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2013年1月31日 (木)

ゼロからのスタート


  

人はよく 「0からのスタート」 とか 「1からのスタート」 というがこの場合の0と1はどう違うのだろう?

ところで数字の0(ゼロ)を発見したのはインド人だそうだ。

1から10までのなかで最初に0が加わる、しかし11から後は0は発生しない、最初の0だけなんだ。

数学的なことはよくわからないけれど数字の発生にもいきなり 1 は無理があるのか?

0という遊びがあって1が踏み出せる。

私たちもなにかアクションを起こそうとするときに

「どっこいしょ」 と気合い?をいれてから始めの一歩が出る。

気合いという間(私はこの間がゼロと考える)がないのにいきなり一歩を踏み出したらけつまずいてしまう。

「ゼロからのスタートですね」、と言われるのと、「1からのスタートですね」 と言われるのでは余裕が違うような気がする。

ゼロに一回リセットしてから、気持ちをニュートラルにして、良い状態をイメージしてから動けばいいんだというゆとりが生まれる。

私たちはいつも

「自分はこのままでいいのだろうか?もっと頑張って目にみえる形で結果を出さなければいけないのではないだろうか?」

と、常に追い詰められた心理状態になっている。

そこにはマイナスのマインドが働いている、自分を責めている。

そうではなく

「これでいいんだ、このままの自分でもいいんだ」

「今の環境が自分にとってベストなんだ」 (足るを知る)

と肯定してあげないと

心が煮詰まっていると焦りが出てしまうのだ。

焦りとは焦げ付くと同意語であり

いったん焦げついたものは元に戻らない

そして

取りかえしのつかないことにもなりかねない

私たちはこの焦りと隣り合わせの位置に常に置かれているのだ。
 

だから 0 があると思えばいい

0 があって自分を認めて

「このままの自分でいいんだ」

「十分に頑張っているんだ」

と自分で自分を癒してあげて

深呼吸をして(波動調整をして)

それから次へ進めばいいのです。

リラックス(力が抜けた)した状態にならないと人間は

本来の素晴らしい力を発揮することができないのです。

ところでインド人の人はどんなときに

この0を発見したのだろう?

きっと余裕があるときに

頭が空っぽになったときに

ふと 0 という数字が浮かんで来たのだろう と思うのです。
 

「インド式 すごい勉強法」 ニヤンダ・デシュパンデ 三笠書房



  


 

2013年1月30日 (水)

世界は自分の外ではなく内にある

  


周りが大変な状況になっていて、ほとんどの人がパニックになっていたとしても、たった一人の人が冷静沈着で

「これは大したことではない、私が落ち着いていればきっと大難は小難になる」

という大きな器の大人物がいたら大難はそのまま大難にはならないのです。

それくらいの大人物ですからエネルギーは他の人よりもずっと大きいのはもちろんのことですが、その人は目にはみえないプラスのエネルギー(宇宙)も味方に付けているのです。

人間のマイナスのエネルギーはあなどってはいけないものの、天に通じた冷静沈着な人の力はそれを上回るのです。

人間の想念は大切だとつくづく思います。

自分の心の中に何があってその何かがどう反応するか?で目にみえる世界が決まってくる。

人に対しても自分がその人の良いところを見つけてそこに意識を合わせつづけるならば、相手の人を嫌いになることはないのです。

マイナスを見てしまうのは、その人がマイナスを発しているんだからその人が悪いのだ。

ではなく、自分がそこに意識を合わせて共鳴してしまっているのです。

私は下記のコラムを読んで衝撃を受けました。

「自分の心が変われば目の前のすべてが変わる」 と漠然とはそうなんだろうなぁと思っていたのですが、

「そうなのかぁ?」 という半信半疑のところがありました。

しかしこのコラムから

「間違いない、そうなんだ!」

と確信に変わったのです。

素晴らしい文章です。

是非、お付き合いください。







   世界は自分の外ではなく内にある


                                西園寺真妃さん

 

「ルミ大好き」 「ミキ大好き」 と満面の笑みを浮かべて抱き合っている娘たちの幸せ溢れる様子にほのぼのとしていると、次の瞬間、そこにあるペンが誰のペンで、どちらが先に使うかということで、涙を流すほどの大喧嘩をし始めます。

喧嘩が始まると、先ほどまで 「ルミ大好き」 「ミキ大好き」 と言い合っていた二人は 「ルミなんて大嫌い」 「ミキもう嫌だ!」 と全く真逆の言葉を浴びせ合います。

そんな二人の様子を見ていると、私はいつも自分の小さい頃を思い出すのです。

私の娘のミキとルミは年子です。

その二人の関係と同様、私と妹の里香も年子で、私たちも私の娘と同じようなことで毎日のように喧嘩をしていました。

そのため、一秒前までは世界で一番好きな妹が、次の瞬間世界で一番嫌いな存在に変貌するその気持ちもその状況もすべて体験済みで、私にとっては娘たちのやり取りは当たり前で懐かしい光景なのであります。

三人の娘の母になり、こどもたちのこのやり取りを客観的に見ていて、最近私はとても面白いことに気が付いたのであります。

それは、好きとか嫌いという感情は相手の存在があって引き出されるものであるにもかかわらず、同じ対象から相対する両方の感情が容易に引き出されるということであります。

つまり、ある対象により、二次的に引き出されていると思っている自分の感情は、相手の存在から引き出されるのではなく、自分の世界の自分の思いによって出されている感情だということであります。

妹という一つの存在から好きという感情と嫌いという感情が引き出されますが、自分の目の前の対象からどんな感情を自分の中に生み出すかということは、他の誰でもなく自分自身が決めていることなのであります。


つまり相手の何に意識を向け、相手の何を自分の中に引き込むかにより、自分を幸せにすることも不幸にすることも簡単に出来てしまうということであります。

自分の目の前にいる人の光っているところを見て、その人を尊敬し好きになるのか、あるいは、影を見てその人を軽蔑し嫌いになるのかは、自分のその瞬間の選択にかかっているのであります。

私たち一人一人は広い世界の一個人として存在していて、自分を取り巻くさまざまな出来事、出会いに翻弄されながら生きているような気持ちになります。

しかし実は、世界は自分の外に存在するのではなく、自分の中に存在しているのであります。

目の前に広がる世界はさまざまなことを発信しているように感じますが、実は世界自体は何も発信していないのであります。

自分たちの周りに起こるさまざまな出来事に意味を持たせたり、存在価値を持たせるのは、その世界を見ている私たち一人一人であり、自分が見ているさまざまな状況にさまざまな感情のスパイスを足すことで初めて、種々さまざまな情報や感情を発信している世界が自分の周りに存在し始めるのだと思います。

喧嘩をしたり、仲良く抱き合っている二人の娘を見ていて、その二人の存在は無そのものですが、そこにはさまざまなもの (有) が出てくる可能性があるということを感じたのでした。

無の中から何を生み出すか、何が生まれるかは、その存在や状況を受け止める私たち一人一人が、その世界にどんな感情というスパイスを足すかにかかっているのだと、子どもたちのやり取り、そして自分の昔の記憶を思い出しながら感じたのでした。

昌美先生はよく

「自分が変わることが一番大切」 とお話しされますが、その意味はここにあるのだと思うのです。

世界は外にあるのではなく、自分の中にあるからこそ、自分が世界の受け止め方を変えることで、好きが嫌いになるがごとく、180度変わることが出来るのであります。

だからこそ、自分が変われば世界は必ず変わるのだということを、子どもたちのたわいもないやり取りを見ながら確信したのでありました。

  世界人類が平和でありますように




  

 

2013年1月29日 (火)

袖すり合うも他生の縁

街で袖がすり合っただけの人でも多少の縁はあるものだ

と解釈していたが、そうではなく

他生が正しく

そして他生とは前世のことだったのです。

人間は何千回何万回と輪廻転生(生まれ変わっている)している。

その前世の間におそらく何十万人という人に出会い 又、前世の自分とは、あるときは男だったり女だったり、善い人であったり極悪人であったり・・・・・・・。

そして今、仏さまのように穏やかでみんなから愛されている人も過去世においては人殺しをしていたかもしれない。(していました)

あるとあらゆる悪事を重ねて多くの経験をした魂ほど立派になっているといわれています。

だから今あなたが 「あいつは極悪人だ、どうしようもない奴だ、死刑に値する」 と思い憎んでいる人も、善い人(菩薩様)になってゆくためプロセスであり

それぞれの人間とは、そのゴール(菩薩様)に行くどの段階にいるかのだけの違いであり、よってその人の人格も金太郎あめのようにどの時期を切っても同じではないのです。

その人のいい時期を観た人は

「あんな素晴らしい人はいない」

になり

最悪の状態の時に出逢った人の感想は

「あんな最低の奴はいない」

になる。

人間をある時期ある時期(節々)で判断するのは違うのです。

人間とは絶えず進化し続けているからです。


そして人は自分の鏡だといいます。

それは、この世(肉体界)で出逢う人とは前世で出逢った人の中から特別に よりすぐって選ばれた人たちなのです。(だから大事にしなければいけない)

前世ではおそらく何十万人の人との出逢いがあったでしょう。

そのうちに出会う必要のない人たちは割愛されてもう逢わなくなっている(逢う必要がないから)のです。

今生で縁あって逢う人とはせいぜい数千人です。

ということはその人と出逢ってなにかを清算しなければならないのです。

前世で夫婦で、親子で、兄弟で、友人で

仲たがいをしていた

もう一度肉体界に生まれ変わって

「仲直りをして来い!」

と神さまにそういわれた。

そういうことだと思うのです。

前世が夫婦で自分が妻を泣かせた夫だった

そうだった場合は今生では自分が妻になって夫に泣かされる役目を担う(演じる)ことになる。

「腹が立つなぁ」

と怒りつつも

なにか以前、夫がしていたことを自分がやっていたような気がする(笑)

自業自得のような気がする。

そうやって修行をして

どんなこともご破算(水に流して)にして

この世の修行を終り、男でも女でもない

つまり善いも悪いもない

陰も陽もない

対立するものがない

二極分化するものがない

調和のとれた

菩薩様のような人間になっていくのです。(菩薩様は男でも女でもないのです)


自分は今は夫だけれど前世では妻だった

今は男だけど前世は女だった

今は私だけど前世ではあなただった

前世ではあなただったけど、今は私だった・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

なにがなんだかよくわかりませんよね(笑)

つまりこの世には自分しかいないのです。

自分の分身がそれぞれの人になっている

自分がみんなであり、みんなが自分である

嫌な人とは自分だったのです。

なぜ嫌だかというと自分のいたらなかった過去(過去世)を見ているから・・・・・・。

今タバコの煙を死ぬほど嫌だと思っている人は

過去(過去世)において

タバコが大好きで死ぬほど吸っていた人です。

散々吸ってきて

「なんであんなもの吸っていたんだろう?あの頃の私は大馬鹿者だった」

「過去の私はバカだった」

それを忘れて

他人を観て

「あんなものを吸っているあいつはバカだ!」

になっているのです(笑)。

人はみな自分自身である

だから自分にやさしくするように

人にもやさしくしてあげましょう

最近

そう想うようになったのです。



    

 

日本 (2)

      

              日本


                               西園寺由佳さん

今、海外で日本ブームが起きているそうです。

それは私たちが言う

“日本の型” “平和の発信” ということには直結しないかもしれませんが、

例えば、カリフォルニアでは禅寺がたくさん出来ているという話を聞きました。

すべての物事がスピーディーに動く今の時代、その先端で活躍している人ほど禅を学んでいると、ある教授が教えてくださいました。

いろいろな物に溢れ、時間に追われいる今の時代の人々はお金を払って、何もしてはいけない時間や食べてはいけない場所を求めて、瞑想合宿や断食合宿に申し込むのです。

そうまでしないと、そういう時間を自分自身に与えられないようなのです。

さまざまなものに追われてばかりいて、自由を持つ時間が限られてしまい、一分を争う時代に私たちは生きているのです。

また、ある知り合いからは、海外の大金持ち、特にその上位の人々は共通して日本文化に憧れるというお話も聞きました。

その人たちはまず初めに畳のお部屋を持ちたがる。

そして畳を持つとお茶室が欲しくなり、そして日本庭園、池、最終的には錦鯉、あるいは盆栽へと興味を示していくそうです。

その方曰く、地位も名声も富みも持った人が行き着くところは美である。

そして日本ほど美を深く追求した国民や文化はなく、成功した人々はそこに行き着くのだろう、と自然や物を本当の意味で “活かす” 文化が日本にはあるのだと思う、とその方はおっしゃっていました。

時間の活かし方、お金の活かし方、命の活かし方・・・・・・日本の文化にはそれらが自然と日常生活の中に含まれていたのかもしれません。

無駄がなく、日常の中に常に美を見出す、そういう振る舞いが日本人の私たちには流れているのだと最近改めて感じるようになりました。

そして日本人だからこそ生み出せる “平和の型” というものは、どういうところから生み出されるのか、

そこにはどのような意識が大切となるのかを考えると、やはり日本の歴史と文化が多くの答を示してくれているのだと思います。

これから日本から、そして私たち一人一人から発信される “平和の型” が未来を大きく変えていくのだと確信しています。

世界人類が平和でありますように

日本が平和でありますように



        
 「白光」誌 2月号より



  

 

日本 (1)

 


人間が最終的に求めるものは “真” “善” “美” である。

いくらお金を稼いで物質的に豊かになっても そのお金が真ではなく偽りによって得たものであったら 又、悪事(後ろめたいこと)をはたらいて得たもので富が得られたのであれば、それは美しいものではない。

そこには、私のブログのテーマである感動や神性の宿る神秘的なものはないのである。

今人類は間違った方向へ(一時的ではあるが)行こうとしている。

しかし以前と違うところは、その間違いに気が付いている人がたくさんいるということだ。

一度違った方向へ行ってみて、気づいた人が軌道修正をし、その方向へ行こうとしている人たちに

「そっちは違いますよ、私は行ってみて気が付いたんですけどね」 と親切に教えてあげている。

今はそんな時期?であると思うのです。

「とことんやってみてわかること」・・・・・。

その人たちは立派だと思います。

人よりも先に行って経験をして

その後は素直に本心(直観)に従う。

そしてその人たちは


本当の世界(神界)にある


 “真” “善” “美” を求め始める。

このコラムを読んでそう感じたのでした。

次の頁でご紹介します。

   

  

2013年1月28日 (月)

どんな仕事にも真剣にたちむかえ

  
今、私の息子は就職活動の真っ最中でありまして、先日は求人関連の仕事をしている私の高校の後輩にアドバイスをもらいに東京から帰って来ておりました。

企業側、雇う側がどんな人材を欲しがっているのか?

面接ではどういう受け答えをしたらいいのか?

採用のポイントはなんなのか?

