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2012年12月31日 (月)

友だちとは夢をビジョンを共有する存在なのです。 2

         


             ビジョンの共有

                          

                            西園寺由佳さん
 



「一年後、三年後、あるいは十年後のあなたのビジョンは何ですか?どうありたいですか?」そう聞かれたら、皆様はどのような未来が見えてきますか?

何故、このような質問をさせていただいたかというと、私は親しい友人とビジョンの共有をするのですが、それはまさしく果因説の通りで、実際に心を許す友人に話すことによって、未来を具体的に自分の頭に刻印するとともに、言葉に発する機会を得ることになるからです。

また面白いことに、その時に自分自身が描くビジョンは限られていても、人に聞いてもらうと、それ以上のものが見えてくることがあります。

例えば、私のオーストラリアの友人は、自分がもっと常に心を開けるようになりたいと話してくれました。

彼は本当に大きな心と、そして優秀な頭の両方を持っている人です。

しかし、ついつい頭が心を邪魔してしまい、たとえ心が動いていても、感じていても、頭がそれを批判し、阻むことが多かったのです。

例えば貧しい子どもたちや、困っている子どもたちを救いたいという思いが心から湧き上がっても、その思いを純粋に受け止めることが出来ないでいました。

自分は何様なのだと。

あるいは偽善ではないかと、自分自身を批判し、行動するのを抑制してしまうそうなのです。

そのため、救いたい理由を必死に作り上げないと、自分の頭が許さないのです。

そんな彼が、自分の心が常に開けるようになりたいと話してくれた時、私はあるイメージが湧いてきました。

それは今までは彼の頭が彼の心を邪魔する、阻止するように動いていたのが、彼のキラキラした心に役立つように、一層輝かすように頭が仕えてくれる姿でした。

人に話すことによって、時には自分が描く以上のものを相手が見て取ってくれることがあります。

そしてお互いに

I will hold your vision ”  (あなたの夢を持ちつづけるね) と約束し合うのです。

私自身、これまで2回しかこのようなことはしていませんが、友人に持ってもらったビジョンは本当に叶っています。

信頼できる大切な友人と一年のビジョンを話し合い、そのビジョンを持ってもらうことをお試しになってください。

大成就!

世界人類が平和でありますように

 

  

友だちとはビジョンを共有する存在なのです。 1

 
   
今年の年末、後半にかけて私の心の中で 「友だちをつくりたい」 がコダマしていたのです。

私はどちらかというと一人でいるのが好きで、部屋の中で本を読んだり、統一(本心とつながること)をしたりしていることが多いのです。

5年ほど前に高校の同期会の発起人になってその当時の友人と交わることになっても、本当に心を許すことはありませんでした。

ある友人に言われたことがあります。

「○○くんは、親しくなろうと近づいていくと、ふっとそこからいなくなるんだよね、不思議な人だね」・・・・・と。

その言葉を聴いてハッとしたのです。

確かにそうなのです、好意的に思ってくれるのは嬉しいのだけれど、ベッタリは苦手なのです。

ずっと一緒にいたり(恋人関係にだった人は別ですが)、夜を徹して語り明かすなんてことはしたことはありません。

だから相手の人も私に対してどう接したらいいのかわからなかったのだと思うのです。


友だちがいないと孤独で味気ない人生を過ごすことになります。

友だちがいないと心を共有させることが出来なくなります。(家族は別として)

今、私は54歳・・・・・。

今、ここで本当に友だちと心を通わせることをしないと、きっと、他の人とも浅い人間関係のまま(中途半端)で終わると思ったのです。

しかし、私の中で

友達とはなんなのか?

なんのためにともだちは必要なのか?

がわからなかったのです。

友だちは必要なような気がする、心の奥底から

「友だちを作れ!」

が聞えてくる。

だけど、なぜ必要なのかがはっきりとわかっていないので

一歩が踏み出せないでいる。

このままでいいのではないか?という自分もいる。


そんな心境だった時に

ある小冊子を読んでいて 

答が書いてあったのです。



それは、私には大きな夢(ビジョン)と個人的な小さな夢(ビジョン)があります。

それを達成させるためには

私のビジョンを一緒に共鳴(共有)してくれる、そして応援してくれる友人が必要なのです。

それは相手の人のビジョンを共有することでもあります。

確かに友人とは縁の深さを感じます。

ふとしたことなのですが、ある瞬間に 「心が通じた」 とわかることがあるのです。

お互いに胸が熱くなることがあるのです。
 

「友だちとは、親や兄弟よりも縁が深いのだ」 


と聞いたことがあったのですが、確かに、

「この女子とは、前世では恋人同士だった、夫婦だったな」

とか、男子の友人とは

仇同士も含めて(笑)

詳細はわかりませんが、前世でいろんな交わり、深い関係があったことを、ふとした瞬間に想い出すのです。

どんな関係であったかは、定かではないし、ハッキリとわかる必要もない

しかし今生で、また再会し

今生、過去世、であったことをすべて水に流し(清算し)

そしてお互いに

理解し愛いわかり愛えることが

今、ここに友人関係として生まれてきた大きな目的だと思うのです。


そしてみんなそれぞれに夢(ビジョン)を持っている。

夢を共有するということは

自分の夢の中に友だちの夢も入り

友だちの夢の中に自分の夢が入るということです。

つまり、夢が倍、いやそれ以上に実現するということです。

友人が夢を語ってくれたら

心から

「頑張れ!」

と思うのです。

そしてそれはそのまま

私の夢に関しても

そう思ってくれていると思うのです。

友だちとは、とてつもなく縁の深い人たち

そして夢(ビジョン)を共有してくれる人たち

このコラムを読んでそう思ったのです。


次の日記で全文をご紹介します。




  



2012年12月26日 (水)

目標を持ちましょう(果因説)。

   

朝ドラ「純と愛」の純を見ていると、目標、目的を持つことの大切さがわかるのです。

純は、ふるさと沖縄に帰ってみんなに夢を与える“魔法のホテル”を実現させようとした。

しかし父の邪魔が入り、愛(いとし)君の母親の妨害も受け、ホテルは人手に渡ることになり、小さい頃からのずっと持ち続けていた夢が儚くも消えてしまった。

大きな目標を失ってしまった純のショックは大きく、魂の抜けた腑抜けのようになってしまった。

あの颯爽としていた、溌剌としていた、輝いていた以前の純とは別人のようになってしまい、腹だたしい言葉を連発する純に、いつも温厚な愛(いとし)君もさすがにストレスが溜まって切れそうになる。

「こんな私が嫌いになったのなら、浮気でもなんでもしてくればいいんだ」

という純の言葉に思わず

「だったらやってやろうじゃないか」

と逆切れをする愛(いとし)君

ドラマは、長男の嫁のマリアさんの出産で良い方向に行こうとするのですが、そこでまた確執のあった父と衝突する。

父も純も最悪の状況になってしまったのはお互いのせいだと責める。

お互いが感情的になって相手を責め始めたら収集がつかなくなります。

人間の一番醜い姿がそこにある。

私は観ていて嫌になり、やるせなくなるのですが

観るのを途中で止めてしまうと

そこ(醜い姿)から逃げてしまうことになるので(一緒に観ている妻もそのうち展開が好転するわよとも言うし)

ちゃんと観ようと思い直すのです。


しかし、暗いドラマは嫌ですね。

朝からテンションが下がります。

そしてどうしてドラマの中の人間関係が醜くくなるのか?というと

やっぱり目標を失ってしまったからなのです。

純は今、過去に意識を合わせている

過去のどうしようもなくなった状況から時間が止まってしまっている。

以前は未来に意識がいっていたのに

今は、意識が、夢が消滅した過去の情景に向いているのです。



現在とは、過去と未来の両方を含んでいます。

過去の結果の現在と

未来の原因の現在

今のこの瞬間をどちらの現在にするか?

