« ユダヤ人のジョーク集 2 | トップページ | 天地の通りをよくしよう 3 »

2012年10月24日 (水)

般若心経(空即是色) 8

  
  
  
真理というものは、何回も何回も何回も繰り返し自分の脳裏にインプットしないとすぐに忘れてしまうのです。

それは、人間が真理から遠ざかって三界を輪廻転生(りんねてんしょう)してきたからです。

三界とは、霊界の低いところ、幽界、肉体界です。

人間は、地球上に誕生してすぐのときには、神体(神界)がそのまま肉体(肉体界)に降りてきていて、神我一体であったのが、神体と肉体の波動が違うのでそこに隙間が出来、幽界をつくってしまったのです。

だから死んでから神界に戻ることは難しくなった。

霊界の高いところまで行けば、もう肉体を持って生まれることはないのだけれど、低いところから下は、迷いの世界なのです。

自分が何者であるのか? 死んだらどうなるのか? なんのために自分が存在しているのか?

それらがわかっていなければ(魂が)、神界へは行けなかったのです。

そのことがわかるまで私たちは生まれかわり、死にかわりをして修行をしていたのです。


ここまで読んで、肉体に何回も生まれ変わるのだったらそれも良いではないか?

「私は、今の地球上での生活も結構楽しいですよ♪」

という人もおられる思います(笑)。

私もどちらかというとそういうタイプです。

苦しいことや嫌なこと、辛いことがあっても乗り越えていくことに生きがいを感じていたりします。

決して肉体を持って生まれることが悪いわけでないのですが、幽界、霊界の低いところは別として、霊界の高いところ、神界は、それはもう別世界なのです。

年をとらない、自分のなりたい年齢になれる、どこへでも好きな所へ自由に行ける、気候は春と秋しかなく快適に暮らせる、周りは善い人ばかりで、犯罪やいじめや争いごとなどはもちろんない・・・・・・・・・・まさに天国ですね。

肉体に慣れてしまったから、肉体界でもいいやと思いますが、波動の粗い肉体を持つというのは、実に不自由なものなのです。

鎧(よろい)を着ているようなものです。

自由自在心とは?

今まで重たい荷物を背負っていたのが、無くなって軽くなった。

視界が悪かったのが、急に見えるようになって明るくなったとでもいうのでしょうか?(不幸、マイナスが一切無くなる)

とにもかくにも肉体を去った後、神界へ行ける人は幸せな人なのです。

そして、必要とあらば又肉体界に生まれることもあります。

しかしそのときは、迷った人間ではなく、迷った人を救う菩薩行をするためなのです。(お釈迦さまやキリストさまのような役割ですね)


ここでもう一度、真理に戻りますが、私たち人間は本当の自分は、神界(天国)に居るのです。

それが実体です。(消えないもの、永遠のもの)

そして同時に霊界、幽界、肉体界にも住んでいる。

しかし神界以外は、実体のない仮の姿、消えてゆく姿なのです。

波動の粗いものはやがては消えてゆき、宇宙の波動である細かい、細か~いエネルギー体だけが残るのです。

それだけが永遠に生き続ける。

細かい波動体とは何なのか?

それは魂、心です。

肉体が滅びても(死んでも)心は残る、意識は残るのです。

死んだら意識が無くなる、自分という個性が無くなると思っていたのは、大きな間違いだったのです。

そして本当の喜び、幸せとは本当の自分とつながることです。

神界にいる、神である自分とつながることなのです。

「自分は神だなんてだいそれたものではない、ただの肉体人間なんだ、死んだらなにもかもがなくなるんだ」


とほとんどの人が、今思っていますがそれは、肉体界しかあると思っておらず、肉体界に起る現象を実在のものと見ているからです。

不完全な姿を実際にあるものだと見ているからです。

そこに人間の不幸がある。

それらの不完全な不幸は、人間が自分が何者であるかを忘れ、自分と他人は別なんだと敵対し愛から離れた日々が潜在意識に溜まり(カルマ、業)、幽界という磁場(エネルギーの世界)をつくったために出来たものです。

潜在意識に溜まったもの(幽界)は、時間を経て肉体界に現われるのです。

それが今、私たちが見ている現象です。

しかしその現象とは、過去のものが写ってきているだけで、写ってしまえば消えてゆくのです。

なぜならば、実体のない、幻だから・・・・。

私たちは実体のない、幻、消えてゆく姿を見て

実在しているんだ、大変な事になってしまった、病気になった(消えてゆくのに)、貧乏になった(消えてゆくのに)、死んでしまった(魂は永遠なのに)そして憎んでしまった、妬んでしまったと脳裡に浮かんだことをつかまえて右往左往、大騒ぎをしている。

それらは、幽界が汚れているからです。

潜在意識の中(個人も地球人類も含め)がマイナスでいっぱいになっているからです。

幽界を浄めることは、肉体人間には出来ないのです。

自分たちがつくってしまった、汚してしまったものだけど、肉体人間は微力、いやなんの力もないのです。

霊界におられる守護霊さま、神界におられる守護神さましか幽界を浄めることはできない。

幽界を浄めないと地球は破滅するのです。

だから肉体人間は、どうしようもないんだ。

後は神さま(守護霊様、守護神様)にお願いするしかないのです。

守護霊守護神は、私たちが寝ている間にも守りに守ってくださっている。

幽体に溜まった潜在意識を夢に出させて浄めて、肉体界(顕在意識)に現われないようにしてくださっている。

だから大難が小難で済んでいるのです。

だけど私たちはそれを知らないから、ちっとでも都合の悪いことが起きると不幸だ不幸だと叫んでいる。(存在も知らずに、感謝もせずに)

