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2012年8月30日 (木)

「執着心」を乗り越えて 2

  

私の体験から


先日も面白い体験をしました。友だちとの待ち合わせに遅れてしまって焦っていた私は、何よりも大切にしていた日記帳をタクシーの中に置き忘れてしまいました。

その日記帳は、私が感じたことや観察したことをいつでも書けるように、必ず持ち歩いていたノートでした。

そのことを聞いた優しい妹は、タクシー会社一つ一つに連絡してみると言ってくれました。

しかし、執着心を出来るだけ持たないよう意識していた私は、これも何か意味があることだと思って、きっぱりとノートに執着することをやめました。

それを決めた瞬間から、ノートのことはまったく気にならなくなり、無くしたことも前向きに考えられるようになりました。

そんな、ノートを無くしたことすら忘れていたある日、妹が

「今さっきタクシーの運転手さんがノートを届けにきてくれたのよ」 と言って、ノートを渡してくれたのです。

戻ってくるなんて少しも予期していなかったので、本当にびっくりしました。

この体験は小さなものですが、真理を確実に教えてくれたように思います。

自分が何かに執着している時は、どうしてもその強い想いにコントロールされてしまいます。

でも思い切ってその想いを捨てると、それだけですべては上手くいくのです。





自由自在心



その 「執着心」 について、ある時友達と話していると、質問が返ってきました。

以前、私はその友達に、何事にせよ自分が強く思ったことは必ず宇宙に伝わるから、強く思いつづけたら叶うという話をしていました。

しかし、その友達は強く思うことと、執着の違いが分かりにくいというのです。

もう少し詳しく説明すると、自分が宇宙に放つメッセージが執着なのか、そうでないのかの区別がつかないと聞いてきたのです。

確かに、宇宙に自分の思いを伝えるために思うことと、何かにこだわって執着する思いの区別がつきにくいと感じる時があるかもしれません。

しかし、自分の強い思いが執着であるかないかは、自分の心と向き合ってみると簡単に答が出ると思うのです。

つまり、自分の心がどれだけ自由であるかを見つめればよいと思うのです。

「執着心」 とは、自分の心がまったく自由にならない状態なのです。

自分の心がある想いに把われて、窮屈な箱に入ってしまっているようなものです。

先ほどの例で言うと、自分の心がノートにばかり縛られてしまい、その想いから自由になれない状態です。

一方、執着していない時の自分の想いは、確かにノートが返ってきたら嬉しいとは思いながらも、自分の欲求から解放されているので、その想いは必ず宇宙に伝わって、よい結果を創造するのだと思います。


神様は人間に自由を与え、自由を経験させたいと思っています。

ですから、人間は自由に自分の人生を創造することが出来、どんな状況に置かれていたとしても、すべては自分の想いにおいて不足しているものなどないのです。

自分に必要なものはすべて自分の内にある、ということを信じさえすれば、何かに執着してしまう心は自然と消えていくのだと思います。




     
      「いとおしい生命」 西園寺里香 白光出版



  


  

「執着心」を乗り越えて 1

 
  
私は以前、物事に執着してしまうことで、自分をより苦しい状況に追いやってしまったことがありました。

計画通りに物事が進まなかった時など、どうしてもそこから想いが離れなくなっていたのです。

“何かに強く把われている時ほど、状況は苦しくなる” ということを経験した私は、以来、何事に対しても出来るだけ執着しない練習を始めました。

そして今、かつての自分と現在の自分を比較してみると、私の中にある変化を感じることが出来ます。

それは 「心の平静さ」 だと思うのです。

物事に執着しないように努力し始めてから、以前よりもずっと心の平静さを保てるようになったのです。




     「いとおしい生命」 西園寺里香 白光出版





感想

以前の自分と今の自分を比べてみる。

これも時々やってみるといいと思うのです。

先日、于先生のレッスンがあって

「どうですか、以前の自分、若い時に自分に戻りたいですか?」

と先生に質問されたのです。

私は一瞬考えて

「いえ、戻りたくないです、今の自分がいいです」

と答えました。

以前の私は、里香さんの文章にあるように

心の平静さがなかったのです。

常に焦っていた、自分に自信がなかった

相手の気持ちになる余裕もなかった・・・・

そんな過去の自分に戻ろうとは(いくら肉体が若くなれても)

思わなかったのです。

しかし、昔を振り返らなかったら

今の自分も客観的に観ることもできない

そして、過去の自分も決して嫌いではなく

今の自分が大好きになるためのプロセスだったように思うのです。

昔の自分を懐かしんで

その自分も愛してあげる

いとおしいと思う気持ち

そんな自分が、また

好きなんですよね。わーい(嬉しい顔)



  

自然体で生きるということ 3


 
自分の想いを自由に出来ることの大切さ


私は、自然体であるということは、自分の存在を誰かに証明しようとする欲求を手放すことである、ということを初めて確信したのです。


五井先生の講話にも、次のような箇所がありました。


「人間が一番やらなきゃならない大事なことは、自分の想いを、自分で自由に出来るようになることなんです。 自由自在心をいいますね。自分の想いを自由に出来ることが悟りなんです。・・・・・

だから、自分の想いに把われないこと、自分の想いを自由自在に、自分の望むままにすることです。 お酒を飲みたくない人は飲まない。何にも飲見たくない人は飲まない。こうしたい人はこうする。あらゆる出来事を自分の望むままに、想いを駆使して出来るような人間になることがいいわけです。そのためには、(注)消えてゆく姿で世界平和の祈りという、こういうやり方が一番いいわけですね」


五井先生と母の言葉は今まで自分の中で “苦手な人” と決めつけていた自分の想いを自由自在に操れることを体験させてくれました。

むしろそのお陰でこのような真理を体験できたので、偶然の出会いではなかったように思います。

ですから、彼女の存在は、今では “苦手な人” から“真理を体験させてくれた人” になっているのです。




(注)
怒り、憎しみ、嫉妬、不安、恐怖、悲しみなどの感情想念が出てきた時に、それらは新たに生じたのではなく、自分の中にあった悪因縁の感情が、消えてゆくために現われてきた、即ち消えてゆく姿だと観て、世界平和の祈りを祈り、その祈りの持つ大光明の中で消し去る行のことです。この行を続けると、潜在意識が浄化されてゆきます。






     
         「いとおしい生命」 西園寺里香 白光出版





 
感想

自然体であるということは、自分の存在を誰かに証明しようとする欲求を手放すことである、ということを初めて確信したのです。


のところですが、この文章は私にとって衝撃的でしたね。自分の存在、自分の価値をわかって欲しいというのは、誰でもが想うことです。しかしこの欲望は自分をガンジガラメに縛りつけてしまいます。自分で自分の首(心)を絞めるのと同じです。

そして、相手に振り回されたくない、相手に自分の心をもて遊ばれたくない、相手、相手と相手を意識するということは、裏返してみれば、自分を意識し過ぎているということです。

自分の存在、欲求を意識しなかったら、相手のことも意識しなくなります。

把われがなくなるんですね。


自然になるためには、自分という“我”を無くさねば、それは無理をして生きていることになるのです。

自分と相手が溶け合って相手も自分も意識しなくなる。

それが“自然体”なのでしょうか?

なんだか話がむずかしくなってきましたね(笑)

この辺でやめときま~す。


  

自然体で生きるということ 2

  
  
  
苦手な人と自然体で接した体験

 

ある時、ちょうどそれを試されるような出来事が起きました。

私には一人だけミシガンに苦手だと思っていた(無限なる愛!)年配の知人がいました。

なぜ苦手だったかというと、その方と話をすると、自尊心を吸い取られるような体験をしていたからです。

家に帰るとぐったりと疲れ、その方から言われたことや、その方の態度にひどく傷ついている自分や、腹を立てている自分と向き合わされていたからです。

卒業式が終わった次の日、その方から卒業を祝ってくださるというお電話を頂いたので、会うことになりました。

その頃私は、母と妹の三人でベジタリアン(菜食主義)体験をしていたので、お肉は食べていませんでした。

ベジタリアンになることで、体や心にどのような変化があるか試してみよう、という三ヶ月限定のベジタリアン体験をしていたのです。

ですから、その方とお会いする前の私の心は

「あー、私がベジタリアンであることを知られたら、また何と否定的なことを言われるかなー? いやだなー」

などと不快な気持ちを抱いていました。

そしてメニューを見ている最中、恐る恐る言うか言うまいか迷った挙句、思い切って

「私、今日ベジタリアンディシュを頂きます」 と言ったのです。

すると案の定、彼女の口からは否定的な質問や言葉が返ってきたので、少し落ち込みそうになりました。

でも、その瞬間、これは自分の成長につながる機会であることを思い出しました。

そして、私が前に似たような経験をした時に、母が私に言ってくれた言葉を思い出したのです。

その言葉とは次のようなものでした。

「里香、相手があなたのことをどう見ても、あなたのことをどう思っても、どんなことを言ってきても、それはその人の自由であり、その発言や態度の自由を奪うことは出来ないのよ。

ただ出来ることは、それらの言葉、思い、エネルギーをあなたがどう受け止めて、それらに惑わされずに自分が信じていること、やりたいことをやり通すか。

相手の言葉や思いをコントロールすることは出来ない。でもそれらを受け止める態度と自分の感情想念をコントロールすることは出来る。それが出来たら、里香はありのままの姿で、誰とでも自然体で接することが出来るのよ」


私はこの言葉を実行しようと心がけました。

そうすると、彼女の否定的な言葉や態度は全然気にならなくなっていったのです。

自分の受け止め方をコントロールすることは簡単ではありませんでした。

でも自分を信じて堂々と自然体でいたら、突然彼女のほうから

「私も三ヶ月くらいやってみようかしら?!」と言ってきたのです。

そして、その日は二人で、ベジタリアンディシュを美味しく楽しく頂けたのです。

   
 


    「いとおしい生命」 西園寺里香 白光出版



 
  
感想


「里香、相手があなたのことをどう見ても、あなたのことをどう思っても、どんなことを言ってきても、それはその人の自由であり、その発言や態度の自由を奪うことは出来ないのよ。

ただ出来ることは、それらの言葉、思い、エネルギーをあなたがどう受け止めて、それらに惑わされずに自分が信じていること、やりたいことをやり通すか。

相手の言葉や思いをコントロールすることは出来ない。でもそれらを受け止める態度と自分の感情想念をコントロールすることは出来る。それが出来たら、里香はありのままの姿で、誰とでも自然体で接することが出来るのよ」


こんなすごいことを言ってくれる親がいたらどんなに幸せなんでしょうって思いますよね。

否定的かもしれませんが、ほとんどの人はこの真理を知らず、自分をコントロール出来ないまま、生涯を送っている人がたくさんいると思うのです。

自分を責め、人を責め、眉間にしわを寄せたまま、鬼の形相で死んでゆく。(無限なる愛!)