それは私たち個人個人個々に任されている。

時間はみんなに同じようにあるのではなく

過去→現在→未来

に流してゆくのも

未来→現在→過去

にしてゆくのも

個人の自由

個人の選択次第なのです。

ここで、今私が読んでいる本(果因説)の中からみなさんにご紹介したい文章を抜粋します。

果因説の素晴らしさが込められた文章です。



  

今まで人々はあまりにも過去に把われていました。

そして今という地点から過去を見つめ、

「過去にしてしまったことは、いつか結果として現われる」

と、その時が来るのを受動的に恐れつづけてきたのです。

しかし、そうではなく今という地点から未来を見つめ、

「今着々と創り上げている未来がやがて目の前に現われる」 と能動的に捉えることにより、人生は変わります。

今、明るいことを思ったからには、未来のどこかでそれを体験することになるのです。

         「果因説」 西園寺昌美 白光出版



 



  

2012年12月24日 (月)

果因説ダイジェスト100 現在14

 


1.果因説とは、因縁因果の法則を超越し、全く新たなイメージで未来を創り上げる方法です。

2.もう過去に把われる必要はありません。今、この瞬間から、新しい未来を創ることが出来るのですから。
 

3.果因説を実践することで、人々は真の幸せを見出してゆけるのであります。

果因説とは、自分自身の内なる輝きや本来持っている資質、エネルギーを引き出し、それによって希望に満ちた自分の未来を創り上げてゆく方法であるからです。




4.人類は今、根本的な解決法を必要としています。即ち意識変革を必要としているのです。どんなに戦争を止めさせても、自然破壊を食い止めても、人類の意識が変わらなければ、また同じことが繰り返されてしまうからです。

 

5.人類の意識が変わり、自分に関わるすべての事柄をポジティブに捉えるようになれば、戦争も貧困も飢餓も、自然破壊もなくなります。すべてが自然に調和へと導かれ、平和な社会が築き上げてゆくのです。

6.「もう半分しかない」 と 「まだ半分もある」。

「もう歳だからそんなことは出来ない」 と 「まだそんなことが出来なくなるほど歳をとっていない」。

「余生あと十年しかない」 と 「余生まだ十年もある」。

「足が動かない」 と 「まだ手が使える」。

この二通りの言い回しは、全く同じ状態です。

 

7. 本来の、欠点を克服することにエネルギーを注ぐよりも、自分の長所を最大限に活かすことのほうが、どれだけ人生が明るくなるか計り知れません。

 

8. 二十世紀まで続いていた因果律は、二十一世紀において果因説へと移行してゆくのです。
 

9.過去の因縁因果の法則を超越して生きられる方法ですから、これが判れば、過去に縛られる必要が全くなくなるのです。
 

10. 先に結果をイメージし、創り出すことによって、自ずと原因がそれに従ってくるという法則による方法なのです。この法則でゆくと、結果は自分自身の心の中にあるということになります。

 


11.私たちにとって、結果を先に創り出すことのほうがずっと簡単なのです。なぜなら、それらは私たちの心の中にすでに自分の素晴らしい資質として存在しているのですから。
私たちが本来持っている無限なる愛、健康、幸福・・・・それらに心を合わせていれば自然に原因がそれについてまわってくるのです。

 

12.次にあげる因果律と果因説の違いは、「過去→現在→未来」という因果律の流れに対して、果因説の流れでは 「未来→現在→過去」 であるということです。

 



13.葉っぱに希望や夢を書いたら、それを川下(過去)に投げ入れるのではなく、川上(未来)に投げ入れるのです。すると何年か、何ヶ月か、何日か前に投げ込んだその希望の葉が戻ってきて、自分の前を通り過ぎようとする。それをキャッチすることで現実に顕現されるのです。


 


14. 今までのような過去の原因を突き止め、悪い種を一つ一つ暴き出し、それを排除しつつ上り詰めてゆくやり方は、過去のマイナス(川下)に意識が集中するため、目的達成が容易ではありません。しかし、過去の因縁に由来する因果律に心縛られず、憂えず、今の瞬間、未来(川上)に向って自らの意識を高めるという果因説に切り換えると、自らに内在する素晴らしい資質が目覚め、人生は好転するのです。
 


15.

16.

果因説 2

これまでは原因があって結果がある。過去の因縁が現在に至っている。

だから占いって暗くネガティブですよね。

「あなたの前生がこうだったから今がこうなのです。だからあなたの未来も○○なのです」

完全に過去を引きずっている。

今の自分ではどうしようもないと思ってしまう。

でも今を颯爽と生きている人は

自分の過去を気にしていない

他人の自分への評価もさらりと流している

自分もそのようになりたいと思っているけど

過去のしがらみがどうしても重くて覆すことが出来ない。

たくさんの人がそんな状態になっているのではないでしょうか?(かくゆう私もそうでした)

だがしかし、新しい、というより正しい考え方が生まれたのです。

甦ったのです。

果因説です。

今までの因果律とは真逆の考え方です。

これからは果因説によって病気や貧乏や不調和なことや、ネガティブなマイナスが現象が消えてゆくのです。

なくなってゆくのです。

だからネガティブ産業は、一気に消滅すると思われます。

今の産業の多くはネガティブ産業で成り立っています。

それらのものが無くなると今までの経済は一変するのです。

病気が無くなる→医者、病院、健康食品がいらなくなる

自分の中に答を見出すようになる→コンサルタント、宗教組織等がいらなくなる

不安や執着がなくなる→保険会社、証券会社がなくなる


要するに人間が真に自立することにより

感情(不安)を超えることにより

感情=勘定(お金)がいらなくなるのです。

お金とは、人間が感情の処理が出来ないために仲介(交換)として使われるツール(道具)なのです。

感情(勘定)の処理が出来るようになればお金は役割りを終えるのです。

これからは物質文明が終わり、霊文化が訪れます。

いよいよ本物の時代です。

ここで、私が今読んでいる「果因説」の本の中からビビッと来た箇所を抜粋してみたいと思います。(新しい時代の到来を実感していただけると思います)

私と同じようにビビッと来た人は是非、本を買って読んでください。

速読のように、私の感想を読んでそれでおしまいにする人がいるようなのですが(笑)、みなさんが読むことによって

磁場が出来るのです。

果因説という素晴らしい考えが早く浸透するのです。

次の頁(ページ)でつぶやきのように述べていきますが、次から次へと継ぎ足していきます。

何度か、時間、日を置いて覗いてみてください。(全部で100くらいになると思われます)



  

         「果因説」 西園寺昌美 白光出版



  

 

 

今日のつぶやき

 
   
昨日、調和波動気功法のセミナーがあってそこでハーモニー(気功仲間)の人たちと会話をしていたのですが、その中で朝ドラの「純と愛」についての話をしました。

私の感想は、最近の「純と愛」は変化が大きすぎて、波乱万丈すぎて、人の感情が激しすぎて観ていてしんどくなる。

ドラマだからわざと変化を持たせているけど(視聴率を取るために)、あまり現実的ではないという意味で

「あのドラマは現実離れしていますよね」

と言ったのですが

話をしていた何人かの人は

「えっ、現実的なんじゃないですか?」

という答が返ってきたのです。

そして今度は逆に私の方が

「えっ、そうなんですか?」

と問い直したのです。(会話はここで終わったのですが)
 

後から思うと、こういうことだと腑に落ちたのです。

生きていると誰でもいろんなことがある。

一喜一憂することも

嬉しいことも悲しいことも

褒められることも、けなされることも

だから「純と愛」で起こっていることは特別なことではなく、普通のことなんだ。

そこで同じ場面に出会っても

大難を小難にとらえる人もあれば

小難を大難にとらえる人もいる

悲観的にとらえる人もいれば

楽観的にとらえる人もいる

マイナスに取る人もいれば

プラスに受け入れる人もいる


そのとらえかたによって幸せか不幸が決まってくるのです。

幸、不幸を決めているのは目の前に現われてくる現象ではなく

自分の心が決めていることがわかるのです。

私は、「純と愛」を観て

現実離れをしていると思った、だからこのドラマは観ていてしんどくなるのだと思った。

しかし一方では

「このドラマは現実的である。一般の人はいつもこれくらいの感情の起伏は常にあるのだ、だからみんな疲れているのだ」(今の世相を表わしている)

・・・・と。

人と話していると自分の心の中と他人との心の中の相違がわかるのです。

いや、相違ではなく

とらえかたの違いですよね。

心の中は同じなのに

同じものを観て

どこをつかむか?

どう感じるか?


感じ方はどうであろうと

それはどちらも間違ってはいないのです。

いいとか悪いとかではないのです。

みんなそれぞれ違ったとらえかた、そして考え方がある。

それが個性であり、それぞれが素晴らしいんだ。

そう思ったのです。

感じ方の違いを議論するのは間違っているのです。


ただ

「そういう感じ方、考え方もあるんだ」

と認めればいいのです。

 

 今日のつぶやき


1.「今この瞬間から変わりなさい考え方を変えなさい」 「人の気持ちはコントロール出来ないけど自分の心はコントロールできる」

なんてことを言う人がいるけれど、他人も自分もそう簡単に変えることなんて出来ないのだ。

できるとしたら、自分が少しでも成長すること、立派になること、やさしくなれること、これを続けてゆけば、いつかきっと自分も人も心から愛せるようになれるんだ。


2.

 霊化することとは、神さまに近づくこと

 進化するとは、愛深くなるということ

 調和するとは、自分の中の我がなくなるということ



3.

体がスッキリしていなくてもなんとか動くことは出来るが

頭がスッキリしていないと動くことは出来ない。

心が主で肉体が従なのだ。



4.この世(宇宙)にはプラスしかない

 マイナスがあるとすれば、それはプラスから出たマイナスなのだ。




5.気分転換をするには踊ることがよいそうだ。マンボ、阿波踊り、フラダンス・・・・できるだけ陽気に激しく頭が空になるものがよいのだと思う。(だからマンボかな?)


