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2012年5月31日 (木)

人間とは何かを知ること 2


  

人間とは何か、自己とは何なのか。

これを知らなければ、とうてい真の自由を得ることは出来ないし、自由自在に自己の心を動かし得ることは出来ないのです。

人間とは肉体でもなければ、想念でもありません。

肉体とは人間の器であり、場所でありますし、想念とは人間の発した光波の流れであり、もう一方では業(カルマ)の波の流れでもあるわけです。

この肉体的執着、欲望、業的想念の波動が、本心を覆っている以上は、人間が真の人間、神性を開発して、自由自在な心境になることは出来ないのです。


人間は瞬時といえど、絶対者神と一緒でない時はないのです。

唯一絶対なるもの、神、大生命、その光明の流れにつながっていない人間は一人もいないのです。



         


           「日々の祈り」 五井昌久 白光出版




  


人間とは何かを知ること 1

  

  

人間とはなんぞや

なんのために生きているのか?

人間はどこから来て、どこへ行くのか?

な~んて哲学的、宗教的なことって読んでいても

なんだか難しいし、面白くもなんともない げっそり

それよりも、何か楽しいこと、面白いことはないのか?

美味しいものを食べさせてくれるところはないのか?

と人間はついつい感情を喜ばせることに意識がいくのです。

感情を満たすことは悪いことでは

もちろんありません。

修行僧ではないのだから、自分を厳しく律することは必要ないと思います。

ただ、そうして世の中を刹那的に生きていると

流されて生きていると

楽して儲けること等を考えていると
 

どこか自分の奥の方から

「これでいいのか?」

「もっと真剣に自分を見つめよ!」

と本心(本当の自分)がささやいて来ることも

確かなことです。

そして感情のまま

自分探しを怠っていると

何をしても

むなしさだけが去来していくのです。

面倒臭いとか

後でいいや!

そのうちまた考える

って感情を優先していると

いつまでたっても

悩み、迷い、モヤモヤが蓄積されていくのです。


 

私の役割って

真理(本当のこと、真実)をわかりやすく

しかもおもしろく、興味深く

解説して、みなさんに伝えていくことだと思っているのですが

なかなかこれが難しい(笑)

というより

本当の喜びって

わからなかったことが

わかることだと思うのです。

ほんとうのことを知ることだと思うのです。

だから真理を知りたがっている人には

私の文章は、

面白くってたまらない!

人もいるのでは?

と思っています。

よって読んでくれる人が少なくても(笑)

つまんないと言われようと

真理ばかりではありませんが (こればっかりだと誰も読まなくなるので)

これからも書き続けていこうと思います。

それでは

「人間とは何かを知ること」

次の日記で書いていきま~す。わーい(嬉しい顔)  ペン




   


2012年5月30日 (水)

自分の仕事

  
  
  
どんな仕事でも、それが世の中に必要なればこそ成り立つので、世の中の人びとが求めているのでなければ、その仕事は成り立つものではない。

人びとが街で手軽に靴を磨きたいと思えばこそ、靴磨きの商売も成り立つので、さもなければ靴磨きの仕事は生まれもしないであろう。

 だから、自分の仕事は、自分がやっている自分の仕事だと思うのはとんでもないことで、ほんとうは世の中にやらせてもらっている世の中の仕事なのである。

 ここに仕事の意義がある。

自分の仕事をああもしたい、こうもしたいと思うのは、その人に熱意があればこそで、まことに結構なことだが、自分の仕事は世の中の仕事であるということを忘れたら、それはとらわれた野心となり小さな自己満足となる。

仕事が伸びるか伸びないかは、世の中がきめてくれる。

世の中の求めのままに、自然に自分の仕事を伸ばしてゆけばよい。

大切なことは、世の中にやらせてもらっているこの仕事を、誠実に謙虚に、そして熱心にやることである。

世の中の求めに、精いっぱいこたえることである。

おたがいに、自分の仕事の意義を忘れたくないものである。




 「道をひらく」 松下幸之助 PHP出版



 

感想


幸之助さんの意識は高く、神さま、守護霊、守護神の位置から人間を観ているような気がします。

だから大げさに言えば、神さまに代って幸之助さんが今回の場合

「仕事について」神様の言葉を述べられている。

幸之助さんは「経営の神さま」と言われているのは

当然のことであり、自然の姿なのかもしれません。

だから、肉体人間の意識、目線になってしまっている私たちにとって

ハッとするようなことが書かれています。

世の中のために、役にたっていない仕事は

仕事ではない

意識が世の中に向いていないと

それは野心であり、自己中の

ただの金儲けだ!

そうおっしゃっておられるような気がします。


今、いろんな仕事がはびこっていますよね。

私たちがこれからやろうとしていること

やっていることって

どうなんだろう?

世の中から必要とされているものなのだろうか?

これから必要とされるようになるものなのだろうか?

しばし立ち止まって

 “熟考” してみる必要があると思うのです。



    

天命が与えられている 2

  

  
自分の生命は一体どこからきたのか、

それはわからない。

そのわからないということを素直に認め、その不可思議の存在を素直に肯定して、その不可思議力(神)の一つの生命としての自分が、この世にあることを知らねばなりません。

わからないのに、わかったような顔をすることこそ、人間の堕落の第一歩なのです。

わからないと正直に自分が認めた時が神を知る第一段階であり、そこから自己の天命がわかってくるのです。

神様が自分をこの世に出して下さった以上、必ずなんらかの使命があるのに違いないと信じることは、神の存在を信じ得る者の容易に肯定し得ることです。


全知全能の神が、一人の人間でも誤ってこの世に生むことはないからであります。





  

       「日々の祈り」 五井昌久  白光出版



 

感想

最後の文章


全知全能の神が、一人の人間でも誤ってこの世に生むことはないからであります。

が特に響きます。

この言葉は

「自分なんて生まれて来なければよかった」

と自暴自棄になっている人、真理を知らない人にとって

自分の存在を認めてくれる最高の愛の言霊(ことだま)だと思うのです。

肉体人間の親は本当の親ではなく

神様が本当の、真実の親であることがわかります。

人間は、“神の子” だからです。


  
 
  

天命が与えられている 1

  
  
  
宇宙人が地球人を観て、

「幼いなぁ(精神的に)」

と思っていることとは

知ったかぶりだと思うのです(笑)。

なんにもわかっていないくせに

わかったような顔をしたり態度をとったりしている。

宇宙のことで人間がわかっていることって

広大な砂漠の一粒の砂にも満たない

と言われています。

だから知らないことだらけ

わからないことだらけなのです。

そして、知識として知っていることも

自分が開発して

得た知識ではなく

ほとんどが人の受け売りですよね。

真理とは

宇宙の摂理のことだけど

簡単に言えば

自分は何者なのか?

どこから来てどこへ行こうとしているのか?

なんのために生まれてきたのか?

このことが根本だと思うのです。

それがわかっていないと

私たちは

ただ

生きているだけ です。

自分や人間、そしてすべての生きとし生けるもの、自然を創ったのは、神さま と言われているけど

神さまっていったい

何?

それすらもハッキリとわかっていない

だから私たちは

人間は馬鹿です、わかりません

どなたかは知りませんが

どうか教えてください

と謙虚になればいいのです。


そうしてプライドとか、知ったかぶりとか

余計なものを捨て去ったとき

神さまと言われる人が

「よし、愛い奴(かわいいやつ)」

「では、教えてやろう」

と直観で教えてくださるようになるのだと思います。

次の日記で、「天命」について

五井先生の文章をご紹介します。

私たちには、必ず天命を持って生まれて来ています。


天命とは神さまから与えられたミッションです。

  
天(宇宙)からのミッション(使命)を知れば、大きな、大きな、グローバルな生き方が出来るようになると思うのです。



  

2012年5月29日 (火)

人間の本質

  
  
人間は根本として、一なる神より分けられたる生命体であります。

動植物、鉱物等もすべて一なる生命の働きを根本にしているわけでありますが、人間は神の生命の働きを、自己自身が自由に使いわけ得る能力を与えられていて、自己の運命を自己自身が自由に創り得る存在者なのであり、本来神の被造物ではなくして、神自身の能力を内部に持った神の子なのであります。

ですから人間自身が欲するならば、神のみ心の内奥までも探り得るし、神と一体なる心境にまで到達でき得る者なのですが、現在では、そうした心境まで到達した人々はごくわずかでありまして、

大半は神と動物、自由者と被造者との混合者としてこの世に生きているのであります。







       「日々の祈り」 五井昌久 白光出版



 

 
感想

短い文章にもの凄いことが書かれていますよね。

人間というものを宇宙という観点から観るとこういう文章になるのですね。

人間とは、神と動物(被造物)との間の存在である。

人(霊止)は神そのものであり、人間は混合者である。

だから人と人間とは違うのです。

人(霊止)は霊=神が宿ったという意味なので神そのものなのです。

人間とは、まだそこまでの境地(心境、悟り)に達していない人たちのことです。

だから人間も近い将来に本当の 人(霊止) となる。

自分は人間ではない

人(霊止)なんだ!

神そのものなんだ!