息子はしきりに質問をしていましたが

後輩の答はというと、理屈ではなく

「この人だったらうちの会社で上手くみんなとやっていけるだろうか?」

とか

「みんなに好かれて、先輩の忠告などを素直に聴ける人だろうか?」

などの人柄、人間性を観ているというのです。

スキル(技術的なこと)は入社してから磨けばいいんだ。

「その人が素直で延びしろがあるのなら、それが一番の魅力なんです」

とも後輩は言っていました。
  

ほんとその通りだと思うのです。

就職先はゴールではなく

自分を磨くための“場” “道場”
 

なのです。

だから、極端に言えば

どこでもいいのです。

そして、そこでの修行が終われば、神様は “次の舞台” をちゃんと用意してくださる。

それは、信じて(神様を)いいのです。

神さまは、もうそこでの修行が終わっているのに

人間たちに無駄な時間を過ごさせるわけがないからです。
  

ということは今自分が携わっている仕事とはたとえどんな仕事であったとしても

それはその人にとってかけがえのない仕事(天職)なのです。

そこでの仕事を疎かにすると

いつまでもそれと似通った仕事をずっとすることになる。

なかなか次の舞台へとはいけないのです。

就職で悩むのもいいと思うのです。

しかし

「ここだ!」

と決めていったん入ったならば

全身全霊で、一生懸命に会社のために尽す。(社長(トップ)が社員に何をして欲しいのか?を徹底して考える)

それしかないと思うのです。

そうしていればその仕事は天職になってゆくことでしょう。

天職とは与えられるものでも

探して見つけるものでも

自分の才能を仕事にすることでもなくて

魂を打ちこんで仕事をまっとうすることだと思うのです。

行為(行ない)をいうのですね。

そのことを気づかせてもらった五井先生の文章をまたまたご紹介します。

私もなんだか吹っ切れた気持ちになれました。

  

どんな仕事にも真剣にたちむかえ



人間には、できるできないはひとまずおいて、何事にも真剣に取り組んでゆくということが必要なので、いいかげんな態度で世の中を渡ってゆこうとするぐらい嫌なことはありません。

与えられた職業はそれがどんな職業でありましょうとも、その人が永遠の生命をしっかり自己のものとするための一つの経験として与えられているものでありまして、その人に必要でない経験は現われてこないのです。

 ですから、自己がおかれている環境に不満をもって、与えられた仕事を怠るようであったら、そうした経験を魂の底にしみこませられるまで、同じような環境をぬけきることはできないのです。

どんなつまらなそうな仕事に対しても真剣に立ち向かわなくてはいけないということです。

       

           『日々の祈り』 五井昌久 白光出版




   


  


 

2013年1月27日 (日)

天職を生かす人

  

  
先日のブログで、私は仕事とはこなす(小成す)ものであり、小さな成功である、大きな成功、大仕事はもっと違うところにあり、仕事に全精力(すべてのエネルギー)を傾けるのは違うのだ。

というような主旨のことを書いていましたが、ちょっと違ったかな?と後から思ったのです。

仕事はやはり一生懸命に真剣にやるものであり、そこから素晴らしいヒントや答が出て来るのです。

ただ人間というのは仕事だけが人生ではなく家庭であったり、友人知人との人間関係、ほかにも趣味であったり、いろんな生活があるのです。

いろんなことにエネルギーを注がないといけないので、仕事ばかりに熱中、意識がいっていると大切なことに気づかないことがあるのです。

例えば、子どもが悩んだり難しい時期であったり、愛情を欲している時には、仕事のことは一時的に置いておいてそのことに神経を傾けなければならないこともあります。

だからやはり人間はバランスが必要だと思うのです。

仕事は人生の中でもプライオリティー(優先順位)の高い部門に入るのは確かです。

なんらかの仕事をしていないと時代の流れがわからなくなるのも事実です。(子育て、家事は仕事に属します)

その仕事をどう捉えるか? どう位置づけるのか? 優先順位はどうなのか?

それは人それぞれまちまちだとは思うのですが

仕事を天職とするのは大切なことだと思うのです。

天職とはなんなのか?

自分のしている仕事は天職なのか?

どんな仕事であっても天職であると思うことが大切なのか?

他に自分の天職はあるのか?

仕事と天職(ミッション)は分けるべきなのか?

天職を職業(収入を得る)にはできないのか?

天職と思えない仕事を天職と思うにはどういう考え方をしたらいいのか?

仕事に拘束されてゆとりのある時間が持てない、これでいいのか?

今、たくさんの人が仕事のことで悩んでいると思うのです。




    天職を生かす人

 

会社の仕事でも商売でも、芸術芸能、はてはスポーツの世界でも真剣にその技を競っている時には、その人々の生命はやはりいきいきとしているのであって、それはそのまま、人減の向上に役立つことにもなるのです。

なぜかと申しますと、何事にも真剣になって取り組むということが、生命を生かすことになるのであって、いいかげんな生き方をしていることが生命を死なせているということになるのです。

単に金銭のため、食生活のため、或いは自己の権力拡張のためという想いでやっている人々は、天職を果していないみじめな人というべきであり、いかなる仕事にでも全身全霊を打ちこんでやっている人々は、天職をまっとうしている人というべきなのです。

       

         『日々の祈り』 五井昌久 白光出版


   仕事に関するおすすめ図書 

        『何のために働くのか』 北尾吉孝 致知出版

        『秘伝の仕事術』 福井克明 サンマーク出版


   
  

2013年1月26日 (土)

1月26日のつぶやき



今日のつぶやきは一般的にみんながマイナスだと思っていることを、実はプラスだったのだというテーマになっていました。(結果的に)

そして、有名人と五井先生の言葉に対してツッコミ?を入れてみました。

有名になる人、そして五井先生のような賢者の人というのは例外なくプラス思考です。

それも気づきが素晴らしい!

マイナスと思われるような状況も、その中からプラスを見つけているのです。


他の人と

見る角度(観点)が違うのか?

心がポジティブだからネガティブなものと共鳴しないのか?

どちらにしても

そういう生き方の方が絶対にいいですよね。

私の知人は

女性に振られたときにどう乗り越えるか? というと

「あの人(女性)は見る目がないなぁ」

と思うようにしているということです。

「なんで振られたんだろう?」

「自分のどこが悪かったんだろう?」

そして

「あいつはバカだ、性悪女だ、魔性の女だ」

とか自分や相手を責めるのではなく

自分をニュートラル(中庸)なポジションに置く

これは、テクニックとして必要だと思うのです。

心を重たくせずに楽に軽くしてゆく

楽にすることが楽しくなることにつながってゆく

そう思うのです。




1. 世界に何十億と女がいるのに、一人の女に振られただけで、そんなに落ち込んでどうする。もっと素晴らしく、お前を愛してくれる女の子は一杯いる。めぐりあってないだけだ。(北野武) / 思春期の頃にこの言葉を聞きたかった(笑)今は良い時代ですね、経験者の話をいくらでも聞ける。
 


2. 人生というのは、どのくらい「無我夢中」の時間を過ごせるか、で決まると思う。 僕にとっては、あの頃が無我夢中だった。そういう時期があるから、いくつになっても「またやってやろう」と思えるんです。(大島渚) / いつも青春という人は、いつも一生懸命なんでしょうね。




3. 勝とうが負けようがどっちでもいい。平気なんだ。勝って結構、負けて結構。ただ、完全燃焼、全力を尽くす。僕はそういう主義を貫いている。(岡本太郎)/ 日本はいつから勝ち負けにこだわるようになったのだろう?結果はどちらでもいいんだ。一生懸命にやるというプロセスが尊い。


4. 欠点はそのままにしておいて、長所をどんどん延ばせばよい。堂々と生きよ。~五井昌久~/ 欠点を無理に直そうとしなくていいんですね。その代わり長所を延ばせばマイナスは目立たなくなってゆく。



5. 心配や悩みは毒素となって身体にたまるが、生命力が下痢や痰に出させて消してくれる。~五井昌久~/ 下痢や痰が出るのは病気(マイナス)だと思っていたけど、そうではなく悪いものを出して身体を守ろうとしていたんですね。



6. いつも神に対するように、人に対することです。~五井昌久~ / 相手が神さまだと思えば、自らが謙虚になり、争いごとなど起こらない。



7. 最も悪い時が開運する時である。~五井昌久~ / 悪いものが消えて後は善くなるしかないんですね。土砂降りの後の青空のようなものです。



8. 大器にならなくともいい、自分なりの器のまま、清らかで、明るく、柔和で、光輝く人になることだ。 ~五井昌久~ / 頑張るって我を張るって意味なんだけど、器以上になろうと無理をするんだよね。器の中で力を抜いて明るく生きていけばいいんだよね。



9. 自分のいい持ち味をそのまま生かしつづけて、立派になってゆくことが一番いい。~五井昌久~ / 個性(いい持ち味)を欠点だと思っている人がなんと多いことか、もったいないですよね、長所を欠点だと思っているんだから、自分にもっと誇りと自信を持とう!



  

2013年1月25日 (金)

その人が悪いのではない・・・


人間とはみな神の子であり、本来光輝いた存在なのである。
 

しかしその人間とは輝き方がまちまちであり

神の子そのもので 多くの光を放っている人もいれば

暗雲に蔽われて 悪い人間になってしまっている人もいる


私たちは その人の奥の光(神性)見て

性善説を信じていかなければならないのですが

これが非常に難しいのです。

純粋で汚れていない人や、幼子であれば そう想うことも出来るのですが

業、カルマ、マイナスの想念に覆われて汚れに汚れている人は

悪人にしか見えない

人を非難し、批判し、評価ばかりをしている人は

性悪人間(性格の悪い)にしかみえない

それを

その人の奥の善人の部分を見ろ!

と言われても

それはなかなか出来ない相談なのです。

そこで、業を被った、非人間的になっている人を

私たちはどう捉えたらいいのでしょう?

業を被っているからといって

その人は悪い人なのか?

悪人と決めつけ 非難してもいいのか?

そして

業を被っていない人との差はなんなのか?

素晴らしい人間性の人(持って生まれた性格的なもの)とは

過去世で散々陰徳を積み

人類を目覚めさせるために生まれて来ている魂の人もいます。

それも役割りです。

この人たちは善い人の役を演じることになる。

一方、悪役の人は

どういう役割りがあるのか?

反面教師になっているだけなのか?

そうではないのです。

どんなに善い人に見える人でも

マイナスのエネルギーは襲って来るのです。

そしてついうっかり油断をしていると

魔が差して 善人といわれている人が

悪人へと転落してゆく

また逆に

悪人といわれる人が

いつ善人に生まれ変わるとも限らないのです。

だから私たちは簡単に

この人は善い人だ

この人は悪い人だ


と決めつけてはいけないのです。

そして今たまたま悪く見えている人とは

大変ありがたい役割を荷ってくれているのです。

それは、マイナスのエネルギーをみんなを代表して受けてくれているのです。

その人が受けてくれなかったら

もしかしたら他の人が受けなければならなかった嫌な、気持ちが滅入るような、または怒りや悲しみのマイナスのエネルギーをその人は他の人よりも多く受け取ってくれているのです。

その人たちのお陰で、私たちはまだ正常を保ったり、元気でいれたりするのです。

だから悪に見える人たちを批判、非難するのではなく

「ありがとうございます、ご苦労さまです」

と感謝すべきなのです。

ここに如是我聞という五井先生のお言葉があるのですが、私はこれを読み返すたびに、「罪を憎んで人を憎まず」 というイエス・キリストのお言葉を思い起こすのです。
 

その人が悪いのではない。業にまきこまれてしまうのだ。悪い奴だ、といわれる人は、実は業をそこに結集させて、代表的に業を消している役目を荷っているのである。 ああご苦労さま、あの人の天命がまっとうされますように、と祈れる心は仏の心である。



     
「如是我聞」 五井昌久 白光出版

   

  

2013年1月24日 (木)

人は十人十色

昨日の老僧のことを書いた五井先生の文章を読むと 人間 “神の子” を確信出来るのですが、

だからといって世の中には神の子の姿をまったく現わしていない人もいることは事実です。

ある宗教などは、そんな人をも 相手を拝みなさい(神さまだと思って) とか そう思えないのはあなたが未熟だからと責めるのです。

見えないもの、思えないものを無理やりに 思え!というのは裸の王様であり 人間の自由を縛るものなのです。

人間は間違いなく神の子である しかし今現在、神性が顕われているか? まだ顕われいないかの違いなのです。

毎日のように いろんな人と出会い 人間ウォッチング(観察)していると

「なんで地球上には、こんなにたくさんの種類の人間が存在しているんだろう?」(笑)。

と素朴に思うのであります。

それは、神に近い人、 その中間の人 、神の子から遠く離れている人 の大きく分けて3種類の人が存在しているのです。
 

真実はみな神の子、だけどみなそれぞれに現われている段階があるんだ。

ということです。

アセンションとは、地球が素晴らしい星に生まれ変わるとは

みな、どんな人も神の子を顕す時代がやって来るんだということです。

そこで人間の姿を見事に表している五井先生の文章をご紹介いたします。

よろしくお付き合いください。





        人は十人十色

人間というものは十人十色、百人百色で、人間という等しい名称で呼ばれながらも実に多様な心の動きをもち、多種類の精神的なものを含めた生活内容をもつものです。

自己の欲望のために、平気で人を殺害できる男も人間と呼ばれており、自己の欲望のすべてを捨てて、人間社会のために尽している人も人間であります。

生命と呼ばれる等しき力をともに与えられながら、一人は人生を有益に生き、一人は有害に生きるということは、実に不思議なことです。

それは、各人の想念行為の相違のためなのであります。

想念が、神(生命の源、本心) に近づいているか離れているか、あるいは業(カルマ)いわゆる利己的欲望が強いか弱いか、本心の光明を蔽う暗雲が濃いか薄いかによるのです。

       『日々の祈り』 五井昌久 白光出版



  
  

2013年1月23日 (水)

人間とはいったい何者なのか?2

 

  囚人たちの神性を拝んだ老僧

ある老僧が刑務所に講話にいった時、前に並んだ囚人たちを見て

「ああ仏さまたちがおかわいそうに、こんなお姿でここにいなさる。 ああお気の毒な仏さま方」 といってハラハラと落涙されつづけたそうです。

すると囚人たちは、その老僧の真実のこもった涙に、声をそろえて泣き出し、スッカリ心を浄められたということです。

 この話などは、一言の説教も、一言の訓戒もせず、ただ囚人のなかのみ仏の姿をみつづけた老僧の心が、囚人のなかから仏性を呼びさませしめたのであります。

 人間はすべて神の子、 仏の子であります。

悪とは神仏を離れたマイナスであって、その人の本心のなかにあるのではありません。

悪や不幸はすべて消えてゆくより仕方のないものなのです。

      「日々の祈り」 五井昌久 白光出版



  

人間とはいったい何者なのか? 1



今、世の中がおかしくなっているのは、混沌としているのは

いったい人間とは善なのか? 悪なのか?

そして自分とは 他人とは いったい何者なのか?

どこから来たのか?