「うーっ マンボー!」



誰もいない部屋でバカになって何も考えないで踊り狂う(笑)。 きっと憑きものが落ちてスッキリするんでしょうね。 人間はときには、大バカ(突き抜けること)になることも必要なのです。

 

2012年12月21日 (金)

結婚しない


     

昨日は、毎週楽しみに観ていたドラマ「結婚しない」の最終回でした。

私が思っていたハッピーエンド(千春と純平の結婚)にはならなかったけど、結婚に至らなかったからこそ、ゴールにならなかったからこそ、

「人間にとって結婚とはなんなのか?」 を考えさせられたのでした。

いいドラマって決っして観た後でTHE END(ジ・エンド)にならないんですね。

余韻があって、観ている人になにかを考えさせる。

作者が言いたかったのはなんだったのか?

自分はそれに対してどう思うのか?

私にとってこのドラマは秀作だったと思います。

さて、結婚とは誤解が招いた錯覚だという人がいますが、確かに誤解をすることが少ない人、自分も相手も冷静にみている人(客観視出来る人)は結婚という選択を選ばない傾向にあると思うのです。

世間の常識、他人がどう想うか?なんて気にしない。

結婚が自分にとって、自分を成長させるものでないのであれば、なおかつ自由を束縛するものであるのであれば

なんで結婚する必要があるのか?

そう考えても不思議はないですね。

私はどちらかというとそういう考えに至る前に、勢いでしてしまった(奥さんごめん!)タイプです。

30歳までにしたかった。(なぜそう想ったかはわかりませんが)

会った瞬間 “ピンと来た” flair

たった、それだけのジャッジ(判断)だったのです。

私はもう結婚とか離婚?(たぶん)とかは縁のないことになっていますが

今の人はどうなんだろう?

息子(22歳)の結婚観はどうなんだろう?

と思います。

どちらにしても(するにしてもしないにしても)

誤解や錯覚でするようなことはしない方がいいでしょうね(笑)。

では、私が考えた結婚に対するいくつかの錯覚をあげてみました。

みなさんはいかがでしょうか?

よかったらコメントでみなさんにとっての誤解、錯覚を教えてください。

 

1.結婚をしていないと一人前になれない、一人前でないという錯覚

2.結婚をしないと幸せになれないという錯覚

3.結婚をしていないと子どもを持ってはいけないという錯覚

4.結婚をしていない人はどこか問題(欠陥)があるという錯覚

5.結婚が前提でないと付き合ってはいけない、SEXをしてはいけないという錯覚

6.結婚をしていないと老後が淋しいという錯覚

7.結婚をしていないと親不幸であるという錯覚

8.結婚はプラスであり、離婚はマイナスであるという錯覚

9.結婚をしていないと信用を得られないという錯覚

10.結婚をしてすぐに離婚する人は忍耐が足りないという錯覚





感想・追想

もう一つ大切なことを忘れていました。

このドラマで言いたかったことは「自立」だったと思うのです。

結婚するにしてもしないにしても根本には「自立」があるのです。

これまでの結婚は、女性が自立できない、相手に頼りたいという願望が結婚に結びついていたように思うのです。

結婚がゴールになっていた。(永久就職といわれていました)

本当の幸せとは自分が自立をして、その土台の上に結婚(離婚)があり、仕事があり、人間関係があり、・・・・・・ありとあらゆるものがある。

自立のない結婚はなんの意味もなさない。

基礎(自立)が出来ていないのだから、そこにどんなものを積み上げても

砂上の楼閣である。

私は一人でも生きていけます。自立できています。精神的に人に頼らず依存せずに生きていけます。(病気とか突発的に想定外のことが起こったときは別ですが)でも一緒だったらもっとお互いに成長できると思うのです。だから一緒に暮らしませんか?

というのがこれからの結婚の姿なのかなぁ と思うのです。

 

2012年12月20日 (木)

因果律と果因説の違い

          


私たちは過去から現在の状況を確認し、そして未来を予想します。

だから過去が暗ければ、当然今も暗い、そして未来もきっと暗いだろうとネガティブにネガティブに想ってしまう。(無限なる光!)

例えば、病気になった人は、過去において無茶ばかりをしてきた、身体を酷使し、体に悪い食事をし、タバコを吸い、お酒を浴びるほど飲み

誰が聞いても、「それは病気になってもしかたがない」と言われるようなことをしてきた。

本人もお医者さんからも家族からも叱られて、やっと自分の愚かさに気づいた。

しかし“後悔後に立たず” で、もうどうしようもない。

後は、後悔しながら過去を振り返って悔みながら生きていくしかないのか?

この人が今、末期がんだとしても奇跡を起こすことは出来るのか?

西園寺昌美さんのご著書から未来は変えられるという興味深い箇所を抜粋します。

心の持ちようがこれほどまでに自分の未来を変えることが出来るんだということを知ってください。




因果律と果因説の違い━過去→現在→未来か、 未来→現在→過去か


次にあげる因果律と果因説の違いは、「過去→現在→未来」という因果律の流れに対して、果因説の流れでは、 「未来→現在→過去」であるということです。

因果律では、現在起こることは過去の因が決めている、つまり 「過去→現在」という全体の流れがあります。

病気に例えると、「過去にしてきたさまざまなことによって、現在病気になることがすでに決まっていた」 というように、過去に起こった一つのことが原因となり、次々と玉突き式に結果となって、現在の病気が現われる。

そして現在の病気がまた新たな因となり、「現在→未来」 という流れに乗って、未来の結果となってゆく。

これが因果律の流れです。

この考え方でゆきますと、過去からやってくる病気に対して、現在や未来では何一つ打つ手がなく、ただ黙って受け入れるしかないということになります。

現在も未来も過去に起こったことから生じる必然であって、もし過去に別の選択をしていれば今病気にならなかったかもしれないが、過去に戻って過去の選択を変えることが出来ない以上今も変わらない、今が変わらなければ未来も変わらないということになります。

これでは、人間には全く自由意思がないということになってしまいます。

しかし果因説では、「未来→現在」という流れに乗って、未来の結果を先に創り出すことが出来るのです。

例えば、川は川上から川下へと流れています。

今現在自分は川の中にいて、傍に落ちていた葉っぱに希望や夢を、現実に現われるように書き込むとします。

それを放り投げます。

川下のほうに放り投げたら、その希望の葉は永遠に自分のところへは戻ってきません。

自分の手から放たれた瞬間からどんどんと川下のほう(即ち過去)へと流れ去っていってしまいます。

結果、その希望は自分の手には戻りません。

だからこそ投げる時には、必ず川上に向って(即ち未来の希望のビジョンを見て)、投げるのです。

その希望の葉は川上のほう、即ち未来へと放たれて、そこから次第に川下へと流れてゆきます。

そして今、ついに現地点の自分のところに、何年か、何ヶ月か、何日か前に投げ込んだその希望の葉が戻ってきて、自分の前を通り過ぎようとしています。

それを自分がキャッチすることにより、希望していたことが現実に顕現されるのです。

時間は未来から現在へとやってくるのです。

そして毎日のように、思い出すたびに繰り返し繰り返し希望の葉を何十枚、何百枚、何千枚、何万枚と未来に投げ込みつづけると、いつの日か、宝くじのようにそのうちの数枚が、必ず自分の前に現われ、現実となるのです。

従って、まさに今の瞬間、自分の未来に対する希望や輝かしい人生の設計図を強く思い描き、

「絶対大丈夫!」 「必ず出来る!」 「すべては可能である!」 「すべては完璧!」 「欠けたるものなし!」 「必ず成就する!」・・・・・・などという想いや言葉を繰り返すことにより、それが現実となって現われるのであります。

時間は未来から現在、現在から過去へと流れているのですから、今この瞬間、未来について思ったこと、考えたこと、語ったことの成就は、いずれ現在にやってくるのです。

ですから今現在、この瞬間、未来の希望を繰り返し、繰り返しインプットすることにより、それが次々に現在へと流れてくるのです。

そしてそのうちの数枚の葉(未来に投げかけた希望のビジョン)を、自分がキャッチする瞬間が必ず来るのです。

これが果因説です。

今までのような、過去の原因を突き止め、悪い種を一つ一つ暴き出し、それを排除しつつ上り詰めてゆくやり方は、過去のマイナス(川下)に意識が集中するため、目的達成が容易ではありません。

しかし、過去の因縁に由来する果因律に心縛られず、憂えず、今の瞬間、未来(川上)に向って自らの意識を高めるという果因説に切り換えると、自らに内在する素晴らしい資質が目覚め、人生は好転するのです。

    

         「果因説」 西園寺昌美 白光出版




今日のポイント

1.「健康になりたい」と願うのではなく「私はもうすでに健康である」と健康の成就した未来像を想像するのです。「健康になりたい」という願望は、健康でない状態を認めていることになるからです。

2.人間の遺伝子の中には、「無限なる健康」が組み込まれているのです。つまり、とらわれなければ(マイナスを)、つかまなければ自然に健康になるという自然治癒力があるのです。

本来の私は健康(パーフェクト)なんだと強く信じることが大切なのです。


3.小さなケガをしたとしても私たちはそんなに気にしません。それは放っておけばそのうちに治るとわかっているからです。治るコツとは、その部分から意識を外す(病気を意識しない)、触れない(触れると傷口が荒れてくる)ほかのことに意識を向けるのが一番いいのです。私は祈りが把われを無くす一番いい方法だと思っています。


4.たくさんのビジョン(夢)を実現させるために、私は毎日20の目標を書くようにしています。書けば書くほどビジョンが近づいて来ているのが実感出来ます。小さなすぐに実現できる目標から、近い将来に実現したいことまで自由に書いてゆくのです。楽しいですよ。

 

 

2012年12月19日 (水)

ゴール(最終地点)が明るければ今はどんな状況になろうと・・・・

     
 

これから地球は、日本は、私たち個人はどうなっていくのか?