と思ってくださいね。




我即神也

人類即神也

人即神也


 世界人類が平和でありますように



  

 
  

法然、親鸞の教え方


     
人間という者は欲望をなくせ、といわれても、なかなかなくせるものでなく、恐怖するな、怒るな、哀しむな、執着するな、といわれても、その性情が容易なことでなおせるものではありません。

法然、親鸞は、そうした性情をなおせなどとは少しもいいません。

私たちもあなた方も、そうした肉体人間の想念感情においては、同じことなのだ、そのような想念はどうでもよい、怒ったら怒ったまま、泣いたら泣いたまま、ただひたすらに南無阿弥陀仏と称名さえすれば、あなたがたは、極楽浄土に救われてゆくのだ、と教えているのです。


これは法然、親鸞が肉体想念(業生)と本心(仏心)とをはっきり区別して知っていたことを現わしています。





 

      「日々の祈り」 五井昌久  白光出版



 

感想


法然さんといえば、浄土宗を開いた偉いお坊さんですが、とてつもなく厳しい修行をして得たことというのは

「人間(肉体の)というのは馬鹿でどうしようもない、このままでは絶対に幸せにはなれない(悟れない)」

ということが心の底からわかったのです。

心の底からわかるということは、そこで信念が生まれたのですね。

誰がなにを言おうと自分は絶対に絶対にそう思うのだ!

という確信、揺るぎない気持ちとでもいうのでしょうか?

私たちはまだそこまで達観していないのですが

悟った人というのは達観した時点で

宇宙とつながっているのです。

突き抜けているんですね。

私たちと聖者との違いはこれだけなのです。

突き抜けているか?

まだいないか?

たったそれだけです。

そこで法然さんはなにがわかったかというと

ほとんどの人は業想念(人の想いやマイナスの想念)と本心をごちゃまぜにしている。そしてそのごちゃまぜになっている自分を自分だと思い込んでいるということです。

ごちゃまぜの人間は馬鹿なんですね。

でも、神界(天国、宇宙)にいる本当の自分は仏様であり神様である。

このお馬鹿ちゃんの心と神様の心の区別がついたということなんです。

人間はいつかは、この区別がつくようになる。

今はわかっていない時期なんだ

だからお馬鹿ちゃんの人間を責めていないのです。

「わかっていないからしかたがないじゃないか」

これは真理なのです。

このことが本当に

心の底からわかったとき

人間は

自分も他人も赦すことができるのです。



  


   

もっと楽に生きなさい(法然、親鸞の教え方)

   
 

私たち人間、とくに日本人はどうも真面目過ぎるようです(笑)。

という私も真面目と言えば真面目

生真面目なんて言われたことがあります。

ところで悟った人というのはどういうことがわかったかというと

「人間よ、そんなに苦しむな、考え方一つでいくらでも楽に楽しく生きられるのに」

と言ってくださっているのです。

人間は苦しまなくてもいいのに

勝手に苦しんでいる。

それは、私が特に最近感じていることです。

どうして勝手に苦しんでいるか?

それは、自分というもの

人間というものがわかっていないからなのです。

わかってしまえば

「な~んだそうだったのか?」

「つまらないことで悩んで損した」

ということになるのですが

だから真理(ほんとうのこと)を学ぶのはとても大切なことなのです。

でも昔からお釈迦様やキリスト、その他の聖者、賢者たちは

真理を説いてきましたよね。

でも、なかなかその真意は伝わらなかった?

一部の人にしか理解出来なかった

それは何故か?

時期ではなかったのでしょうね。

そして

今の時代はどうなのか?

かなり伝わりやすくなっていると思います。

地球の波動(エネルギー)が細かくなって

気づきやすくなっているのです。

だからこれから私が抜粋するある文章も

ピーンと来る人わーい(嬉しい顔)電球

がきっといるに違いない!

そう確信するのです。

あっ前置きが長くなりましたね。

では次の日記で本文を書いていきます。




  

転んでも

  

  
 
「七転び八起き」 ということわざがある。

何度失敗しても、これに屈せずふるい立つ姿をいったものである。

人生は長い。 世の中はひろい。 だから失敗もする。 悲観もする。

そんなとき、このことわざはありがたい。

だが、七回転んでも八度目に起きればよい、などと呑気に考えるならば、これはいささか愚である。

一度転んで気がつかなければ、七度転んでも同じこと。

一度で気のつく人間になりたい。

そのためには、「転んでもただお起きぬ」 心がまえが大切。

このことわざは、意地きたないことの代名詞のように使われているが、先哲諸聖(せんてつしょせい)の中で、転んでそこに悟りをひらいた人は数多くある。

転んでそこに悟りをひらいた人は数多くある。

転んでもただ起きなかったのである。

意地きたないのではない。

真剣だったのである。

失敗することを恐れるよりも、真剣でないことを恐れたほうがいい。

真剣ならば、たとえ失敗しても、ただ起きぬだけの充分な心がまえができてくる。

おたがいに 「転んでもただ起きぬ」 よう真剣になりたいものである。







         「道をひらく」 松下幸之助 PHP出版






 

感想

幸之助さんの言葉は、ほんとに深いです。

真剣に生きるというのは、一生懸命に生きるということ

一生懸命とは、いのちを懸けて集中をするということ

一点に集中すると

そこは本当の世界、神界、宇宙

そして本当の自分の住んでる世界(自分だけの宇宙)

につながってゆくのです。



するといろんなものが観えてくる。

宇宙と繋がると、宇宙と一体となると

そこにすべてのものが入っている。

今までわからなかったことが

突然、閃いて わーい(嬉しい顔) 電球

「わかった」 という瞬間を迎える。

これほど嬉しい至福のときはないのです。



だがしかし、わかったつもりになっても

今度は次から次へと

わからないことがやって来る・・・・・。


その繰り返しが

人間の進化なのです。

「人間とは無限次元に進化し続ける存在なのです」

とは、私のメンターがおしゃっておられた言葉ですが

人間とは永遠のいのちを生きているのです。

何万光年、何億光年と生き続けているのです。

その中でいろんな経験をしながら進化してゆく

悠長でもあるし時間が気が遠くなるほどあるのだけれど


そこには、一切の甘えは無い


宇宙は進化し続けているからなんですね。

後退は、宇宙にはないのです。

もちろん私たち人間も


真剣に生きるとは

辛そうにも思えるけど

「真剣に生きなければ」

「真剣にやらなければ」

全然、楽しくないし

面白くもない


私はそう思います。


だったら

「休みたい」とか

「この辺でいいだろう」

と思いがちになるのだけれど


休憩は、ほどほどにして

自分へのご褒美程度に置いといて

すぐにふんどし?

を締めなおそうと

思う

今日、このごろなのです。
わーい(嬉しい顔)



 世界人類が平和でありますように ぴかぴか(新しい)

 無限なる愛

 無限なる調和

 無限なる平和




  

2012年5月26日 (土)

ちょっといい話

  

今、待ちに待った新刊、「怒らない技術2」を読んでいるのですが、初本の「怒らない技術」に勝るとも劣らない素晴らしい内容です。

初本が売れたから、第2弾も出してみようか?などといい加減な本ではない!

著者である嶋津良智さんの奥の深さ、懐の深さを感じます。

まだ、読み始めたところで全部は読み切っていないのですが、私が感動した箇所を本文から抜粋します。

怒ること、不機嫌でいることがいかに愚かなことか?そして人と人との素晴らしい出会いが書かれています。

私にとって“ちょっといい話”なのでご紹介します。




本文


起業して、しばらくした頃、思うような業績が上げられず悩んでいた時期がありました。

社内を見渡しても、社員はどことなく元気がなく、活気が感じられませんでした。

私はぶらりと会社を出て、渋谷の喫茶店で

「これからどうしようか」 と考えました。

どうすれば業績が上がるのか、社員を元気づけるにはどうしたらいいのか。

いろいろと考えたのですが、解決策はまったく思い浮かびません。

結局、なんの実りのないまま喫茶店を出て、駅の階段を歩いているとき、

「嶋津社長!」 と知り合いの女性から声をかけられました。

「おう、久しぶり」 と挨拶をし、二人でちょっとお茶を飲んだのですが、そのとき私は相当参っていたらしく、その女性に

「最近、会社がさぁ・・・・・・」 と悩みを打ち明けました。

正直言えば、慰めてほしかったのです。

ところがその女性は、

「いまの嶋津社長には、誰もついてきませんよ」 とキッパリ言ったのです。

「えっ、どうして?」 思わず聞き返してみると

 「そんないかにも悩んでいます。疲れていますという顔を社長がしていたら、誰だってイヤになりますよ」 と彼女は言いました。

 私はドキッとしました。

たしかに、私は悩みだらけの疲れ切った顔をして、髪の毛もボサボサだったのです。

「そうか、まずは自分が元気な顔をしなければ、会社は元気にならない。部下たちは自分を映す鏡なんだ」

私はコンビニでムースとブラシを買い、髪の毛をビシッと整え、さっそうと会社に戻り、大声で

 「お疲れさま!」 と挨拶しました。

それだけのことなのですが、不思議なことに社員たちも少しずつ活気を取り戻し、業績はもち直していきました。



このときほど、「周りを変えたければ、まず自分が変われ」 という言葉の重さを意識したことはありません。


そのことに気づかせてくれた彼女には、いまでもとても感謝しています。

じつは、その女性こそが妻なのです。

何かあるたびに、私はこのことを思い出します。

すると、たいていのイライラは収まっていきます。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


  
「怒らない技術 2」  嶋津 良智 フォレスト出版



  
  
  

2012年5月25日 (金)

旗を見る

  
  
射場に行って射撃の練習をすると、遠い標的の下に監視の人がいて、発射のたびに旗を振ってくれる。

その旗の振りぐあいで、ねらいが的を射たか、はずれたか、また右にそれたか左にずれたかが、一目でわかり、次のねらいを修正する。

こんなことをくりかえして、しだいにしだに上達するわけで、もしこの旗を見なかったら、たとえ百万発の射撃をしたところで、それはいわば、闇夜の盲射ちにも等しくて、ねらいの効果もわからず、何の上達もしないであろう。

考えてみれば、おたがいの毎日の働きについても、実はこんな旗がたくさん振られているのである。

その中には、たとえば数字という形で、目に見えてくるものもある。

しかし、目には見えない旗のほうがはるかに多いであろう。

その見えない旗をみきわめて、毎日の成果を慎重に検討してゆくところに、仕事の真の成長があり、毎日の尊い累積がある。


おたがいに忙しい日々ではあるけれど、目に見える旗はもちろんのこと、目に見えない旗をも、よく見きわめるだけの心がけを、つねにきびしく養っておきたいものである。




   「道をひらく」 松下幸之助 PHP出版



 

感想

幸之助さんのこの文章を読んで旗を何に例えるか?

