一覧です: 勉強は自分のためではなく、世の中のためにするものである 1:

« 死んだらどうなるのだろう? 最終章 | トップページ | 勉強は自分のためではなく、世の中のためにするものである 2 »

最近のトラックバック

2017年11月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30    
無料ブログはココログ