その将来、近未来がわからないから不安になる、不安になるからネガティブになるんですよね。

誰かが明るい未来を語らなければいけないのですが、みんな知らないのです。

私は自分で言うのも何ですが、それを知っています。

知識として知っているのではなく、わかっていると言った方が正解なのかもしれません。

そこにはなんの根拠もない、証拠もない

だけど絶対に間違いないだろうという心の奥底から湧いて来る自信(笑)。

私は自分を信じている

心の奥底から湧き出て来る “直観” を信じているのです。

でも誰にもそれ(私の直観)を強要しようとは思っていないのです。

私のミッションってなんだろう?

それは明るい未来を語って、みんなが明るい気持ちになって

そして本当に明るい地球、幸せな世界を創造することです。

考え方が健全であれば、もし仮に言っていたことが違っていてもいいではないか?(笑)

それくらい光明思想って大切だと思うのです。

それは人の心を幸せにするからです。

最近、書きたいことが多すぎてあれも書こう、これも書きたいというものがたくさんあってこうやって文章にまとめることが出来ないでいました。

私にとって大切なことは真理の勉強とそれを伝えるスキル(技術)の両方身につけることなのです。

頭の中、心の中にどれだけ素晴らしいことを描けていてもそれをカタチ(文章)に出来なければそれは伝達者として失格なのです。

それには日々、研鑽を重ねないと想いは伝えられないのです。

どうしたらわかってもらえるだろう?

人は今何を求めているだろう?

タイミングはどうだろう?

それらをすべて含んだ上で書いていかないとただ思いついただけを書いていてはダメなのです。

それは言葉、文章、文字は生きているからです。

自分の言葉で伝えないと伝わらない。

そのためには自分を常にシンプルにスッキリした状態にしておかないと自分のエネルギーがそのままブログに反映される。

大げさかもしれませんが、想いを伝えるってそれくらいナーバス(繊細)なものだと思っています。

今日、自分が素になれる場所で書いた文章があります。

みなさんが今知りたいこと、それは、今や明日のことではなく近未来、そして将来がどうなるかだと思うのです。

終わり良ければすべて良しではありませんが

ゴールが明るいとわかれば、今は希望を持って乗り越えて行けると思うのです。(辛いことがあっても)

だから私は、未来が明るいこと

そして未来に備えて今はどうしたらいいのか?を書いていきたいと思っています。

私の書いた文章を信じるのも信じないのもみなさんの自由です。

私は評価がどうであろうと書き続けていきたいと思ってます。


これからの私の日記は下記の3つの内容がベースになって書いてゆくことになると思います。





 
  
1. 過去の自分とは不完全なダメな自分しかいない。

そこに意識を合わせていくら頑張ってみても不完全の延長にしかならない。

そうではなく本来の自分は完全(パーフェクト)なんだ。

「宇宙そのもの、神そのものなんだ」 と意識を天(上)に合わせるのです。

そして天と一体となって下の肉体に降りてくる。

それを人間は下から上へ上がろう上がろうとしている。

階段でも下から上へ昇るのはしんどいけど、上から下へ降りるのは楽なのです。

楽とは楽しいということです。

楽しみながら、天の本当の自分と一体となって、それを肉体界に顕してゆく。

それが本当の人間の姿なのです。(果因説)

 
  

2. 今、太陽系の宇宙はどうなっているか?フォトンという光の粒子の帯(ベルト)に太陽も地球も太陽系の星はすべてすっぽりと覆われているのです。

だから地球は太陽とフォトンのエネルギーを受けていることになります。

このフォトンベルトは1万6000年周期でやってきて、2000年続くのだそうです。

2000年といっても宇宙の起源から見れば一瞬にすぎない。

地球は大きな磁石です。その磁石から出るエネルギーで磁場を作り、宇宙から降ってくるあらゆるエネルギーをさえぎってきた。

太陽からの熱波をやわらげ、巨大な隕石などもそこでガードしていたのです。

しかし、フォトンのエネルギーはあまりにも細か過ぎて地球の磁場をすり抜けてしまう。

そのフォトンのエネルギーとはどんなエネルギーなのか?

それは、地球が次元上昇(生まれ変わる)するための愛のエネルギーなのです。

このエネルギーは人間の細胞を変えてしまう。

肉体意識を宇宙(神)意識へと変えてしまうものなのです。

これらの宇宙からのエネルギーに対応することを “宇宙法則に乗る” といいます。

だがしかし人間側に宇宙意識へとシフトする準備が出来ていないとそこにギャップ(心の葛藤)が生じるのです。





  

3. 金星は地球よりもずっと進化した星だけど、そこに住んでいる人(宇宙人)たちはどんな生活をしているかというと1日のうちに4~5時間、自分たちが食べる食べ物(野菜や果実)を作っている農場のようなところで働き、そして後の時間は自分の趣味や好きなことをしているのです。

読書の好きな人は本を読み、ピアノが好きな人はピアノを弾き、自分の能力を伸ばすことをしている。お金は存在せず、物々交換で成り立っている。

電気はすべて自然エネルギーでまかない、経済活動を必要としない生活をしているのです。

地球も今、その方向へ向かおうとしているのです。

日本にも小さなコミュニティー(集落)がたくさん出来て、そこには学校もあり(しかし病院はない、なぜなら病気はなくなるから)公園も住むところももちろんある。

電気はソーラーからもっと効率のいいエネルギー(空気)へと変わってゆく。

音楽が好きな人はそこで演奏し人々を癒す、教えることが好きな人は講義を行なう(すべて無報酬で)

器(政府が用意することになる)さえあればお金がなくてもみんなが人間らしく助け合って、癒し合って暮らしてゆく世界。

それが近未来の地球の姿なのです。

こんな器用な繊細な難しいことが本当に出来るのか?

出来るのです。

日本人が先頭に立って他国を引っ張ってゆく、模範になってゆく。

日本人だからこそ、成し遂げることができるのです。



  

 

2012年12月18日 (火)

政治家も国民もどうしたらいいのか?わからなくなっているのです。

    
今回の選挙は、政治家も選ぶ国民もどういう政策だったらいいのか?

どんなことを語ってくれる政治家だったら託そうとするのか?

つまり何が正しいことで何が間違っているのかがみんながわかっていない状況だったのです。

今はデフレ、不況です。

だったらインフレにすればいい、お金をたくさん刷ればいいと今度の総理になる安倍さんは言っていますが、インフレになって円が安くなると輸出は良いけど輸入品が高くなってしまう。

ガソリンも輸入に頼っている食品、原料も高くなる。

それにつれて所得も増えればいいけど、先行き不安な企業は、ちょっと景気が回復したくらいでは給料を上げたりはしない。

金利が下がってお金が借りやすくなったって、設備投資をしてそれに見合うだけの利益が上がるとは思えない。

根本は何かというと需要が少ないということです。

私たちはもう物質的には満たされている。

住む家があり(賃貸でも)、冷蔵庫やクーラーがありテレビやパソコンがあればもういい。

自動車は今やステータスではなく、電車を使った方が安上がりである。

今は、物質的な豊かさよりも心の豊かさを求めている。

若い人たちが車のローンを払うより、スマートフォンなどの通信機器に投資するのは人と人とのコミュニケーションを大切にしたいからだと思うのです。

美味しいものを食べたいという気持ちももちろんある。

だけど今はコンビニに行けば手頃な値段で食欲という欲も満たされるようになった。

だからいくら付加価値をつけて物を生産したところで国民のマインドが求めなくなってきているのです。

そして、それに追い打ちをかけるようにインターネットで欲しいものがダイレクトに買えるようになってきた。

情報もタダでいくらでも入ってくる。

新聞も雑誌も本もいらない。

こんなことを書いてはいけないとも思うのだけれど、ほとんどの産業はもういらないのです。

いくらインフレにしようとしても、雇用を増やそうとしても

物が売れない、贅沢はしない

必要なもの以外は買わない

買いたいと思わない

思わないからお金は使わない

企業も新規事業をするなんて冒険もしない(しても儲からないのがわかっているから)