真理を知ることが人間にとっていかに大切かがわかります。

そして里香さんのお母さんのようなメンター(人生の師匠)も必要ですよね。

それともう一つ大切なのは、自分自らを成長させようという向上心かな・・・。わーい(嬉しい顔)



  

自然体で生きるということ 1

 

   
留学前に自分に語りかけたい言葉


 
家族のもとを初めて離れ、一人でのアメリカ留学生活というのは、私にとっては短期集中型の成長の時間でありました。

その間は勉強の日々であり、さまざまな人々との出会いであり、自然との触れ合いであり、そして何よりも自分のことをもっと知り、自分と仲良くなれた、とても贅沢な時間だったように思います。

そんな時間を振り返っていた私は、もしその頃の自分と話すことが出来たら、何を言ってあげるだろう? とふと思いました。


そしてきっとこう語りかけているであろう、という自分へのイメージが浮かんできました。

「そんなに焦らなくてもいいよ。もっと肩の力を抜いて、自然体に生きればいいのだよ」

なぜなら、それまでの私は、なかなか自分に自信が持てずに、何か吸収しなきゃ、刺激を受けなきゃ、もっと立派にならなきゃ、と常に何かを証明しなければならないような焦りがあったからです。

人のやっていることが、とてもかっこよく見えたり、人がやっていることを真似してみたり、いろいろと試していました。

そんな自分も嫌いではないのですが、それが自分の内なる希望と一致していないと、周りの人の意見がとても気になり、不快になり始めるのです。

だから、もっと今の自分と仲良くなろう、今の自分をもっと愛してあげようと思うようになったのです。

それからは、出来るだけ自然体で生きてみるよう、心がけてきたつもりです。




   

        「いとおしい生命」 西園寺里香 白光出版



  

いとおしい生命 2

  
  
私たちは神の国から降りてきて、経験を積み、修行を重ね、そして本来の姿を思い出し、再び神の国へと戻っていきます。

私たちの肉体が地球上にいる間も、本来の永遠なる大生命は神様のもとにあります。

どんな時も、どんな状況の中にあっても、私たちの本来の大生命は常に神様のもとにあるのです。

この世において私たちが経験することにはすべて意味があります。

すべての機会は私たちに気づきをもたらしてくれます。

そしてそれらの気づきを通して、いずれ私たちは目覚めていくのです。

神そのものの意識へと。




 
    
         『いとおしい生命』 西園寺里香 白光出版



  


いとおしい生命 1

  
    
私は、いつも本を読んでいることが私のライフスタイルです。

本から学ぶことが多く、本がなければ自分自身の進化が遅れてしまうのではないかと思うほどです。

というのは、何かに悩んでいるとき、心が何かでひっかかっているときに、私のメンター(人生の師匠)である于先生が薦めてくださる本を読むと、そこに必ず、私の求めている答が書いてあるからです。

これはもう“奇跡”と言っていいでしょうね(笑)。

私は、奇跡とは、心の中のマイナスの想いが

プラスに転換することだと思っています。

目の前の景色が天と地ほどに変わることよりも

欲しいものが突然目の前に現われるよりも

ずっと、ずっと、素晴らしいこと

それくらい、本での気づきは

私に“最高の幸せ”を与えてくれるのです。

だから、日記には、自分の言葉で、自分の考えた文章だけを極力、書こうと思うのですが(反省!)、素晴らしい文章に出逢うと、抜粋して

ついついみなさんにおすそ分けをしたくなるのです(笑)。

今回も素敵な文章を見つけました。

素晴らしい文章には、霊が宿っています。

霊とは神様のことです。

言霊(ことだま)は、言葉に神様が宿っているという意味です。

文章だとどうなるのかな?

文霊(ぶんれい、ぶんだま)とでもいうのでしょうか?

次の文章はそれくらい魂がこもっていると思うのです。

それは真理が ズバリ! と書かれているからです。


    

2012年8月28日 (火)

あなたは創造主 4

  
  
  
自分自身をまず信ぜよ

 
そこで一番いいたいことは、神を信ずるとか、五井先生を信ずるとかいうことより先に、自分自身を信じること。

これが先なんです。

自分自身には力があるんだ、自分は神の子なんだ、自分は神の分生命だから、悪いことがある道理がない。

あったとすれば神様とはなれていた時、過去世の自分の想いが消えてゆく姿として現われているんで、知らない前の業が現われているんで、神様を知って、自分が神の分生命だと知ったその日からは、本当は業はないんです。

それを信じなければいけません。

神様の世界は完全円満であって、自分は神の子だから、素晴らしい能力があるんだ、ということを信ずることなんですよ。


ところが信じられないでしょ。 

そういわれても信じられないから、信じて行なっている私のような人がいます。

先覚者という、先にわかった人、ああ神と自分とは一つであることがわかって、能力が発揮できた人、能力が出た人を、ああこういう人がいるんだな、それじゃこの人のいうこと、やることを信じよう、といういうことになるわけです。


自分で自分の力を信じられる人は、誰も頼ることはない。

自分で生きられるわけです。

自分の中の神様を出せばいいんだからね。

結局、我を信ぜよ、とか宗教を信じろ、というのは、各々の自分の中の力を出させるために、宗教団体があり、教祖だとか、会長だとかがあるんです。


自分自身でどんどん力が出せれば、誰もいらないんです。

自分でやったらいいんです。

自分では出せない、と思ったら、じゃ五井先生を信じよう、五井先生のいうことは間違いないことだから信じよう、と信じればいいんです。

まず第一に自分を信じる、ということなんです。

自分が神の子であって、無限の力を持っているんだ、と信じることがまず第一なんだけれども、出来ないから先に力を出した人を信じる。

その生きてきた道を信じる、その人の書いたもの、その人のしゃべることを信じて、ああそうなんだ、自分はやっぱり神の子なんだな、神の分生命なんだな、もしここに不幸や病気や災難が現われているとするならば、それは過去世の因縁が、神様の子であることを知らなかった時の想いが、神様を離れていた時の想いが、現われてきて消えてゆく姿なんだな、とこう思うんです。




  
 「内なる自分を開く━ 本心開発メソッド」 五井昌久 白光出版






感想

自分自身を神だとは思っていなくても、人は誰でも自分で決断をすることがあります。

誰でも一度は、人の言うことを聞かないで、自分の意思を押し通すことがあったと思うのです。

そのときは、何の根拠があったのかはわからないが、心の奥底で、信念のようなものがフツフツと湧いてきて、もの凄い勇気が湧いてきて、周りの声が聞えないくらい不動心になって、自分が誇らしくなって、自分の中にすべてがあるように思えて

「これが自信というものなのか?」

と感動する。

このときのようにいつも不動心であればいいのだけれど、このような経験はめったになく、日常のほとんどは周りを気にしながら生きているのです。


「不動心になりたい」

「いつも平常心でありたい」

「心穏やかでいたい」

それは万人の想いだと思います。

このような心境とは、上記の文章にあるように自分自身を信じている、自分が神の子であることを知っている境地なのです。

自分が完ぺきであることを信じない限り

完璧な神であることを信じられないのに

どうして自分に自信を持つことなどできるでしょうか?

人は、このような心境になることを日々、目指すことが大切だと思うのです。

それが人間の進化だと思うのです。


  

 
  

あなたは創造主 3

  
  
 
お金にたとえたけれど、力にしても能力にしても、素晴らしい力、能力を持っているのです。けれど自分は知らないで、少しの能力しかないと思っている。思いこんでいるから出せないんですよ。

あると思っている人は出せるんです。
 



無限の能力がある


どっちが本当かというと、ある方が本当なんです。

何故ならば、人間の本体は神だから、神様のいのちをそのまま持っているんだから、いくらでもいくらでも、出せば出るんです。

天にありますから、引き出せばいくらでも出てくるんですよ。

それを引き出さない。

自分はもうこれきりでダメだ。

チョボチョボと出して、それでもって、私はダメですダメです、私は出来ません、ってなんでもかんでも、やらないうちから出来ません、とか、やりもしないで出来ません、といっています。 案外、やれば出来るんです。


戦争中、力のない女の人が空襲の時、いくらでも力を出しました。

戦争中はいろいろ苦しい想いをして、寝る時間も寝なかったり、食べるものもあまり食べなかったり、それでいて、今以上、力仕事を平気でしていたんです。

ところが今は食べるものはたくさん食べて、栄養はたくさんつけて、充分に寝ていながら、昔よりズーッと力がないんですよ。

ないんじゃなくて出さないんです。

一旦緩急(いったんかんきゅう)、事あると力が出てくる。事があると力が出るということは、力があるということで、出し惜しみしている。

出し惜しみじゃなくて、力があるのを忘れているんです。

自分に能力、才能、力がある、智恵もあるということを再び思い出すために、お祈りするんです。

自分は神様の子であり、神様の分生命である、ということを思い出すために、一所懸命お祈りをするわけです。

どういうものがお祈りかということを説明すると、本当は千億万の力がある、素晴らしい力があるということを忘れている。

何が忘れさせているかというと、自分の肉体にまつわる想いなんです。

肉体のほうにある想いがダメだダメだと思うんです。

だからこの想いをどんどん毎日毎日神様のほうへ入れていく、それもお祈りの言葉にのせて入れておきますと、邪魔がなくなる。

邪魔がなくなるに従って力がどんどん出てくるわけです。

皆さんはおそらく、百万の力があったとしても、出しているのは、たった三か五なんですよ。

百万分の三か五ぐらいの力しか出していないんです。

それで自分は一端(いっぱし)やっているつもりなんです。




 「内なる自分を開く━ 本心開発メソッド」五井昌久 白光出版




 
感想


上記の文章を読んでいて思ったのは、人間は果して神の子か悪魔の子かという時に、神の子だって思った方が絶対にいい(得)ですよね(笑)

自分はアヒルの子だと思い込んで暗く生きるより、自分は白鳥(神)なんだ、美しく、誇り高きものなんだと思って生きるのでは雲泥の差があります。

子どもを育てるのでも、今はあひるの状態が現われているかもしれない・・・でもこの子は白鳥なんだからいつかは必ず素晴らしい力を発揮するんだと信じて育ててゆけば、余裕を持って子育てが出来ると思うのです。


「あなたは神の子なのよ、パーフェクト(完璧)なのよ、それを信じなさい」

その一言だけでいいと思うのです。



今一番、パワーのある言霊



「すべては完璧、欠けたるものなし、大成就」


この言葉を唱えるとマイナスの想いが消え、いつの間にかプラスのエネルギーで溢れてきます。

マイナスとは現象ではなく、心の中の状態をいうのです。


  

   

あなたは創造主 2

  
  
本ものとニセもの


いつもいいますが、人間というものは、簡単にいえば二つになっているのです。

なんの誰某(だれがし)という自分と、本心本体、神そのものである自分という、二つです。

どちらが本ものであるかというと、神様である自分が本ものです。

よく、人間は神様になれっこないとか、人間だから仕方ない、といいます。

しかし本当の人間というものは、神人というものは、神と全く一つなんです。

ということは、この世の中に現われているものの中で、神様がお創りにならないものはないんです。

本当のものは全部神様がお創りになった。

それに神様の生命エネルギーを人間は持っていますから、そのエネルギーを使って人間が創ったものがある。

それは何かというと業(ごう)なのです。

神様の中には、悪いものは一つもあるわけはない。

神様は全体で、完全円満、大調和です。

人間はその神様の分生命だから、調和そのままなんですよ。

ところが実は、この世の中というものは、悪はあるし、不幸災難もあるわけです。

どうしてそうなっちゃったのか。

それは人間が肉体に入ってきてから、神様の力を忘れてしまったのです。

自分の本体を忘れてしまったのです。

そして自分は肉体の人間だ、五尺何寸の人間だ、私とあなたは違う、AとBとは違うというふうに、みんな別々に考えているわけです。

今でもそうでしょ。

みんないのちが通い合っていることがわかりません。

形が別だから、あの人と私とは違うと思っています。

ところが底を探りますと、みんな一つのいのちに結ばれています。

そこであらゆる宗教は、みんな人間は兄弟姉妹だと、みんな一つにいのちに帰一するわけです。

みんな神様のみ心の中にあるわけです。

そういうことがわからないとだめなんです。





わかっていることの得


ここに五井昌久という肉体があります。

肉体の私は皆さんと同じようです。 皆さんより微妙です。

皆さんの心がわかったり、運命がわかったりしますから、普通の肉体より上等は上等なんですけれども、やっぱり肉体は肉体です。

ですから肉体は一つの道具なのです。

本当の五井先生は何かというと、神界にいるわけです。

本当の皆さんはどこにいるかというと、やっぱり同じ所にいるんですよ。

神界にいるんです。

神様の中にいるんです。

それが皆さんはわからない。 私はわかっている、その違いなんです。

わかっているということは、大変に得なことです。

わからないということは、大変に損なことなのです。

自分に十億も百億ものお金があるのに、財布の中に千円しか持っていないと、千円だ千円だと思って、小さくケチケチ使うわけです。

実際は、百億持っているのに、知らないから千円しか使えない。

ところが私は無限億万円持っていることを知っているんです。

だから平気なんです。

お金にも把われない、なんにも把われない。

お金にたとえたけど、力にしても能力にしても、素晴らしい力、能力を持っているのです。

けれど自分は知らないで、少しの能力しかないと思っている。

思いこんでいるから出せないんですよ。

あると思っている人は出せるんです。


 


 「内なる自分を開く━本心開発メソッド」 五井昌久 白光出版




 
 
感想

今、本の一部を書き写しているのですが、読んで下さっている方は、何のことかチンプンカンプンなのかなぁ?と半信半疑で書いております(笑)。

以前もこのような文章は、かなり書いていたのですが、人の意識は変わってきています。

以前は、なんのことかわからなかったことが、今になればわかるようになった、そのようなことはよくあることです。

真理というのは、心の奥底で必ずインプット(すり込み)されているものですので、ある瞬間に

「そうだ、その通りだ!」とハッキリ、気づくものです。

前回は、ほとんどおられなかったけど、今回は3人の人がそうなるかもしれない。

私はそれを楽しみ?に書き続けようと思っております。
わーい(嬉しい顔)



  

2012年8月27日 (月)

あなたは創造主 1

  
  
  
人間が真の幸せをつかむには、「己を知る」「足るを知る」「感情を超える」 の3つだと以前書きましたが

一番最初の「己を知る」ことが一番基本で一番大切なことであるのです。

自分はどこから来て、どこへ行くのか?

