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2012年7月27日 (金)

法然・親鸞の教え方

 

 
人間という者は、欲望をなくせ、といわれても、なかなかなくせるものでなく、恐怖するな、怒るな、哀しむな、執着するな、といわれても、その性情が容易なことでなおせるものではありません。

法然、親鸞は、そうした性情をなおせなどとは少しもいいません。

私たちもあなた方も、そうした肉体人間の想念感情においては、同じことなのだ、そのような想念はどうでもよい、怒ったら怒ったまま、泣いたら泣いたまま、ただひたすらに南無阿弥陀仏と称名なさい、称名さえすれば、あなたがたは、極楽浄土に救われてゆくのだ、と教えているのです。

これは法然、親鸞が肉体想念(業生)と本心(仏心)とをはっきり区別して知っていたことを現わしています。





      

         「日々の祈り」 五井昌久 白光出版





感想

私は先日、于先生がご紹介くださった京都の浄心寺(じょうしんじ)というお寺さんに行って来ました。

阪急電車で四条河原町駅から、なんと徒歩3分くらいの都心にあります。

直前に電話をしたら

「本堂には入れませんが、どうぞご自由に寺内にお入りください」 と女性の方がおっしゃってくださいました。

寺内に入り、しばらくするとなんだか懐かしい気持ちになって来ました。

「以前、ここに来たような気がする・・・・」

景色というよりもエネルギー(波動)が懐かしいのです。

場所、場所によって波動(エネルギー)が違うことは、みなさん感じられていると思います。

「ここに来るとなんだか嫌な気持ちになる」

「ここは、ずっといたい場所だ」


それは、その場所に住んでいた人のエネルギーがそこに住みついている(磁場という)ことを意味するのです。

人の想念が、その場所の波動をつくるのです。

観光地って言いますよね。

親鸞や法然さんのような悟った人がおられた場所というのは、宇宙から素晴らしい霊気がたくさん降りてきているのでその場所が光っているのです。(滝のように浄化されるのです)

そしてその場所に行くと心(魂)が洗われるような清々しい、爽やかな気持ちになるのです。(パワースポットなどと言われています)

しかし、そのような波動の良い観光地もかなり汚れてきて

寂れてしまっているところがたくさんあるのです。げっそり

浄心寺は、名前の通り心が浄われるような場所でした。

「なんて気持ちのいい場所なんだろう」

私は時間を忘れて、ずっと寺内に置いてある椅子に座っていました。

後で于先生にお聞きすると

「そこは法然さんや親鸞さんが何度も来られた場所だったんです」

とおっしゃっておられました。

「ああ、そうだったのか」

私の心の中で腑に落ちたのです。

親鸞さん、法然さんは

真に悟ったお坊さんでした。

そしてお釈迦さまやキリスト様のように

たくさんの人々を救った(苦しみから)

偉い、偉~い、立派なお坊さんだったのです。

浄心寺に行ったのは、22日(月)だったのですが

「行ってよかった」

「また行きたい」

と今も私の心の中で響いています。


みなさんも京都に行かれた際は

是非、行ってみてください。

きっと心が洗われたような 

生まれかわったような

不思議な心境になれると思いますよ。わーい(嬉しい顔) ぴかぴか(新しい)



  

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