« 把われのある人とない人 2 | トップページ | 日々の指針 »

2012年6月22日 (金)

悔い改めは永々と時間をかけてするのではない




いつ迄も悔いてばかりいては、悪を把えていることになるのですから、その人の神性が表面に表われることが出来ないのです。

悔いも改めも同時に瞬間的にするのであって、永々と時間をかけてやるのではありません。

自分が悪い悪いといつまでも思っていることは、けっして神様のお喜びになることではありません。

神の世界には悪はないのですから、自分の悪でも、人の悪でも、悪い悪いといつまでも掴んでいるようでは、その人は神の世界から遠ざかったいることになるのです。

悪を掴むのは自己なり人なりその悪を消し去るために、一度掴むだけなのです。

それが自己の場合には悔い改めとなり、他人の場合には赦しということになるのです。




  
        「日々の祈り」 五井昌久 白光出版






感想

自慢話が嫌がられるのは、その人が過去の栄光に捉われている、掴んでしまっているということです。

捉われる、掴むとは、例えば太陽が流れる雲をつかんで、その光が地上に届かないような状態なのです。

光輝いている本心を分厚い雲が覆ってしまっている。

その場は重苦しい空気が流れます。

聴いている方もエネルギーを受けて、固まってしまうのです。

嫌だというのは、その行為だけでなくエネルギーのことなんですね。

大切なのは、今であり、未来なのに・・・・・。

同窓会をしても、過去型の人、未来型(未来型にも悲観型もありますが、ここではプラス思考の人)の人に分かれます(笑)。

未来型の人は、未来の光をみているので輝いています。

そして、若く見える。わーい(嬉しい顔)

捉われていないとエネルギーが停滞せずにサラサラと流れているのです。

50代の人でも

エネルギーが流れていれば40代、いや30代にだって見える。

流れていないと60歳代にも見えます。

その差は大きいですよね。

人は見た目ではなく

その奥のエネルギーを観ているのです。

どんなことにも(善いことでも悪いことでも、成功したことでも、失敗したことでも)捉われないで


掴んでも、すぐに放つ

済んだことは忘れてしまう(笑)

そして、前だけを見て進化してゆく

それが自由自在に生きてゆく

最良のコツなのです。
わーい(嬉しい顔) 手(チョキ)



   

« 把われのある人とない人 2 | トップページ | 日々の指針 »

コメント

とらわれの話ためになりました。ありがとうございました。

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/160971/45778017

この記事へのトラックバック一覧です: 悔い改めは永々と時間をかけてするのではない:

« 把われのある人とない人 2 | トップページ | 日々の指針 »

最近のトラックバック

2017年9月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
無料ブログはココログ