自分が何者かわからないからどう生きればいいのかがわからない。

自分のこともわからないから人のこともわからない。

基本的なことがわかっていないからすべてに自信がない・・・・。



という私も、自分が何者なのか、皆目わかっていませんでした。

他の人と違うとしたら

私は、そのこと(真理)に対して、貪欲に「知りたい!」 と求めていたのだと思うのです。


「求めよ、さらば与えられん!」


求めれば、必ず答は与えられるものだと実感しています。

私は逆になぜ、みんな本当のこと(真理)を知りたがらないのかなぁ?

と不思議でしかたがないのです。

「知りたかったけど、周りで同じように考えている人がいなかった」

「そんなことを考えても誰も知らないと思った」

「書いてある本があったとしてもそれが本当なのか?言っている人の内容は本当のことなのか?自分では判断できない」

「変な思想に染まるのが怖い!」

とこのようなことでしょうか?

そこで私はおせっかいかもしれませんが

「自分とは、人間とはなんぞや」

について五井先生の解説からひもといていきたいと思います。

「グッドムーンの信じていることは本当なのか?」

いろいろご意見はあると思いますが(笑)

まずは

興味のある人は、読んでみてください。

きっと、生きるヒントが隠されていると思いますよ。


では、はじまり、はじまり 
わーい(嬉しい顔)



   

  

2012年8月24日 (金)

かるまを超えた人 2


  
自己の身近にいかなる悪と見え、不幸と見えるような事態が起っていようとも、自己がこうして生かされていること、そのことそのものが有り難いのだと思える人、その人の環境からは、悪と見え、不幸と思える事態は、必ずすみやかに消え去ってゆくであろうことを、私は確信しているのです。

過去世から蓄積されていた分だけの業(カルマ)が出切ってしまえば、その後に、業的想念、悪や不幸の想いを出していないのであって、その人の運命の中に、悪や不幸が蓄積されようがないから、その人の置かれた立場は、神の心だけの世界、光明、愛、真、善、美の世界だけになってくるのです。

合掌とは天地合体の姿である。





  
           「日々の祈り」 五井昌久 白光出版



  

カルマを超えた人 1

    
NHKの朝ドラ「梅ちゃん先生」では、梅ちゃんのお母さんが家出をして長女のところへ行っています。

このお母さんにしてみれば、梅ちゃんのお父さんである夫は、気難しくて、頑固、言葉足らずで、昔の典型的な亭主関白、やさしい言葉の一言もかけてもらっておらず、なにかをやろうとすると否定される。

自分の存在価値を疑い、疲れ果ててしまったのも、無理はないと思うのです。

それで家を出たことで周りに様々な影響を与えることになった。

お母さんが出た家の家事はてんてこまい。

梅子は家事の大変さを痛感します。

そしておかあさんの有り難さもわかります。

居候をしている長女宅では、長女と姑さんと子育ての仕方をめぐって意見の相違があり、長女が構わないでくれと言った為に険悪な状態になる。


しかし、梅ちゃんやお母さんが姑さんの気持ちをくみ取ることで一気に和解へと向かう。

梅ちゃんやお母さんが今回の経験をしていなければ事態はどうなっていたか?

事の発端は、お父さんのお母さんへの思いやりの無さだったかもしれないが、そのことで長女宅の人間関係はかえって良くなったのです。


お父さんが巡り巡って、長女を助けた(笑)。

決して計算しているわけではないけれど、“災い転じて福となす” ことは、たくさんの人が経験していることだと思うのです。

大失恋をした、しかし、もっと良い伴侶が見つかった。

自分が経営する会社が倒産した、けれど、立ち直って、大事業を成し遂げた。

大きな病気をした、けれど生きていることの有り難さがわかり、人の気持ちもわかるようになった。・・・・・・・・・・・・・・

だから自分にとって都合の悪いことは、長い目でみれば決して絶望的なことではないのです。

それなのに短絡的に、結論を出してしまうことがある。

試練は誰にでもやって来ます。

魂を成長させるために・・・・・・。

そのときにその出来事をどう捉えるか?

プラスにとらえることは出来なかったとしても

「これは善くなるためのプロセスなんだ、悪いものが現われたなら、後は必ず善くなるんだ、だから悲観的にならず、頑張ろう!」

という気持ちになってほしいのです。

今回も五井先生の、本の中の文章と「梅ちゃん先生」がリンク(重なる)しました(笑)。


よかったらお付き合いください。


  


 

2012年8月23日 (木)

子への執愛をこえる道 2

  

  
自分も子どもも直霊から生まれてきた分霊(わけみたま)であり、一つの分霊の自分が、祖先の霊の分霊であるいいかえれば、ある祖先の魂である生命体を、自分の家に一時あずかって育てているのであって、それをうまく育てさせているのは、眼には見えぬが、その子の魂の親、ある祖先、つまり守護霊様がなさっているのであるので、自分がとやかくいわなくとも、その守護霊さんにお願いしてさえいれば、子の守護霊さんが、子のためにも自分のためにも、万事都合のよいように導いて下さるのだ、と信じることなのです。


そして、自分の天命と子どもの天命のまっとうされることを、守護霊守護神に感謝の想いで祈りつづけてゆけばよいのです。




  
          「日々の祈り」 五井昌久 白光出版


 



  

子への執愛をこえる道 1

  
  
みなさんは、守護霊とか守護神様の存在を信じておられますか?

私は、お会いしたことはないのですが(笑)

そのようなお方がおられて、常に守られていると思っています。

なぜ、信じられるのか?

見てもいないのに非科学的ではないか?

と言われるかもしれませんが

理屈抜きにそう信じているのです。

私の心の中で起きるインスピレーション(直感)とかは

多分、守護霊、守護神さまからのメッセージだと思っています。

すべてを鵜呑みにはしてはいませんが(笑)

自分が落ちついたとき(よい精神状態のとき)にふと浮かんでくるメッセージは、ほぼ間違いないと思っています。


それにどれだけ助けていただいているか・・・・。


そして、私の一人息子にも立派な立派な守護霊様守護神様がついてくださっていることは疑う余地のないほど信じています。

息子に関していえば、肉体人間の親であるわたくしにはなにもできることはありません。

かえって心配し過ぎて、余計なマイナスのエネルギーが行ってしまい、彼に迷惑をかけてしまっているくらいです。

息子の本当の親は、守護霊様、守護神様であり、私は肉体界という限られた世界で縁があり、親という役割を担わさせてもらっている。

私を成長させてくれるために・・・・。

大切な宇宙の宝である“神の子”を預からせていただいていると思っているのです。

しかし、こういう心境になるまでには、いろんなこと、いろんな葛藤がありました。

息子とうまくいかず、何年間も口を利いてくれない時期もあったし、反抗ばかりされていた時期もありました。

その原因はというと私の息子への執着だったのです。

「父である自分を認めてもらいたい」

「自分の理想通りに育ってほしい」

「逆らわないで従順になってほしい」

それらのものは息子を縛りつけるものばかりでした。

息子は当然、反抗しました。

息子とは自分にとっていったい何なんだろう?

何回も悩み、何回も苦しんだ結果

“息子は自分の所有物ではない”

“神様からお預かりした神の子”

だとわかったのです。

なんだかかぐや姫の物語りみたいですよね(笑)。

息子はどこかの星からやって来て

地球で 愛を学んで そしてまた星(他の星に行くのかもしれません)へ帰ってゆく・・・・。

私は、その地球で縁があって親子関係になっている。(仮の親です)

ほんとうにそう思っているのです。

でも、愛情は誰にも負けない。

だから本当の親であり、絶大な力を持っておられる守護霊様守護神様に

いつも息子の加護をお願いしているのです。

目にみえない力で、常に助けてくださっています。(助けるだけでなく、厳しいご指導もされていますが)

このたび、五井先生の「日々の祈り」を読んで改めて、ご加護をお願いしたところです。

次の日記でその文章をご紹介します。

よかったらお付き合いください。


  

自分の想いは世界に影響する 2

  

  
怒りの想い、争いの想い、恐怖の想い、妬心、悲しみ、などの想念は、みずからの血を汚し、血液の循環を乱す、と、医学者もいっておりますが、血を汚し、血液の循環を乱すということは、自己の生命の運行を損なっていることになります。

しかもそればかりではなく、そうした想念は、そのまま波動となって、他の人々、社会、人類に伝わって、それぞれに悪影響を与えてゆくのです。

人間一人の想念は自己に影響することはもちろん、このように他にも影響を及ぼしてゆくものなのです。

この原理は逆に、自己が本心を開発し、光明化して生活していれば、社会人類を知らぬうちに浄め向上させてゆくということになるわけです。




 
      

            「日々の祈り」 五井昌久 白光出版



 

感想

いくら高価で身体に良いとされているサプリメントも心の中がマイナスのエネルギーで溢れていたらなんの効果もないのです。

だから人間は、目に見える肉体だけを整えるのではなく、目にみえない心を整えることが大切であるかがわかります。

そしてどうすれば、自分の肉体、心が整い(波動調整という)、ひいてはその波動が周りに好影響を与えてゆくのかを真剣に考える時期に来ていると思うのです。



  

自分の想いは世界に影響する 1

    
 
自分がなにげなくついた溜息

「あ~ぁ」という言葉やそのエネルギーは

周りを確実にマイナスへと導いてゆきます。

言霊(ことだま)とも言われているように

言葉にはエネルギー(生命)が宿っている

そして言葉だけではなく

心の中でいつもどう想っているかが

周り、地域、地球、宇宙へも影響を与えるのです。

大げさだなぁ(笑)

と思われるかもしれませんが

人間はこのことがわかっていないから

今の地球の現状を創り出してしまったと言ってもいいと思うのです。

目にみえないエネルギーの凄まじさを知ったら

マイナスの言葉を簡単に発したり

人や自分にも向けることがないと思うからです。

世の中が善くなっていくためには

マイナスの言葉、エネルギーを発しないようにする。

この当り前のようなことが“常識”になったとき

世界は善い方に一挙に変ってゆくと思うのです。


 
「世界人類が平和でありますように」


という祈り言葉は、宇宙と共鳴する “超プラスの言霊” です。

祈っているうちに自然と宇宙と調和し人と調和し生きとし生けるもの、あらゆるものと調和してゆく。

祈りのエネルギーがなければ人類が調和してゆくことはないのです。


 

  


 
 

2012年8月22日 (水)

愛のある雰囲気を 2

  
  
  
元来、人間の想念というものは肉眼には見えませんが、各種の波状をえがいて、その人の周囲から流れ出ているもので、その人の長い間の(過去世からの)想念の集積が、その人の雰囲気となって他に伝わり、あるいは様々な環境や運命を創り出しているものなのです。

そうした雰囲気が霊眼者には、光とみえたり、黒雲のようにみえたりするのです。

ですから、そうした想念の波動をみれば、その人がどの程度の魂的高さをもっているか、常にどのような行為をしているかがわかるのです。

常日頃から愛念で生きている人の魂は光を放っています。

愛が深いということは、本心が顕われている証拠であり、神の心の働いている証であるのです。




  
         「日々の祈り」 五井昌久 白光出版



  