人それぞれだと思います。

ツイッターをやっていたら、アフリエイトであるとかネットビジネスをやっているだとか、儲け話がありますよだとかいきなり、鉄砲?ピストル?を撃ってくる人がなんと多いことか(笑)。


批判するわけはないけれど、数を打てば当たるというものでもないだろう。

おそらく、一発一発を大切にしないで

どこに飛んだのか?

どの辺に飛んだのか?

惜しかったのか?

全然ダメだったのか?

これからどうしたらいいのか?

なんて何~にも考えていないと思うのです。

話に出てくる旗を見ていないと思うのです。

こんないい加減な人に

自分の貴重な時間を割こうを思うか?

信用しようと思うか

ですよね。

時間はかかるかもしれない

でも、毎日毎日地道な事をやっていき

自分の信じることをコツコツと続けて

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

そうすればいつかは必ずわかってくれる人が出てくる

それもただ続けるだけではなく

どうすれば通ずるか?

日々、工夫、改善、創造、進化させてゆく

そこに面白さ、自分なりの楽しさがあると思うのです。

放った矢がどこに刺さっているのか?

しっかりと現実を見きわめていきたいと思います(笑)。 射手座  目


  

2012年5月24日 (木)

怒りは脳の老化現象

  
  
私の父は、現在79歳、身体は元気なのですが、最近、認知症?気味、そして怒りっぽくなっています。

認知症は、各個人いろんな症状が出るそうですが、共通して言える大切なことは

「家族の理解」

「家族があたたかく見守る」

ではないでしょうか?

お年寄りの怒りはどういうところから来ているのか?

それを知りたがっていたのですが今読んでいる

「怒らない技術」嶋津良智著にこんなことが書いてありました。

やっぱりみんな心が寂しいんですね。





怒りは脳の老化現象


心の老化が怒りの原因になっていることもあります。

年をとったおじいちゃん、おばあちゃんと接していると、以前よりもひがみっぽくなった、話がしつこくなったと感じることがあります。

 おそらくそれは、年をとった自分に関心を寄せてくれないことに対するさびしさではないかと思います。

 年老いた自分の存在価値の希薄感もあるでしょう。

仕事を離れてしまったさびしさもあるでしょう。

一生懸命話しているのに相手が話を聞いてくれないというさびしさもあるでしょう。

おじいちゃん、おばあちゃんなりの心のメッセージのような気がするんです。

たとえば、不平や不満ばかり漏らしている人や、ストレスや悩み事を抱えている人などは実際の年齢より老けて見えるものです。

逆に健康で、いつも笑っている人や、物事に興味を持っている、あるいは趣味を持っている人はイキイキとして若く見えます。

このように感情や思考によって大きな違いが出てくるものです。

つまり、心の老化とは、喜怒哀楽などの情動が低下し、意欲や気力が低下することをいうのではないでしょうか。

くどくなる、怒りっぽくなる、涙もろくなる、なぜか不安になる、ひがみっぽくなる、病気が必要以上に気になる、など心当たりがあったら、もっとリラックスさせることに努めてみると良いかもしれません。





      「怒らない技術」 嶋津良智 フォレスト出版



  


2012年5月23日 (水)

しかも早く

   
ものごとを、ていねいに、念入りに、点検しつくしたうえにもさらに点検して、万全のスキなく仕上げるということは、これはいかなる場合も大事である。

小事をおろそかにして、大事はなしとげられない。

どんな小事にでも、いつも綿密にして念入りな心くばりが求められるのである。

しかし、ものごとを念入りにやったがために、それだけよけいに時間がかかったというのでは、これはほんとうに事を成したとはいえないであろう。

むかしの名人芸では、時は二の次、それよりも万全のスキなき仕上げを誇ったのである。

徳川時代の悠長な時代ならば、それも心のこもったものとして、人から喜ばれもしようが、今日は、時は金なりの時代である。

一刻一秒が尊いのである。

だから念入りな心くばりがあって、しかもそれが今までよりもさらに早くできるというのでなければ、ほんとうに事をなしたとはいえないし、またほんとうに人に喜ばれもしないのである。

早いけれども雑だというのもいけないし、ていねいだがおそいというのもいけない。

念入りに、しかも早くというのが、今日の名人芸なのである。



 
  
        「道をひらく」 松下幸之助 PHP出版








   
感想

私は雑なところがあって、一度やったことを見直すということを怠ったことがありました。

当然、見落としがあって、後で慌てることになります。

ちょっとの点検という作業をすれば、完全になって自分でも自信を持って

「大丈夫だ、間違いない」

といえるのに

今思えば、なぜ、あんなにいい加減だったんだろう?と恥ずかしくなります。

早くて念入り・・・これは仕事に限らず、とても大切なことだと思うのです。

それは自分は急いでいなくても、相手の人はほとんどの場合、

「早くしてくれ!」と思っているからです。

メールを返すのも、早ければ早いほど喜ばれます。

それは、相手の人が早く返ってくることで次のことが出来るようになるからです。

心の整理が出来るんですね。

一つかたずけものが終わる。

どうしても早くできないときはしかたがないけれど

出来るだけ早くすることが相手にとっても自分にとっても

善いことは確かなようです。



  


2012年5月22日 (火)

善かれと思って


   
策略があって、作為的になにかをするって気持ちの悪いものです。

「あの人はああだからこういうふうに言って、そうすればこうなるだろう」

なんて考えるだけでも面倒です(笑)。

そんなこと考えなくたって、自分がスッキリしていて、天のおもむくまま、自然体で生きれたら最高だと思うのです。

作為的に生きることと、考えることは違います。

でも、考え過ぎてしまうと

どうしても計算が入ります。

頭でごちゃごちゃといらない計算(勘定)をしてしまうのです。

そして勘定がいつしか感情を生み出してしまう。

「あの人はなにを考えているかわからない」

そういうふうには絶対になりたくない

他人から見ても、自分の心を顧みても

スッキリ、爽やか

そうありたいものですね。

長くなりましたが

松下幸之助さんの「道を開くから」

「善かれと思って」

ご紹介します。





 

善かれと思って


善かれと思って、はからったことが、善かれと思ったようにならなくて、思いもかけぬ反対の結果を生み出すことがしばしばある。

思いが足りないのか、はからいが足りないのか、それにはいろいろ原因があるのだろうが、よくよく考えてみれば、やっぱりそこには、何らかの策を弄したという跡が目にうつるのである。

善意の策も悪意の策も、策は所詮策にすぎない。

悪意の策は、もちろんいけないけれども、しかしたとえ善意に基づく策であっても、それが策を弄し、策に堕するかぎりは、悪意の策と同じくまた決して好ましい姿とは言えないであろう。

つまり、何ごとにおいても策なしというのがいちばんいいのである。

無策の策といってしまえば平凡だけれども、策なしということの真意を正しく体得して、はからいを越え、思いを越えて、それを自然の姿でふるまいにあらわすには、それだけのいわば悟りと修練がいるのではなかろうか。

おたがいに事多き日々、思いもかけぬ悩む前に、時にはこの策なしの境地というものに思いをめぐらせ、心静かに反省してみたいと思うのである。





  
         「道をひらく」 松下幸之助 PHP




  

2012年5月21日 (月)

マハトマ・ガンディー

  
 
明日、死ぬと思って生きなさい。

永遠に生きると思って学びなさい。

幸せとは、あなたが考えることと、あなたが言うことと、あなたがすることの、調和が取れている状態である。

… 重要なのは行為そのものであって、結果ではない。

行為が実を結ぶかどうかは、自分ではどうなるものではなく、生きているうちにわかるとも限らない。

だが、正しいと信じることを行いなさい。結果がどう出るにせよ、何もしなければ、何の結果もないのだ。(マハトマ・ガンディー)
 

  




感想

素晴らしい! 真理を説いている人の言葉はそれだけで心が洗われるようです。


  


  

あぶない話

  
  
失敗するよりも成功したほうがよい。

これはあたりまえの話。

三べん事を画して、三べんとも成功したら、これはちょっと危険である。

そこからその人に自信が生まれ確信が生じて、それがやがては

「俺にまかせておけ」 と胸をたたくようになったら、もう手がつけようがない。

謙虚さがなくなって他人の意見も耳にはいらぬ。

こんな危険なことはない。

もちろん自信は必要である。

自信がなくて事を画するようなら、はじめからやらないほうがよい。

しかしこの自信も、みな一応のもので、絶対のものではない。

世の中に絶対の確信なんぞ、ありうるはずがないし、持ちうるはずもない。

みな一応のものである。

みな仮のものである。

これさえ忘れなければ、いつも謙虚さが失われないし、人の意見も素直に聞ける。

だが、人間というものは、なかなかそうはゆかない。

ちょっとした成功にも、たやすく絶対の自信を持ちたがる。

 だから、どんなえらい人でも、三度に一度は失敗したほうが身のためになりそうである。


そしてその失敗を、謙虚さに生まれかわらせたほうが、人間が伸びる。

失敗の連続もかなわないが、成功の連続もあぶない話である。




 