そしてどこへ行こうとしているのかが

さっぱりわかっていないからなのです。

人間を観ていると

天使のように思えて 感動したり

または その一方で

テロなどの報道を観ると

人間とは悪である

と思ってみたり

どうなっているのか わけが解らなくなっている

教育論も

性善説を取ったらいいのか? 性悪説を取ればいいのか?

先生方によって意見はまちまちである

という私も

我即神也 人類即神也 人即神也

と述べてはいるものの

業想念で覆われている人(つまりマイナス想念で一杯の人)

を観ると

「とてもじゃないけど その人を神様 仏様のようには思えない」
  

そんなときに真理の本を広げてみると

そこには 光輝いた 真実が書かれているのです。

そこで

「あっ やっぱりそうだったんだ」

と確信をするのです。

人はみな 赤ちゃんのときは 天使です。

善人も極悪人もいない

それが大人になるにしたがって

業(マイナスのエネルギー)をどれだけ被るかによって

その人の人格が現われてくる。
 

大人の人間がここにみな

赤ちゃんの頃の姿に戻ったとしたら どうでしょう?

素の姿に なれば どうでしょう?

どんな大人も人間も

その人の奥に隠れているのは

光輝いた 神性 なのです。

本当に悟った人とは

どんなに汚れて マイナスのエネルギーを被った人間、極悪人を観ても

天使に見えるのです。


現在とは そうなるまでの過渡期です。

いずれはみな

人間が 天使に見える

いや 天使になるのです。

私がそのことに気がついた文章をご紹介します。

よろしければお付き合いください。



  

  

23日の気づき


  
   
1.人は十分に力を持っているのに、自分を過小評価をして 「無理だ!」 「一人では出来ない!」 と思っている。 

なんともったいないことか!

物事はみんなでやるのではない 一人でやり遂げるのだ

 一人でやっていると周りが応援したくなって 力を合わせたように映るんだ。

人間一人の器は 一つの星(地球)よりも大きく 一つの星を生み出すくらいの力があるのです。

 

2. 「99%は自分がやり あとの1%を目にみえない力で助けて戴いていると思いなさい」 たった1%だけどその1%がとてつもなく大きいのです。 1%が欠けたら それは完成品(パーフェクト)にはならないのです。

 

3. それはその人にとって “素晴らしい個性” なのに それを欠点だと思っている人がなんと多いことか 例えば とつとつと語り 言葉がすぐに出てこない人がいる 自分では 頭の回転が鈍い と思っている(他人から言われたことがあるのかもしれない) それがコンプレックスになっている。 しかしそれがその人の “リズム” なのだ。 丁度いい速度なのだ。

人は新幹線ばかりに乗るのではない ゆっくりと景色を見ながらの生き方もいいものである。


   
 

4.今地球上にいるほとんどの人は、3次元的な職業はほとんど経験している。 

ある人はやっていない仕事は 「トラックの運転手」 くらいなのだそうだ。(何万回も輪廻転生していればそうなるのでしょうね) 

だから この世的な修行は ほぼ終わっているのだ。

 仕事にエネルギーを注ぐのはもういい (必要以上の苦労はしなくていい)

それよりも もっと大きなことに目をむけよ!

それは 地球をどうするか? 宇宙をどうしてゆくか? だ。

「それを考えるのは人間の役割ではなくて 神さまの仕事ではないのか?」

そう これからは 自分が神さま(創造主)だったらどうするか? を

考えてゆくのです。

2013年1月22日 (火)

把われても 把われさせてもいけない

  
人に対してやってはいけないこととは、自分が何かを言うことによって、相手の人がそのことにこだわり、把われ、気にしてしまうことです。

その時の相手の人の状態とは、道路で言えば車が詰まって渋滞しているのです。

人の正常な状態とは きれいな川のように 水が滞ることなくサラサラと流れている姿なのです。

人間とは光の波動体(エネルギー体)で美しく輝くためには光の粒子が流れていなければならない。

エネルギーとは 気 のことなので 病気とは エネルギーが病んでいるのです。

人を把われさせるとは この “病気のような状態” にしてしまっているということです。

恋愛がうまくいかなくなるのは どちらかが嫉妬などによって把われさせているからです。(だから苦しくなるんですね)

自分の言動によって 相手に把われさせていないか? 

それを考えるのが 思い遣り なのです。



  

  

22日のつぶやき

  
最近ずっとつぶやきばかりを書いていますが伝えたいことがたくさんあって、それをまとめて箇条書きのようにすることもありのように思います。

ただ毎日テーマは違っているように感じます。

今日のつぶやきは、私が于先生から調和波動気功法のレッスンを受ける前に隣の部屋で波動調整をしているのですがそこで突然のように心に浮かんだ言葉を忘れないようにノートにメモをしたものです。

家に帰って 読み返してみると 書いてあることがみなさんに 「伝わるのかなぁ?」
 という一抹の不安はあります(笑)。

最近の私の心境は現実から少し離れて 宇宙?へ行っているからです。

肉体から意識が外れているといえばいいのでしょうか

別の言葉でいえば

意識が

目に見える世界と目にみえない世界の中間にいて

そこから両方の世界のことを述べているような・・・・・

わけがわからないですよね(笑)

だから今日のつぶやきは かなり不思議ちゃんです。

意味不明の場合は

スルーしてくださいね。

 


1.3次元(目に見える世界)のことは軽~くこなしてゆこう  こなすとは小成す 小さな成功なのです。 大きな成功、大仕事は目にみえない世界(本当の世界)にあるのです。

 

2.目に見える世界(この世的なこと)で頑張るよりも心を整えることの方がずっと、ずっーと 大切なのだ。 1000人の人にパンを与えるより ほんの一瞬でいいから冷静でいなさい イエス・キリスト


 

3. インターネットには知らなくていい情報、知るとネガティブになってしまう情報がたくさんある うっかり見てしまったら 「見なかったことにしよう」 と捨て去る、忘れ去るくらいのサバサバした性格が必要だ。 インターネットは自分を鍛える ツール だと思えばいい。


 

4.アクションを起こせば起こすほど 嫌なこと 悪いことは起こってくる だから躊躇することもある。 しかし嫌なこと悪いことの中には必ず善いことが含まれている。 善いことが6 悪いことの割合が4だったとしても その4はやがて善いことに変わってゆくのだ。


 

5.教えることが教育ではない 人間には神性が宿っていること  無限の可能性があることを悟らせ 自分の中の内部の力を整えることで どんなことも実現出来るのだということを伝えることが本当の教育なのだ。 教育者とは伝道者なのだ。

 

6. 心の中のエネルギーが整ってくると その後で目に見える世界(3次元)も整ってくる

   心が未来で それが現在に降りてくる (果因説)
 
 


7. 仕事は確かに楽しい面と苦しい面の両面がある。 だから 「仕事とはなんぞや?」 と決めつけなくてもよい。 ただ “苦しい” を “楽しい” に改善してゆくことに意義がある。
 

8. 「働かざる者 食うべからず」 「人は働けるようになって一人前」 の片寄った考えを持った私に ある人が言った言葉 「これから先、長いこと働かなくてはいけないんだから 焦って就職しない方がいいよ  外国にでも行って英語(世界共通語)をマスターしてくればいいんだよ」・・・・なるほど、「そういう考え方もあるんだ」

9. 「落ち着く」 とは意識的に 「落ち着こう」 としなければ落ち着けるものではないのです。 無意識でいるといつも気は上がったままになっている。 風船が宙に浮かんでいると思えばいい 結んでいる手を下げなければ 風船は降りて来ない。


調和波動気功法

http://homepage2.nifty.com/hmwave_goldendoor/
  

http://auraaura7.com/



  

2013年1月21日 (月)

1月21日のつぶやき

  

今日は、私にとってつぶやきデーのようです(笑)。

いくらでも 光明の言葉が湧いて来るのです。

よかったらお付き合いください。

  

1. 周りがどんなに慌てていて、感情的になっていたとしても自分が平常心で落ち着いていたのなら 物事はすべてうまくゆくのだ。心の中の状態が現実に現れる。
  


2. 人から信じてもらいたければ、言葉で自己を強調するのではなく、行動で示すしかない。しかも、のっぴきならない状況での、真摯な行動のみが、人の信に訴えるのだ。(ニーチェ) / 人はふとしたことから心の中(日頃考えていること)が外に出るんですね。だからきれいにしておくことが大切なのです。

 

3. 最悪の状態を想定しておくことと、イメージすることは違う。想定内であれば、もし仮に最悪になったとしても慌てないからだ。イメージは最良の状態、だけど心の準備はしておく。人間は器(思考の幅)を大きくしておくことが大切なのです。
 


4. 「まっいいか」 と適当に生きるのではなく、“丁寧に生きる”ことが大切なのだと思う。

 

5.「自分が強くなること」 それより他に幸せになる道はない。


6. 自分が何かをやろうとしたとき 「自分一人で全部やる」 という覚悟がなければならない。 人に依存したとき、甘えたとき、エネルギーは分散されて成就から遠ざかってゆく 一人でやらなければ 真の自信にはならないのだ。



7. 生まれたときも死んでゆくときも “人間は一人なんだ” と知ることが強く生きてゆく原点になるのだと思う。



8. 宇宙(地球、人間)は99.9999・・・%のプラスのエネルギーで出来ているのに、0.0000・・・・1%のマイナスに意識を合わせてしまっている。そのことに気づき宇宙に意識を合わせるとマイナスのエネルギーは一瞬で消えてしまう。マイナスのエネルギーは人間が勝手につくったものなのです。



9.今現われている現象は、0.0000・・・1%のマイナスが消えてゆこうとしている姿なのです。心乱さず 「消えてゆくんだ」 と見ていればいい するとマイナスは早く消えてゆく そして100%のプラスが顕われて来るのです。
 


10.生活の糧となる仕事はしっかりとこなさなければならないけれど、人生の目的は仕事だけではない もっと大切なことがあります。それを見つけてゆくのが “自分探し” なのだと思うのです。
  
  

11.仕事とはこなすもの、大げさに考えず(ハードルを高くし過ぎないで)たいしたことではないと捉えることが大切だと私は思います。 但し丁寧にこなしてゆくのです。


   
    

 

言葉が世界を変える

   
 
あなたが語る愛の言葉は、真理の法則に則って

  必ず実現化されてゆく。

自分は不幸だとあなた自身に無意識に告げてはならない。

告げなければあなたは不幸になどならないのだ。

今日一日、出会う人すべてに感謝 すべてに有難う。

人類は、神霊の宿った言(光明の言葉)のみを語ることによって

世界を平和に変えてゆくことが出来る。

今現在自分が行なっている言動行為そのものは

人類にとって平和をもたらすものであるか

それとも人類にとって混乱と不調和を生み出すものであるかの

  どちらかである。

たった自分一人の言動行為に過ぎないと思っているであろうが

 決してそうではない

必ず人類に何らかの影響を及ぼしているのである。

たとえその言葉が善なる心

愛の心から出ているものであっても

決して人を縛るものであってはならない

人の自由を狭めるものであってはならない

我々の使用する否定的な言葉はすべて

自己の内なる神を否定するものである。

各国各人が語る言葉は

その国その民族に響いてくる天の音楽だ。



あなたは自分の言葉を通して

その状況、環境を創り出している。

言葉は単なる物事を描写する道具ではない

言葉は現実を生み出す力そのものである。

無駄な言葉、無意味な言葉と利己的な言葉を語ることを慎もう。

否定的な言葉の使用に、そこに限定が生まれ

現実が大きくはばまれる

言葉それ自体は生き物である。

いかなる人の心もみな、真理の言葉を求めている

聞きたがっているのである

この世からマイナスの言葉を死語にしよう。

「出来ない」

「もうだめだ」

「でも」

「だって」

「無理だ」

「不可能だ」

「今度する」

などというマイナスの言葉自体に不運を導く力が潜んでる。

「ありがとう」

「今、すぐしよう」

「必ず出来る」

「絶対大丈夫」

「成就」

「なんて素敵」

「天使のよう」

「神様のよう」

「あたりに輝きを放っている」

「身体中、愛のみの人」

・・・・・・・・

などというプラスの言葉自体に

強力な運を導く力が宿っている。

それが善にしろ悪しきにしろ

すべての言動は自らの信念に支えられている。

難しい言葉は必要ない。

人々の心に光を点す一言があればよい。

刃物で切られたり、事故などにより損傷した傷は治りやすいが

 言葉の刃(やいば)で切られた心の傷は治りにくい。

いかなる状況や環境を招き入れるかは

 自らの言葉、想念、行為で決まる。



すべての人々が平和を思い、平和を語り、平和を行為し

 平和を呼吸しますように。

自らの言葉、想念、行為は限りなく創造的でなければならない

本来、言葉は神聖なるものそれのみであった。

あなたが自分に向かって話す時は

 常に積極的なよい言葉を使うことだ。

    すべての瞬間

私たちは自分の目先の現実を創っているだけでなく

 人類の未来の創造に参画している。

 

  『世界を変える言葉』 西園寺昌美 白光出版





  

 

2013年1月20日 (日)

今日のつぶやき

  

今日のつぶやきは、心がテーマになっているようです。

書き並べてみたらそのことに気がついたのです。

人間は心の持ちようでどうにでもなる

幸せにも不幸せにもなる

このことは昨日もブログに書いたのですが

もうこれしかないように思うのです。

心の中をどこから切っても

なん~にも出て来ない

天気の良いときの青空のように

澄み渡っている

そんな心境でいつもいたいものです






1. チャンスをつかむには、いつも落ち着いた心でいることが大事だ(調和波動気功法セミナーより) 
 

1. 一歩前進が 理想に近づいてゆく (セミナーより)
 

1. 人生は前進あるのみ しかし 過去を見てもいけない 未来を見過ぎてもいけない しっかりと足元を見るのだ (セミナーより)

1. これまで(過去)はどうだったではなく これから(現在 未来)どうするかが大切なのだ

1. 忙しいとは 心を亡くすと書く 心をないがしろにしてまで忙しくしているものは何なのか?立ち止まって考えてみよう

1. どれだけ健康に気を使っていいサプリメントを飲んでいたって心が乱れていたらそれはなんの役にも立っていない 激しい感情は 暴飲暴食よりも 心と身体を痛めるのだ



  

 

2013年1月19日 (土)