愛のある雰囲気を 1

  
  
 
雰囲気って大切ですよね。

実際に話してみなくても、その人からにじみ出ているエネルギー、つまり雰囲気でだいたいどんな人なのかがわかります。

雰囲気と実際のその人とが違っていた(思い違いをしていた)ことは、まずはありません。

雰囲気は第一印象とは違うようです。

第一印象とは、その人を目で観て、頭で考えて、今までに会ったことのある人の経験知から予測するということです。

インスピレーション(直感)とは違います。

だから外れることも多い。

「この人は以前会った人に似ている、その人は暗い性格の人だった、だからこの人もそうに違いない」

と無理やり頭脳にインプットしようとするのです。

しかし雰囲気は推測するものではなく、目には見えねども伝わってくるエネルギー(波動)なのです。

波動(エネルギー)は嘘をつきません。

だから

「この人の雰囲気はなにかうさんくさいなぁ」

というものはだいたいが当たっているのです(笑)。

第一印象で判断するのはやめて

雰囲気で判断する

その方が正解なのかもしれませんね。


   


2012年8月21日 (火)

プロの自覚 2

  

  
プロとは、その道をわが職業としている専門家のことである。

職業専門家とは、つまりその道において、一人前にメシが食えるということである。


いいかえれば、いかなる職業であれ、その道において他人様からお金をいただくということは、すでにプロになったということである。

アマチュアではない。

芸能やスポーツにおいては、プロとアマとの区別はきびしい。

真にプロに値するものでなければ、お客はたやすくお金を払ってはくれない。

お客は慈善の心で払いはしないのである。

だから、プロを志すことは容易ではないし、プロを保持するため努力もなみたいていではない。

甘えてはいられない。 学校を出て会社や官庁にはいる。

はいれば月給がもらえる。

月給をもらうということは、いいかえればその道において自立したということであり、つまりはプロの仲間入りをしたということである。

もはやアマチュアではない。

そうとすれば、芸能界やスポーツ界の人びとと同じく、またプロとしてのきびしい自覚と自己練磨が必要となってくるはずである。

 おたがいにプロとしての自覚があるかどうか。




    
           「道をひらく」 松下幸之助 PHP出版




   

プロの自覚 1

  
  
  
私は、真面目過ぎるのかもしれないけれど、例えば、仕事で何か失敗をして会社や誰かに迷惑をかけたとしたら、給料(お金)を戴くのは申し訳ないと思うのです。

失敗やミスはある程度は想定内だったとしても、ある仕事を任された以上は、ちゃんと出来て当り前、ミスはやはり許されないのです。

「人間だから失敗もするさ」

「たまにだったら仕方がないじゃないか」

はやはり甘えなのです。

だってミスや失敗をほとんどしない人が存在するのですから・・・。

私の妻は今、雇われて園芸の仕事をしています。

水を得た魚のように、仕事が楽しくてしかたがないそうです。わーい(嬉しい顔)

しかし、そんな彼女も今の仕事を得る前に仕事探しをしていました。

そのときに3日間だけ行った職場があります。

3日間は頑張って行ったものの、4日目の朝に、どうしても自分には合わないと思い

「すいません、私には無理なようです」と断りの電話を入れました。

先方の人は、やってくれると思っていたようで残念がっていましたが

「わかりました。では3日分の日当をお支払いしますので振込先を教えてください」

と言ったのだそうです。

妻は

「とんでもありません、なんの戦力にもならず、ご迷惑をおかけしたのに受取るわけにはいきません」

と丁重に断りました。

先方の人もお金の処理に困るので受け取って欲しいと言っていたそうですが、それだけは絶対に無理ですと妻は言い通しました。


「戴いておいたら」

とそのとき私は言ってしまったのですが

我妻ながら

「この人は善い人だな」

と思ったのです。

なによりも自分に正直に誠実に生きている。

人として尊敬できたのです。


そのときに1万数千円をもらって、みんなで食事に行ったとしても

それは、美味しく食べれる食事にはならないのです。

働くのもエネルギー、お金を戴くのもエネルギー

そして食事をするのもエネルギーです。


自分がどんなエネルギーを発し、選択し、そして意識してどのように使っていくかによって

幸せに生きられるかどうかが決まるのです。

エネルギーは正直です。

心の中のものがすぐに表に現われます。

だから油断しないためにも (緊張ばかりしては疲れますけどねわーい(嬉しい顔)

私たちはプロの自覚がたいせつなのです。



  

  
  

2012年8月20日 (月)

悩みの解消法 2

  

  
悩みの“ジャグリング”をやめる


アンドリュー・カーネギーという人がいます。アメリカの有名な実業家で、鉄鋼王カーネギー

と言えばご存知の方も多いと思います。


ある夜のことです。彼は、あまりに多くの悩みを抱えてノイローゼのようになり、自殺まで考

えていました。

「不倫相手の女性から連絡が入り、子どもを認知して欲しいと言ってきた」

「親戚の全員が問題と起こしていてもみ消さなきゃいけない」

「ろくでなしの甥っ子が警察沙汰の事件を起こし、身柄を引き取りに行かなくちゃいけない」

「政治家からの不当な圧力で、会社が存亡の危機に陥っている」

「妻から今夜食事に付き合ってくれなければ離婚すると言われてしまった」

身の周りのことから仕事まで、すべての危機が同時に頂点に達していた瞬間だったの

です。




その時のカーネギーの行動


もうダメだ、限界だ、とカーネギーは思いました。

遺書を書いて自殺しよう。

そうカーネギーは決心し、机の引き出しを開けました。引き出しにはもちろん護身用の

拳銃が入っていたのですが、その下には自分の名入りの立派な便せんセットがありま

した。

「ああ、自殺するんだったら遺言を書かなくちゃ」

カーネギーはそう思って苦笑します。

まったく、自殺する前にもひと仕事しなきゃいけないのか・・・。


遺書をかく段になってカーネギーは考え込んでしまいました。

「死にたいぐらいに悩んでいるんだから、さぞかし自分には深い悩みが多いんだろう。

いったいいくつくらいあるんだ?」


わかんなくなっちゃったカーネギーは、黄色い便せんと鉛筆を持ち出し、思いつく問題や

悩みをすべて書き出したそうです。


当時、カーネギーは 「世界で一番忙しい男」 と言われていました。

仕事だけでなく、家族関係を含めると、悩みは絶対に何百もあるに違いない。

 ひょっとしたら 1000個ぐらいあるんじゃないか?

ところが、箇条書きにしてみると、60個ぐらい書いたところで、鉛筆がピタリと止まったそう

です。

思い出して考えて、とりあえず 「もっと悩みはあるはずだ」と些細な問題まで書き出し

ます。

しかし、あんなにたくさんあると思っていた悩みは、結局、70いくつぐらいしかなかったの

です。


普通の人でも70も悩みがあれば多いと思います。

でも自分の問題や悩みは何百もあると思っていた彼は、あれ?と思ったわけです。

結局、70個の悩みを順繰りに次から次へと考えていたことで、自殺をしようと考えるほど

追いつめられていたのです。


悩みを書ききった瞬間、今夜中に解決できることはほとんどないことに気がつきました。

カーネギーは悩みを書いた便せんを、問題ごとにちぎってカードみたいにし、それを仕分

けし始めました。


「明日できること」

「来週以降に着手できること」

「来月で間に合うもの」

「解決できないこと」

という4つの山に分けて、その4つ目の山(解決できないこと)はそのままくず箱に入れて

しまいました。

残った3つの山、自分の悩みを書いた便せんの切れ端をカーネギーは大事に机の引き

出しにしまい、そのまま彼は奥さんと夕食へと出かけたそうです。


もうすっかり、けん銃や自殺のことは忘れて。






苦しさの本質に気づく


私がこのエピソードを読んだのは、もうずいぶん昔のことです。

それでもその時、頭を殴られたようなショックを受けました。

そうか、悩みの本質、苦しさの本質というのは、「複数の問題を頭の中でグルグルと回

している状態」から生まれるのだと気付きました。



これを私は 「頭の中でジャグリングしてる」 と呼んでいます。

ノートをとらずに悩むことは、悩みをジャグリングのように空中で回しているのと同じこと

です。


本来、悩みの解決に使うべき脳の容量をジャグリングに使っている。

だから、あんなに悩むのは疲れるんです。だから、悩んでも答が出ないんです。


悩みが多くなると、一度にすべてを考えることは不可能です。

だから、いくつかの概念やアイデアを、同時に何個かずつ組み合わせては、ぐるぐる回

すことになります。

悩んでも答が出ないと、次は別の組み合わせでぐるぐる回します。

その次も、その次も、回し続けます。

組み合わせが変わると違って見えるので、悩みは無限にあるように気がします。




    

         スマートノート 岡田斗司夫 文芸春秋  





  
感想


紙に書き出すという方法はカーネギーのやり方に限らず、他にもあると思いますが

大切なのは、悩んだときに、いやその前(モンモンとしたとき)に、すぐにノートなどに吐き出

す習慣をつけることだと思うのです。

頭の中を余計なことや、考えてもしかたがないことに振り回されてグルグル回すことほど、

時間を無駄に使っていることはありません。

私の知る限りでは、仕事の出来る人、いつもすっきり爽やかにしている人は、かなりの確

率でメモ、又はノートをとっています。

誰かに教えられたのか、ご自分で発見したのかはわかりませんが、本当に賢い人というの

は、自分で考えるのではなく、ノートに仕事をさせているのです。

そしていつも頭を空っぽにしている(笑)。

それが器の大きさにも余裕にもなるんでしょうね。

みなさんも是非、メモ魔になってください(笑)。

ノートの取り方を学ぶのであれば、「スマートノート」は最高の指南書です。 
本 


  


  

悩みの解消法 1

  
  
  
悩みというのは、「闇が波のようにやって来る」という意味だと聞いたことがあります。

波だから途切れることなく、私たちの脳裏へ次から次へと襲って来るのです。

それを放っておいて、そのままにしておいたなら、いつも悶々と頭や心の中に霧や雲がか

かったような気分になる。

慢性化している人も多いと思います。

「今、すごく悩んでいることがあるんだ」

「悩みが多くてね」

と深刻に言っているけど、その中身を抜き出して、分析をして、どうすればいいのか、わかっ

ている人は少ないと思います。


今日、空を見ていたんですが、夏の空ってきれいですよね。

雲と青空のコントラストが素晴らしく、しばらく見ていると心まで晴れてくるようです。

今、自分が考えていること、ああだ、こうだと想っていることがどうでもいいような事に思えてき

ます(笑)。


頭と心をスッキリ爽やかにするには、一度、悩みの種を抜き出して(書き出して)客観視すれ

ばいい。

机の上に並べてみると

「ふむふむ、自分はこんなことで悩んでいたのか」

「なんだ案外少ないじゃないか」

「今、考えてもしかたがないことだな」

と思うかもしれません。

そこまで客観的にみれたらしめたものです。

心の中はもうスッキリしているからです。

スッキリした時点で、ほとんど悩みは無くなっているのです。

それくらいスッキリ爽やかになるということは大切なことなのです。

無理に解決をしようとする必要はありません。

ただ書き出して並べてみるだけでいいのです。

次の日記でアメリカの有名な実業家カーネギーが悩みを解消した話をしますのでみなさんも

是非、参考にしてください。


  


   

2012年8月19日 (日)

スイカについて

  

  
先日、嫁さんの実家(ど田舎)に帰るときに、まるまる一個のスイカを買った。

最近知り合った信頼できる自信満々のくだもの屋さんのおやじさんが、コンコンと叩いて

「これは絶対に大丈夫! 甘いよ!」と言ったものを信用したのだ。

だがしかし、田舎で食べたそのスイカは、ありきたりの「普通のスイカ」でしかなかった。

親戚のみんなは、何の評価もせず、ただ黙々と食べていた・・・。

「これは絶対に甘いよ」「農家直だから、生産地ではなく誰が育てたかが問題なんだよ」 偉そうに講釈をたれた(おやじさんの受け売り)自分が恥ずかしい。あせあせ

しかし私のスイカ好きは変わらず、変わったのは

「あのおやじは信用できない」 と 「やっぱり切ったものをこの目で見るのが確実」 だった。

先日、近くのスーパーに行ったら、6分の一で、298円、糖度13度と表示してあった。

「ほんとに糖度を計ったのだろうか?」多少の不安があったものの「外れでも298、損はしない」と思い、食べてみた。

たしかに甘い、しかし甘いのは上の方で中から下にいくに従い糖度は薄くなる。

下にいっても甘いスイカはないものだろうか?

