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2013年1月30日 (水)

世界は自分の外ではなく内にある

  


周りが大変な状況になっていて、ほとんどの人がパニックになっていたとしても、たった一人の人が冷静沈着で

「これは大したことではない、私が落ち着いていればきっと大難は小難になる」

という大きな器の大人物がいたら大難はそのまま大難にはならないのです。

それくらいの大人物ですからエネルギーは他の人よりもずっと大きいのはもちろんのことですが、その人は目にはみえないプラスのエネルギー(宇宙)も味方に付けているのです。

人間のマイナスのエネルギーはあなどってはいけないものの、天に通じた冷静沈着な人の力はそれを上回るのです。

人間の想念は大切だとつくづく思います。

自分の心の中に何があってその何かがどう反応するか?で目にみえる世界が決まってくる。

人に対しても自分がその人の良いところを見つけてそこに意識を合わせつづけるならば、相手の人を嫌いになることはないのです。

マイナスを見てしまうのは、その人がマイナスを発しているんだからその人が悪いのだ。

ではなく、自分がそこに意識を合わせて共鳴してしまっているのです。

私は下記のコラムを読んで衝撃を受けました。

「自分の心が変われば目の前のすべてが変わる」 と漠然とはそうなんだろうなぁと思っていたのですが、

「そうなのかぁ?」 という半信半疑のところがありました。

しかしこのコラムから

「間違いない、そうなんだ!」

と確信に変わったのです。

素晴らしい文章です。

是非、お付き合いください。







   世界は自分の外ではなく内にある


                                西園寺真妃さん

 

「ルミ大好き」 「ミキ大好き」 と満面の笑みを浮かべて抱き合っている娘たちの幸せ溢れる様子にほのぼのとしていると、次の瞬間、そこにあるペンが誰のペンで、どちらが先に使うかということで、涙を流すほどの大喧嘩をし始めます。

喧嘩が始まると、先ほどまで 「ルミ大好き」 「ミキ大好き」 と言い合っていた二人は 「ルミなんて大嫌い」 「ミキもう嫌だ!」 と全く真逆の言葉を浴びせ合います。

そんな二人の様子を見ていると、私はいつも自分の小さい頃を思い出すのです。

私の娘のミキとルミは年子です。

その二人の関係と同様、私と妹の里香も年子で、私たちも私の娘と同じようなことで毎日のように喧嘩をしていました。

そのため、一秒前までは世界で一番好きな妹が、次の瞬間世界で一番嫌いな存在に変貌するその気持ちもその状況もすべて体験済みで、私にとっては娘たちのやり取りは当たり前で懐かしい光景なのであります。

三人の娘の母になり、こどもたちのこのやり取りを客観的に見ていて、最近私はとても面白いことに気が付いたのであります。

それは、好きとか嫌いという感情は相手の存在があって引き出されるものであるにもかかわらず、同じ対象から相対する両方の感情が容易に引き出されるということであります。

つまり、ある対象により、二次的に引き出されていると思っている自分の感情は、相手の存在から引き出されるのではなく、自分の世界の自分の思いによって出されている感情だということであります。

妹という一つの存在から好きという感情と嫌いという感情が引き出されますが、自分の目の前の対象からどんな感情を自分の中に生み出すかということは、他の誰でもなく自分自身が決めていることなのであります。


つまり相手の何に意識を向け、相手の何を自分の中に引き込むかにより、自分を幸せにすることも不幸にすることも簡単に出来てしまうということであります。

自分の目の前にいる人の光っているところを見て、その人を尊敬し好きになるのか、あるいは、影を見てその人を軽蔑し嫌いになるのかは、自分のその瞬間の選択にかかっているのであります。

私たち一人一人は広い世界の一個人として存在していて、自分を取り巻くさまざまな出来事、出会いに翻弄されながら生きているような気持ちになります。

しかし実は、世界は自分の外に存在するのではなく、自分の中に存在しているのであります。

目の前に広がる世界はさまざまなことを発信しているように感じますが、実は世界自体は何も発信していないのであります。

自分たちの周りに起こるさまざまな出来事に意味を持たせたり、存在価値を持たせるのは、その世界を見ている私たち一人一人であり、自分が見ているさまざまな状況にさまざまな感情のスパイスを足すことで初めて、種々さまざまな情報や感情を発信している世界が自分の周りに存在し始めるのだと思います。

喧嘩をしたり、仲良く抱き合っている二人の娘を見ていて、その二人の存在は無そのものですが、そこにはさまざまなもの (有) が出てくる可能性があるということを感じたのでした。

無の中から何を生み出すか、何が生まれるかは、その存在や状況を受け止める私たち一人一人が、その世界にどんな感情というスパイスを足すかにかかっているのだと、子どもたちのやり取り、そして自分の昔の記憶を思い出しながら感じたのでした。

昌美先生はよく

「自分が変わることが一番大切」 とお話しされますが、その意味はここにあるのだと思うのです。

世界は外にあるのではなく、自分の中にあるからこそ、自分が世界の受け止め方を変えることで、好きが嫌いになるがごとく、180度変わることが出来るのであります。

だからこそ、自分が変われば世界は必ず変わるのだということを、子どもたちのたわいもないやり取りを見ながら確信したのでありました。

  世界人類が平和でありますように




  

 

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