心の中がどうなっているかで幸不幸は決まる 2

    
自分が自分をどう思うかによって、幸不幸のすべては決まる

自分が不幸だと思う者は不幸であり、自分が苦しいと思う者は苦しいのです。

自分は束縛されていると思う者は束縛されているのであり、自分は自由だと思う者は自由なのです。

このように、自分は自分の思う通りのものになるのです。

思考しつづけた通りのものになるのです。

これこそが真理であります。

そもそも不幸の原因などないのです。

常日頃、不幸と思い煩うことこそが、不幸を引き寄せているのです。

お金がないから不幸である。 不治の病だから不幸である。 孤独だから不幸である。

成功や繁栄を手にしないから不幸である。 才能がないから不幸である。 不美人だから不幸である・・・・・・。

というように、人類の不幸を取り上げたらきりがありません。

お金があり過ぎても不幸です。 長生きしつづけても不幸です。 健康であっても不幸です。 家族や友人に囲まれていても不幸です。 成功や繁栄を手にしてさえも不幸です。

成功、繁栄、才能・・・・・といったすべてを手にした人を見て、あの人は幸せに違いないと思っても、その人自身が不幸だと思えば不幸なのです。

反対に、何一つ手にしていない人を見て、あの人はさぞかし不幸であろうと思っても、その人自身が幸せだと思えば幸せなのです。

不幸の原因、種など本来、何も存在しません。

人類は皆、平等なのであります。

要するに、自分が自分のことをどう思うかによって、すべてが決まってゆくのです。

何故かというと、それが真理の法則であるからです。

その法則により、すべてが自分の思う通りのものになるからなのです。

日頃、自分が何を思い、何を信じ、何を煩い、何を恐れ、何を心配し、何を躊躇し、何を悩み、何を悲しみ、何を疑い、何を不平不満に思っているか・・・・それによって、自分自身の幸、不幸が決まるのであります。

自分を不幸と思う人は、例外なく自分自身が常に否定的想念に覆われているのです。

究極の真理に気づき、それに目覚めた人は、日頃自分がいかなるマイナスの状況、状態であろうとも、その状況、状態の中で、何らかに感謝し、何らかに喜びを見出し、何らかの希望を抱き、何らかの目的を持って生きています。

そして、人のために自分が何を施し、何に励み、何を学ぶべきかと、常に思いつづけているのです。

内部神性の真理が常に自らの中に燃えつづけているので、いかなる状況にあろうとも、決してそれを不幸とは思わないのです。

いや、思えないのであります。

必ずよくなる。今はそこに至るためのプロセスである。 すべては必ず、もっともっとよくなるに決まっている、と思うのみなのです。




       『世界を変える言葉』 西園寺昌美 白光出版



  

心の中がどうなっているかで幸不幸は決まる 1

  

先日書いた 「座右の銘にしたいのは」 の中でマツコ・デラックスさんの

 
5位  自分が幸せかどうかは、自分で決めるしかないのよ   マツコ・デラックス(タレント)

という言葉がありました。

私は、この言葉に引き寄せられたのです。

それは、私自身が最近ずっと 「幸せだなぁ」 と思っているからです(笑)。

それは、現実や現われてくる現象がハッピーだからではなく

心が安定し、落ち着いてきたからだと思うのです(自分で言うのもおかしいですが)

今までは、何かがあると、そして人と接していると “不幸だ” “嫌だ” “嫌いだ” “損している” “あいつが憎い” “ああ腹が立つ!” ・・・・・・・・などというネガティブな言葉が私の心を覆っていたのに

最近では同じようなことがあっても不思議とこれらのマイナスのネガティブな想念がほとんど私を襲って来なくなったのです。(完全とはいえませんが)

だから精神状態が良好なんですね♪

「あれっ感情的になっていない自分がいる」

以前の私だったら怒り心頭で相手を責め、それが出来ないと自分を責めていたのに・・・・。

いつからそうなったのかはわからないのですが

これが非常に嬉しいのです。

物質的に満たされることの喜びは、すぐに消えます。

しかし精神的な喜び、嬉しさ(幸福感)はずっと持続するのです。

「幸せだなぁ 幸せだなぁ 幸せだなぁ 幸せだなぁ 幸せだなぁ 幸せだなぁ 幸せだなぁ 幸せだなぁ・・・・・・・・・・」

単純かもしれませんが

幸せって そうなんだと思うのです。

自分が幸せと思うのであれば

それでいいんじゃないか って

そんな心境のときに

タイムリーな本に出会いました。

みなさんにも

私のオメデタイ 幸せ感を実感していただきたい

想い(心の中)が幸不幸を決める

そのことをお伝えしたいのです

 

2013年1月18日 (金)

仕事の心得

  
  

日々仕事をしていると同じところで引っ掛かって、つまずいているんですよね。

例えば、同僚でサボっている人を見て

「あいつ、またサボっている頭にくるなぁ」

と感情的になってしまう。

そこで

「そうそう、人のことは気にしないで自分の仕事に集中していればいいんだ」

と思い直すのですが

毎日、何かあって自分に還る(内省する)

なにかが起こって心が乱れて、あっそうそうそうじゃないんだ と反省し

平常心に戻る。

毎回同じことの繰り返しで ほとほと

いやになります(笑)

自分で自分のことを

「いい加減で学習しろよ!」

と思うのです。

そこで自分で自分だけの

仕事の心得を作成してみました。

私だけの心得なのでみなさんにはピンとこないかもしれませんが

こうして紙(ノート)に書き出してみると

新しい発見もあるし

心にインプット(刻印)するので

気づくのが早いと思うのです。

仕事の前に読みかえしてみるのもいいかもしれません。

よかったらお付き合いください。

  
  

仕事の心得 14カ条

1. 人の2倍働く (3倍働ける人は挑戦してみてください)

2. 仕事に集中する (仕事中はプライベートなことは考えない)

3. 人と比較しない (あの人は自分より仕事が出来るだとか出来ないだとか)

4. 仕事の精度を上げてゆく (昨日よりも今日進歩するように)

5. 出来うる限り明るく陽気に振る舞う (職場を明るくする)

6. この仕事が役立っているんだとイメージする (職業に貴賎はない)

7. 俯瞰的に大局的に自分の仕事を観る(客観視する)

8. あわてない、気を鎮めて 丁寧に (丁寧にすることが結局早いのです)

9. 時間を無駄にしない(暇なときには何か出来ることを探す)

10. はたを楽にするにはどうしたらいいか? を考える (ありきたりですが)

11. 他の人の仕事も出来るように準備しておく (仕事はチームワーク)

12. 仕事とは、楽しい面と、しんどい、苦しい面の両面あると思え!

13. 改善点を見つけ実行してゆくのが仕事なのだ! (私はそう思っています)

14. 仕事に感情を持ちこまない、感情的にならない、人の言うマイナスを自分の中に入れないように意識する (これが一番難しいかも)

                     以上

   

 

人間は感動するために生きている


    

今朝、youtubeで伏見工業高校ラグビー部のドキュメントを観た。

京都一の悪(わる)の高校をラグビーで日本一にした原動力はなんだったのか?

人はどんなときにすごい力(奇跡)を出せるのか?

それは感動することによって、力が一つに集中することに他ならない。

名門花園高校にボロ負けしたときに、山口監督は心から悔しいと思った。

そして悔しいだけではなく

「自分は生徒たちに何をしてあげただろう?」 と自問自答した。

何もしていなかった自分に腹が立った。

そして生徒たちに

「申し訳ない」

という気持ちでいっぱいになった

すると大粒の涙がこぼれてきた

試合が終わって帰ってきた子どもたちに

泣きながら

「ご苦労さん、ケガはなかったか? 悔しかっただろうな」

と気遣った。

心が通じた瞬間だった。

一番突っ張っていた生徒が泣き崩れた

そして、部員全員が泣き崩れた


「先生、俺たちを花園に勝てるようにしてくれ!」

そこから伏見工業の奇跡の快進撃が始まった。

私はスポ根(スポーツ根性もの)は、好きではないのですが

この番組(プロジェクトX)には感動しました。

そしてなぜ自分がこの番組を観て感動したのか?を考えてみました。
 

私は喜びが感動に変わるのだと思っている。

  

1. 自分のことを思ってくれる人がいることを知った喜び

2. エネルギーを注げるものを見つけた喜び

3. 仲間と感情を共有する喜び

4. 監督のために頑張ろうというモチベーションを持てた喜び

5. 努力が結果に結びついてくるという喜び

6. 自分が変わると周りが変わるんだと知ったときに喜び

7. そして感動する喜び
  

喜びとは単一のものではなく、いろんなものがミックスされ、ほとよくブレンドされたものなのだ。

人はこういう心境を幸せというのだと思うのです。

インターネットでネットサーフィンしていたところ(笑)

思わぬところで感動をいただけました。

私はネットをあまり評価していませんでした。

善いもの(善い情報)よりも悪いもの(悪い情報)の方が多い。

ポジティブなものより、ネガティブなものの方が多い。

だからあまり普及しないで

役割を終えたら(世界が一つになったら)

早く無くなればいいんだ

と思っていたのです。

でもそれは私の偏見だったようです。

感動(幸せ)は

どこにでもあるのだと・・・・・・・・・。

伏見工業(NHKプロジェクト X 1~5まであります)

http://www.youtube.com/watch?NR=1&feature=endscreen&v=aJDn-qZ3KcY



  

2013年1月16日 (水)

座右の銘にしたいのは 2

   
 

3位  一度地獄を見ると、世の中につらい仕事はなくなるんです。苦しい経験を若いうちにするからこそ、得られるものもある  池上彰(ジャーナリスト)

4位  成功の反対は失敗ではなく、 「やらないこと」 だ   佐々木則夫(サッカー日本女子代表監督)



5位  自分が幸せかどうかは、自分で決めるしかないのよ   マツコ・デラックス(タレント)

6位  何かを捨てないと前に進めない   スティーブ・ジョブズ(アップル創業者)

7位  家をきれいにする、約束を守る、お礼の手紙を書く、そういう基本をきっちりと続けることが、自分の型の基本をつくってくれたと思っています  笑福亭 鶴瓶(落語家)

8位  あきらめたらそこで試合終了だよ  マンガ 「SLAM  DUNK」 (井上雄彦著)

9位  この世に生を受けたこと。 それ自体が最大のチャンスではないか   アイルトン・セナ(F1レーサー)

10位  いちばんいけないのはじぶんなんかだめだと思いこむことだよ   マンガ 「どらえもん」 (藤子・F/不二雄著)

    日経プラス1 何でもランキングより  (2013年1月12日朝刊)




補足

1位、2位がないのは、私にはあまり響かなかったからです。(書き忘れではありません)

この名言の中で一番響いたのは鶴瓶さんでした。 当り前のことを当たり前にする、とくにお礼の手紙を書くというのは今まで私はしたことがほとんどありませんでした。しかし “想いをカタチ” にすることは大切です。

カタチにすると伝わるからです。 思っているだけ、考えているだけでは伝わらない。

基本とは、大切なことをカタチに現わすことだと思うのです。


  

 

  

座右の銘にしたいのは 1

   
昨日書いた「就活頑張ってください」 には、落ち込んだとき元気になるには、と仕事にやる気が湧いてくるのは、の他に座右の銘にしたいのは、があったのです。

昨日、書ききれなかったのでここでまたご紹介します。

ところで、みなさんには一生の目的にしているような、いつも心に秘めている特別の言葉、名言、格言などがありますか?

その言葉とは、本の中で見つけたり、ドラマの中の誰かの台詞であったり、尊敬する人の言葉だったり、現実に会った人の言葉であったり、今はマンガなどの影響を受けている人が増えているそうです。

きっかけはなんでもいいと思うのです。

みんななにかを自分の目標にしたいと思っている。

心のより所になって、その言葉を唱えると

心が高揚し、気持ちが新たになり、洗われたようになる

私は毎年新年に、 “新年の指針” といいまして、その年の自分の方針となるべき言霊の書いたおみくじを引きに行っています。

何万枚ものたくさんの言葉が書かれたおみくじから、たったの2枚を選ぶのですが、なぜかそのときの自分にとって、とても大切なことが書かれているのです。

今年の指針にはなにが書かれていたか?

それは

『非難を笑い捨てることが出来る位の大物の器になりなさい』

だったのです。

私の中で衝撃が走りました。

そこには

まさしく自分がなりたかった姿そのものが書いてあったからです。


人はみなそうだと思うのですが、他人から攻撃されると自分を守ろうとする、そして過剰防衛をして相手を攻撃したり、または相手と一緒になって自分を責めてしまうのです。

そして後味の悪さだけが残る。

もっと大きな人間になりたい

どんなことを言われても、非難されても

サラッと流せるようになりたい

不動心になりたい

感情を超えたい

それが私の長年のテーマだったのです。

だがしかし

なかなか克服出来なかった

それが今年の指針の中に書かれていたのです。

私は、非常にプラス思考な人間なのですが(最近そうなりました)

ここにもうすでに書かれているということは

もう自分では クリア(卒業) 出来たことなんだと思ったのです。


実は、最近非難されることがあったのですが

自分でも不思議なほど冷静でいられたのです。

抵抗しなかった

腹も立たなかった

心臓もパクパクしなかった(笑)

自分でも不思議な心境でした。



本当に嬉しい瞬間(とき)とは

以前よりも成長している自分に

出逢えたときです。

“自分で自分を褒めてやりたい”


自画自賛は気持ち悪いけど

たまには自分で自分のことを認めてあげるのも

必要だと思うのです。

これからも

いろんなことに挑んでいきたいと思っているので

きっと非難、批判、悪い評価をされることもあると思います。

そんなときに

取りみだすことなく

笑い飛ばすのではなく 

笑い捨てることが出来るように (捨てるというのは感情を掴まないということです)

精進していきたいと思います。

では、長くなりましたが、私の心に響いた著名人の座右の銘を次の日記でご紹介します。


    

2013年1月15日 (火)

就職活動頑張ってください。

    

今は、就職活動を略して就活(しゅうかつ)と言いますが、私の息子も去年の12月から就活をしています。

かなりナーバスになっています。

「そんなことで悩まなくてもいいよ」

「自信を持てばいいんだよ」

 とは言ってはみても、経験のない本人にはピンとこない。

アドバイスをし過ぎてもいけないし、かといって放っておくことも違うと思うのです。

大人の私が経験してわかったことは、教えてあげるのが大人の責任だと思うのです。

しかし、自分で考えて悩むのも大切です。

先日帰って来た息子に

「迷うことと悩むことは違う」

「迷うのは出口が見つからないところをグルグル廻っているだけで答が見つからない」

「でも悩むのはいいんだ、悩むのは前を見ているからいつかは答が出る」

「だから迷っているのか?悩んでいるのか? もし迷っているのならそれを悩みに変えてみなさい」

そんなアドバイスをしたのですが

本人はわかったような、わからなかったような(笑)

そんな様子でした。

なにか的確な助言は出来ないものか?