この難題をクリア出来る優れ物は一年に一回当たるかどうかなのだ。

私の希望は一年に一回を2~3、いや4~5回にしたい(それも安い値段で)


私のスイカへの探求はとどまるところを知らない(大げさですよね)

そして次の日、またいつものスーパーに行くと、先日買ったスイカの隣りに全く同じ大きさのスイカが580円で売られていた。

糖度も同じ13度、しかし明らかに美味しそうに見える。

中から下にかけても変わらない味のような気がする。

よく見ると、○○さんが作ったスイカ!と表示してあり、それも包装がラップではなくきれいなビニール袋に入れてあった。

「う~ん、これは自分が求めているスイカかもしれない」

そう思った私は懲りもせず、またも挑戦したのだ。


結果は・・・・・・。

上は間違いなく13°しかし、下がるにしたがい私の願望は幻と終わった。


で、結論は?

人間と同じでスイカは見た目ではわからない。

スイカも人間も見た目や他人の評価やブランドで判断してはいけない。

甘くなかったら塩をかければいいじゃないか?塩分不足の解消にもなるし(やけくそ)


だったのです。

失敗してもただでは転ばない。

失敗から大切なことを学んだんだ!

そう思い、自分を慰めております。涙



   


引きつける

  

  
磁石は鉄を引きつける。何にも目には見えないけれども、見えない力が引きつける。しぜんに鉄を引き寄せる。

人が仕事をする。その仕事をする心がけとして、大事なことはいろいろあろうけれども、やっぱりいちばん大事なことは、誠実あふれる熱意ではあるまいか。

知識も大事、才能も大事。

しかし、それがなければ、ほんとうに仕事ができないというものでもない。

たとえ知識乏しく、才能が劣っていても、なんとかしてこの仕事をやりとげよう、なんとしてでもこの仕事をやりとげたい、そういう誠実な熱意にあふれていたならば、そこから必ずよい仕事が生まれてくる。

その人の手によって直接にできなくとも、その人の誠実な熱意が目に見えない力となって、自然に周囲の人を引きつける。

磁石が鉄を引きつけるように、思わぬ加勢を引き寄せる。

そこから仕事ができてくる。

人の助けで、できてくる。

熱意なき人は描ける餅の如し。

知識も才能も、熱意がなければ無に等しいのである。

おたがいに一生懸命、精魂こめて毎日の仕事に打ち込みたい。






  『道をひらく』 松下幸之助 PHP






 感想


幸之助さんは、ただの熱意ではなく、「誠実な熱意」とおっしゃっています。

この“誠実さ”が大切なんですよね。

熱意だけでは人の心を打たない

誠実という人柄からにじみ出てくる

真(まこと)、善(ぜん)、そして美しさが人を引き寄せるのだと思うのです。




  

ミッションはあるか?

    
 
またまた、物事を成し遂げるには、熱意がいるという話なんですが、もうこれしかないと思います。

それも継続性のある“熱意” ですけどね。

起業家セミナーが今、真っ盛りで、スキル、ノウハウ、成功本を読め!など教えていることは盛りだくさんだと思いますが、教えようとして教えられない部分が、この熱意です。

心の中の部分は伝えるのが難しいからです。

諦めるな!とか、続けろ!とか、工夫せよ!とか、改善せよ!とか精神的なもの、心を建て直す部分は、最後は自分自身にかかってくるからです。

あともう少しでものになる(成功する)のに、あともうひと押しをやり続けよとかは周りでいくら頑張れ!と言っても本人次第のところがあるからです。

わたしはこの熱意の他に

ミッションがあるかどうかが大切だと思うのです。

ミッションとは、使命感であり、天命でもあるわけですが

おおげさに言えば

「わたしはこれを成し遂げるために生まれて来た、これをしないとわたしが生きている意味(価値)がない、これを遂行し成就させることが世の為、人の為になるんだ」

大志(大きな志し)と置き換えてもいいと思います。

ただなんとなくやっている

儲かりそうだから

好きな事だから

・・・・・・・・・・・・

そんな低い志しでは

上手くいかないとき

行き詰ったとき

やる気が一時的に失せたときなどに、気持ちをもう一度リセット(初志を貫徹しようという気持ちに戻る)出来ないからです。

このやる気が失せるときは

何度でもやって来ます。

ほとんどが上手くいかない

工夫しても、チャレンジしても

何度も何度も失敗する

経済的にも苦しくなってゆく・・・・。

そんなときに

自分のためだけだったなら

志が低かったら

ミッションをやる気のなさが勝ってしまったら

もう

「なにくそ、どんなことがあってもやってやるぞ!」

という気にはならないのです。

もっと楽な方(儲かりそうなこと)に逃げようとするのです。

私は、起業しようとしている人に

熱意の他に

この何があってもくじけないという

それくらい大きな大きな

ミッション(大志)があるか?を聞いてみたいと思うのです。

これがないのならば

絶対に成功はないと思うのです。

そして

強いミッションがあれば、熱意は自然とついてくるものなのです。



  

   

2012年8月18日 (土)

熱意をもって 2

 
  
経営というものは不思議なものである。仕事というものは不思議なものである。

何十年やっても不思議なものである。

それは底なしほどに深く、限りがないほどに広い。

いくらでも考え方があり、いくらでもやり方がある。

もう考えつくされたかと思われる服飾のデザインが、今日もなおゆきづまっていない。

次々と新しくなり、次々と変わってゆく。

そして進歩してゆく。

ちょっと考え方が変われば、たちまち新しいデザインが生まれてくる。

経営とは、仕事とは、たとえばこんなものである。

しかし、人に熱意がなかったら、経営の、そして仕事の神秘さは消えうせる。

何としても二階に上がりたい。

どうしても二階に上がろう。

この熱意がハシゴを思いつかす。

階段をつくりあげる。

上がっても上がらなくても・・・・・そう考えている人の頭からは、ハシゴは出てこない。

才能がハシゴをつくるのではない。

やはり熱意である。

経営とは、仕事とは、たとえばこんなものである。

不思議なこの経営を、この仕事を、おたがいに熱意をもって、懸命に考えぬきたい。

やりぬきたい。





         『道をひらく』 松下幸之助 PHP



  

熱意をもって 1


  
何かが、ヒラメイテ電球わーい(嬉しい顔)、新しい発見や発明が生まれるときって、人間が、がんばって、がんばって、もうこれ以上努力のしようがないという瀬戸際までいって・・・・・

その時に神様が

「よくがんばった、無欲になった、では褒美をやろう」

とインスピレーションで答を授けてくれるように思うのです。

そして、がんばったり、努力したり、一生懸命になったりするときには熱意が要ります。

熱意というエネルギーが人間に知恵を与え、進化させる

熱意がなければ、なんの化学反応も起きない。

中途半端だと化学反応(奇蹟)は起きないのです。

松下幸之助さんの本を読んでいて、そう思いました。



    

日本人が世界に誇れる33のこと 2

  
  
  
感謝の言葉が豊かな日本人



わたしが日本の文化の中で特に尊敬をしているのは、感謝の気持ちを表す表現が豊かであることです。

「ありがとう」の気持ちを忘れずに相手に表現する必要性は、どの国でも母親や父親が子どもに言って聞かせます。

わたし自身、両親に教えられ、「Thank You」という言葉の意味の深さについてよく考えていました。

しかし、日本の日常生活にある豊かな「ありがとう」の感謝表現は、他の国とは異なります。

実にさまざまな、感謝を表すことばがあるのです。

「すいません」

「ありがとう」

「恐縮です」

「おそれいります」

「助かりました」

「お世話になりました」

「ご馳走さまでした」

「お疲れ様でした」

長年日本にいても、その場その場で使い分けられる 「感謝の表現」の複雑なニュアンスに戸惑うことがあります。

ちょっとしたおじきなど、感謝を表すジェスチャーもたくさんありますし、お土産やギフトの文化に含まれる 「感謝の心を表す行為」にも、深い意味や歴史があるようです。

日本の社会では、ビジネスでもプライベートでも、感謝の気持ちを表すことが基本的な習慣となっています。

「お礼の気持ち」 をどのように表すべきかという「課題」を、無意識のうちにこなしてしまっているのです。

もちろん他の国にも、「家族を大切にする」「社会活動を行う」などのすばらしい共通認識がありますが、「ありがとう」をここまで極めている文化はありません。

言うまでもないのですが、「ありがとう」を中心に考えると、必然的に「我」ではなく、「相手」がフォーカスされます。

相手のためにどのように言えばいいか、どのように動けばいいか、何を差し上げればいいかを日常的に考えるようになると、自己的ではなく外向きな視点をもつようになるでしょう。

時には、組織のチームワークやグループシンキングが上達します。



わたしの子供たちが小さいころ、よく横浜の市営バスを利用していました。

わたしたちが定期的に乗るバスが日野墓地を通る関係で、お墓参りをされるご年配の方が多くいらっしゃいました。

それらのお年寄りたちのほとんどが、バスを降りる前に運転手さんに向って「ありがとうございます」と声をかけていました。

目的地まで無事につれていってくれた運転手さんへの、「お礼」 の気持ちを、当り前のように、何気なく言葉にしていることに心を打たれました。

そうした文化が、子供たちにも根づいていることを、わたしは誇りに思います。

先日、子供とタクシーに乗り、十歳になった娘が下車する際に、無意識に運転手さんにちょっとしたおじきをし、「ありがとうございます」と丁寧に言ったのです。

その瞬間、母親としてとても穏やかな気持ちになりました。

これからも日本人のお礼の心を、親子ともども、どの国に行っても、大切にしていきたいと思います。

「日本で暮らせて、ありがとう・・・・・・」



 

『日本人が世界に誇れる33のこと』ルース・ジャーマン・白石 あさ出版






感想


最後のルースさんのひと言

 「日本で暮らせて、ありがとう・・・・・・」

はぐっときますね。涙

こちらこそ

「日本に来てくださって、日本を大好きになってくださって、ありがとう・・・・」

と言いたいです。



  

日本人が世界に誇れる 33のこと 1

  
    
タイトルに書いた「日本人が世界に誇れる33のこと」ルース・ジャーマン・白石著を読んだ後に、ツイッターでその感想を書いたら、なんと白石さんご本人から直接お礼のツイート(つぶやき)や返信をいただきました。

私がつぶやいた内容は次の通りです。



  
グローバルスタンダード(世界で通用する標準)なんていらない。これからは、日本の常識(本来の気質)は、世界の常識になる。 “日本人の心” を見直し、大切にしよう! / 日本人が世界に誇れる33のこと ルース・ジャーマン・白石著を読んでそう思いました。


 
ツイッターの威力、影響力は噂には聞いていましたが、ご本人と直につながるとは、びっくりしますよね。

以前にもブログで本の感想を書いたらご本人からコメントをもらったことがありましたが、著者の人はやはり良い評価をしてもらうと嬉しんでしょうね。

ルース・ジャーマン・白石さんはハワイ出身のアメリカ人女性で、ひょんなことから日本の企業(リクルート)へ就職することになり、リクルート(職場)で素晴らしい人との出会いがあり、その後、日本人男性と結婚、2人の子供さんにも恵まれ、すっかり日本に溶け込んでいる日本人以上に“日本人の心” を持った、いえ、それだけでなく、日本人の良さがわかっておられる女性です。