飽和状態になっているんですね。

経済が成長する時代は終わったのです。

そのことに気づいている人はいるのだけれど

誰もそれを言わない

そしてどんな政策も無理がある。

それはどんな政策も時代の風に逆らっていることになるから・・・・・・。

今まで人間が経験したことのない状況にあるのです。

今はどんな物を作っても、企業努力をしても

報われにくい状況にある

だからある賢明な経営者は、会社の広い土地にソーラーを設置し、電気を売ろうとしている。

工場をバイオで野菜を作る場所に換えている。

今までの物を生産するよりも、需要のある野菜や電気を売る方がよっぽど実入りがいい。

これまでのやり方にこだわっていては、もうやってはいけないのです。

政府は

「もう経済成長の時代は終わった」

「これからは物質文明から精神文明へと移行する」

「だからみなさん自給自足が出来るように、お金がなくても生きていけるようなシステムを構築していきましょう」

と言うべきなのです。

いや、それはまだ早いかもしれませんが遅かれ早かれ

そんな時代になってゆくと私は思っています。

まだまだお伝えしたいことはたくさんあるのですが

今日はこの辺にしておきます。


  

 

2012年12月16日 (日)

自分自身に宣言をする


     

昨日の、朝ドラ「純と愛」は感動しました。

純が故郷である沖縄のホテルを取り戻すために勤め先であるホテルを辞める決心をする。

その日の朝、辞表を出していた同僚のチカちゃんが戻ってきた。

土下座をして、「私もう、辞めるなんて言いません、辛いなんて言いません、人のせいにもしません、だからもう一度ここで働かせてください」

そして先輩の水野さんもそこにはいた。

「辞めたいと言ったら、部長にボロクソに怒られた、人の悪口を言う人、自分を褒めてくる人には注意しなさいと諭された」 

大好きなみんなが戻って来た。

また一緒に働きたい、みんなでこのホテルを理想のホテルにしていきたい・・・・

でも自分には故郷に戻って “魔法のホテル” をつくるという使命(ミッション)がある。

だから辛いけれど、別れなければならない。

今は部長になった桐野さんが泣いていました。

今まで決して涙を見せなかった冷静な桐野さんが感極まっていました。

そして

本当の職場のようにみんなが感動していました。

舞台は沖縄に移って、もうオーサキホテルの場面は無くなることの寂しさもあるだろうけど、そこには純にエールを送るみんなの愛がこもっていたのです。

そのエネルギーが画面を通して、私に伝わって来たので思わず涙ぐんでしまいました。

決意するって、宣言するって美しいですね。

チカちゃんも水野さんも、桐野さんも純もみんな自分で自分に決意をしました。

桐野さんも純を送り出すという決意をしたのです。

まず自分自身に決意をして、それをみんなに宣言をした。

そこには昔の自分はいなくて、新しく生まれ変わった素晴らしい自分がいるのです。

私は奇跡とは心の変化だと思うのです。

心の変化がなくては、奇跡は起きないのです。

以前読んだ本で「怒らない技術」がありました。

自分が感情的にならないには、こんな方法がある、こういう考え方がある、スキルがあるといくつかのやり方が書いてあったのですが、一番有効な強固なものとは自分自身に決意することだったのです。

自分で自分に

「今後一切どんなことがあっても、私は怒らない、感情的にならない」

と決意、決断、宣言することが一番大切であると・・・

人間は他人には嘘をつけても自分自身には決して嘘はつけないのです。

誤魔化すことはできないのです。

そこが人間の素晴らしさ、 “神性” だと思うのです。

私たち人間は毎日毎日、瞬間瞬間が決断、決意の連続ですよね。

一瞬の決断をどうするかによって

未来が決まってくる。

自分自身に嘘をつかない

そんな決断をしていきたいですね。

 

2012年12月13日 (木)

エネルギーが違ってきている


  
みなさんは、昨日あたりからエネルギーが変わってきているのを感じられていると思います。

2012年12月12日は、地球にとって特別な日なのです。

夜空に無数の星があるように、宇宙が無限の進化をしているように

私たちが住む星も進化しつづけている

そして新しい次元の星に今なろうとしているのです。

空気が違っていることは感じますよね。

そして波動(エネルギー)も明らかに違ってきている。

今までに降りて来たことのないような光の粒子が降り注いで

私たちの意識までが変わろうとしている。

しかし、自覚がなければ

肉体の意識がそのままならば、宇宙からの降り注いでいるエネルギーとのギャップによって、心の葛藤が生じます。

今までは

「お金が欲しい、欲しい」とそのことばかりが頭に浮かんでいたのに

金銭欲、物欲が無くなった。

物欲だけでなく、色欲も、食欲も薄れてきた

怒りの感情もなくなったような気がする

「あれっおかしいぞ」

と思うけれど原因がわからない。

それらの欲ばかりの意識がいっていた人は

心の中に大きな空洞が出来るのです。

目的意識を失うのです。

なんにも欲のない人は

あまり変わらないかもしれない

でも、周りが穏やかになっているので嬉しくなるでしょう。

これから年末にかけて次元上昇が完結へと向います。

具体的にどうなるかは

ここでも徐々に述べていきたいと思います。

いよいよ

地上天国の到来ですね。

私は喜びをかみしめています。



  

 

2012年12月11日 (火)

みんななんらかの誤解をしながら生きている 2


 


西園寺昌美さんの解説

誤解と錯覚のために人生を無駄にしていないか

ここでモーパッサンの意図としては、女の内に潜んでいる虚栄心とか見栄の醜さ、いやらしさをいやというほど描きたかったのに違いありません。

もし彼女がその時貧しい夫から新しい服を買ってもらった唯そのことだけに満足し、感謝してさえいれば、こんなにみじめで耐えられないほどの不幸な一生を辿ることはなかったはずです。

だが彼女は新しい洋服にもう一つ自分をさらに美しく飾りたてる宝石が欲しいと願った、その時から二人の人生は全く予期しない暗い道へと転落していったのです。

モーパッサンは、誰の心の中にも潜む心の弱さと同時に、この虚栄心のもつ破壊力のすごさを表現したのだと、以前の私はそう理解していました。

しかし今私の感じ方は昔とは少し違ってきています。

私がこの作品で把えたのは、誰しもが簡単に陥ってしまう誤解と錯覚というテーマです。

金持ちの女友達が宝石を彼女の前にとり出し、どれでもよいからあなたの好きなものを持っていってよいといった時、彼女はダイヤモンドの首飾りを手にしました。

その時、彼女の頭の中には、あの金持ちの女友達がまさか偽りの宝石を自分の前に出してくれたのだとは、思いもよらなかったのです。

考えも及ばないのです。

頭から本物であると誤解をしてしまっていたのです。

本物に違いないと錯覚を起こしてしまっていたのです。

このように事実とは全く違ったように見えたり聞いたり、感じたり思い込んだりしてしまうことによって、引き起こされる不幸なことは実にこの世には多いものです。

読者の皆様方も誰しもが一度や二度は誤解や錯覚による過ちを犯してしまったり、感情を害されたりしてしまった経験をお持ちになっているに違いありません。

           


             モーパッサン『首飾り』より


  


私の感想

この文章の中の頭から本物であると誤解をしてしまっている、ここが非常に危険だと思うのです。

女友達が善意で偽物をみせたのか? はわかりませんが、金持ちの友達が私に偽物を渡そうとするはずがないと信じ切っていること

なにも疑ってかかれといっているのではないのですが

ほんのちょっと冷静に、違う角度から物事を観るだけで思わぬ真実や見方ができるのです。

みんな自分は正しいと思っています。そして他の人の考え感覚がおかしいと思っている。

しかしそれは思い込み、誤解、錯覚でそう思っている事ってほんとに多いのです。

思い込み、誤解、錯覚をしている自分を信じているんですね。

そしてしなくてもいい不幸をしてしまっている。

自らがマイナスを引き寄せてしまっている。

だから簡単にジャッジ(判断)をしてはいけない。

いや判断すること、そのことが違うのです。

宇宙的視野でみれば、私たち人間がする判断なんてどうでもいいことなのです。

正しいも間違いもない

自分の下す判断なんてたいしたことはない

この物語りを読んで、西園寺さんの解説を読んでそう思ったのでした。

 

みんな何らかの誤解をしながら生きている 1

突然ですが、今読んでいる本(果因説)の中からモーパッサン『首飾り』の話を引用します。

私はこの物語りを読んで、私たちは多かれ少なかれ誤解をしながら生きていると気づいたのです。

その誤解が大きいか?少ないか?の違いだけで、みんな誤解をして、その誤解に気づかずに過ごしている。

早く気づいた人はいいけど、なかなか気づかない人は、明らかに人生を無駄に、もったいなく過ごすことになるのです。

肉体界にいる時間は限られている。

だから無駄に過ごしてはいけないのです。

早く自分が何者であるのかに気づいて、そして天命をまっとうすることに時間を費やすことが幸せにつながってゆくのです。

そのためには、自分が今、なんかの誤解をしながら過ごしているんだということが客観的にわからねばなりません。

この物語りは、そのことを教えてくれるのです。

ハッとされる方もおられると思います。

では、どうぞお付き合いください。

 

