« 2012年6月 | トップページ | 2012年8月 »

2012年7月30日 (月)

自らの心に苦を刻まない生き方 2

  

  
幼い子供たちは自分たちは自分の心に実に素直であり、忠実です。

自分の心が喜びに満ち溢れるように自らを導いています。(中略)

幼い子供にとっては、自分の心が喜んでいないと生きているとは言えないのです。

人にどう思われようが、どう見られようがそんなことには一切関係なく、自分の思った通りにしてゆきます。

人におもねくことも、気遣うことも、用心することもありません。

ただひたすら自分の心に忠実に、興味のあること、楽しいことのみを捜し出し、追い求めてゆきます。

これこそ、真理です。

真理そのものは実にシンプルです。

それは自分自身を痛めず傷つけず苦しめず悲しませず、喜びを持って生きることに尽きます。

自分自身を常に高揚させてゆく。

自分自身をを常に明るく幸せに導いてゆく。

自分自身を常に新鮮で純粋で汚れなく生きられるよう求めてゆく。

自分自身を常に高貴で、気高く優雅に満たされるよう高め上げてゆく。

そこには偽りがありません。

素直な純粋な心があるだけです。

人を陥れたり、人を傷つけたり、人を痛めたり、人をしいたげたりする心は本来一切ないのです。

ただひたすら歓喜を持って生きられるように、自らが自らの心をコントロールしてゆくのです。

自分の心が痛み傷ついたら、自分の心が悲しみに覆われたら、自分の心が忌まわしく呪わしく思えたなら、そのまま放っておいてはいけません。

一刻も早く自らの心が喜びに溢れ、生き生きとするように、明るく平安になるように、自らが何からの手を打たねばなりません。

いつまでも自分の心を暗く不安なままにしておいてはいけません。

いつまでも自分の心を恐怖と猜疑心(さいぎしん)に占領させておいてはいけません。

自分の心を暗く恐怖させるのは、自分自身です。

そして自分の心を常に明るく喜びをもって生きられるよう導くのも自分自身です。

人間は、自分の力で自分の暗い憂鬱な心を浄め、明るい方向に導いてゆくことが出来るのです。




            

                 西園寺昌美 



   

自らの心に苦を刻まない生き方 1

 
  
今、日本中がオリンピック一色になっています。

観ていて感動することももちろん多いのですが、選手が頑張りすぎていて(プレッシャーがかかり過ぎている)かわいそう?でみていられなくなることもあります。

もっとリラックスできたら、結果を求めなければ、楽しんで出来たのなら・・・どんなにいいだろうと思うのですが

どうしても自然体でするのは難しそうです。

その中でも力まずに爽やかな演技や力を発揮出来ている人というのは

周りからもそう期待もされず

自分でも気負っていない人のようです。

年齢が若ければ若いほど

または精神年齢(良い意味で)が若い人

は、あまり余計なプレッシャーはかかっていないようです。

それは幼い子どもというのは自由自在に生きているからです。

他人がどう思うだろうとか

自分の考えがどうなんだとかもありません。

ただ、自由に

本能が喜ぶことだけをしている

優先順位も何もない

その瞬間したいことをしている

人は、心がとらわれることがなければ

苦もなく自然体で生きれると思うのです。

「大人になるとそうはいかないよ」

「楽しいのは子供の時だけさ」

と言われるかもしれません

しかし、幼子のような心境になれるように

大人である私たちはしていくことが大切だと思うのです。

私たちはいつの頃の年齢が一番幸せだったか?

なんの苦もなく自由自在に生きていたか?

それは個人差もありますが

だいたい10歳くらいなのだそうです。

その頃の自分に戻ってみたい

あの頃の自分に逢いに行ってみたい


そう思いませんか?(笑)

今からでも苦を刻まない生き方は出来るのです。

次の日記でご紹介します。



  

2012年7月27日 (金)

権利意識が低い日本人 3

  
   
一方、日本人を見ていると、権利意識があまりないように感じます。

むしろ、日本人の口からよく聞くのは、

「わたしなんかまだまだです」

「こんな至らない自分を働かせてもらえるだけで十分」

「勉強させてもらいながら給料をもらえるなんてありがたい」

といった、非常に謙虚な言葉です。

なかには、アメリカ人並みの権利意識をもっている日本人もいると思いますが、10人中8人が権利意識の強いアメリカ人に比べて、日本人は10人中2人程度ではないか、そんな感覚で見ています。

「こんな機会を与えてくださり、ありがとうございます」

「こんな名誉な場面に同席させてもらって感謝しています」

「今の自分があるのは支えてくれているみなさんのおかげです」

・・・・自己アピールが強く、権利もきっちり要求する国で育ったわたしには、こうした日本人の控えめな言葉をたくさん耳にし、最初は驚きでした。

しかし、本当は日本人は、決して控えめなわけではないことがだんだんとわかってきました。

日本人のこうした発言の奥には、「まだまだ感」 があることに気づいたのです。

何をやっても、いくつになっても、日本人たちは 「自分はまだまだです」 という意識をもっています。

そしてこの意識があれば、日本人が日本を出たときに非常に強いと思います。

「自分はまだまだ」という気持ちがあれば、誰に対しても上から目線にならないで、誰からも受け入れられ、仲間に入りやすくなるからです。

どこへ行ってもコアメンバーになれる。

頼られる人になりやすい。

そこから生まれるチャンスは山ほどあるでしょう。


先日、賃貸契約に必要な書類をスタッフの日本人女性にお願いしたところ、細かいところまで行き届いた完璧なものが仕上がってきました。

私は感動して、「すばらしいですね。こんなにパーフェクトに整えてくれてありがとうございます!」 と伝えたら、その彼女は

「いえいえ、まだまだです。もっと完璧を目指したいのですが、時間が十分でなくて・・・・・。次回はもっと頑張ります」 と答えました。

わたしからすると、十分に完璧に見えるのに、もっと上を目指したいという向上心に感心しました。

彼女のように、日本人の多くは常にレベルアップしようと自己研鑽(じこけんさん)を続けています。

そういう人は当然、「もうマスターしているから、このままでいい」 とあぐらをかいている人をそのうち追い越してしまうでしょう。

世界の距離がこれほどまでに近づき、中国やインドなど新しい国の成長がめざましい現在だからこそ、皆が過剰な権利意識を捨てて、日本人の「まだまだ感」に学び、謙虚になるべきだと思います。



 

 日本人が世界に誇れる33のこと ルース・ジャーマン・白石著



  

権利意識が低い日本人 2

  

 
アメリカでは、「sense of entitlement」 という言葉をよく使います。

「title」というのは、不動産などを持つときの所有権のことで、「sense」とはその感覚のことです。

「所有権のある気持ち」というような意味で、日本語に置き換えると、「権利意識」とか「特権意識」という言葉になります。

例えば、アメリカの政治家は選挙活動のときに、

「You deserve a better life 」ということを有権者に向って繰り返し示します。

「あなたはもっとよりよい生活を送ってよいはずだ」 「あなたはもっと豊かになる権利がある」 と訴えかけます。

私などはつい、「その権利をベースとなっているのは何なのか?」と問いたくなってしまいます。

どんな働きをしてきて、どれくらいの結果を出しているのか。

そうした努力や結果なしに、権利を主張するのは間違いです。



アメリカ人は、特に大きな成果がなくても 「給料をもらって当り前」 「手厚い待遇を受けて当然」 といった権利意識が強いように思います。

アメリカは労働組合が強い国なので、その影響ではないかといわれています。

労働組合はもともと、労働に対する対価がきちんと支払われない、待遇が悪すぎるといった問題を解決するために、労働者が集まって自分たちの正当な権利を獲得しようということで生まれたものです。

 ところが、最近のアメリカはその権利意識が行きすぎている印象があります。

サンフランシスコに住んでいる友人から、由々しきことを聞きました。

電車の乗り換えがわからず、インフォメーションで駅員さんに尋ねようとしたら、足を机に乗せたまま、携帯電話で話しながら 「ちょっと待って」 と言われたというのです。

そんな怠惰な勤務態度は、日本では許されません。

しかし彼のような人は、外国では珍しくありません。

しかも、権利国家のアメリカでは、どんなにいい加減でも、「自分は給料をしっかりもらう権利がある」 と堂々と主張します。

それがヒートアップすると、不公平や経済格差に不満をもった市民が公平を求め、「ウォール街を占拠せよ」 のようなアクションが起こったりするのです。



しかし、それはアメリカ人の本来の姿ではありません。

アメリカ人は、もともとは自分たちの力でフロンティアを開拓し、栄光をつかみとろうとするスピリットをもっていたはずです。

 それが、「わたしはこんなに頑張っているのに、なぜあの人は自分よりも厚い待遇を受けているのか?」などと、受け身な要求ばかりするようになっています。

 アメリカにとって、非常に危険なシグナルだと思います。

そうしたことを示す言葉が、「sense of entitlement」(権利意識)なのです。

何不自由ない生活ができる権利、仕事がもらえて当り前、という権利意識・・・。

しかし、そうした権利を要求するに足る自分かどうかは考えていません。




日本人が世界に誇れる33のこと ルース・ジャーマン・白石著




  

権利意識が低い日本人 1

 
 
 
私は、仕事の出来る、出来ないというのは

いいアイデアを持っているとか

プレゼン能力、コミュニケーション能力が優れているということではなく

どれだけ丁寧に、親切に、相手の立場に立って物事を考えられるか?