それも親の言うことは素直に聞けなくても他人の言うことは

スーッと入ってくることがある。

そんなときに日経新聞に
 

落ち込んだとき元気になるには

仕事にやる気が湧いてくるのは

というタイトルで有名人の言葉が載っていました。

一緒になって心配している妻がこれを読んで

「この記事送ってあげようか」

と親バカぶりを発揮し

「そんなもの自分で新聞を買えばいいんだよ」

と切り換えしたのですが

ヒント(答)とはふとしたことから得ることが出来るのです。

就活している人たちだけでなく、仕事を長年している人たちも

「自分はなんのために仕事をしているのか?」

「人生とは、仕事とはなんなのか?」

考えてみるのもいいと思うのです。

私が心に響いた言葉をいくつか抜粋してみました。

よかったらお付き合いください。

  

落ち込んだとき元気になるには

1位  人はそれぞれ事情をかかえ、平然と生きている  伊集院静(作家)

1位  ベストを尽して失敗したら、べストを尽したってことさ スティーブ・ジョブズ(アップル創業者)

5位  前向きにもがき苦しむ経験は、すぐに結果に結びつかなくても、必ず自分の生きる力になっていく   落合博満(元プロ野球監督)

9位  反省することは反省する。でも一度寝たら忘れる 古田敦也(元プロ野球選手)

9位  きみはこれからも何度もつまづく。でもそのたびに立ち直る強さももっているんだよ。  マンガ 「どらえもん」 (藤子・F・不二雄著)


 
 

仕事にやる気が湧いてくるのは


 

2位  「仕事はナメてかかって、真面目にやれ」と思っている。俺は、どの仕事もそうしてきているんです テリー伊藤(演出家)

3位  自分を少し抑えて、肩の力を抜けば、仕事は長続きする 関根勤(タレント)


5位  一人一人が自分の仕事をきちっとこなすこと。この個人プレーの連携が、真のチームプレーなのだ    松尾雄治(元ラグビー選手)

6位  小さいことを積み重ねるのが、とんでもないところへ行くただひとつの道だと思っています イチロー (プロ野球選手)

8位  私は仕事したな ━ って思って死にたい マンガ「働きマン」 (安野モヨコ著)

9位  モチベーションという概念は、希望につながっていなければならない 村上 龍(作家)

10位  弱気は最大の敵    津田恒実 (元プロ野球選手)



 
2013年 1月12日(土) 日経プラス1 より



  




  

2013年1月14日 (月)

14日のつぶやき


いろんな人と話をしていて思うのは、みなさん真面目で自分の欠点?を必要以上に意識をし、そこを直そうとしてナーバスになったり自信を無くしているということです。

特に若い人に多いですね。

反対に歳をとると開き直って

「私はそんな性分なのよ」 とつっぱっている。

それもどうかと思うけど

自信がないというのは本当にもったいないのです。

そこに意識を向けずに

「君にはこんなに素晴らしいところがあるんだからそこを伸ばしていけばいいんだよ」

と言いたくなるのです。

その人の言う

“自分の欠点” とやらも私から見たらたいしたことではない。

それも欠点ではなく

むしろ

その人の個性であり

いいと思うことが多いのです。

そこで

「そんなことないよ、それでいいんだよ」

と言って励ますのですが

きょとんとして

「そうなのかなぁ」

と首をかしげている。

周りの人からその欠点とやらを指摘されたのか?

褒めてもらうことが少ないのか?

人は長所よりも欠点?(本当はそうではないのに)に目が向いている。

みんなもっと自分のことも他人のことももっといい所を見つけて認めてあげて褒めてあげればいいのに

そう思います。

そうすればみんなが幸せな気持ちになれる。

言葉をポジティブにするだけでみんなが幸せになれるのです。

 




1. 相手にどう想われたいかはいらない、しかし自分がどう想われているかをチェックする必要はある。

 

1.人を救うというのは、自分がスッキリして軽くなり、たくさんの重たい荷物を持ってあげれるようになることなのです。

 

1.しゃべるのが苦手な人は、聞き上手になればいい。聞き上手は話上手に負けないくらいの素晴らしい能力なのだ。
 


1. 誰も見ていないところで悪いことはいくらでも出来るだろう、罰も当たらないだろう?だがしかし、それをしないのは、してしまったことがいつまでも心の中に残ってモヤモヤするからなのだ。人間はスッキリ爽やかで心が晴れている状態が一番幸せなのだ。

 


1.苦手なことを克服しようとするより、長所を伸ばす方がずっと簡単である。長所が伸びるといつの間にか短所がなくなっている。


  

 

2013年1月12日 (土)

世界を変える言葉


  
自分の心はコントロール出来ないけれど、他人の心(気持ち)はコントロール出来ないと松井秀喜(元大リーガー)さんは言っていましたが

私は、自分が発する言葉で相手の人は変わると思うのです。

私は、自分がポジティブな、相手の人が喜ぶような言葉を発したことによってその人の中の本質のようなもの(エネルギー)が瞬間変わったことを何回も経験しています。

それも歯の浮いたようなお世辞ではなく(笑)

心からそう思っていなければならないのですが、誰にでも良いところ、素晴らしいところはあるもので、その部分を自分の心の中で大きくして、より素晴らしいものに発展させて(イメージして)、伝えてあげればいいのです。

その人は、自分でも気づいていないことが多いのです。

自分の良いところが自分でもわかっていない。

これって非常にもったいない、不幸なことだと思うのです。

宝の持ち腐れです。

そこを

さりげなく

「あなたは○○なところが素晴らしいね!」

と言うのです。

するとその人の奥の光が、小さかった光が突然、閃光のように輝きはじめるのです。

そしてその人は自分のことをわかってくれるあなたに好意を抱きはじめる(意図的に恋愛に使わないでください(笑)。)

人によってそれが出来る人と出来ない人があると思います。

家族や身内、親しい人には、なかなか言い出せない。

しかし、勇気を出して

「えいッ」

と気合いを入れて

言ってみてください。

きっと幸せのエネルギーがあなたの周りに充満して来ます。


人は言葉によって幸せにもなれるし、幸せにすることも出来るのです。


  

  

「私は、心からあなたを必要としています!」

「私は、あなたを頼りにしています!」

「あなたは、私にとって必要な人です!」

「あなたは、素晴らしい人です!」

「あなたは、聡明で明るい人です!」

「あなたは、優しくて親切な人です!」

「あなたは、美しい人です!」

「あなたは、頭が良い人です!」

「あなたは、美しい人です!」

「あなたは、優秀な人です!」

「あなたは、気前のよくて寛大な人です!」

「あなたは、心の温かい人です!」

あなたの子どもたち、夫または妻に、このようなポジティブな言葉をたくさん伝えてください。 すると、彼らは瞬く間に、これらの言葉のとおりになってゆくのです。

常に、あなたの子どもをほめて、賞賛してください。 常に、あなたの父と母をほめて、賞賛してください。

常に、あなたの友人や知人、あなたの隣人、そしてすべての人々をほめて、賞賛してください。

常に、怒りの言葉を語らず、それを遠ざけてください。

常に、嫉妬の言葉を語らず、それを遠ざけてください。

常に、苦しみの言葉を語らず、それを遠ざけてください。

常に、悲しみの言葉を語らず、それを遠ざけてください。

今、人類を代表して、私たち一人一人が出来ることは、常に明るい言葉、希望に満ちた言葉を語ることです。

そうすれば、これから生まれてくる子どもたちは、輝きに満ちた世界の中で、それぞれの人生を育むことが出来るのです。

       「世界を変える言葉」 西園寺昌美 白光出版



 
  

2013年1月11日 (金)

今日のつぶやき


今日のつぶやきの中で特に印象に残ったのは、マザーテレサさんの

 「愛の反対は憎しみではなく、無関心です」

です。

人は愛が薄くなると壁をつくってしまう。そして顔を合わせても挨拶もしなくなる。会話が無くなる。 疎んじるようになる→無関心になる。

そうなると、人は孤独を愛するようになる。

私は一人でいるのは好きですが、孤独を愛するのと一人でいることを愛するのは、違うのです。

星は、群れずに一人?で輝いています。

人間は、生まれて来るときも、死んでゆくときも一人です。

しかし 孤独ではない。

星は 孤独でさびしいように見えるけれど そうではない。

絶妙な間隔、距離を保ちながら 他の星と調和しているのです。

どの星が欠けても 宇宙のバランスは狂ってしまう。

なくてはならない存在・・・・・。

そして宇宙はつながっているのです。

空が一つであるように

宇宙も一つなのです。

そして、私たち人間もみんな一つの光でつながっているのです。

相手を無視する、無関心になるというのは

調和とは正反対のこと

壁をつくっているのです。

愛とは合い、相 と書くように

一つになるということです。

一つにならなくて 分かれてしまうこと

それが 無関心なんですね。

淋しそうにしている人がいたら

そっと声をかけてあげる

そんな思い遣りのある

世の中になって欲しいですよね。

 






1.人生は飛行機に似ていて、途中がどんなによくても、着陸に失敗すれば、全ては無に等しい。人間は常に、やがてやってくる着陸のことを考え、悔いのない、真に人間らしい生き方をすべきだ。(本田宗一郎)/ 着陸(ゴール)をイメージして、日々コツコツ前進してゆくのが果因説なのです。

 
 

1.「夢をつかむこと」というのは、一気にはできません。 小さなことを積み重ねることで、 いつの日か、 信じられないような力を出せるようになっていきます。(イチロー) / 私がネットビジネスが好きになれないのは、簡単に稼ごうという姿が見えるからなのかもしれません。

 


1.人の悪口は絶対に口にするな。人にしてあげたことはすぐ忘れろ。人にしてもらったことは生涯忘れるな。(石原裕次郎) / この人は「人の悪口を言わない人なんだろうなぁ」という人はなんとなくわかるのです。そういうオーラが出ているんでしょうか?



1.勝とうが負けようがどっちでもいい。平気なんだ。勝って結構、負けて結構。ただ、完全燃焼、全力を尽くす。僕はそういう主義を貫いている。(岡本太郎) / 勝ち負けにこだわっていては、プロセスを楽しむことは出来ない。結果は一瞬であり、プロセスは長い。長い方を楽しんだ方が幸せになれる。

 

 

1.仕事もプライベートなことも、「こんなこと大したことじゃない、いのちまで取られることはない」と腹をくくれば、たいがいのことは思ったよりも簡単に乗り越えられる。要は、ハードルを高くしないで、低いとイメージすればいいのだ。

 

 
1.「愛の反対は憎しみではなく、無関心です」(マザーテレサ)

 


1.勝とうが負けようがどっちでもいい。平気なんだ。勝って結構、負けて結構。ただ、完全燃焼、全力を尽くす。僕はそういう主義を貫いている。(岡本太郎) / 勝ち負けにこだわっていては、プロセスを楽しむことは出来ない。結果は一瞬であり、プロセスは長い。長い方を楽しんだ方が幸せになれる。




  


  

2013年1月10日 (木)

親子の絆

 

テレビを観ていて私が一番感動するのは、やはり親子の情が絡んだものですね。

今日も、7年間会話をしていなかった父娘が心を開くという番組をやっていました。

些細なことからけんかになって会話が無くなる。

これではいけないと思いつつも、お互いに自分からは扉を開けようとはしない。

そしてそれがいつの間にか当り前のようになってしまう怖さ・・・。

21歳になった娘は、父との和解を望み

それでも自分ではどうしても切り出せないので テレビ番組の力を借りてなんとかしようとする。

芸人の浅越ゴエさんが仲介役で両親の家に、「となりの晩ごはん」 という即席の番組を作って訪問し、父親と打ち解けたところで娘が登場する。

「あのときは、ごめんなさい」(7年前のこと)

という娘さんに

「ありがとう よく言ってくれた」

と感謝する父

もうダメですね(笑)

もらい泣きしました。

完全に感情移入してしまいました。

私も息子とうまくいかなくなって3年くらい口を利いてもらえなかった時期がありました。

これではいけないと思いつつも

自分からは切り出せず、そのうちに

「これでいいんだ」 と思うようになっていった。(番組の父娘と同じです)
  

そんなときに

“ある人” から

「それでほんとにいいんですか?」

と聞かれ

「息子が私に壁を作って心を開いてくれないのです」

と答えると

「壁を作っているのはあなたです」

と言われて

ハッとしたのです。

原因は相手にあるのではなく

すべては自分にある。

そのことに気づいた私は

自分から話しかけ、心を開いていった。

実は、今週の土曜日(12日)に

高校の後輩と、同級生のやっている串あげ屋さんに飲みに行くことになっているのです。

後輩は大手の求人(リクルート)関連企業に勤務しています。

そこになんと、息子が同席するのです。

息子は今、就活の真っ最中です。

自分の進路のこと、将来のことを真剣に考えている。

帰省した際に仕事のことについて話し合ったのですが、私がその後輩と飲みに行くという話をすると

「その人に会わせて お願い!」

と言ってきたのです。

雇用側や企業側が新入社員になにを求めているのか?

どういう人材を求めているのか?

等、いろんなことが知りたいのだと思うのです。

後輩に

「話を聞いてやって欲しい」

と言うと

「私でよかったら」

と心良く応じてくれました。

私と後輩

そして息子が

私の友人のお店で語り合う (友人も話に加わってくると思います)

断絶していた数年前には想像も出来なかった

シュチエーションです。

あのとき

心を開いていってよかった

本当にそう思いました。

そしてテレビの場面と自分が重なったのです。

だから 余計に沁みました。

娘さんは偉いですね(笑)。

本当は大人であるお父さんにやってほしかった。

でも、そんなことはどうでもいいですよね。

勇気のある人がやればいい。

大げさかもしれませんが

勇気が奇跡を起こすのです。

自分という我を捨てて

相手と一体となる。

素晴らしいことだと思います。

私は、私に勇気を与えてくれた 背中を押してくれた “ある人” に

感謝するのです。



 

「無限なる勇気」 于寿明 星湖舎



  

 

 

2013年1月 9日 (水)

今日のつぶやき

  
  
私たちは、現実世界ともう一つ、バーチャルな世界(電脳世界、インターネットのこと)にも同時に生きるようになってきた。(ネット世界に関わっていない人もいますが)

昔は、現実世界だけだった、だから現実をしっかりと生き、その奥にある目にみえない本当の世界(神界)に意識を向けることが出来た。

だから、私たちは、この3つの世界を生きていることになるのです。

そういう意味では、かなりややこしい(笑)時代にいることになります。

私はここで、自分を客観的(俯瞰的)に観てみたいと思うのです。

そしてこの3つの世界にどう向き合っていけばいいのか?を考えてみたいと思います。

今日、ノートに走り書きした文章があります。

わかっていただけるかはわかりませんが、このことをお伝えすることは大切なことだと思ったので転写したいと思います。

その後で、最近書いたツイート(つぶやき)を掲載します。よろしくお付き合いください。

 

本当の世界、現実世界、バーチャルな世界があり、私たちは今、現実世界に生きている。

しかし、私たちが住んでいる、現実だと思っている世界は本当の世界のごく一部(氷山の一角)であり、本当の世界とは、目には見えないが、私たちの心の故郷なのです。

だから、ここでいう現実世界とはやはりバーチャルな世界なのです。

ただ、現実世界を真剣に生き、一生懸命に生きていると本物の世界が見え隠れしてくる。

もっと深く入ってゆくと、そこは神界(本当の世界、宇宙)につながっているのです。

本当の自分とはそこにいるのです。

仮(肉体)の自分が本当の自分だと思い現実世界で生活し、生きていると思っているが、そうではない。

肉体が無くなる(死ぬ)と本当の世界へと帰ってゆくのです。

現実世界は、仮の宿なのです。

次元上昇するとは、人間の意識が向上し、目にみえない本当の世界のことがわかるようになるということです。

それとは全く真逆の世界が幻想の世界、迷いの世界です。(幽界ともいう)

インターネットとは、現実と幻が交錯している世界であり、自分をしっかり持っていないとバーチャルな世界へとさ迷ってしまうのです。

賢い人は、その世界に踏み入らず(深入りせず)、現実世界に集中している。

そして、本当の自分を探すため、精進しているのです。

  


1.自分が変われば、相手が変わる。相手が変われば、家族が変わる。家族が変われば、社会が変わる。社会が変われば、国家が変わる。国家が変われば、世界が変わる。世界が変われば、地球が変わる。地球が変われば、宇宙が変わる。(西園寺昌美)

2.電脳(ネット)世界は、あくまでも現実世界を充実させるために少しだけ利用するだけのもの、現実世界が上手くいっている人は、ネット(バーチャルな)の世界に入る必要はない。あくまでも現実が主でネットは従、それを履き違えてはいけないのです。


3.人間とは本質的に、群がることを欲するのか? それとも自分一人の時間を欲するのか? 私は人間とは、群がる(つながる)必要があるときには、つながればいいけど、そうでないときは、適当な距離を置いている方がお互いに気が楽だと思うのです。人間とは本質的に一人で居ることが好きなのです。


4.浮気というのは、現実世界であきたらず、又は刺激を求めて、バーチャル(仮想世界)への逃避である。だから相手は誰でもいいわけで、時間が経つとどちらかが目を覚ます。本当の愛とは相手を目覚めさすことであり、バーチャルな世界に入り浸るとどちらもダメになってしまう。


5.みんなから慕われて人望のある人とは、誰にでもわけへだてなくやさしく接することの出来る器の大きい人のことである。




  

2013年1月 8日 (火)

調和波動気功法とは?

