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2013年3月20日 (水)

死んだらどうなるのだろう? 最終章


  
 世界平和の祈りは最大の供養



  

唯物論者は死んだらそれまでだ、霊界なんかあるものか、と否定しています。

ないと思っている人が亡くなりますと、ないと思っていても意識は出てくるんです。

意識のほうは肉体にうつっているだけで、幽体があります。

幽体という体、肉体と同じ構造があるのです。

しかし幽体などあると思っていないから、その人に体はありっこない。

そうした意識が戻ってくると、ああ死んだんじゃなかったんだと思うのです。

けれど体がない。

それで肉体のほうに戻ってくるわけです。

たとえば浅草に住んでいたら浅草の自分の家に戻ってくる。

そして妻や子に憑いちゃうのです。

その体を自分の体だと思って生活するわけです。

憑かれた人はたまりません。

肺病で死んだ人だったら肺病になったり、中気でなくなった人だったら中気になった形になってくるわけです。

あるいは癌になるとか、なってくるのです。

同じ家に同じ病気が続くというのは、そういう想いがくっついてくるからです。

憑かれた人が信仰が深ければ、ああ、すべては消えてゆく姿だな、神さま有難うございます、世界人類が平和でありますように、と祈っていますと、くっついたままでズーッと神界へ行くわけです。

神界の光に照らされて、だんだん迷いがさめてくる。

ああ霊界なんてないと思って死んだんだけれど、実はあったんだな、神さまはあったんだな、と目覚めます。

そうするとスパッと離れて一人立ちできるようになるんです。

ですから皆さんが世界平和の祈りをしていることは、いつも信仰深く生きていることは、自分にまつわる先祖の霊魂や知人の霊魂が一緒に浄まっていることだ、と思ってください。

  

 
      「永遠のいのち」 五井昌久 白光出版




  

 

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