 「運命をひらく」 松下幸之助  PHP出版




 

感想

失敗の連続も成功の連続も人間にとって良いことではない。

だったら失敗も成功もそれそのものはあまり気にしないでいいことなのかもしれない。

だが、人間は失敗に対し、過剰に反応する。

大学の試験に落ちることを失敗という。

事業の失敗も日本では立ち直ることは難しい。

結婚の失敗はまだ昔に比べて大らかになってはきたが、やはり失敗(ばつ一とか)という言い方をする。

「失敗を恐れるよりもチャレンジをしないことを恐れるべきだ」

は名言だと思うのです。

自分が傷つき、ダメージを受けることにナーバス(神経質)になり過ぎている。

以前書いた日記で中国人と日本人の性質の比較をしましたが

日本男児(にっぽんだんじ、古い言い方ですね~)は、少々ひ弱になってしまったようです。

本人もそうですが、周りももっと長~い目で 目 

見てあげて欲しいのです。

失敗しても

「お前なら大丈夫、次はきっとうまくいくさ、次、頑張ろう!」

と言ってあげて欲しいのです。

私は少なくとも

そういう人でありたいと思っています。


  

あなたは何のために生きていますか?

    
  
二人の靴の営業マンがいました。

二人は、会社に命じられて、まったく靴を履く習慣のなかったアフリカのある地方にやってきました。

1人目の営業マンは誰も靴を履いていないのを見て、

「こんな場所で靴が売れる訳がない」と怒って、帰ってしまいました。

「よく調査もしないで、こんなところに出張させるなんて、上司はいったい何を考えているんだ」と怒り狂いました。

ところが二人目に営業マンは、

「オレは誰も履いていないマーケットを発見した。これは爆発的に売れる」と喜び、本社から数百足の靴を送ってもらい、売り歩いたのです。

靴は飛ぶように売れました。

結局、靴を履いていない人たちを見たときに、それをどう考えたかという営業マン二人の考え方が成果を大きく変えたのです。




 
 

感想

まったく同じ状況なのにそれを幸せに感じる人と不幸に感じる人がいる。

不幸な人とは、その状況ではなく(外)、心の内に不幸のタネが宿っているんですね。

つまり心の持ち方、考え方、捉え方で全然違ってくる。

自分が相手に対して、何か失礼なことをしてしまったとする。

そしてそれによって相手が激怒する。

しかし、なんでもなかったように笑っている人もいる。

私たちはそのとき、どうするか?

怒っている人には、謝り

笑っている人には そのままにしておく(笑)。

そうですよね。

でも本当はそうではなく

どちらの人に対しても

「ごめんなさい、失礼なことをしてしまいました」

と謝る。

そして、謝った後で相手の人の怒りが治まらず

許してくれなかったとしたら

どうするか?

それはもう相手の人の心の内の問題です。

その人自身の問題です。

私たちが介入してはいけないのです。

謝った後は

「もうしまい、これから気を付けよう」

それであっさりとしていればいい

相手の顔色をずっと見ているのは

違うのです。

最近、「そうなんだ」

と確信を持てるようになりました。

そして、以前より、ずっと楽に過ごせるようになりました。わーい(嬉しい顔)


  

二人の営業マン



  
二人の靴の営業マンがいました。

二人は、会社に命じられて、まったく靴を履く習慣のなかったアフリカのある地方にやってきました。

1人目の営業マンは誰も靴を履いていないのを見て、

「こんな場所で靴が売れる訳がない」と怒って、帰ってしまいました。

「よく調査もしないで、こんなところに出張させるなんて、上司はいったい何を考えているんだ」と怒り狂いました。

ところが二人目に営業マンは、

「オレは誰も履いていないマーケットを発見した。これは爆発的に売れる」と喜び、本社から数百足の靴を送ってもらい、売り歩いたのです。

靴は飛ぶように売れました。

結局、靴を履いていない人たちを見たときに、それをどう考えたかという営業マン二人の考え方が成果を大きく変えたのです。




 

感想

まったく同じ状況なのにそれを幸せに感じる人と不幸に感じる人がいる。

不幸な人とは、その状況ではなく(外)、心の内に不幸のタネが宿っているんですね。

つまり心の持ち方、考え方、捉え方で全然違ってくる。

自分が相手に対して、何か失礼なことをしてしまったとする。

そしてそれによって相手が激怒する。

しかし、なんでもなかったように笑っている人もいる。

私たちはそのとき、どうするか?

怒っている人には、謝り

笑っている人には そのままにしておく(笑)。

そうですよね。

でも本当はそうではなく

どちらの人に対しても

「ごめんなさい、失礼なことをしてしまいました」

と謝る。

そして、謝った後で相手の人の怒りが治まらず

許してくれなかったとしたら

どうするか?

それはもう相手の人の心の内の問題です。

その人自身の問題です。

私たちが介入してはいけないのです。

謝った後は

「もうしまい、これから気を付けよう」

それであっさりとしていればいい

相手の顔色をずっと見ているのは

違うのです。

最近、「そうなんだ」

と確信を持てるようになりました。

そして、以前より、ずっと楽に過ごせるようになりました。わーい(嬉しい顔)



  

2012年5月19日 (土)

心配またよし


 
何の心配もなく、何の憂いもなく、何の恐れもないということになれば、この世の中はまことに安泰、きわめて結構なことであるが、実際はそうは問屋が卸さない。

人生つねに何かの心配があり、憂いがあり、恐れがある。

しかし本当は、それらのいわば人生の脅威ともいうべきものを懸命にそしてひたすらに乗り切って、刻々と事なきを得てゆくというところに、人間としての大きな生きがいをおぼえ、人生の深い味わいを感じるということが大事なのである。

この心がまえがなければ、この世の中はまことに呪わしく、人生はただいたずらに暗黒ということになってしまう。

憂事の直面しても、これを恐れてはならない。 

しりごみしてはならない。

“心配またよし” である。

心配や憂いは新しくものを考え出す一つの転機ではないか、そう思い直して、正々堂々とこれと取り組む。

力をしぼる。 知恵をしぼる。

するとそこから必ず、思いもかけぬ新しいものが生み出されてくるのである。

新しい道がひらけてくるのである。

まことに不思議なことだが、この不思議さがあればこそ、人の世の味わいは限りもなく深いといえよう。




              「道をひらく」 松下幸之助  PHP



感想


周りの人がみんな善い人ばかりで、お金のことや物質的なこと、健康的なこともな~んにも心配事もない。

そんな状況、状態ってどうなんでしょうか?(笑)


私だったら多分、面白くなくて、自分から旅に出る?

刺激を求めてなにか デンジャラス(危険な)ところに冒険?をしに行くかもしれません。

だから私が今やっていることって結構冒険的な要素があるようにも思うのです。

今の環境と違った環境って

考えられない

みなさんもそうではないですか?

そうでないと自分が自分でなくなってしまう

そう思うのです。


だったらこの環境に本心は、潜在意識(奥深くに居る自分は)では満足しているのです。



だからもっと楽しめばいい

ゲーム感覚で・・・・・。

どうやってクリア(乗り越えて)して行こうか?

そう考えると

なんだかワクワクしてきませんか? わーい(嬉しい顔)

  

日に三転す

  

  
この宇宙に存在するものは、すべて瞬々刻々に動いている。

万物流転、きのうの姿は、もはやそのままできょう存在しないし、一瞬一瞬にその姿を変えつつある。

いいかえれば、これはすなわち日に新たということで、日に新たな生成発展と
いうことが、この宇宙の大原則であるといえよう。

人間もまたこの大原則のなかに生かされている。

きのうの姿はきょうはない。刻々に移り変わって、刻々に新たな姿が生み出されてくる。

そこにまた人間の生成発展がある。

人の考えもまた同じ。

古人は 「君子は日に三転す」 と教えた。

一日に三度も考えが変わるということは、すなわちそれだけ新たなものを見いだし、生み出しているからこそで、これこそ君子なりというわけである。

日に一転もしないようではいけないというのである。

おたがいにともすれば、変わることにおそれを持ち、変えることに不安を持つ。

これも人間の一面であろうが、しかしそれはすでに何かにとらわれた姿ではあるまいか。

一転二転は進歩の姿、さらに日に三転よし、四転よし、そこにこそ生成発展があると観ずるのも一つの見方ではなかろうか。






        「道をひらく」 松下幸之助 PHP







感想


この話は、迷ってとか、どっちが得か損で考えて二転、三転することとは違うんですよね(笑)。

私たちは、迷っているときって、たいがい、損得で物ごとを考えている。

そんなときって疲れます。

自分で自分が嫌になる。

頭がスッキリしていたら、ニュートラルな気持ちでいたなら迷うことはないのに、どこかでモヤモヤが溜まっているんでしょう。

だからその雲のようなモヤに考えていることが重なってなおのこと

「あーでもない、こーでもない」 って堂々巡りを繰り返しているのです。

・・・・・・。

ここに書いてあることってそんな次元ではないですよね。

宇宙法則に照らし合わせ

どうすれば地球にとって

人類、人間にとって何が最適かで取捨選択しているのです。

それはちょっとおおげさかもしれないけど

範囲を狭めてみても

自分を取り巻く、人のこと、周りのことまで心を配らないと

この世は調和していくことなんて出来ません。

調和していくために

考えが二転三転するのです。

だから考えが変わったとしても

自分の欲、我から出たものではないので

信念があるのです。

「あの人は言うことがよく変わる、信用出来ない!」

と言われても

「これは私の私心から出たものではない」

「天からのメッセージなんだ!」

とスッキリとした気持ちで言えたなら最高ですよね!

