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2013年2月22日 (金)

最悪ではなく、最良なのです。 2





災難にあったら 「業」 が消えたと喜びなさい

 

そして、その真我(本心)を包み込むようにして取り巻いているのが、「魂」 です。 真我が一糸まとわぬ純粋な裸身であるとすれば、魂はそれを覆う衣服に相当します。

その衣服には、それぞれの魂が経験してきた思いや行ない、意識や体験がすべて蓄積されています。

現世で自分がなしてきたもろもろの思念や行為もまたそこに付加されていきます。

つまり魂とは、それが何度も生まれ変わる間に積み重ねてきた、善き思いも悪しき思いも、善き行ないも悪しき行ないもみんなひっくるめた、まさにわれわれ人間の 「業」 が含まれたもの。

それが魂として真我という心の中核を取り巻いている。

したがって真我が万人に共通したものであるのに比して、魂は人によって異なっているのです。

子どものころ、母親から 「あんたは魂が悪い」 といわれた覚えがあります。

鹿児島では、根性が悪かったりひねくれた性格のことをそういうのですが、幼いながら私の魂のうちに、何かよくない業が含まれていて、それが私の心の一部をゆがめたり汚していた。

そのことが母の目には見えていたのでしょう。

では、魂に垢のようにこびりついているとされる 「業」 とはどのようなものなのか。

そのことについて深く教えてくださったのは、私が得度する際にお世話になった西片たんせつ老師でした。

もう20年近くも前の話になりますが、京セラが許認可を受けないままにファインセラミック製の人工膝関節を製造、販売したとして、マスメディアから非難を浴びたことがありました。

これはすでに許可を受けて製造していたファインセラミック股関節を、医師や患者の方々の強い要望があったために、膝関節部分に応用したという経緯があり、私としては不本意なところもありました。

しかし、私はとくに弁解をせずに批判を甘んじて受けようと覚悟しました。

私はたんせつ老師を訪ね、

「このところこういう問題があって、心労が耐えないのです」 というお話しをしました。

老師もこの問題については新聞などを読んで知っておられたようです。

あたたかい慰めの言葉をかけてくださるのかと思ったら、老師は開口一番、次のようにいわれたのです。

「たいへんでしょうが、しかたありません。生きていれば、苦労は必ずあるものです」

そして、続けざまに次のようにお話しくださったのです。

災難にあったら、落ち込むのではなくて喜ばなくてはいかんのです。

災難によって、いままで魂についていた業が消えていくのです。 それぐらいの災難で業が消えるのですから、稲盛さん、お祝いをしなくてはいけません」

このひと言によって、私は十分救われた思いがしました。

世間からの批判も、

「天が与えもうた試練」 と素直に受け取ることができたのです。

まさに、いかなる慰めの言葉にもまさる、最高の教えを老師は授けてくださり、私は人間が生きるということの意味、そしてその奥底に横たわる偉大な真理までを学ぶことができました。

        


           『生き方』 稲盛和夫 サンマーク出版


 



  



  

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