 

ここで私の実践している、調和波動気功法についてご説明したいと思います。

前に日記で病気の原因を書きましたが、人間の体も心も波動体、エネルギー体であると考えれば、どうしたら病気が治るか?はすぐにわかるのです。

それがわからなかったのは、心の面をおろそかにしていたからです。

“病は気から” といっておきながら、気をおろそかにしてきた。

体(物質)ばかりに意識(神経、気持ち)がいっていたのです。

もちろん、体も大切です。

しかし、心はもっと大切です。

この2つのバランスが見事に取れたとき

人間は、自分(人間というもの)の素晴らしさに気づくのだと思います。

ここで私が師事していたW先生のお言葉をご紹介したいと思います。

現役のお医者様であり、調和波動気功を広められた私の恩師です。





波動気功(調和波動気功法)とは、中国古来より今日まで伝えられている二千数種類ともいわれている気功の一つであり、また、その範囲をこえたものであります。
 
非常に奥の深いものであり、また一方、誰にでも出来る簡単なものでもあります。
 
この気功は独自の呼吸法・リラックス法・イマジネーションによって自己の気と天地の気を共鳴させ 「和」 のパワーを引き出します。
 
言葉をかえれば自己と宇宙の調和、自己と他の調和、すべての調和です。
 
病気になる一番の原因は、自分を責める、卑下する、あせること、マイナスの精神波動を出すことなのです。
 
人間は、宇宙からの生命エネルギーによって生かされているのですが、
 
マイナスの精神波動を出すことにより気の流れが、とどこおってまいります。
 
そうしますと、そこに不調和が引き起こされ病気のような状態となって現われてくるのです。
 
 「病は気から」 と申しますが、その通り気のもので人に頼っているうちはなおりません。
 
病気はまず、自分自身の気で治すものです。それが気功であるわけです。
 
ですから、私たちは、いつも明るいプラスの精神波動を出すことが最も大切な事であるということを認識しなければいけません。
 
常に気を流し、明るい波動を出し続け、物事に感謝していくという心がけが大事なわけです。
 
そうしますと、人間に本来、備わっている自然治癒力が高まり、回復が早くなってゆくのです。
 





気功とは何ですか? 

幽気、霊気、神気の気の働きであり、神様の働きである。

日本語の「気を付けて」は英語で「Good bye」=「God by you」であり、スペイン語で「Adio’s 」の dio’s は神の意味である。


「気」とは神の意味である。




  
   

流れをよくしましょう。


風水(ふうすい)というのは、読んで字のごとくで、風の流れ、水の流れです。

それらの流れをスムーズにすることでエネルギーが流れ

滞っていたものが動き出す。

家にこもって勉強をしていたり、考え事をして煮詰まっているときに

部屋の窓を開けたり、気分転換に外に出たりすると

気持ちがスッキリしてくるのは

鬱積(うっせき)していたエネルギーが流れ出すからなのです。

病気もそうですよね。

気(エネルギー)が病んでいる。

だからエネルギーが流れるようにしてやれば病気は無くなるのです。

いつもスッキリ爽やかさんに病気の人はいません(笑)。

病気の原因は、どれもエネルギーが滞っていることであることがいろんな観点からも説明出来るのです。

食べ過ぎると、腸に食べ物が詰まって血流が悪くなる。

考え過ぎると、想いが溜まってストレスになり、心が重くなる。(想いは重い)

癌と言う字が三つの口で山のように食べると書くように

食べ過ぎも考え過ぎも、エネルギーの流れを悪くするのです。

目に見えるもの、みえないものすべては

エネルギーなのです。

エネルギーを漢字で書くと波動になります。

人間は心が波動(細かい粒子)で体が波動体(粗い粒子)なのです。

ところがほとんどの人間は自分が細かい粒子の、光の波動体であるとは思っていない。

だから波動の粗い肉体(物質)ばかりに意識がいっているのです。

意識を天(宇宙、本心)に向けると

宇宙と共鳴して

宇宙からのエネルギーが入って来て、突然正常に波動が動き出すのです。(健康体になる)

そして直観でいろんなことがわかってくる。(頭でどうのこうの考えなくても)

それが本来の人間の姿です。

そのためには、心と体のエネルギーを整えることが大切なのです。(これを波動調整という)

体を常に柔らかく保ち、ストレッチなどで血の流れを良くする

心をすっきりとさせる (考え過ぎない、思い詰めない)

この2つのバランスを整えることが本当のバランス感覚なのです。

縦は、宇宙から入って来るエネルギー

横は、3次元(目に見える世界)を整えてゆくエネルギー

この縦横十字のエネルギーをバランスよく整えてゆくことが大切なのです。

人間の姿はこの十字になっているのです。(キリストの十字とはそういう意味です)

エネルギーをスムーズに流すにはどうしたらいいか?

人間はそれだけを考え?ていればいいのです。

宇宙は、とてもシンプルなのです(笑)。



調和波動気功法 于寿明 三晃書房

無限なる癒し 于寿明 星湖舎

無限次元への誘い 于寿明 星湖舎

無限なる幸せを体得する方法 于寿明 星湖舎

無限なる勇気  于寿明 星湖舎




2013年1月 7日 (月)

デフレで何が悪いのか?


これは私だけの個人的な考えかもしれませんが、今の日本の経済状況は決して悪くはないと思うのです。

確かに、消費が冷え込んで、お金が循環しにくくなっている。

デフレスパイラルになっている。

失業者や倒産する企業も増えている、個人所得も減っている。

しかし、一方では、お金を慎重に大事に使い、無駄な物や贅沢な物を買わなくなっているのです。

日本本来の物を大切にする、節約をする、やりくりをするという、お金をコントロールするようになって、以前より人間らしくなっていると思うのです。

これを無理やりにインフレを作ってしまうと(お札を大量に刷ると)お金や物を雑に扱ってしまうのではないか?という危惧があります。(物やお金の値打が下がって)

1500、1600兆円といわれる個人資産を、溜め込んでいるお金を将来の心配をしないで使えるようになることが一番自然だと思うのです。

未来への不安が無くなって、「宵越しのお金」 を持たずに、稼いだお金を安心して使えるようになって、「金は天下の回りもの」 になれば、滞っていた日本経済は一挙に解消されるのです。

私は、お金や物が大切に扱われる時代が本物の時代だと思うのです。

ただ、お金の循環が止まってしまってはいけない。

止まっている原因とは、将来への不安です。

不安が解消されて、今よりも少し、お金が循環する経済

それが理想の経済状態ではないでしょうか?(もう高度成長の時代は終わったのです)

若い人がお金を使わなくなった。

少ない収入でも、節制してやりくり上手になるというのは素晴らしいことだと思うです。

今日、こんな記事を見つけました。

みなさんはどう思われますか?




「最近の若者はお金を使わない」と言われて久しい現在。バブル期には大学生が外車を乗り回したり、デートにシティホテルを利用するなんてことも珍しくなかったが、いまなら「それってどんな大富豪?」という感覚が多数派のはずだ。ときには「若者が上の暮らしを目指さないから景気が低迷するんだ」と嘆く年配層もいるが、しかし、お金を使わないのは、そんなにいけないことなのだろうか。

元記事はこちら

 先日発売された『年収150万円で僕らは自由に生きていく』(イケダハヤト/講談社)は、そんな「お金持ち=幸せ」の図式を否定し、“お金がなくても十分幸せに暮らせる”という「脱お金論」を展開している本。著者は、いま働き盛りの“ハチロク世代”にあたり、ベンチャー企業で新規事業を立ち上げながらも「お金のために働いている自分」に違和感を覚えてフリーランスとなった経歴の持ち主で、アルファブロガーとしても知られる人物だ。

 まず、本書が主張するのは、「(単身者ならば)200万円もあれば余裕で生きていけるのに、年収400万円を稼ぐために毎日心身を削りながら、うつ病になりかけてまで会社に勤める、なんて働き方は望ましくない」ということ。年収150万円でも、シェアハウスや郊外の安い物件に住んだり、外食を控えて自炊、移動は自転車、外飲みより家飲みを選ぶなどの節約をすれば、借金や特殊な事情でお金がかかる人でない限り、生活するのは無理な話でもないという。「幸せは絶対的なものではなく、相対的なもの」と考えれば、生活コストを下げても、そのなかで十分楽しく暮らせるというのだ。

 だが、大事にしなくてはいけないのは、「年収半分でも、取り組みたいと思える仕事を選ぶ」こと。“死ぬまで働くのならば、お金のためだと我慢を続けるよりも、「やりがいを感じられる、いきいきと取り組める仕事」を選んだほうがいい”と著者は述べる。たしかに「ただ社畜にはなりたくない」という気持ちだけでは、仕事に「納得感」は得られないだろう。それよりも、いまの世の中に噴出している問題を解決できるような仕事に取り組むことができれば、やりがいも、納得感・満足感も得られるのではないか……というのだ。

 「若者がお金を使わないから経済が成長しない」という声に対しても、著者は“経済成長は、自分たちが金銭的に豊かな生活をするためではなく、何かの事情で働けない人たち、稼ぐことができない人たちを守ることにこそ必要なのでは”と持論を展開。そもそも、誰もが「社会的弱者」になる可能性を秘めている時代にもかかわらず、障害年金や生活保護といったセーフティネットはほころびばかり。だからこそ、「素晴らしい専門性をもったビジネスパーソン」や「厳しい時代を生き抜いたシニアたち」といったリソースを有効に使い、“僕たち自身の問題”として新しいセーフティネットをつくっていこう、と提案するのだ。さらに、そうして主体的に社会にコミットしていくことで生まれる、人のつながりによる“プライベート・セーフティネット”を持つことを薦めている。

 本書が示す“脱お金論”は、「自分だけが幸せ」ではなく、「みんなが幸せ」を目指す思想でもある。人間が社会なくして生きていけないことを考えれば、社会の豊かさがなければ個人の幸せもないといえるかもしれない。はたして、自由で豊かな人生とはどんなものなのか。とくに、「何のために働くのか」と悩む瞬間も多い就活中の学生は、本書でいま一度、生き方を考えるきっかけにしてほしい。



  

  

2013年1月 6日 (日)

スマートフォンはインフラになるのか? 2

 

息子が読んでいるスマートフォンの関連本で、興味深いことが書いてあったので、後で抜粋してみたいと思います。

私は、スマホを否定はしません。(必要か否かは)

だがしかし、程度ものだと思うのです。

あくまでも基本、基盤は現実世界であり、ネットはあくまでもバーチャルな仮想世界です。

しかし、現実世界を補うものとして、より現実世界を充実させるものとして、併せることによってもっとすばらしい現実世界が顕われる。

私はブログやmixiで、現実世界では決して巡り合うことがなかったであろうという人との素晴らしい出逢いがありました。

時空を超えて、ファジーな世界が、ハッキリとした現実の世界へと降りて来たのです。(恩恵は充分に戴きました)

が、

要は、ネットにどれだけ魂を吹き込むか? だと思うのです。

目的意識がしっかりしていれば、電脳世界も現実世界へかえることが出来る。

それには、自分自身の基盤(日常生活)がしっかりとしていなければならないと思うのです。

私もついつい、ブログを書くことに夢中になってしまったり

パソコンの前に座ることが長くなってしまう。

すると現実で、やらなければならないことが疎かになってしまいます。(家族との対話や自分のすべきこと)

要は切り換えですよね。

終わったことはすぐに忘れ、次に取りかかる。

そして大切なことは日常を丁寧に、手を抜かずにする・・・・。

それでは、息子が読んでいる本( スマートフォンチャンス! ipone とAndoroid が生んだ巨大ビジネス市場の攻略法)の中から、うなずいた箇所を抜粋します。



  
 
孤独な時間の希少性向上

スマートフォンが与える生活への影響には、これまでも述べてきたように、よいインパクトがたくさんある。

だが、当然のことながら、ネガティブな側面もあるはずだ。

この点について私の実感をもとにいうと、ひとつは「本を読む時間」 が減った。

もう少し抽象化すれば 「自分ひとりで内省したり、考えを深める時間が減った」 ともいえる。

「いつでもどこでもソーシャル化」 したということは、視点を変えれば、絶え間なく誰かの状況や情報発信をウオッチするということだ。

そのため、自分自身に向き合う時間がどうしても少なくなるのである。

これは中長期的に見ると由々しき状況かもしれない。

少なくとも私にとってはそうだ。

このような問題意識を持っている人が増えているからか、つながることのできる人数を限定したソーシャルメディアも出てきている。

「Path」 がそれだ。開発コンセプトは「生活のひとコマを切り取って、身近な友達や家族と楽しもう」 で、日米でユーザーを着実に増やしつつあるという。

ただ、この一見するとネガティブな側面を深堀りしていくと、新たな価値も見えてくる。

自分自身に向き合う時間が少なくなれば、「ひとりの時間を持つ」 ことが求められるようにもなる。

その結果、たとえば 「3Gの電波が入らず、Wi-Fi回線も設置されていない旅館」が高い価値を持ち始める可能性もあるだろう。

いずれにせよ、孤独な時間、または家族などの本当に親しい人たちのみと過ごす希少性(=人によっては希少価値)が高まっているのである。

これは今後、教育の観点でも、真剣に考えていくべき課題になるのではないかと思う。

    「スマートフォンチャンス!」 インプレスジャパン

 

スマートフォンはインフラ(生活の基盤)になるのか?