つまりきめ細かい意識で周囲や相手を包み込めるかだと思うのです。

それがいい作品を産み(クリエートな仕事では)

人を幸せにし、自分を幸せにする

日本人の持っている良さが

日本を救い

世界を変えてゆく・・・・・。


なのに

日本の今までのやり方では

もう世界では通用しない

グローバルスタンダード(世界標準に合わせた考え方)なやり方でないと日本は生き残っていけない

と言われています。

しかし、ほんとうにそうでしょうか?

私は日本人は日本の素晴らしい思想、伝統文化、考え方を貫き通していけばいいと思うのです。

素晴らしいものを変えてまで、世界の低い意識(失礼!)に合わせる必要はないのです。

ちょっと言い方が過激だったかもしれません。(ごめんなさい)

しかし、日本人は今、外に意識を向けるのではなく

日本という内に意識を向けるべきだと思うのです。

そういう意味では

海外の留学などは余程なんらかの強い目的意識がなければ

必要ないと思うのです。(日本のスピリットで世界を変えてやるというくらいの意思があれば別ですが・・・)

海外は波動が粗いです。

波動とはエネルギーのこと

人の想念で出来ているのです。

日本ほど素晴らしい波動の場所はないのです。

人とは不思議なもので

粗い波動の場所へ行くと

知らず知らずの間に

その波動(エネルギー)に染まってしまうのです。

海外に行って、帰って来たら

人格、人柄がすっかり変わってしまった

ということがあるのです。

これは実際に日本に住んでいる日本人よりも

海外から来た外国人の人の方がよくご存知なようです。

外国人の人が

「日本人は素晴らしい!」

「そのままで充分です!」

「もっと自信を持って生きてください!」

とエールを送ってくれているのだから

素直にそれを信じたらいいと思うのです(笑)。

もちろんそこで安心して

止まってしまってはいけませんが

そこ(現時点)でスタートすればいいと思うのです。

無理をして変えることなどない

今、ある中から改善していけばいい

これは、凄いアドバンテージ(利点)です。

そのことをわからせてもらえる文章を次の日記でご紹介します。

よかったらお付き合いください。



  

イエスキリストの愛

  

  
イエスキリストが、十字架にはりつけになった時、自分をはりつけまでに追いやった人のために “神よ、この者たちを赦し給え。彼らは真理を知らざるがためにこの罪を犯したのですから” という意味の言葉をいっています。

なんと深い、偉大な愛の言葉でありましょう。これこそ真の愛であり、人間すべてを感動させる聖者の心であったのです。

私はこの言葉を想い出すと、涙が出てならないのです。 ああなんという高い心境であろう。

なんという澄みきった言葉であろう、とおのずから心が愛に充ちてくるのです。

愛とは単に言葉に現わしていうだけのものではない。自己の生命全体が、相手の生命ととけ合って、はじめて生まれてくる感情であり、その純粋感情によって行われる行為こそ、愛の行為といえるのです。




   

      

         「日々の祈り」 五井昌久 白光出版




 


感想

先ほどは、法然、親鸞の話、そして今書いた五井先生のお話、今度はキリスト、いったいグッドムーンはなにを信仰しているのか?

と不思議に思われるかもしれませんが、私は特に信心してるものはないのです。

というより、心を自由にさせて、その時その時に心に響いたものを取り入れて

自分の心(魂)を向上させるようにしている

と言った方が正解なのかもしれません。

心が洗われるもの

心境が向上するもの

それは理屈ではなく

そこにどれくらいの愛があるか?

なのです。

愛がすべてさ〜♪

という歌がありましたが(笑)

私たち人間は愛を学ぶために存在していると思うのです。(ちょっと堅いかな(笑))

だって愛がないと(関連していないと)感動もしないし

行動(アクション)を起こそうとも思いません。(私の場合)

今、夏真っ盛りで

ほんと暑いです。

クーラー(冷房)にあたって

身体を冷やすことは出来ます。

そしてすっきりします。

でも、ほんとうにすっきりしようとするならば

心を浄化させないと

つまり愛で感動という

エキスを取り入れていかないと

枯渇してしまうのです。

身体を枯渇させるよりも

心を枯渇させてはいけない

そう思う

今日、この頃です。



   


 

いちいち善悪を比較するな

  
  
 
相手が悪い、自分は善い、と相手と自分をいちいち比較しているような想いでは、とうてい真実に相手を愛することはできないもので、相手も自分も、悪いも善いもすべて守護霊守護神の神愛のなかに投入することの練習が一番よい方法なのです。

自分のほうが善いと思ったところで、過去世からどれほど間違ったことをしていたかは、現在の自分にはわからないのであって、自分のほうが善い、と思うその想いは、ごく最近の出来事によるだけのものであるので、過去世からのその人の行為の何兆分の一かもわからないのです。

善い悪い等はいちいち自分で判断して、人を責めたり、自分を裁いたりするものではないので、自分は瞬間瞬間を神のみ心に波長を合わせつつ行為をしていればよいのであります。




     

        「日々の祈り」 五井昌久 白光出版







感想


このような説法は、昔は近くのお寺の和尚さんなどが民衆に説いていたと思うのです。

だから、前世であるとか因縁生とかをあまり信じていなかった人でも

なんとなく

「ああもしかしたら自分が前世で相手にひどいことをしていたのかもしれないなぁ」

「今、理不尽なことをされているのも、それがかえって来ているのかもしれない」

「人を責めたり自分を責めるのもやめよう」

とそれが、わかったようなわからないような心境であったとしても

いつしか

心穏やかになっていた

ということがあったように思うのです。

今は、そんなありがたい説法を聴くことが少なくなっています。

だから私は

自分からそういう機会(ちゃんす)をつくっていくことが大切だと思います。

本を読んでもいい

ネットでしらべてもいい

近くの公民館に来ているお坊さんのおはなしを聴きに行くのもいい

今はいくらでも

選択肢はあります。

「心が洗われるような話を聴きたい」

「自分の心をすっきりさせたい」

その気持ちが大切だと思うのです。



  


法然・親鸞の教え方

 

 
人間という者は、欲望をなくせ、といわれても、なかなかなくせるものでなく、恐怖するな、怒るな、哀しむな、執着するな、といわれても、その性情が容易なことでなおせるものではありません。

法然、親鸞は、そうした性情をなおせなどとは少しもいいません。

私たちもあなた方も、そうした肉体人間の想念感情においては、同じことなのだ、そのような想念はどうでもよい、怒ったら怒ったまま、泣いたら泣いたまま、ただひたすらに南無阿弥陀仏と称名なさい、称名さえすれば、あなたがたは、極楽浄土に救われてゆくのだ、と教えているのです。

これは法然、親鸞が肉体想念(業生)と本心(仏心)とをはっきり区別して知っていたことを現わしています。





      

         「日々の祈り」 五井昌久 白光出版





感想

私は先日、于先生がご紹介くださった京都の浄心寺(じょうしんじ)というお寺さんに行って来ました。

阪急電車で四条河原町駅から、なんと徒歩3分くらいの都心にあります。

直前に電話をしたら

「本堂には入れませんが、どうぞご自由に寺内にお入りください」 と女性の方がおっしゃってくださいました。

寺内に入り、しばらくするとなんだか懐かしい気持ちになって来ました。

「以前、ここに来たような気がする・・・・」

景色というよりもエネルギー(波動)が懐かしいのです。

場所、場所によって波動(エネルギー)が違うことは、みなさん感じられていると思います。

「ここに来るとなんだか嫌な気持ちになる」

「ここは、ずっといたい場所だ」


それは、その場所に住んでいた人のエネルギーがそこに住みついている(磁場という)ことを意味するのです。

人の想念が、その場所の波動をつくるのです。

観光地って言いますよね。

親鸞や法然さんのような悟った人がおられた場所というのは、宇宙から素晴らしい霊気がたくさん降りてきているのでその場所が光っているのです。(滝のように浄化されるのです)

そしてその場所に行くと心(魂)が洗われるような清々しい、爽やかな気持ちになるのです。(パワースポットなどと言われています)

しかし、そのような波動の良い観光地もかなり汚れてきて

寂れてしまっているところがたくさんあるのです。げっそり

浄心寺は、名前の通り心が浄われるような場所でした。

「なんて気持ちのいい場所なんだろう」

私は時間を忘れて、ずっと寺内に置いてある椅子に座っていました。

後で于先生にお聞きすると

「そこは法然さんや親鸞さんが何度も来られた場所だったんです」

とおっしゃっておられました。

「ああ、そうだったのか」

私の心の中で腑に落ちたのです。

親鸞さん、法然さんは

真に悟ったお坊さんでした。

そしてお釈迦さまやキリスト様のように

たくさんの人々を救った(苦しみから)

偉い、偉~い、立派なお坊さんだったのです。

浄心寺に行ったのは、22日(月)だったのですが

「行ってよかった」

「また行きたい」

と今も私の心の中で響いています。


みなさんも京都に行かれた際は

是非、行ってみてください。

きっと心が洗われたような 

生まれかわったような

不思議な心境になれると思いますよ。わーい(嬉しい顔) ぴかぴか(新しい)



  

2012年7月26日 (木)

日本人の誇るべき「清潔意識」 2

 
 
 
長男が二歳のときのことです。里帰り先のハワイでブランチを食べていました。

あのボリュームたっぷりな「アメリカ式ブランチ」です。

実家があるオアフ島・パールリッジの円形レストラン、「アンナミラーズ」のパンケーキブランチは最高です。

シロップとバターでどろどろのパンケーキに、ベーコン・カリカリハッシュブラウンと美味しいコーヒー・・・・。



さて、気持ちよく食事を終え、子供の散らかしたテーブルを整え、お皿を重ねていると、それまでざわざわしていたレストランが、突然静まり返りました。

ふと周囲を見回して、ほかのお客さんたちやウェイトレスの視線を浴びていることに気がつきました。

ウェイトレスがやってきて、こう言います。

「10年間ウェイトレスをやっているが、自分たちで後片づけをしているお客様は初めて! GREAT!

