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2012年7月24日 (火)

囚人たちの神性を拝んだ老僧 2

  

  
ある老僧が刑務所に講話にいった時、前に並んだ囚人たちを見て

「ああ仏さまたちがおかわいそうに、こんなお姿でここにいなさる。ああお気の毒な仏さま方」

といってハラハラと落涙されつづけたそうです。

すると囚人たちは、その老僧の真実こもった涙に、声をそろえて泣き出し、スッカリ心を浄められたということです。

この話などは、一言の説教も、一言の訓戒もせず、ただ囚人のなかのみ仏の姿をみつづけた老僧の心が、囚人のなかから仏性を呼びさませしめたのであります。

人間はすべて神の子、仏の子であります。

悪とは、神仏を離れたマイナスであって、その人の本心のなかにあるのではありません。

悪や不幸はすべて消えてゆくより仕方のないものなのです。





  
      「日々の祈り」 五井昌久 白光出版



 

感想

この文章などは、みなさんが聴いたこともなければ、思ったこともないことが書かれていると思うのです。

悪いことをした囚人がなぜ、仏さまなのか?

それは、人の奥深いところでは、みな同じで、そこには美しく光輝いている波動しかないのです。

その光輝いている波動が、神さまであり、仏さまである。

悟った人とは

どんな人をみてもその奥がみえるのです。

私たち凡人(凡人ではありませんが)は、この老僧のような奥深くをみる力があるにもかかわらず、使っていないだけなのです。

自分自身に神性が顕われてくると、この老僧のように

見る人すべてに神性が宿っていることがわかるようになるのです。



  

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