周りの日本人が素晴らしかったこともあり、日本人に魅了されていき、そして今回の著書となりました。

あまりに白石さんが日本人を褒めまくるので、「それはちょっと褒めすぎでしょ」と赤面することもありますが

「ふむふむ、確かに・・・」と頷く部分も多く、日本人同士ではなかなか気づきにくい(当り前だと思っているので)ところを鋭く示唆してくれています。


答を外(外国等)に求めるのではなく、内(日本、心の中、本来の気質)や身近に素晴らしい答が溢れていると思うのです。


次の日記でご紹介します。

自画自賛ではありませんが、日本人の内に秘めた素晴らしさを知ることは自信につながります。

私たちは、自信を持って日本をもっとよい国にしていきましょう。
わーい(嬉しい顔)



  

  

 

2012年8月15日 (水)

もっとも平凡な

  
  
  
朝起きたら顔を洗う。家の前をはいて水を打つ。

しごくあたりまえのこと。

ものをもらえばありがとう。 お世話になったらすいません。 とりちらかしたら、あとかたづけ。

別にむつかしい理屈も何もない。

犬や猫ならいざ知らず、人間としてなすべき、もっとも平凡な、もっともあたりまえのことである。

ところがこれに理屈がつく。 手前勝手な理屈がつくと、いつのまにやらあとかたづけ不要。

顔も洗わず水も打たず。 平凡なことが何やらむつかしいことになって、何をなすべきか右往左往。

そんなことが、きょうこのごろはあまりにも多すぎはしないか。

それもこれも、つまりは自分なりの都合のよい道を求めてのことであろうけれども、自他ともの真の繁栄への道は、本当はもっとも平凡なところにある。

みんなが納得するしごくあたりまえのところにある。

別にむつかしく考える必要はないのではないか。

もう一度考え直してみたい。

水が低くに流れるように、夏がすぎたら秋がくるように、自然の理にかえって、もう一度素直な心で考え直してみたい。



 
 

         「道をひらく」 松下幸之助 PHP



 

感想


そうなんですよね、動物と人間の違いとは、当り前のことが出来るのが人間なんですよね。

当り前のことができなければ、それは動物と同じ、あるいはそれ以下である。

そこまで言ってしまうと厳しいかもしれないけれど、当り前のことをやり続けることはなかなか難しいとも思うのです。

政治家の人だって最初は野心ばかりではなく、国を善くしようという志があったと思うのです。

しかし、きれいごとばかりを言ってられなくなって

いつの間にか、当り前のことが当たり前にできなくなってしまった。

この当り前と出来なくなった境目にはきっと葛藤があったと思うのです。

「どうしようか?」

自分の心の中の

正義が勝つか、悪魔が勝つか

ここで一回でも悪魔の方に傾いてしまうと

当り前でないことが当たり前になってしまう

そうなると自分の本心に正直に生きられなくなってしまうのです。

そして人に対しても

「それは間違っている」

と正々堂々と言えなくなってしまいます。(言ったとしても相手の心には響かない)


そんな風になってしまったのは

本(もと)を正せば

もっとも平凡な、もっともあたりまえのことをおろそかにしてしまったからなのです。

いま、お盆でけっこう考える時間ありますよね。

幸之助さんの言う、自然の理にかえって、もう一度素直な心で考え直してみたい・・・・・。



  

後生大事(ごしょうだいじ)

 

 
賢い人が、賢いがゆえに失敗する、そんな例が世間にはたいへん多い。

賢い人は、ともすれば批判が先に立って仕事に没入しきれないことが多い。

だから、せっかくの知恵も生かされず、簡単な仕事もつい満足にできないで、世と人の信用を失ってしまう。

 ところが、一方に 「バカの一つ覚え」 といわれるぐらい仕事に熱心な人もいる。

こういう人は、やはり仕事に一心不乱である。

つまらないと見える仕事も、この人にとっては、いわば後生大事な仕事、それに全身全霊を打ちこんで精進する。

しぜん、その人の持てる知恵は最上の形で働いて、それが仕事のうえに生きてくる。

成功は、そこから生まれるという場合が非常に多い。

仕事が成功するかしないかは第二のこと。

要は仕事に没入することである。

一心不乱になることである。

そして後生大事にこの仕事に打ち込むことである。

そこから、ものが生まれずして、いったい、どこから生まれよう。

おたがいに、力及ばぬことを嘆くより先に、まず、後生大事に仕事に取り組んでいるかどうかを反省したい。



    
    

           「道をひらく」 松下幸之助 PHP







 感想


この文章を読んで、朝ドラの「梅ちゃん先生」を思い浮かべました。

賢い人とは、梅ちゃんのお父さん、大学の医学部の教授です。

しかしこのお父さんは自分の仕事に没入し、世と人の信用は得ている。

上の文章のどこが同じかというと自分以外の職業の人に対して批判的になっているというところです。

娘の嫁ぎ先の職人さんを多少バカにしているところがある。

頭を使う仕事が素晴らしく、そうでない仕事(労働)を下に見ている。

しかしこのお父さんの偉いところは、自己反省し、自分の間違った考えを改めようとしているところです。

どんな仕事にも奥深いところがあり、そういう意味では仕事とはみな同じなのです。

それがわかると他人の仕事にけちをつけることが間違いであることに気づく。

「職業に貴賎(きせん)は無い」 とはこういうことなんですね。


私たちは自分のしている仕事に誇りを持てないときがあります。

しかしそんな時とは、一心不乱(一生懸命)に、そして後生大事にしていないときだと思うのです。

松下幸之助さんの話を読んでそう思ったのです。



  

2012年8月10日 (金)

本来の日本人の気質 2

 
  
1. 日本人は、争いを嫌い、和を尊び、大自然を愛している。


2. 贅沢や華美を好まず、質実剛健をモットーとしている。


3. 根からの性善説であり、生きとし生けるものすべてに神性が内在することを無意識に認めている。


4. 宗教対立せず、逆にすべてを包み込んでしまう寛容さを持ち合わせている。



5. 他を押しのけたり、排除したりすることをよしとせず、かつまた自分を主張することを極力抑制できる強い意志を持ち、侮辱や無礼に対しても耐え忍ぶことを自らに強いるほどの高い精神性を持つ。



6. 努力家であり、真面目さ、勤勉さ、忍耐力に富み、相手に対してへりくだることを美徳とする。陰謀や策略を用いることを恥と思う。





      
                     西園寺昌美



  

本来の日本人の気質 1

 
  
  
オリンピックでメダルを取った人のインタビューを聞いていると、ほとんどの人が

「これは自分の力で取ったものではない、周りの人に支えられて、周りの人のお陰で取れたものです。感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございます。」

と語っています。

なんと奥ゆかしい

なんと謙虚な言葉でしょう。

そしてそれは本心で語っており

聞いていて清々しい

爽やかな気持ちにさせてくれます。


オリンピックは

スポーツを通じて、日本人気質の素晴らしさ、美しさを “世界に発信する場” でもあると思うのです。


ある冊子に、「本来の日本人気質」について書いてありました。

日本人の元来持っている気質を再確認して

それに益々、磨きをかけていけば

日本は、日本人はもっともっと素晴らしくなる。

そう思ったのでした。

次の日記でご紹介します。



  

足ることを知る者は富めり 2


  
この言葉は、よく言われる言葉なのですが、人間というものには限りがありませんで、金が出来れば地位が欲しくなり、地位が高くなればもっと高くなりたくなり

最高の地位につけば、いつまでもその地位に止まりたいと、種々と権謀術策をして、心の休まる暇がありません。

ですから、足るを知るということは、実に大事なことだと思うのです。

どんなに貧しい生活をしていても、その貧の中で満足して、心を休んじていられる人は、富んでいるも同じ心の余裕というものがあります。

安心立命していられます。

想念を常に物質世界の中に置かずに、神のみ心の中に入れきっている人は、如何なる環境にいても、足ることを知る人であり、心富める者なのであります。

何故ならば、神は無限の富者であるからです。





   

          「老子講義」 五井昌久 白光出版



  

足ることを知る者は富めり 1

  
  
  
昨日、梅ちゃん先生を観ていたら、ノブの家に嫁いだ梅子が無理をして家事をやろうとして倒れてしまったことに対して

ノブのお母さんが「無理をしてやらなくてもいいのよ、私は娘が出来ただけで嬉しいんだから・・・・」と言っていたのを聞いて

「ああ、こんなお姑さんだったらお嫁さんはみんな幸せだろうな」

と思ったのでした。

「うちは、お父ちゃんや息子や従業員の子もみんな男ばかりだったから女の子が来てくれただけでありがたいんだ、居てくれるだけでいいんだからね」

まさに「足るを知る」の心を持ったお母さんです。

足らないことに意識を向けるよりも、今ある状況に感謝出来る。

幸せのハードルを下げることの出来る人・・・・。



昔のお年寄りはどんなことがあっても

「ありがたい、ありがたい」

と手を合わせていた印象があります。

私もこの齢(54歳)になって

「あの人たちは、幸せだったんだなぁ、心の豊かな人だったんだなぁ」

と思う(わかる)のです。


「足るを知る」と人も幸せにするし、自分も幸せになれる


私は

どんなときにも

「足るを知ることを忘れない」

そんな人間になりたい

と思うのです。




   

2012年8月 9日 (木)

日々の指針

 
  
 
1. 自分が自分をどう思うかによって、幸、不幸のすべてが決まる。


1. 人類はみな究極の真理に出合った時、本来、不幸の原因など何もないことに気づく。


1. 自分を不幸と思う人は、必ずや自分が常に否定的想念に占領されている人たちである。


1. 自らの内に神の存在を感じられるようになると、不安や不幸は消え去る。


1. 自らに内在せる神の光は常に自らの行く手を照らし、歩むべき道を示し、自らを輝かしい未来へと運んでくれている。


1. 無知なる者は自らが自らを敵にする。


1. 何も出来ないと老いをいじけてはならない。

   老いてしか出来ないことを楽しもう。





          
                    西園寺昌美




   

「なんとなく」 「なんとかなる」 の美学


  
NHKの朝ドラ、「梅ちゃん先生」は力が入らずに、安心して観ていられるのがいい。

それは主人公の梅子が自然体で生きているからだ。

最近、梅子は幼なじみのノブと結婚したが、それまでにお互いに恋人が出来ても意識をせずに干渉もしなかった。

すると時期がきて、やっと 「なんとなく」 結婚相手として考えるようになった。

結婚後のことも周りから、そんなことで「大丈夫か?」と心配されても

「なんとかなる」 と意に介さない。

神様が 「こうなったらいいのに」というストーリィーを立てて

梅子はその物語にうまく乗っているような気がする。



人間は経験を積んで成長する。

しかし、ほとんどの人の場合、意識し過ぎたり、焦ったりして 神様の描く “理想の幸せのストーリィー” から外れていくケースが多いのだ。


人間側が勝手に、力んで、頑張り過ぎて、意識し過ぎて、考え過ぎて、墓穴を掘っているようにも映る。

わたしたちのご先祖様(守護霊、守護神)は、私たちを出来るだけ苦労せずに幸せに導こうとしてくださっているのだ。(なんとありがたいことでしょう)


そのためには、

 「なんとなく」 「なんとかなる」 と楽観的になる。

そして、「やるときは余計な心配をしないで一生懸命にやる」 “生き方” がいいのかもしれない。

と思ったのでした。




   

 

2012年8月 8日 (水)

足るを知る(たるをしる)

  
  
  
わたしたちは欲求と向上心をいっしょくたにしている。

心の中はいつも、「もう少し余裕(お金)があったなら」「もっと健康であったなら」人に対しても「もっと人にこうしてほしい」「もっとこうあって欲しい」・・・・・・

しかし、欲求はきりがなく、満たされない部分が、

「自分は不幸なんだ」

になっていく。

この不幸感が不幸なのだ。

「生活出来ているだけでありがたい!」 「仕事があるだけでありがたい!」

「生きているだけでありがたい!」「家族がいるだけでありがたい!」

この当たり前だと思っていることが当たり前でない人なんて、世の中にいくらでもいる。

上を見たらきりがないように、下を見てもきりがないのかもしれない。

しかし、下を見ないと自分がいかにありがたい状態であるかが、わからないのだ。


人は考え方一つで、幸せにもなれば不幸にもなる。

だったら考え方一つで “幸せ” になる方を選ぼうではないか。


   

2012年8月 7日 (火)

塩に対する間違った考え

  
  
体を温める食べ物


塩は高血圧や脳卒中の原因になるとして日本を全国、減塩運動が展開中です。しかし東北地方の人々が、1世代前多くの塩分をとったのは、暖房器具が十分に発達していなかった当時の厳冬を乗り切るための知恵だったのです。


先にも述べたように、塩はカロリー「0」の食品ですが、体を温める作用があります。

北国で冬、雪が降ると車で道路に塩をまき、凍結を防ぐことからしても、よくわかります。

ナメクジに塩をかけると、しぼんでしまうように、塩は「水太り」を改善する作用もあります。

海水浴に行くと、身体が引き締まったような感じがするのも、塩のひきしめ効果です。

とかく、塩分は悪者にされがちですが、塩が体に悪かったら、クジラやイルカはすべて脳卒中で死に絶えるに違いありません。

塩分は十分にとって体を温め、排泄してあげれば、塩分の害などはまったくないのです。

汗や尿から塩を棄ててあげればよいのです。

クジラやイルカも海水魚も、すべて、塩分をとって、利用して、出しているからこそ、元気でいれるわけです。

低体温で、水太りになっている人にとっては、塩分は最高の「ダイエット食品」と言っても過言ではないのです。




   石原式 かんたん断食ダイエット 石原結實 日本文芸社





感想

またまた、驚きですね。これが本当だとすると、間違った情報がたくさん流され、そしてそれが是正されていないことになります。

まさに、自分の体は自分で守るということなのでしょうか?