これくらい人間はなんにもわかっていないおバカさんなのです。

しかし、今私たちの目の前に現われているものが実体のないものであるとはにわかに信じがたいと思います。

悪いものは消えてゆくんだから掴まずに気持ちを落ち着けて観ていればいいんだと言われても、やっぱりあわててしまいます。(これまでの思い込みで)

でもつかんでしまうとなかなか消えないのです。(消えようとしているのに)

だから、私たちの見ているものは、消えるために現われたんだ。

現われたら後はきっと善くなるんだ。

と信じることが大切なのです。

長くなりましたが、お釈迦さまは般若心経の中でそれを言っておられるのです。

色即是空の色はもののことです。

色とは色素のこと、物にはすべて色がついている。

この色とは、神性と動物性の入り混じった人間のことをいっているのです。

見えているのは動物性の汚れた部分です。

人間は本来、汚れたところなんて無いんだ、見えてはいるけど実体は無いんだ、不幸に見えるものも無いんだ、貧乏も、病気も、死も無いんだ、無いんだ、無いんだ、無、無無無無無無無無無無無無無無無無・・・・・・・・すべて一切のもの(色)を無いと否定しているのです。

否定し否定し否定し切っって空になった後に残るものはなにか?

空になった後で見える景色は、なる前とは全然違うのだそうです。

すべてのものが輝いてみえる・・・・。

そして顕われてくるのは、空になりきった完全、完璧な自分です。

神そのもので、慈愛にあふれた素晴らしい自分がいるのです。

肉体界に自らの神性を顕すことになるのです。

それが空即是色なのです。

空の後に出てくるのも色なのですが

この色は色即是空の最初の色とは違うのです。

真実の色、しいていうならば色のない光です。(白光)

白光の世界とは、神界のことです。

お釈迦様は真理のわかる弟子の舎利ほつに言ったのです。

「舎利ほつよ、今おまえが見ているものは実体(真実のもの)ではない、だから見えるもの(現象)、聞えるもの、その他のもの(五感)を一切無いと思え、そして感じない世界へ入って行け、そこに本当の世界があるのだ、そこに行けばこの世の苦しみは無くなる、心を静めろ、心の奥深くへ入って行け(統一)、そして仏(神)と一体となるのだ」

とおそらくこう言ったと思うのです。

私たちは感じるものを本物だと思っています。

しかし本物(神界)は、感じないところにあるのです。

五感(第六感その他の感じるものも含む)を越えたところにあるのです。

だから(余談ですが)、目に見えるUFOは偽物です。

本当のUFOは、神界にまで意識がいった人でなければ見えません。

肉眼(五感)で見えるのは幽界のオバケのいたずらなのだそう
です。




   


  
世界人類が平和でありますように

日本が平和でありますように(もちろん各国の祈りがあります)

私たちの天命がまっとうされますように

守護霊様ありがとうございます

守護神様ありがとうございます



 
追伸

今回の日記で世界平和の祈りの中に守護霊守護神への感謝が入っている意味がわかっ
ていただけたと思います。
わーい(嬉しい顔)

  


« ユダヤ人のジョーク集 2 | トップページ | 天地の通りをよくしよう 3 »

コメント

ななこさんコメントありがとうございます。

ところで今回は大変でしたね。人の妬みは怖いし嫌ですね(笑)。

その人に感謝しろとは、なかなか出来るものではありません。

その人とは以前(前世でしょうか?)なんらかの因縁があって、返って来たことは確かだと思います。

自分がやっていたことがやり返された。

しかし、自分がやったことの何分の一かで済んで(大難が小難に)それでご破算になった。(ななこさんが又、やり返えさなければ)

後は消えてゆく、消えた後は善くなってゆく。

だからありがたい、消えた後に善くなっていくからありがたいんだ。

善くなっていかなければ、ありがたくはないのです。

何がどうして、どうなって善くなっていくかは、人間側としてはあずかり知らぬことなのです。

その人の魂が洗われるのか?

現象面でお互いにわかり合えるのか?

それは神さま(守護霊)にお任せをするしかない。

でも、必ず善いようにしてくださる。

結果を求めずに、そう信じることが大切なんですよね。

次に書く日記で、消えてゆく姿がありがたいんだ、ということが書いてある文章を見つけました。

よかったら参考にしてくださいね。

これからもご愛読よろしくお願いしま~す。

 

仕事で引き抜かれたのですが、蓋を開けてみたら実は引き抜いてくださった方に妬みの心があったようで、偉い目に遭ってしまいました。
消えてゆく姿だと感謝の気持ちはありますが、あまりにも精神的に辛く、そこから逃げることにしました。
感謝の気持ちがあれば一緒に仕事ができたのかな?
戦わずそこから離れることも感謝に繋がる?
悩んじゃいます
答えは本当の私しか知らないのですが(笑)

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/160971/47565857

この記事へのトラックバック一覧です: 般若心経(空即是色) 8:

« ユダヤ人のジョーク集 2 | トップページ | 天地の通りをよくしよう 3 »

最近のトラックバック

2017年8月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    
無料ブログはココログ