だからいつもスッキリ爽やかでいたいと思うのです。


私はスッキリ爽やかになるために調和波動気功法を実践しているのです。

 


調和波動気功法 

http://homepage2.nifty.com/hmwave_goldendoor/


  
  

2012年5月18日 (金)

長所と短所

  
  
  
この世の中は持ちつ持たれつ、人と人とお協同生活によって、仕事が成り立っている。 暮らしが成り立っている。

この協同生活を円滑に進めるためには、いろいろの心くばりが必要だけれども、なかでも大事なことは、おたがいにまわりの人の長所と欠点とを、素直な心でよく理解しておくということである。

そして、長所を、できるかぎり発揮させてあげるように、またその短所をできるかぎり補ってあげるように、暖かい心で最善の心くばりをするということである。

肉体人間は神さまではないのだから、全知全能を人間に求めるのは愚の限りである。

人に求めるほうも愚なら、いささかのうぬぼれにみずから心おごる姿も、また愚である。

人を助けて己の仕事が成り立ち、また人に助けられて己の仕事が円滑に運んでいるのである。

この理解と心くばりがなければ、百万の人も単につのつき合わした烏合の衆(うごうのしゅう)にすぎないであろう。

長所と短所と ━ それは人間のいわば一つの宿命である。

その宿命を繁栄に結びつけるのも貧困に結びつけるのも、つまりはおたがいの心くばり一つにかかっているのではなかろうか。





       「道をひらく」 松下幸之助 PHP






感想

人間が愚かな生きものだとつくづく思うのは、人や自分の欠点ばかりに目や意識がいってしまうということですよね。

探せばいいところがあるのに、そこを見ようとしない。

自分も他人もほめられ、認められたがっているのに自分で自分をほめたりもしないし、認めてやることもほとんどしていない。

ものすごく頑張って、結果が出たときだけ

「自分で自分をほめてあげたいです」(マラソンの有森裕子さん)という心境になるくらいです。

そのとき以外は、ずっと欠点、マイナスをみていることの方が多いですよね。

これでは、いくらなんでも自分がかわいそうです。

人をほめたり、認めたりする前に

自分で自分をほめる、認める、癒すことをしないと他人も同じように接することなんて出来ません。

自分に厳しくすればするほど、厳しい状況になればなるほど

「お前はよくやっているなぁ、こんなこと他の人では出来ないよ、お前だからこそ、乗り越えられるんだ、すごい、流石だ!」

と心の中で言ってあげればいいのです。

本当に認めて欲しいのは

他人ではないのかもしれません。

自分で自分のことを認めてあげることは最上の喜びなのです。

自分でしか自分を癒すことは出来ない・・・・・。

私は、そう思うのです。


  


病を味わう

  
  
病気になってそれがなおって、なおって息災を喜ぶうちにまた病気になって、ともかくも一切病気なしの人生というものは、なかなか望みえない。

軽重のちがいはあれ、日とはその一生に何回か病の床に臥すのである。

5回の人もあろう。10回の人もあろう。あるいは20回、30回の人もあるかもしれない。

親の心配に包まれた幼い時の病から、不安と焦燥に悶々とする明け暮れに至るまで、人はいくたびか病の峠を越えてゆく。

だがしかし、人間にとって所詮死は一回。

あとにも先にも一回きり。

とすれば、何回病気をしようとも、死につながる病というもの一回きり。

あとの何回かは、これもまた人生の一つの試練と観じられようか。

いつの時の病が死につながるのか、それは寿命にまかすとして、こんどの病気もまた人生の一つの試練なりと観ずれば、そこにまたおのずから心もひらけ、医薬の効果も、さらにこれが生かされて、回復への道も早まるであろう。

病を味わう心を養いたいのである。

そして病を大事に大切に養いたいのである。




         「道をひらく」 松下幸之助 PHP





  
感想

幸之助さんは、生涯健康で過ごされたわけでもなく、幼少の頃から病気がちだったそうです。

小学校しか行っていなかった、体も弱かった。 だから健康でなくても生きていく術を必死で考えたのです。

そして経営者として大成功をおさめた。

成功した人って考え方が独特ですよね。

私がびっくりしたのは、

「何回病気をしようとも、死につながる病というもの一回きり。

あとの何回かは、これもまた人生の一つの試練と観じられようか」

の箇所です。

「どんなことがあろうと命まで取られることはない」

私たちは深刻になりそうになったとき

よくこの言葉を使って自分を慰めたり、また相手に言ったりします。

そして、ちょっとホッとするんですよね。コーヒー

それと同じように、どんなに重たい病気でも

死に至らない限り、治るときが来る。

そして、ずっとのちには

「あの頃は、病気をして大変だったけど、乗り越えたことによって自分も強くなったし、病気の人の気持ちもわかるようになった、あれはあれでよかったんだよなぁ」

と回想するのです。(私も何回も大病してきました)

しかし、病気の渦中にいる人はそんな余裕はないかもしれません。


でもあえて、心のどこかで余裕というか

焦らない、どうにかしようとする気持ちを穏やかにもってゆく

術(すべ)、知恵?のようなものがいるように思うのです。

それは人それぞれ違うと思いますが・・・・・・・。



  


2012年5月17日 (木)

働き方のくふう

  
  
額に汗して働く姿は尊い。

だがいつまでも額に汗して働くのは知恵のない話である。

それは東海道を、汽車にも乗らず、やはり昔と同じようにテクテク歩いている姿に等しい。

東海道五十三次も徒歩から駕籠へ、駕籠から汽車へ、そして汽車から飛行機へと、日を追って進みつつある。

それは、日とともに、人の額の汗が少なくなる姿である。

そしてそこに、人間生活の進歩の跡が見られるのではあるまいか。

人より一時間、よけいに働くことは尊い。努力である。勤勉である。

だが、今までよりも一時間少なく働いて、今まで以上の成果をあげることも、また尊い。

そこに人間の働き方の進歩があるのではなかろうか。

それは創意がなくてはできない。

くふうがなくてはできない。

働くことは尊いが、その働きにくふうがほしいのである。

創意がほしいのである。

額に汗することを称えるのもいいが、額に汗のない涼しい姿も称えるべきであろう。

怠けろというのではない。

楽をするくふうをしろというのである。

楽々と働いて、なおすばらしい成果があげられる働き方を、おたがいにもっとくふうしたいというのである。

そこから社会の繁栄も生まれてくるのであろう。




 「道をひらく」 松下幸之助 PHP






 

  
感想

はたらくってはた(まわり)を楽にさせるって意味だと聞いたことがあります。

楽をさせるとは自分が養うことでもあり、昔話ではないけれど、おじいさんは山へ芝刈りに、おばあさんは川へ洗濯に行く。

芝を刈るのも今は電動チェーンで刈っているだろうし、洗濯も川に行かなくても洗濯機を使えば楽に出来る。

問題は余った時間をどう過ごすか? ですよね(笑)。

仕事も家事も楽になって時間がいくらでもあるはずなのに

みんなせかせかしている、以前よりも心のゆとり余裕が無くなってきている。

これは一体どういう事なんでしょうか?

・・・・・・・・・・・

それは時間の使い方がへた?

あるいは間違っていると思うのです。

自分の時間をどう使うか?

どのようにしたら自分にとっても他人にとっても有意義な時間が過ごせるか?

これは個々の問題ですよね。

だからこうしたらいいというのは言えません。

ただ、私はこの本は結構参考になったと思います。

よかったら読んでみてください。本



「ひとり会議」の教科書 山﨑拓巳 サンクチュアリ出版


  

縁あって

  
  
おたがいに、縁あってこの世に生まれてきた。そして、縁あっていろいろの人とつながりを持っている。

縁あって ━ なんだから古めかしいことばのようだけれど、そこにはまた一つの深い味わいがひそんでいるように思える。

人と人とのつながりというものは、とかく人間の個人的な意志でできたと思いやすいもので、だからまたこのつながりは、自分ひとりの考えで、いつでも断てるかのように無造作に考えやすい。

だがほんとうはそうではない。

人と人とのつながりには、実は人間の個人的な意志や希望を越えた、一つの深い縁の力が働いているのである。

男女の縁もまた同じ。

そうとすれば、おたがいにこの世における人と人とのつながりを、もうすこし大事にしてみたい。

もうすこしありがたく考えたい。

不平不満で心を暗くする前に、縁のあったことを謙虚に喜びあい、その喜びの心で、誠意と熱意をもって、おたがいのつながりをさらに強めてゆきたい。

そこから、暗黒を光明に変えるぐらいの、力強い働きが生まれてくるであろう。




   

            「道をひらく」 松下幸之助 PHP




 



 
感想

今、私には、苦手?としている人が何人かいるのですが、幸之助さんのこの文章を読んでいると

今の私をつくってくれているのは

もしかして、この苦手としている人たちなのかもしれないと、ふと、思ったのです。

私は自分でいうのもなんですが、自分のことが好きです。

大好きです。(ちょっと変かな?)

