« 神ということ 1 | トップページ | 今日は節分 »

2013年2月 2日 (土)

神ということ 2

 
  
日本人の中には、神という言葉を極度に嫌ったり、馬鹿にする人たちがいる。

この人たちは一体、神という言葉自体を嫌うのか、肉体人間以外の智慧や力や能力を無視しようとしているのか、どちらかなのであろう?

喰わず嫌いという言葉があるが、この人たちは喰っていながら嫌っているという感じなのである。

何故かというと、神という言葉自体を嫌おうと、肉体人間以外の智慧や力や能力を否定しようと、事実は肉体人間以外の力によって養われていることは、誰でも知っていることである。

人間生存に無くてはならなぬ空気でも水でも土地でも、一体誰がこれを創り出したのかということである。

そういえば、この宇宙には、人間を生かしている数えきれぬほどの、各種の要素がある。

太陽や月も勿論だが、酸素や水素や炭素や窒素やカルシウム、ナトリウム、マグネシウムや燐やその他種々の元素がそれである。

こういう元素を、それは私の智恵によってできたのだ。 というほどの馬鹿が人間の中にいるだろうか?

こういうどうにもならない事実を日常茶飯事にみせつけられていても、まだ肉体人間以外の智慧能力を否定しようとするなら、その人たちは底の知れない馬鹿者たちである、というより仕方がない。

それよりももっと根本的ないい方をすれば、私たちを生かしているというより、私たちそのものである生命というもの自体が、肉体人間誕生以前から存在しているのだし、生命のない人間など考えられもしないのだ。

そうした根本的な智慧や力や能力を、人々は神と呼んでいるのである。

だから神を嫌おうと、神の存在を否定しようと、人間は誰もが、神の子であり、神の生命の分け命なのである。

神は大宇宙そのものであり、大生命であり、大自然でもある。

しかし、どうしても神という言葉にひっかかる人は、大生命に対して感謝してもよい。

大自然に対しての感謝でもよい。

それができなかったら、太陽に対してでも、空気に対してでも、水に対してでもよい。

それもできなかったら、自分の体のどの部分にでもよい。

眼がみえてよかった、耳が聞えてよかった、手足が働いてくれてよかった、考えられる頭をもっていてよかった、等々、どこかに感謝する気持ちを持つことによって、いささなりとも、神とのつながりを得ていることができるのである。

誰にもなんにも感謝のできない人は、生きながらの死骸である。

しかし、神々はそういう人々まで救おうとして、世界平和の祈りによる大光明波動を地球界に放射しつづけているのである。

この地球界が一日も早く、感謝の心と感謝の心とで融け合うような、そういうものになるよう私たちは祈りつづけなければいられないのである。


          世界人類が平和でありますように

       『大生命の絵巻』 五井昌久 白光出版



  

 

« 神ということ 1 | トップページ | 今日は節分 »

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/160971/49127693

この記事へのトラックバック一覧です: 神ということ 2:

« 神ということ 1 | トップページ | 今日は節分 »

最近のトラックバック

2017年5月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      
無料ブログはココログ