安月給の家庭などに案外垢ぬけした美しい娘さんがいるものだが、彼女もそんな一人だった。

持参金もなければ、遺産の目当てもあるわけではない。

いわんや、金持ちの立派な男性に近づき、理解され、愛され、求婚される、そんな手づるのある筈もなかった。

結局、文部省の小役人と結婚してしまった。

もとより着飾ることなど出来ようもなく、簡単な服装で間に合わせていたものの、内心では、零落(れいらく)でもしたような気がして、自分が可哀想でならなかった。

彼女は自分がどんな贅沢をしても、どんな洗練された生活をしてもいいように生れついているのに、と思うにつけ、いつもいつも寂しくて仕方なかった。

今の自分の住まい、環境、一切が気にいらなかった。

彼女には晴れ着もなければ、装身具もなかった。

実際、何一つ持っていなかったのだ。

そのくせそんなものばかりが好きだった。

自分はそんなものをつけるために生まれついているような気さえしていた。

それ程までに彼女は人に喜ばれたり、羨まれたりしたかったのだ。

人を惹きつけ皆からちやほやされたかったのだ。

ところがある日の夕方、夫は妻を喜ばせるために意気揚々と帰ってきた。

手には大きな角封筒を握っている。

それは大臣官邸で行なわれるパーティの招待状であったのだ。

だが夫の期待に反して、彼女は、喜ぶどころか、さもいまいましいげにその招待状を放り投げ、不平そうに言った。

「これ、あたしにどうしろとおっしゃるの! 私に何を着て行けとおっしゃるの!あたしにはよそ行きがないでしょう。だからそんなおよばれには行けないわ」

夫は、途方にくれ、それでもなお妻が喜ぶことを考え、彼の貯めてあった貯金を全部はたいて新しい洋服を買ってあげたのであった。

ところが、喜んでいた妻が、パーティが近づくにつれて浮かない顔になってきた。

夫は妻にそのわけをきいてみた。

「だって、あたしつらいわ、装身具ひとつないなんて、宝石ひとつないなんて、身につけるものが一つもないなんて、あんまりだわ、考えたってみっともないじゃないの。あたし、いっそそんな宴会なんて行きたくない」

と応えたのであった。

夫はきらびやかな宝石よりも、美しく咲いている本物の花でも差すように言ったが、彼女は聞かなかった。

そこで思案した揚句、彼女のお金持ちの友達から借りることに気がついた。

早速彼女は友達の家へ行き、事情を話した。

友達は、大きな宝石箱を取り出すとそれを彼女のところへ持ってきて、蓋を開け、

「さあ、好きなものを選んで」

と言った。

彼女は見た、まずいくつかの腕輪を、つぎに真珠の首飾りを。 それについで金と宝石をちりばめた見事な細工のヴェネチア製の十字架を。

そして彼女はダイヤをちりばめた首飾りを選んだのであった。

宴会の当日になった。 彼女は大成功だった。

彼女は他の誰よりも美しかった。 上品で、優雅で、愛嬌があり、歓喜に上気していた。

男という男が彼女に眼をつけ名前を尋ね、紹介してもらいたがった。

大臣官房のお歴々も彼女と踊りたがった。

彼女は快楽に酔いしれながら、男たちから受けるお世辞、賞讃、彼女の身うちに目ざめてきた欲情、女心にとってはこの上もなく甘美なこの勝利、こうしたものから生まれた一種の至福につつまれながら、彼女は夢うつつで踊るのだった。

家に帰って、首飾りが失くなっているのに気づき、二人は驚愕した。

彼女が行ったあらゆる所を二人で探しまわったが、とうとう首飾りは見つからなかった。

二人は女友達から借りた首飾りと同じものを見つけ出すため、あらゆる宝石店を探し廻った。

ついに、同じ首飾りがみつかった。 値段は三万六千フランだった。

彼女は手紙を書き、ありったけの品物を担保に入れ、高利貸をはじめあらゆる金融業者と関係を結んだ。

こうしておのれの余生を台なしにし、果ては自分たちの身に襲いかかる暗たんたる生活を思うにつけ、今更ながら空恐ろしい気分になるのであった。

彼女が首飾りを返しに行くと、金持ちの女友達は、

「困りますわ、もっと早く返していただなくては。だって、あたし入用だったかもしれないでしょう」

だが、彼女はその首飾りが替え玉であることに気づかなかった。

二人は住まいも屋根裏に間借りをし、貧乏暮らしの辛さを思い知らされるのであった。

美しかった肌も爪も荒れ放題、長屋のおかみさんみたいな格好で、どこへでも出かけ、そのつど恥ずかしい思いをしても、なるべく値切っては、苦しい財布から一銭でも守ろうとした。

かくしてこのような生活が十年間続いた。

十年目に高利の利息から利に利を積んだ借財まで一切合財返済した。

美しかった彼女はまるでおばあさんみたいに変身してしまった。

貧乏所帯が身について、骨節の強い頑固なおかみさんになっていた。

髪もろくろくとかさず、スカートがゆがんでいようが平気であった。

さて、ある日曜日のこと、彼女がシャンゼリゼを散歩していると、相変わらず若くて美しい子どもづれの金持ちの女友達に出会った。

彼女が声をかけると、昔の美しい面影をまるで失ったその変わりように、友達は初めは真実、彼女とは気づかなかった。

「貴女ずいぶん変わったわね」

それから彼女は、借金も返し終わったことだし、思いきって今までのいきさつを一切友達に話した。

すると友達は、

「貴女は新規にダイヤの首飾りを買ってわたしのとかわりにしたとおっしゃるのね。まあ、どうしましょう、わたしのは模造品(まがいもの)だったのよ、せいぜい五百フランくらいのものだったのよ・・・・」

                  モーパッサン『首飾り』より




  

2012年12月10日 (月)

果因説

私たちは、時間とか過去から現在未来へと流れていくと思っている。

確かに過去の幼い自分がいて、成長して今の自分がいる、そしてもっと時間を経ると年老

いた自分が待っている。

しかしそれは周りがそうなっているので自分もそうなるであろうという想いがそうさせている

のだ。

時間が過去から現在、未来へと過ぎて行くなんて誰が決めたのだ?

宇宙には時間は存在しない

過去も未来もない、時間軸を超えている。

地球は3次元の枠の中にいるので時空を超えていないだけなのだ。

3次元を超え(今は3次元の終りかけです)、4次元に突入すると一気に時間軸を超え

始める。

いやもう時空を自由自在に操っている人もいる。

それは、未来から時間を流している人たちだ。

例えば、川上から桃を流すとする。

そして自分は川下で待っている。

すると桃は未来(川上)から現在(川下)へとやってくるのだ。

素晴らしいプレゼントを未来(川上)に投下すると時間を経て受け取ることになる。

重い病気の人がいるとする。

医者からみ放されている。

医者は過去のデータからこれからの患者の姿を想像する。

最悪の診断を下す。

しかし患者は未来の健康な自分をイメージ(想像)している。

「健康になりたい」 ではなく

すでに 「健康になっている」 姿をイメージするのだ。

健康になりたいは、健康でない自分も認めていることになる。

イメージには、負(マイナス)は一切いらない。

100%プラス思考でいいのだ。

こうしてエネルギーは健康な姿へと集まってゆく。

結果(未来)が健康であり

これから結果に向けてプロセスがやって来る。

初めに明るい結果があって、そこには道が出来ている。

その道にはいろんな出来事(プロセス)が起るが、道がしっかりと示されているので

迷うこと、悩むことはほとんどない。

果因説とは、すごくシンプルなのだ。

これからは、果因説が当り前な思想になってゆく。

みんなが果因説を取り入れて

健康になり、不調和なものが調和し

自分な自分、なりたい自分が次々へと実現してゆく

なんでそんなことが出来るのだろう?

それは私たち人間が創造主(神)であるからだ。

想像を創造に変えてゆくことが出来るからだ。

この本を読んでいただければ私の言っていることが本当だとわかってもらえると思います。

   「果因説」 西園寺昌美 白光出版


  

 

2012年12月 9日 (日)

大先前社長 頑張れ!

このタイトルを見て、ドラマを観ていない人は、「なんのこっちゃ?」と思われると思うのですが、みなさんが観ておられるという設定のもと、話を進めます(笑)

オーサキホテルの社長を解任された元社長大先さんは、気の毒だったと思うが冷静に分析するといろんなことがわかってくるのです。

現在の状態は、過去から現在までの自分の行なってきたことのプロセス(過程)の結果だとわかるのです。

そしてもっと辿ると、そこには創業者であるお父さんの行動までが見えてくる。

息子可愛さに厳しい道を通らすことをしなかった。経営者としての道を経験させずにカタチだけ与えた。

目にみえないものを疎かにすると必ず、時間を経て、カタチに現われて出て来るのです。

それが株主会議による結果となった。

株主たちは、一度は大先社長の熱意に動かされるが、今までの経緯を知っており、ちょっと改心しただけでは大赤字を取り戻すことなんて出来ない。

大先さんよりも副支配人の方が適任だと思ったわけです。(世の中はそんなに甘くはない)

株主としては当然の選択だったと思うのです。

視聴者としては、大先社長の行く末を心配するのですが、本当に改心して理想の夢の国のホテルを創りたいのであれば

裸一貫、0(マイナスからかもしれませんが)からスタートして、別のホテルを作ればいいと思うのです。

ホテル名は、「ニューオオサキホテル」 になるでしょうか?