その大好きな私をつくってくれているのは

この人たちなんだって

苦手な人がいるからなんとかしようとする

改善していこうとする

その努力している自分は

結構好きなんです(笑)。

周りの人がいい人ばかりで

改善の余地がないとしたら

面白くないかもしれない。

だからそんなに深刻にならなくていいんですよね。

善い人もいる、悪い人もいる(自分にとって)

だから人間は面白い!

それでいいのだ!

それでいいのだ!


  

サービスする心

 
  
与え与えられるのが、この世の理法である。すなわち、自分の持てるものを他に与えることによって、それにふさわしいものを他から受けるのである。

これで世の中は成り立っている。

だから、多くを得たいと思えば多く与えればよいのであって、充分に与えもしないで、多く受けたいと思うのが、虫のいい考えというもので、こんな人ばかりだと、世の中は繁栄しない。

与えるというのは、わかりやすくいえば、サービスするというである。

自分の持っているもので、世の中の人びとに精いっぱいのサービスをすることである。

頭のいい人は頭で、力のある人は力で、腕のいい人は腕で、優しい人は優しさで、そして学者は学問で、商人は商売で・・・・。

どんな人にでも、探してくれば、その人だけに与えられている尊い天分というものがある。

その天分で、世の中にサービスすればよいのである。

サービスのいい社会は、みんなが多く与え合っている社会で、だからみんなが身も心もゆたかになる。

おたがいに繁栄の社会を生み出すために、自分の持てるもので、精いっぱいのサービスをしあいたいものである。




  
         「道をひらく」 松下幸之助 PHP






 

感想

う~ん、この文章に幸之助さんのいいたいことがほとんど書かれているように思うのです。

それくらい素晴らしい! 心があたたかくなる文章です。

今、「自分には何も出来ない」 「自分は何の役にも立っていない」「私はダメ人間なんだ」

って思い込んでいる人がものすごく増えて来ていると思うのです。

悩みの本質はここにある と感じるほどみんな自分に自信を無くしている。

どうしていいか?わからなくなっている。

でも、なにも難しく考えることはなくて

自分に与えられた“いいところ” を見つけ出して、あるには見つけてもらって

与えられたものを他人に与えていけばいいのだと思うのです。

そのときに自分でくふうをして

与えられたものをより善いものに改善していく。

そうすれば人はもっと喜んでくれる

文章の中で優しい人は優しさでってありましたよね。

そうなんですよね、優しいってだけで

素晴らしい才能だと思うのです。

特に今は、みんなが優しさ、癒しを求めています。

それを商売にしようとするから難しくなる(笑)。

まずは損得勘定を抜きにして

サービスをしてみる

すると自然とお金が入ってくるようになるのです。

だってサービスもエネルギー、お金もエネルギー

エネルギーを与えたらエネルギーが還って来るのです。

だから与える方が先ですよね。

それが宇宙の法則なのです。



無限なる愛

無限なる調和

無限なる平和


  


 

同じ金でも

  

同じ金でも、他人からポンともらった金ならば、ついつい気軽に使ってしまって、いつの間にか雲散霧消(うんざんむしょう)。

金が生きない。

金の値打ちも光らない。

同じ金でも、アセ水たらして得た金ならば、そうたやすくは使えない。

使うとしても真剣である。 慎重である。

だから金の値打ちがそのまま光る。

金は天下のまわりもの。 自分の金といっても、たまたまその時、自分が持っているというだけで、所詮は天下国家の金である。

その金を値打ちもなしに使うということは、いわば天下国家の財宝を意義なく失ったに等しい。

金の値打ちを生かして使うということは、国家社会にたいするおたがい社会人の一つの大きな責任である。 義務である。

そのためには、金はやはり、自分のアセ水をたらして、自分の働きでもうけねばならぬ。

自分のヒタイのアセがにじみ出ていないような金は、もらってはならぬ。

借りてはならぬ。

個人の生活しかり。 事業の経営しかり。 そして国家の運営の上にも、この心がまえが大事であろう。




 
          「道をひらく」 松下幸之助 PHP



 


感想


お金に関しては、いろんな考え方があるけど、私はこの松下さんの思想は好きですね。

今、私の息子は大阪を離れて、東京の大学へ行っているのですが、勉強よりもなによりもお金のことを学んで欲しいのです。

息子の生活は、奨学金、親(私ですが)からの仕送り、自分でバイトをする。

の3本柱で成り立っていますが、生活していく上で、お金に関わらない日は一日たりともないと思うのです。

自分の意思でお金が増えたり減ったりもし、電話、電気、水道料金、家賃などは、意識がある、なしに関わらず常に動いている。

お金もエネルギーなのです。

そして感情は、勘定というようにお金をコントロールしていくことで自分の感情を自在にあやつっていけるようになる。

感情を超えて平常心や不動心になることがとても大切なことだと思うのです。

息子が家に居て、周りに家族が居てはそれが出来にくいです。

ついつい余計なことを言ってしまう(笑)。

自分で考えないといけないことまで心配して言ってしまう。

子もつい金銭的なことで親に頼ってしまう。

“親は無くとも子は育つ”ではなく

親がいない方が子どもは自立出来る

なのかもしれません。

親は子に喜んでもらいがために

余計なお金を渡すことがあるのです。

でもそれは子どもが額にアセして稼いだお金ではありませんよね。

だから親は、意味のない、ゆわれのないお金を渡してはいけないのです。

生きたお金を使う。

ちょっと大げさかもしれないけど

お金を使うのって

ほんと、真剣勝負ですよね。わーい(嬉しい顔)



  

2012年5月16日 (水)

くふうする生活

  

  
とにかく考えてみること、くふうしてみること、そしてやってみること。

失敗すればやりなおせばいい。

やりなおしてダメなら、もう一度くふうし、もう一度やりなおせばいい。

同じことを同じままにいくら繰り返しても、そこには何の進歩もない。

先例におとなしく従うのもいいが、先例を破る新しい方法をくふうすることの方が大切である。

やってみれば、そこに新しいくふうの道もつく。

失敗することを恐れるよりも、生活にくふうのないことを恐れた方がいい。

我々の祖先が、一つ一つくふうを重ねてくれたおかげて、われわれの今日の生活が生まれた。

何気なしに見のがしている暮らしの断片にも、尊いくふうの跡がある。

茶わん一つ、ペン一本も、これをつくづくと眺めてみれば、何というすばらしいくふうであろう。

まさに無から有を生み出すほどの創造である。

 お互いにもう一度考え直そう。

きのうと同じことをきょうは繰り返すまい。

どんな小さなことでもいい。

どんなわずかなことでもいい。

きのうと同じことをきょうは繰り返すまい。

多くの人びとの、このわずかなくふうの累積が、大きな繁栄を生み出すのである。





 

        「道をひらく」 松下幸之助 PHP研究所



   

真剣勝負

  
  
剣道で、面に小手、胴を着けて竹刀(しない)で試合をしている間は、いくら真剣にやっているようでも、まだまだ心にスキがある。

打たれても死なないし、血も出ないからである。

しかしこれが木刀で試合するとなれば、いささか緊張せざるを得ない。

打たれれば気絶もするし、ケガもする。

死ぬこともある。 まして真剣勝負ともなれば、一閃が直ちに命にかかわる。

勝つこともあれば、また負けることもあるなどと呑気なことをいっていられない。

勝つか負けるか一つ。 負ければ生命がとぶ。 

真剣になるとはこんな姿をいうのである。

人生は真剣勝負である。 だからどんな小さな事にでも、生命をかけて真剣にやらなければならない。

もちろん窮屈になる必要はすこしもない。

しかし、長い人生ときには失敗することもあるなどと呑気にかまえていられない。

これは失敗したときの慰めのことばで、はじめからこんな気構えでいいわけがない。

真剣になるかならないか、その度合いによってその人の人生は決まる。

大切な一生である。

尊い人生である。

今からでも決しておそくはない。

おたがいに心を新たにして、真剣勝負のつもりで、日々にのぞみたいものである。




  

      「道をひらく」 松下幸之助 PHP出版


    



  
感想

いきなり厳しい?文章を「道をひらく」という本の中から抜粋したのですが、今の日本人は、ぬるま湯に浸かって、ひ弱になっているように思うのです。

ちょっと調子が悪いだけで病院に行く、薬に頼る、医師に頼る、他人に頼る、病気は自分の気(エネルギー)を整えていくことで自分で自分を癒し、治していくのです。

それが本当の自然治癒力だと思うのです。

病気だけに限らず、他のことでも自分本来のチカラを出す前にあきらめてしまっている。

こんなことではいつまでも、自分に自信を持つことなんて出来ないですよね。

な~んて、これは自分自身にも言って聞かせているのですが、みなさんも胸に手を当てて考えると思い当たるふしがあると思うのです。

失敗は、油断であったり、甘さから来る。

それは確かな事実だと思うのです。

自分の “生き方” について“真剣に考える” 時期に来ているのかもしれませんね。



  

2012年5月13日 (日)

手塚 治さん

  

  
みなさんの知っている漫画家の手塚治虫(てづかおさむ)さんは治虫と書きますが本名は 治 一文字なのだそうです。

今日は“母の日”ですが、母親とは子どもの良き理解者ですよね。(そうとも限らないかな?)