「日本では普通ですよ。大丈夫、こちらでやります!」

このやり取りが日本の 「常識」と、世界の 「常識」 の差なのです。


帰国するたびに、「日本人ってすごく清潔らしいですね」と言われます。

外国から来る人にとっても、日本の清潔さが大きな印象ポイントになっているのです。

海外のどの国に行っても、日本ほどの 「清潔感」 を保っている街はとても少ない気がします。

海外のホテルのフィットネスなどに行くと、ときどきスリッパがなければ床を踏みたくないときがあります。

見た目がよくても、不潔に感じる場所がたくさんあります。

それは日本以外の国では、他の利用者のために気配りをする、ということがほとんどないからです。


清潔な施設を維持するには、施設の責任者や担当者だけでなく、利用者一人ひとりの協力がないとできないことです。

喫煙者が吸殻をきちんとマナーバックに入れる。

自分の家の前の道路だけでなく、隣の家の前まで、掃除する。

人に迷惑がかからないように、レストランで食べ終わった食器の後片づけをやっておく。

究極の 「気遣い」 は傘だと思います。

雨で濡れた傘をハンカチで拭いてから畳むなどという行為を、日本以外のところで見たことがありません。

電車が込み合っているとき、濡れた傘がまわりの人に触れて迷惑をかけたくない、という気持ちなのでしょう。


清潔感へのこだわりは、日本人ほぼ全員が共有している「気遣いやおもてなし」精神です。

ワイシャツの白さ、靴の磨き方、手先の手入れなど、自分自身の体から始まって、やがて街や国家にまで定着した「清潔感」。

日本の誇るべきものは、伝統や歴史だけでなく、あらゆる場所で習慣化した「清潔な気遣い」と「衛生的なおもてなし」なのです。





  日本人が誇れる33のこと ルース・ジャーマン・白石 あさ出版




  

日本人の誇るべき「清潔意識」 1

  
  
 
私は今、「日本人が誇れる33のこと」ルース・ジャーマン・白石著を読んでいるのですが、日本人からすると当り前だと思っていることが、他国においては、信じられない!(もちろん良い意味で)、グレート!なことのようです。

しかし、そのように日本人の沁みついた素晴らしい習慣も、ちょっと油断をすると楽な方へ、怠惰な方へと流れていきます。

私は、せっかく根付いた日本独特の文化をいつの間にか消えさすことがあっては絶対にいけないと思うのです。

今、中学生のいじめが問題になっています。

いじめといっても悪質なものが多く、犯罪に近いものです。

いじめを放置しておくことは、被害者だけでなく、加害者にも後々、深い傷を残すことになるのです。(後悔という)

だから徹底的に、ダメなものはダメと教え込まなければならない。

今やらなければ、いつやるんだ!

今、すぐにやるべきことはたくさんあると思うのです。

この本を読んでいると

日本人の素晴らしさが書いてあって誇らしげに思う部分と

もっと精度を上げてより完成されたものにしていかなければならないと

気を引き締める部分と両方の大切さを感じたのです。

日本人の良さの一つに

「清潔感」があります。

私はこの「清潔感」「整理整頓」の美学を

是非、学校教育の中でやっていただきたいと思っています。

「鉄は熱いうちに打て」

と言います。

日本の美しい美学を心に植え付けるには

早いうちがいいと思うのです。

そう感じさせてくれた文章を本の中から抜粋します。



  


2012年7月24日 (火)

断念

  
  
 
物理学者たちは、ある研究がそれ以上どうしても進展しない時には、スッパリとその道を諦めて、改めて他の道を見出す努力をするのである。

そのことを学者たちは断念(だんねん)と呼んでいる。

ただ、この断念はふつういわれる、もうダメだ、もうどうしようもない、というように、心なえてヘナヘナになってしまうような状態ではない。

心新たに別の道に眼をむけてゆく時に使われる言葉なのである。

科学者がある研究を断念して、また新たに別の道に眼をむけうるのは、それまでの道を自分たちの研究のでき得る極限まで、研究しつくした、という信念があっての断念であって、力をつくしてのいさぎよさ、というものがそこにはあるのである。


そして断念した後でかえって素晴らしい道が開けてくる、とある科学者はいっているのである。




    
       日々の祈り 五井昌久 白光出版




 
感想

素晴らしいですね! このような科学者が日本にはたくさんおられるのではないかと確信しております。

ところで、科学者ではないのですが、この文章を読んでいて、今やヤンキースの一員となったイチロー選手を思い浮かべました。

彼も、マリナーズで一生懸命にやり抜いたからこそ、次の道が開かれたのだと思うのです。

イチローの背番号51は、五井先生を顕しているのだそうです。

彼の過去世は、もの凄い修行を積んだ高僧なのだそうです。

31に変わるのは残念ですが、31番にもきっと特別な意味があるのでしょうね。



  

囚人たちの神性を拝んだ老僧 2

  

  
ある老僧が刑務所に講話にいった時、前に並んだ囚人たちを見て

「ああ仏さまたちがおかわいそうに、こんなお姿でここにいなさる。ああお気の毒な仏さま方」

といってハラハラと落涙されつづけたそうです。

すると囚人たちは、その老僧の真実こもった涙に、声をそろえて泣き出し、スッカリ心を浄められたということです。

この話などは、一言の説教も、一言の訓戒もせず、ただ囚人のなかのみ仏の姿をみつづけた老僧の心が、囚人のなかから仏性を呼びさませしめたのであります。

人間はすべて神の子、仏の子であります。

悪とは、神仏を離れたマイナスであって、その人の本心のなかにあるのではありません。

悪や不幸はすべて消えてゆくより仕方のないものなのです。





  
      「日々の祈り」 五井昌久 白光出版



 

感想

この文章などは、みなさんが聴いたこともなければ、思ったこともないことが書かれていると思うのです。

悪いことをした囚人がなぜ、仏さまなのか?

それは、人の奥深いところでは、みな同じで、そこには美しく光輝いている波動しかないのです。

その光輝いている波動が、神さまであり、仏さまである。

悟った人とは

どんな人をみてもその奥がみえるのです。

私たち凡人(凡人ではありませんが)は、この老僧のような奥深くをみる力があるにもかかわらず、使っていないだけなのです。

自分自身に神性が顕われてくると、この老僧のように

見る人すべてに神性が宿っていることがわかるようになるのです。



  

囚人たちを拝んだ老僧 1

 


私が日記を書く理由(わけ)とは、日記を通して、4次元(神界)の光(響き)を3次元(肉体界)に伝えることであります。

地球が善くなっていくためには、どうしても神界からの光が必要なのです。

今の地球の状態とは、地球、いや地球に住んでいる人類の想念が汚れているから、なかなか神性が現われてきません。無限なる光ぴかぴか(新しい)

神性が顕われて来ないと次元上昇(物質文明から霊文明に移行すること)もおぼつかないのです。

真の幸せをつかむことが遅れてしまうのです。

そこで、今の私に出来ることはなんだろう?

と思案したところ、4次元の高い文章(五井先生の書かれた)を、日記に降ろして来ようということでした。

ただ、五井先生の本などは

読んでもよくわからない

わからないから面白くない

・・・・・・・・

そうなのかもしれません。

しかし、読んでいてなんとなく心洗われる気持ちになれるのが

波動の細かい、高い次元の教えなのです。

般若心経などは、写経をしているだけで意識が変わって来るのと同じです。

そういう意味では、五井先生の文章を写すのは

写経に等しいのかもしれません。


しかし、難しい(決して難しくはないのですが)文章ばかりでは読むのも嫌になりますよね(笑)。


これまで通り、3次元(肉体界)の文章も書いていきますので

どうかよろしくお願い致します。




  

「赤信号は渡らない」 2

  
  
  
私は赤信号は渡らないと決めています。

ほとんどの人は、赤信号でも車が来なければ渡ってしまうでしょう。

車がほとんど走っていない田舎町の赤信号、深夜で静まりかえった道の赤信号、どう考えてもここに信号がついていることがおかしいと思う場所についている赤信号。

こうした赤信号をほとんどの人は渡ってしまうでしょう。

あるいは最初に待っていた人でも渡る人がいると、その人につられて、みんな渡っていってしまう。

一人渡ったら 「いいや」 という感覚です。

でも、私は赤信号は絶対に渡らない。


「49対51の法則」を知っていますか?