強い意思があったなら、会議のときに副支配人の気持ちも動いたのかも知れない。

しかし動かなかったのは、自分のアイデア(考え)ではなく、愛(いとし)君の受け売りだったからです。

自分の心の底から出て来た“心の声” “心の叫び” 本心だったなら、副支配人だけではなく、株主、M&A(企業の合併・買収)を行なったカイザーさえも動かすことが出来たはずです。

人の心を動かすには、まず自分を徹底的に信じる、強い、強~い意思が大切なのです。

どんなことがあっても自分一人でも立ち向かう

人には一切依存しない、甘えない

そして、みんなを幸せにするんだという覚悟です。

経営者ってみなさん孤独なのです。

しかし 孤独になっても 愛を失ってはダメなのです。

自分のことだけではダメで

そこには大きな愛、人類愛がなければ

人間は “本気で頑張る” ことなんて出来ないと思うのです。

私はそれが世界平和の祈りだと思っています。

人類の幸せを祈れる私は 幸せ者だと思うのです。

世界人類が平和でありますように

  

 

自分のやったことは必ず返ってくる

最近のドラマを観ていると、普段やっていることが必ず結果になって顕われてくることを言っているように思うのです。(因果律)

過去の結果が現在、未来の原因が現在、今を大切に、現在が大事 (調和波動気功j法)
 


と私のメンターである于先生のご著書には書かれていますが、この言葉から過去のことを振り返って後悔していてもしかたがない。

現在には、過去の姿と未来の姿の両方の姿が含まれているのです。

暗い済んでしまった過去をつかむか、明るい未来をつかむかの選択は私たちに任されているのです。

誰も強制して、こちらにしなさいって言わないのです。

私は過去がどうであろうと、現在がどうであろうと未来の明るい姿だけを強くイメージ(創造)して生きていきたいと思っています。(果因律)






今日のつぶやき



1.人間の幸せとは、目的を持って突き進んでいる時(プロセス)の心の状態が生き生きとしていることであり 今の目の前に現われている状態ではない。


2.そのうち誰かが何とかしてくれるだろう、自分もいつかは変わるだろうなんて悠長なことを言っていても何も変わらない。今すぐ良くなっている状態を、素晴らしくなっている自分の姿を強くイメージするのだ。どうするかはイメージした後でわかってくる、見えてくる。初めに強くイメージをして道をつくることが大切なのだ。

3.会社を乗っ取られるのにはいくつかの原因があるが、社長が2代目である場合は、初代の社長が2代目(息子)に徹底的に社長としても帝王学を叩き込まなかったことにある。
どこかに隙があると必ずそのつけは後かになってやってくる。
個人でも大切なことを疎かにしてなあなあにしていると必ずシッペ返しがある。
この世の修行とは、点と点の間の隙間を埋めて線にしてゆくことなんだ。




  

2012年12月 7日 (金)

正しいお金の遣い方


一部の政治家の人はデフレを解消するためにお金をたくさん刷るとか、公共事業をたくさん行なうとか言っていますが、それは違うと思うのです。

国民が将来に不安を感じて出せないでいる。

国民が納得して喜んでお金を出さないことには本当の好景気は来ないと思うのです。

1500兆円ともいわれる貯蓄額のうち200兆円が出回れば、十分に潤うことになる。

無理に無駄に工事をしたり価値の下がるようなお札を乱発する必要なんてなくなるのです。

では、もっとお金を使わせる側(企業やお店)などが努力をして、お金を出させるようにすればいいのか? 財布のひもを緩ませたらいいのか?

というかというとそれも無理がある。使う側に迷いがあるからです。

これいいな欲しいな、美味しそうだな、食べたいな、でも使っちゃったら貯金が減るしな、将来のためにこれは贅沢だからやっぱり我慢しよう になってしまうからです。

喜んでお金と物との物々交換をしていないからです。

金放れが悪いんですね。

昔の人は(特に江戸っ子は)金放れがよかった。

宵越しの金を持たなかった。

その日に使ってしまって次に日には残さなかった。

お金というエネルギーを使い切っていたのです。

今はさすがにそんな人は少ないと思いますが、お金というものは出さないと入って来ないのです。

お金もエネルギー、車のガソリンタンクと同じです。

空になったタンクにはたくさんのガソリンが入るけどいっぱいになったタンクにはほんの少ししか入らない。

エネルギーは使って使えば使うほどたくさん入ってくるのです。

それを出し惜しみしている。

将来ガソリンが無くなるかもしれない、急になくなったら困る、だから車もガソリンも使わないで家に置いておく。

そんなことしませんよね(笑)

でもそうしているのです。

それだけではなく、車できれいな紅葉を観に行くことや楽しいドライブまでも控えている。

心が豊かになる自分への投資までも控えているのです。

私は、なんでもいいから思いついたら、欲しいものがあったら、衝動買いでもいいから感情に任せてお金を使っちゃえと言っているのではありません。

そんな無計画なことをしたらすぐに無くなって困ってしまいます。

ではなくて、自分の心が豊かになることに遣えばいいと思うのです。

心が豊かになれば、目にみえないもの(エネルギー)が満たされるようになると、自ずと目にみえるもの(お金、物質的なもの)は整ってくるのです。

私はこのことからときどき、以前に聞いたある話を思い出すのです。

新人の漫画家2人が奨励賞を受賞した。副賞として100万円をもらった。

Aさんはこのお金で各地を旅をして見聞を広め、帰ってから旅の体験を生かして漫画を描いた。人を雇い仕事は分担制にし、自分はアイデア(構成)を主にやった。

Bさんは将来に備えてしっかりと貯金をし、人を雇うのはもったいないので、超忙しかったが一人で何役もこなした。

忙しいというのは、心を亡くすと書きます。

Bさんは文字通り、心のゆとりを失ってしまったんですね。

この2人の漫画家がのちにどうなったかはたやすく想像出来ると思います。

Aさんのようにうまくお金をエネルギーに変えれたら素晴らしいと思います。

何に自分は投資すればいいのか?

何をすれば心が豊かになれるのか?

これは人それぞれ価値観や考え方も違うので一概にこれがいいとはいえないのです。

ただ言えるのは

国民が有意義なことにお金を使うようになれば

必要なところにお金が集まり、正しく努力しているところにエネルギー(お金)が行くようになれば

必要なものが残り、本物が評価されるようになります。

私はこのような状態でお金が動くことがインフレとかデフレとか関係なく

良い経済状態だと思うのです。

無駄がない、余分なものが省かれたスッキリした経済国、ニッポン!

なにより一人一人の心が豊かになることが日本をよりいっそう素晴らしい国にするのだと思うのです。

あなたにとって今、必要な自分への投資とは何ですか?

自分が素敵になるために何をしていますか?



  

 

2012年12月 6日 (木)

お金にとらわれない生き方

  
みんな 「もっとお金があったらいいな」 と思っている。

お金がたくさんあったら出来ることの選択肢が増え、幸せになる手段だと思っている。

しかしどんな方法を使ってでもお金を得たいとは思わない。(まともな人は)

それは自然に天から与えられたもの、本物ではないからだ。

自分の徳が天に宝を積み、それが地上に降りて来たものだけが本物であり、そうでないもの、徳を積んだものでなければそれはすぐに消えてしまうものなのです。

だが、自分が今受け取っているお金が天から降りて来たものであるのか? そうではない幻であるのか? なんてわからない

また、わかる必要もないのです。

この世(肉体界)は、お金がある程度なければ暮らしてゆくことが出来ません。

だからお金を得ようとしたら、最低限の仕事をしなければならないし、自由気ままに我儘を通すことなんて出来ない、汚れたことも少なからずしていかないとお金を得ることは出来ないのです。

つまり感情、本心をおさえて勘定(お金)を得るという物々交換をしているのだと思うのです。

そしてこの物々交換をすることによって人間は、忍耐という修行をしている。

だから、お金を得る修行をしてその対価として、天から与え給うもの

それが給与なんですね。

今、お金が欲しいと思っている人、リストラ(企業の再構築)によってお給料が減らされて困っている人、仕事が無くて探している人・・・・・・・

お金にまつわることで悩みを抱えている人ってたくさんおられると思うのです。

しかしお金は自分の魂を磨くために必要な分だけしか、天から降りて来ないのです。

少なかったら、少ないからこそ、魂が磨かれやすいのです。

多かったら、多いことを経験することで魂が磨かれるのです。

人それぞれ、人様々なのです。

自分は今、どの状況にあるのか?

この状況によってどんな修行を神様はさせようと考えておられるのか?