  
    

就活中の息子が、東京から大阪へ帰って来て、IT関連の会社に出すレポートを抱えて、四苦八苦している。

レポートの題材は、「スマートフォンが広告メディアとしてテレビCMと同じくらいメジャーになるためには何が必要だと思いますか?」

なのです。

スマートフォンとは、多機能携帯電話なのですが、わかりやすく言えば、携帯電話にパソコンをくっつけたものなのです。

パソコンをリアルタイムにいつでも手軽に持ち歩きたいという理由は、facebookやツイッターなどで自分の情報をすぐに発信できるというのが魅力なのだそうです。

例えば、Aさんが今、十三(じゅうそう、大阪で有名な繁華街)で

「高校時代の仲間たちと飲んでいま~す」 と写真付きでfacebookに載せるとします。

するとネットでつながっている別の友人(B君)が違うグループの仲間たちと同じ十三で偶然飲んでいた。

びっくりしたB君は、Aさんに

「俺たちも十三の○○で飲んでいるんだ、よかったら合流しないか?」 とコメントを送るのです。

そこで、めでたく合流して、

より楽しくなるか? そうでもないのか? 喧嘩が始まるのか?(笑) はわかりませんが

インターネットが世界中の人が一つにつながって、調和、平和をもたらすのがビルゲイツの目的だったようにパソコンやスマートフォンは、人(世界)を一つにするツールとなるのだと思うのです。

しかし、どんなものでも、ポジティブ(長所)な面もあり、ネガティブ(短所)な面があります。

うまく活用すれば、みんなが幸せになるけど

やりすぎたり、使い方を間違えると かえって 煩わしくなったり、デメリットが出てきたり、使い方が非常に難しい、繊細(ナーバスである)と思うのです。

俯瞰的に、人への影響力を考えて慎重に使わないと

相手(ネットの向こう側)は、生身の人間なのです。

そして

ネットは、心が外へ外へと向けてゆくことになります。

すると自分の内(本心)から離れてゆくことになる。

自分を見失いがちになる。

それではいけないと

そこで今度は心を内に向ける。(内省する)

そしてまた外(人)とつながるためにネットを利用する。

外、内、外、内、外、内・・・・・・・・・

これの繰り返しなのです。

それが

外、外、外、内、外、外、外、外、外、外、内、外、外、外、外、外、外、外、外、外、外、外、外・・・・・・・・・・・・・・

になってしまうとほとんど自分を見失ってしまうのです。(本心に戻れなくなってしまう)

現実世界から電脳世界へと逃避してしまうのです。

ネットは上手く利用すると

これほど便利なものはない

しかし同時にデメリット(使う人、使い方によって)もある。

その辺のバランス感覚は、各自に任されているのです。

スマートフォンがインフラになってゆくかどうかは、私はわかりません。

テレビと同じくらいの影響力を持つようになるのかも?

想像できません。

それは、持った私たちがどううまく操ってゆくかにかかっていると思うのです。

ただ持たなくてもいい人が大多数であることは間違いないと思うのです。

持たなくてもいい人というのは

持ったがために、現実世界が疎かになる人

電脳世界へ行かなくても十分に満たされている人(現実世界だけで十分生きていける人)

これ以上、人とつながる必要のない人

なにか大切なものをネットで発信する必要がない人

これらの人は無理にネット世界に入る必要もないし、スマートフォンを持つ必要もないのです。

自分にとってスマホはなぜ、必要か?

みんなが持っているから

持っていないと時代に取り残されるから

 などではなく

持つのならなんのために

なぜ、持つ必要(目的)があるのか?

持つことで自分や人が幸せになるのか?

焦って持つ必要はないと思うのです。

私は、家に帰ってパソコンの前に座るだけで十分です。(一日せいぜい2時間くらい)

スマホは必要ありません。(今のところかもしれませんが)

みなさんはいかがでしょうか?

 

 

調和波動気功法セミナーのおしらせ

 

毎日ブログを書くことを宣言しておきながら、いきなりやってしまいました。

昨日は、構想がまったくなにも浮かんでこず、そのまま寝てしまったのです。(ごめんなさい)

「そんなに無理しないでいいよ」

「無理して書いてもつまらない文章だったらその方がよくないよ」

「なるべく続けるでいいんじゃない」

というもう一人の自分もいるのですが(笑)

「継続は力なり」

続けることによって今まで見えなかったものが

きっと見えてくるように思うのです。

ですから、今日からまた決意を新たに頑張ってゆこうと思います。

では、今日は、調和波動気功法セミナーのおしらせです。

私は月一回のこのセミナーをとても楽しみにしているのです。

そこには、こころざしが同じで各自持ち場持ち場で一生懸命に生きている仲間(ハーモニーの人たち)がいるのです。

私と非常に波調、波動が似通った、数少ない心の通じる人たちが月に一回、一堂に会するのです。

その“場”には、普段日常では決して味わうことのできないエネルギーが流れています。

リフレッシュしてまた一ヶ月、頑張ろうという気持ちにさせてくれるのです。

みなさんにはそんな “場” がありますか?

もし、ないのであれば、一度このセミナーに参加されて、そのきっかけをつくってください。

ハーモニーのみんなは、みなさんが来られるのを心待ちにしております。



     


         
森の会
 


日   時:2013年1月20日(日)  12:00~16:00
         
会   食:             12:00~13:30
講 演 会:            14:00~16:00

場   所:
中国料理大成閣 (大阪 市中央区東心斎橋)

会費:8,000円 (中学生以上)
    4,000円 (小学生4~6年生


ハーモニー(調和波動気功法研究所)
TEL:
06-6245-5457


http://homepage2.nifty.com/hmwave_goldendoor/sub1.html


参加ご希望の方は、私(篠崎 朗)まで、ご連絡ください。

携帯 080-1444-0018

  

2013年1月 4日 (金)

目にみえないエネルギーを浄めてゆこう。

  

今まで、私が書くブログとは

「どうしてもこれは書きたい、伝えたい」 というものだけを書いており、強い衝動にかられる以外のものは、パスをしてきました。

しかし、それでは毎日書き続けることは難しく

せっかく読んで下さっている方が

「また今日も書いていないや」 とがっかり? されていたことも多かったと思うのです。

ですからこれからは、余程のことがないかぎり、毎日更新してゆくことをここに誓います。

これからもよろしくご愛読の程、よろしくお願い致します。

それでは、今日は目に見えないエネルギーについてです。

私たちは、日常であまり罪悪感もなく、またはなんとなくマイナスの言葉を放っています。

そしてそれらの言葉は、消えて無くなると思っている。

しかし言葉とは言霊(こどだま)といってエネルギーなのです。(言葉の残像は消えずにそこに残っているのです)

それが証拠に、マイナスの言葉は人を傷つけ、プラスの言葉は人を元気に勇気づけることも出来る。

そのことがわかっているのに、人間は意識をしてプラスの言葉を吐こうとはしない。

というよりもマイナスの言葉にそれほどの力が宿っているとは思っていないのです。

人間がマイナスの言葉を控え、プラスの言葉を積極的に使うようになればどれほど、地球を取り巻いているエネルギーが浄化され、素晴らしい世の中になってゆくか・・・・・。

次元上昇をするというのは、進化した星になるとは、人間が目覚めるというのは、どういうことかというと

目に見えないエネルギーのことがわかるようになるということなのです。

エネルギーとは漢字で 気 と書きます。

元気、勇気、天気、電気、陽気・・・・・・日本語には驚くほどの数の気に溢れています。

気なしでは、宇宙は、地球は、人間は成り立っていかないのです。

気(エネルギー)がすべてのすべてなのです。

今日はみなさんに気(エネルギー)をもっと意識して頂くために、「果因説」の本の中から目に見えないマイナスのエネルギーの実体について抜粋します。

よろしくお付き合いください。

 

人類一人一人は毎日、不平不満、怒り、嫉妬、憎しみ、復讐、悲しみ、苦悩、恐れ、不安、葛藤などの否定的想念を発しています。

そして、それらの否定的想念に対して、誰もが何らの責任を持ちません。

皆がみな、思い思いに感情想念をぶっつけ、地上空間に垂れ流しの状態です。

 その否定的感情想念のカルマはものすごい乱気流の渦となり、その空間、その場に消滅しないまま、漂(ただよ)っています。

その時、そこに居合わせた人々、通りすがりの人々は、その目に見えない乱気流の渦の犠牲となり、何らかの事故に巻き込まれたり、急に腹立たしくなったり、悲しくなったり、恐怖や不安感に襲われたりして、それらの波の影響を受けつづけているのです。

そういった、決して目に見えない否定的想念の乱気流を消滅させ、浄化している人々が、今生にはほんのわずかですが存在しています。

彼らは神人であり、そして日頃、世界平和の祈りを祈りつづけている人々なのです。

彼らは全人類の進化、真理の目覚めにとってなくてはならぬ人々なのです。

   世界人類が平和でありますように

       「果因説」 西園寺昌美 白光出版



補足


気とはエネルギーとはいったい何なんでしょう?

そして私の実践している調和波動気功法 とは何なんでしょう?(笑)

  
気功とは何ですか? 

幽気、霊気、神気の気の働きであり、神様の働きである。

日本語の「気を付けて」は英語で「Good bye」=「God by you」であり、スペイン語で「Adio’s 」の dio’s は神の意味である。

「気」とは神の意味である。



「無限なる癒し」 于寿明 星湖舎

「無限次元への誘い」 于寿明 星湖舎

「無限なる幸せを体得する方法」  于寿明 星湖舎

「無限なる勇気」 于寿明 星湖舎より


  



 
  

2013年1月 3日 (木)

空と同じように人間の意識、心はつながっているんだ。

   

前回に書いた「日本も世界も大丈夫なのです」 を読まれた方で、一部の子どもたちの意識が変わったとしてもそれは、震災地の地元で悲惨な状況を目の当たりにした影響を強く受けた子どもたちだからであり、遠く離れた地域にいる子どもたちはそこまで意識は変わっていないんじゃないか?

だから、「人間の意識なんてものはそう簡単には変わらないんだよ」と思っている人がたくさんおられると思うのです。

私もそう思っていました。

少数の人間が純粋できれいな心になったところで、これだけ汚れた人がいたんじゃどうしようもない・・・・・と。(無限なる光!)

しかし、そうではないのです。

タイトルにありますように(笑)

人間の意識、心はつながっているのです。

感動が伝わるのも人の心がつながっているからです。

それは太陽の光がいろんなものを照らすけれど、元は一つであるように

私たち人間も、一つの光から分かれた分霊(わけみたま)であるからです。

役割(ミッション)が違うから肉体は別々になっているけれど

本当はあなたも私もないのです。

敵も味方もないのです。

次元上昇するとは

進化した星になるとは

そのことがわかるようになるということです。

これから「果因説」西園寺昌美著の本の中から

シェルドレイクの「形の場」を抜粋します。

みなさんには「百匹目の猿」の方がなじみ深いですよね。


それでは、よろしくお付き合いください。



イギリスの生物学者ルパート・シェルドレイクによれば、自然界には電気や磁気や重力以外の、未知の力の場が存在するという。

彼はそれを 「形態形成場」 あるいは 「形の場」 と呼んでいる。

自然界に、ある形や活動がひとたび放たれると、その形や活動パターンが宇宙に刻印され、この形の場の共鳴作用によって同じような形や活動が起こりやすくなるというのである。

生物の遺伝や進化にはこの形態形成場が関与している、と彼は主調している。

このシェルドレイクの仮説は、科学界に大きな論争を呼び起こした。

そこでイギリスのBBC放送は、彼の仮説を検証するために 「パズルの絵」 の実験を行なった。

一見すると何が描いてあるのか判定するのが困難な図柄を人々に認識させるという実験である。

最初、その絵を正しく判定できた人は4%しかいなかった。

次に、その絵をテレビで放映し、答も教えた。

何百万人もの人がこの絵を見たあとで、まだこの絵を知らない人に絵を認識させると、今度は正答率が7%に上がっていた。

これは統計学的に 「偶然」 では説明できない数字であり、この実験結果は、大勢の絵を見た人によってこの絵の形の場が形成され、絵を見なかった人も、この形の場に共鳴して絵を認識しやすくなったことを示していると解釈することができるという。

別の実験は、日本の本物の子守り歌と、でたらめの歌詞に新しいそれらしい曲をつけた偽物の子守り歌を、日本語も日本の音楽んも知らないイギリス人とアメリカ人に覚えさせる、という実験である。

これも、本物の歌のほうがはるかによく覚えられる、という結果が出た。

船井幸雄氏は、このシェルドレイクの仮説を使って 「百匹目の猿」 現象を説明している。

宮崎県の幸島という島で、一匹の猿がイモを水で洗って食べるようになった。

いわゆる猿まねによってそのような猿が少しずつ増えていったが、あるとき一匹の猿がその習慣に加わると、群れ全体の猿が一挙に同じ行動をするようになった。

そればかりでなく、幸島の猿とは接触がない、遠く離れた大分県のの高崎山の猿たちも同じ行動を始めたという。

イギリスの科学ジャーナリスト、ライアル・ワトソンは、イモ洗いを猿全体の習性にするのに決定的な一撃を与えた最後の猿のことを、象徴的に 「百匹目の猿」 と呼んだ。

シェルドレイクの仮説によれば、イモ洗いという形の場が十分に強くなった時、猿の群全体がそれに影響されて、同時に同じ行動を開始したと考えることができる。

参考文献 

ルバート・シェルドレイク 『生命のニューサイエンス』 (工作舎)

喰代栄一 『なぜそれは起こるのか』 (サンマーク出版)

船井幸雄 『百匹目の猿」』 (サンマーク出版)

ヤマカミ ヨーコ 『ボクの扉』 星湖舎 (この本は私の友人のヤマカミ ヨーコさんの作品です。ヨーコさんは絵本作家です。かわいい絵で真理がわかりやすく描かれています。心がふうっとあたたかくなります。 是非、読まれてみてください。)


  

2013年1月 2日 (水)

日本は、世界は大丈夫なのです。

  

ネガティブなニュースが多い中で、多くの人が東日本大震災後に意識が変わったという話を時々聞くにつれ、目にみえないエネルギーが確実に変わって(もちろん善い方に)きているのを実感するのです。

今、目の前に現われている現象面だけを見ていると

「日本は大丈夫なのかなぁ、世界はどうなるのかなぁ、平和は本当に来るのかなぁ」 と思うのですが、感動することに勝る、喜び、心の浄化はないですよね。

人は感動することによって、勇気を得ることが出来る。

心が洗われて、なにか大きなものと一体になったような気持ちになります。

そして、なぜか人が愛おしくなるのです。

それは人が神性に目覚めた瞬間を知ること、見ること、触れることによるのです。

人は普段は、暗雲に覆われて、本来持っているはずのキラキラと輝いた美しい神性が隠れている。

暗雲に覆われた人間は醜く、天使どころか悪魔にも見える。(無限なる光!)