理解者であれば、教育者(ただ押し付けるのみの)である必要はない

教育って、本来は“引き出す”って意味なんですよね。

元々あるものを、自分が気がついていないものを、先生、親、大人、友だち、知人など、誰でもいいのだけれど

「この子はこんなところが素晴らしい!」 と見つけた人が

その子にそっと教えてあげる。

するとその子は天から与えられた才能に気づき、喜び

開花し始める。

そんなことが次々に起こるようになれば、素晴らしいですよね!

偉大な天才には、良き理解者がいた。

そんないい話を見つけました。

よかったらお付き合いください。







手塚治虫という人がいました。

漫画の天才です。

62歳で亡くなりました。

池田師範付属小学校というエリートの通う学校の生徒だったのですが、
生徒もエリート、先生もエリートです。

あるとき授業中に、
治ちゃん(本名は「治」)がノートに漫画を描いていた。

すると先生が見咎(みとが)めた。

「授業中に漫画を描いているとはなにごとだ」と。

当時は漫画は市民権を得ていませんから、怒られた。

そしてお母さんが呼び出しを受けた。

お母さんは帰ってきて、

「治ちゃん、今日学校から呼び出されて、先生に言われたんだけど、授業中に漫画を描いていたんですって?」

「うん、描いていたよ」

「どんな漫画を描いていたのか、ちょっと見せてちょうだい」

「いいよ」と持ってきた漫画を母親は何も言わずに、
1ページ目から読み始めます。

そして、終わりまで読んで、パタッと閉じた。

そこで、

「治ちゃん、この漫画はとてもおもしろい。

お母さんはあなたの漫画の、世界で第一号のファンになりました。

これからお母さんのために、おもしろい漫画をたくさん描いてください」

と言った。

天才手塚治虫が誕生した瞬間です。

普通の親なら「何やってんのよ、あんたは」と怒ります。

しかし、手塚治虫のお母さんは違った。

描いた漫画を誉めてやることで、
子どもの才能を引き出したのです。

子どもが伸びたい方向に伸びようとするのを、
なぜ社会の常識や親の思いで潰すのか。

その芽をなぜ摘み取るのか。

世間はそこに、そろそろ気がついたほうがいいようです。

子育てとは、じつは難しくない。

子どもが伸びていきたい方向に伸ばしてやればいい。

逆にいえば、伸びたい方向に伸びていくのを邪魔しないこと。



【人の心に灯をともす】
http://merumo.ne.jp/00564226.html より

子どもや他人の、夢を奪い、才能の芽を摘んでいることに気づかない人は多い。

世間の常識や、思い込みにとらわれ、冷たい言葉を投げかけたり、
やる気をなくさせる言葉を言っている人だ。

「どうせ無理」

「できっこない」

「それは、むずかしい」

「やめたほうがいいよ」

「夢みたいなこと言わないで」

母親の力は偉大だ。

エジソン、アンデルセン、野口英雄、吉田松陰、そして、手塚治虫、
それらの偉人たちには、素晴らしい母親がいた。

それは、「今のあなたのままでいいのよ」という母親の絶対肯定の愛情があったからだ。

絶対肯定の愛は、見返りを求めず、損得もない。

長所をみつめ、美点を伸ばす、愛の言葉を発したい。



  

神との対話、自分との対話

  
  
神様と言ったって、本当は自分との対話なのです。

神との対話という本に書いてあることは、実は人間の心の中(本心)が語られているんですよね。

だから自分で本当の自分と出逢える人は、この本は必要ないことになります(笑)。

しかし、未だその時期にきていない人には

道標(みちしるべ)が必要ですよね。

特に人間関係については不可解なことが多い(笑)。

物事はなんでも考え方次第

思い方次第ということはわかってきました。

でも、未だ、完全にわかり切ったわけではない。

そんな人(自分も含めて)には良本だと思います。

これをステップにして次に進めばいいと思います。

私は、mixi もやっているのですが

そこでマイミク(mixiで知り合った友だち)さんが「神との対話」について抜粋していたものをRe 抜粋します。

よかったらお付き合いください。 happy01




 

 ~神との対話~ 1巻の第8章より抜粋


人間関係はいつでも課題だ。

つねに創造すること、表現すること、自己の高い面、より大きな自分、すばらしい自分を経験することを求められる。

その経験をいちばん直接的に、力強く、純粋に実践できるのが人間関係という場だ。

それどころか、ひととの関係なしには、その実践は不可能だ。




ほかの人間や場所、出来事との関係を通じてのみ、あなたは(個性のある実体として、他と区別しうる何者かとして)宇宙に存在できる。

他がなければ、あなたも無だということを覚えておきなさい。

自分以外の他との関係があるから、あなたは存在する。

それが相対性の世界というもので、それと対照的なのが絶対性の世界、わたしが存在する世界だ。

このことをはっきりと理解すれば、そしてしっかりと把握すれば、すべての経験を、すべての人間的出会い、とりわけ個人的な人間関係をうれしいと思うようになる。

人間関係は、最も高い意味で建設的なことがらだから。

経験はすべて、ほんとうの自分を創りあげるために活用できるし、活用すべきだし、(あなたが望むと望まざるとにかかわらず)現実に活用されつづけているのだ。



すべての関係をうれしいもの、特別なもの、自分を創りあげる経験としてとらえなさい。

そして、いま、どうありたいかを選びなさい。





ほとんどの人は、相手との関係で何を与えられるだろうかと考えるのではなく、
何が得られるだろうかと考えて、関係を結ぶ。


人間関係の目的は、自分自身のどの部分を「明らかに」したいかを決定することであって、
相手のどんな部分を把握し、つかまえておきたいかを決めることではない。


人間関係の目的はひとつしかない――それは、人生のすべてに言えることだ。目的は、ほんとうの自分は何者であるかを決め、ほんとうの自分になること、それである。

人生に特別な相手が現れて自分が満たされたと感じる、というのは非常にロマンティックだ。だが、人間関係の目的は、相手に満たしてもらうことではなく、

「完全な自分」――つまりほんとうの自分という存在をまるごと――分かち合う相手をもつことだ。





人間関係では、それぞれが自分のことを考えるべきだ。

自分は何者か、何をするか、何をもっているか。
自分は何を欲し、要求し、与えているか。
自分は何を求め、創造し、経験しているか。

そう考えれば、すべての人間関係はすばらしいものとなり、その目的に――そして関係を結んでいる人間にとっても――大いに役立ちだろう。

人間関係では、それぞれが他者について心をわずらわせるのではなく、
ただただ自分について心をくだくべきだ。




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2012年5月10日 (木)

やる気を出す方法 4


  
ではどうしたら、ホメオスタシスの影響を受けずに、

今より上をめざすことができるのか?


答えは、

「“自分らしさ”を書き換える」

です。

「自分らしさ」だけが変われば、

今のあなたが「自分らしさ」の外に出てしまうので、

大慌てで、新しい「自分らしさ」に逃げ込もうとする。

するとなんの努力感もなく、

ホメオスタシスを使って、

今めざしているところに到達することができるのです。


  

やる気を出す方法 3

  

  
なぜそうなっているかというと、

人間のホメオスタシスが影響しています。

ホメオスタシスというのは、生命をキープするために欠かせないもの。

体温や血糖値などを「いつもと同じ状況」にするために働いています。

大脳が発達した僕たち人間の場合は、

思考レベルにもホメオスタシスが働いているそうです。



たとえば、

「やる気が出た!」と思うときがありますが。

しばらくすると、どこかに消えているときがあります。

やる気はいいものだと、あなたは思っています。


ところが、ホメオスタシスからしてみると、

昨日まではやる気を出さずに、

うまく生きてこれたわけですから、

「やる気が出た」= 「異常な精神状態」

という判断になるので、一気にふり戻そうとするのです。


夜中、急にやる気になった。

すごいスピードで企画書を書き上げた。

できたー! これはすごい! とんでもないことが起きるぞ!

と興奮しながら眠りについたが、

翌朝その企画書を見返すと、「えっ? これ、誰がやるの?」


このように、

ドンといったものは、ドンとふり戻される。

がんばってしまうと、必ずふり戻される。




 「ひとり会議の教科書」山﨑拓巳 サンチュアリ出版


  


  

やる気を出す方法 2


   
・・・・・「この自分らしさ」は“無意識(潜在意識)”の中にあり、あなたの心を支配しています。

意識できる意識と、意識できない無意識の割合を

ヒット数であらわすと、なんと140対 20000。

「やせたい!」と140人が叫んでも、

20000人が「食べたいものを食べたい!」と主張します。

「結婚したい!」と140人が叫んでも

20000人が、「面倒臭いんだ!」と主張します。



無意識はかたときも休むことなく、

思ったことを、完璧に実現しています。

変わりたいと口ではいっても

無意識は「変わりたくない」と思っています。

「今の自分」が大好きだからです。

今のあなた以上にも、以下にもなりたくない。

とにかく現状を維持したい。

そこがもっとも心良い、安心感のあるところだからです。


  


やる気を出す方法 1

   
    
みなさんが悩んでいることの一つにやる気が出ない、持続しない、というものがあると思うのです。

モチベーション、やる気を出させることは企業などでも苦労しています(笑)。

社員のやる気、士気を高めることが、会社の業績に大きくかかわるからです。

私も自分のやる気をどうしたら持続させれるか

心をいつもフラット(起伏が少なく)していくことは悩みのタネでもあります。

自分の心の中はどうなっているんだろう?

