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2013年1月25日 (金)

その人が悪いのではない・・・


人間とはみな神の子であり、本来光輝いた存在なのである。
 

しかしその人間とは輝き方がまちまちであり

神の子そのもので 多くの光を放っている人もいれば

暗雲に蔽われて 悪い人間になってしまっている人もいる


私たちは その人の奥の光(神性)見て

性善説を信じていかなければならないのですが

これが非常に難しいのです。

純粋で汚れていない人や、幼子であれば そう想うことも出来るのですが

業、カルマ、マイナスの想念に覆われて汚れに汚れている人は

悪人にしか見えない

人を非難し、批判し、評価ばかりをしている人は

性悪人間(性格の悪い)にしかみえない

それを

その人の奥の善人の部分を見ろ!

と言われても

それはなかなか出来ない相談なのです。

そこで、業を被った、非人間的になっている人を

私たちはどう捉えたらいいのでしょう?

業を被っているからといって

その人は悪い人なのか?

悪人と決めつけ 非難してもいいのか?

そして

業を被っていない人との差はなんなのか?

素晴らしい人間性の人(持って生まれた性格的なもの)とは

過去世で散々陰徳を積み

人類を目覚めさせるために生まれて来ている魂の人もいます。

それも役割りです。

この人たちは善い人の役を演じることになる。

一方、悪役の人は

どういう役割りがあるのか?

反面教師になっているだけなのか?

そうではないのです。

どんなに善い人に見える人でも

マイナスのエネルギーは襲って来るのです。

そしてついうっかり油断をしていると

魔が差して 善人といわれている人が

悪人へと転落してゆく

また逆に

悪人といわれる人が

いつ善人に生まれ変わるとも限らないのです。

だから私たちは簡単に

この人は善い人だ

この人は悪い人だ


と決めつけてはいけないのです。

そして今たまたま悪く見えている人とは

大変ありがたい役割を荷ってくれているのです。

それは、マイナスのエネルギーをみんなを代表して受けてくれているのです。

その人が受けてくれなかったら

もしかしたら他の人が受けなければならなかった嫌な、気持ちが滅入るような、または怒りや悲しみのマイナスのエネルギーをその人は他の人よりも多く受け取ってくれているのです。

その人たちのお陰で、私たちはまだ正常を保ったり、元気でいれたりするのです。

だから悪に見える人たちを批判、非難するのではなく

「ありがとうございます、ご苦労さまです」

と感謝すべきなのです。

ここに如是我聞という五井先生のお言葉があるのですが、私はこれを読み返すたびに、「罪を憎んで人を憎まず」 というイエス・キリストのお言葉を思い起こすのです。
 

その人が悪いのではない。業にまきこまれてしまうのだ。悪い奴だ、といわれる人は、実は業をそこに結集させて、代表的に業を消している役目を荷っているのである。 ああご苦労さま、あの人の天命がまっとうされますように、と祈れる心は仏の心である。



     
「如是我聞」 五井昌久 白光出版

   

  

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