これは心の中のことは大体51対49くらいのところで勝負がついていることが多いという説です。

組織の不祥事、個人の不正や事件などが頻発していますが、その関係者で、始めから悪いことをしようと思ってしている人はまれではないでしょうか。

不祥事を起こす人でも、最初から悪い心が100で、良い心がゼロというわけではなく、おそらく悪い心が51で、良い心が49のギリギリのところで迷っての結果なのではないでしょうか。


人間は善の道を求める心が欠けると、すぐに悪い心がはびこってしまいます。

そういう弱い生き物だからこそ、常に悪い心がはびこらないように良い心を鍛え上げておく必要があるのです。


そこで、私は 「善」 の心を養う自分への訓練として赤信号は渡らないと決めています。


じつは、他にも二つ理由があります。

二つ目の理由は子どもの見本になることです。

世の中の子どもたちは、これからの世の中を背負う社会の大切な宝です。

大人が信号無視をしているのを見て、それをマネして車が来ないことをいいことに、信号無視をして交通事故にあったらゾッとしてしまいます。

二つ目に理由は、単純に、信号くらいきちっと守る余裕のある人生を送りたいということです。


「怒る」 「怒らない」 という判断にしても、 「落ち込む」 「落ち込まない」 という判断にしても、最初から 「怒る」 や 「落ち込む」 が100%ではないのです。

実際には、50前後のところでせめぎ合いながら、「怒る」 は51で、「怒らない」 が49だったために怒ってしまうのです。

人の心はそれくらい微妙なものです。


そうした僅差(きんさ)をコントロールするためにも、赤信号を渡らないことはいい訓練になります。





    「怒らない技術」 嶋津良智著 フォレスト出版



  

「赤信号は渡らない」 1

  

  
いけない、いけないと思いながらも、ついやってしまうのが、赤信号を渡ることです(私の場合)。

そんなに急いでいるのかというとそうでもない

でも少しでも早く渡らないと損をしてしまうような気がしている。

感情(損得勘定)で動いてしまっているんですね。(反省)

そして気持ちに余裕がないのだと思います。

ついやってしまっていることがどれだけ、他人に悪い影響を与えているのか?

こう考えてみるとぞっとします。 げっそり


周りの人もつられてマネをする→事故に遭う確率が高くなる

ここで考えなければいけないのが

子どもたちのことです。

子どもは親や先生に、「交差点では決して赤信号では渡ってはいけない」 と教えられています。

でも、子どもたちの心の中では、

「気をつけて渡ればいいじゃないか」 という考えも当然持っている

すると大人たちは、平気で信号無視をしている。

大人がやっているんだから自分もやっていいと思ってしまう。

こう考えると

子どもの交通事故はほとんどが大人の責任です。

私もどこかで加担していたのかもしれません。


日頃のちょっとした自分の行動は

気をつけなければいけないことがたくさんあると思うのです。

普段、偉そうにしている人が

人としての常識が欠けていたら

その人の功績は、過去にいかに素晴らしいことをしていたとしても

泡(バブル)と同じなのです。

無いに等しいのです。

「赤信号でちゃんと止まる」

この当たり前のことが

人間としての基本なのです。

先日の調和波動気功セミナーで

ハーモニー(気功仲間)の人が

「怒らない技術」嶋津良智著の本の中に書いてあったこのことに触れていました。

強く印象に残ったのだそうです。

私も帰ってから読み直してみました。

とてもよいことが書かれていたので抜粋します。

みなさんも是非お付き合いください。



  

2012年7月20日 (金)

好かれようとすれば誰からも好かれなくなる 2

   

人に慕われるのは自然な所作


私が三越の多摩センターという店舗に勤めていた時のことですが、当時はお店ができたばかりでしたので、開店時間前に来店するお客様もよくいらっしゃいました。

しかし、冬になると多摩の一帯はとても寒くなります。 せっかく来ていただいたお客様を外でお待たせするのは申し訳ないと思い、外気を遮断する扉と店内に入る扉の間のスペースに椅子を用意し、ストーブを焚くことにしてみたのです。

お客様にはそのスペースで従業員とおしゃべりをしてもらいながら、開店時間までお待ちいただきました。


些細なことでしたが、中にはこれを喜んでくださるお客様もいらっしゃって 「ああ、やってよかったなぁ」と思った経験があります。

気づかいというのは臨機応変なものです。

「寒いだろうなぁ」 「暑いだろうなぁ」 と自分の体験と結びつけたり、想像してあげたりすることでアクションの幅は広がります。

もちろん、それで人が喜ぶとは限りません。

でも私はそれでもいいと思うのです。

たとえば、石川遼君はインタビューの際の受け答えを見ているだけでも、あの年齢にしてものすごい礼儀正しさを感じます。

それはインタビューの時だけでなく、たとえば洗面所を使ったあとは周りをきれいに拭くなど、日頃の行いもしっかりしているのだそうです。

でもそれは、誰かに気に入られようとしてやっているわけではないと思います。

もはや自然の所作として身についたことで

「これをやったから何か見返りがほしい」 と、そんなことはおそらく考えていません。

しかし、きづかいの所作を続けていけば、必ず誰かが助けてくれます。

たとえば仲間を集めた飲み会の幹事でもやってみて、感じのいいお店を選んでみたらどうでしょうか?

友人がそれで楽しんでくれたら、嬉しくならないでしょうか?

自分の気づかいで喜ぶ人がいる、それを知るだけで気づかいのレベルは上がります。

好かれようとしなくても、慕ってくれる人が増えていきます。




  友だちに好かれようなどと思わず、友達から孤立しても

  いいと腹をきめて、自分をつらぬいていけば、

  ほんとうの意味でみんなに喜ばれる人間になれる



               岡本太郎 『自分の中に毒を持て』




 
いい顔をしようと無理をしていませんか?
見返りを求めていませんか?


  
  

好かれようとすれば誰からも好かれなくなる 1



  
シンプルに考える


千利休の失望



これは仕事にしても何にしてもそうですが、仲良くなってしまうことが物事を円滑に進めるための一番いい方法です。

しかし、仲良くなるには好かれようとしてはいけません。

好かれようとするあまり 「自分を必要以上によく見せようとする気づかい」 は自分のためにならないと思うのです。

「媚びた気づかい」 と言い換えてもいいかもしれませんが、それは必ず見破られます。

こんな話があります。

ある冬、茶人の千利休が大阪から京都へ向かう途中、友人の家へ立ち寄った時のこと。

主人は突然の訪問に驚きつつも利休を迎え入れたのですが、主人の家は手入れが行き届いています。

もてなしも決して豪華すぎず、風流で、実に利休好みでした。

しかし、料理の一品にかまぼこが供されたところで利休は気づきます。

当時、かまぼこというのは日持ちのしない高級品で、一般庶民がパッと出せるようなものではありませんでした。

にもかかわらず、かまぼこがあった。

つまり、主人はもともと利休が来ることを知っていたのです。

周到な準備をしておきながら、まるで知らなかったようにふるまった主人に利休は失望し、その場を去ったと言われています。




メッキは必ずはがれてしまう


外見がよければよいほど、そのメッキがはがれた時の失望感は大きくなります。

取り繕う気づかいというのは嘘をついているようなものなのです。

以前、数日間にわたる企業の新人研修プログラムがあり、私がそのうち一日を担当することになりました。

私は研修前日から現地入りしていたのですが、夜お風呂に入っていると研修生たちと一緒になったのです。

ところが、彼らはまだ私が講師だということを知りません。

桶も洗面器も使いっ放し。椅子もバラバラ。配慮というものがまったくありません。

「明日が楽しみだなぁ・・・・」と思ったものですが、気づかいの習慣というのはそうした日頃の行いの中にあらわれます。

おそらく私が講師だと知っていたら、きちんとした印象を見せるためにもっと行儀よく使ったいたでしょう。

つまり、一瞬なら 「気づかいができる自分」 を取り繕うことはできますが、ふとしたところでボロが出ます。

メッキは必ずはがれてしまうのです。

「気疲れ」 という言葉がありますが、今以上の自分を無理して見せようとするから疲れてしまいます。

だから続かなくなるのです。

気づかいというものはもっとシンプルに考えていいと思うのです。




   

    日本人にしかできない 「気づかい」 の習慣 上田比呂志著



 


感想


う~ん、千利休の話が本当だったとしたら、私は利休さんは大人げないと思うのです(笑)。

気づかないふりをしてあげてもいいのでは・・・・と。(甘いかな)

訪問を知っていたけど知らなかったふりをしてもてなしてくれたわけでしょ。

それも気づかいじゃないのかなぁ

そこだけ感謝すればいいのでは

それに後でかまぼこを買った人(おそらく使用人)が責められて、辞めさせられるかもしれない。

私には利休さんが感情で帰ってしまったとしか思えないのです。

しかし、いろんな考え方があるので、これはここだけの話にしておきます。

みなさんはどう思われたでしょうか?



  

2012年7月19日 (木)

意識を広げ、アンテナを磨く

  
  
 
私の場合は企画の仕事をすることも多かったので、本にしろテレビにしろ舞台にしろ、えり好みせず、いろんなもの見るようにしていました。

が、何より意識していたのは人のことをじっと見ることでした。

たとえば、気づかいが上手になりたいと思うのであれば、気づかいのできる人をよく見て、何をしているか。

どういうことを考えているのか。

じーっと観察してみるのです。

話し方ひとつとっても相づちの取り方がうまかったり、話題の広げ方が絶妙だったり、やっぱりちょっと違うところがあります。

もちろん逆の場合もあって、気づかいに意識が向っていれば

「この人は気がきいてないなぁ・・・・」 ということにも気づけます。

この人のやり方はよくないから、同じことはしないようにしよう。

そう思えるかどうかも、アンテナの立て方ひとつです。

意識を変えていくと、ものの見方がガラッと変わります。

相手の立場に立ってものを考える。

そう意識して日常生活を送るだけで行動も変わってきます。

「使ったものは元の位置に戻す」

「トイレはきれいに使う」

「資料はわかりやすく整理整頓」・・・・・たったそれだけのことですが、充分気づかいになります。

気づかいのアンテナを立て、磨いていく。

そう難しいことではありません。



 

感謝するに値するものがないのではない。

感謝するに値するものを、気づかないでいるのだ 

                  中村天風 





「どう思うか」意識していますか?