だがしかし、人はみな赤ちゃんのように光輝いた、純粋で垢の付いていない美しい姿を見たいと思っているのです。(それが感動です)

震災は、私たちに多くの試練を残したけれど、それによって顕われたものがあるのです。

ぬるま湯に浸かって平和ボケしていた私たちは

平和であること、何事もなく平穏無事で過ごしていることが当り前だと思っていた。

欲しいものは、与えられて当然だと思っていた。

だから、今のこの状態をありがたいとも思わなかったのです。

それは、人間のエゴ(傲慢な)のエネルギーで地球が汚れていたのです。

それが、人類を覆っていた暗雲を強烈な震災が来たことによって、浄化していったのです。

そして人類の意識がいつの間にか変化していたのです。

人類の心が浄化されることによって、人類は目覚め

人類も地球も救われてゆきます。


私たちはせっかく浄められた自分たちの心をこれからもっと浄化して、もっともっと、“神性
” (人間の美しい姿)を顕わしてゆくことが大切だと思うのです。








東日本大震災が起きる前は、授業中に居眠りをする生徒、携帯をいじる生徒は後を絶たなかった。

しかし東日本大震災の後は、授業中に居眠りをする生徒は一切なくなった。

皆一生懸命、必死に勉強をしている。

そんな生徒たちに “生きるとはどういうことか” というアンケートを取った。

すると多くの生徒たちは、生きるとは、死を意識して生きること。

そして他の人たちのために役に立つよう生きることだと回答されたそうです。




  

現実世界と電脳世界、そして自分の世界

  
今は、現実世界に生きている人と電脳世界に生きている人がミックスされている世の中だ。

現実世界だけに生きている人は、携帯電話を持ちメールをすることだけで精一杯でインターネットまではいっていない。

しかし、日常生活で困ることもなく、昔のように何不自由なく生きていける。

これは、今なお、バカチョンカメラ(誰でもが使える)の現像をカメラ屋さんがやっていることに他ならない。

たま~にしかカメラを使うことがないのならば、なにも複雑?(説明書を読まなければならない)なデジカメを購入する必要もないし、撮影に失敗をしてフィルムを何枚か無駄にしてしまったとしてもたいしたことでもないし、デジカメの便利さを享受、体験出来なかったとしても、かわいそうでもなければ、決して不幸になることもない(笑)。

今、私たちは付加価値の中で生きている。

シンプルでわかりやすいものに余分な贅肉をたくさんつけていっている。

スマートフォンもわかりやすい携帯電話にパソコンをくっつけてしまった。

パソコンを普段使いこなせていない人や、家に帰ってするくらいで十分な人、会社で嫌というほど使っている人も、持っていないと時代遅れだという理由で持たされている。

車はミッションからオートマへとかわった。

たいして難しくない運転技術なのに、D(ドライブ)に入れておけば、アクセルとブレーキだけで子どもでも運転出来そうなバカチョン車だ。

一方では、シンプルになっているのに、そのまた一方ではシンプルでは行き詰まる(売れない)ので付加価値、多機能をベタベタ付け始めたのだ。

ところで、いったいどれくらいの人が電脳世界(バーチャル、仮想世界)を望んでいるのだろう?

私はインターネットの世界とは、目に見えないファジーな、実体のない世界だと思っている。

現実世界の中で私たちは家族、友人、知人、職場の人たちを含め、いつも会っている人は10~50人、たまに会う人も多い人で30人、つまり年間でも200人くらいの人としか、実際に会ってはいない。

だから私は実際に会っている200人の人とは相当に縁が深く、強いのだと思う。

この人たちとの人間関係を上手くやってゆくだけでも大変なのに・・・

もっと深い強いつながりを持つことが大切なのに、バーチャルな世界(インターネット)はいくらでも人が入ってくる。

facebook、ミクシー、その他の友だちの友だちであったり、ツイッターで共鳴した人であったり・・・・・。

しかし、その人たちと 「では、一度会いましょう」 ということには、めったにならない。

出会い系などお互いの目的が一致しているものは別として、手さぐり状態で仮想世界が現実世界に発展することはめったにないのだ。

私は仮想世界を否定しているわけではない。

自分という立ち位置がしっかりしていなければ、現実世界、仮想世界も、どちらも中途半端になってしまうということだ。

これら2つの世界意外に自分だけの世界、自分だけの地球、自分だけの脳内世界を持っていないと、この2つの世界にのみ込まれてしまう。

どちらの世界にも振り回されない、地に足が着いた自分だけの世界、

それがあって初めて、世の中を変えることができる

自由自在に生きてゆけるのだ。






参考図書

「スマートノート」 岡田斗司夫 文藝春秋

「無限なる幸せを体得する方法」 于寿明 星湖舎



  

 

2013年1月 1日 (火)

人間の遺伝子にはありとあらゆる英知が組み込まれている 2


   

生きてゆく上で最も重要なこと

あなたの遺伝子の中には既に、あなたの一生を貫き通して生き抜くための全知全能なる偉大なる働き、芸術、知恵、健康、繁栄、幸福など一切が組み込まれています。

今のあなたの一つ一つの遺伝子の中にはっきりとプログラミングされているのです。

現在のあなたにとって、それを理解することが、この世を生きてゆく上で最も重要かつ大事なことなのです。

それこそ、生まれた時から、あなたの欲するもの、希望するもの、願うもの、すべてが組み込まれています。

ここにおいて、あなた自身に内在するそれら一切のもの、英知、健康、才能、能力等を一生を通して、あるいは人生の過程において、引き出し、この世に現わしてゆくことこそが、人間としてドラマチックな人生を展開させてゆく最高の方法なのです。

外にそれらを見出そうとして探し求めても得られるものでもなければ、人から与えられるものでもありません。

ましてや神や天が授けるものでもありません。

もう既にあなたの中に、遺伝子の中にはっきりと組み込まれて存在しているのです。

それらを自分の人生の上にうまく引き出してゆくか否かが、人それぞれの運命の決定的な分岐点になってゆくのです。

成功━失敗、 繁栄━衰退、 幸福━不幸、 健康━病気、 これら一切のことは、すべて自分の責任において生じたものであって、他に恨むことも、他を責めることも許されないことです。

何故ならば、不幸にしても、病気にしても、孤独にしても、苦悩にしても、本来自分の欲せざることが、現に自分の目の前に生じてしまっていたら、それは、自らが自らの遺伝子に組み込まれている一切の才能を自分の上に引き出すことをしなかったか、あるいは、自分に内在しているそれら一切の全知全能なる英知を認めることなく、理解することなく終わってしまったかのどちらかだからです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(中略)・・・・・

空に舞う鳥たちを見てみてください。美しいきらびやかな羽をひろげてスイスイ舞い飛ぶ小鳥たちそのものも、その形、その色、その飛び方、えさの捉え方、これら一切を誰から教わることもなく、自然に遺伝子の中にプログラミングされた、約束通りの生き方をしているに過ぎません。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(中略)・・・・・・

彼らは、別にむつかしいことを考える必要はないし、頭を必要以上に使うこともありません。

おおよそ努力を要求されることもなく、ただ自然界にとけ込み、自然界の一部分となって、生かされているのです。

ところが人間となると、単純にいかないのです。

これら大自然に生きる動物、植物、鉱物、一切と違って自然に生きていません。

すべてのことをわざわざ複雑にからませ、入り組ませて生きています。

知識のみが先行し、肉体がそれに付いてゆけない状態がほとんどなのです。

我々すべての人間に内在している素晴らしい感受性、直観力、危険な毒物に対する的確な反応、動作、美意識などなど、内のみの要求に自然に任せていれば、苦労もなく、失敗もなく、自然に通り抜けていけるものを、なまじの知識や経験で判断を下すため、自然に逆らい、直観に逆らい、反応を鈍らせ、思いもかけない方向へと自らを導いてゆきます。

あなたの中に、あなたの遺伝子の中に、一切の英知、全知全能なる力が既に組み込まれていることを、ここで改めて認識していただきたいと思います。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

         「果因説」 西園寺昌美 白光出版



  補足

本文の中で

我々すべての人間に内在している素晴らしい感受性、直観力、危険な毒物に対する的確な反応、動作、美意識などなど、内のみの要求に自然に任せていれば、苦労もなく、失敗もなく、自然に通り抜けていけるものを、なまじの知識や経験で判断を下すため、自然に逆らい、直観に逆らい、反応を鈍らせ、思いもかけない方向へと自らを導いてゆきます。

は、私が勝手に太線にしたものです。

ほんとにその通りだと思わずうなったからです(笑)。

「私は自然体なのよ」

とか

「私は本能のまま自然に生きているのよ」

と聞いたりすると

この人は自然体の意味が全然わかっていないなぁと思うのです。

それは、天とつながったものではなく

幽界の感情霊(動物霊)とつながっている(憑依されている)のを

感情のままに我儘に生きていることが

自然であると思い

さも良いことのように思い込んでいるからです。

もっと冷静に

もっと自分の心の奥の本心の中に入ってゆく(幽界を超えて)ことが

今の人間にとって、とても大切なことだと思うのです。(調和波動気功法)

 

  

人間の遺伝子にはありとあらゆる英知が組み込まれている。 1

     
  
教育(education)とは、ラテン語で「能力を引き出す」という意味であり、世の先生たちは生徒たちの内にはとてつもない可能性といろんな能力が潜んでいることに気づいている。

そしてそれらの能力を引き出すことが自分たちの役割であることもわかっている。

だが、どうやって引き出してあげたらいいのか?という術がわかっていない。

生徒たち自らが自分を伸ばそうとしている子供たちに関しては今まで通り勉強を教えることは出来るが、やる気のない子や自信を喪失している子に対しては

「やっぱりこの子たちはダメなんだ」 と烙印を押してしまう。

一方では無限の可能性に気づいているのに、その片鱗が見えていない子供に対しては、現実を見て

「この子には可能性がないのではないか?」

と思ってしまう。

それでは本当の教育(能力を引き出す)は出来ない。

真実は出来る子も出来ない子も同じだけの可能性を秘めているのだ。

それには、真理がわからなければ解決しない。



その真理とは?

それは、人間の遺伝子にはありとあらゆる一切の英知が組み込まれているということだ。

人間の遺伝子、60兆の細胞の中には、人間が生きてゆくためのあらゆる情報も知恵も能力も組み込まれているのだ。

「人間は本来持っている能力のほんの数%しか発揮していない、ほとんどは眠ったままだ」 とよく言われます。

つまり、この世で自分の才能をいかんなく発揮した人とは、誰もがみな平等に神から与えられたこれらの英知をうまく引き出せたかの違いだけなのです。

それらの天才といわれた人たちは、自分の内にある可能性を信じ、コツコツと引き出す努力を重ねた。

他の人たちは、自分の内にある英知を信じなかっただけなのです。

そして天才たちを見て

「あの人たちは自分たちとは違うんだ、特別な人なのだ」 と決めつけたのです。

だがしかし、そうではないことは、最初に述べたように先生をはじめ多くの人たちが気づき出しているのです。

後は、そのことをハッキリと述べる人たちが出てくれば(つまり真理が浸透すれば)

一気にたくさんの天才が現われるようになる(笑)。

天(本心)とつながることによって、天からあらゆる才能、可能性が引き出されることがわかるようになるのです。(天才になることが当たり前になる)

そして、自分が何者であるかがわかってゆくのです。

教育者の方、子どもを持った親御さん、人間(自分)の可能性を知りたい方は是非読んでいただきたい3冊の本があります。

目からウロコ、新しい自分を発見できますよ!

「果因説」 西園寺昌美 白光出版

「思考のすごい力」 ブルース・リプトン

「教育の原点」 西園寺昌美 白光出版




補足

本当の教育(education)とは、大人が能力を引き出す手伝いをすることだと思っていたのですが、引き出すのは生徒本人であり、後は勝手に独学?で学び始めるのです。

先生、親たちは

「君たちをつくっている細胞にはありとあらゆる英知が含まれているんだよ、それを信じて自分のビジョン(夢)に向って努力すればいいんだよ」

と伝えるだけなのです。(多少のアドバイスは要りますが)

それを伝えさえすれば後は、見守るだけでいいのです。

「親(先生)はなくとも子は育つ」

これからはそんな時代になってゆくと思います。

次の日記で 
生きてゆく上で最も重要なこと を「果因説」西園寺昌美著 の中から抜粋します。

人間の素晴らしい可能性、能力、英知のことを知ってください。

 



  

自分と神さましかいないんだ。



みなさ~ん明けましておめでとうございます。

今年も出来るだけ頑張って毎日日記を書いていこうと思っています。

そして人から頼られる、頼られがいのある者になってゆきたいです。

新年早々フェイスブックを覗いていたら

マザーテレサの名言が載っていました。

ビビッと来ました(笑)

マザーテレサは愛を貫いた人です。

他人がなんと言おうと、愛という信念を貫いた。

貫いた人だけがわかる “本当の真実” “本当の世界”

それは、この世には自分と神しかいないということ

他人はときには感情という動物に見える(醜い姿に見える)

それは自分が他人を動物だと思っているからなのです。

自分も他人も動物ではなく

神様(神聖なる者)だとおもったとき

他人は神さまになるのです。

神である自分が神である他人と接する

そこには愚かな自分や他人は存在していないんだ。

愚かな自分、他人は消えてゆくものなんだ。

他人は自分を成長させてくれるために存在してくれているんだ。

大切なことに気づかせてくれているんだ

だから、ありがたいありがた~い存在なんだ。

だから

「もっと自由」 に

「もっと堂々と生きなさい」

マザーテレサはそうおっしゃっているのです。

 

  

人は不合理、非論理、利己的です。気にすることなく、人を愛しなさい。

あなたが善を行なうと、利己的な目的でそれをしたと言われるでしょう。気にすることなく、善を行いなさい。

目的を達しようとするとき、邪魔立てする人に出会うでしょう。気にすることなく、やり遂げなさい。

善い行ないをしても、おそらく次の日には忘れられるでしょう。気にすることなく、し続けなさい。

あなたの正直さと誠実さとが、あなたを傷つけるでしょう。気にすることなく、正直で誠実であり続けなさい。

あなたが作り上げたものが、壊され
るでしょう。気にすることなく、作り続けなさい。

助けた相手から、恩知らずの仕打ちを受けるでしょう。気にすることなく、助け続けなさい。

あなたの中の最良のものを、この世界に与えなさい。たとえそれが十分でなくても、気にすることなく、最良のものをこの世に与え続けなさい。

最後に振り返ると、あなたにもわかるはず。結局は、全てあなたと内なる神との間のことなのです。あなたと他の人の間のことであったことは一度もなかったのです。(マザー・テレサ)


  

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