働き者の自分は少なくて

サボりたい

寝ていたい

楽をしたい

という自分が多かったら


やる気が一時的に出たとしても

そうでない自分の方強かったら

また元の自分に戻ってしまう

ふり戻されてしまう。


そんな心の動きがわかって

どうしたらいいのか?

が書いてある本があったのです。わーい(嬉しい顔)手(チョキ)

よかったらお付き合いください。

2012年5月 7日 (月)

阪急電車

  

  
阪急電車は、大阪を中心として、宝塚歌劇で有名な宝塚線、神戸線、京都線等があります。


「フリーター家を買う」の作者である有川浩さんが書いた「阪急電車」は以前から知っていたのですが、映画は観に行っていませんでした。

それを今回は、テレビで放映されることになり興味と期待を持って観ました。

私も大阪の阪急沿線(京都線)に住んでおり、宝塚方面もよく知っているので余計に親しみがあります。

婚約者を会社の後輩社員に寝取られたOL(中谷美紀)が報復のため2人の結婚式に白いドレス姿で出席をする。

目的を果たした彼女は帰路を、阪急電車にウエディングドレスで乗り込む。

居合わせた人は、その様子から彼女の心情を察する。(もちろん分からない人も無関心の人も居る)

悲しい表情の彼女に、年配の老婦人が語りかける。

彼女の険しい表情がなごみ、そこに爽やかな風が流れる・・・・。

老婦人役を宮本信子が演じていたのですが

いい味、渋い味を出していました。

人生を真剣に生きて厳しい中を生き抜いてきたのに人への思い遣りや、やさしさを持っている。

そして自分の意見を押し付けるのではなく、傷ついた心をそっと包み込んでいく

もしかしたら本当にあったかもしれない人と人とのふれあいを自分が乗っていた阪急電車から想像(イメージ)し、クリエート(創造)して物語りにしてしまう。

なんという感性なんでしょう。

そして、映画を観た人はそれぞれの感想を抱く・・・・・。

物語りはこの2人だけではなく、DVに悩む女子大生や地方から出て来て周りとうまく馴染めない学生や奥さん連中と噛み合わない主婦や年上の会社員と付き合っている女子高生たちが電車の中でつながっていく

みんな自分はこれでいいのか?

と思う部分と

自分らしく生きたいという部分

そしてうまくやっていきたいという部分もある

心の葛藤がある

そんな人たちがちょっと絡み、共通の部分を見つけ、触れ合い、少しだけ影響し合って、また何事もなかったかのように離れていく。

その後、縁があって関係が続いていくかは問題としない。

だから、もしかしたら何もおこっていなかったのかもしれない。

そんなつかの間の出来事・・・・・。


でも人は経験を通して、何かを確実に学んでいく

そこにはただ暖かい風が吹いているだけ・・・・・。

だから観ていて気持ちがいいんですよね。

ジメーッとしていないから

くっついていないから

天気がいい日に

洗濯物がスカッと乾くような壮快さがあるのです。

今、このような偶然とも思えるような人と人との出会いが求められているように思うのです。

“袖すり合いも他生(たしょう)の縁”と言います。

街角でふとすれ違う人も必ず縁があった人たちです。

他生とは、前世のことだそうです。(縁の無い人、逢う意味の無い人とは絶対に逢わないのだそうです)

他人と思い込んでいるだけで実はすれ違った人が元夫だったり元妻だったりしたかもしれません。

偶然はないとよく言いますが、それは前世で出逢った人たちが過去を清算するため、何かを解決するために必然的に逢っているのです。

だから電車で隣り合わせになる人も必ず縁があってそこに座っているのです。

だけど今は(特に若い人)は、スマートフォンなどに夢中になっている。

そのバーチャルな世界に入り込んで、現実世界をないがしろにしている。

そこで素晴らしい出会いがあるかもしれないのに

お互いに魂が磨かれるような出来事が起こるかもしれないのに


意識をもっと周りに向けることが大切だと思うのです。

洞察力とは、観察力の後に付いてきます。

目にみえないもの
(心)は、目に見えるものをしっかりと見ていないとわかってこないのです。

人の顔色を見て、その人の心の内を察するのです。

インターネット相手では、人の顔色は見れません。

加工された、上塗りされた違う人がそこに居るのです。

「阪急電車」は、そんなことを教えてくれるドラマでした。

新幹線ではない、ローカルな、それも普通電車にのんびりと乗ってみる。

そんな心のゆとりを忘れないでいたい!と思わせてくれたドラマでした。

  

  


  

2012年5月 6日 (日)

調和波動気功法とは

  
本日、朝日新聞に「無限なる勇気」 于寿明著 星湖舎の本の広告が掲載されています。book

よかったら覗いてみてくださいね!

さて、みなさんにとっての“勇気” とは、いったいどういうものなのでしょうか?

今迄に、勇気を出したこととは?

勇気が出た状態とは?

そして今なぜ、人間には(自分)勇気が必要なのか?

勇気にも気が付いています。

気とはいったいなんなんでしょう?

 そして、気功とは何ですか? 

幽気、霊気、神気の気の働きであり、神様の働きである。

日本語の「気を付けて」は英語で「Good bye」=「God by you」であり、スペイン語で「Adio’s 」の dio’s は神の意味である。


「気」とは神の意味である。

  
 

調和波動気功法 

貴方も月一回行なわれているセミナーに参加してみませんか?

 
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2012年5月 2日 (水)

感情をコントロールする

  
  
どんな人と接していても感情的になっていない人の方が圧倒的に少ない。

ということは、常に自分は感情という波(波動、エネルギー)を受けているのです。

ときどき、相手の人が何を想っているのか? わかるときがあります。

顔では笑っている(あるいは、平然としている)けど、心の中は全然違っていることがわかるときがある。

わかるとしんどいですよね。げっそり

わからない人をKYというみたいだけど、目に見えないエネルギーは感じない方が幸せです。

しかし、結構、わかることがある。

そしてそれに捉われてしまいます。

ナーバス過ぎて仕事がうまく出来ない人、ちゃんとやろうと思っても失敗の多い人などはマイナスの想念エネルギーにやられているのです。(本人の考え過ぎもありますが)

どっちにしても、このマイナスのエネルギーに対処、あるいは打ち勝っていかねばならない。

でもそんなやり方なんて誰も教えてくれない。

自分なりの方法を考えている人は多いと思います。

自分なりに考えるにしても

感情ってどういう性質を持ったものなのか?

この性質を知ることはとても大きなポイントになるのです。

以前紹介しましたが

とても大切なこと(私たちが生きていく上で)再、アップしました。

感情ってどんな奴?なのかを知って下さい。わーい(嬉しい顔)泣き顔げっそりぷっくっくな顔



 

 

 1分で 「感情のマスター」 になれる方法


みなさんに試していただきたいことがあります。

ほとんどの人は 「感情の扱い方」 を知らずに、あるいは理解しようとか、極めようと思うことなく一生を過ごします。

紹介するのは、これができれば 「感情のマスターになれる」 という真理です。


今すぐ 「感情を感じ尽くす」 ことをしてください。

注意していただきたいのは、

「頭であれこれ判断しない」 ということです。

そして次のようにしてください。


・ 感情に 「善悪のレッテル」 を貼りません。理屈をつけないのです

・ ハートのまわりにある 「感情センサーだけ」 で感じ続けます

・ 感情の波を 「全身にかぶって」 ください

・ 感情の波を 「体中に書け巡らせて」 ください

・ それを 「味わう」 のです

・ 細胞の一つ一つが振動するのを「感じて」 ください

・ 善悪の判断は 「シャットダウン」 します

・ 「評価」 もしません

・ ただ、体の中にいる感情を、「あるがまま放って」 おきます



どうでしょう?

  

 「感情は、たいていの場合、最長60秒くらいで消えてしまう」


のです。

信じられないと言う人もいるでしょう。でも、ぜひ試してください。

真実であることを実感するでしょう。

突然何か 「不愉快な知らせ」 を受けたとします。

それによりストレスを感じます。

そんなとき、知らせに反抗したり、感情に抵抗しようとしないことです。

感情が力を持ち

「あなたを支配してしまうから」 です。

そういうときは、感情に逆らわず 「そう、今、私はストレスを感じている」 と認める「セルフ・トークのスイッチをオフ」 にし、ボリュームをゼロにします。

その感情につながり、「感じるだけ」 です。

感情が大きくなっても、そのままにしておくのです。

ストレスという感情の幅の、端から端まで、

とにかく「今の感情を無心に味わい尽くす」 のです。

すると1分後には、

「その感情が消えてなくなっている」 ことに気づくでしょう。

これが 「感情の真実」 です。

「感情は抵抗するとパワーを持ち始め」、あなたを振り回します。

怒り、憂うつなど、役立ちにくい感情モードにはまったとき、あるいは、反対に、愛、感謝、喜びなど美しい感情などでも同じです。


「評価し、レッテルを貼れば貼るほど、頭で考えれば考えるほど、感情は力を持つ」


のです。 


押し殺そうと頑張ったり、強がったり、感じないように無視したりすると、それは再浮上し、「役立たない形で表面化し始める」のです。

なぜなら、「感情を処理したのではなく、抑圧しただけだから」 です。

「対処したのではなく、抵抗しているから」 です。

「あなたが感情のマスターになった」 のではなく、「感情があなたのマスターになってしまったから」です。

このことが理解できると、「99%人々が理解していない、感情のマスター方法を体得できる」 のです。



  

『自分を超える法』 アンソニー・ロビンス ダイヤモンド社



   

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