何か重要なことを見逃していませんか?




日本人にしかできない 「気づかい」の習慣 上田比呂志著



  

頭の良い人とは?

 

私の思う「頭の良い人」とは、学校の勉強の出来る、偏差値の高い人をいうのではなく

「人をよく観察して、相手の人の状態を把握して適切な言葉を発したり、適切な態度が取れる人のことをいう」

だと思うのです。

心と心のキャッチボールが出来る人

深いところで人とつながることが出来る人です。

だから頭は関係ないのかもしれません。

人を観察するってとても大切なことです。


相手の顔の表情や様子がいつもと違っていたとする

違うということは

その人の心に変化があったということです。

また、顔色が悪いとすると

どこか体の調子を崩しているのかもしれません。


昨日、学校の先生の対応の仕方を

評論家の人がテレビで言っていました。

今の先生は、生徒が何かを訴えたくて職員室を訪ねて来ても、

「おおどうした?」 と言いながらも

パソコンを見ながら耳だけを生徒に向けているのだそうです。

face to face になっていないというのです。

五感は大切です。

見る、聞く、味わう、嗅ぐ、触れる

これらの感覚に集中することによって

その奥にあるもの(心)がみえてくるのです。

五感を出来るだけフルに使うのです。

手を抜かないということです。


すると観察力は


洞察力に変わる。


洞察力とは、観察を深くすることによってその奥にある目にみえないものがわかってくる力のことです。

直観、直感、インスピレーションとか言って

もの事を瞬時に判断することが

さも、凄い、素晴らしい能力のように思っている人がいますが

人の心のケアをする人は

自分の直感(感じたまま)で話をする前に

相手をしっかりと観察することが大切なのです。

洞察力とは、観察を尽した後で

自然とついてくるものなのです。

観察を尽して

場数を踏んで

丁寧に、細かいところまで見逃さないようにする


そうすれば

相手が何を求めているか?

どうして欲しいのか?

何が必要なのか?

が頭(理屈)でわかるのではなく

心でわかるようになるのです。

それは目にみえるものの奥にみえない世界があるからです。

3次元の終り(奥)は、4次元の始まりです。

3次元と言っても

わからない人がいるかもしれません。

3次元とは

肉体人間が生きている世界のことです。

4次元とは、目にみえない心の世界のことです。

私たちは3次元に住みながらも

4次元(心の世界)へと意識を向けてゆくことが大切なのです。

表面的な、目の前に現われていることだけに

意識がいっていては物事の本質(真理、真実)は

いつまでたってもつかめないからです。

本当の世界は

“目に見えているものの奥にある”

私の思う 「頭の良い人」 とは

「相手の人の心の動きに気配り、気づかいが出来る人」

なのです。



  

2012年7月18日 (水)

仕事を修行だと思えば嬉しくなる♪ 2

  
  
  
精神は修行しなければ育たない

 

室町時代の水墨画家で、雪舟という人がいました。

若かりし頃、画の才能を認められた彼は京都の相国寺(そうこくじ)というお寺に送られます。

相国寺は足利将軍家ご用達の絵師が集まる場所だったのですが、同時に厳しい禅寺でもありました。

そこで最初雪舟に命じられたのは、画を描くことではなく、座禅修行でした。

しかし、彼はそんな命令にもめげることなく、

「これも画の深みのため」と禅修行に励んだそうです。

師匠に言われた通り、雪舟は来る日も来る日も座禅を続けます。

そして何年か経った時、ようやく師匠の画の模倣を許されたのです。

雪舟はもともと非凡な才能の持ち主なので、模写をしていくうちに周囲に認められるようになるのですが、同時に彼は模倣の画に物足りなさを感じます。

模倣の画には禅の心がない。画に禅の心を込めたい。

そう考えた彼は、40歳を過ぎてから中国で画の修行を決意します。

当時の40歳50歳と言えば完全にご隠居の年齢ですが、雪舟は実際に中国に渡り、思考錯誤を重ね、学んだ技法を画に反映させたのです。

その集大成とも言われる作品が 「破墨山水図」 という水墨画で、これは彼が76歳の時に描いた作品だと言われています。


なぜ人は修行するのかと言えば、技術を得るためだけではありません。

修行というのは精神的な成長をさせてくれます。

自分を律し、修行していくことで精神的な余裕が養われ、人間としてひと回り大きくなる。

だから、日本人は我慢の文化を受け継いできたと思うのです。

自己中心的になれば、気づかいはできません。

相手を思いやる気持ちというのは、精神的な余裕がなければ生まれません。

気持ちの余裕が、周りを広く見渡す視野、物事を深く考えるセンス、慮るセンスというのを養ってくれるのです。

人のための我慢は、人のためだけでなく、自分の修行にもなります。

日々是精進、多少の我慢は自分の糧となるのです。





  日本人にしかできない「気づかい」の習慣 上田比呂志著




  

仕事を修行だと思えば嬉しくなる♪

 


   
最近、仕事を辞めて起業する人が増えています。

仕事を辞める理由は様々で

「今までの仕事は一生懸命にやった、学んだこともたくさんあった、そして次のステップ(段階)として新たな仕事が用意されているように思う」


であればいいのですが

「このままここに居てもいいことはない、給料も上がらないし仕事も面白くない、人間関係もうまくいっていないし、思い残すことは何もない、早期退職でお金ももらえるしやりたいこともあるから辞めたんだ」

という人が結構いるのです。

後者の人を見ていると甘さが見えます。

起業というのは、独立を意味するのですから一会社員が生半可な気持ちでやって成功するものではありません。

軌道に乗るまでは、孤独と戦い、我慢と諦めない気持ち、そして創意工夫などいろんな要素(資質)が必要になってきます。

だがしかし、中途半端な気持ちで辞めた人にそんな根性?があるとは思えません。

申し訳ないけど

「成功するわけがない」

と思うのです。

“意識” って大切ですよね。

今、自分は何を意識しているか?

どこに意識を置いているか?


私は、今仕事は面白くないけど、辛いし、辞めたいけど、辞めても他にやりたいこともないし、すぐに雇ってくれるかもわからない

だから今のところでとりあえず頑張っているんだ

やるからには一生懸命にやっています。


でいいと思うのです。


仕事とはお金を戴くことであり、そこにはやはり我慢の代償があるのです。

面白くなくて当り前です。

私は仕事は修行だと思っています。

そして修行を続けることによって確実に成長し続けている。(何かがみえてくる)

決して無駄にはなっていない。


そう思うとなんだか嬉しくなってきませんか?

「これでいいのだろうか?」

ともんもんとしていた気持ちがスッキリしてくる。

ほとんどの人はそんな気持ちで仕事を続けていると思うのです。

みんなもっと自信を持ったらいい

そう思います。

それはそのまま自分へのエールでもあるのですが(笑)わーい(嬉しい顔)

次の日記で、私がそう思った文章をある本から抜粋します。


よかったらお付き合いください。



  



   

2012年7月17日 (火)

空腹感を楽しむ

  
 

お腹が空くと元気が出ない

体力が落ちる

と思われがちですが

実は、身体にとってよい状態とは

空腹時なのです。

お腹が空っぽの方が身体が喜んでいるのです。

直観が冴えて脳が働く

そして

身体が動きやすいのは

お腹(腸)に物(食べ物)が詰まっていないときです。

今、巷で、プチ断食 だとか

一日、二食から、一食でもいいと言われているのは

出来るだけ腸を休ませてあげることが

身体にやさしくすることなのだということが

わかってきたからだと思うです。

一般常識では

朝の食事はしっかりと摂らなけれならない

ですが

朝食のことは

英語で

breake fast と言います。

訳すると

fast(断食)を破る(breake)です。

寝ている間に断食が出来て(腸が休んで)

せっかく身体が良い状態になっているのに

断食という良い状態を

朝食が壊して(破る)しまうのです。

だから朝は、採らないか、採ったとしても

人参(野菜)ジュースか

生姜茶くらいでいいのです。

そんなこと言ったって

「お腹が空くでしょ」

「お腹が空いたら、イライラするじゃない!」

という人は

糖分を少し採ればいいのだそうです。

飴ちゃんかチョコレートを口に含んでやれば

治まります。

空腹感というのは、体が糖分を欲しがっている状態なのだそうです。

食べ物というエネルギーを欲しがっているのではなく

糖分だけが欲しいというメッセージを脳に送っているのです。

だから糖分を採ることによって

空腹感は無くなるのです。

すると必要以上のカロリーを採らなくても済みます。

私たちは必要以上のカロリー、栄養を採ってしまっているので

メタボになっている(失礼!)

そして、しなくてもいい運動をして溜まった脂肪を無理に溶かそうとしている。

余分に食べなければ

過度の運動はしなくて済むのに・・・・です。


また、一般常識の話に戻りますが

「お腹が空いていると力が出ない」

と思っています。

だから

「食べないと倒れる、病気になる」

と思い込んでるのです。

しかし、溜めんでいるもの(脂肪)もしっかりあるのに(失礼!)

