« いちいち善悪を比較するな | トップページ | 権利意識が低い日本人 1 »

2012年7月27日 (金)

イエスキリストの愛

  

  
イエスキリストが、十字架にはりつけになった時、自分をはりつけまでに追いやった人のために “神よ、この者たちを赦し給え。彼らは真理を知らざるがためにこの罪を犯したのですから” という意味の言葉をいっています。

なんと深い、偉大な愛の言葉でありましょう。これこそ真の愛であり、人間すべてを感動させる聖者の心であったのです。

私はこの言葉を想い出すと、涙が出てならないのです。 ああなんという高い心境であろう。

なんという澄みきった言葉であろう、とおのずから心が愛に充ちてくるのです。

愛とは単に言葉に現わしていうだけのものではない。自己の生命全体が、相手の生命ととけ合って、はじめて生まれてくる感情であり、その純粋感情によって行われる行為こそ、愛の行為といえるのです。




   

      

         「日々の祈り」 五井昌久 白光出版




 


感想

先ほどは、法然、親鸞の話、そして今書いた五井先生のお話、今度はキリスト、いったいグッドムーンはなにを信仰しているのか?

と不思議に思われるかもしれませんが、私は特に信心してるものはないのです。

というより、心を自由にさせて、その時その時に心に響いたものを取り入れて

自分の心(魂)を向上させるようにしている

と言った方が正解なのかもしれません。

心が洗われるもの

心境が向上するもの

それは理屈ではなく

そこにどれくらいの愛があるか?

なのです。

愛がすべてさ〜♪

という歌がありましたが(笑)

私たち人間は愛を学ぶために存在していると思うのです。(ちょっと堅いかな(笑))

だって愛がないと(関連していないと)感動もしないし

行動(アクション)を起こそうとも思いません。(私の場合)

今、夏真っ盛りで

ほんと暑いです。

クーラー(冷房)にあたって

身体を冷やすことは出来ます。

そしてすっきりします。

でも、ほんとうにすっきりしようとするならば

心を浄化させないと

つまり愛で感動という

エキスを取り入れていかないと

枯渇してしまうのです。

身体を枯渇させるよりも

心を枯渇させてはいけない

そう思う

今日、この頃です。



   


 

« いちいち善悪を比較するな | トップページ | 権利意識が低い日本人 1 »

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/160971/46482116

この記事へのトラックバック一覧です: イエスキリストの愛:

« いちいち善悪を比較するな | トップページ | 権利意識が低い日本人 1 »

最近のトラックバック

2017年7月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31          
無料ブログはココログ