トマトやキュウリ、スイカは夏の食べ物なので体を冷やすのだそうです。

でも塩をかけると甘く美味しく、食べやすくなります。

それは、塩分を加えることで、身体を温める食べ物に生まれかわるからだそうです。

自然の摂理のありがたさを感じます。

だから塩づけの漬物なんかは最高の健康食品なのです。

大好きなのにこれまで控え目にしていたことがもったいないことをしたとさえ思います(笑)。

正しい情報が当たり前に流れる世の中になってほしいですよね。


  
   

「冷え」がやせられない、そして病気の原因なのです。

  
  
「冷え」 「水」 「痛」 の三角関係


私たちが日ごろ生活しているうえで、この「冷」 「水」 「痛」に相関関係があることがわかります。

「冷房に入ると頭痛がする」人がいますし、「雨(水)にぬれると冷えます」し、雨(水)が降ると神経痛が起こる人もいます。

人類は約300万年前に東アフリカでゴリラより派生し、290万年以上アフリカに棲んでいたとされますので、「寒さ」=「冷え」に弱いという特徴があるのでしょう。

よって、冬にはさまざまな病気が発生し、死亡率も高くなります。

また、1日のうちでいちばん気温と体温が低い午前3時から午前5時は、ぜんそくや異型狭心症の発作がいちばん多く起こりやすい時間帯ですし、1日のうちで死亡率もいちばん多くなるわけです。

人間は、体が冷やされた場合、「冷え」の一因であるよぶんな水分を体から捨てて、体温を温めようとするメカニズムが働きます。

つまり寝冷えをすると下痢(水様便)をする、冷えてカゼを引くと、くしゃみ、鼻水が出る、偏頭痛がひどくなると、嘔吐(胃液の排出)する、体温気温ともに下がる夜に頻尿が起こるなどです。

最近の若者には、アレルギーで悩む人が多いのも、若者の低体温が原因です。


アレルギーの症状は


結膜炎・・・・涙

鼻炎・・・・くしゃみ、鼻水

ぜんそく・・・・水様たん

アトピー・・・湿疹


というように、水が排出される現象です。

つまりアレルギーは漢方でいう水過剰(=水滞症)の症状であり、水分の多い人、体が冷えてくる人がかかりやすいことがわかります。

「水分」は重力により、、下半身により集中し、「大根足」や「下半身デブ」の原因になることはすでに述べました。

下半身に水分が多くなると、そこは、冷えてくるので、腰やひざの痛み、生理痛などの痛み(冷→痛)が生じやすいし、下痢や頻尿、むくみ(水分そのもの)が生じやすくなるのも当然です。

下半身が冷えると、下半身に存在していた熱や血は、下半身に存在できなくなり、上半身に向って上昇していきます。

ですから、下から上に突き上げられる症状としてドキドキや息苦しさ、吐き気やセキ、口内炎、イライラ、不安、不眠、顔の発疹などの現象が出現してくるわけです。

つまり、女性の自律神経失調症状や更年期障害は、下半身の冷え(と水)が原因であることがわかります。

このように、「痛み」や「アレルギー症状」「自律神経失調症とされる不定愁訴」、それに何よりも下半身デブ=水太りを改善するには、体内のよぶんな水分を排出し、体を温める、という2点に集約できるのです。




  

     石原式かんたん断食ダイエット 石原結實 日本文芸社




 

感想

私が今回、「水」と「冷え」 に関してしつこいほど本から抜粋したのは、今年の冬に風邪をひいてしまい、そのときに発熱をともないました。

熱が出たときは、水分を十分採らないと脱水症状が起きるという言葉を信じてお茶をがぶ飲みしました。

のどごしがよく美味しかったのです。

体は余剰水分が溜まり、体温を下げ、抵抗力、免疫力、自然治癒力も下げてしまったのだと思うのです。

体調が戻るのにかなりの時間を要しました。

そのときの経験があったので、この本に書いてあることが腑に落ちるのです。

今は夏真っ盛り、ついつい水分(しかも冷たい)を採り過ぎてしまいます。

これまでの常識(水分は十分に摂りましょう、水はカロリーゼロなので太らない、朝はしっかり食べましょう)はなんといい加減なものが多いのでしょう。

テレビで言っていること、学者さんが述べていることをうのみにせずに

自分の直観を信じて(なんかおかしいんじゃないかとか)

自分なりの説(指南書は必要ですが)を作り出すのが必要なんじゃないかなぁと思っています。

やっぱり自分が納得しないと

実践はしないものです。

食べ物(水)と体は密接に関わり合っています。

医食同源(いしょくどうげん)といわれるくらいです。

特に、水分を採り過ぎるというのは、体という大地が水浸しになっているのと同じなのです。

みなさんの参考にしていただけたら幸いです。


  

2012年8月 6日 (月)

水分が太る要因であることを見逃している

 
 
 
西洋医学(栄養学)的には、「水分」は、カロリーが「0」であるから、ダイエット中は、いくらとってもよいというのが、大方の意見です。

また、「水は新陳代謝をよくするので、ダイエット中は、大いにとるべきだ」という学者もいます。

しかし、「雨にぬれると体が冷える」ように、体内によぶんな水をとりすぎると体を冷やし、新陳代謝を低下させて、細胞や糖分の燃焼を妨げ、肥満の原因になるという考えは、西洋医学には、毛頭ないようです。

そのうえ、人間の体重の60~65%が水分なのですから、水分をとりすぎて尿や汗による排泄が十分にできないと、「水太り」になるのは、しごく当然のことなのです。


漢方(東洋医学)では、「色白で水太り、汗が多くて、ひざやひじに痛みが来やすい人」の肥満には、体を温め、利尿を促す防己黄耆湯(ぼういおうぎとう)という「やせ薬」 を二千年来処方しています。


確かに 「ダイエット」をやり、やせてくるときは、驚くほど排尿があるものです。

また、太っている人は、尿の回数が少ないか、回数は多くても1回の尿量が少ない傾向があります。

この 「水分」が、ダイエットの成否を握る大きな鍵であることを、西洋医学も、一般のダイエット法も見逃している傾向があります。

  
体内の水分を排泄するには、腎臓の働きをよくして排尿を促すこと、また、汗を出すことが必要ですが、それには、まず、「冷え」を治し、体温を上昇させて、腎臓をはじめ、全身の血流をよくしてあげることが大切なのです。




   

      石原式かんたん断食ダイエット 石原結實 日本文芸社






 
感想

私の同年代の友だちの8割は、太っています。

そしてよく飲み、よく食べています。

そしてお腹を見るとほとんどが水(ビール腹)であることは、一目瞭然です(笑)。 

若い時には、いくら飲んでも食べても太らなかった。

それは新陳代謝のスピードが半端でないくらい速かったんですね。

食べたもの、水分をすぐにエネルギーに換えることが出来た。

そのときと同じペースでいけば太るのは当たり前です。

これからは、友だちにも

「水のとり過ぎは肥満、そして病気のもとだよ」

と伝えていきたいと思っています。



  

この世の勝利者

  
  
  
神よ、わが天命をまっとうせしめ給え、の祈りを根底にして、出来る限りの努力を尽せ。

努力なしに神を知ることも、天命をまっとうすることも出来やしない。

神を信じよう、とする想いも、神におまかせしようとする想いも、すべて真剣な心がなければ出来るものではない。

ただ単に、神に自己の責任を回避して、それがおまかせと思ったらとんでもないあやまりである。

この世はすべて真剣に自己の生命を生かす者の勝利に帰する。

真剣さのない好運などは、ただ単に、過去の徳を消滅させているだけなのであり、真の利得ではありえない。


おまかせとは、神に一切の運命をおかえしすることである。

み心の如くなさしめ給え、である。




    

             日々の祈り 五井昌久 白光出版




  

2012年8月 5日 (日)

食べないことこそ、体のため!動物を見習うべし!

   

  
犬や猫は、ケガをしたり、体調を崩したりすると、食べないでじっとしています。

食べないこと(断食)で、病気が治ることを本能的に知っているからです。

百獣の王ライオンでさえ、「狩り」 に成功するのは、10回~20回に1回だそうです。

ということは、いつもは空腹でいることのほうが多いのです。

人類300万年の歴史においても、299万9900年以上は、飢餓との闘いでした。

人類は、氷河期、干ばつ、火災、洪水などの天変地異のため、常に食料にありつけなかったというのが真実です。

人間や動物の体は、空腹や飢餓に対して、その健康と生命を守る対処の仕方を知っているわけです。

現代のように、朝が来たから、昼になったからということで、さしたる空腹感もないのに、習慣的に胃袋に食物を詰め込むというのは、人間の歴史においては、初めての経験なのです。

その結果、体内に、脂肪、糖、尿酸、塩分などをため込みすぎて、肥満、高脂血症、脂肪肝、糖尿病、痛風、高血圧などの生活習慣病の原因を作っているわけです。

こうした余剰物や老廃物は血液を汚して、さまざまな病気を引き起こし、また、血液の流れを悪くし、女性特有の生理不順、生理痛をはじめ、こり、痛み、シミ、ソバカスなどの原因にもなるのです。


ですから、“栄養過剰” で肥満をはじめ、もろもろの病気にかかっている現代人にとって、1日1食を抜く 「プチ断食」 や、1日や2日断食することは、体に有害どころか、健康を増進させるうえに、きわめて有効な手段になるのです。




   

      石原式 かんたん断食ダイエット 石原結實 日本文芸社




  


断食をすると元気になる

  
  
  
「断食をすると、力が出なくなる」と思われる方が多いでしょうが、英語の「断食する」

= fast(ファスト)には、「しっかりする、元気になる」という意味が込められています。

ウナギやエスカルゴを産地から都会のレストランへ運ぶときは、餌を与えると輸送の

途中で弱るので、断食させながら運ぶそうです。

つまり、餌を与えるより断食させたほうが、生命力が強くなることを意味しています。

鶏も卵からかえって8ヶ月程で産卵をしはじめ、その後1年半くらいすると卵を産ま

なくなります。

そうなると、以前は廃鳥(殺すこと)にしていたそうです。

それが、ある農学博士のすすめで、廃鳥寸前の鶏に15日間の水断食(水だけの

断食)をさせたところ、2~3%は死ぬものの、残りの鶏は一度、羽根を落として丸

裸になったあと、また新しい羽根が生えてきて若返り、さらにそのあと、1年半、産

卵することがわかりました。


実に不思議なことです。


今では、どこの養鶏場でも鶏に 「断食」 させ、産卵期間の延長を図っています。

これを「強制換羽(きょうせいかんう)」と言います。

このように、動物同様に人も断食すると、若返り、元気になるのです。

食べないからこそ元気になる。

断食をするということは逆説的な健康法ともいえます。

日ごろの立ち居振る舞いが若々しくなったり、シミ・ソバカスがうすくなったり、

白髪が黒くなったり、肌が生き生きとツヤを帯びたりと、皆さんが驚くほど若々しく、

そして健康になっていかれるのを目のあたりにしてきました。


そして、ダイエットの効果も、目を見張るほどでした。私が想像していた以上だっ

たのです。

「断食」がより体によく、ダイエットにも役立つというのはわけがあります。

なぜなら 「はじめに」 でお話ししたように、断食中は、体内の老廃物が排泄

されて血液が浄化され、体の60兆個もの細胞が若返っていくからなのです。


このように、断食をすると、体力がなくなる、体が弱くなるというのは、まったく

の誤解であり、断食は、むしろ体にとてもよいことなのです。




  