エネルギーがすぐに枯渇することなんて

ありません!

だから空腹状態を

“悪い状態” “危険な状態”

であると認識するのではなく

空腹とは

“いい状態なんだ” と意識を変えることが大切だと思うのです。

悪い状態だと思うから

フラフラするのです。

弱っていると思うのです。(病は気から)

昨日、

「お昼御飯まで待てない、何か食べるものない?」

と聞いてきた私に、

妻が(空腹が良いことは、ある程度は知っています)言いました。


「空腹を楽しんだらいいのよ」

「テレビでそう言ってたよ」


なるほど、空腹を満たそうとしたり

辛いと思うのではなく

「楽しむのかぁ」わーい(嬉しい顔)

そうですよね。

どんなことでも

楽しいと感じなければ

続けられないですよね。

このことのように

本当は楽しいこと(身体によいこと)なのに

そうでないと

すり込まれていることって多いと思うのです。

マイナスだと思っていたことが実はプラスだったってこと結構あります。

だから、人(テレビ、マスコミ)に言われたことをそのまま信じるのではなく

自分で確かめてみることも大切です。

私が書いたことも

もしかしたら違っているのかもしれません。

だから

グッドムーンが言ったことだから

「間違いない」

なんて思わないでくださいね(笑)。

ただこの世の常識が

常識ではないことも確かなようです。

そのようなことは

たくさんあります。

要は

固定観念、既成概念に縛られずに

自分の心をオープン、自由自在にしておくことだと思うのです。

そのためには

自分の中をニートラルにして、エネルギーをスッキリさわやかにしておくことが大切です。

心と身体を、きれいな川を流れる水のようにサラサラにしていくのです。

それが人間の本来の健康な姿なのです。(調和波動気功法)

これから

「空腹を楽しむ」ようになれば

スマートな人がたくさん増えてくるでしょうね。



  

参考本
 


なぜ、「これ」は健康にいいのか? 小林 弘幸 サンマーク出版

体が若くなる技術 太田 成男 サンマーク出版

男が病気にならない生き方 石原 結實 

あなたを天才にするスマートノート 岡田 斗司夫 文藝春秋




調和波動気功法
 


http://homepage2.nifty.com/hmwave_goldendoor/


 
『断食をすると元気になる』

http://goodmoon51.cocolog-nifty.com/blog/2012/08/post-72f8.html


『朝は少しの糖分を摂るだけで充分なのです』
 
http://goodmoon51.cocolog-nifty.com/blog/2011/02/post-c1eb.html


  
  

ときどろほう

  

    
7月13日に書いた日記(気づかいのルーツ 2)の中で


約束なしでの訪問や遅刻を禁じた 「時泥棒」 がありました。

人への配慮とは時間を無駄に使わせないということがあるのです。

自分が迷惑をかけた為にその人が組んでいた予定が狂ったとする。

大切な約束を破らせた(時間を遅らせた)かもしれない

睡眠を奪ったかもしれない

本を読む時間を減らさせたかもしれない

・・・・・・etc

そう考えると人に迷惑をかけることとは

時間を奪っていること(泥棒)と同じなのです。

「ときはかねなり」 と言いますが

時間というエネルギーも

お金というエネルギーも

人間にとってはとても大切なものです。

だから、自分がふと逢いたくなったからとか

近くまで来たので

アポなしで

いきなり

「今からおまえんちに行っていいか?」(高校生みたいですね)

なんてことは常識的にやってはいけないことなのです。

でも、人間ってちょっと親しくなると

やってしまうことがあるんですよね。

その方が(遠慮のない方が)もっと親しくなれるような気がする。

甘えた方が相手も嬉しいのではないか?(そんなバカな!)

案外男女関係はこんなところから崩れたりして(経験者は語る?)

日本人って

相手の時間をおもんばかることの出来る民族だと思うんですよね。

相手の心をさりげなく読む

読み間違えたとしても

そこには相手への思い遣り(愛)が含まれている。



今、私はいまだかつてないほど

たくさんの人と関わることが多くなっています。

ネット上でも逢ったこともない人と友だちになることがある。

昔と比べるとケタ違いに増えています。

だからこそ

もっと波動(エネルギー)を細かくして

調和させて(波動調整といいます)

配慮をしていかなければならない

「ときどろぼう」 をしてはいけないと思うのです。

人と人とが

思い遣りの精神があれば

きっと世の中は善くなっていく

そんなことを感じた

今日この頃でした。わーい(嬉しい顔)



                おしまい



  

2012年7月14日 (土)

明日、ライフカウンセリングを行ないます。

  
  
明日(7月15日(日))大阪本町のカフェで、私、グッドムーンがライフカウンセリングを行ないます。

日記では、みなさんとつながっているのですが、実際には、ほとんどの人とお会いしたことがありません。

どんな人が読者になってくださっているのか?

興味津々です。わーい(嬉しい顔)

みなさんもグッドムーンとは、いったいどんな奴なのか

日頃、偉そうな、わかったようなことを書いているが

果して、その正体は(笑)

と思っておられると思います。

気軽な気持ちで(お近くの方は是非!)

ぶらっと遊びに来てください。

来ていただいた方には素敵なプレゼント(もれなく)を用意しています。




場所:大阪市営御堂筋線本町駅2番口 徒歩1分


カフェウイーンにて


http://rp.gnavi.co.jp/0238195/


http://www.facebook.com/?ref=home#!/events/476984258994589/

AM11時~PM6時


入場は無料、各ブースでのご利用はブースにより料金は異なります。


私は、30分、1000円でライフコンサルタント(人生相談)をさせていただきます。

どんなことでもご相談ください。

いきなり、きていただいても大丈夫です。

よろしくお願いします。

篠崎 朗(グッドムーン)携帯 080-1444-0018


   

2012年7月13日 (金)

あたりまえのことに誇りを持つ

 

  
「笑顔で接する」

「約束を違えない」

「人の時を盗まない」

「名刺をもらったらその日のうちにメールでお礼をしておく」

「感情的にならない」

などなど、世間で

“あたりまえ” と呼ばれていることはたくさんあります。

仕事の進め方であったり、コミュニケーションであったり、ものの教え方であったり、いろんなルールや習慣があります。

しかし、人間はすぐに楽をしてしまいます。

せっかくのいい習慣も、気を抜くとすぐに悪い習慣に変わってしまうのです。

志村けんさんが著書の中で言っていました。

「常識をバカにする奴に、常識を超えたことは絶対に出来ない」。

これは、芸能の世界に限らないと思うのです。

気づかいというのも、ごくあたりまえのことの積み重ねです。

ここまで述べてきたことも、日常の中ですぐにできることばかりです。

決してハードルは高くありません。

何度も言いますが、気づかいというのは些細なことでいいのです。

しかし、その些細な行動を積み重ねていった先に、円滑な人間関係であったり、信頼関係であったりができあがります。

 では、いい習慣を悪い習慣に変えないためにはどうすればいいのか。

その方法が、誇りを持つこと。

自尊心だと思うのです。

ディズニーのキャストがなぜ笑顔や掃除を徹底してやり続けられるかといえば、その自分に誇りを持っているからです。

自分のちょっとした気づかいが相手に受け入れられた。

すると、その喜びが原動力となり、もっともっと気づかいができるようになります。

あたりまえでないことをやるには、あたりまえをまず徹底すること。

その先に、誰もが 「すごい」 と言うものができあがるのだと思います。





  
 日本人にしかできない「気づかい」の習慣 上田比呂志著




  

気づかいのルーツ 2

  

「気づかい」と言いますが、そのルーツはどこにあるかというと

江戸時代にさかのぼります。

徳川家康が江戸幕府を開いたのは1603年ですが、これ以来、江戸の町には大きな変化が起りました。

町人に人口が爆発的に増えたのです。

ひっそりした村だった江戸が、幕府が開かれて100年後には当時の世界で最大の人口を擁するまでになりました。


現在の東京の1平方キロメートルあたりの人口密度は5700人ですが、当時の江戸は6万人だったとも言われています。


それだけの人が住んでいたからこそ、江戸では様々な文化が花開いたのですが、一方で大きな問題も出てきました。

それが人間関係です。

あまりにも人が増えすぎてしまったため、各々自分のスタイルで生活をしていたらいろいろと不便なことも出てきてしまったのです。

そこで、人付き合いの中で守るべきルールを定めようということになり、そのルールをまとめた本が

「江戸しぐさ」でした。

これらは江戸の商人がまとめたもので、しぐさという字も

「仕草」ではなく、「思草」と書きます。

単なるマナー本や教養の本ではなく、江戸の商人の哲学が詰まった書物だったのです。

たとえば、「通りを歩く時のマナー」。

どこへ行っても人だらけの江戸の町ですから、人とすれ違う時には

「肩引き」といってお互いが少し肩を引いてぶつからないようにしたり

「傘かしげ」といって濡れない程度に傘を傾けあったり、そんなことが書いてあるのです。

さらに、人の足を踏んでしまった時、踏んだ方が謝るのはもちろんのこと、踏まれた方も

「こちらこそうっかりしてまして」と謝る 「うかつあやまり」。

乗合船で、後から乗ってきた人のために先客がいっせいに腰を上げてスペースを詰める 「こぶし腰浮かせ」。

約束なしでの訪問や遅刻を禁じた 「時泥棒」 なども有名です。

 ここに共通することは、いづれも「お互いに配慮する」ということ。

もちろん、「江戸しぐさ」 ができる以前から気づかいの文化というのは日本中にありましたが、江戸時代で初めて気づかいの具体的な内容が明文化されたのです。

ちなみに、人で混み合っている江戸の通りではわけもなく走ることはご法度でした。

ほぼ間違いなく誰かにぶつかるからです。

ただし例外がありました。

飛脚(郵便屋)と、急病人や怪我人が出て医者を呼ばなければいけない人です。

大名行列の時でさえ、産婆(助産師)が前を横切るのを許していたという話もあります。

江戸は人情の町。

そこには心があるのです。

今でも雨の日に人とすれ違う時には傘をそっと傾けてしまう(傘かしげ)人も多いと思います。

誰に教わったわけでもない、でも、何となくそうしてしまう。

気づかいというのは、少なく見積もっても400年以上続いている文化なのです。



 

   日本人にしかできない「気づかい」の習慣 上田比呂志 著



    

気づかいのルーツ 1

   
 
日本人って素晴らしいなぁ、日本の文化は、日本人の気づかいは、他国にはないよなぁと

最近、日本の良さを実感しているのですが、これらの日本独特の文化はいつ頃から発生していたのか?

