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2012年7月13日 (金)

気づかいのルーツ 2

  

「気づかい」と言いますが、そのルーツはどこにあるかというと

江戸時代にさかのぼります。

徳川家康が江戸幕府を開いたのは1603年ですが、これ以来、江戸の町には大きな変化が起りました。

町人に人口が爆発的に増えたのです。

ひっそりした村だった江戸が、幕府が開かれて100年後には当時の世界で最大の人口を擁するまでになりました。


現在の東京の1平方キロメートルあたりの人口密度は5700人ですが、当時の江戸は6万人だったとも言われています。


それだけの人が住んでいたからこそ、江戸では様々な文化が花開いたのですが、一方で大きな問題も出てきました。

それが人間関係です。

あまりにも人が増えすぎてしまったため、各々自分のスタイルで生活をしていたらいろいろと不便なことも出てきてしまったのです。

そこで、人付き合いの中で守るべきルールを定めようということになり、そのルールをまとめた本が

「江戸しぐさ」でした。

これらは江戸の商人がまとめたもので、しぐさという字も

「仕草」ではなく、「思草」と書きます。

単なるマナー本や教養の本ではなく、江戸の商人の哲学が詰まった書物だったのです。

たとえば、「通りを歩く時のマナー」。

どこへ行っても人だらけの江戸の町ですから、人とすれ違う時には

「肩引き」といってお互いが少し肩を引いてぶつからないようにしたり

「傘かしげ」といって濡れない程度に傘を傾けあったり、そんなことが書いてあるのです。

さらに、人の足を踏んでしまった時、踏んだ方が謝るのはもちろんのこと、踏まれた方も

「こちらこそうっかりしてまして」と謝る 「うかつあやまり」。

乗合船で、後から乗ってきた人のために先客がいっせいに腰を上げてスペースを詰める 「こぶし腰浮かせ」。

約束なしでの訪問や遅刻を禁じた 「時泥棒」 なども有名です。

 ここに共通することは、いづれも「お互いに配慮する」ということ。

もちろん、「江戸しぐさ」 ができる以前から気づかいの文化というのは日本中にありましたが、江戸時代で初めて気づかいの具体的な内容が明文化されたのです。

ちなみに、人で混み合っている江戸の通りではわけもなく走ることはご法度でした。

ほぼ間違いなく誰かにぶつかるからです。

ただし例外がありました。

飛脚(郵便屋)と、急病人や怪我人が出て医者を呼ばなければいけない人です。

大名行列の時でさえ、産婆(助産師)が前を横切るのを許していたという話もあります。

江戸は人情の町。

そこには心があるのです。

今でも雨の日に人とすれ違う時には傘をそっと傾けてしまう(傘かしげ)人も多いと思います。

誰に教わったわけでもない、でも、何となくそうしてしまう。

気づかいというのは、少なく見積もっても400年以上続いている文化なのです。



 

   日本人にしかできない「気づかい」の習慣 上田比呂志 著



    

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