    石原式 かんたん断食ダイエット 石原結實 日本文芸社


関連ブログ


  『朝は少しの糖分を摂るだけで充分なのです』

  
http://goodmoon51.cocolog-nifty.com/blog/2011/02/post-c1eb.html


 
『空腹感を楽しむ』

http://goodmoon51.cocolog-nifty.com/blog/2012/07/post-cec0.html


  
 

断食は簡単にでき、健康維持、ダイエットにも最適

  
  
 
「断食」という言葉には、キリストや釈迦など聖人、偉人が悟りを開くために行なった難行、苦行というイメージがあるかもしれません。

しかし、「断食」は、肥満や生活習慣病など体の不調・病気で悩んでいる私たち現代文明人にとって、最良の健康法、痩身法であると言っても過言ではありません。

人間の体の生理の鉄則として「吸収は排泄を阻害する」という現象があります。

つまり、食べすぎると、かえって排泄が悪くなり、体内に脂肪や糖、老廃物、水分をため込んで太ってくるのです。

「太る」ということは、体内にためこまれたよぶんな老廃物などが血液を汚して、高脂血症、脂肪肝、糖尿病、痛風、高血圧などさまざまの病気のモトを作り、皮膚のトラブルや生理不順、生理痛などの婦人病の原因にもなります。

また、肩こり、頭痛、めまい、耳鳴り、のぼせなどの不定愁訴(ふていしゅうそ)の一因にもなるのです。

逆に断食をすると、大小便をはじめとするさまざまな排泄機能が促進されて血液がキレイになり、体重減少のみならず、前述の病気や不快症状も雲散霧消するのです。


つまり、「断食」で体の “毒素” を出すことによって、健康でキレイになり、しかもスリムな体になるというわけです。


この本では、このように、一石二鳥にも三鳥にもなる

「石原式かんたん断食ダイエット」の方法についてやさしく解説しました。

また、「断食」に関係したレシピも紹介しています。

誰でもできるかんたんな方法ですので、ぜひ実践されて、輝く健康とともに、スリムなナイス・ボディをゲットしてください。



                 石原 結實(いしはらゆうみ)



  
      石原式かんたん断食ダイエット 石原結實 日本文藝社




  

断食と健康について

  
  
 
私は健康おたくではないのですが、どうしたら体調が良くなるのだろう?

どうすれば理想的な体形になるのだろう?(ちょっと太り気味です)

というくらいの関心はありました。

夏になると汗がたくさん出てお腹がゆるくなる(下痢ぎみになる)

そしてあまり食べていないのに痩せない(笑)。

「水太り」という言葉があるけど

ほんとに水を飲み過ぎたら太っていくような気がする。

ダイエットを本格的(真剣)にする気はないけれど

もう少しスリムにかっこよくなりたい!

私くらいの願望を持った人って

多いのではないでしょうか?(特に同年代の人は)

今迄にも、読みかじりで

何冊かの健康本を読んできましたが

ここに書いてあることが正解じゃないかなぁ?

と、自分の中で信用出来そうな本を見つけたのです。

それは断食を伴ったダイエット、健康法なのですが

私のこれまでの経験から

かなり頷けることが書いてあるのです。

それは、私が水分を採り過ぎていたことです。


水が大好き

冷たいお茶が大好き

なのです。

だけど飲み過ぎた後は

身体がだるくなる

お腹がゆるくなる




だったら止めたらいいのに・・・・


しかしその因果関係がはっきりとわかっていなかったのです。

でもこの本を読んで

「そうだったのか」

が合点がいきました。

水太りの原理もわかりました。

水を飲み過ぎて体温を下げてしまい

新陳代謝を悪くしていたんですね。



これから本に書いてあることを抜粋してみなさんにもお伝えしていきます。

でも、私が「その通りだ!」と思っているだけで

絶対に正解だとか間違いないとは思わないでください。

答は、自分で見つけてくださいね。(自己責任)



   

2012年8月 3日 (金)

内村航平の集中力

  
  
     
世界中のたくさんの人が注目する中で、平常心で演技をするなんて、並大抵の精神力ではありません。

一切の周りのエネルギーを受けることなく、ただ一点に意識を集中させるその姿は、神々しく美しさがあります。

人間の限界を超えた世界、静寂な自分だけの世界・・・・。

それは、一つのことに一生懸命に命をかけた人、突き抜けた人だけに与えられる

素晴らしい世界だと思うのです。

内村航平くんの新聞の記事を読んでいて

感動しました。

抜粋しましたので、よかったらお付き合いください。





一日、ロンドン五輪の個人総合決勝。内村は次の種目が始まるまでの間、ほかの選手の演技には目もくれず、じっと自分の世界にこもった。

熱狂する会場とは無縁の静寂が支配した世界。

天才の本分が大舞台でもきらめき、幼い頃から描き続けた金メダルへの道が開かれた。


 
      
         8月3日(金)日経新聞朝刊より



  


  

フェイス・トゥ・フェイスで対応する 2

  

  
最近はメールでやりとりする機会も増えてきました。

このメールも、ストロークのひとつといえるでしょう。

といって、いつもメールで済ますというのは考えものです。

というのも、メールでは、相手の感情や気持ちをほんとうに知ることはできないからです。

逆に、自分のほんとうの気持ちや感情を伝えることもむずかしいものです。

いちばんよいのは、やはり、フェイス・トゥ・フェイスで対応することです。

フェイス・トゥ・フェイスであれば、相手の感情や気持ちを、その表情から汲みとることができます。

心の通うコミュニケーションをはかるには、フェイス・トゥ・フェイスが一番よい方法です。







  9割がバイトでも最高のスタッフに育つディズニーの教え方 福島文二郎 中経出版




   


  
  

フェイス・トゥ・フェイスで対応する 1

      
私は、今、mixi、facebook、ブログ、ツイッターをしていますが、一番勢いのあると言われている facebook で友だちを作ることが積極的に出来ていません(笑)。


余程、縁の感じる人とは何人かとはお友だちになりましたが、共通点を見つけて(捜し出して)

「お友だちになりましょう」

「なってください」

などとは、性格上、無理なのです。

その点、一度だけでも会っている人はほとんど抵抗がないですね。

1000回メール交換するよりも一回でも会う方がずっと

親しみが湧いてきます。

私は、重要な話があるとき

微妙なニュアンスを伝えたいとき

誤解をしてほしくないとき

などは

決してメールに頼ったりしません。

電話でも伝わりにくいと思った時は

めんどうでも

会いに行きます。

もしくは絶好のタイミングが来るまで

待つようにしています。

今、読んでいる本の中に

「その通り!」

と頷く内容のことが書いてありました。

「フェイス・トゥ・フェイス」

いい言葉ですよね。 わーい(嬉しい顔)


どんなに便利な世の中になっても

人と人との直の触れ合い

大切にしたいものです。



   

相手の人が今どういう状態なのか?を知る 2

 

「関心度チェックシート」



・ 職場・生活(職場・生活の場所や空間への関心)

・ 仕事(現在、自分の担当している仕事や立場、キャリアなどへの関心)

・ 対人関係(職場の人間関係などへの関心)

・ 学業(学業、スキルアップなどへの関心)

・ お金(貯蓄、各種ローン、借金などへの関心)

・ 家族・プライベート(親、兄弟、子ども、妻、恋人、友人などへの関心)

・ 健康問題(健康への関心)

・ 趣味(自分の趣味への関心)




これらの項目のうち、いちばん関心があるものは10点、関心がないものは0点として、自分の関心の高さに応じて点数を記入します。


ただし、シートに点数を記入してもらって、いきなり、こちらから「こういう傾向があるね」 と切り出さないようにしましょう。

まずは「全体的に見て、どう思いますか」と感想を聞いてみます。


すると、たいていの場合は、自分のほうから気になることについて話してくれますから、心身が充実しているか、そうでないかが、よりはっきりします。

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感想


なにかに集中しようとしていても

たとえば、恋人のことや、家庭内のことに原因がある場合には、いくら仕事の話をされても、そちらのほうが気になって、仕事のことに集中できないものです。

まず、心の問題を解決しないかぎり、仕事中の問題は解決できません。

こういう場合は、カウンセリング(相談)的な対応が求められます。

仕事に集中することはもちろん大事な事ですが、私たちは日常において

「ここは集中しなければならない」

というケースが頻繁に訪れます。

そして集中しようとしても

なかなか出来ないのであれば

集中出来ない“理由”(わけ)をちゃんとわかっていないとダメだと思うのです。

そして自分だけでなく、相手を観察して

「ああ、今集中出来ていないのは、きっと○○が原因なんだろうな?」

とか

「原因はわからないけど、心配事があるんだろうな」

という心の配慮ができるようになることが

大切だと思うのです。


  

 

相手の人が、今どういう状態なのか?を知る 1

  
今、けっこうロンドンオリンピックにはまっております(笑)。

体操の内村くんよかったですね!

団体のときの失敗からよく立ち直ったと思います。

私が彼が失敗を繰り返していたときに思ったのは

今の彼の精神状態はどうなんだろう?

なにか心配事、心がスッキリと晴れないこと(個人的な悩み)があったのでないのだろうか?

・・・・でした。

人は何の心配ごともなく、一つのことに集中できることは難しいと思うのです。

自分では、はっきりと把握していなくても

モヤモヤして心に雲がかかっている状態は誰にでもあります。

それがいったい何なのか?

そのままにしておくと

いつもイライラしていなくてはなりません。

しかし

モヤモヤをはっきりさせるには勇気が要ります。

原因がわかってスッキリすることもあれば

わかったところで

「どうしようもない」

「わからなかったほうがよかった」

という人も多いのではないでしょうか? (人の心理は複雑です)

カウンセリングというのは

その人の心の中のモヤモヤを表面に浮かび上がらせて

自分で気づくようにしてあげることだと思います。

しかし、そこでは決してアドバイスをするのではなく

鏡に徹するのです。

その人が浮かび上がってきた“問題点” に

どう向き合い

どうしてゆくのかは

その人の自由です。

心の中は

その人の“聖域”なのです。

決して立ち入ったり

踏み込んではいけない


ただどうすることもできないけれど

相手の人が今どんな状態なのか?

どんなことで悩んでいるのか?

を何となくでも

知っておくこと

把握しておくことって

とても大事なことだと思うのです。


的が外れていて

違っているかもしれない

でも、無関心で

相手のことを

なにも観察もしていない

よりは

ずっと、ずっと、素晴らしいことだと思うのです。

観察しているうちに

相手の心を読めるようになる

これを洞察力(どうさつりょく)といいます。

洞察力は観察を続けた後に身についてくるものです。

学校の先生、親、会社の同僚、上司、友だち・・・・

観察力は

すべての人間関係に必要なことではないでしょうか?


今、読んでいる本のなかに相手の状態を知るためにはどうしたらいいか?

が書いてありました。

実際に対面して聴けることにこしたことはないのですが(相談して来ることはまれです)

相手を知ろうとしたら

「ああこの人は今、こんな状態なんだろうな」

ということが言動だけでわかることがあります。

次の日記で 「関心度チェックシート」 をご紹介しますので

よかったらみなさんも参考にしてみてください。



  

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