今読んでいる、「日本人にしかできない気づかいの習慣」上田比呂志著 には、そのルーツが書いてあったのです。

先日、私は東京に行っていたのですが、大阪と比べて人の多さにびっくり(田舎者みたいですね)

「こんなにたくさんの人が居るところで、私はとてもじゃないけど住めない」

と思ったのです。

しかし、我息子ももちろん、大阪から転勤等で行った友だちも不平不満を言う訳でもなく、東京で淡々と暮らしています。

雑踏の中、ストレスとか溜まらないのか?

逃げ出したくならないのか?(静かなところへ行きたくならないのか?)

ならないとしたら

そこには東京ならではの

なにか秘密、秘訣があるのでは?

大阪と比べて、東京の人たちのマナーの良さは、よく言われていることなのですが

その、マナーの良さはいつ頃からつちかわれたものなのか?

その根本(ルーツ)には、東京の歴史が関係していたことには、この本を読むまでは気づきませんでした。

今をさかのぼること、300年ほど前(1700年頃)、江戸と言われた東京の人口密度が今の10倍だったというのは

みなさんご存知だったでしょうか?(想像できませんよね)

道を歩くのでも人とぶつからずに歩くことが至難の技だった状況です。

自分のことだけを考えていたのでは

すぐに喧嘩になってしまいます。


次の日記でこの本から抜粋した文章を載せていきます。

よかったらお付き合いください。


  

2012年7月10日 (火)

マジシャンからのメッセージ 2

  
  
先日、以前から気になっていたあるマジシャンの番組をテレビで見ながら妄想にかられ、最終的に自分の中に、ある真理を見出しました。

そのマジシャンは驚くべき物質化現象、物質透過、瞬間移動、透視などを演出していました。

ここから私の妄想は始まります。

彼は、自身が持っている能力の正体を明かしたら世間は大騒ぎすることを読んでか、あえて “マジック” として見せているように見えます。

三次元世界で生活している人間にとっては到底理解できない現象であるからです。(中略)

私はマジックか超常現象か定かでない事態を現わしつづける彼の姿に釘つけになっていました。

彼は、喜びにあふれた無邪気な表情で、多くの人を驚かせ喜ばせています。

そんな姿を見ていて、私は彼からあるメッセージを受け取ったように思いました。

彼のような能力を持っていたら、人を支配することは容易に出来ます。

世界を支配することだって容易に出来るわけです。

しかし、彼の選択は “マジック” と称して純粋に人を喜ばすことであったわけです。

説法を説くわけでもなく、その能力を伝授するわけでも、ひけらかすわけでもなく、人に喜びと驚きと希望を与える生き方をしているわけです。

私はそこにすごくシンプルなメッセージを見つけたように思えたのです。


人間は最終的には悟り、すべてを得た時、きっととてもシンプルなことを一番の生きがいと感じるのではないかと思ったのです。

それは、自分の力を拡大させようとか、永続させようとかいうものではなくて

 “今この瞬間にどれだけの喜びを多くの人々に与えることが出来るか”

というとてもシンプルなことです。

周りに喜びを与えることが、自分が毎日朝を迎える理由になり、人に幸せを提供することが、何よりも自分人生の生きがいになるのではないかということです。

 “今この瞬間いかに人を励まし、今この瞬間いかに人を生かし、今この瞬間いかに人を喜ばせ、今この瞬間いかに人を驚かせ、今この瞬間いかに人に光を与えることが出来るか” 

もしかしたら、これこそが自らに生きる意味と喜びを与えてくれるものではないかと思いました。

これを自らの人生において真に経験できた時、本当の意味で

“我即神也、人類即神也” を生きていると実感できる瞬間に遭遇できるのかもしれません。


 “霊性を開発する” “神性を顕す” ということは、シンプルな言葉に言い換えれば

 “自他にどれだけの喜びを与えながら生きていけるか”ということなのかもしれません。

私はブラウン管に登場しているマジシャンの喜びと幸せに溢れた姿を見て、不思議な世界へ誘い込まれていました。

そしてマジシャンを見てはしゃぎ喜んでいる観客の姿を見て、大切なメッセージを受け取ったように思えたのでした。




        
             

              西園寺里香さん




  

  

マジシャンからのメッセージ 1

  
  

私の中の課題である、「毎日日記を書く」は出来ていない日もあるのですが、とりたてて書きたいと思わない日もあるかと思えば

これは、絶対に書きたい、そしてみなさんにどうしてもメッセージとして伝えたいと強く思うときもあるのです。

今日ある文章を読んでいたら

その、どうしても伝えたい文章に出逢ったのです。わーい(嬉しい顔)

この瞬間とは、私にとって至福のときなのです(笑)。

テーマは 「マジシャンからのメッセージ」 

読んでいて

「その通り!」

「素晴らしい!」

と唸ってしまいました。

先日も書いたのですが

目にみえない世界がわかる人を霊能者と言います。

目にみえない世界なんて存在するものか!

という人もいますが

心というものは目には見えませんが

確かに存在しています。

そして私たち人間はこの目にみえない心を主として生きているのです。

心(目にみえないもの)が主であり、肉体(目に見えるもの)は従です。

宇宙も99.9999・・・・・%は目にみえない空間であり、目にみえるもの(星)などは極僅かな存在でしかない。

私たちはもっと目にみえるその奥にあるものを見つめて生きてゆくべきではないでしょうか?

あまりにも物質主義に走りすぎていると思うのです。

話を元に戻して(笑)


目にみえない世界がわかる人、感じる人を霊能者といいます。

特殊な能力(ほんとは誰もが持っているのですが)があるために

その影響を受ける人は多い。

そして間違った方向へと導き、導かれる人も

少なからずおられるわけです。

目にみえないことを大切にすることは大事だけれど

導く人が(霊能者)が未熟であったり

自分の力を誇示したい人であったなら

それは、力を発揮してはいけないのです。

霊能者はあくまでも

霊覚者であるべきなのです。

霊覚者とは

目にみえない世界のことも十分にわかった上で

愛そのものの人です。

自分が無く、人の幸せばかりを考えている人です。

お釈迦様やキリスト様のような人です。

そういう人しか

人を導いては

絶対にいけないのです。


もし、持ってしまったら

それは封印するか

人を喜ばせることにしか

使ってはいけなのです。


巷には

あやしい占い師の人や前世を観る人がたくさん居ます。(前世なんてわかったところでいったい何になるのでしょう?)

しかし、霊覚者の人は何人いるでしょうか?

そしてそういう人たちを横行させる

私たちにも問題があるのです。

それは依存心が強いということです。

一人ではなんにも決められないという弱さがあるのです。

私たちは、一日も早く自立しなければなりません。

一人一人の自立が

世界を変えてゆくのです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


そんなことを感じさせてもらえた文章です。

次の日記でご紹介します。




   

2012年7月 8日 (日)

同じ金でも

  
  
同じ金でも、他人からポンともらった金ならば、ついつい気軽に使ってしまって、いつの間にか雲散霧消(うんざんむしょう)。

金が生きない。

金の値打ちも光らない。

同じ金でも、アセ水たらして得た金ならば、そうたやすくは使えない。

使うとしても真剣である。 慎重である。

だから金の値打ちがそのまま光る。

金は天下のまわりもの。 自分の金といっても、たまたまその時、自分が持っているというだけで、所詮は天下国家の金である。

その金を値打ちもなしに使うということは、いわば天下国家の財宝を意義なく失ったに等しい。

金の値打ちを生かして使うということは、国家社会にたいするおたがい社会人の一つの大きな責任である。 義務である。

そのためには、金はやはり、自分のアセ水をたらして、自分の働きでもうけねばならぬ。

自分のヒタイのアセがにじみ出ていないような金は、もらってはならぬ。

借りてはならぬ。

個人の生活しかり。 事業の経営しかり。 そして国家の運営の上にも、この心がまえが大事であろう。




  

  「道をひらく」 松下幸之助 PHP






感想

一日に一つは、日記を書いていこうと心掛けているのですが、つい、忘れてしまいそうになるときがあります。

「特に書きたいことがなければ書かなくてもいいや」

と思ってしまっては

人間、楽な方楽な方へと流れしまうものです。

ピアノを生業にしている人、つまりプロの人は一日サボると前の状態を取り戻すのに2、3日、かかるといいます、いや一週間だったかな?

