« くふうする生活 | トップページ | サービスする心 »

2012年5月17日 (木)

同じ金でも


  
同じ金でも、他人からポンともらった金ならば、ついつい気軽に使ってしまって、いつの間にか雲散霧消(うんざんむしょう)。

金が生きない。

金の値打ちも光らない。

同じ金でも、アセ水たらして得た金ならば、そうたやすくは使えない。

使うとしても真剣である。 慎重である。

だから金の値打ちがそのまま光る。

金は天下のまわりもの。 自分の金といっても、たまたまその時、自分が持っているというだけで、所詮は天下国家の金である。

その金を値打ちもなしに使うということは、いわば天下国家の財宝を意義なく失ったに等しい。

金の値打ちを生かして使うということは、国家社会にたいするおたがい社会人の一つの大きな責任である。 義務である。

そのためには、金はやはり、自分のアセ水をたらして、自分の働きでもうけねばならぬ。

自分のヒタイのアセがにじみ出ていないような金は、もらってはならぬ。

借りてはならぬ。

個人の生活しかり。 事業の経営しかり。 そして国家の運営の上にも、この心がまえが大事であろう。




 
          「道をひらく」 松下幸之助 PHP



 


感想


お金に関しては、いろんな考え方があるけど、私はこの松下さんの思想は好きですね。

今、私の息子は大阪を離れて、東京の大学へ行っているのですが、勉強よりもなによりもお金のことを学んで欲しいのです。

息子の生活は、奨学金、親(私ですが)からの仕送り、自分でバイトをする。

の3本柱で成り立っていますが、生活していく上で、お金に関わらない日は一日たりともないと思うのです。

自分の意思でお金が増えたり減ったりもし、電話、電気、水道料金、家賃などは、意識がある、なしに関わらず常に動いている。

お金もエネルギーなのです。

そして感情は、勘定というようにお金をコントロールしていくことで自分の感情を自在にあやつっていけるようになる。

感情を超えて平常心や不動心になることがとても大切なことだと思うのです。

息子が家に居て、周りに家族が居てはそれが出来にくいです。

ついつい余計なことを言ってしまう(笑)。

自分で考えないといけないことまで心配して言ってしまう。

子もつい金銭的なことで親に頼ってしまう。

“親は無くとも子は育つ”ではなく

親がいない方が子どもは自立出来る

なのかもしれません。

親は子に喜んでもらいがために

余計なお金を渡すことがあるのです。

でもそれは子どもが額にアセして稼いだお金ではありませんよね。

だから親は、意味のない、ゆわれのないお金を渡してはいけないのです。

生きたお金を使う。

ちょっと大げさかもしれないけど

お金を使うのって

ほんと、真剣勝負ですよね。わーい(嬉しい顔)



  

« くふうする生活 | トップページ | サービスする心 »

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/160971/45294922

この記事へのトラックバック一覧です: 同じ金でも:

« くふうする生活 | トップページ | サービスする心 »

最近のトラックバック

2017年4月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30            
無料ブログはココログ