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2012年8月30日 (木)

自然体で生きるということ 3


 
自分の想いを自由に出来ることの大切さ


私は、自然体であるということは、自分の存在を誰かに証明しようとする欲求を手放すことである、ということを初めて確信したのです。


五井先生の講話にも、次のような箇所がありました。


「人間が一番やらなきゃならない大事なことは、自分の想いを、自分で自由に出来るようになることなんです。 自由自在心をいいますね。自分の想いを自由に出来ることが悟りなんです。・・・・・

だから、自分の想いに把われないこと、自分の想いを自由自在に、自分の望むままにすることです。 お酒を飲みたくない人は飲まない。何にも飲見たくない人は飲まない。こうしたい人はこうする。あらゆる出来事を自分の望むままに、想いを駆使して出来るような人間になることがいいわけです。そのためには、(注)消えてゆく姿で世界平和の祈りという、こういうやり方が一番いいわけですね」


五井先生と母の言葉は今まで自分の中で “苦手な人” と決めつけていた自分の想いを自由自在に操れることを体験させてくれました。

むしろそのお陰でこのような真理を体験できたので、偶然の出会いではなかったように思います。

ですから、彼女の存在は、今では “苦手な人” から“真理を体験させてくれた人” になっているのです。




(注)
怒り、憎しみ、嫉妬、不安、恐怖、悲しみなどの感情想念が出てきた時に、それらは新たに生じたのではなく、自分の中にあった悪因縁の感情が、消えてゆくために現われてきた、即ち消えてゆく姿だと観て、世界平和の祈りを祈り、その祈りの持つ大光明の中で消し去る行のことです。この行を続けると、潜在意識が浄化されてゆきます。






     
         「いとおしい生命」 西園寺里香 白光出版





 
感想

自然体であるということは、自分の存在を誰かに証明しようとする欲求を手放すことである、ということを初めて確信したのです。


のところですが、この文章は私にとって衝撃的でしたね。自分の存在、自分の価値をわかって欲しいというのは、誰でもが想うことです。しかしこの欲望は自分をガンジガラメに縛りつけてしまいます。自分で自分の首(心)を絞めるのと同じです。

そして、相手に振り回されたくない、相手に自分の心をもて遊ばれたくない、相手、相手と相手を意識するということは、裏返してみれば、自分を意識し過ぎているということです。

自分の存在、欲求を意識しなかったら、相手のことも意識しなくなります。

把われがなくなるんですね。


自然になるためには、自分という“我”を無くさねば、それは無理をして生きていることになるのです。

自分と相手が溶け合って相手も自分も意識しなくなる。

それが“自然体”なのでしょうか?

なんだか話がむずかしくなってきましたね(笑)

この辺でやめときま~す。


  

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