そう思えば、お金がある、ないはどうでもいいことだと思えてくるんですよね(笑)

お金の多寡(多い少ない)に把われない“生き方”

そんな自由な生き方ができたら 素敵だと思うのです。

 

今日のつぶやき




1. 「信じる者は救われる」とは、他の誰かが救ってくれるのではない。自分の信念、自分の中の神性が自分で自分を救うのだ。人に期待をしていると必ず裏切られる、というよりその人は「自分を信じなさい」と教えてくれているのだ。
 



2. 総理大臣になったら、大統領になったら、どこかの会社の社長になったとしたら 忙しくなって自分の自由な時間なんて無くなってしまう。そんな人生なんて嫌だと潜在意識で思っているから 今のこの状況、環境になっているのだ。 自分自身が望んだ通りになっているんだ、今がベストの状態なのだ。

 



3. 金持ちになったら、貧乏人にはわからない苦労がたくさんある(笑) 何より気楽さ、自由がなくなる、そんな人生は まっぴらごめん だとわかっているからわざと今、お金のない生活を楽しんでいるのだ。金持ちなんてなろうと思えば明日にでもそうなれるのです。





4. 情に流されず 切り替えを早くしてゆくことが 明るく(軽く)生きてゆくコツなのです。

 




5. 普段は冷静沈着であって これに人を思い遣るというやさしさ(情ではなく)が備わっていれば きっといい人だと思う。

 



6. 感情があらゆる不幸をつくってゆく、だからといって感情を無くしてしまえばいいというのではない 感情を超えて感動に変えてゆくことに人間の美しさがあるのだ。

 




7. 頭で考えたことを口に出してしゃべっても 人の心を感動させることは出来ない それはいい話をしようという計算があるからだ。しかし何の準備もしないでいきなり話してもうまく語ることはできない。相手にわかりやすく伝える練習(準備)を普段からして、本番では 心で語れるようになろう。

 



8. 友だちをつくるのは、自分のことをわかってもらえる人を増やすためではない 自分の中のプラスのエネルギーを振り撒くために友だちになるのです。人を幸せにするために友だちになるのです。

 



9. 人に何かの悩みごとを相談しようと思っていたんだけど、会って話しているうちにその悩みごとはどうでもよくなることがある。それは、人に相談することではなく自分で解決できることだということなのです。自分の心の中にはどんなことも解決出来る素晴らしい叡智が入っているのです。


 




  






  


  

2012年12月 2日 (日)

結婚しない

   
     
私の周りで結婚していない人、離婚した人がかなりの数いるのです。

今でこそ、結婚していないこと、一人でいることが悪いことのようにいわれることは少なくはなっているのですが、それでも 「一人だと老後が寂しいよ」 とか 「孤独死しても誰も見つけてくれないよ」 とか 「身の周りのことは出来るの?」とか余計なことを言う人もいますし、自分でもどうなのかなぁと思っている人も多いと思うのです。

でも、子どもたちと一緒に住んでいたら別ですが、夫婦2人であったなら最後は一人になるわけですし、死の直前まで自分のことは自分でしなければならないのです。

そして人間は自分の死の時期がわかるのだそうです。

何月何日、何時何分まで・・・・・・・。

お釈迦さまはそれがわかっていたので自分で歩ける余力を残して弟子たちから離れ、死に場所まで一人で行きました。

象や猫は自分の死の姿を見せないといいます。

家族に看とられて、あるいは病院で亡くなるのもいいのかもしれませんが、前の日記でも述べたように人間も動物も植物も、生き物はすべて死の移行のときは、たった一人なのです。

死ぬときだけではなく、生まれて来たときも一人だった。

付添いはいなかったのです。

だからといって結婚しても所詮、最後は一人になるのだから、寂しさを紛らわすために結婚するのは無駄だといっているのではありません。

縁があって結婚する人もあれば、やさしい子どもや孫に恵まれて温かく死を見送ってくれる人がいるかもしれない。 

だが、そうではないかもしれない。

自分の努力によって家族から愛される人になる人もいれば、努力をしても縁が薄い人もいる。

自分ではコントロールできないことって随分あります。

結婚したくても出来ない人、子どもが欲しいけど出来ない人、離婚したいけど生活力がないので諦めている人、いざ離婚したけど生活するのが大変な人・・・・・・・・・

ほんと様々だと思うのです。(いろんな人を見ていると)

ただ思うのは、人間は一人でも生きていける強さは必要だけど、愛が枯渇するのは食べ物がないよりもエネルギー(生命力)が欠乏するのです。

物質的なエネルギーよりも愛(霊的)のエネルギーが人間には必要なのです。

だからよい結婚(人間関係でも)とは、愛のエネルギーの補給のし合いだと思うのです。

弱りかけたときに、愛のプラスのエネルギーを与える、与えてもらう、そしてまた元気になる。

与えることが喜びになり、喜びがまたパワーになる。

だから結婚というカタチを取らなくても

自分が愛を与えられる、受け取ることが出来る環境にあれば、結婚にむいていない人が無理をしてすることはないと思います。

子どもを育てる自信の無い人は、親に孫の顔を見せなくてもいいと思います。

目に見えるカタチよりも、目にみえない心を豊かにする。

結婚というカタチにこだわるのではなく、まずはみえない心をどうしてゆくかが大切だと思うのです。

自分で自分の心が豊かになれる、人を豊かにさせられる。

それを創ってゆくことが大切だと思うのです。




今日のつぶやき




1. 今、なにをするかによって 未来だけでなく 過去も変えることができる。
 
 


2. 僕らにとって大切なことは「誰が悪い」じゃなく、「自分たちはどうすべきで、どこへ向かうべきか」なんだってこと。わかってたけど、その答えがみつからなかったから、僕らは敵を作って、攻撃することで、その場をごまかしてた。そんな気がします。(尾崎豊)/ それを教えるのが大人の責任なんですね。
 



3. 「自分に対するあいつの態度が悪い」って言うけど 実は自分の態度が悪いから 相手も悪くなるんだ。相手に大切に接すれば必ず相手も大切にしてくれる。 人はみな 自分の鏡だから・・・
 


4. 家の外に十分コミュニケーション、会話、対話のできる人たちがいるのなら、あえて無理をしてまで家庭を持つ必要はないと思う。連れ合いを自分の老後の介護のあてにしてはならない。
 



5. 家族が仲がいいというのは、いいことだけど 良すぎるとお互いに依存してしまうことがある。本当の幸せとは各自が自立することなんだ。自立した後で仲良くなるのが一番いいのだ。
 
 


6. 子どもが親に反発するのは、親が子どもに愛情過多になっている場合が多い。子どもは自分が自立しなければいけない、親のためにも自分の足で立てるようにならなければいけないと思っているのだ。そのためにはまず親に自分への執着を絶たせようとして、子離れをさせた上で自分が親から離れていこうとしているのだ。

 



7. 相手を批判するのは、自分のトラウマをさらけ出すことが怖くて、それを隠すために自己防衛のために相手を攻撃してくる人たちがいる。一方相手のことを思って叱ってくれる人もいる。その人の根底になにが流れているのか?それがわかるようになれば人の心の状態が客観的に理解できるようになる。





8. 相手の自慢話でも 「そうですか 凄いですね」と感心して聞いてあげれるような心の余裕がほしいですね(笑)
 



9. みんな自分が与えられることばかりを欲している。そうではなく 自分にはなにが与えられるだろう? と発想の転換をするだけで 見える景色(世界)が違ってくるのだ。だってそのとき自分は愛深い人になっているのだから・・・






10. 「自分は人の3倍仕事をするんだ」というつもりで一生懸命にやっていたならば、人がサボっていようとたとえ何を言われようと気にならなくなる。自分が中途半端なことをしているから人のことが気になってしかたがないのです。





11. 仕事とはお金をもらうのだから厳しくて当り前、しんどくても当り前 という説と、いやどうせやるなら 「楽しく面白くやらなきゃね」 という考え方もある。 どちらでもいいのだと思う。 だって仕事には両方の要素が入っていると思うから。





12. 人は根っからの悪だ(性悪説)とジャッジしてしまうと時間は過去で止まってしまう。一方、性善説で語ると時間は明るい未来からやってくる。時間は過去から現在、未来に流れているのではない。未来から流れて来るのだ。(果因説)






13. 人の批判ばかりをしている人を見ると、「もったいないなぁ」 って思う。自分の使うエネルギーの矛先(ベクトル)を間違えているからだ。

 




14. 自分に与えたれら仕事に100%エネルギーを注ぐのはいいことだと思う。だけど、自分が社長だったら、校長だったら、大統領、いわゆるプレジデントだったらどうするか?というグローバルな目でみれるようになれば なお いいと思う。

 



15. 自分が、「この人を好きになろう」と決意した瞬間から あなたの世界は一変する。人を愛せる人はみんなこの“努力”をしてきているのです。愛は向こうからはやって来ない 自分が創る(クリエートする)ものなのです。

 




16. ほんのちょっとの情報から その人の私生活から 常日頃から何を考えているのか?を推測(ほぼ正確に)出来る力を洞察力というのです。洞察力を磨くには自分がいろんなことを体験し本を読み、そして全体のこと(宇宙のこと)がわかっていなければならないのです。








  
 
 

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