そこからまた上手くなろうとしたら、そのリスク(サボったツケ)はかなりのものになります。

私が書いている日記がただのきまぐれだったらそれでもいいのでしょうが

私には真理を伝えるという大きな目的があるのだから

書かない日があるというのは

「これではいけない!」 と反省するのです。

これは私自身の問題であってみなさんには関係のないことなのですが

思い付いたまま(徒然なるままに)書いてみました。

ところでタイトルの「同じお金でも」ですが、前にも同じ文章を載せていました。

そのときとは違う感想なので、もう一度書いてみることにします。

さて、お金というものの正体は、不思議です。

持つ人によって姿が違って見えると思うのです。

そしてお金に執着する人と執着しない人がいる

お金によって人生が狂う人もいれば

お金がたくさんあっても無くても振り回されずに淡々と過ごせる人もいる。

ある人が

「お金は必要なものではあるが、重要なものではない」

と語っていました。

わかったような、わからないような(笑)

核心を突いているような、突いていないような・・・


松下幸之助さんの文章を読んでいると

お金はやはり必要なものだけではなく

重要なものだと思うのです。

それは、お金をどう “意識”するか

ですよね。

アセ水たらして得るお金も

棚からぼたもちのようなあぶく銭でも (犯罪で得たお金は違います)

同じエネルギーを持ったお金には違いない。

だったらどうな形で得たお金でも

大切に、大事に、使えばいいのではないか?

と思うのです。

ただ安直に得たお金は

ありがたみに欠けるので

雑に使いやすい

だから気を付けよう

だと思うのです。

お金のありがたさがわかっている人は

得方がどうであれ

大切に使うと思うのです。

それはお金というエネルギーを大切にすることにつながります。

どんなものでも(お金でも人でも、何に対しても)

大切にする人は

それらのものに

大切にするというやさしい波動が伝わって

いいバイブレーション(響き)になって(変わって)ゆくのです。

波動の粗い物質でも

目にみえない空気や心も(波動の細かい)

すべて波動で出来ています。

今は原子、分子よりももっと細かい波動の

素粒子が発見されていますが

人間の心も

波動で出来ているのです。(非常に細かい光の粒子だそうです)

というより宇宙も波動です。

なにかグローバルな話のようなミクロの話のような

わからなくなってきましたが

お金という物質(物と物とを仲介する手段となるもの)

を大切に扱うことが

ひいては、すべてのものを大切にする心につながると思うのです。


どんな物も大切に扱う人は

決してお金にも物にも苦労はしないのです。(宇宙法則より)

それは、やさしい波動の人にお金も物も寄っていくからです。(好かれるんですね)



   

2012年7月 5日 (木)

ライフコンサルタント(人生相談)を行ないます。

  
  
私は12年ほど前から調和波動気功法を実践しているのですが、最近つくづくバランスが大切だなぁと実感しております。
 
心が穏やかであっても物質的なこと、金銭的なことが整っていないとそのうちに心が乱れてきて、そして焦ってしまう。
 
反対にいくらお金などがたくさんあったとしても心が満たされていないと幸せ感は得られない。地に足が着いていない状態です。
 
いつも何か満たされていない気がする、ぽっかりと穴が空いたような不安感は何が原因なのか?
 
それは、自分の中の波動(エネルギー)が整っていないからなのです。

エネルギーが正常に流れてなく、スッキリしていないからです。
 
目に見えるもの、みえないものもすべて波動で出来ています。
 
気とも言いますし、エネルギーともいいます。
 
元気、陽気、天気、電気、病気・・・・気はすべての元、原点です。
 
私たち人間は、目に見える波動の粗い物質面(健康も含む)と目にみえない波動の細かい心の調和が取れて初めてバランスの整った健全な姿になれるのです。
 
そのときに初めて、本当の幸せ感が得られます。

ですから3次元(目に見えるもの)、4次元(みえないもの、スピリチュアルなもの)を別に考えては答は出て来ないのです。

3次元と4次元はつながっています。

どちらも大切にして、手を抜かず、真剣に対処していく・・・・。

それが人生を豊かな素晴らしいものにしていく方法なのですが
これまでの私の経験から今、いろんなことで悩んでいる人のライフコンサルタント(人生相談)をしようと思っています。
 
その先がけとして、高校の後輩の土谷さんのヒーリングカフェに出展させていただくことになりました。

難しい話はいたしません(笑)
 
どんな相談でも受けられるように勉強は人一倍してきたつもりです。
 
そして動功(どうこう、ストレッチのようなもの)というのですが、エネルギーを流してスッキリ爽やかになれる方法をお教え致します。(これでかなり楽になれます)

どなたでも

どうぞ、お気楽にご相談ください。



 調和波動気功法
 
http://homepage2.nifty.com/hmwave_goldendoor/



日時:7月15日(日)AM11時~PM6時

場所:大阪本町カフェウィーン

場所、料金等の詳細は下記リンクを参照ください。
 


本名、篠崎 朗(シノザキ アキラ)で出展しています。


篠崎携帯 080-1444-0018



ヒーリングカフェ

http://www.facebook.com/?ref=home#!/events/476984258994589/


  

集中のコツ 2

  
  

「今、目の前のことだけを考える」


ヨガ呼吸法を行なうことでいつでも平常心を保つことができ、集中力がアップします。

ところで、「集中力」とはなんでしょう。

考えたことがありますか?

「集中力」とは、あるひとつの事柄に 「心身ともに傾ける力」 のことです。

集中したいときに 「集中できない」 と悩んだ経験はどなたにもあると思います。

だれかに話しかけられた・・・など、せっかく集中していても、こうしたことで集中力が途切れてしまうことがあります。

また、集中力が弱い子どもも実際にはいます。

そうした子どもたちには、インド哲学の観点から、集中力についての話をするようにしています。

インド哲学は、私が日本のみなさんに伝えたい、「インドの本当の顔」です。


インド哲学からいえば、「集中すること」 とは 「現在のこの場所にいる」 ということなのです。

つまり、勉強中の子どもの例で言えば、「先生の話をちゃんと聞いている」 ということです。

反対に、集中力していないというのは、今、目の前のことを考えていないということです。

「昨日は楽しかったな」、「学校が終わったら何をして遊ぼうかな」 などなど、頭の中で、目の前にないことを考えてしまう。

それが 「集中していない」 ということなんです。




 一冊で頭がよくなる インド式すごい勉強法 ニヤンタ・デシュパンデ著





感想


他のことを考えていてうっかり

「点滴を間違えた」 (医療ミス)

ボーッとして

対向車に突っ込み死亡事故を起こした


これらのことはすべて集中力を欠いていた為に起った事故です。

私たちは、命に関わる仕事をしていないとなったら

油断します。

そして

「人間だから失敗もする、だから人間なんだ」

「たまの失敗くらいいいじゃないか、普段はちゃんと出来ているんだから」

なんて訳のわからない言い訳をします。

でも、自分のミスがきっかけで

他人に思いもよらぬ迷惑を掛けてしまうことがあります。

自分もその尻ぬぐいで走り回ることになる。

そして後には、後悔だけが残る。


そうならないためには

「目の前のことだけに集中する」

ことが大切なのだと思うのです。

一生懸命って言葉は

一所懸命とも書いたりします。

一つの所に命を懸けるくらい集中をする

ということではないでしょうか?

それくらい魂を込めてやる

そうすれば、ミスをすることなんて

考えられないのです。

そして、もしミスをしたのなら

「いけない、いけない、集中していなかったな」

とすぐに反省出来る自分でありたいと思うのです。



   


集中力のコツ 1

  
  
  
私は時々、仕事でポカ(失敗)をします。

「なぜ失敗をするのだろう?」と考えても、答は見つかりませんでした。

ただ、そのときに、仕事以外のことを考えていたのだけは確かだと思います。

つまり仕事に集中していなかったんですね。げっそり

他のことを考えていても、周りの人にはわからないだろう

誰も気づいていないだろう

という甘い考えがありました。

そして他のことを考えていたって

仕事くらい出来る

生意気にもそう思っていたのも確かです。

これでは、いつかは失敗しますよね。

お給料(お金)を戴く

バイトであっても時間給を戴くというのは

「私は、仕事中は、一切他のことを考えません、仕事に全神経を集中させます」

と宣言することだと思うのです。

お金というエネルギーを戴く代わりに、集中するというエネルギーを提供する。

物々交換ですね。

このバランスが壊れたときに

不調和なものが生まれる

それが失敗だと思うのです。


ちょっと真面目で固いかもしれませんが

仕事をするときは

それくらいの緊張感(集中力)が必要です。

それが出来ている人が

本当のプロ(お金が取れる人)なのです。


そのことに気づかせてくれたのが

今、読んでいる本でした。(インド式すごい勉強法)

インドにはインド哲学があって

インドの人たちはこの哲学を基に自分の思考を築いていくのです。

この本の中から集中力についての文章を抜粋しますので

よかったらお付き合いください。







  一冊で頭がよくなる インド式すごい勉強法 ニヤンタ・デシュパンデ著 知的生き方文庫


  



  

« 2012年6月 | トップページ | 2012年8月 »

最近のトラックバック

2017年10月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        
無料ブログはココログ