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2012年6月20日 (水)

真の霊能の条件

  
  
  
愛が深いということは、魂の清さ高さを端的に現わしているからです。

自己を深めたい、人を救いたい、人のために働きたい、人の世のために全力を挙げたい等々、常に自己の力を他に捧げたい、という愛の心が根本になって、開発された霊能であることが第一です。

だがいかに深い愛を持っていても、霊視、霊眼、霊言を審判もせず、ただやたらに信ずるようではいけないのです。

霊能があったからといってすぐ有頂天になったり、すぐに人に告げてみたりする軽率さでは、守護神はその人に及第点を下さらないのです。

もしその人に深い洞察力がなければ、出てくる霊能を否定し尽すことです。

否定して否定して否定し尽しても、どうしても消えぬ霊視であり、霊言だったら、それは真実のものと判断すべきです。





       「日々の祈り」 五井昌久 白光出版






 
感想

霊視とか霊眼、霊言とかは、宗教関係の人や霊能を得たいという人以外は関係ないことだと思われるかもしれませんが

そうではないのです。

私たちは日常生活を送っていて、いろんな人に接し、いろんなエネルギーを受けています。

人間の想念というのはつながっていて、私には私の考えがある、あなたとは違うと思っていますが、なんらかの影響を与え合っているのです。

人間は肉体だけでなく魂といわれるエネルギー体をまとっています。

オーラなどの写真を撮るとわかるのですが(あやしいオーラ写真は撮らないでください)、身体の周りを色のついたエネルギー体が写っているのがわかります。

大きい人で、ビル一棟分があるのですが、機械に写っているのはその一部です。

人は肉体だけでなく幽体というエネルギー体でもあることがわかるのです。(霊体、神体はとてつもなく大きい)

人間が接するとは、このエネルギー体が重なり合っていることをいうのです。

だからマイナス想念の人が近くにいると自分まで憂鬱になるのです。

エネルギーも受けるし想念も受ける。

想うという字が相手の心と書くのも

自分が想っているつもりでも、いつの間にか相手の思いをもらって、自分の考えだと思ってしまっていることを示しているのです。

私たちはそんな玉石混交(ぎょくせきこんこう)の中で、たくさんの人の想念がごちゃまぜになっている中で生活し、思考し、行動しているのです。

魔が差す、考えられないことをしてしまう・・・などは

いろんな想念に振り回されてしまった結果なのです。

その人たちを笑う、馬鹿にすることは出来ません。

私たちもいつそのような波に波長が合ってしまうかもしれないからです。

罪を憎んで人を憎まずとは、そういうことなのです。

私たちはそのような業(マイナス想念、カルマ)に波長を合わさずに

神界(本当の自分の居る場所)と波長を合わせ続け

生きてゆくことがなによりも大切なことなのです。

お釈迦様は常に本心に自分の心を合わせるために

座禅観法を薦めたのです。

本心に自分の意識を合わせていれば

他の波にさらわれ

狂うことはありません。

これが神我一体

人間の悟った状態なのです。(まともな、正常な)

話がとても長くなってしまいました。

私のお伝えしたいことは次回につなげていきます。




  

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