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2013年3月20日 (水)

死んだらどうなるのだろう? 1

  

親父に、死後の世界の話をするにしてもそれはそれ相応の準備もしなくてはいけない、タイミングも計らなければならない

そして、親父当人がそのことを本当に知りたいと思っているのか?もわかっていなくてはならない

だから簡単に

「そうだ、死後の世界のことを知らせよう!」

とはいかないのです。

私自身は、死後の世界(幽界、霊界、神界)を見てきたわけでもない、守護霊、守護神さまに会ったことがあるわけでもない

ましてや神さまにもお会いしたこともないのです。

なのにこれだけハッキリと文章に出来るのはなにかというと

目には見ていなくても、“死後の世界はある” “神さまはいらっしゃる” ということが心でわかっているからです。

「おまえは見て来たのか?」

「行ったことがあるのか?」

「会ったことがあるのか?」

こう聞かれた時に

「見たこともないし会ったこともないよ」

「でも存在していることは確かなんだ」

と答えるのです。(聞かれたことはありませんが)

見たことも、会ったこともない

だけれど

“ある” “居ると信じている(守護霊守護神)”

それで十分だと思うのです。

“ある” と信じている自分を信じるとでもいうのでしょうか?

そんな自分が相手にちゃんと死後のこととか守護霊守護神の存在を知らせることができるのか?

そんな一抹の不安は確かにあります。

だからそこは自分の信を深めていくしかないと思うのです。

五井先生のご著書を何回も何回も読み返す

理解できるまで、自分の言葉になるまで頭にたたき込む

つまり3次元的な努力です。

人にわかってもらおうと思ったら

安心立命してもらおうとするのなら

自分の魂に沁みるまで

勉強することが大切だと思うのです。

勉強に関しては、多分この世もあの世もないと思うのです。

人間の魂、心は “永遠に生きつづける”

このことは私にとって真実なのです。

他の誰かがそんなことはない

死とはそこで終りなんだ

肉体の死と共に魂も終わるんだ

と言ったとしても

私はそうは思わない

ただそのことを体験で知らせるのではなく

信じる力で信じてもらう

目にみえないことを

それも体験していないことを伝えることって難しいと思います。

しかし信じてるということは

わかっていることと同じです。

見てきたことと同じなのです。

信じるとは自分の直観を信じるとはそれくらい強いパワーがあると思うのです。

今、何回も何回も五井先生の文章を読み返しています。

読むたびに自信が深まっていくから不思議です。

そして

いつかは父に話そうと思っています。


 

 

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